ドキュメンタリーと報道
高校生男女ふたりの生徒が転落死していた事態を受けて、マスコミの取材がなんとも腹立たしい(具体的に目にしたのはフジテレビ)。亡くなった女子生徒の父親に対して、「男子生徒が憎いですか?」などといった質問を続けて、なんとか怒りの発言を引き出そうと必死になっている。殺してやりたいとでもいってくれたら、という思惑が画面中に氾濫していてなんとも不愉快。
一方で父親は冷静。まだなにも詳しい状況が分かってないので、なんとも言えない。今の段階で一方的に男子生徒を加害者としていいのかはわからない、とつとめて冷静な対応。もちろん、本心を言ったら、なぜ娘がとか、いろいろ思うところはあるのかもしれないけれど。
ドキュメンタリーには作り手の恣意的なものがあるというのは、ある意味当然だけれど、報道にあって恣意的なものがあるのはどうなのか。御用報道というのはあるのだから、やはりそれらは結局同じということになってしまうのか。報道の自由とは「どう伝えようと自由」ということなんだろうか。この世界には自由が満ちている。
結局、ゴミはゴミでしかないということなのか。どこで間違ってしまったのかなあ。いや、間違ったわけでないのだとしたら、そもそも期待することが無意味ということになってしまうのだけれど。
| 固定リンク
« 春の雪 | トップページ | キサク・タマイの冒険 »











コメント