なぜ?の階乗
「なぜ子どもを持つのか」という究極のそして間違いの無い理由は、「生物としてしごく当然の行動」でしょうか。
とりあえずこの世に生を受けている生物としては、みな子孫を残すという目的のために生きている部分というのは間違いなくあるはず。そんな理由だけでは虚しいと思うかもしれないけれど、ヒトであってもそれは基本的にあらがえないものですよね。
ただ、ヒトに関しては、それ以外の意味合いというものも生まれているのも確かなのだと思います。つまり、もはやそれだけを目的としなくてもヒトの種が維持できるような環境がある程度あるという意味で。
少なくとも子どもを持つということには理由は必要ないでしょう。つまり「老後の面倒を見てもらえるから」とか「社会に対する義務だ」などというとってつけた理由などは必要ないし、むしろ無意味だと。逆に持たないことにも理由は必要ないでしょう。「経済的な負担が大きすぎる」とか「「欲しいけれどできない」という現実的な理由は確かにあるでしょうけれども、あえて理由をつける必要はないと。どちらかというとどちらかが善でどちらかが悪であるという考え方が、そうした相反するものへの疑問・問いかけになっているともいえるのではないでしょうか。
ヒトという生物として考えたとき、子孫を残そうという行動をとらないことは悪といえるかもしれませんが、子孫が残せないから悪であるというのはいきすぎかと。また、人類や社会的なことから考えれば、これ以上の人口増加を助長するような無計画な行動は悪であるといえるかもしれません。
極論かもしれませんが、それほど見方が違えばその意味するものも変わってくるのだということです。
というか、つまりはこういうことです。
いつも何かをすると、”なぜ?”がつきまとうのは、どうしてだろう?
--(略)--
私は反対に皆に問いたい。
「なぜ、そんなに何でも理由づけしたがるんですか?」と。
人間が何かをする時、別に理由がなくてもいいではないか。好きだからやる、行きたいから行く、ただそれだけで、心の動きに忠実に行動する人間がいたって、不思議はない。
堀ひろ子「サハラとわたしとオートバイ」から
もちろん疑問の心を持つのは大切なことです。なぜだろう?と思えなければ発見もないし、つまらないのも確かです。ただそれは無垢の心で見なければ意味がない、ということでしょうか。子どもを持つのはさまざまな意味で大変なことだから嫌だ、という人には、どう説明しても、子どもを持つことの良い部分を理解してもらうことはなかなか難しいでしょう。そもそも説明することも困難なことがらであることもありますが、良い面があるなどとは考えられないという壁は大きいです。
なんだか漠然としてきました。そこで、答えるとしたらこんな感じでしょうか、
「特に理由なんてないけれど、お互いに欲しいと思い、幸いにも恵まれたから」
#わたしが紹介するのは絶版本ばかりだなあ(^^;なんだかプレミアついてます。
#いがさんの記事にトラックバックさせていただくことにします。
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