「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」 1 2 3 を読んだ

 アニメも完結して会話とテンポのよさはなかなか好きだったので、では原作も読んでみようかという気になっていたのだけれど、リストにいれている 1 巻の在庫状況がどうにもよろしくない。変だなと思いつつずいぶん月日がたっていた。どういう経緯で知ったかもう忘れてしまったのだけれど、どうやら三期アニメのときに 1 2 3 巻セットというのを出していて、いまはそれだけになっているらしいとわかった。カバーのイラストとかも変わっているらしいし、セットでしか販売してない。

 ということで買って読んだ。なるほど、サクサクと読める。ラノベだから、といってしまっては悪いだろうし、昔、新井素子が登場したときのそれに近いものを感じるのは、近年こうした口語体作品が増えたということにもよるのか。とはいえ、テンポのよさとかは感性の問題だから才能というものを認めてよいのではないか。

 おおむねアニメは原作をほぼ忠実にシナリオにしていたのだなという印象で、もちろん部分的に変更したり削除したりというところはあるようにも思う。見返していないので正確にはわからないけれど、記憶としてはそんな感じ。

 であれば、最後はあのどんよりどろどろした展開を読まされるのかと思うと、この作者はよほど SM 趣味があるに違いないといううがった見方をしたくもなる。

 まあ、そうでもしないと展開がとか、物語がとか、いろいろ理由はあるのだろうけれど、あそこまでねじまがった家庭やキャラクターにいちいちしていてうっとうしいったらありゃしない。というのが本音であって、本当に間違い続けていたのは、主人公らではなくその周辺だった(いや、作者だった?)という感じだったりも。

 とはいえ、「1 2 3」までではそこまでドロドロした展開とか設定とかまだ隠された状態なのでかわいいものであるので楽しめる。雪ノ下がまだツンツンしていてかわいい。由比ヶ浜はぼんやりしているけれど一生懸命でいじらしい。まあ、結局はつくりものの青春でしかないのだけれど、そういうつくりものにあこがれてしまうというのもまた青春というものなのかしらね。

 つまりは、もう少し続けてみようかなと思うくらいには楽しく読んだのだった。サクサクっと。

 

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。1~3スペシャルパック (ガガガ文庫 わ 3-29)

 

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「アンの青春 巻末訳注付」を読んだ

松本侑子さん訳のほうを読んだ。

かつて読んだ村岡花子訳のほうを逐一覚えているというほど読み込んではいないので、どこがどう違うのかというのはまったくわからないし、比べるという面倒もするつもりはない。

ただただ、実に久しぶりに読み返したという体で楽しく読み終えた。ひとつには、やはりさすがに時代の流れというのもあり昭和初期の村岡訳では現代にはちょっと無理がある雰囲気というのが、すっかりこなれた感じになっているからなのかもしれない。

すすっと読み進めてしまうことができたというのは、ある意味そういう効果なのかとは思っている。

無論、村岡訳が読みにくいということでもない。やや古いといえばそれは無理のないことで、といって読みにくい文体というほどでもないと個人的には思う。

それでも、さすがに時代が過ぎすぎた面は否めない。

この新訳ではじめて読める人は、それはそれで実に幸いだ。

巻末の訳注も豊富なので、今の時代の人にとっても補完するに十分か。そして、「アヴォンリーのアン」と原題ままにしたい気持ちを抑えて、あえてなじみの深い邦題を残してくれているというのもうれしい。原題の意味もよいけれど、その解説は残しつつも「アンの青春」としてくださったのはなじみやすい。そして、この邦題も実に的確でよいと思うから。

次の「アンの愛情」で、ある意味三部作の終わり。後続のはなしは正直ちょっと面白くない。次を読むのはもう少し先になるな。

 

アンの青春 (文春文庫)

 

 

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「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話」読んだ

たまたま購入金額調整でという感じで短編集をひとつ買ったら、公開予定の劇場版を含むものだった。

久美子二年生の時間のいろんなはなし。人物もいろいろ。本編ではひろえなかったような小さな出来事をぽつぽつと。

最後に控えたアンサンブルコンテストのものがとても長くて、なるほど劇場版にするくらいだと。

次は、三年生編か。そして短編も。そして、終わりがくるのか。

 

 

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話

 

 

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「羅生門・鼻」を読んだ

「恋は雨上がりのように」で何度となく登場することもあって久々に気になったので読んだ。というか、こんなにも短い作品だったか。羅生門。

いかにも教科書に載せるのにちょうどよいという短さ。長いものの抄訳を載せても、それはそれで意味はあろうけれど、やはり全体があったほうが学習にはよかろうと思うと、こういう短い作品は教科書向きなのだなとあらためて思う。

眉月じゅんさんは、デビューの応募作だったかに羅生門というタイトルをつけていたそうで、それ自体はお蔵入りだそうだが、活かしたいということで「恋は雨上がりのように」に使ったカットとかあるという。たしかに繰り返し読んでいろいろ思索を重ねたいというところもある。

「鼻」はどうにも覚えがあると思ったら、いぜん EPUB 方面のプログラムを作っていたときに何度もテストに使用したのもあってすっかり覚えていたらしい。

いちばん長い収録作「邪宗門」。なにやらいろいろ期待させる感じで読み進めていたら、いきなり「未完」と書かれて終わってしまった。そんな。

このあたりの一連の古典に材を求めて描かれた一連の作品は、またおいおいと読もうかなと思う。まずは、この一冊をたまに読み返してから。

 

羅生門・鼻 (新潮文庫)

 

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「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 前編・後編」を読んだ

ようやく「響け!」シリーズの久美子二年生編を読んだ。

これまでは劇場版「誓いのフィナーレ」「リズと青い鳥」でしか知らなかった部分をようやく全体を通して知ることができた。二年生編はテレビシリーズがなく、ふたつの劇場版で終わってしまっているので、さすがに双方にからむような部分がごっそりカットされていたりで、いろいろもったいない感じが強い。

それぞれがそれぞれにまとめるために多少の修正をしてしまっているので、なんだか物足りない。「リズと青い鳥」の希美とみぞれの関係の修復についてもそうであるし、奏をめぐる低音のあれこれも深みが足りない。

もちろん、それぞれの作品として十分にまとまりはとれているものの、原作を読むとようやく腑に落ちる部分が少なくない。サンフェスにいたる過程もそうだし、夏の合宿もしかり、束の間の休息のプールの話とかも決してインターバルなどではなくて、それぞれの関係のために必要な部分が少なくない。そこをカットしてしまって大団円に持ち込んでもどうにもおさまりがよくない。

トランペットの夢の件もマネージャーに専念することになる先輩にしても、さまざまなことがそれぞれに食い込んでくるのに、そこがなくなってしまうとやはりどうにもおさまりがよくない。

仮にこれがどちらかひとつということだったらそのあたりも加味したものだったかもしれないものの、それぞれに分かれてしまったがゆえに変な齟齬を生じないようにあえてまったくばっさりと切ってしまったかのようで。

いろいろもったいないエピソードも多いので、すでに三年生編がテレビシリーズで制作されているようではあるけれど、二年生編もテレビシリーズでやり直してくれたらよいのだがなあと思うのは、少々贅沢な希望だろうか。

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 前編 (宝島社文庫)

 

 

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編 (宝島社文庫)

 

 

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「響け!ユーフォニアム 3 北宇治高校吹奏楽部、最大の危機」

昨年 2021 年暮れに読み終えていたのだけれど、ずれこんでしまった。アニメを見て気に入って「原作もいいよ」と聞いていたので少しずつ読んでいるもの。

確かにアニメとは設定とか、展開とかエピソードとか少し違っているけれど、原作のそれはそれでよいし、アニメはアニメで枠が決まっている中で取捨選択するということもあるし、効果的な展開のさせかたも考えて全体構成していて十二分によいと思っている。なので、なるほど原作にはこういう展開をさせているのかとか、ほんのささいなエピソードがあったりして作品世界全体を補完するという意味でそれはとても有意義。

副部長でもあるあすかの家庭事情におおいに踏み込んだ三作目では、ここまでにはない重さがあるものの、あすかの人柄を裏付ける話でもあり、それがあるからこそうすっぺらい青春物語に終わらないともいえる。

利己的ともいえそうなあすかの私情と、あすか不在によって気づかされた部内における彼女の存在であるとか、部全体を含めてそれぞれが考えさせられていく経過がよい。滝の決然とした姿もまた亡くした妻への思いとかもあいまって物語に深みを与えているし。

全国にはあっさり行かせてしまうが、決して金を取らせるような安易なことまではしないというあたりも悪くない。いろいろの場面で結果はもう知っているのに不覚にもうるっとさせられてしまう。ちょっと入り込みすぎたかな。

このあと劇場版にもなった久美子二年生編があり、久美子がとうとう部長となる三年生編も制作されるというので、原作のほうもぼちぼちと。

で、読むとついアニメのコンクールの演奏シーンを見たくなっていけない。あれはもう神の領域ではないかという。それらを作ったであろう失われた人々の命もまた。

 

響け! ユーフォニアム 3 北宇治高校吹奏楽部、最大の危機 (宝島社文庫)

 

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「響け! ユーフォニアム 2 北宇治高校吹奏楽部のいちばん長い夏」

 

アニメからはいったくちなのでようやくではあるけれどテレビシリーズの二期前半を読んだ。関西大会出場を決めて夏の練習が進むなかで、昨年辞めた希美が部活への復帰を認めて欲しいとあすかにかけあう事件から。

その後、夏休みのプールでの出来事とか、花火大会とか、合宿とか、そしてのぞみぞ事件を経ての関西大会まで。

実際読んでみると原作小説とアニメでは少しずつ違う部分は確かにある。ただ、大筋の部分に変更はないし、たとえばのぞみぞ事件が関西大会前日に起きたように原作では書かれているのだが、アニメでは明確ではないが数日前。ここはアニメの変更のほうがなにかと有効に感じる。現に指導の応援にきていた滝の友人、橋本が大会前日の挨拶でみぞれについて「とてもよくなった。なにかいいことあった?」と言う場面が描かれている。みぞれはそれに珍しいくらいの笑顔を見せつつ「はい」と即答する。希美とのわだかまりが解消されて本来の力を存分に伸ばす時間がとれたという余裕がある。原作のほうではその心の余裕が少し忙しい。

合宿のあたりも少し変更されている。眠れない久美子が優子に付き合わされてという場面の描きかたは少し変更されている。ここはどちらがということはさほどない。ほか、いくつかちょっとずつ変化はあるが、概してアニメ化にあたって全体を見直したうえで、適宜場所を入れ替えたりしているものの、エピソードの意味として全体の印象が変わるという変更ではない。より印象的な、効果的な並びを検討した結果という印象。

また、原作では上級生が下級生を呼ぶときにはほぼ名前のほうで呼ぶのだが、アニメでは久美子だけは「黄前ちゃん」と苗字で呼ばれることが多かった。ここはアニメならではの狙いがあったのかもしれない。確かに久美子が主人公ではあるし、ほかの同学年と少し違った印象を持たれているというのはある。

構成や演出を変えるうえで、あるいは一番大きな影響を及ぼしたのは楽曲かもしれない。小説では曲名はあっても実際の音はわからない。アニメではそのあたりを音なしでぼかしてしまう手法もあるいはあったのだろうけれど、京都アニメーションはそうはしなかった。しっかりとオリジナルの楽曲を作品用として用意してきた。そして、その曲にあわせて完璧な運指を作画するという驚異の仕事まで。

実際の音ができたことで、作品に対するイメージというものも大きく影響した部分はあるのかもしれない。二期 5 話の演奏シーンなどは特別な構成にして臨場感まであふれていた。これは小説ではなかなか難しい。逆に、アニメができたことで読み直せば、その音が(あくまでもアニメとしての楽曲ではあるのだが)イメージされてより鮮明なものに変わってくるという効果はあるかもしれない。

さて、ことばの上では少し気になるところはあった。「口端を上げた」と類似の表現が何度かでてきたのだが、おそらく作者は漫画的な表現によくある口の端のほうを上にあげてニヤリとするような表情の意味で使っていたようなのだが、「くちのは」にはそういう意味は本来ない。「口角」というのであれば近いが、やや印象が異なるかもしれない。

プールで希美と話したときの最後で希美が「久美子ちゃん」と名前で呼ぶのだが、名前を教えたという場面がなくて少し疑問には思った。そのときも「ユーフォの子」とか「自分」と呼んでいたのに。仮にそれ以前に夏紀なりに聞いて知っていた、あるいは本人が実は名乗っていたとして、そうであればはじめから名前で呼びかけているのではないかという感じで、やや不思議な感じがする。

 

響け! ユーフォニアム 2 北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏 (宝島社文庫)

 

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「完訳版 赤毛のアン」(松本侑子訳)

村岡花子訳でひととおり読んではいるが、さすがに昭和初期の翻訳なのでいささか古臭いことは否めない。ここへきて松本侑子さんがさまざまな訳注を含めた新しい完全翻訳に取り組んで出版となったので、ずっと気にはなっていた。ようやく買ったものの、分厚さもあってか少し後回しにしたのだが、ここへきて読み終えた。よかった。

厚さはその文字の大きさにもよっているし、訳注の多さにもよる。文字の大きいのは年寄りにとってもありがたい。文章も今の時代にこなれたものなので読みやすさは格段に違うだろう。

もちろん、それで村岡花子訳に価値がなくなるなどということはなく、今も変わらず読者をひきつける魅力にあふれているのは間違いない。ただ、おそらくはこれから先の時代において次第にその文章ではとっつきにくくなっていくことも想像に難くない。いま、ここで新しい翻訳がでることの意義もまた大きいし、膨大な訳注はその世界をより詳しく知ることに大いに貢献してくれる。

以下、いくつか気に入ったフレーズ。

「マリラ、明日は、まだ何の失敗もしていない新しい一日だと思うと、すばらしいわ」

 

アンは勝手口にある大きな赤い砂石にすわり、マリラのギンガムの膝に、巻き毛のくたびれた頭をのせ、一日の出来事をさも嬉しそうに語った。(22 章)

 

アンのように思いのたけを言葉にして伝えられるものなら、マリラはいくらでも話しただろうが、生まれつきの性格と習慣がそうはさせなかった。マリラはただ、アンの体に両腕をまわし、この子を手放したくないと願いながら胸に優しく抱きかかえるのが精一杯だった。(34 章)

 

「そうさな、でもわしは、一ダースの男の子よりも、アンのほうがいいよ」マシューはアンの手をとり、掌で優しくなでた。「いいかい、一ダースの男の子よりもだよ。そうだよ、エイヴリー奨学金をとったのは、男の子じゃなかったろう。女の子だよ……わしの娘だ……わしの自慢の娘だよ」(36 章)

 

でも、今、その道は、曲がり角に来たのよ。曲がったむこうに、何があるかわからないけど、きっとすばらしい世界があるって信じていくわ。それにマリラ、曲がり角というのも、心が惹かれるわ。 曲がった先に、道はどう続いていくのかしら……緑の輝きや、そっときらめく光と影があるかもしれない……新しい風景が広がっているかもしれない……美しいものに出逢うかもしれない……その先でまた道は曲がって、丘や谷があるかもしれない」(38 章)

 

マシューが「一ダースの男の子」というところ、村岡花子訳では「十二人の男の子」となっていて、時代を思わせる。戦後間もないころでまだ「ダース」という単位についてはあまりにも一般的ではないということで「十二人」ということになったのだろうと想像する。ただ、なぜ切りのよい「十人」ではなく「十二人」なのかと疑問に思った読者も少なくなかったのではなかろうか。

もちろん、今も「十二人」といったところで特に不便はないだろうけれど、一対一という対比における「ダース」だったのだろうから、このほうがしっくりとくるといえるかもしれない。

 

いっぽうで一か所気になる文章もあった。

「はい、この箱よ。ジョゼフィーンおばさんから大きな荷物が送ってきて、いろんな物が入ってたの。(25 章 2020/3/25 3 刷

 

「荷物が送ってきて」というのは違和感のある文章。「荷物が送られてきて」とか「荷物が届いて」とかならばわかる。あるいは、原文に忠実に訳すとこういうことになるのか、はたまたミスなのか、あるいは、松本侑子さんにとっては自然な文章なのか。それは、わからないが。

赤毛のアン (文春文庫)

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「明暗」

 ちょっと読むものがなかったのでどうしようかと思っていて、ふと昔高橋会長が SONY Reader 用に PDF にした青空文庫の作品があったなと思い出して、それならばと見ていて選んだのが、たまたま「明暗」(夏目漱石)だった。

 で、読み始めると案外長い。しかも、例によって寝る前読書でさして進まない。間にほかの献本とかもあったりで結局二か月くらいかけて読み終えた。しかも、中盤くらいになってからようやく「未完」の作品だと知った。

 なんとなくまだまだページがあるなと思いつつ読んでいたら、ふいに「未完」の文字。Adobe Reader を使っていたのだけれど、どうやらページ位置をしめすマークは必ずしても端から端までではなかったらしい。騙された。

 で、作品。

 主人公はとにかく金がない。金遣いが荒いというわけでもないが、来月の生活費も危うい。仕事はしているようなのに。実家の父親に無心したり、親戚すじに無心したり。そんな中でなにやらよくはわからないが手術をすることになって、親戚筋と妻と妹やらちょっと困った古い友人やらがでてきてごたごたする。

 あげく、今のあなたが煮え切らないのは、かつて付き合っていて結婚するかと思っていた相手の女性とふいにわかれてしまい、別の男性と結婚してしまったが、その理由がよくわかっていないのでまだ悶々と引きずっているのでしょうというのだった。

 で、彼女は今療養のために湯治場にいるから、退院したらあなたも療養という名目でそこにいきなさいと。費用は持ってあげますと親戚だったかなんだかの奥さんがいうのだった。で、そんなことはないというのだが、あながち間違ってもいないかという気持ちもあるらしく、同行するという妻をなんとか言い含めてひとりで湯治場に行くと。

 滞在していることは確かめたものの、そうそう出会えるわけでもないと思っていたら、宿のなかで迷子になっているうちにふいに出会ってしまい、そこから意を決して対面。さて、そこからどうなるのだというところで終わってしまった。

 うーん、なにが明暗だったのだろう。相手の女性とどうしたかったのだろう。謎は深まるばかりで終わってしまった。未完にもほどがある。これをどう評価すればよいものやら。


 ちなみに先の PDF なのだけれど、縦書きではあるものの左とじなのでページめくりが逆イメージになってしまってちょっと不便ではあるのだった。

B009IXL5PY明暗
夏目 漱石
2012-09-27

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「ラブコメ今昔」

 昔は恋愛小説とか、恋愛ドラマとか、恋愛映画とか、とにかくその手のものはなんだか恥ずかしくって苦手な意識というのがあった。特に若いとき。女性はむしろそういうものが好きな人は多いと思うけれど、男だとそういうのはちょっとと敬遠する向きというのはある。

 もちろん、それは嫌いだというのではなくて単に面と向かってととかあけっぴろげにというのはちょっと苦手だな、恥ずかしいなということであって、そういうことに関心がないわけではないはず。まあ、そういうもの。

 それでも「赤毛のアン」くらいなら読んではいたし、まあ、そのくらいならそう辛くはなかったようには思う。それに比べて「ラブコメ今昔」が当時あったらどうだろう? やはりちょっと手を出しにくかったろうなとは。ずいぶんとラフでライトではあるけれど、それでもその裏にはあまりにもベタな恋愛が描かれているのでちょっと気恥ずかしいところは否めないだろうなと。

 ところが今となれば、つまり歳を食えば次第にそういう意識というのも変わるし、和らぐ。まあ、気恥ずかしさといったものはどこまでいってもそう変わりはないかもしれないけれど、少し離れたところから眺められるといった感じ。若いっていいなあとか、あの頃はそういうことなかったなとか、逆にあったなとか。まあ、いろいろ思いをはせながら。

 自衛隊を舞台にした恋愛コメディ短編集の第二弾。ということもあってバリエーションもいろいろで、深刻なようでライトなようで、とにかくぐいぐいと引っ張ってくれるのでえいやっと引き込まれてさえしまえばなんということはない。こそばゆい感じも味わいつつ楽しませてくれる短編たちがぎっしりつまっている。

 しかも、自衛隊。特殊な環境下での恋愛は、などというどこぞの映画の状況まで思い出してしまいそうになるくらい特殊。けれど、それだけにかえって少し離れた現実の恋愛として見られるという効果は高いのではないかとも。恋愛小説はちょっと苦手という向きにもこれはけっこうアピールできるのではないか。

 どれも面白いけれど表題作とその裏表になるようなおまけとの対比あたりがなんとも好きではある。

 自衛隊をとりまくもろもろの事情みたいなものも見られるという特典つき。自衛隊シリーズの長編内での恋愛模様よりもずっと濃いところが読めるというのも面白い。恋愛小説はちょっと、という人にこそおすすめ。

404100330Xラブコメ今昔 (角川文庫)
有川 浩 徒花 スクモ
角川書店(角川グループパブリッシング) 2012-06-22

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4043898045クジラの彼 (角川文庫)
有川 浩
角川書店(角川グループパブリッシング) 2010-06-23

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