「昏き聖母」を読んだ
フィデルマシリーズ新作。今回は発売からさほどたたないうちに読むことになった。読み始めたらあっという間に読み終えた。もはや年寄にとって読書も疲れるのでどうしても時間をかけてゆっくりになるのだけれど、これはついついページを繰る手が止まらないという類の作品で、いつもよりもやや早いペース(とはいえ、早い人とは比べものにならないほどには遅い)で読んでしまった。
フィデルマの相棒ともいえるエイダルフが、少女強姦殺害の罪を負わされて、しかもあろうことか、本来はない死刑制度をとっとと適用してしまおうとする一派が教会内の実権を握っており、かけつけたフィデルマにしてもこれという有力な手をうつこともかなわないままに物語が進んでいく。もどかしい。
気づけばフィデルマと一緒に慟哭し、歯ぎしりし(いや、フィデルマはしないけれど)、いらだたしさに落ち着かない。そんな読書。健康にはよくないか。
が、下巻に進むころには急に潮目が変わり始め、とはいえそれは決してエイダルフに有利にではなくむしろ逆に不利ともいえる展開で、いっそうフィデルマの仕事を困難にもする。作者は今回少々やりすぎたのではないか、と心配するくらいに。
事実、本当の本当に終盤、ページ数でいって終わりまで 20 ページくらいまで明かりの見えない感じの展開が続く。それがボラーンの登場で一変し急転直下とでもいうべき大団円を迎えるあたりは、ちょっと無理が大きかったかという印象はぬぐえない。
まあ、フィデルマシリーズではどうしてもそういう傾向はあるのだけれど(時代設定による制約もあり)、それにしてもという感じになってしまって謎解きがあまり納得感のある証拠の登場なく終わってしまった印象。
とはいえ、ようやく己の心に素直になれたふたりの行く手には、まだまだ暗雲がたれこめているようで、読者を楽しませこそすれ、ふたりにはとんだ試練であることよ、と同情したくもなる。
昨今でも死刑制度についての議論はあるし、この作品世界のいう法もたしかに望ましいものなのではないかと思わざるを得ない。自らが性急に裁可を下したエイダルフの死刑についての再審議に異を唱える若き王フィーナマルに対してボラーンのいう言葉が重い。
「その者が死んでから誤りを正すよりも、生きているうちに事態を調査し、誤りを正すほうがよかろうて」(下巻 P.225)
田村さんの訳も実によくて、わかりやすく流れるような描写。映像が浮かんでくるかのようで本当にありがたい。次も楽しみだ。
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