彗星パンスペルミア 生命の源を宇宙に探す

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 一言でいえば、みんな信じようとしないけれど、この地球の生命の素は全部彗星から運ばれた微生物由来なんだよ。俺たちの考えが絶対正しいんだよ。ということを延々 200 ページあまりかけて書いている本。おしまい。

 で、十分なくらいの内容。

 というのでは身もふたもない。といって基本それ以外にはないというのも事実。特定の条件において生命のスープから生まれてきたという考え方が主流ではあるものの、確かに実験でもそれ以上に納得のいく結果がまだでていないのも確かで、そんな自然発生説には不十分なところが多かった。

 では、地球から発生したのではなく、宇宙からそれらがやってきてそこから進化がはじまったのだとすればどうかという考えかたそのものは実におもしろいし、十分検討に値できる論ではあるのだろうと。実際監修の松井さんもそうした考えかたを面白いともいい、自らも調査研究をして検証しているという。ただ、本書で著者が書いている内容には非常に宗教的なにおいが強くしてしまう。自分たちの説が絶対的に正しく、それを否定する輩は科学者とはいえない。我々は科学に負けたのではなく科学界という社会や政治に負けているのであるといったことをことあるごとに説いているあたりが目につきすぎるのだ。

 監修の松井さんもそれについて触れていて本書の主張を全面的に肯定する考えはないとも。また、否定的な科学者に対する攻撃的な態度にも賛成しないということを書かれている。有用な説でありながらこうした記述によって全体がトンデモ科学系の胡散臭いものに感じられてしまうのは損なことで、著者の妄信的な愚かさが表れているといってもよいのではないか。

 読了しての感想はおおむね監修の松井さんと同様で、興味深いのに自らそれを胡散臭いものに変えてしまっているのは著者自身であって、なんとももったいないことであるなと。

 ただ、この日本語訳においては監修者や訳者が非常に冷静に仕事をしていて好感が持てる。欄外の注釈に「そのような事実はない」であるとか、「一般的には全く知られていない。著者ウィックラマシンゲの周辺でのみ語られている」などと書かれている。否定するというわけではなく、冷静に現状として分析した注釈を随所にいれているあたりに本書(翻訳)への良心を感じる。それだけでも本書の価値はあるのではないかと。

 詳しい証拠についてはさほどというものはないのでおよそ冒頭のことだけ理解しておけば事足りるという意味ではやや長すぎたという著作ではありそうだ。また、いずれという課題ではあろうけれど、ではいったいなぜどのようにして彗星にそうした微生物が含まれるようになり、さらにはそれら微生物はどのようにしてこの宇宙に生まれたのかという疑問か。

 さて、本論ではないけれど、著者の主張で一番納得できるのは序章で書かれている次のような部分だ。

注意を喚起しなくてはならない最近の状況として、「インターネット上で展開される科学」というものがある。これは、ある意味、最も問題があり、信頼性がないといえる。知識不足のブロガーが、科学に貢献しているという確信のもと、ブログ上に科学議論を展開して事実の混乱や意見や偏見を形成する。これは科学の進歩にとって無用のものである。(P.2)


 最後に監修者あとがきの最後から引用を。

著者のチャンドラは監修者の親しい友人であるが、科学的見解について共有しているわけではない。特に第12章の最後に展開される隕石に関わる話は、同意しかねる部分があり、その点については注釈を入れた。隕石学者の大部分も同意しないだろう。なお、著者の、主流の科学者の態度を批判する主張についても、監修者は意見を共有するものではない。監修者としては、読者がどう判断するかを待ちたい。(P.217)


 ちなみに本書の句読点が「,.」になっていてこれが判別しにくいために本来の「、。」の区別がつきにくく読みにくいところがあったのは編集上の残念。


追記:

 先住民と都会の人間に同時にウィルス感染が認められるからといって、それが宇宙からのものだというのはやや我田引水にすぎるようには思う。そもそも空気感染ということでいえば大気にのって感染したのではないという明確な結論は出してはいけないのではないかと。

 「放射点の位置が星座のなかにあるときには、その星座の名前が流星群の名前になる。」とあるのだが、放射点が星座の中にない流星群というのをぜひ教えてほしい。

余談:
 ベルクソンの「創造的進化」がでてきたりしたので、再挑戦してみるかと思ったりは。新訳でないかなあ。岩波さん。(いまのは読みにくい)

4769916000彗星パンスペルミア
チャンドラ・ウィックラマシンゲ 松井 孝典
恒星社厚生閣 2017-05-02

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 SETI については、カール・セーガンによる良書があるけれど、残念ながら絶版らしい。

異星人との知的交信 (1976年)
異星人との知的交信 (1976年)金子 務

河出書房新社 1976
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 天文学全般へのいざないとしては、「100 億年を翔ける宇宙」が、おなじ恒星社厚生閣からかつて出版されていておすすめ。

4769908679100億年を翔ける宇宙―ビッグバンから生命の誕生まで
加藤 万里子
恒星社厚生閣 1998-04-20

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「イシャーの武器店」

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 訳者あとがきを読んである程度納得したところはあるのだが、正直今一つ消化不良な感じの読後感。突如出現した謎の武器店。誰でもはいれるということではないふしぎな店で、なぜかそこに入れてしまったマカリスターという新聞記者。ただ、扉を開けて店にはいっただけだったはずなのに、彼は 7000 年の時空を超えてしまっていたらしい。が、彼の物語はそう長く語られることはなく終わり、たしかに合間に少し登場したりはしたのだが、正直すっきりとした決着がついたとはお世辞にもいえないような気がする。

 続く物語は武器店に乗りこんで問題とされてしまったとある店主の息子が家をでるはなし。なぜか武器店の若い女性がそこにからんできてまれなる才能が披瀝されるのだが、それがゆえに陥穽にはまりこれでもかというくらいの苦難の道を歩み始める。全体のおよそ 3/4 は彼の物語ではなかったろうか。

 その中にはこの世界をつくっているイシャー帝国の構造と、いつの時代にもあるのであろう老害問題が登場したりもするが、正直いまひとつ実感にはとぼしいようにも。そして、帝国や社会はたまた世界構造への対抗手段的な集団が武器店という発想のふしぎさと面白さ。さながらそれは自由社会アメリカの誕生とも結びつくのだろうかというところは感じる。

 罠にかかりせっかく儲けた大金もすべて巻き上げられ、あげく永遠とも思われる過酷な労働へと追いやられようとしていた男がいかにして復活を成し遂げるのかというあたりは面白味もあるのだけれど、今一つしっくりこないところもある。

 そうした違和感の原因のひとつは、文章にもありそうだ。人物の行動などはその経過があらすじ的であろうと順を追ってどこへいきなにをしてどうなったと書かれるものではあるのだが、どうも中途を端折ってしまっている箇所がなんどもあって、どうにも読んでいてつながりが悪いのだった。

 とあるところで会話していたら次の段落では意味の通じない文言が並び、少し読んでからようやくどうやら別の場所でのできごとらしいとわかる始末。移動している描写といったものがないところがなんどかあるのだった。こうなるとどうにもすんなりと物語にはいりこめない。ヴォークトの他の作品でもこうした経験はまずないと思っているのだが、いったいどうしたわけなのか。

 最終的に、彼がなぜ復活を遂げたのかについては一応の説明はあるし納得ができないではないものの、やはりどうにもしっくりしないし、説明不足的なところは否めない。まして冒頭のマカリスターにいたっては結局なんの解決もされていないのではないかというままに終わってしまった。

 では、これは「武器製造者」に続くのだろうと思ったらそうではないという。書かれたのもこちらのほうが後であったとか。名作とうたわれてはいるものの、どうも一読しただけではやや意味不明な感じであるのは素直な感想なのではなかろうかと。特殊な世界観のせいもあるのかもしれないが。

 あるいは武器店の幻影に惑わされてしまっているだけなのか。

 ということで一読しただけでは評価の難しい作品であるというのが現状の評価なのだった。要再読。

 そうそう「新版」であって「新訳」ではないことには注意しなくてはならない。

4488609155イシャーの武器店【新版】 (創元SF文庫)
A・E・ヴァン・ヴォークト 沼沢 洽治
東京創元社 2016-12-21

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「小説 君の名は。」

 夏の公開からほとんど熱狂的なブームを巻き起こしてある種熱病のようなヒットとなっているというアニメ「君の名は。」。見るのは当分先になりそうだけれど、ひとまずは小説のほうを読んでみようかということに。ゆえにアニメの展開と同じなのか、結末と同じなのかもわからない。ということを踏まえたうえでまあネタバレでもしかたないというスタンスでちょっと書いておく。

 紹介としては、やたらと高校生男女の体が入れ替わりつつ展開し、なかなか出会えない切なさが話題といったふうに言われる。実際、冒頭はそのとおりではある。寝ている間にお互いの体と心が入れ替わっていておおむね一日、つまり寝るまではその入れ替わりが続くと。といっていつでもということでもなくそのあたりは不明なままに展開する。

 この冒頭。コミカルな展開でじわじわと読者をつかみにかかっていてこのあたりはうまい。とりあえず入れ替わっていて、男が女の子の体になったらきっとこういう行動しそうだよなというある種願望のようなものが描かれる。御幣を覚悟でいえば。

 一方で女の子が男子の体になったらというとまどいがそれなりに描かれて、双方を行きつ戻りつするかのような文章構成で書かれていて、ある種実験小説的な意味合いもありそうだ。

 とにもかくにもそうしておもしろおかしい展開でぐっと物語世界にひきこんでから、がらりと展開を変えて物語の核心んにはいるとその調子はかわる。入れ替わりもなくなって、そうしていろいろみているとその入れ替わりが実は時を超えたものだったということがわかりはじめるにいたって、「おお、そうきたか!」という感じになる。

 男の時間のほうが未来であり、つまり過去においてすでに彼女は死んでいる。隕石の墜落によって。それを阻止するすべはないのかということで奔走するのが中盤。そうして、なんとか過去において村にその危機をしらせて被害を阻止しようと動き出すが、そもそもそんな奇抜なはなしを信じる理由もない。高校生、しかも女の子がなにか言ってもなにを根拠にそれを信じようというのかと思われてもしかたない。

 実際、作戦は失敗しなかなか避難しようという動きがない状況になっているところで物語は止まってしまう。次に物語がはじまるのはすでに書き換えられた世界だ。その世界では隕石の墜落による村の被害は回避され、住民の誰も死ぬことはなかった世界。最終的にどのように働きかけ、それがどう効果して被害を防いだのかというくだりが具体的に書かれることはない。

 そこは端折られてしまった。そして、平和に終わった世界だけが描かれ、少し大人びたふたりが東京でなにかにひかれるかのように再開を果たす。そんな物語。

 やはり村の危機を回避するまでの過程があまりに省略されすぎて無理がある。そこをごまかしてしまってはダメなのではないかという感じがしてしまう。そここそ重要な部分なのであって、たとえご都合主義に描こうとそこを描かずに過去の話として語るだけではだめではないかとは。

 小説版ではアニメで描けない部分まで書いているちうような話も聞いたのだけれど(あるいはそれは他のアニメ作品の小説版だったかもしれないが)、これではちょっと不十分と言われてもやむを得ないのではなかろうか。

 もちろん、そこでアニメではどう描かれたのかと気になる部分ではあるが。できれば、さらに書き直されることを期待したいかなと。

4041026229小説 君の名は。 (角川文庫)
新海 誠
KADOKAWA/メディアファクトリー 2016-06-18

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青空文庫で漱石をいくつか読む

 読むものがちょっと途絶えたというのもあって、青空文庫で夏目漱石をいくつか読んだので記録。

■カーライル博物館
 実際にある博物館を見て歩いたエッセイなのだろうか? それ以上でもそれ以下でもないような。

■一夜
 なにやら男女の不思議な一夜ということか。

■倫敦塔
 ロンドン滞在時のこと?

■二百十日
 阿蘇山に登ろうとするのだが、天候も悪かったりで結局登れない。宿でうだうだしていたりで、いったいなんだったのか?

 時間が少したってしまったのもあるけれど、いずれもそれでなんなのという感じは否めないのだった。うーむ。とりあえず読んでみたというところか。

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「時間衝突」

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 なんとも SF 的な響きにひかれるままに手に取ったものの、その内容的な意味を深く考えることもなく読み始める。序文でブルース・スターリングが書いている。

ベイリーの小説は、超高速エレベーターのようなものだ。ドアが開き、きみがエレベーターに乗りこんだとたん、加速が襲いかかってくる。階数表示に目をやると、フロアが飛ぶようにすぎてゆくのがわかる。そして、そのスピードはどんどん速くなってくる。それから――ここがだいじなポイントだ――一瞬の遅滞もなく、きみは建物の屋根を突き破り、空に飛びだしてしまう!

 「超高速エレベーター」? などと思っているうちに気がつけばそこは未来の地球。異星人の遺跡を調査していたところ不可解な状況が発生する。過去に撮影された同じ遺跡の写真を見ると、明らかに過去のほうが遺跡が古びている。つまり現代のほうが新しい。

 時がたてばたつほど新しくなる。そんな不思議なことがはたしてありえるだろうか。あるいは、それは植物が芽を出しやがて大きく育っていくように、朽ちた状態から次第に完全な形に育っていくようなものなのかと考察もされる。

 さらには、あろうことか異星人の遺物らしき機械をかれこれ 5 年も調べていて、それがどうやらタイムマシンであると判明しており、主人公であるヘシュケはタイムマシンに乗って実際に過去の遺跡を調査することに巻き込まれていく。

 到着した過去における遺跡は明らかに現在より古びているのだが、ヘシュケが現代において調査した証をもまた確認した調査チームは、実は過去ではなく未来に来てしまっているという結論を持って帰途につく。しかし、途中異星人のタイムマシンと遭遇することになってしまい、急きょはるかな未来に逃走。そして、ようやくことの実際を知ることになる。

 地球を舞台に相反する時間の流れが存在していると。

 異星人の時間はヘシュケたちの時間とはまったく逆行しているが、どうやらその時間軸はそれぞれ交錯するように流れている。おそらくは 200 年ほどでそれらは衝突することになる! そのときいったい何が起きるのか。とんでもない話になってきたと思うが、冷静に考えればタイトルがすべてを物語ってはいたのだ。

 どうなるのだと思っていると、舞台は突如どこかにある中国人系らしい種族が暮らすコロニーのようなところに移る。生産と娯楽、それぞれを享受するふたつの世界にわけられていて、相互の行き来は基本ないが、生まれてくる子供は必ず他方の世界で祖父母らによって育てられることになっているという不思議な世界。が、それを可能にしているのが、かれらが持つ時間を思うように操つる技術。

 さあさあ、どうなるのだ。なにがそれらを関連づけるのだと思わせつつ、もうさきの超高速エレベーターに読者はすっかり乗せられてなすがままなのだ。

 問題ははっきりしている。この逆行するふたつの時間の衝突をどう防ぐべきなのか、なにができるのか。地球と異星人とはお互いに相手をせん滅すればなんとかなると戦闘状態にはいるが、そんなことで事態が改善するはずもない。といって、地球を捨てる考えなどどちらもさらさらない。

 交錯する時間軸に生きる地球人と異星人を擁する地球、そして中国のコロニー・レトルトシティ、この三者三つ巴でくるくると目まぐるしく舞台と時間とを移しつつ展開する終盤。とにかくもうひたすらに終点すらもわからずにぐんぐんと超高速エレベーターは上り続けるのだ。そして、たしかに気が付けば突き抜けてどこぞかに飛びだしてしまったらしい。珍しく一気に読み終えてしまった。

 途中繰り広げられる時間論は必ずしも科学的とはいえないかもしれないが、妙に納得感のあるものでもあり、また難解でもある。役者 訳者の付記でミステリ作家殊能将之(しゅのうまさゆき)氏のこんな文章が紹介されている。

バリントン・J・ベイリーは SF のある本質を体現した作家のひとりだった。

文章は下手、キャラは平板、プロットは破綻し、奇想は思いつき程度で整合性がなく、大風呂敷を広げてもたたむことができない。
そんな小説がおもしろいはずがないのだが、読むと無類におもしろいのだ。なぜかというと「SF だから」としか理由づけのしようがない。

 まさにその通り。結末については不満があるが、そこまでの道のりを十二分に楽しませてくれたのだから、それでよしとするかとすがすがしくページを閉じる。そんな作品。面白いは正義なのだ。


アスカーはいそいでうなずき、

「わかりました。それは認めます。その事実が、わたしの理論の誤りを示していることも認めます。それで、真実はどうなんです?」
「真実は、宇宙は全体として、時間を持っておらんということじゃ。宇宙のあらゆる場所が同時に<いま>なのではない。宇宙は基本的かつ根本的に静的で、生命のない、無関心なものだ。過去も、未来も、<いま>もない」(P.189-190)

正誤をひとつ。

それがちょっとした魅力になるくらいにつむじ間借りな性格だ。(P.32)

s/つむじ間借り/つむじ曲がり/

#できれば「後ずさり」ではなく「後じさり」として欲しかったとは。

4488697062時間衝突【新版】 (創元SF文庫)
バリントン・J・ベイリー 大森 望
東京創元社 2016-09-26

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「わが青春 わが放浪」(P+D BOOKS)

 ブクログはユーザーも多く、まず当たることなどないだろうと思いつつ応募を続けていたら、今回は数も多かったためか、はたまたややマイナーなあたりを選んだためなのか当選しましたと連絡があってびっくりした。実のところ手元に届くまでは嘘ではないかと思っていたくらい。というわけで、ありがとうございます。

 実を言うと森敦は読んだことがない。ただ、名前はよくよく知っている。けれど読んだことはなかった。「わが青春 わが放浪」というタイトルと内容がどうやらエッセイらしいというあたりから、入門するにはちょうどよいのではないかと思った。「月山」からはいったらあるいはちょっと敬遠してしまったかもしれない。もちろん未読なので杞憂にすぎないかもしれない。

 森敦の放浪生活のいったんが書かれているとはいえ、やはり記憶に強く残っている物語が繰り返し語られることが多く、わけても作品ともなった月山での生活は特別なものだったようだ。すっかり荒廃した注連寺(ちゅうれんじ)で一冬過ごすことを決めたというのだが、雨戸も朽ちてぼろぼろでふすまと障子をたてて古い祈祷簿で蚊帳をつくりその中で過ごしたという。吹雪けば雪が吹き込んでくるかような様子だったようで、さながらサバイバル生活。

 そうかと思えば奈良での暮らしもなんどとなく描かれる。まるでコピーでもしたのかというくらいにほぼ同じ文章が長々と必ずついてまわることにちょっと感動を覚えるくらいだ。奈良公園からつらなる丘陵にあるという瑜伽山(ゆかやま)に暮らしたというのだが、その周辺の風景を描いた部分がまさに一言一句同じといえるような長々とした文章にもかかわらず毎度使われているのだったが、読むたびにそれは美しい風景であるなあと目の奥に想像するのだった。。

 そこで不思議な母娘らと出会って町の喫茶店に一緒にでかけたりするのだが、森のことを莫迦にしたような替え歌だったかを作って歌っていたというその娘とどういう縁でか結婚の約束をする。ところがそのまままた放浪にでてしまい 5 年あまりが経過。すでに母娘は事情あって故郷の秋田県酒田市に帰ってしまっているという。さっさといって一緒になりなさいとか周りにいわれて、いや自分はもともと結婚しないつもりなどなかったのだからとか思いつつ酒田へ向かったり。

 10 年働いては 10 年遊ぶのがどうやら自分にあっているのだといって奥さんもむしろそれを受け入れていて、仕事などしないであちこち放浪することを望んでいたり。そうはいっても金がなければというところで、どうしてもとなると友人・知人が口をきいてくれたりして、その縁でとある印刷会社に勤めているという。が、出勤するのは週に一日くらいらしく、出勤しても仕事しているのだろうか、という雰囲気ではあるのだった。

 印刷所の社長が放浪ばかりしていたということをかえって面白いと思い、働かなくてもいいからというような印象すら覚える。果ては住まいの心配までしてくれて、高台を紹介してくれそこに家をたて娘と暮らしている。はじめはアパート暮らしだったが、風呂もトイレも別。裏の竹やぶが風情があってよかったものを他の住民が暗くて邪魔なので撤去しろといったときにも、森がひとり反対し、やがては他の住民が転居し、手狭なことを理由に四部屋も森は借りることになるものの、それぞれに敷金・礼金やら必要でそれは無駄であろうと家を建てることになったとか。

 なんとも荒唐無稽というか、自由奔放というか、まるでそうしたことについて苦にも思っていないという森が不思議でもあり、頼もしくもあり、うらやましくもあり。

 まだ若いころの壇一雄や、横光利一や、菊池寛や、太宰治やといった著名なそうそうたる文人との交流の片りんなどもあちこちにあって、それが実にさりげなく、なんというか時代というものを感じたりする。

 森敦。実に不思議な、そしてしわせな人だなとあらためて思ったのだった。次はほかの作品も読んでみなくてはと切実に思った。「月山」はやはり読まなくてはなと。

余談:
 ペーパーバックということで 600 円という値段はこの時代に破格。昔は文庫も新書ももっともっとずっと安かった。時代とはいえこのくらいの値段で読める環境こそ本には必要なのではなかろうかとも。欲を言えばもう 1 ポイントほど文字サイズが大きければとは。

4093522480わが青春 わが放浪 (P+D BOOKS)
森 敦
小学館 2016-01-05

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 [ 『わが青春 わが放浪』のレビュー 森敦 (kishi24さん) - ブクログ ]

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平安堂が東急へ移転するという

 [ 平安堂など出店発表 ながの東急、大規模改装 | 信濃毎日新聞[信毎web] ]


 飯田の平安堂が長野市に出店したのはもうずいぶんと昔になってしまった。守谷ビルの1 階と 2 階をつかって CD の売り場もあったり、ちょうど時代的にマイコン・パソコンが普及してきたころだったのもあって PC ゲームのパッケージなども扱っていたりしたので、そうした意味でもずいぶんと重宝したものだった。

 その後長野オリンピックを前にして駅前の再開発が行われ、ウエストプラザへの移転をすることになるのだけれど、目玉とするために紀伊国屋書店などがはいるという噂もあった。そうした県外資本よりはという意向を受けて平安堂が了承したわけではあった。

 とはいえ、少々無謀な賭けのような側面もあったのかもしれない。ただ、三階分を使った広い売り場は当時としてはかなり画期的で、ことに専門書の蔵書はなかなか見事なものだった。

 が、わずかでいったん休業して仕切り直しをしたのは先代の社長平野稔氏。再スタートを切ってそこからはそれなりに順調な営業を続けていたやには見えた。社長を息子さんに譲ってからは残念ながら凋落の一途というしかないか。失礼ながら経営に向かれた方ではなかった。そこでいったんは退いた稔氏が復活して采配をふるったのだけれど惜しくも亡くなられてしまった。

 書店のコンビニ版とでもいうようなブックボックスで全国、とくに地方に多数出店し、あるいは沖縄には今も残っているのではないか。それが廃れて、さらには JBC(ジャパン・ブック・センター)構想がとん挫したあたりからなにやら暗雲がたれこめてきたのかもしれない。

 そうして高沢産業の完全子会社となり、東急さんにさそわれて移転と。はじめの出店地にほど近いところにまた戻ってきたわけだ。

 ちなみに先の記事では東急に書籍売り場ができるのははじめてだとあるが、それは間違いだ。長らく長谷川書店が店を構えていた。新館シェルシェができたときにもそちらに移転して営業した。10 年あまり前に事実上廃業したときに東急の売り場も撤退したのかどうかを知らないのだが、あるいはそういう意味で知らない人がそういうことを言っているのかもしれない。

 が、少なくも知る限りにおいては 40 年あまりは営業していたと思うので、さすがにちょっと失礼ではないかとは思うのだけれど。

 さて、平安堂。どこへ着地するのだろうか。ウエストプラザには県外の大手がやってくるのだろうか。

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「明暗」

 ちょっと読むものがなかったのでどうしようかと思っていて、ふと昔高橋会長が SONY Reader 用に PDF にした青空文庫の作品があったなと思い出して、それならばと見ていて選んだのが、たまたま「明暗」(夏目漱石)だった。

 で、読み始めると案外長い。しかも、例によって寝る前読書でさして進まない。間にほかの献本とかもあったりで結局二か月くらいかけて読み終えた。しかも、中盤くらいになってからようやく「未完」の作品だと知った。

 なんとなくまだまだページがあるなと思いつつ読んでいたら、ふいに「未完」の文字。Adobe Reader を使っていたのだけれど、どうやらページ位置をしめすマークは必ずしても端から端までではなかったらしい。騙された。

 で、作品。

 主人公はとにかく金がない。金遣いが荒いというわけでもないが、来月の生活費も危うい。仕事はしているようなのに。実家の父親に無心したり、親戚すじに無心したり。そんな中でなにやらよくはわからないが手術をすることになって、親戚筋と妻と妹やらちょっと困った古い友人やらがでてきてごたごたする。

 あげく、今のあなたが煮え切らないのは、かつて付き合っていて結婚するかと思っていた相手の女性とふいにわかれてしまい、別の男性と結婚してしまったが、その理由がよくわかっていないのでまだ悶々と引きずっているのでしょうというのだった。

 で、彼女は今療養のために湯治場にいるから、退院したらあなたも療養という名目でそこにいきなさいと。費用は持ってあげますと親戚だったかなんだかの奥さんがいうのだった。で、そんなことはないというのだが、あながち間違ってもいないかという気持ちもあるらしく、同行するという妻をなんとか言い含めてひとりで湯治場に行くと。

 滞在していることは確かめたものの、そうそう出会えるわけでもないと思っていたら、宿のなかで迷子になっているうちにふいに出会ってしまい、そこから意を決して対面。さて、そこからどうなるのだというところで終わってしまった。

 うーん、なにが明暗だったのだろう。相手の女性とどうしたかったのだろう。謎は深まるばかりで終わってしまった。未完にもほどがある。これをどう評価すればよいものやら。


 ちなみに先の PDF なのだけれど、縦書きではあるものの左とじなのでページめくりが逆イメージになってしまってちょっと不便ではあるのだった。

B009IXL5PY明暗
夏目 漱石
2012-09-27

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メモ:「小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃」

4622079453小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃
宮田 昇
みすず書房 2016-04-26

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 みすず書房創業者の評伝。

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「Re:VIEW+InDesign製作技法」電子書籍版が出た!(達人出版会から)

 [ Re:VIEW+InDesign制作技法 - 達人出版会 ]


 先日あった技術書典というイベントで紙製本された同書を販売されるという話をきいて、達人出版会ででたらよいなあと思ったらほどなく刊行された。ありがたい。

 実は以前(2 年くらいは前か)に idgxml での具体的な使い方のサンプルがあったらわかりやすいのだがということを書いていたら、kmuto さんがサンプルあったほうがやっぱりいいかなと issue を立てられたようだった。が、特に進展のないまま年月が過ぎてクローズされてしまった。

 哀しく思っていたらこういう形が登場した。目次やサンプルを見る限りにおいてだけれど、かなり実際に即した例をあげて(つまり kmuto さん自身が作業されている環境を解説されているようで、かなり有益な情報のように感じられる。

 Re:VIEW についてはEPUB3 の少し前くらいからソースを見たり ML に登録したりもしていたのだけれど、なかでも idgxml 出力による InDesign での利用には可能性を感じていたのだった。といっても使ったこともないし、製版を仕事にしているわけでもないのだけれど、複雑なレイアウトというのでないのであればこれによって作業の効率化が格段に進むのではなかろうという予感だけはあったのだった。

 ことに法令・例規集といった書籍の製版においてはレイアウトはほぼフォーマットがシンプルに決まっているだけなのにひきかえ、内容については随時変更や追加が行われる性質上、Re:VIEW による効果が大きいのではなかろうかと思っていたのだった。まあ、そういう仕事についているわけではないし、希望もしているかなしのつぶてなので携わることもないのだろうとは思うのだけれど。(ということもあって本書の購入にちょっと躊躇している)

 コンピュータ製版といいながら、実態はひどくアナログという印象があるのだけれど、もっともっと自動化というか効率的にできる部分というのは残されているのではなかろうかと。そういうところにはむしろ IT技術者の力が必要なのだろうなと kmuto さんのことを引き合いに出さずとも思うのは間違いではないのだろうなと。

 仕事になるとしたらすぐにでも買おうかと思うのだけれど、どうやらそういう気配はなさそうなのでいずれ趣味として買うくらいになってしまうかもしれない。ということでどちらかというとメモに近いか。

 関係の人には必読といえるかもしれない一冊なのだろうなとは思うのだった。

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