ラジオ深夜便の明日へのことばだったかで登場された木村有子さんの本。インタビューをなんとなく聞き始めたら、とんでもない経歴の方でそれは読んでみなくてはとさっそくに買った。
1962 年生まれで、プラハの春、そしてチェコ事件。読売新聞の記者だった父親はロシア語ができるということで、チェコ事件後にプラハ支局を作るために赴任する。木村有子さんも母親と妹と一緒に半年遅れてプラハへ。
父親とてチェコ語はわからないのだが、ロシア語がある程度通じるところがあるということなのだろうが、母親にしてもまったくわからない。ちょうど公団住宅のようなアパートらしきところで暮らすようになるのだが、なにしろ 1970 年ころなのでまだまだチェコの情勢はよくない。庶民の生活はいつも汲々としている。食べ物ひとつにしても簡単には手に入らない。
そんな家族にアパートの住人のなかには手助けをしてくれる人もあって、なにくれと世話をしてくれる。子供の面倒を見てくれたり、食材の知恵を授けてくれたり。そうして片言でチェコ語を学んでいったり。
有子さんらもなんとか子供の輪にはいって交流を深める。学校は現地の普通の小学校なのでまわりはチェコの子供ばかり。学校の先生であっても日本語はもちろん、英語であっても十分とは言えなかったのだろう。いや、仮に英語ができても有子さんには英語もわからない。
それでも、日本という知らない国から来た彼女に子供たちは興味津々で、あれこれ話しかけてきたり一緒に遊んだり。そうしていつしか言葉にも不自由しないくらいにはなってしまうという子供の順応性の高さ。
ただ、あまりにチェコでの生活に慣れすぎてしまうことに父親が心配し、中学にあがる前にひとり日本へ帰ることになる。けれども、チェコでの子供たちと違い、同じ日本人であるのに誰も近寄ろうとしない。外国から帰ってきたよくわからない子供という感じで疎外感を覚え、チェコに帰りたいと思う日々。
やがて、母親や妹も帰国し、それなりに生活は落ち着いていくもののチェコへのあこがれはつのるばかり。そして、二度の留学を経てきちんとチェコ語を学ぶことになり、はては結婚してのちにベルリンで暮らすことを選ぶ。時まさに壁の崩壊の時。現場を目の当たりにしたその様子や、それ以前にチェコの友人と訪れたときのチェコ人は壁を通ることはできないが、日本人である彼女は煩雑な手続きではあるものの、それを行いさえすれば行き来は可能だという現実も体験。
そうした、当時のチェコの人々の暮らしぶり、社会というものを知る貴重な資料ともいえる本書。そういう時代があったんだよとあらためて思う。
40 歳を過ぎたころになってようやくチェコの絵本を翻訳することになるのだが、残念ながら今ではそれらは絶版状態だ。いまもチェコ語に関わる仕事としてあれこれ関わっておられるようではあるけれど、本来の夢であった絵本関係が堅実でないことは、いささか苦悩されているのかもしれない。
もぐらくんの絵本、読んでみたいのだがなあ。
「チェコのヤポンカ 私が子どもの本の翻訳家になるまで」
木村有子著
かもがわ出版
最近のコメント