「数学ガールの秘密ノート 微分を追いかけて」

しばらく小説を読むことが続いたので中断していた「数学ガールの秘密ノート」シリーズを読むことに。本編のほうは読んでしまったので今のところは「秘密ノート」シリーズが残っている。本編にしてもブログをさぼっていた間に読んでしまったので、記録してなかったように思うのでいずれ記録しておこう。

「秘密ノート」のほうはずっと軽く読めるような構成で、テーマもごくごく厳選されている。よって手軽に読めるという点でちょっと気分転換に読むというのにも好適。

微分といえば覚えはあるものの、すでに「さて、どういうものだったか?」と思うくらいにすっかり忘れている。で、実にシンプルな意味の説明から入ってくれるので、なるほどそういうことだったかとしみてくる。

実例を扱いながら対話形式で進めてくれるので理解もしやすい。教科書もこうであったらと思わないでもないが、広範な内容をひとまず一冊に盛り込むとなれば、それも致し方ない。やはり補助的な読本としてこういうものが使える環境が理想なのかも。

数学は今一つわからない、というような人にとっても理解の一助にはなるのでは。

残念といえば、本編ほどミルカさんとの掛け合いがないとかかもしれないけれど、それはまあ今後出るかもしれない本編にゆずるとして。

数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて (数学ガールの秘密ノートシリーズ)

 

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「マヨラナ 消えた天才物理学者を追う」

 

 

松崎有理さんがつぶやいていたのを見て購入。バーゲンブックということで当初の半額で買えたのでそれもまたありがたい。

1900 年代はじめに天才的な発想を見せたものの、生来の発表嫌いということもあって、ほとんどその功績が表に残らないままに失踪という最後を迎えた物理学者、エットーレ・マヨラナの姿を資料やインタビューなどを通じてまとめたもの。著者自身も科学者であり、エットーレの名前を冠する研究センターに所属したことでその存在を知り、以来ひきつけられて調べをすすめたと。

エンリコ・フェルミをはじめとするイタリアの科学者たちを集めたパニスペルナ通りの研究所。のちに誘われてその一員となったエットーレは、本来ひとりで考えるほうが好きだったようで、所属はしてもやや異彩を放っていたらしい。そして、早くからニュートリノの存在を見つけてその特徴についてまで考えていたらしい。

しかし、フェルミはそれを否定していた。のちに(エットーレ失踪後)逆にニュートリノの第一人者的な存在になっていくらしいのだが、そうした紆余曲折についても著者の視点で描かれていて面白い。

すぐに発表していたらいくつもノーベル賞が与えられたのではないかというくらいのエットーレだが、大学での教職をえて赴任してほどなく失踪。やめますという手紙を出したかと思えば、やはりやめるのはやめますと送りなおしていたりするものの、結局行方はわからないまま。自殺したのか、事故なのか、はたまた海外のあちこちで目撃したという情報まででてくるにいたってなにやらスパイ小説のような面白さまでしてくる。

時、あたかも大戦争時代を迎えようともしていたころで、フェルミなどもノーベル賞授賞式参加を口実にイタリアを出国し、そのまま帰ることはなかったのだという。そうした時代背景に翻弄されていく物理学者たちの姿もまた興味深く読める。

ロシアのペレルマン博士。ポアンカレ予想を解決した彼は、あまりに数学や物理に没頭したがゆえか、精神に異常をきたしたらしく姿を消してしまったまま。ようやく所在をつかんで恩師がたずねてみても、もはや人には会いたくないということだった。

エットーレもまたそうなのかはわからないが、実に謎多く、さまざまな憶測がうずまいているらしい。著者としては、そこはわからないままにおさえてある。確かにそれが正しいのだろう。

ニュートリノにはエットーレの名前が残っているという。マヨラナニュートリノとディラックニュートリノ。正しいのはどちらのモデルなのか、いまだ判然とはしないらしい。ニュートリノの存在、その特質は、おそらくエットーレがいなければもっともっと発見までに時間がかかったのかもしれない。そのくらいに偉大な人物というのに、自分もふくめてその名前すら知らずにこれまでいた。いや、知ったところでどうということでもないのも事実ではあるが、そんな様々な物語がその裏にあったとはなあと、世界の不思議を思うくらいには強烈な物語だった。

唯一不満に思うのは、ジルダが持っていた箱の行方について明確にされないままであること。エットーレ失踪の前日、最後の彼にあったのが当時の生徒のひとりジルダだった。女性は苦手だったはずの彼が、なぜか講義が休みでもあるのに学校にジルダをたずね、手ずから箱を預けたという。中身についてはいっさいわからない。

後年、ジルダはその箱のことを夫に話すと、エットーレの所有物の保管者となっている当時ナポリ大学物理学研究所長だったカレッリに渡すという話をしたというあたりまで本書に書かれているのだが、どうなったのかが書かれていない。ジルダの手を離れたようには読めるのだが、誰の手に渡ったのかは不明なままだ。実際そのあたりはどうだったのか? ジルダ本人にインタビューはしているのでそのあたりわかっているのだろうとは思うのだが。その箱の中身がわかれば、きっと大きな発見になるのではなかろうか、とも思うが、どうやらもうそれも望めないらしい。

パニスペルナ通りの研究所を描いた映画があるらしいのだが、どうも日本ではまったく上映されたりした様子はないようだ。あくまでもフィクションではあるが、できれば見てみたいものだ。

エットーレ・マヨラナ。もしも、生きていたらどれほどの功績を残したのだろうな。

マヨラナ 消えた天才物理学者を追う

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「どうしてものが見えるのか」(村上元彦著、岩波新書新赤版)

ところで、個人的なことだが私には色覚異常があり、子供のころはときとして劣等感に落ちこんだり、また当時の入学試験では差別されて、色覚検査表を暗記してすりぬけるなど、いろいろと苦労した。これが私が視覚や色覚の研究をこころざした動機でもある。色覚異常者にたいする無知と独断にもとづく差別は、人権意識が高まるとともに徐々に減ってきてはいるものの、社会の一部には依然として頑迷に残っている。そこで、本書の終わりの章で色覚異常に関する正しい知識を紹介し、早急に解決を要する社会問題などについて意見を述べておいた。色覚異常者とその家族の参考になればと念願している。また諸学校の教員(とくに養護教員)や入学試験の関係者、色覚を問題にしている免許の立法と行政、あるいは企業にたずさわる人びとが、色覚異常について科学的に正しく理解してくれて、基本的人権を侵害している不条理な色覚差別が早急に撤廃されることをねがっている。(まえがき、より)

1995 年に出版された本書も、残念ながら 2021 年現在においては絶版らしい。

ときおり色覚眼鏡といったものがすばらしいと賞賛するような言説がネットに散見されるが、どうもそういうのはおかしいと思うという話を見て、確かにそうであるなと。

その器具そのものには、それなりの意義や効果はあるだろうが、それは画期的なものなどではなく、ごく当然のことでしかないと。それもまた先にあげた「まえがき」にあるような間違った認識によって呼び起こされる似非感動にしかすぎないのではないかと。

本書では眼とはどういうものであるのかを科学的に、生物学的に解き明かし、物が見えるという仕組みについて詳説している。その最後に「まえがき」にもあったように色覚異常について一章を割いている。色弱とはどういうものなのか、その原理とこれまでの社会がおかしてきた罪と。

電子書籍すらなく絶版なのは、岩波書店として実に残念なことだ。

色覚異常をどうよぶか

私個人としては一気に「ドルトニズム」に変えてしまって、まちがった既成概念を払拭したい気がする。ドルトンは自分の色覚異常を詳細に報告したくらいだから、この命名を名誉にこそ思え、不愉快ではないだろうと推察するし、かつては「ドルトニズム」とよばれた歴史もあった。しかしこの用語は一般社会にはなじみがなく、普及させるのは時間がかかるかもしれない。日本眼科学会、その他色覚・色彩研究者の諸学会で議論していただければありがたい。

どうしてものが見えるのか (岩波新書)

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「数学ガールの誕生」

消費税が 10% に引き上げられる前にとまとめて関連シリーズを購入していた「数学ガール」と「秘密ノート」。本編の「数学ガール」のほうはここへきて一気に読んでしまったのに記録してないのだけれど、秘密ノートのシリーズというか同判型ででている「数学ガールの誕生」を先に記録。

ふたつの場所で行われた講演の記録。はじめは大学方面で、学生が論文のテーマに使ったという縁から講演にいたったというやつで、あとのほうは専門家や出版関係の人を前にした講演の記録。とはいえ、同じような時期だったのもあってか似通った内容ではある。

いかにして生まれたのか、どのようなことを意識して書いているのかといったことを丁寧に説明していてなかなか興味深い。また、数学専門家(大学で数学を教えているとか)が参加者だったりするので、質疑がなかなか面白い。教える側からするとどうしても陥りやすい問題であったり、なぜ、数学の読み物なのにここまで支持されるのだろうかといったところが、質疑や講演を通じてより明確になる過程が面白い。

なんといっても読者は決して莫迦ではない。ということを踏まえたうえで、けれど読者はそこまで読んだことをすべて覚えているわけではないとも語り、だからこそ、何度もなんども繰り返して説明する。数学者がひとことですませてしまいそうなこともあえて紙数をさいて説明する。それを繰り返すことで理解はされないとしても、「ああ、あそこにそんなことがでていたな」という記憶には残ると。そこで、そこへ戻るのであれば、それもよし。仮にそこまでいたらなくてもそれはそれでよし。繰り返すことで、ぼんやりと記憶に残る。それだけでも十分な意味がある。

授業ということでは必ずしも十分な時間をとることは難しいかもしれない。だからこそのこうした読み物なのかもしれない。それが相互補完できれば、より数学の世界というものが広く伝わっていくことになるのかもしれない。

このシリーズの面白さの秘密を知った思いになった良書。シリーズここについては、またいずれ記録しよう。

数学ガールの誕生 理想の数学対話を求めて 

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彗星パンスペルミア 生命の源を宇宙に探す

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 一言でいえば、みんな信じようとしないけれど、この地球の生命の素は全部彗星から運ばれた微生物由来なんだよ。俺たちの考えが絶対正しいんだよ。ということを延々 200 ページあまりかけて書いている本。おしまい。

 で、十分なくらいの内容。

 というのでは身もふたもない。といって基本それ以外にはないというのも事実。特定の条件において生命のスープから生まれてきたという考え方が主流ではあるものの、確かに実験でもそれ以上に納得のいく結果がまだでていないのも確かで、そんな自然発生説には不十分なところが多かった。

 では、地球から発生したのではなく、宇宙からそれらがやってきてそこから進化がはじまったのだとすればどうかという考えかたそのものは実におもしろいし、十分検討に値できる論ではあるのだろうと。実際監修の松井さんもそうした考えかたを面白いともいい、自らも調査研究をして検証しているという。ただ、本書で著者が書いている内容には非常に宗教的なにおいが強くしてしまう。自分たちの説が絶対的に正しく、それを否定する輩は科学者とはいえない。我々は科学に負けたのではなく科学界という社会や政治に負けているのであるといったことをことあるごとに説いているあたりが目につきすぎるのだ。

 監修の松井さんもそれについて触れていて本書の主張を全面的に肯定する考えはないとも。また、否定的な科学者に対する攻撃的な態度にも賛成しないということを書かれている。有用な説でありながらこうした記述によって全体がトンデモ科学系の胡散臭いものに感じられてしまうのは損なことで、著者の妄信的な愚かさが表れているといってもよいのではないか。

 読了しての感想はおおむね監修の松井さんと同様で、興味深いのに自らそれを胡散臭いものに変えてしまっているのは著者自身であって、なんとももったいないことであるなと。

 ただ、この日本語訳においては監修者や訳者が非常に冷静に仕事をしていて好感が持てる。欄外の注釈に「そのような事実はない」であるとか、「一般的には全く知られていない。著者ウィックラマシンゲの周辺でのみ語られている」などと書かれている。否定するというわけではなく、冷静に現状として分析した注釈を随所にいれているあたりに本書(翻訳)への良心を感じる。それだけでも本書の価値はあるのではないかと。

 詳しい証拠についてはさほどというものはないのでおよそ冒頭のことだけ理解しておけば事足りるという意味ではやや長すぎたという著作ではありそうだ。また、いずれという課題ではあろうけれど、ではいったいなぜどのようにして彗星にそうした微生物が含まれるようになり、さらにはそれら微生物はどのようにしてこの宇宙に生まれたのかという疑問か。

 さて、本論ではないけれど、著者の主張で一番納得できるのは序章で書かれている次のような部分だ。

注意を喚起しなくてはならない最近の状況として、「インターネット上で展開される科学」というものがある。これは、ある意味、最も問題があり、信頼性がないといえる。知識不足のブロガーが、科学に貢献しているという確信のもと、ブログ上に科学議論を展開して事実の混乱や意見や偏見を形成する。これは科学の進歩にとって無用のものである。(P.2)


 最後に監修者あとがきの最後から引用を。

著者のチャンドラは監修者の親しい友人であるが、科学的見解について共有しているわけではない。特に第12章の最後に展開される隕石に関わる話は、同意しかねる部分があり、その点については注釈を入れた。隕石学者の大部分も同意しないだろう。なお、著者の、主流の科学者の態度を批判する主張についても、監修者は意見を共有するものではない。監修者としては、読者がどう判断するかを待ちたい。(P.217)


 ちなみに本書の句読点が「,.」になっていてこれが判別しにくいために本来の「、。」の区別がつきにくく読みにくいところがあったのは編集上の残念。


追記:

 先住民と都会の人間に同時にウィルス感染が認められるからといって、それが宇宙からのものだというのはやや我田引水にすぎるようには思う。そもそも空気感染ということでいえば大気にのって感染したのではないという明確な結論は出してはいけないのではないかと。

 「放射点の位置が星座のなかにあるときには、その星座の名前が流星群の名前になる。」とあるのだが、放射点が星座の中にない流星群というのをぜひ教えてほしい。

余談:
 ベルクソンの「創造的進化」がでてきたりしたので、再挑戦してみるかと思ったりは。新訳でないかなあ。岩波さん。(いまのは読みにくい)

4769916000彗星パンスペルミア
チャンドラ・ウィックラマシンゲ 松井 孝典
恒星社厚生閣 2017-05-02

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 SETI については、カール・セーガンによる良書があるけれど、残念ながら絶版らしい。

異星人との知的交信 (1976年)
異星人との知的交信 (1976年)金子 務

河出書房新社 1976
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 天文学全般へのいざないとしては、「100 億年を翔ける宇宙」が、おなじ恒星社厚生閣からかつて出版されていておすすめ。

4769908679100億年を翔ける宇宙―ビッグバンから生命の誕生まで
加藤 万里子
恒星社厚生閣 1998-04-20

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「ぼくらは「物理」のおかげで生きている」

 本が好き! 経由で絹本していただきました。ありがとうございます。

 数学や科学(あるいは算数と理科)など学んでなんの役に立つのか? 大人になって生活していて特に必要だったことなどない。そういうことが昔からよく言われている。実際、普段の生活のなかで、あるいは仕事のなかでそれらが明確に役立っているのかというと、そうでもないこともあるのかもしれない。ただ、実は気づいていないだけで、数学や科学が密接に関わっているということは案外多いのだ、ということもまた事実。

 そもそもこの世界は数式ですべてあらわせると数学者や物理学者は言う。自然の姿を分析して得られた知見が科学であるのだから、世界が科学でできているといっても不思議はない。だから、わたしたちの日常には科学があふれている。それが当然。

 そんな身近なところにある科学、とくに物理の役割について短く項目ごとにまとめた一冊。近年話題になっているブルーライトからはじまり、静電気やビンのフタの話。エアコンで冷房できるしくみ、タッチ式の自動改札などのしくみ。日常なにげなく使っていたあんなものやこんなところで便利に使われていた機能が、実は物理のこれこれの法則(など)によって実現されているのだ、ということをできるだけやさしくわかりやすく解説されている。SD カードなどフラッシュメモリの記録でトンネル効果が使われているというのはちょっとした驚きでもあった。

 とかく物理とか科学とかいうとそれだけで敬遠する人も多いかもしれないが、難しい理論は横において(とはいってもその概要についての解説はさけられないのだけれど)大雑把にでもその仕組みを理解してもらおうという趣旨で書かれているので素人にとっても比較的読みやすい。

 さすがに最後のほうは著者もやや無理かなという思いをかかえつつどうしても書いておきたかったというところなのかという一般相対性理論がらみとか不確定性原理とかでてくるのだが、やはりちょっと難解で判断に迷うところかも。

 それでも、日常触れる機会のあるしくみのふしぎを理解できるという意味において、物理への入門として楽しい一冊であるとはいえそうだ。

 最後にふたつの正誤情報と、ひとつの修正案を提示しておく。

■ P.52 タンカーの例では数値の単位は m なので結果も m3 でなくてはならないのに cm3 になっている。

では、タンカーはどうでしょうか。

(略)
330 x 60 x 20 = 396000cm3
1cm3の水の重さは 1 トンですので、
(P.52)


■ P.63 のボールの加速度の図は間違いと、図としてのわかりにくさがある。

63ページの上昇中・下降中のボールの速度の図

 間違いは、上昇中と下降中の左側の長い上下の矢印左に書かれた「速くなる/遅くなる」の説明が入れ違いであるということ。正しくは、

上昇中:「毎秒 9.8m/s ずつ遅くなる」

下降中:「毎秒 9.8m/s ずつ速くなる」

 P.64 に続く本文ではそのように書かれているが図の表記は間違っている。「加速度を測ってみると」ともあるが、これは「速度を測ってみると」ではないか。

 また、この図では上昇中の描き方が上から下に時間経過を示して描かれているのだが、これは上昇中というイメージと反するために今ひとつ実感としてつかみにくい図になってしまっている。これらをあわせるとこの図は以下のようにするほうがより分かりやすいのではないだろうか。

上昇中・下降中のボール速度の図(修正案)

4788911787ぼくらは「物理」のおかげで生きている (素晴らしきサイエンス) (素晴らしきサイエンスPHYSICS)
横川 淳
実務教育出版 2016-05-27

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 余談:
 「空が青いのはなぜか」という話もでてくるのですが、どうしても「アルドノア・ゼロ」を思い出してしまってしかたありませんでした。そこまで何度も「空が青いのは、レイリー散乱」と言わせなくてもと思っていたので。

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メモ:「ダークマターと恐竜絶滅」

 リアル書店にほとんど行かなくなってしまったのもあって新刊の情報にすっかり疎くなってしまった。気づいたら(というか新聞の書評欄だったか?)ランドール博士のこんな本が翻訳されていたということでメモ。

 「ワープする宇宙」ですらかなりあとになってようやく読んだので(不思議な縁で電子書籍としてのほぼはじめての購入ともなった)、これもいつになるやら。

4140816953ダークマターと恐竜絶滅―新理論で宇宙の謎に迫る
リサ・ランドール 向山信治
NHK出版 2016-03-25

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真のエネルギー革命か

 「夢の扉+」で熱音響システムというのを見た。なんだかとんでもない技術だ。あらゆる廃熱を有効なエネルギーに替えてしまおう、しかも効率的に、さらに(たぶんは)安価に。

 仕組みとしては閉じられたパイプ内で熱を受けると温度差が発生する。それによって音が生まれるらしい(が、その正確なしくみはまだ解明されていないらしい)。そこでその音がパイプ内を伝って目的の場所(発電機であったり熱源機器)などに伝わると冷却や過熱、発電といったことに使えるという。

 150 度くらいの比較的低温の熱源であってもそれを寄せ集めることでエネルギーを増幅することができ、数十、数百倍のエネルギーになることも実証された。

 バーベキューをしながらその廃熱を使って飲み物を冷却することができる。装置には霜がつくほど冷えている。

 なにしろエネルギーを伝えているのが音であると。密閉されたパイプ内を伝わるのでうるさいということはない。しかもさきのように音を伝えるだけで、細かな熱源からのエネルギーを寄せ集めて増幅していくことがたやすいと。工場などのあちこちにある小さな廃熱を寄せ集めることも比較的容易であると。

 実証実験として漁船にも乗せた。船のエンジンの廃熱を利用して魚を冷凍する。今はまだ装置が大きいので邪魔ではあるが、よりコンパクトになって普通の冷暖房装置などへの配管くらいに小さくなればまず気にならないはず。燃料代も格段に安くなるであろうし、いろいろなところで利用すればエネルギーがぐっと少なくてすむようにもなる。

 かつてはまだまだ遠い未来の技術と思われていたらしいけれど、若き研究者によってある意味革命的な発展を遂げているらしい。しかも、実験で確認するには時間がかかってしまうということで、困難といわれたシミュレーションプログラムの開発にも成功。効率を探ったりということに瞬時に答えを出すことができさらに研究が進む。

 なにやら夢のような技術なのだけれど、もはや夢ではないという時代のようだ。すごいなあ。

 こどもの頃はちょっと変わったこどもで、周りから心配されたり変な子供と思われたりしたらしいのだけれど、母親だけは自分の子を信じて見守っていたらしく、そのまま自由に育ったことが革新的な発展に続いたということでもあるらしい。

 さらなる発展が楽しみ。

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数学のおもしろさを再確認する

 [ 「3の100乗を19で割ったあまりは?」を4通りの方法で計算する - tsujimotterのノートブック ]


 eban さん経由で知って、ちょっと長文だし後半はなかなか手ごわいのだけれど、ひととおり読んでみるとなかなかに数学のおもしろさを知ることができるので楽しめた。さながら「お姉さんを助けて」にも似て。

 とりあえずということだったら誰でも単純に計算していくことで(手で計算することだって)可能だ。時間はかかるし、ことによると何回かの検算が必要かもしれない。それでも結果を得ることはできる。確かにそれは第一段階。

 そうしてそれらを眺めていることでふとなにやら法則性というか規則性というかがありそうだなと気づけば次の段階に進むわけだ。

 仮にそうした知恵をすでに学んでいて知っていたとしても、ただ知っているというのと自分で気づけたということの意味はまた別の意味を持ってくるであろうし、なにより達成感というか満足感が生まれてそれをきっかけとして数学っておもしろいなと思えるかもしれない。

 もちろん、あまりに大変で逆に嫌になるってことだってあるかもしれない。

 それでもそうした体験や気づきが生むなにかというのもあるので、手を動かすことに意味がないわけではない。昔(というか小学生から中学生くらいのころ)はそういうのが好きだった。今は嫌いというわけではないけれど、便利なものに時として頼ってしまうところは否めない。まあ、便利なものは使わないと。

 最後のほうは難解さも増しているし、すぐにはすんなりと理解できないところもあるけれど、なるほどと思える展開で、数学をあるいは数学的な(あるいは科学的な)考え方を知る、見につけるということの意味をあらためて実感したり。

 数学的な答えはひとつかもしれないけれど、そこへいたる道は必ずしもひとつではないのだということをちゃんと教えてくれているというのがいいな。昨今の世知辛いテストの採点などを見るにつけそう思ったり。(もちろん考え方としての意味は異なる場合もあるので、一概には言えないものの)

 「オイラーの贈り物」を再読したい気分が高まってしまった。とはいえすでにタスクがたまっているのでいつになるやら。


 新装版が東海大学出版会から出ていた! 知らなかった。

448601863Xオイラーの贈物―人類の至宝eiπ=-1を学ぶ
吉田 武
東海大学出版会 2010-01

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あかつきはただきんいろ

 5 年前に打ち上げられたものの軌道投入に失敗。それでもあきらめずに再挑戦の機会をうかがっていた金星探査機の「あかつき」がついに再挑戦して金星周回軌道への投入を試みたとのこと。予定していた機動はとれたようで、まず成功したであろうという感触らしい。

 はやぶさといいあかつきといい日本の宇宙開発は度重なる困難と試練に打ち勝ちながらというなんとも日本的な歴史を受け継ぐのであるなと。

 だからということもなく、たまたま外を見たら月と金星がきれいに近づいていたので撮影したのだけれど、それからほどなくそういうことが起きていたのだよなと、後になってまたじわじわと感じたり。

 ずいぶんと時間を無駄にはしてしまったけれど、有益な結果を得られることを願って。いや、無駄ではなかったのかな。

20151207の月と金星


4257760028暁はただ銀色 (ソノラマ文庫)
光瀬 龍 武部 本一郎
朝日ソノラマ 1975-11

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