「コッホ先生と僕らの革命」を見たらなかなかよかった

 NHK BS プレミアムで映画「コッホ先生と僕らの革命」を見た。当初はあまり気がなかったのだけれど、あらすじを見ていたら一応見るかという気になって録画もさせつつ見た。サッカーがドイツの教育界に持ち込まれた 1800 年代終わりころの物語。

 英国かぶれと揶揄されつつもあたらしい教育の実験という位置づけではじめられた英語の授業。その教師として職を得たコッホ先生。クラスの中で労働者階級の子がいじめられている状況や、「子供は厳しくしつけて育てるもの」という古いドイツの教育観と戦うべく、授業にサッカーを取り入れる。

 手始めは英単語を覚えさせるという手法の一環として。前後であったり左右であったりボールであったり。そんな単語と行動を関連付けて覚えさせる。やがて模擬的な試合のようなじゃれあいをさせていくうちに体がぶつかったとかでもめあいになったりすると「フェアプレイ」というものを教える。

 そうしていくうちに虐げられていた労働者の子が実はサッカーセンスにたけていて上手であることがわかってくる。おぼっちゃんは次第に孤立していき、しかし厳格な父親に逆らうこともできず、クラスでの秘密のサッカー授業を父にばらしてしまい、サッカーは禁止に。

 そのころにはクラスはすっかりまとまっていて、コッホを慕いもし、仲間同士の絆も生まれている。フェアプレイの精神もすっかり身についてきた。

 古い考えで子供たちをしばろうとする親たちや教師への反抗を画策してあの手この手を弄するが、なかなか壁は厚い。はたしてサッカーはドイツに根付くのかというあたり、なかなか見せてくれる物語だった。

 あるいはこのことがなければ「勝利への脱出」のような展開など生まれえなかったのかもしれないとか思うと、コッホ先生偉大。

 それにしてもあのメイドの女の子はどうしてサッカーに詳しかったのかというのが少し不思議ではあるのだけれど。まあ、物語だし。

 4K チャンネルに行ってしまうのかなあと思っていた映画だが、BS1 で継続はするらしい。

 

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映画「TENET」を見た

 公開時に盛んに話題になっていたのは見ていたけれど、いつものことで映画館で見るということがもうなくなったのでテレビとか配信とかを待っていたら、たまたま AbemaTV で吹き替え版は無料というので見ることにした。新型コロナウィルスの一年目での公開だったようなので、ましてや映画館へはちょっとというのは、今思うとあったりはするな。

 で、二度見た。時間が逆行するらしいというのはおぼろげに知っていたが、なるほどそういうことかとまずは納得。逆行できる技術を手に入れて、過去に戻っては自分に都合のよいように歴史を修正してはというところだったり、事前に未来を学習したので、そうならないような過去を実行するとか。

 まあ、単純にいえばそういうことで、ただ、それがなぜ第三次世界大戦とかになるかというとやや謎。プルトニウムの同位元素にそのためのアルゴリズムを分散して隠したというけれど、それもまた意味不明だったりする。

 場面によっては同じ自分が最大で3人も登場してしまったりで、これパラドックス的にどうなのかと思ったり、たしかに自分自身に直接、いや、彼は自分と戦闘しているよな、顔が見えていないだけで。認識がなければよいという都合のよい設定を作ったのか?

 ともかく、冒頭のキーフでのテロにかかわる部分も実際にあったのか、そうではないのか、というあたりからしてよくわからない。のちに手引きをするニールがすでにマスクした状態とはいえ登場していたというのはのちにわかるわけだが、あまりに輪廻しすぎてそもそもの発端がどこにあるとか、前後関係とか無茶苦茶できちんと論理的に収めようとするとおそらくどうにもならないのだろうなと感じる。

 ゆえに、全体に雰囲気だけで突っ走っているというのが印象。話のつながりという点でも編集の都合もあるのかもしれないけれど、起きて話していた次のカットでは寝ていたり、さらに次のカットでまた起きて話していたりと意味不明。

 冒頭、彼が洋上風車の中で生活している意味も不明。なぜそこにいる必要があったのかという理由がまったくない。そして、そこをでると指示もないのにとある建物に向かって研究者の女性にあって、なにやら重要な秘密を知ることになると。それが時間逆行技術の存在。

 セイターの妻が実は船から飛び降りていたというのがはじめにもでてくるので、つまりそのときにはもうセイターは死んでいるはずなのだが、その世界線では死んでいないとか矛盾が生じる。では、そのときにはなにが起きていたのか。未遂に終わったのだとしたらセイターはそれを知っているわけだから、油断などするはずもない。

 ともかく一事が万事こうした繰り返しで、単にいくつかのエピソードの正転時間と逆転時間とを繰り返し見せられるだけで、話としての時間は実質半分でしかない。

 最後の爆弾を阻止しないという戦闘では、本来逆行している青チームの動きがなぜかしっかり逆行してないという描き方(赤が下りたとき青は作戦終了して飛び立つタイミングであるはずなのに一緒に下りているとか)も詰めが甘いのではという感じがしてしまう。物語の展開上のつじつまあわせに終始するために、ささいなところはもう矛盾だらけでもいいやと割り切った結果という感じ。

 おかげで確かになにも考えずにその時間に乗っかってジェットコースターよろしく流されていけば、なんとなく爽快感だけは残るかもしれないが、面白みとか納得感とかは皆無だ。

 いっそ、そのあたりは「時間衝突」(バリントン・J・ベイリー)を見習ってほしい。まさに相互の時間の流れが逆行していて、それらがやがて同じ時を迎えるという大惨事をどう描くか。

 そういえばタイトルも興ざめ。TENET というのは主義という意味らしく、作中でもたまにでてくるが、内容からすると誰も主義を主張しているとかではなく、これはどちらかというと字面が左右どちらから読んでも TENET であることを重視しただけではないのかという感じもする。つまり言葉の意味そのものにはまったく意味がない。たんなるこじつけ。

 回転装置のこちら側とあちら側では時間の流れが逆なはずなのに、会話が成立しているあたりもおかしい。

 いずれにしても、雰囲気だけの作品だったなというのが総合的な感想。時間逆行する世界と両方を同時に描いてみたという面白みだけは評価できるところだけれど。ほかは、どうにもならない。

 なんであんなに話題になっていたのだろう? それとも同様の感想で話題になったということだったのだろうか? いや、絶賛されていたような気がするのだけれど、さて、どうだったかなあ。まあ、どちらでもよいか。

 

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映画「jobs」を見た

 AbemaTV にきていたので見た。だいたいの主な役者さんが、実際の人物に似た感じの人を探してきていて、それだけでなかなかにいいなあと思えてしまった。さすがにウォズニアックの特異な感じは難しかったけれど、雰囲気のある人で悪くなかった。

 Apple が世に出てきたころ以降はだいたい記憶にあるくらいには同時代を生きていたのだなあとあらためて感じた。当時の雑誌とかからもれてきていたささやかな情報などしか知らないので、映画のどこまでが事実で、どこからが脚色なのかを正確にしる由はないのだけれど、時代の雰囲気も含めて、懐かしく思うところはたくさん。(Byte shop とかも)

 物語としては、いきなり会社が大きくなってしまって、ジョブズが追い出されてというあたりまでがやや忙しい感じはして少し物足りない感じもある。復帰を促されてというあたりも実際を知らないが、割とあっさりとしていて、そうなのかな、と不思議に思ったりはする。

 作られた時代的には、すでに iPhone はでていたのかなとは思うのだけれど、そういったところはあまり触れられておらず、冒頭に iPod 発表という場面があるだけだった。

 二時間という枠に収めるには取捨選択は難しいのでなんともいえないものの、ちょっと駆け足すぎるのかなという印象はある。といってあまり長くしてもつまらないだけかもしれない。難しい。

 たぶん、ビルゲイツで自伝映画を作っても、こういう面白さはないのだろうな。

 

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サッポロが舞台ではない?

「波よ聞いてくれ」がドラマ化されているというのは知っていた。なんとなくイメージとは違うかなというのもあり見ることもなくいたのだけれど、ふと新聞のテレビ欄の番組案内に最終回ということもあってか載っていたのを見ると、「ミナレ(主人公)を北海道に連れ帰そうと母親がやってくる」みたいに書かれている。

いや、舞台が札幌からどこか違うところ(おそらくは東京?)に変更されてしまったら、そもそも作品としての価値まるつぶれではないですか。

過去にアニメ化されたものがとてもよくて、今もドラマ化を受けてか TVer で再配信されていて順次見ているのだけれど、本当ドラマよりこちらでよいよと。

しかも、ミナレの父親役がさかき孝輔さんだと今回気づいた。見事な配役だ。あのうさん臭い感じ、とてもよい。

まあ、見てないものを批判してもいけないので、あくまでもそういう設定に変更されてしまっていると、ますます見る気が失せるなあというだけで。

アニメの「波よ聞いてくれ」、いいよ、とだけ。

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「リトルフォレスト」を全編見た

ずいぶん前、10 年くらいは前だったかに劇場公開された橋本愛主演のいわば田舎暮らし映画「リトルフォレスト」。夏、秋、冬、春と一時間くらいずつの 4 編に分かれていて、当時 GYAO! で配信されたのは「夏」ひとつだけだったように記憶している。制作に GYAO! も関わっていたようなのだが、それ以降おそらくストアでは配信していたのだろうけれど、無料のほうにはきた覚えがなかった。

昨年末にふいにきていたので(しかも全編)ようやくにして最後まで見た。

なるほど、一度小森をまた出てしまうのか。けれど、数年後には結婚して戻ってくると。そして、村のために動き出すひとりになると。そんな感じ。

まあ、それはそれとして、電気やガスはあるけれど、買い物するには時間がかかるし遠出しなくてはならない。冬は雪深くて閉じ込められた生活。そうした田舎生活的なものの中にみつける小さな楽しみ、幸せといったものがちりばめられている、という感じの作品群。

そんなメッセージを込めているのかはわからないので放置するとして、とにかくいろいろ身近なもので手作りする姿が楽しい作品ではある。高級なものではないけれど、なんともおいしそうなものがたくさんでてくる。工夫のある手作りが、作るという過程もまた楽しいと気づかせる。

むしろ、それこそが作品の良さではないかな。

公開中の映画「土を喰らう十二か月」にも似て。いや、こちらの作品は見てはいないのでどこまで似ているかは宣伝から想像するだけではあるのだが。

不便を楽しめるくらいでなければ、まあ、そういう生活は無理よね。

よい作品。

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「イコライザー」をようやく見る

デンゼル・ワシントンの映画「イコライザー」。どうしたことか、テレビ放送とかを見つけて「そうそう」と思って見ると、いつも「2」。

ようやく「1」を見ることができた。なるほど、これが時計を見て何秒で片付くというやつか。

で、1 は本来穏やかな暮らしを続けたいだけなのに、みずからの能力が身近な人の不幸を見過ごせないというお人よしてきな行動によって壊されていくというジレンマ、というような。

なるほど、これはよいなあ。

ただ、逆になかなか動かないのでじりじりしてしまう気持ちもあったりする。そこまで悪化するまえに動いてやれよ、というような。ま、だからこその物語。

「2」であっさりと殺してしまう CIA の有能なおばちゃんが元気でうれしい。どうして「2」で殺してしまったのか。そのくせ展開はさほど面白くない。「1」のほうが好きだなあ。

それにしても、「ジョン・ウィック」にしてもそうだが、妻を亡くした男、ただし殺しの腕は凄腕という似たような設定ではあるのだな。もともと殺し屋なのか政府機関の人間なのかという対比はあるにしても。なんとなく、そういうステレオタイプな思考というのが、制作する者にあるのかしらね。

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「ジョン・ウィック 1 2 3」を見た

「リコリコ」のときに盛んに話題にのぼったので気になっていたのだけれど、最近 AbemaTV で配信があったのでまとめて見ることができた。

闇の殺し屋世界から結婚のために足を洗ったものの、最愛の妻を亡くして後に大事な車が盗まれ、その際に妻からの最後の贈り物だった犬まで殺されて復習のために闇の世界に一時的にでも返り咲くという話。

とはいえ、いったん抜けたものがまた戻ってくるということの意味は重くてそうそう楽にはいかない。復習したらもとに戻りたいとかいうのも許されないという展開が続くという一連の作品。

1 はひたすら復習相手を探していて、さらにそれが大物のバカ息子だったということから逆に刺客が大量に差し向けられてという戦いでもあってひきつけられる。

2 はその続きなのだけれど、ちょっと毛色が変わってしまい、昔の血の約束みたいなものにしばられて策略にはめられるという展開で、正直、物語としてはあまり面白みがない。

3 はさらにその続き(時系列もそのままなので、1 からいっても数日くらいしかたってない)だが、今度は闇組織の上のほうと渡り合うという展開になってきてそちらの繰り出す殺し屋との全面戦争。殺し屋さま御用達というようなホテル内での展開が主というのに、なかなか見せてくれて面白い。

そして、制作中らしい 4 につながるようなのだが、そのあたりで終わりなのかな。というか、そうでないと多少もたつきすぎるかもしれない。

まあ、ひたすら銃を撃ちまくるし、暴力の限りをつくすという作品なので、いろいろ意見はあるかもしれない。さて、どんな続きになるのやら。

 

 

 

 

 

 

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映画「ワルキューレ」を見た

NHK BS プレミアムで放送されたので見た。

ヒトラー暗殺をもくろんだ話というので、そういう話は聞いたことはあったなというくらいの気持ちで見たのだが、まあ映画化にあたってのフィクションはあろうけれど、全体としては事実のようで、なかなかの緊迫感をもって伝わってくる。

ナチに限らず、社会のあらゆる場面でこうした強大な力の前に、行動することが困難なことというのは多いようにも思え、いつの時代においてもそうしたことは潜在的にあるのだろうなと思うと、この勇気はいかほどだったかと戦慄する。

しばらく前にはヒトラーの最後までの映画だったか(女性秘書を雇うところからはじまって、地下基地のようなところで作戦会議を開いたり、秘書たちがいろいろな事務的仕事をしていたり、その家族とかもろもろでてくようなものだった)も見たけれど、どうやらヒトラー最後のわずか半年ほど前の事件ということで、こうした計画が成功していたら、あの戦争ももう少し早くに集結していたのだろうかと。

この部分は史実ではなく映画化にあたってのフィクション、というような解説とかあったら確認してみたいかな。

とはいえ、見ごたえのある作品だった。

ワルキューレ DVD

 

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「THE POST」

NHK BS プレミアムで映画「THE POST (ペンタゴン・ペーパー)」を見る。

ラストの判事のコメント「 報道が仕えるべきは国民だ 統治者ではない」を聞き伝える場面が以下。

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「南の風が吹いたのち、北の風が吹くでしょう」

このところ地元局のアナウンサーさんが、気象情報でこんな風にいうようになっていた。みなではなくこの人だけで、決して間違っているということではないのだけれど、なんとなく耳障りが悪いなあと思ってしまう。

従来ならば「南の風、のち北の風(が吹くでしょう)」というのだが、なぜかそんなふうに言う。ディレクターがそれをよしとしているのだろうから特別変には思っていないのだろうとは思う。

実際、ちょっともぞもぞした感じを覚えるものの間違っているというつもりはない。ただ、やはりなんだかもぞもぞする。統一性という点でもちょっとあれかしらねえとも。

局アナウンサーで東京勤務、気象通報経験があると少し違うのかしらねえと思ったりはする。あれは大変だろうけれど(実際経験した方の弁では最初は特に大変だったと聞く)アナウンサーとしては非常に有益な経験になるのだろうなとは思うのだけれど。まあ、地方局の短期契約のアナウンサー(人によってはまるっきり初心者での採用)では、そういうことも無理な話。

さて、今後変化があるのか、はたまたあらたな発見はあるのか。楽しみにしつつ。

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