伝説の「どりこの」


4041100410伝説の「どりこの」 一本の飲み物が日本人を熱狂させた
宮島 英紀
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-11-12

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 昭和 6 年 4 月。名古屋は南大津町通りの松坂屋わきの空き地で前代未聞の大景品つき大売出しがはじまった。米俵 1000 俵の大山を築き上げ「ひとつ買えば内地産上等白米一俵が 1000 名に当たる!」と打ち上げた。その場でわかるスピードくじ。しかも空クジなし。

 米のほかには「奈良名所遊覧招待 100 名」「市電・バス回数券一冊 200 名」「名古屋城拝観券 1000 名」「活動写真招待券 3000 名」などなど。いくらでも金を使えと採算度外視、狂喜乱舞の大盤振る舞いをしかけたのは大日本雄弁会講談社。現在の講談社。

 はたして何をそこまでして販売していたのかといえば、雑誌でもまして書籍でもなく、「高速度滋養料 どりこの」。

 まだ、「光速エスパー」だってはじまってなかった頃。オロナミンなんとかも多分なかった頃。なんとも魅惑的な響き「高速度滋養料」。しかも、謎の名称「どりこの」!

 謎の飲料「どりこの」は生産からわずか一年で約 220 万本を生産したという。昭和のはじめから昭和 19 年頃までに生産された総本数は 1061 万 7000 本あまり。戦時下にあっては材料の調達も困難を極めたものの、軍用に生産することができたためからくも終戦間際まで生産を続けており、終戦時には講談社の社員に物資配給のひとつとして配られたというもの。

 著者は田園調布に見つけた「どりこの坂」という名称が気になり、そこにはかつて「どりこの」というもので財をなした著名な博士が住んでいたことをうけて、いつしかそう呼ばれるようになったのだという。調べるうちにその販売には現在の講談社が大きく関与しており、それが冒頭に示したようなとてつもない大宣伝の連投。

 はたして「どりこの」とはなんだったのか。なぜ出版社である講談社が販売・宣伝を行っていたのか。講談社の創業からの歴史と野間清治の人となりをつまびらかにしていく過程がここにまとめられている。

 全国民的(といっていいほどの)熱狂を生み、海外展開まで行っていたという「どりこの」。終戦とともに姿を消し、秘匿された製法は明かされないまま。軍にまで普及し戦地でも利用されていた「どりこの」。その甘美でわすれがたいという味は貧しかった時代の大きな憧れを持って迎えられたのだった。

 「どりこの」そのものも興味深いが、講談社という会社もなかなかに面白い。「どりこの」の販売や配送に関して大きな力を発揮したのが「少年部」というもので、まさしく少年が社員として働く部署があり、多くの少年を雇い、住まわせ、そして仕事を通じて学ばせ、鍛錬をさせた記録がこれまたとてつもない。少年部出身でのちに会社の役員などを務めた人も数多いという。

 なんとも豪快な社長であったのだなあと思うのと、実に志に篤い人物だったのだなあと。

「”社員総会も面白くて為になる会にしてもらいたい(中略)おもしろ味がないと、為になるところが生きてこない。 (p.53)
 とはいえ、自分の眼鏡にかなったものでなければ決して宣伝に力を入れようとはせず、雑誌の出来がよくないと、さっさと広告を減らしたという。  たとえ返本が増えることになろうとも、「面白くないものを宣伝して売るのは良くない」と考えていたようだ。 (p.54)

 昨年亡くなられた野間佐和子社長も子供の頃にいつも飲んでいたのだとか。ただ、昭和初期に生まれていても地方にあっては飲用したことがなかったり、記憶にないという人も多いようではあって、あるいはまだまだ都会での消費が主だったのかもしれない。それでも「二階で食べたら下までおいしい」というフレーズは記憶に残っているようでもあるので、どこかしらで聞き覚えていたものではあるのだろうなあ。

 予断ながらどうやら講談社は社長である男子が若くして死去し、妻がその後を支えるという構図があるのではないかという節が。創業者の野間清治が 60 歳で亡くなったあと、以前より病魔に襲われていた息子の恒(ひさし)が亡くなり、妻の左衛(さえ)が社長を務めた。佐和子社長も夫の急逝を受けて社長に就き、昨年息子に引き継いだ。ご夫婦で視察に見えたときにはお元気であったのに、それからまもなくの訃報であったなあとおぼろげに思い出す。

「人間の卑俗な欲情をあてこんだものは、しばらくは売れるかも知れないが、すぐに捨てられてしまう。第一卑俗な欲情のみをねらっていては、編集者も出版社も常に良心の不安を感じなければならない」 (p.145)

 今の出版界にこの言葉をささげたいようでもあるなあ。

 さて、実はなぜこの本が目に留まったのかというのには分けがあるのだけれど、それは別の項で。

 そういえばキング・レコードも講談社が作ったのだとか。

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真剣師 小池重明


4877284591真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)
団 鬼六
幻冬舎 1997-04

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 団鬼六さんが亡くなったそうで、まあ若いというほど若くもないが、年寄りというほど年寄りでもなく、なんといえばあの強烈なインパクトやらかくしゃくとした振る舞いとかからは、殺しても死なないんじゃないかと思ってしまうくらいだったので、なかなかに衝撃的だった。

 あいにくと「花と蛇」とかの一連の官能小説群は、存在は知っていたし目にもしていたけれど、読むまでにはいってなくて(まあ、仕事柄)、後に「真剣師 小池重明」を読んだのが最初という。とはいえ、この衝撃もなかなかに大きなもので、正直こうした賭け将棋を生業とするような人が近年にもいるということが、ちょっと意外な感じだった。いやまあ、いても不思議はないのかもしれないのだけれど、なんとなく時代的なイメージで昭和 30 年代とか 40 年代くらいの世界のような印象が強すぎて、現代にはちょっとイメージがわいていなかったのだった。

 先日の升田幸三が表の将棋界の異端児とすれば、裏の将棋界の異端児みたいな(いや、裏で異端児だったらちょっと変な感じかな)。

 もうずいぶん前に読んだだけなので、これも久々に再読しようかなあ。

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キサク・タマイの冒険


Kisaku_tamai

明治26年、酷寒のシベリアを単独横断した男。玉井喜作という無名の冒険家がシベリアの大地の向うに見たものは何であったのか、長い間き気になっていた。歴史に埋もれた一人の日本人の生涯が、ようやくこの本で明らかになった。広く読まれてほしいと思う。

北上次郎
(「キサク・タマイの冒険」帯より)

 恥ずかしながら久々に再読するまで気づかずにいたのだけれど、三年越しで放送中の NHK のドラマ「坂の上の雲」とまさに同じ時代の出来事でありながら、今でもほとんど知られないままなのだろうなと思うのが、キサク・タマイ、玉井 喜作の人生。日露戦争当時、ヨーロッパで暗躍した明石元二郎と深いかかわりを持っていた人物でもある。。もっともそれは晩年の逸話のひとつに過ぎなくて、まずは無謀ともいえる荒唐無稽な前半生から。

 1866 年、山口県の造り酒屋に生まれた喜作。父親が早くに亡くなったために、兄が家業をついで兄弟を育ててくれた。喜作には学問をということで東京にでるが、成績は優秀なくせに学業には不安がつきまとう。せっかく仕送りしてもらっても、仲間との飲み食いに使ってしまうので、授業料はもとより下宿代すら払えずにたまる一方。ドイツ語などは教授よりも優秀なくらいになるのだが、それでもやはり授業料を払わないのでついには在籍の名簿からも削除されてしまい、幽霊生徒になってしまう。

 それでも授業には出席し、一生懸命勉強するし、成績もよいので教授たちも他の生徒と同等に扱うし、授業料を催促するでもなかったというから、いい時代だったのかもしれない。

 そのうちに実家の兄が、身を固めれば少しは落ち着くだろうと強引に縁談を決めてしまい、喜作が帰郷した際に祝言をあげさせてしまう。が、それでも東京にふたりして戻った喜作は相変わらず。それをまだ幼い新妻もそういうものとしてあしらってしまうのも、なかなかたいした度量。とはいえ、さすがに金に関しては考えなくてはということで私塾を開くと大盛況となり、それで授業料が払えるようになるかと思いきや、相も変わらずというのが喜作。

 その後、札幌農大学にドイツ語教師として赴任することになり、数年は農業をしつつ穏やかに暮らすのだが、かねてより思い描いていたドイツ行きを果たすべく退職し、妻子は実家その他に預けて単身大陸へ渡る。ドイツへ行くだけなら船で直接行くなりすればよいのだが、なぜかシベリアを横断していこうと決意するあたりが面白い。榎本武陽や黒田清隆がシベリアを横断したという話を聞いていたことにも理由するのだけれど、彼らはロシアの軍隊などの全面的な支援を受けて厚遇されての横断だったのと比べ、喜作はまったく市井の者で特につてがあるわけでもない。にもかかわらず「なんとかなるだろう」とばかりにヒョイヒョイとでかけてしまう。時に明治 26 年。西暦 1893 年。

 ウラジオストックに到着した喜作は、日本領事館を訪れると「シベリア全域の商業を視察したいが、ついては当地でロシア語を習いたいので、できればドイツ人の商社を紹介して欲しい」と申しでる。なぜドイツを、と言われると、「日本人の中にいると外国語が進歩しない」と答える。紹介されたドイツ商社を訪ね、「ドイツ留学を志しているが、どうせならシベリアを歩いてロシアの内情もこの眼で見たい。ついては旅費を稼ぎたいので働かせて欲しい。きっと業績もあげてみせる」と売り込む。すると、「失礼だが、きみは一度ドイツに留学したんじゃないかね。きみのドイツ語は学者仲間が話すみたいに格調が高い」といわれると、「私は学者じゃない。商業も農業も経験している」とアピール。無事に職を得るのだが、以降万事その調子。

 仕事を得て二ヶ月もすると日常会話のロシア語には不自由しなくなった喜作だが、警官の横暴で連行され刑務所に入れられてしまう。金銭をせびるためになにかと警官が難癖をつけては、金を払わないとなると逮捕してしまうことが多く、ほとんどまともな話もさせてもらえずに、半分強制的にシベリア送りという例が多かった。なんとか友人・知人の働きで保釈される。

 その後、馬車や汽船を乗り継いで西へと進み、ときおり語学力を生かして働いては資金を得る。どこでもその優秀さを気に入られ、「やめないでずっとここにいないか」と誘われる始末で、餞別までもらっての旅は続くが、生来きっての性格で、使うときには使ってしまう。その後、馬車の荷車で茶の隊商に乗っていくのだが、これがほとんど寝ず、休まずで行軍し続けるようなもので、相当に体力を失ってしまう。さらに先の到着地ではなかなか職にありつけなかったり、隊商のときに悪化した痔がさらに悪化してもんどりうったり。たまたま再開した旧知の椎名安之助に助けられる。

 イルクーツクからトムスクまでは橇による隊商に乗ったが、これはよい隊商を紹介してもらったこともあり、さらには荷車と違い橇であったのでまずまず快適だった。この部分だけが後に「シベリア隊商紀行」としてドイツで公刊された。そうこうして、一年あまりをかけてベルリンに到着するも、誰もこの快挙を祝ってくれるでもなかった。唯一日本公使館の旧友だけがささやかに祝ってくれただけで、それほど知られてもいなかったし関心ももたれなかったということらしい。

 そして新聞社などでの文筆の仕事をようやくに得て、なんとかドイツ生活がはじまるのだけれど、その間に日清戦争・日露戦争があり、喜作自身は日本をはじめとした東アジアと欧州との貿易のかけはしてきな意味もこめて月刊誌「東亜」を刊行し、これが人気を博して、ドイツ・ロシアはもとより、日本やアメリカ、はてはアフリカなどの諸国まで購読者を持つまでになり、戦時にあっては難民のための寄付を募ったり、ドイツに逃れてきた日本人のために手を尽くしたりと活躍するのだが、そういうことをまったく知らなかった。

 日露戦争下にあっては、先のように明石元二郎のためにロシアやドイツの新聞・雑誌などを読み解いて、その情報を送っていたり。これだけで一大スペクタクルドラマが作れそうなくらいなのだが。

 けれども、私のことを後回しにして他人の世話に奔走してしまう気性が災いしたのか、結核をわずらい、妻子をドイツに呼び寄せたものの齢 40 あまりで亡くなってしまう。ドイツ語で刊行された雑誌「東亜」など、喜作の残した功績は多大なものにも関わらず、まだまだその評価は不十分でもあり、知られていない。実のところ、末尾にも書かれているのだけれど、「本の雑誌」で北上次郎氏が書かれた「『玉井喜作伝』よ、早く出てこい!」を多分読んだのが、喜作を知ったはじめだったのではないかなと思う。

 刊行からすでに 22 年が過ぎて、ちょうど「坂の上の雲」などがドラマ化されているけれど、しかし玉井喜作については、また忘れられてしまっているのだなあと、ふと思った次第。どこか、この波乱万丈の生涯を、ドラマとか映画とかにしてくれないかなあとも思ったり。いや、そんなことしたらゴテゴテに脚色されたつまらないものになってしまう可能性も高いのか。

 「東亜」の全訳とか、ないのだろうかとも。

 現実的には絶版ということだろうか。

4404016042キサク・タマイの冒険
湯郷 将和
新人物往来社 1989-04

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ラスト・フライト

 [ 映画「アメリア 永遠の翼」公式サイト ]

 以前から何度か書いておこうと思いつつそのままになっていたのだけれど(そういうものが多すぎる)、ふと映画公開などということを知ってしまったので、今を逃すとまた先になってしまうなということで勢いで記録しておくことに。映画作っているなんて知らなかった。

 いや、本当ならもっともっと以前に映画化されてもおかしくない逸話だったのに、なぜいままでなかったのかのほうが不思議なくらい。それともさすがに 20 世紀末あたりからは世代の変化が激しくて、すでに彼女のことを知る人が少なくなったり、関心が薄れていったということなのかもしれないけれど。

 アメリア・イヤハートは、女性として初の単独大西洋横断飛行に成功し、のちに西回り世界一周飛行に挑戦するも直後に失敗。あらためて東回りで挑戦をし、もう少しで帰国という最後の難関、太平洋上で消息を絶つ。アメリカ海軍によって大捜索がなされたが、機体こそバラバラになって発見されたものの、アメリアと同乗していたフレッド・ヌーナンの遺体は発見されていない。以後、彼女の存在は伝説となった。

 アメリアという名前を知ったのは、ふくやまけいこの「ゼリービーンズ」。主人公の女性は図書館司書のアメリア。ちょっとした間違いで知り合った小学生の女の子エリスとの物語。そのアメリアという名前は、飛行家だったイヤハートからもらったのだと書かれていた。とはいえ、あまり彼女について書かれた本がなくて難儀したのだけれど、20 世紀の終わり頃になって一時期次々と出版された時期があって、ようやくいろいろのことを知ったのだった。


Lastflight

 やはり一番はアメリア自身の記録による「Last Fight」。さまざまな資料や写真もあって、より具体的に彼女の足跡が読み取れる。長らく絶版だったものが 1993 年に作品社から新訳で出版されたが、今では入手困難かもしれない。

 1995 年になると、「アメリア・イヤハート 最後の飛行 世界一周に隠されたスパイ計画」(ランドール・ブリンク、新潮文庫)、「アメリアを探せ 増補改訂版 蘇る女流飛行家伝説」(青木冨美子、文春文庫)などが刊行。後者はもともと 1983 年に単行本として出版されていたらしい。

 で、ここででてくるのは「アメリアは日本軍の捕虜となり処刑されたのではないか」という説。なによりたかだか一介の飛行家でしかない彼女を捜索するのにアメリカ海軍まで出動させるのは異様ではないかというあたりもからめて、もしかしたら、などと思ってしまったりもする。もちろん、いまだに消息についても事態についても謎のまま。

 そんな伝説の女性であることもあってか「アメリアの島」(ジェイン・メンデルソーン、早川書房)みたいなものまで生まれてしまうらしい。アメリアとフレッドのふたりが無人島で暮らしていた。愛の中で。遺族はなにも言わなかったのだろうか。

 映画がどのような描き方をしているのかはわからないけれど、アメリア役にヒラリー・スワンクの起用はなかなかはまっていると思うのでちょっと期待はあるなあ。

4878931833ラスト・フライト
アメリア イヤハート 松田 銑
作品社 1993-07

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1906393141Last Flight - Amelia Earhart's Flying Adventures
Amelia Earhart
Trotamundas Press 2009-01

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4102462015アメリア・イヤハート最後の飛行―世界一周に隠されたスパイ計画 (新潮文庫)
ランドール ブリンク Randall Brink
新潮社 1995-06

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4167375036アメリアを探せ―甦る女流飛行家伝説 (文春文庫)
青木 冨貴子
文藝春秋 1995-11

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4152080744アメリアの島
ジェイン メンデルソーン Jane Mendelsohn
早川書房 1997-04

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4197740123ゼリービーンズ (アニメージュコミックス)
ふくやま けいこ
徳間書店 1993-12

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 のきなみ絶版。このタイミングで再刊・復刊しなくてどうする。

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特捜神話の終焉


4864100314特捜神話の終焉
郷原 信郎
飛鳥新社 2010-07-22

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 昨今、数十年も前の事件に関して再審が行われた結果、無罪判決が出されたり、国会議員である小沢一郎氏にかかわる金銭の疑惑であったりとかから、警察や検察の捜査といったものに対していろいろ考えさせられるなかで、近年、検察特捜部によって逮捕・起訴され、確定・未確定を含めて有罪とされた三人との対談をまとめたもの。

 とはいえ、こうした本の場合には、映画「ザ・コーヴ」の例を出すまでもなく、著者側の恣意的なメッセージが唯一無二の正義であるかのように示されてしまうことが、少なくないということは抑えておかなくてはならない。それは、本書の内容が間違っているということではなく、あくまでもどちらかといえば、対立する側の一方的な主張が語られているに過ぎないわけで、いわば、裁判で弁護側の主張がされているのを聞いているだけという状況にすぎない。

 それだけを聞いていれば、なるほどと、なんとなく納得してしまうのだけれど、仮にそれが本当に正しい主張だったとしても、別の見方というのはないのか、本当にそういうものなのかというところを疑う姿勢は持つべき。特に、自分にその主張している内容についての詳しい知識や理解がない場合には。

 その意味では、一人目の堀江貴文氏にしても、二人目の細野裕二氏にしても、自分たちはなにも間違ったことはしてないのに、検察が莫迦で正しい知識を持ち合わせておらず、不当に逮捕された被害者でしかない、という主張が語られるのが大半なので、さほど目新さも面白さもない。もちろん、おふたりが主張されることが間違いだというつもりではなくて、わたしにはそうした知識がないので、それをもってして判断することは軽々にできないということ。

 ただ、検察が「自分たちは法律のプロであり、どんな法令であろうとすべて熟知しており、間違いはないのだ」と思っている、という意見には、昨今の事件報道などを目にするなかでも、そういう思い上がりのようなものはあるのだろうなと思ってしまう。そして、それは検察だけにとどまらず、官僚であったり、はたまた政治家であったりと、権力を持っていたり、エリートと呼ばれる集団にはつきものといってよいのかもしれないというところでは。

細野:(略)立場が人間を作るということです。立場が人間の思考や精神まで支配してしまっているわけです。

(P.169)

細野:(略)たとえば、「いや、ちょっと数字が苦手なんですけれどもね」という方がいたとします。事実そうであって、本人もそれを認識しているのであれば、学ぼうとするでしょう。話を聞こうとするでしょう。「簿記で考えると、どうなんでしょうか」と虚心坦懐に聞こうとするはずです。ところが、自分には苦手なものがない、自分こそ正義だと思っている人は、そうは考えません。

(P.173)

 とまあ、そのあたりは正直なところ本書では前座みたいなもので、もっとも面白みもあって核となるのは、三人目の佐藤優氏との対談。本当はここだけでもよかったのではないかというくらい。外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤氏の話は、検察批判というよりは、むしろ検察への応援歌というあたりが小気味よい。

 自らの裁判に関しての話は少なくともここには出てこない。有罪が確立してしまっている事案だからというのもあるのだろうけれど、今の検察システムにおいては、どうしようもないというところを指摘することからはじまる。検察のなにが問題で、それは本来どうあるべきだったのか。ことは検察だけではなく、みずからが携わっていた外務官僚などにも同様の問題があるのだと指摘。専門莫迦ともいえる実態を語っているあたりが興味深い。もちろん、専門莫迦ではない方々もまた、多くいらっしゃるのだろうとは思うし、そうであって欲しいとは思うけれど、今の社会を見るにつけ、間違いとばかりはいえないというのはまた確かなところかと。

 先ごろ行われた、大型連休を地域別に分散して取得するという案に対しての一般意見を募集したところ、七割弱がやめるべきという意見であったのを受けて、「もっと丁寧に説明しなくてはならない」と言っているあたりにも、端的に現れているのでは。

 さらに、佐藤氏との対談では、この春の小沢氏をめぐる動きであるとか、普天間基地移設問題、参議院選挙を見据えた政界の今後など、結果としてでてしまった今読んでも、なかなかに面白い話題を提供してくれている。

佐藤:(略)私は鳩山さんの当初の腹案の中身は先日放映された「クローズアップ現代」(NHK/2010年4月1日放映)に大きなヒントがあると思うんです。なんで急に鹿児島県の徳之島特集なんか放映するのですか。

(P.247)

佐藤:(略)外務省で早い帰りっていうのは終電で帰ることですよ。だいたい仕事しているといわれている部局って午前二時ですね。ところが朝は九時半くらいまでに来ないといけないのに10時ぐらいに来て、午後一時くらいまでお茶飲んでいるんですよ、みんな。ぼんやりと新聞読んで、頭の中、回るはずないから。

(P.256)

佐藤:そう思います。まだ検察官も、多くの国民も気がついていないけれども、たとえば民主党は武器輸出三原則を緩和しようとしています。武器輸出で生まれる利権です。基本的に武器の値段がどうなっているかなんて分かりません。第三国に売却する場合は、実際に兵器の値段はありません。兵器の販売に伴う利権、そこでのキックバックはかなり大きなものになります。これは典型的な話でしょう。

(P.265-266)

 検察という組織がこれほどいい加減で駄目なのだと、批判ばかりしていたのが、中盤までのふたりとの対談。最後は、検察の実態はこうであるけれど、検察の機能そのものは必要なもので、なんとかこれは正していかなくてはいけないのだという話が展開される。本来あるべき姿に戻れと。

佐藤:でも、僕はそういう社会になってほしくないと言っているんですよ。政治権力が巨大化し、民主党が力を持ち続けるこれからの世の中にこそ、検察の社会的機能は重要だと考えています。

(P.267)

 ただ、佐藤氏が予測したような選挙結果にならなかったし、民主党が悪であるというわけでもない。まさかなれると思ってなかったのに、あまりにも勝ちすぎてしまって政権を握ってしまったため、勝手がわからず、ぎくしゃくした運営しかできない、というのが実態であろうし、さりとて、すぐに自民党政権時代に戻りたいという国民はそう多くないのもまた事実。

 検察のみならず、政治家も、官僚も、国家の上に立つ人々すべてに、本来の役割を果たせということなのかもしれない。

 他のお二方には大変申し訳ないけれど、佐藤氏との対談を読むことにこそ価値がある一冊。




特捜神話の終焉
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書評

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ワンと鳴くカエル 信州・根羽村「カエル館」物語


4904699025ワンと鳴くカエル―信州・根羽村「カエル館」物語
山口 真一
一兎舎 2010-05

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 まさに趣味が高じて、安定した収入を得られる教員という職を辞し、カエルの研究に没頭することを選んだ苦難と驚きの道のりを、しっかりとした洗練された文章でつづられた一冊。

 それまでも山を歩いたり、動植物の写真を撮ったりが好きだった中学教員の熊谷さん。たまたま赴任先の中学近くの茶臼山にいりびたるうちに、モリアオガエルに興味をもち、比較観察などしているうちに、今度はカエルそのものに興味が移っていく。生徒たちをもまきこんで研究を続け、やがてはそれが賞をいただいて広く認められるようにもなっていく。けれども、教員である以上、長くいても一定年数以上はそこにとどまることはかなわない。さて、どうする。

 結局、退職して茶臼山にカエル館をつくり、カエルの研究を続けながら、広く人々にカエルやその他の動物、茶臼山の自然について展示紹介する仕事を始めることを決意。とはいえ、山中のそれもカエル館。友人知人の応援などもあったものの、そうそう順調な運営とはいかない。カエルが冬眠する冬場はアルバイトをして生活費を賄う日々。

 転機は北里大学の龍崎先生との出会い。「タゴガエルはいないかな」の問い合わせが、のちのちの運命を変えたらしい。龍崎先生は、当初からそれが珍しいタゴガエルで、「これは新種かもしれない」とふんでいたらしいが、熊谷さんはよそのタゴガエルのことを知らなかったので、よもや新種であるなどとは思いもよらなかったというのが、なんとも面白い。

 全国放送のテレビや新聞などに取り上げられたりして知名度もあがり、ついには、正式に新種であると確認され、根羽村で発見されたことを記念して「ネバタゴガエル」と命名される。さながら犬の鳴き声にも似た、その独特の鳴き声もあいまってカエル館の活動も軌道に乗った感。さらには、村全体がネバタゴガエルで村おこしをしようとアイデアを寄せ合って、さまざまな活動をしているらしい。

 本書のよさは、そうした内容のよさもさることながら、著者の卓越した文章のよさでもあって、実に安定した安心感のある、読み手の中に水のようにしみてくるような文章。リズムよくすすむその文章が、なんの違和感もなくしみてきて、すっと理解されていく。相変わらず見事な筆致。

 巻末の資料集には、いくつかのカエルの説明が写真とともにそえられているし、そのほか茶臼山の動植物の写真なども満載で、なかなか充実している。

 先の「タゴガエル鳴く森にでかけよう!」のトモミチ先生のような生き方もひとつであるし、熊谷先生の生き方もまたひとつ。素敵な人生を、またひとつ、教えていただいたなあ。

Storyofkaerukan


4774142611タゴガエル鳴く森に出かけよう! -トモミチ先生のフィールドノート (Think Map 5) (ThinkMap)
小林 朋道 百瀬義行
技術評論社 2010-05-19

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追記:2011/01/24
 先ごろカエル館からリンクされたようなので、ここにもリンクを張っておきます。
 カエル館・茶臼山情報ほか

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全・東京湾


4022612819全・東京湾 (朝日文庫)
中村 征夫
朝日新聞社 1999-12

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 NHK 「プロフェッショナル仕事の流儀」で中村征夫というので見る。22 年前に出版された「全・東京湾」と出会ったときの驚きとかが思い出される。当時は東京湾で魚が獲れるとか漁業が成り立っているということすら、なんだかもはや過去のことのように思っていたにも関わらず、汚れた海ではあるけれど魚たちは生きているし、文字通り江戸前の海産物が存在していたということ。

 ヘドロのなかでそれでも行きつづけている生き物達の姿やら、そんな海で生活を支えている漁業関係者の姿やらが丁寧に描かれていて、非常に面白かった。

 最近は多少改善されてきたのだという話も聞くけれど、まだまだというところもあるのだろうなと映像を見ながら思ったり。日本テレビ「鉄腕ダッシュ」でも東京湾に干潟再生企画が成り立つくらいでもあるし。

 番組では出てこなかったが、椎名誠らとの出会いというのも大きな影響があったのだろうなとあらためて思ったり。

 東京に住む人はもちろん、東京湾を知らない人びとにも身近な海に置き換えて読んで欲しい一冊。

 しかし、もはや情報センター版はないのか・・・。

4795806225全・東京湾
中村 征夫
情報センター出版局 1987-05

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 この本は話題になったので知っている人も多いはず。

4795801738海中顔面博覧会
中村征夫
情報センター出版局 1987-09-11

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 当時はこんなところにも登場。

B00008NX3P想い出にかわるまで DVD-BOX
内館牧子
TBS 2003-04-23

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 松下由樹の演技が光っていたなあ。

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「生体解剖」事件 新版


4569644678「生体解剖」事件 新版 B29飛行士、医学実験の真相
上坂 冬子


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上坂 冬子 著: 「生体解剖」事件「生体解剖」事件 新版
B29飛行士、医学実験の真相

上坂 冬子(かみさか ふゆこ)
PHP研究所
税込み1575円
2005年8月発行 @niftyBOOKSで

 世に言う「九大事件」。日本人だから恐ろしいのではなく、人間の持っている恐怖に目を向ける勇気をもちたい。戦争というものが世界中の人々にそうした事件や心を与えてしまった悲劇を今もなくすことができないという現実はとても悲しいことです。

 だからこそ、私たちはそうした歴史を知る必要があるのかと。そして許す勇気もまた必要なのかもしれません。

#2005/08/08現在amazonには表紙画像がありません。


 ちなみにこちらは小説です。

海と毒薬
4101123020遠藤 周作

おすすめ平均
stars良心の模索
stars倫理の転換期である今読むべき一冊
stars揺ぎ無い倫理観
stars黒い海に押し流される破片
stars反戦

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さいごの約束 夫に捧げた有機の酒「和の月」


4163670300さいごの約束 夫に捧げた有機の酒“和の月”
坂本 敬子


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坂本 敬子:さいごの約束さいごの約束 夫に捧げた有機の酒「和の月(なのつき)」
坂本 敬子
文芸春秋
2005年5月発行
税込み1450円 @niftyBOOKSで

 たまたま7月21日放送の「アンビリーバボー」で知りました。よくある話といってしまえばそれまでですが、誰もが同じ経験をできるわけでもなければ、知るわけでもないとなれば、こうして読むことで擬似体験するということも大切なことなのでしょう。歳をとったせいか涙腺が緩くて困ります。

 量が限られているので、なかなか出会うことは難しいでしょうが、いつかは飲んでみたいです。どうか悪の手によって買い占められたり、値が吊り上げられたりすることなく、またむやみに量産への道を進むことなく作り継がれますよう。

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