コーヒーの処方箋


4902968258コーヒーの処方箋
岡希太郎
医薬経済社 2008-05-30

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 コーヒーに含まれるさまざまな成分が、いろいろの病気の予防に役立つらしいということから、それぞれの病気にあった飲み方を処方箋という形にしてみよう、というのが本書ということになるようです。

 ただ、全般を通じてコーヒーを上手に飲みさえすれば、数多くの病気を予防できるというふうに書かれているのですが、こうした「これさえあれば病気にならない」的な人目をひく話題は常に繰り返し現れては消えしていて(欧米のタブロイド紙や国内の週刊誌、スポーツ新聞、健康雑誌などなど)、正直なところまことしやかではあってもよくよく気をつけるべきである、というのが冷静な判断ではないかとも思います。

 もちろん、本書でもコーヒーだけに頼るのではない。運動も一緒に行うのが望ましいとか、まあ多少はいろいろ書かれているわけではあります。とはいえおおむねコーヒーで OK という空気。

 また、いろいろの研究などで、確かに効果がありそうだと思われる成分がコーヒーにも含まれているという事実もあるでしょう。ですからコーヒーで病気を予防できるかもしれないということにことさらに異を唱えるつもりではないですが、かといってあまりに安易にそれを信じてよいものかと疑いの目を持つことも、ことに今の社会においては重要であるのもまた事実です。

 ちなみに本書で処方箋として書かれているのは次のようなものに対してです。

2型糖尿病

メタボリックシンドローム
高血圧
パーキンソン病
アルツハイマー病
レビー小体型認知症
大腸がん
肝臓がん
慢性肝炎・肝硬変
冠疾患・虚血性心疾患
脳梗塞の再発
鎌形赤血球貧血
通風・高尿酸血症
妊娠

 わたし自身もコーヒーは好きですから、一日に数杯は飲みます。もしもそれで多少なりとも健康に役立つのだとしたら、それはそれでありがたいことではありますが、それを鵜呑みにしてまるごと実践したいとは到底思えません。それは以下にしめすような、信憑性を損なうような記述があまりにも多いためでもあります。

つまり、カフェインには適量というものがあり、病気でもない人が多く摂るのは逆効果ということです。カフェインは摂った方がいいのですが、健康な人は摂り過ぎに注意が必要なのです。(P.22)
 病気の人は摂りすぎてもよいが、健康な人は摂りすぎてはいけないという意味にとれますが、どうでしょう。

 むしろ、健康な人が多少摂りすぎてしまったくらいなら問題ないが、病気の人は摂りすぎに十分注意しなくてはならない、ということなのでは?


このとき、揮発性の香りの成分の他に、匂いのしない不揮発性の陽イオンが沢山できています。栄養学ではこのような化合物を「糖化最終産物(AGEs)」と呼び、(中略)現段階では悪玉 AGEs を飲まないようにするには、ろ紙でろ過するドリップ式が「最も安全なコーヒーの淹れ方」と考えられます。(P.22-23)

 不揮発性の陽イオンがろ紙でなら取り除くことができるという、納得できる説明がないのでにわかには信用しがたいです。布でドリップした場合はどうなのか? インスタントのフリーズドライはどうなのかとか、いまひとつ不十分です。


たった1つの食品でこれだけの作用が発揮されるものは滅多にありません。いや、「ない」と言い切れるほどです。(P.36)

 納豆でダイエットできると事実を捏造して番組そのものがなくなってしまった例もあるように、テレビの情報番組であるとか週刊誌、健康雑誌などで「これだけで、こんなにも効果が!」といった話題には枚挙に暇がありません。真偽の程はともかくとしてほかにないと言い切れるとも思えないというのが正直な感想です。


太古の人は、調理して食べなければ生きて行かれない程度の少ない食べ物しか手に入りませんでした。言い換えると、食べ物は調理するとずっと高い栄養価を持つようになるのです。(P.37)

 少ない食べ物しか手に入らないので栄養価を高めるために調理することを覚えた、というように読めますが、はたしてそうでしょうか?

 たとえば昔ながらの生活を守っているイニュイ(イヌイット)の人々は生肉をそのまま食べます。焼いた肉の匂いを嫌い、食べようとしません。肉食動物が獲物をしとめたときにまず食べるのは内臓です。みずからの体内で作ることのできないミネラルなどは内臓を食べることで得るしか方法がありません。

 狩猟生活時代においてどのような食料事情であったのかということと、火の発見と調理のはじまりについて、食料が少なかったから調理するようになったというのはやや疑問です。


人は炎で調理することを知ってから脳を進化させましたが、匂いの感覚を失いました。(P.39)

香りこそ人間だけが知っている日々の生活を豊かにしてくれる炎の産物と言えるのです。(P.41)


 匂いの感覚を失ったのに、香りをなぜ人間だけが知っているのでしょう。焼いた香ばしい匂いをいいたいのかもしれませんが、香りはあくまでもよい匂いのことでしかなく、全般をさす匂いの感覚は失われたと著者は書いています。

 仮に他の動物に比べて感覚が鈍いということだとしても、もともと同じような鋭さを持っていたのか、はたまた他の動物が進化の過程で研ぎ澄ませていったのかはわかりません。そうしたあやふやなことにたいしてあまりにも断定的な気がします。

かおり【薫(り)】いつも身辺に漂わせておきたいような、いいにおい。「香り」とも書く。(新明解国語辞典第四版)


今世紀の生命科学はヒトゲノム解析で幕を開けました。結果が出てみると、ヒトの生命を維持するのに必要な遺伝子はほぼ2万個だけで、科学者の予想した10万個を大きく下回りました。(中略)人そのものの遺伝子はたった2万個かもしれませんが、人の皮膚や腸内には数え切れない数の細菌が住んでいて、人と共生しているからです。(中略)人と共生している細菌は100種類を超え、1つひとつの大きさは人の細胞よりずっと小さいので、共生細菌の数は人の細胞数を10倍も上回ると言われています。それら細菌の遺伝子を合わせて数えれば10万個を下らないと思われます。科学者の予想は正しかったのです。(P.47-48)

 人の体に住み着いている多くの微生物の遺伝子まで含めれば、総合計した遺伝子の数は10万くらいになるだろうから、科学者の予想は正しかったというのは、奇妙な論理だと思うのですが。


しかも、その数は他の哺乳類に比べるとずっと少ないものでした。ただし10倍も100倍も少ないわけではありません。数分の1程度と思われます。(P.48)

 「ずっと少ない」と断定しておきながら、「と思われる」と想像の話をされるというのはなぜ?


「表5.生豆と焙煎豆の違い」の図
「表5.生豆と焙煎豆の違い」の図

この表から想像できることを並べてみます。
1.日本では 100% 輸入品なので価格が変動しやすい
2.生豆はどこで買えるのかわかりにくい
3.生豆の品質を見分けるのは難しそう
4.焙煎豆に生豆をブレンドしても美味しくなさそう
5.生豆も病気によさそう
(P.70-71)

 この表から想像できることは、せいぜいがところ 1 と 5 くらいではないでしょうか。それとも想像力が足りないだけでしょうか。2 - 4 を想像することは難くないですが、少なくともこの表がなくても想像できることではないでしょうか。


コーヒーが病気を予防するからといって、コーヒーだけに頼るのは大間違いです。ファンダム博士も言っているように、運動もしながらコーヒーを飲む習慣が有効です。その効果がどれくらいのものかというと、「病気になったら直ぐに気づいて直ぐにくすりを飲んで治す」ことよりさらに優れていると言えるのです。(P.86)

 運動もしながらとは言っていますが、後段で示される運動はごく軽いものであったりでそれによってコーヒーだけに頼っているのではないといえるほどのものかは、はなはだ疑問です。

 さらに、効果について、それほどであるのであらば、この世から病気も医者も薬もまったく不要になっていてもよいのでは。あるいはコーヒーさえあれば病気のない社会が待っているかのような印象ですが、そういう発想を「フード・ファディズム」というのでは。

大腸がんの予防では、女性でコーヒーの効果が認められますが、男性に有効との数値は出てきません。

(中略)
●病気を予防できる確率
女性 1日3杯以上で  0.44
男性 1日3杯以上でも 1.0
女性+男性 デカフェタイプ1日2杯以上で 0.52
(P.131-133)


 処方箋内で書かれているものがすべてそうなのですが、この数値の書かれ方がおかしいです。

 たとえばこの大腸がんの例でいえば、女性が大腸がんを予防できる確率は 0.44 であり、男性が 1.0 である。すなわち女性はコーヒーを飲めば 44% は大腸がんを予防できるのに対して、男性は 100% 予防できるという意味に取れるのですが、これはわたしの読み取り方が誤っているのでしょうか。

 前段でも予防効果があるのは女性だと書かれています。

 とするならば、これは「予防できる確率」ではなく、「罹患する確率」すなわち「大腸がんになる確率」とされるべき数字ではないのでしょうか。

 こうした不思議な理解に苦しむ内容が、主張される信用を著しく下げています。真意がどこにあるのかがわかりませんが、もう少し明確な表現であるべきかと思います。


現在、NIH の指導により長期安全性試験が行われています。(P.156)

 NIH とは何? 本書の全体を通じてどこにも明記されてはいません。


「つわり」になると大抵の母親はコーヒーを飲む気がしなくなります。(中略)実は「つわり」がはじまると母親はお腹の子によくない食べ物を嫌うようになるのです。(中略)

疫学調査の中に、「コーヒーは妊娠前半の流産リスクを高める」という論文があります。しかしこれは、「つわり」を感じない母親、つまり流産リスクが高い母親がコーヒーを飲み続けた結果であり、コーヒーを飲まなくなった母親のほうは元々安全なグループだったと言えるでしょう。疫学調査の結果の判断は慎重でなければなりません。ようやく 08 年になってそれらしい調査結果が出たようです。「統計学的には、妊娠前半に飲むコーヒーと妊娠前半に起こる流産とは関係していない」という結果は、「つわり」による食べ物の自然選択(コーヒーを飲まなくなること)が、「つわり」を感じたグループでのコーヒーの害を消していると言えるのです。(P.163)


 ここは明らかに変。整理すると、
1.一般的に「つわり」がはじまるとコーヒーは飲みたくなくなる。
2.「つわり」を感じない母親がコーヒーを飲んだ結果、流産リスクが高まった
3.妊娠前半に飲むコーヒーと妊娠前半の流産とは関係ない
4.「つわり」によってコーヒーの害を排除した

 「コーヒーを飲まなくなった母親のほうは元々安全なグループだったと言えるでしょう」とも著者は言っています。すなわちコーヒーが妊娠前半には害悪であると認めている。4からもそれは確かです。

 しかし、3の結果が信頼できるといいながら、なぜ4の結果になるのでしょう。本来であれば「妊娠前半のコーヒーと流産とは関係ない」わけですから、「つわり」を感じない妊婦であってもコーヒーを飲んで、なんら問題ないという結論になるべきではないでしょうか?

 論理が支離滅裂です。


もう1つ重要なのは、「寝る子は育つ」の格言です。最近の調査によると、睡眠時間の少ない人は2型糖尿病のリスクが高いというのです。「寝る子は育つ」の中身は、単に大きくなるのではなくて、生活習慣病になり難い健康な身体を造るという意味だったのです。親や幼稚園の先生の都合で、子供に無理矢理に昼寝をさせるのはどうやら間違いのようです。夜寝なくなるからです。保育園や幼稚園のみんなで昼寝に「待った!」の声が掛かりつつあります。(P.167-168)

 論理の飛躍が激しすぎはしないでしょうか。昼寝をさせるので夜になっても寝ないで困るとどの親も思っているのでしょうか? むしろ夜更かしさせることが常態化している昨今の子育てでリズムが崩れているとか、特別楽しいことがあったときなどは興奮してなかなか眠ろうとしないということのほうが大きく影響しているのではないでしょうか。

 少なくとも一概に幼稚園や家庭で昼寝をさせるのは間違いだというのはおかしいのではないでしょうか。ましてそれが2型糖尿病のリスクをさけるためにだというのは。


風邪薬に何故カフェインが入っているのでしょうか。「昔の人が偉かった」からではなくて、昔からある薬の効き目を今時の専門家が忘れてしまっているのです。(P.171)

 ということは最近の製薬メーカーはなんとなくカフェインを風邪薬に入れていると。昔からそうだから入れているだけ、と考えているのだということになりますが、本当にそうなのでしょうか。実際に問い合わせて確認されたりしたのでしょうか。

 まして「昔の人が偉かった」から、などという答えがどこから思いつくのでしょう。


ぜん息の治療では素人には難しい点が多くあります。病院で治療を受けている患者でも救急車が必要になることさえあるくらいです。その確率を1として比べてみると、漢方薬で対応している人では 2.5 倍、コーヒーで発作を防ごうとしている人では 3.1 倍と頻度が高くなっています。一方、エフェドリンを含む市販の咳止めを飲んでいる人では逆に 0.8 と低くなります。でもこのデータは症状が軽い人が、病院へ行かずに家で治療している場合の話です。

ぜん息の発作は命の危険をともなうことがあるので、発作予防の治療法は医師の指導によらねばなりません。その上で、夕方になると咳が気になるという人は、夕方近くになったら1杯のコーヒーを楽しむ習慣も捨てたものではないということです。(P.172-173)


 「その確率」とはなにかを文脈から読み取ると、「病院で治療を受けている患者でも救急車が必要になること」がある確率、と読めるのですがどうでしょう。

 とすると、コーヒーで予防しようとしている場合には 3.1 倍も危険性が増すということになります。しかも、それは症状の軽い人の場合だといっています。病院で治療していても重篤になる可能性があるにも関わらず、病院にいかずに「ぜん息を悪化させる可能性のある」コーヒーを飲んで予防しようというのは、あまりに無謀な行為と読めるのですが、間違っているでしょうか?

 それでいて、続く段で「命の危険をともなうので医師の指導が必要」といっていたり。にもかかわらず夕方の1杯のコーヒーは捨てたものではない、などと書いていたりするわけです。


コーヒーが大好きな更年期の女性が、「骨粗しょう症に良くないのでコーヒーを止めましょう」と医者に言われたらがっかりです。(中略)1988 年に 40~76 歳だったスウェーデン女性 3 万人を調べた結果、10 年後までに約 10% にあたる 3279 人が何らかの骨の異常を経験しました。異常はカフェインの摂取量と関係していましたが、紅茶を飲んでいた人には骨の異常はありませんでした。(中略)1日に摂るカルシウムの必要量がちょっとだけ足りないと、骨粗しょう症のリスクが高まるということです。(中略)これで少しホッとします。牛乳をたっぷり入れたコーヒーを飲んでいれば、骨粗しょう症にはならないということだからです。(P.176-177)

 実に短絡的な発想ではないでしょうか。コーヒーを飲んでいるから骨粗しょう症になるのでしょうか? コーヒーさえ飲まなければ骨粗しょう症にはならないのでしょうか?

 そうではなくて、女性ホルモンは骨に蓄えられたカルシウムが使われるのを抑制する働きをしているのですが、それがなくなると骨からカルシウムが溶出しやすくなるためにカルシウム不足が起きやすくなるわけです。

 カフェインの摂取量と因果関係があるらしいということであっても、基本的なカルシウムの摂取量の多寡が一番の問題であると理解できます。

 牛乳に含まれるカルシウムはおおむね 100g 中に 110mg とされていますから、仮に牛乳だけで一日の必要量を摂取しようと思えば 600ml 程度必要ということになります。

 一日の必要量のうちの不足分が牛乳たっぷりのコーヒーでまかなえる量である人は、それでよしということでしょうが、すべての人がそうであるというわけではありません。安易にそれだけで大丈夫だという表現は適当とはいえません。

 カルシウムの摂取量はもちろん、その吸収率を高めるために他の食品をあわせて摂取したり、骨の形成を促すための努力が大切で、単純な話ではないと思います。


 以下は信憑性とは別のことですが、近年の出版・編集という観点からいえば、なんともみっともないという事例です。

縦書きの数式が哀しいことになっているの図
縦書きの数式が哀しいことになっているの図

ボールドにすると行の中心がずれるの図
ボールドにすると行の中心がずれるの図


 全般的なことでいえば、個人がさまざまな種類の生豆にしろ焙煎豆にしろ入手するのはなかなか難しい面が大きいです。ここまで仰るわけですから、著者みずからがこうしたコーヒー豆の処方箋販売を事業にされ、実地データを得られてはどうかと思います。

 もちろんきちんとした疫学調査が行われるべきであることはいうまでもありません。

 結論としては、フード・ファディズムに走るのではなく、コーヒーはおいしく、適度に飲み、余計な考えに惑わされずに楽しくつきあうのが、もっとも有効なところなのではないでしょうか。


#旧本が好き!サイトのドメイン処理の不備により、意図しないリンク先となってしまうということで旧アドレスへのリンクを消去しています。(2012/02/12)

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