「里山奇談 2 めぐりゆく物語」

春ころに買ったものをようやく読む。このごろ三作目が文庫化されたばかりだったりするが、それを読むのはたぶん来年あたりかもしれない。まだ買ってないし。

現代の「遠野物語」とでもいうようなちいさなちょっと不思議な話が、たくさん詰まっている。いくらかは実体験であろうし、いくらかは誰かに聞いた話であろうし、いくらかは物語とするためのフィクションでもあろうし。

そうした田舎の不思議な体験、物語というのは、最近でこそ少し薄れてきているようにも思うものの、かつてならばより身近に存在した。そんななつかしさも覚える小品集。

かつて北海道の峠を自転車で越えていた自分としては、とうぜんひとりで峠を越えているさなかに思いをはせるといろいろ思うことがあったり、犬の話などは浜中ユースホステルにいたホステラーを展望台まで勝手に案内してくれる犬(大型犬)を思い出したり(当然案内してもらった)。

遺体に群がる蝶の話は「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」のなかの蝶の話を思い出させたり。

真偽のほどは定かではないし、考え方はいろいろあるだろうけれど、自然への畏怖という日本的な考え方というのは、謙虚に生きるという上では大切なことではないかと思わないでもない。科学文化が発達してそうしたことへの意識・畏怖が次第に薄れてきている現代にあってこそ、思い起こさせるべきかもしれない。

そんな小品集を、心の休息のように、ときおり拾い読みするのもまた一興ではないかしら、と。

里山奇談 めぐりゆく物語 (角川文庫)

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電車の学校が再現された

 [ 松川村に「トットちゃん」の世界 「ちひろ公園」拡充 | 信濃毎日新聞[信毎web] ]

 どこぞかの古い車両をもらってきて電車の教室を再現することになったというのは数年くらい前のニュースにあった。ずいぶんと長くかかったようにも感じるけれど、車両そのものがようやく運び込まれたというのは昨年くらいだったようにも思うので、そこにいたるまでの交渉が長引いたということなのかもしれない。

 直接的にちひろと関係があるというわけではないものの、つながりを持ったトットちゃんとの縁もあって実現することになったというのは、子供をばかりを対象にして描いてきていたちひろと重なる部分もあって、イメージには合うのだろうなとは。

 考えてみると確かにあれほど話題にもなり、ベストセラーとして広く読まれている作品であるにもかかわらず、映画化されるということもなかったのは、少しばかり稀有なことかもしれない。もっとも、音楽劇として音楽と朗読で構成されたものは、ひところ広く公演されもしたし、レコードなどにもなった。

 なんでも映画化、ドラマ化すればよいというものでもないというのはあるので、こうした形で疑似体験できることがトットちゃんにはよかったのかもしれない。

 話題であった当時に読んではいたけれど、さすがにいまでは詳細はもう忘れてしまっている。ただ、黒柳さんがそれらをどこかにメモしたりではなく、すべてき記憶にとどめていたことでより鮮明に記憶されていたのだといったようなことをどこかで書いておられたような記憶だけは残っている。

 実際として記憶がどこまで正しいのかはなんともいえないところもあるけれど、ただ、昔のことほどよく覚えているということも思えば、非常な時代だったこともあわせて鮮烈な記憶ではあるのだろうなとは。

 一度は訪ねてみたいのだけれど、なかなか無理かな


 レコードのものは既になく、オンデマンド CD という形で原盤から CD-R に焼く形での販売をしているらしい。

B0038002UW窓ぎわのトットちゃん
黒柳徹子
コロムビアミュージックエンタテインメント 2010-02-22

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406145840X窓ぎわのトットちゃん
黒柳 徹子 いわさき ちひろ
講談社 1981-03-06

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 先日 NHK で放送されたドラマ「トットてれび」もすばらしかった。草創期の苦労と楽しさとがつまった時代だったのだなあと。

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「長野県登山安全条例案」が施行されていますよ、と

 [ 登山計画書を提出しましょう/長野県 ]


長野県登山安全条例が制定され、平成28年7月1日から登山計画書の提出が必要となります。


 計画書の提出の義務化(罰則はともなわない)によって、無理な計画が増えるのではないかという声もあるようだけれど、遭難時に有益な情報ということを考えてもどのようなものであれ提出することをきちんと守るのはある意味責任ではないかとも思えるので。

 もしも、そんなもの出したくないという人は、ぜひ、遭難しても捜索・救助は不要の旨一筆したためてから入山していただきたいと思うくらいには、山岳遭難は多いし、それにかかわる人的リソースにしろ費用にしろ大変なのであるよと。

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御柱のある風景、そちこち

御柱の建つとある神社


 この春は諏訪の御柱祭りだった。すでにすべての日程は終了したけれど、実のところ全国あちこちに諏訪神社系列の神社があるので、小さいながらも御柱祭りが行われていたりする。そのわりに本家諏訪市の御柱祭りの全国的な認知度は低いやに聞いたのだがどうなのだろう?

 という例にもれず御柱が建つ神社。ただし 4 本ではなく 2 本が本殿正面左右に建っているようだ。

 善光寺の御開帳も全国にあるもろもろの善光寺由来のお寺などでも同じように御開帳があったりするわけだな。こちらのほうは長野善光寺は御柱祭りよりも知られているような印象も。まあ、あくまでも印象なだけなわけだが。

 地域ごとの伝統なのでまだまだこれから御柱祭りという地域があるのかもしれない。

 すでに夏のような日差しと空気のなかで。

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米子と書いて「よなこ」です

 [ 滝の上に城なかった…須坂・米子大瀑布、問い合わせ相次ぐ | 信濃毎日新聞[信毎web] ]


 地元でも知らない人も多いのだろうし、行ったことがあるという人も案外少ないのではないか、と思うような山奥なので、県外からとかでなくても勘違いしている人は多そうな気がする話。

 もう 20 年くらい前になってしまうけれど自転車でわざわざでかけた。が、自転車で行くような場所ではないのだった。山を越えて、谷を越えて、そしてまた山へ。あれほど大きな高低差を乗り越えないとたどりつけない山奥。さらに、滝のあたりともなれば山歩きしないとたどりつけないわけで、身近でありながら意外と山奥。

 もちろん詣でる人もその割には多いし、付近は写真を撮りに行く人もあるし、それなりには有名なのだけれど、ほかのそうした場所ほど気軽に行けるという場所ではないために、やや秘境じみた印象となっているのはあると思う。

 大河ドラマに影響されて話題になるのは悪くないけれど、一本道の山奥なのでそれなりに心して出かけて欲しいところではある。人を呼び込むことは必要でもあるのだろうけれど、増えすぎてしまうことの弊害もまたきちんと事前に考えておくということも必要で、昨今はとりあえず人を集められればよいということだけに注目されていはしないかという思いもある。

 そういう意味では、記事によれば現状では映像はあくまでも合成であって実際とは違うのだと理解して楽しんでくれているようではあるけれど、この先もそれが保証されるかというと不安はぬぐえない。人が増えればその種類も増えてくるので一部には心得の悪い人もそこに含まれてくる可能性もあるので。

 ドラマの人気は維持されつつも、妙なことがないままに来年を迎えられるかどうか、静かなにぎわいがこの一年以降続くとよいのだがなあと、地元民のひとりとしては願うばかり。

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桜はすでに開花

4月3日桜開花


 諸般の事情によって今頃になってしまったけれど、先の土日の暖かさですっかり桜が開花してしまい、あろうことか三分咲きから五分咲きかというくらいになってしまったこちら長野。例年になく早い桜の開花。同時に梅も満開という感じで、杏も見事という話が聞こえてきていた。

 春の嵐が吹き荒れるきょうではあるけれど、この週末に見ごろを迎えるまではなんとかもってくれるのではなかろうかと。団子とお茶でも持って近所にでかけてみようかしら、とか思ったり思わなかったり。

 なんとなくざわざわしていて落ち着かないとはいえ、ひとときそんな時間を味わっても怒られないかな。

 あまりにも早足で駆け足な春はあっという間に通り過ぎてしまいそうで、花見のタイミングやら撮影のタイミングやらみんな持っていってしまいそうな、そんな今年であるなあ。

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しなのは遠くなりにけり

 [ さよなら 大阪発着「しなの」 25日最後の運行 | 信濃毎日新聞[信毎web] ]


 京都に親戚があるというのもあって長野-大阪まで乗り換えなしでいける「しなの」はよいなと思っていた。残念ながら乗ったことはないのだけれど、年寄りが利用するなら乗り換えがなくてよいなとは常に思っていた。名古屋駅で新幹線に乗り継ぐのは足腰の弱った年寄りにはちょっと無理な話だ。

 ところがそれもなくなってしまうということで、利用客数も少ないというのは容易に想像もできるので仕方ないけれど、やはり唯一の道がなくなるのはちょっと残念な思いはある。そんなこんなもあって出かけることを諦める向きがあることを思うとなんとか他の手段はないかなあと思ってもいる。

 よくある高速バスを調べてみたものの、深夜に出発して早朝に到着するというものばかり。ひとつだけ昼間出発して夜に到着というのもあったのだけれど、残念ながら高速道路の停留所に降りるしかない。そこから高速道路を降りてバスなりタクシーなりに乗りついで京都駅あたりまでいけるのかどうかが問題だ。早朝到着の便はなぜか京都駅までまわってくれるのだが。

 そこでこのごろ思うのはむしろ北へ行くという手で、北陸新幹線で金沢まで行き、そこからサンダーバードに乗り換える。名古屋駅の規模を思えば金沢駅のそれのほうがまだ楽ではないかなと想像しているのだけれど、さて。また、つぎつぎとやってくる新幹線にあたふたすることもなく、サンダーバードならば余裕を持って時間設定しやすくはないかなとも。まあ、わからないけれど。

 本当、時代がいろいろ終わっていく感のある 21 世紀。

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松代地震観測所が無人になるという

 [ 気象庁・松代地震観測所が無人化へ | 信濃毎日新聞[信毎web] ]


 新聞記事は 2 日づけだったようだけれど、松代地震観測所が来年度から無人となるという。東京でデータ分析や運用を行うのだとか。とはいえ、メンテナンスとか周辺の維持管理とかはあるだろうけれどと思っていたら、どうやら長野地方気象台に常駐する職員さんがそれにあたるらしい。

 年に一度というけれど多いときは二度くらいあったと思うのだけれど見学会があって、一度くらいはと思いつつなかなか機会がなかった。今後もそれは続けてもらえるらしいので、いつか行ってみたい。たぶん、昔小学生くらいのころに学校で見学に行ったことがあったのではないか、とは思うのだけれど、あまりに昔でよく覚えていない。あのころは遠足で松代城址(当時は草生した石垣のなごりくらいしかない場所だった)まで歩いたくらいだから、そういうときだったのかもしれない。

 デジタルの時代、IT の時代となってますますこうして無人化、リモート化されていく分野・場所というのがあるのだろうけれど、とはいえそれだけでは対応できないときもあるだろうから、本当にそれがよいのかはなんともいえないのかなとは思うけれど。

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真田のドラマがはじまった

 大河ドラマの「真田丸」がいよいよはじまって、一応地元関連なのでということもあって見始めた。脚本の三谷幸喜が心配だという向きはあったのだけれど、とりあえずのはじまりは無難なところに落ち着いたのかなという印象で、まずまずたのしく見た。

 そもそもは 2009 年くらいに小説「真田三代」の連載があったのをきっかけに大河ドラマの実現に向けた集まりがおきたらしく、確かに NHK への陳情をしていたというのはなんどとなくニュースとして見聞きはしたのだった。そのうちに決まったという話が聞こえてきて「なるほどねえ」と思うくらいには地元という距離。

 近いけれどど真ん中ではないし、といって南信ほど遠いということでもなく、さりとて考えてみるに真田一族のことについてはこれといって知っているといえることはないのだなと。いわゆる講談レベルを出ない。

 松代にしろ上田にしろそうした資料館のようなものはあるのだけれど、地元であればあるほどそうしたところにはあまりよりつかないというのはどこも似たようなものではないかなと。

 まあ、大河ドラマもあくまでもドラマであって、必ずしも史実に完全忠実などということはない。持って加えて真田は(ことに幸村こと信繁は)あまり資料がなくて後年までどうしていたのかよく分からないのだとか今般の新聞などで知ったりする。ということで、かなりの部分はまさにフィクションとして展開されるのであろうなということは十分承知しておかなくてはいけないなと。

 地元、とくに上田の盛り上がりはあまりに激しすぎて、来年になって落ち込んでしまったときのことが心配だったりもする。観光客というのは増えたら増えたでいろいろ問題もあって(上田の場合はとくに城跡周辺にこれという食事ところがないというのは致命的だ)、そうした問題も解決できなければいけないし、むしろほどほどの数であればあまり多すぎないのが景観などの維持との兼ね合いからも重要なのではないかな、などとは思う。

 いずれにしても、純粋にドラマとして楽しめそうな雰囲気は感じるので、今年はまあ見てみようかなと思うくらいには地元民なのだった。

4167902273真田三代 上 (文春文庫)
火坂 雅志
文藝春秋 2014-11-07

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4167902281真田三代 下 (文春文庫)
火坂 雅志
文藝春秋 2014-11-07

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アクアクの島

 E テレ「地球ドラマチック」でイースター島のモアイ像など。はじめてやってきたオランダ人探検家の日記が公文書館に残されているとか。当時を知る唯一の資料がもはやこれくらいらしい。で、その後これはいいと目をつけたのが奴隷商人なのだとか。島へいっては人々を拉致して奴隷にして売ってしまうという非道を繰り返したらしい。しかも、文字をもたなかった島民の長老であるとか偉い人を優先して奴隷にしてしまったので、島の歴史や文化をきちんと知る人材がそれっきり失われてしまったのだと。

 結果、いまだに多くが謎のままと。著名なモアイ像についてはいろいろ研究されて意見されているけれど、やはりこれも分からないことが多い。それでいて最後まで立って残されていた重要なモアイ像を嫌った(と思われる)キリスト宣教師によって場所が伝えられ、囲われていわば隠されていた最後のモアイ像は持ち出され、イギリスに運ばれてしまったと。

 考えてみるとイギリスというのはあちこちの遺跡などから遺物を勝手に持ち去って博物館などにおいているのだなあと。もちろん、きちんと保管・管理されるという意味においては現地にあるよりも安全であるという側面もあるのだけれど、基本としてはあくどいことをしたものだなあという見方も。現在、変換を求める島民の嘆願もでているらしいが、返答はないらしい。

 島の歴史、モアイ像の由来・運命については過去において島民が増えすぎて争いがあったのではないかという説が有力だったらしいが、それは違うのではないかという説が最近はでてきたとかで紹介されていた。実際、ヘイエルダールが訪れたときのことなどを読んでも島民にいさかいがあるような様子はなかったし、別の原因と思うほうが自然なようにも思える。

 時のテロリズム集団イスラム国が遺跡群を破壊しているけれど、考えてみると似たような歴史は著名な先進国によっても行われていたのではないかということもあるいはいえるのかもしれないな、などとも思いつつ見ていた。

 現状もっとも詳しく読めるイースター島関連文書としては、やはりヘイエルダールの「アクアク」ということなのかなとふと懐かしくなったりもした。いずれ再読してみようか。(などと思うものばかりで一向進まないのが現実ではあるけれど)

 それにしても到着したのがイースター(復活祭)の日だったからイースター島と名づけたとか、あまりにも安易であるなあ。


 どうやら絶版みたいであるなあ。

4390114484アク・アク―孤島イースター島の秘密 (現代教養文庫)
トール ヘイエルダール Thor Heyerdahl
社会思想社 1992-12

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