「厳寒の町」読んだ

 ようやく文庫の最新に追いついたアイスランドミステリ。しかし、正直なところ今回はあまり好ましくはない。

 というのも事件の背景になる社会問題が重く描かれてきたにもかかわらず、どうにもそれとは関係のない結末が終盤も終盤になってふいに現れるというような展開で、これまではいったいなんだったのだと思えてしまうから。

 さらには、事件に絡むのかといういくつかの問題がでてくるものの、ほぼあやふやなままメインの物語が終わってしまい(それも唐突だが)、あれはいったいなんだったのだ、と。

 次回作への布石、ということもあるのかもしれないものの、どうにもしっくりこない、すっきりしない。ただただ、凍てつく寒さだけが強調された作品だったなあというのが素直な感想。

 やたらとエリンボルクら捜査チームといさかいのような展開が増えるし、それもどうにも違和感が強くてよろしくない。うーむ。素直にいえば別人が書いたのでは、と思えるくらい。

 当初のあの勢いはどこへ行ってしまったのか。重厚な物語の展開。畳みかけてくる迫力はどこへ行ってしまったのか。どうも今作はこれまでと違って過去からつながるという展開のない作品だったがゆえに印象が悪いのではともいえるが、やはり別人が書いたのではないかなあ。

 次作以降もこうならばそろろそ見切るかもしれない。

 

厳寒の町 (創元推理文庫 M イ 7-5)

 

 

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「昏き聖母」を読んだ

 フィデルマシリーズ新作。今回は発売からさほどたたないうちに読むことになった。読み始めたらあっという間に読み終えた。もはや年寄にとって読書も疲れるのでどうしても時間をかけてゆっくりになるのだけれど、これはついついページを繰る手が止まらないという類の作品で、いつもよりもやや早いペース(とはいえ、早い人とは比べものにならないほどには遅い)で読んでしまった。

 フィデルマの相棒ともいえるエイダルフが、少女強姦殺害の罪を負わされて、しかもあろうことか、本来はない死刑制度をとっとと適用してしまおうとする一派が教会内の実権を握っており、かけつけたフィデルマにしてもこれという有力な手をうつこともかなわないままに物語が進んでいく。もどかしい。

 気づけばフィデルマと一緒に慟哭し、歯ぎしりし(いや、フィデルマはしないけれど)、いらだたしさに落ち着かない。そんな読書。健康にはよくないか。

 が、下巻に進むころには急に潮目が変わり始め、とはいえそれは決してエイダルフに有利にではなくむしろ逆に不利ともいえる展開で、いっそうフィデルマの仕事を困難にもする。作者は今回少々やりすぎたのではないか、と心配するくらいに。

 事実、本当の本当に終盤、ページ数でいって終わりまで 20 ページくらいまで明かりの見えない感じの展開が続く。それがボラーンの登場で一変し急転直下とでもいうべき大団円を迎えるあたりは、ちょっと無理が大きかったかという印象はぬぐえない。

 まあ、フィデルマシリーズではどうしてもそういう傾向はあるのだけれど(時代設定による制約もあり)、それにしてもという感じになってしまって謎解きがあまり納得感のある証拠の登場なく終わってしまった印象。

 とはいえ、ようやく己の心に素直になれたふたりの行く手には、まだまだ暗雲がたれこめているようで、読者を楽しませこそすれ、ふたりにはとんだ試練であることよ、と同情したくもなる。

 昨今でも死刑制度についての議論はあるし、この作品世界のいう法もたしかに望ましいものなのではないかと思わざるを得ない。自らが性急に裁可を下したエイダルフの死刑についての再審議に異を唱える若き王フィーナマルに対してボラーンのいう言葉が重い。

「その者が死んでから誤りを正すよりも、生きているうちに事態を調査し、誤りを正すほうがよかろうて」(下巻 P.225)

 田村さんの訳も実によくて、わかりやすく流れるような描写。映像が浮かんでくるかのようで本当にありがたい。次も楽しみだ。

 

昏き聖母 上 (創元推理文庫)

 

 

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「湖の男」(インドリダソン)読んだ

ようやく邦訳四冊目の「湖の男」。本文が 480 ページあまりあるというのに、あれよあれよと読み終えてしまった。主に寝る前読書なのでそれなりに日数はかかったのだが、それでもすいすいと進んだし、最後の 100 ページあまりは結末が気になって時間延長して読んでしまったくらい。

大戦後の東ドイツでの留学生たちの日常と、原因は不明だが水がひいてしまって湖底が露呈した湖に見つかった白骨を追う物語が交互に語られる。白骨はロシア製の暗号機にくくりつけられていた。不可解な事件はいつもエーレンデュルの手に回ってくる。

当時の失踪者をあたっていくが、なかなか決め手にかける。が、不可解な失踪状況の男が浮かび上がってくるが、当時の捜査担当者が事なかれ主義であったのもあり、疑問はいくつも浮かぶというのにおざなりにされてしまった形跡。

なぞのセールスマン。訪ねるはずだった農家に行っていない。なぜか車のホイールがひとつだけ無くなっている。結婚を約束していた女性は、その男のことを実はまったくといっていいほど知らなかった。謎の男。

一方で関係国大使館からは、当時のスパイ状況が少しずつあきらかになって、忽然と姿を消した男が浮かび上がる。はたして白骨はそのスパイなのか?

大戦後の東ドイツで学生たちに相互監視を行わせ、体制に抗する分子の排除に躍起となる秘密警察。そのさなかに生まれる愛と分かれと。

大方の読者が次第に実相を想像しつつ読み進めるも、さらなる展開に思わずうならされる。ああ、しかし、それはどうなったのだ? あれはどうなったのだ? と思わないではない。

じめっとした寒いこれからの季節に合うアイスランドの哀しい物語。

前作「声」は、やや倒錯した感じの内容で抵抗を覚える読者もいそうだけれど、本作はとにかくその見事なストーリーテリングに一気に引き込まれてどっと疲れること必至。エーレンデュル、これからどうなってしまうの?

すでに次作も文庫になっているのでまた買わなくては。

そうそう、不安材料としては訳者の柳沢由美子さんが 80 歳を超えていらっしゃる。同じテイストで引き継いでくださる方があるとよいのだが。いや、もちろん柳沢由美子さんにもまだまだがんばっていただきたい、むりのない範囲で。

 

 

湖の男 (創元推理文庫) 文庫

 

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「修道女フィデルマの采配」

発売からやや遅れて短編集を読み終えた。ひとつひとつが短いこともあるし、全体の長さとしても短めなので長編の分冊ひとつと比べてもやや薄い感じ。なので割とサクサクと読めてしまう。

一番好みなのは「狼だ!」。狼少年的なタイトルではあるけれど、当時の法制としての興味もなかなかなテーマ。事件の真相は察しがよければ途中で気づくとはいえ、やはり結末へいたる過程の面白さは秀逸。

わけても調査に赴いたところ誰もおらず、乳しぼりをされていない様子の牛を見つけると自分たちがまずやるべきことはこの牛たちのために乳しぼりをしてやることだといって実践するあたり。

「養い親」はやや後味が悪いが、それは事件の性質上どうしようもない。そしてまた、なかなかに現代社会にも通ずる深いテーマでもあって考えさせられるものがある。

「魚泥棒は誰だ」は少し趣をかえてややコミカルな結末が待っていて、それはそれでほほえましい。

「法廷推定相続人」は一番フィデルマシリーズらしい正統派な作品かもしれない。

「みずからの殺害を予言した占星術師」は、正直なところいちばんもやもやする作品ではある。

それでもバラエティー豊かという集まりなので、フィデルマシリーズ入門としてはいるのは、悪くはないかもしれない。

次は長編がくるだろうか。としても、さすがにそれだと時間が開きそうだ。再来年くらいになってしまうかな。それでも、楽しみに待とう。

 

 

修道女フィデルマの采配: 修道女フィデルマ短編集

 

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「憐れみをなす者」修道女フィデルマシリーズ長編(ピーター・トレメイン)

2021 年 2 月に刊行されていたのだけれど、ずるずると遅くなってようやく年末になって購入。久々のシリーズ長編。翻訳者の方が田村美佐子さんに変わっていて、ご年齢からすると引継ぎされたのかなくらいに思っていたのだけれど、あとがきを読むとすでに亡くなられてしまったらしいとわかった。

文章からするとおそらく前作のころから引継ぎを依頼されていてしばらくは助言などされていたのではないかという感じ。その途中で亡くなられたりもあって翻訳の進みがやや遅れたのかもしれない。

ただ、読んでみるといっさい翻訳者の変更を感じさせない雰囲気を出していて、田村さんとしてご苦労も多かったのではないかと思うと同時に、この先も同じようなテイストで楽しませてもらえるのかと思うと安心とうれしさと。

今作はほぼ巡礼団の船の中でだけ推移する物語で、特殊な密室ともいえてなかなか興味深い。船内での殺人、若き日のフィデルマの陥った恋の痛手などが絡んできてなかなかに読ませる。そして、手ごわい。フィデルマとて心穏やかではなく、調べは思うように進まない。かてて加えて海賊船の襲撃まで起こるにいたっては海洋冒険小説の様相まで呈してくる。なによりこの操船描写があまりにも丁寧で、そうとう当時の操船や海上交通事情といったものを調べているのだなと思わせる。

この中に確かに犯人はいる。ただ、それがなかなか解けない。さらには、フィデルマ自身も二度命を狙われる。あれもこれもとてんこ盛りというくらいのサスペンス要素で、昨今については知らないものの、テレビドラマの二時間サスペンスなど敵ではないというくらいの展開のすえにたどりつく結末も、崖っぷちでただ追い詰めるなどという代物では決してない。すべてのピースが合わさっていく快感は、やはり読まなくてはわからない。

しかも、結末の不穏さを残しておきながら、次なる翻訳は短編集ということでいじいじしてしまう。続きが気になってしまって夜しか眠れないではないですか!

田村美佐子さん、無理せず翻訳よろしくおねがいします。そして、故甲斐萬里江さん、どうぞ安らかに。すばらしい作品を紹介くださり、ありがとうございました。

 

 

憐れみをなす者 上 (創元推理文庫)

 

憐れみをなす者 下 (創元推理文庫)

 

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「声」(アーナルデュル・インドリダソン)

「緑衣の女」につづく邦訳三作目。460 ページあまりともっとも長い。

ホテルの地階に暮らす男性が下半身を露出した状態のふしだらな恰好で殺されているのが見つかるのが、クリスマスまであとわずかという時。ホテルの支配人は客には事件のことを知らせるな、営業妨害するなという姿勢で捜査にはあまり協力的ではない。そもそも、そういうことは可能なのだろうかとは思うが、日本でどうなのかも含めよくはわからない。国が違えばまた事情は違うのかもしれない。ともかくもそういう状況下で捜査は進む。

やがて、彼の子供時代のことが明らかになるにつれて、事件は児童ポルノとか、児童虐待とかいう方面に向かうかに見える。なかなか進展しない捜査のなかで少しずつ彼と彼をとりまく特殊な世界(コレクターなどなど)があきらかにはされていくが、読者としてもなかなか真相をしぼりきれない。

子供時代に歌唱のスターとあがめられたものの、少年期にいずれはおとずれる変声期によってあえなく夢は消える。父親の悲嘆、姉のろうばい、母の死。以降没交渉であったという彼ら親子になにがあったのかということもまた事件の真相にかかわりそうなのだが、これもまたなかなかに見えてこない。

そんなふうにして、最後の最後までいってから残り 20 ページでいきなり解決してしまう。一応それに理屈は通るので理解はできるし、納得もできる。とはいえ、いささか唐突でもあり、ここへきてそれか、という思いもあって、なんともやるせない。

正直、前作まではここまでということはなかったし、ある意味「そうきたか」という驚きをもって終焉を迎えたともいえるのだが、今作のそれは、あまりにもズルい。うーん。

物語のテーマもわかるし、納得はできるのだけれど、作品としては、どうにもいまひとつしっくりしないものを感じたままになってしまう。長すぎたのだ、というのが一番わかりやすい理由かもしれない。次作以降に期待。

声 エーレンデュル捜査官シリーズ (創元推理文庫)

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「緑衣の女」

「湿地」を読んで、その独特の世界観(とはいっても、それは実際のアイルランドの姿ではあるのだが)の中で、アイルランドであるがゆえになりたつというミステリに背筋を凍らされた記憶もいくぶんさめてきたところで、ようやくにして読んだ「緑衣の女」。購入だけはしてあったのだけれど、あれこれまとめて買いすぎていたのでなかなか追いつかない。いや、そもそも読むのが格段に遅くなっているのが一番の理由。

さて、「緑衣の女」。子供の誕生日パーティーを開いていたら赤ん坊が奇妙なものをしゃぶっているのを弟を迎えにきた大学生によって発見されることから物語がはじまる。それは「人骨」だった。

新しいものではなく相当昔のものと思われ、ひとまずは発掘して調べをすすめることにはなるのだが、考古学の専門家に依頼したところ丁寧な仕事により遅々として発掘はすすまない。やむなく現地の状況や歴史から調べをすすめていくのだが、昔の話でなかなかこれという事実があがってこない。

時を同じくして発生するエーレンデュルのもはや別居している娘からの「助けて」の電話。妻とはとうに別れ、成人している子供とも基本没交渉。妊娠しながらもドラッグにおぼれ、流産の危機に母ではなく父に助けを求めた。

そして、第三の展開。妻を人とも思わず暴力をふるう男。幼い子供を連れてなんとか逃げおおせたと思えば、行き先を探し出して連れ帰る。従わなければ子供を殺すぞと脅して。繰り返されるあまりにも凄惨な暴行描写。訳者は「これを翻訳出版してもよいのだろうか」と戸惑ったという。

読者としては、当然これら三つが織りなしていくであろう結末へと想像をめぐらしつつ読み進めることになるのだが、そこから想像される事件はなかなか簡単には終わらせてくれない。埋まっていた骨はいったい誰のものか。二転三転していく情報に読者もまた翻弄される。

私は暴力を憎む。()中でもドメスティック・バイオレンスは卑劣で、絶対にあってはならない重い犯罪です。()犯罪を告発するためとはいえ、警察や弁護士がその詳細を話させようとするのは残酷なことです。忌まわしい暴力を受けた女性に追い討ちをかけることになってしまうから。作家は犠牲者の女性たちに代わって、知り得た真実を書き切らなければならない。妥協せず、言葉を濁したり置き換えたりせず、書き切るのです。どれほど残酷なことかを描いて、けっしてしてはならないと訴えるのです。

(訳者あとがき から)

タイトルの意味するところであるとか、様々なことがしっくりと収まるには、なかなかじれったくも最後まで持ち切られるわけだが、ただただ引き延ばしたというわけではない隠し玉も重い。

もちろん、ではあれはどうなったのか、という点がないではないし、終わりが妙に唐突で、それでいて続く「声」の冒頭に続くということでもない。けれど、この独特のアイスランドという土地を舞台にした物語の異様な雰囲気には実によく似合う。読み終えたあと、しばらく放心する感覚をえる作品というのは、そう多くはないはずだ。

余談ながら不安に思うのは、訳者の柳沢由美子さんが 1943 年のお生まれということ。「フィデルマシリーズ」の翻訳をしていた甲斐萬里江さんはご高齢のためか、今般出版されたものからほかの方に交代されたようだ。このシリーズもいずれほかのかたに交代される可能性が高いのではと思うと、やや特殊な作品・土地ということを思うとよい方が現れてくれることを願うばかりなのだった。

緑衣の女

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「消えた修道士」

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 ミステリーの魅力といえばなんといってもそこで語られた事件・事象の謎が最終的に、時に見事に、解決される、その過程の面白さ。現代のそれであれば科学的な捜査といったものもあって、ある意味犯人にとって反論の余地のない結末となることも少なくない。科学の限界というのはあるにせよ、ホームズのころから、より科学的に、より論理的に推理していくという過程はひとつの醍醐味のようなものといえるかもしれない。

 そうした近現代を舞台としたミステリにたいしてフィデルマシリーズで描かれる世界はあまりにも非科学の世界。7 世紀中盤というキリスト教がようやくにして新約正典を確立したかというころを舞台としているだけに、まだまだ宗教的にも世情は流動的なところを持っていて、なにやらきな臭い匂いまでただよってきそうな、そんな世界。なにより、科学的な捜査などというものは基本ないのであるから、そこをどう捜査し、推理していくのか。そして、どう事件を解明していくかといえば、地道に事実を積み重ね、小さな齟齬や論理的な不整合を丁寧に分析していく、そんな作業。

 ある意味、それはより読者のところにおりてきて事件を見せてくれるともいえるのかもしれない。主人公フィデルマは時に謎に悩まされ、迷わされ、あるいは命の危機にもみまわれながらひとつひとつ事件を構成する欠片を拾い集めていく。読者もその作業を疑似体験しつつ、同じ条件で謎解きに挑むことも可能なのだ。

 今作ではフィデルマは久々に故国キャシェルで事件解決に奔走する。兄である国王コルグーにかけられた敵対する族長暗殺の疑惑をとかねばならない。ところが、当初でてくる事実は不利なものばかり。一方でそんなことがありえるはずがないということもまたよくよくわかっているだけに、その葛藤もまたしのばれるのだった。

 これまでの作品にないほどの危難にも出会う。狼の群れに襲われたり、村が襲撃されるのを目撃し人々が焼き討ちにあうのをただただ見ているしかないもどかしさ。ついには滞在中の修道院にまでその魔の手が及ぶのではないかという不安に襲われ、事実その危機にも直面することになる。村は破壊され、修道士にも死傷者が出てしまう。そんな中にあっても彼女の捜査に少しの揺らぎも生じない。

 そして、少しずつ明らかになっていく小さな事実と、複数の身内ともいえる人々の不可解な行動などもあって、はたして誰が信用に足り、誰があるいは裏切り者なのかと疑心暗鬼に満ちたなかでの捜査を強いられる。シリーズすべてを読んではいないものの、既読作品でもこれほどまで厳しい状況はなかったのではないか。

 およそ 700 ページに及ぼうかという作品の本当に最後の法廷にたどりつくまで、その真相はなかなか見えてこない。けれど、ある意味想像できた予定調和へと落ち着いていくともいえる。それはつまらないというのではなく、まさしくフィデルマシリーズらしい見事な結末へと導いてくれるのだ。ただ、やや最後が力尽きたように思えなくもないが、それでこの作品の評価が下げられるということではもちろんない。十二分にフィデルマの推理を堪能させてくれる。

 今作ではもうひとつ小さなテーマがときおり顔をのぞかせる。エピローグでそれは明らかに展開されるのだが、これまでの物語を思うと少し寂しさがあったりもする。いや、今後の展開でそれすらもまだ流動的なのかもしれないが、なかなか作者は簡単には物語をすすめてくれないらしい。いや、作者がではない。物語が語らせてくれないのだなとも。

 フィデルマシリーズファンであれば、今作はある意味シリーズのキーポイントとなる作品でもあるので、間違いなく読んでおくべき作品。訳者の甲斐さんの翻訳は本当にいつも素敵で、とくに「後じさり」と書いてくださるあたりに信頼がおけて実にうれしい。今後のフィデルマの活躍がますます気になってしまうので、早くも続編が待ち遠しい。

 最後にひとこと。エイダルフの莫迦!

でも、これらは、皆、事実です。となると、私たちが絶対に確かだと言い切れるのは、”我々は、何もわかっていない”ということだけですわ(上:P.206)
「いくつか、解釈はありますわ。でも、徒に推測してみても、何にもなりません。全ての事実を十分に把握する前に、あれこれ想像するのは、最悪のやり方です。私は、これまでずっと、そう言い続けていましたでしょ? そういうやり方は、自分の考えに都合よく事実を歪曲してしまう、ということですよ」(下:P.179)
ヘラクレイトスは、言っていますわ。”同じ川を、二度渡ることはできない。水は絶えることなく流れているのだから”と。”永遠”にあるのは、ただ”変化”だけなのですわ (下:P.337)


終盤の法廷ではブレホンのラモンと、フィデルマの師匠であるモラン師の名前がでてきて両者がごっちゃになりそうになる。一箇所だけ間違いがあったので、ご報告。

しかし、主席ブレホンのモランは、「笑いごとではありませんぞ」と、苛立たしげに、口をはさんだ。(下:P.314)

s/モラン/ラモン/

4488218202消えた修道士〈上〉 (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江
東京創元社 2015-11-21

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4488218210消えた修道士〈下〉 (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江
東京創元社 2015-11-21

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山猫の夏

 船戸与一再読の二冊目(といっても多分手持ちはこれで終わりかもしれない)。文庫で 710 ページあまりという大部。すっかり内容など忘れているのでその分厚さに正直ひるみながらも手にしたら、あれよあれよと読んでしまった。面白い。

 ブラジルの架空の町エクルウを舞台にして山猫と呼ばれる日本人が、町を戦乱に巻き込み、長年続いていた歪んだ町の実相を根底から変えてしまおうとするかのような活躍が描かれる。ふたつの荘園家が支配するエクルウ。いがみ合う両家は度々死者を出す抗争を繰り返している。小さな山間の町ということもあり町の住民もいつしかそれぞれにつくような形にならざるを得ず、それぞれの家に出入りする商売がそれぞれに存在する(それぞれだけに商売する肉屋がひとつずつあるなど)というような特殊な様相を呈している。

 警察はそうした抗争を見逃すことの見返りに両家から賄賂を手にし、駐屯する軍隊(といってもごくごく小規模なもの)は両家に武器を横流しすることで私腹を肥やしている。とはいえ事が大きくなりすぎればさすがに警察にしても無視もできないため、両家はある程度のところで矛を収めることで、町の支配権を維持しているのだった。

 そこへ現れたのが山猫と名乗る日本人。胡散臭い感じなのだが、両家のひとつビーステルフェルト家に依頼されてやってきたのだった。とある男と駆け落ちした娘カロリーナの行方を捜索するために。実は駆け落ちの相手は敵対するアンドラーデ家の息子フェルナン。こともあろうに禁断の恋に落ちたふたりが両家を敵に回して逃げ出してしまい、両家は当然それを許せるはずもなくそれぞれに捜索隊を派遣するのだった。

 とはいえそれによってそれぞれの家の兵隊を減らしてしまい抗争的バランスを崩すことをよしとしないので、すべてあらたに雇った人間ばかりで構成された捜索隊を両家は派遣。当然寄せ集めともなれば、統率などなかなか望めるはずもなく、山猫を快く思わない輩がチャンスをうかがうのだった。

 前半はその追走劇。抜群の推理で駆け落ちしたふたりの行き先を判断し、近道して追いつこうとする山猫の一行。見事にそれはあたったが、予期せぬ事態は起こるものでアンドラーデ家のフェルナンは途中であった盗賊によって殺害されていた。カロリーナは盗賊らによって陵辱されすっかり正気を失ってしまっている。

 山猫は盗賊一味を倒してカロリーナを救出し、彼らが鉱山町から奪った鉱石なども返してやる。そうして帰途につくのだが、ここで登場するのがアンドラーデ家の捜索隊。そのリーダーがかねて山猫を追っていたいわくつきの男で今は用心棒に身をやつしたとはいえ凄腕のサーハン・バブーフ。双方の知力を駆使した総力戦が繰り広げられてどちらも大半の仲間を失うなか、舞台はエクルウに戻る。

 山猫が狙うは両家の財産の半分ずつを分捕ること。実質両家はもはや弱体化しつつあることを思えばそれによってエクルウの町の勢力分布はまったく崩れるような状況になる。同時に、警察や軍隊にも手を向け賄賂におぼれる指揮者の排除も目指す。山猫がなぜそこまでするのかはわからない。

 警察と軍は共謀して両家に攻撃を開始。とうとう非常事態がはじまる。両家のいがみ合いは最高潮に達し、今となっては住民同士ですら殺し合いが起きてしまう状況。この事態を収めるために山猫は両家に連絡してついに財産の半分を譲渡するという正式な文書の調印にこぎつけようとする。

 エクルウの町で繰り広げられる終盤の 200 ページあまりの展開はめまぐるしいものもあって手に汗握る暇もないくらい。はたして山猫のの野望は実現するのか、そしてなぜここまでしたのかといったあたりが最後には明かされるわけだが、それはまあ読んでのお楽しみにするほうがいい。

 物語の語り部でもあり、山猫によって事件の一部始終に巻き込まれることになる”おれ”がいかにして変貌していくのかといったあたりも実に面白い。まさに船戸与一絶頂期のはじまりという頃の作品で、一気読み必死。

4094060707山猫の夏 (小学館文庫)
船戸 与一
小学館 2014-08-05

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 持っているのはこっちなのだが、今は小学館になってしまっているらしい。

B00F2H353U山猫の夏 【新装版】 南米3部 (講談社文庫)
船戸与一
講談社 1995-11-15

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湿地

 本が好き!で献本していただきました。ありがとうございます。

 訳者あとがきで作者へのインタビューの一部が紹介されている。なぜミステリ小説なのかという問いに次のように答えている。

これまでミステリはアイスランドでは軽んじられてきました。(中略)また、他の国のミステリで題材となる大量殺人や派手なカーチェイスなどは人口三十万人の小国ではあり得ないからミステリはアイスランドでは非現実的と、書き手が敬遠していたことなど、理由はいろいろあると思います。私は普通の人の暮らし、その中での犯罪を書きます。人の暮らし、平和な日常、家族がいちばん大切だと思っています。その大切なものが脅かされ、壊されるのはなぜなのか、社会全体を書きたいのです。それにはミステリが適切な手段であると思います。(P.373)

 近年コージーミステリなどでは、小さな町(登場する人物すべてが知り合い)を舞台にしたようなものもあるにはあるが、確かに派手なミステリ向きではないかもしれない。犯人の過去として登場するくらいなら別として。

 しかるに「湿地」ではこのアイスランドという土地特有の事情をむしろ有利として物語を展開させている。アイスランドという国なくして、このような物語は恐らく成立し得なかったのではないか。あとがきや解説を読んでアイスランドへの理解をますと、余計にその思いを強くする。

 物語はひとりの男(老人)の死(おそらくは殺人)を発端とする。明らかに殺意を持って殺害されたのではないかと目されるメモが遺体のそばに落ちている。ノートの切れ端に書かれたそのメモが、冒頭クローズアップされる。

 しかし、その内容は中盤まで明かされることがない。

 読者はまずそれに驚く。いや、普通それは明かされるべき事実ではないのか? と。冒頭明かされるのはそのメッセージが三つの単語からなるということと、最後の単語は太字で書かれており、それは「あいつ」という文字であったということだけ。もちろん、中盤でそのメッセージがすべて明かされても読者にはやはりまだ意味不明だ。しかし、よくあるダイイングメッセージのようなものとも違う。簡潔な文章でしかない。それだけに、その真意を汲み取るには情報がまだ足りない。

 被害者であるその男の身辺・過去を調査するうちに次々とうかぶ疑問や疑惑によってますます混沌としていき、漠とした空気に満たされていく。男はかつてレイプの容疑をかけられていた。被害女性の訴えを警察がほとんど拒絶するかのような処理により、男が起訴されることはなかった。

 その後、訴えでた女性は女の子を出産するが、その子は悪性の脳腫瘍で 4 年の命を閉じる。数年後には女性もみずから命を絶つ。女性の姉は警察に対して激しい嫌悪を今も隠さない。女の子の父親はその男であった可能性が高い。さらには、ほかにもレイプ被害にあったと思われる女性がいたらしいことがわかってくるが、捜査は困難をきわめ、無意味な時間を浪費しているのではないかとすら思えてくる。

 捜査をすすめるうちに女の子の死因である脳腫瘍は遺伝性のものであった可能性もでてくるあたりから、なぜ物語がアイスランドでなくてはならないのかがより現実味を帯びてくる。アイスランドはいわば閉じた世界であり、教会などの出生死亡記録などから家系を遡ることができる。多くのアイスランド人はかつてきょうだいであり親戚であったのだ。ゆえに遺伝的な病気は、特徴的に発現する。

 そうして気がつけば読者はすっかり物語に没入している。ページを繰る手が止まらないという読書は久しぶりだ。うっかりすれば徹夜で読み終えてしまうほどに。簡潔な文章で過不足なく語られており、それでいて情景はしっかりと目の前にうかぶ。降りしきる雨の音さえ、その冷たささえ感じ取れるくらいに。

 被害者の男の過去になにがあるのか。それが事件と本当に関係するのか。次第に明らかになっていく事実の前に、中盤あたりともなれば読者にはある程度そこから類推される物語が見えてもくる。ある意味作者は期待を裏切ることなく、その事実を丁寧にていねいに描き出す。

 当然ながら主軸の事件一本やりでは、物語は単調となって面白みにかけてしまう。本作におけるサイドストーリーは主人公エーレンデュルと今では微妙な関係としてしかつながりのない娘、エヴァ=リンドとの関係を描く部分。薬中で金がなくなると父親に無心にくるだけの関係となっていたのだが、妊娠を機にかすかな変化を感じているのはエーレンデュルだけではないはずだ。

 さらには事件の背景にせまる材料として、警察内部の体質や医療界をめぐる事柄、ノルデュルミリと呼ばれるかつての湿地地帯の歴史そのものも登場し、それらが渾然一体となってタイトルである「湿地(ミリン)」の意味が深くふかく読者にのしかかってくる。じっとりとした、腐敗したにおいの充満するような安アパート。それらアイスランドの歴史そのものが物語の底辺にどっしりとかまえている。

 期せずして梅雨時に読むこととなったわけだが、日本で「湿地」を読むにはまさに梅雨をおいてない。連日降り続く雨。傘はささない。心のそこまでふさぎこんでしまいそうな曇天。それこそ、「湿地」の世界を疑似体験するにふさわしい。

 日常ほど謎に満ちたものはない。普通の人は、思うほど普通ではないかもしれない。ミステリファンでなくとも、あらたなミステリとの出会いを、ぜひとも堪能するべきだ。


余談

 ミステリの主人公というのはとかく雨に濡れているような印象があるが、エーレンデュルはいつも濡れている。なぜ傘をささないのだろう? そう思っていたのだが、訳者あとがきによれば、どうやらアイスランド人は傘をささないらしい。

朝に晴れていても傘とレインコートは手放せないのだが、この国の人はだれも傘をささない。傘をさす習慣がないのか、しょっちゅう変わる天気に備えるのが面倒なのか。(P.371)

 そんなところもまたアイスランドの実際に即した物語であったのだなと。

4488266037湿地 (創元推理文庫)
アーナルデュル・インドリダソン 柳沢 由実子
東京創元社 2015-05-29

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