「こんにちは」と「こんばんは」の境界は

 「こんにちは」と「こんばんは」の境界はどのあたりなのだろうと、ふと思う。季節による差異があるので一概に時間帯ではいえないものの、おおざっぱに季節的な期間を限定したとして何時ころが境目になるものだろうかと。

 夏場だと 19:00 ころでもまだいくらか明るくて人によっては「こんにちは」だったりする。とはいえ、さすがに夕暮れの時間はそろそろ「こんばんは」の領域なのかなと個人的には思ったりする。夏場ならば 18:00 くらいからというところ。

 冬場だと 17:00 でもすでに真っ暗だったりするので、すでにその時間は「こんばんは」という感じであろうし、16:00 くらいからは「こんばんは」のころだろうかと思ったりもする。

 とはいえ、最近だと本当に暗くなるまでは「こんにちは」という人も多いような印象。しかし、夕暮れ時に「こんにちは」というのもなんとなく違和感がある。ダメということでもないものの、なんとなく。

 黄昏時、かわたれときはそのどちらもという領域ととらえるべきかとも思うが。たとえばそれが朝の場合だとまだ薄暗くても「おはようございます」になってしまうようにも思う。決して「こんにちは」でも「こんばんは」でもなく。

 そして、案外「おはようございます」の時間は流動的で長い。さらには「こんにちは」も共存するような。

 どうも「こんにちは」と「こんばんは」には境界のようなものも、共存するような雰囲気もあまり感じられない。なんだかもやもやするのだった。

 ま、好きなほうで。

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メモ:長野県の方言関連本

4784072802残したい方言II 暮らしに息づく信州のことば (信毎選書)
出野憲司 小川香織
信濃毎日新聞社 2016-03-16

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478407211X残したい方言 信州のことばアラカルト (信毎選書)
出野 憲司
信濃毎日新聞社 2013-07-13

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 ずっと信濃毎日新聞に連載されていた方言コラムをまとめた二冊目とのこと。一冊目の存在をうっかりして知らずにいたのだった。すでに読んでいるとはいえ、昨今ではこうした言葉を聞くことはもちろん話すことも少なくなってしまったので記録という意味でも残しておきたいなあと。

 紹介記事を見ると「ミヤマシイ」とかでていて、昔はあったなあという感慨にふけったり。若い人にはもはや外国語みたいなものかもしれないという寂しさもある。

 実のところ以前出版された方言辞典も手元におきたいと思いつつそのまま。そしてそれは絶版になったのだと思われ廉価な机上版が近年出版されたのでそちらだけはなんとかと思いつつも、すでに数年が経過。こちらも早くしないと入手できなくなるかもしれない。そろそろなんとかしたいなあ。


 特別版か。

4784072195長野県方言辞典[特別版]
馬瀬良雄(編集代表、信州大名誉教授)
信濃毎日新聞社 2013-10-09

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「つ」と「っ」 「丁字路」と「T字路」 「ら抜きことば」など

 最近はテレビよりもラジオを聴くことが増えてきているのだけれど、ネットチェックしたりしつつなので NHK のらじる★らじるであるとか、ラジコであるとかが主。どちらかというと NHK の第一を聞いていることが多い。ただ、いつも聞きたいと思う番組かというとそうでもないのでそんなときにアーカイブにあるものを聴くことも最近増えてきた。

 ということでラジオ深夜便で放送したもののアーカイブがおおむねひと月くらい有効で配信されているのでそれをたまに聴いたりしているのだった。

 今回は日本語のことについてのものがあったので聴いていたらなるほどと思ったので残しておく。(というか、メモすることで自分の記憶に定着させる反復行為というべきか)

もともとは「かつて」だったが、誤読によって「かって」と読まれるようになってしまったと考えられる。昔は小さい「つ」などを書く習慣がなく「買って」といったようなものも「買つて」というように書いていたがために後にそれと同じと勘違いして小さい「つ」と誤読したと。
「カムチャツカ半島」も「カムチャッカ半島」ではなくて、あくまでも大きい「ツ」であると。が、小さい「ッ」で読んでしまう人は多いと。では、「ポツダム宣言」は?
「ウォツカ」も「ウォッカ」と読まれてしまっているが、本来は「ウォートゥカ」という音を当時表記するにあたって「ウォツカ」であったと。今ではもう日本語としての「ウォッカ」として定着したということらしい。
「あまつさえ」は本来「あまりさえ」であったが、「あまっさえ」と変化したのが「あまつさえ」と小さい「っ」であるべきところが、大きい「つ」で読むことが普通になってしまった例と。
「丁字路」も「T字路」も今ではどちらが正しいとかはないと。確かに。先に使われていたのはもちろん「丁字路」なのではあろうけれど。「T」の場合は「てぃー」というよりは「てー」という場合も多いと。よりはっきりとわかるようにという効果か。
いや、そもそも「てーじろ」だったからそのほうが本来であったと。つまり「丁字路」は「てーじろ」だったということか。「ちょうじろ」も間違いではないのだろうけれど。
勧誘の形にしたときに「・・・よう」になるのは要注意。「切る」と「着る」で、「切ろう」と「着よう」。さらに、「切れる」と「着られる」であって、「着れる」はら抜きであると。「よう」になったら要注意。
ただ、土地土地でずっと言い習わしている表現までを間違いだという言い方はよろしくないだろうと。
「よろしかったでしょうか?」が禁止されてきたので、代わりとして生まれてきたのが「大丈夫でしょうか?」なのか説。

 が、否定や拒否を意味しようとして使うという「大丈夫です」はやはりおかしいだろうなあ。

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「頭を垂れる」

 「100 分で名著 内村鑑三」が放送中。名前は知っているものの読んだことはなく、しかしなかなか興味深く見ている。とりあげているのは「代表的日本人」という作品で、もともとは英語で書かれているらしい。さながら「茶の本」みたいだ。あの時代というのはそういうのが結構あったのだろうか。

 それはともかく。

 ちょっと気になるところがあって、朗読のなかで「頭を垂れて」うんぬんという文章がなんどかでてくるのだけれど、ここを「あたまをたれて」と読んでいるのがなんだか気になるのだった。ここは「こうべをたれて」ではないのかと。

 手元の新明解第四版で、「頭(あたま)」を見ると、用例としては「--をたれて」というのはでてこない。一方で「こうべ」をひくと「首」ででてきて「頭」の字をあてることもある、といった具合にでている。まあ、他は確認してないので「あたまをたれる」もありなのかもしれないし、やはりそれはちょっと違うなのかもしれないし。

 ただ、一応天下の NHK 。もしも、NHK 的に間違いであれば当然収録のさいに訂正するはずであるので、NHK 的には「あたまをたれる」がむしろ正しいということなのかもしれない。

 とはいえ、「実るほど、こうべを垂れる、稲穂かな」という言葉もあるように、垂れるというならこうべだろうとは思うのだけれど。なんだかちょっともやもやしてしまうのだった。

 ま、それはそれとして作品としては実にぐっとくる文章が確かに多くて「読みたい」と思わせるに十分だったりはするのだった。残念ながら青空文庫では現在作業中なのでまだすぐには読めそうにはない。

4003311930代表的日本人 (岩波文庫)
内村 鑑三 鈴木 範久
岩波書店 1995-07-17

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小春はじめました

 晩秋から初冬にかけての暖かなひよりをさす「小春日和」。ということで、旧暦の 10 月の異称なのであまりに異なる時期に使うのは基本的には間違いであると。

 ということで今年はきょうから小春日和解禁、だそうです。おおむね来月はじめくらいまで。春先や 12 月もなかばを過ぎて使わないようにとは「NHK 最新気象用語ハンドブック」にも記載が。

 欧米ではインディアンサマー。北欧では老婦人の夏。ロシアでは女の夏。イギリスでは聖マルタンの夏などとも言うとか。

 長期予報としては年内の気温はやや高めらしい予報なれど、天候てきにはやや曇りや雨が多そうな予報でもあるようで、さて、小春日和らしい日はやってくるのかどうか。

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「応援よろしくお願いします」 ふたたび

 野球のイチロー選手が入団会見で話したこと。

これからも応援よろしくお願いします、とは絶対に言いません。応援していただけるような選手であるためにやらなくてはいけないことを続けていくことを約束して、メッセージとさせていただいてもよろしいでしょうか。

 ファンへの一言ということで答えたものなのだが、スポーツ選手へのインタビューで日ごろ何度も「応援よろしくお願いします」というのを聞いていて嫌だったので、「いいぞ、イチロー!」という感じでニュースを見ていた。

 応援してくれなかったらやらないのか? 応援はお願いするものではなくて、あなたががんばっている姿にファンやその他の人がおのずとあなたを応援したいと思うものではないのか? 応援しなければやらないよ、みたいな物言いは違うのではないか? と感じてしまうのだった。

 もちろん、応援してくれなければやらないなどというつもりはないのだろうけれど、その前後関係というか主従関係というかが反対ではないかと思うのだった。

 だから、イチローが「自分は応援してもらえるような選手でいられるための努力を続けるだけだ」と、応援するかどうかはファンの事情であるし、自分がお願いするようなことではないということをきちんと分かっているよなあと。

 ただ、最後の「させていただいてもよろしいでしょうか」は、あまりよろしくない。駄目だといわれたら訂正するってことなのか、と。ここはきっぱりと「メッセージとさせていただきます」と言い切ってよかったのにと、少し残念な思いもした。

 とはいえ、今ちまたにはびこる「応援よろしくお願いします」を一掃するはじめになるとよいのだがなあ。

 [ ”応援よろしくお願いします”: つらつらぐさ ]

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「後ろのほうから」

 毎朝ラジオ体操をしているわけです。で、体操の前にちょっとだけ体をならすための運動がはいるのですが、時折悩ましい説明がはいって「えっ、そういう意味だった?」ととまどったりします。

 肩を回す運動というので、「後ろのほうから回しましょう。はい、前から後ろへ」と号令がかかる。え? 後ろからじゃないの? と。

 つまり、体操の指導の方は、「前から後ろへ」の向きのつもりで「後ろのほうから」と言われているのだけれど、後ろのほうから回すと聞くとどちらかというと「後ろから前へ」という順序なのかと思ってしまうのだった。

 正しいとか間違いとかではなくて、非常にとらえにくい表現だなあと。

 「後ろのほうから」の「から」に注目すると「後ろから前へ」という取り方になるかと思うのだけれど、「後ろのほう(へ回す方向)から回しましょう」というように補完すると、前から後ろへということになるというところだろうか。指導の方はどちらかというとこういう捕らえ方。そして、仮にそれが NHK であることを考えてそちらのほうがより正しいのだとしても、やはりちょっと違和感のある表現であるなあとは。

 まあ、そもそも後ろからでも前からでもないだろう、という考え方もあったりするのではないか。という論もまたあるのかもしれないけれど。

#近頃あのお姉さんの声を聞かないのだけれど、どうかされたのだろうか。声の質は苦手なのだけれど、指導としては一番的確で好きなのだけれどなあ。

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ねこみみ

ねこみみ【猫耳】:耳あかが柔らかで、近づくと少しにおう状態(の耳)。

-新明解国語辞典第四版-

 時々うわさにのぼってしまう新明解さん。ふと思い出してつらつらとページをめくっていたら目に付いたのが「猫耳」だった。まさか、そんな意味が本来的にはあったなどとは。

 今ではすっかりコスプレアイテム的な意味合いばかりなのに、なるほどそういう意味があったのねと。「猫っ毛」というのはまだそれらしい意味合いで使われるとは。

 しかし、ということはだ。猫の耳というのは匂うということだな。あらためて嗅いだこともないのでいずれ機会があれば。


 ぜひ匂い付きで。

B00JA83IKWBrainwave Emotion Controlled Cat Ears by Necomimi- Cosplay Headband おもちゃ (並行輸入)
Necomimi

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「73 分 拡大!」

キッチンが走る 73分 拡大! 京都スペシャル


 「73 分 拡大!」。通常時間枠を超えるスペシャル番組ではよくこうした表現がされるのだけれど、なんとなく違和感が。なんとなく += 73 という風に読めてしまうのは自分だけか? 実際は通常 43 分の番組を 73 分に拡大しているということなので、拡大しているのは 30 分なのではある。

 どちらかというと「拡大! 73 分」としてあれば、 73 分に時間が拡大されているのだなと思いやすいような。前者だと通常時間 + 73 分であるかのような印象も持ってしまうような気がする。

 もちろん、「73 分 に 拡大!」とでもなっていれば、前者の並びでもよくわかるし、間違った印象を持つこともない。ただ、後者の場合には拡大されて全体で 73 分以外にはあまり誤認される可能性がないのではないかとも思う。

 まあ、ささいなことなのだけれどね。番組そのものは最近見ないことが多くなってしまったのもあり、途中で見るのをやめてしまったのだけれど。(昔は好きでよく見たのだけれどなあ)

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「一方」

 「きょうの最低気温は平年よりも二度高くなりました。一方、最高気温も平年を上回りました」

 といったような言葉が気象情報の時間に聞こえてきて、ちょっと背中のぞわぞわした気持ち悪さを覚えてしまった。

 確かに「一方」というのは、いくつかある事柄のうちのひとつは、という表現なのでまるっきり間違っているとまでは言うつもりはないのだけれど、通常こうした使い方の場合には反語として使われることのほうが多いのではないかと。

 「きょうの最低気温は平年よりも二度高くなりました。一方、最高気温は平年に届きませんでした」とでも言うのであれば、割としっくりと聞くことができそうな。

 ひとつはこうでありながら、もうひとつはそれとは違う状況であったという意味合いで使われることのほうが多いようには思う。「一方」などと使わずとも、「また」とかでつなげばよいのではないかなと。

 「西日本では猛暑となりました。一方、東日本では猛暑になりました」では、奇妙な感じだし、「一方、東日本でも猛暑になりました」というのであっても、それは「一方」をあえてつけなくてはならない表現なのだろうか、という感じかと思うのだけれど。

 やはり、こうした使い方をしたいのであれば、反語というか相反する状況の両者を比較するという状況であるべきではないかなと。

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