書物としての新約聖書

書物としての新約聖書(しょもつとしてのしんやくせいしょ)
田川 建三(たがわ けんぞう)
1997年6月 第1版6刷
本体8000円
頸草書房(けいそうしょぼう)
発行当時、新聞の書評欄で目にして興味をもったのだけれど、その値段にまず恐怖し、頸草書房といえどもなかなかの大部であることもあって手を出しかねていたのでした。大体、わたしはキリスト教を信仰しているわけでもないし、研究しているわけでもない。ましてやその他のあまねく宗教やエセ宗教の類であっても特に信仰しているというわけではない。はやりの無宗教ね。といわれてもいいけれど、宗教はあくまでも思想のものでしかないと思っているので、思想・哲学的な見方しかしていないだけなのだ。
そんなわけで、『新約聖書をめぐる基本的な問いに答える。』などと帯に書かれた日には読まないわけにはいきません。そもそもなんなのだろう、と思っていたのだから。しかし、読み始めて二回くらいは挫折しました。やや難解なのと、自分が知りたいのはそういうことじゃないんだ。というもどかしさだったかもしれません。もちろん難解だった一番の理由は、基礎知識がなさすぎた、ということにつきるわけですが。
それでもとこの夏にようやく奮起して読了しました。正直言ってまったくの素人にはまだ難しさがあります。それは仕方の無いことだと思いますし、作者の田川さんもある程度の基礎知識をもった方を対象にされていると思います。が、それでも『聖書』をめぐる基礎知識の多くを得られる本でした。それはなにかと言えば、
新約は自分たちに都合のよいことだけを旧約からもってきて、さらにあれやこれやをとってつけて完成した。
です。いえ、それは違う!という信者や研究者の方もあるかもしれません。が、大筋でこれは間違っていないはずです。
ただ、問題はなかで語られている内容が思想やあるいは道徳的に納得いくことであるならば、それはそれで人々の支えとして間違っているとはいいきれないということではないかと。単にその出来上がっていく過程には政治的なものも多いのだな、と。あるいは他の宗教にもそうした変遷や過程があるのかもしれませんが。そうした意味でも今後もこの手の書籍を読んでみたいなと思うわけです。
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