「それから」読んだ
時間がずいぶん空いてしまった。久々にこのあたりを読むかとなったのは「恋雨」アニメの影響。原作には出てこないが、アニメのほうだと古書市であきらが買ったことになっているのが「それから」。そこにはさまっていたとされたのが燕の意匠のある栞なのだけれど、原作漫画のほうでは京都土産として買ってきたもの。
せっかくなのでと読んでみることにした。が、なんだろうね、この主人公は。どうもこの時代の小説というのは、誰もかれも親のすねかじりで遊んで暮らしているような輩ばかりで、しかも、実は自分が好きだったけれど友人に譲った形の女性と再開して横恋慕、というかお互いの熱が高まってという展開。それも、ようよう終わりという頃になっていきなり急転しだす。あげく、告白された友人が父親に一切合切を手紙で知らせていて、もうお前の面倒は見ないから好きにしろといわれすべてが終わってしまったという最後。
なんだろうね。
それらが、ひたすらに淡々と描かれていて、もちろん随所にかつては好きだったのだなと思わせる部分はあるにしても、そこまで分別がないわけでもなかろうという風であるのにも関わらず、終盤になって急に恋慕を募らせて自滅へとひた走る。
なんだろうね。
実のところ、漱石を読んだのは数えるほどなのでこういうのはなんだけれど、総じてこういう感じが多いように思うのは、たまたま自分がそういうものにあたってしまっただけなのか、そもそもそういう作品が多数なのか。
なんだろうね。
もやもやする読後感なので、あきらが読み終えていたとしても、きっとよくわからなかったとか、「なんて身勝手な男なのだろうと思った」とかいう感想を持つのかもしれないなあ。
で、どうやらこれは「三四郎」「それから」「門」と続く三部作(連作ではない)ということなので、やはり「三四郎」「門」も一応は読んでみるべきなのか、どうなのか。
なんだろうね。
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