本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。
ミステリーの魅力といえばなんといってもそこで語られた事件・事象の謎が最終的に、時に見事に、解決される、その過程の面白さ。現代のそれであれば科学的な捜査といったものもあって、ある意味犯人にとって反論の余地のない結末となることも少なくない。科学の限界というのはあるにせよ、ホームズのころから、より科学的に、より論理的に推理していくという過程はひとつの醍醐味のようなものといえるかもしれない。
そうした近現代を舞台としたミステリにたいしてフィデルマシリーズで描かれる世界はあまりにも非科学の世界。7 世紀中盤というキリスト教がようやくにして新約正典を確立したかというころを舞台としているだけに、まだまだ宗教的にも世情は流動的なところを持っていて、なにやらきな臭い匂いまでただよってきそうな、そんな世界。なにより、科学的な捜査などというものは基本ないのであるから、そこをどう捜査し、推理していくのか。そして、どう事件を解明していくかといえば、地道に事実を積み重ね、小さな齟齬や論理的な不整合を丁寧に分析していく、そんな作業。
ある意味、それはより読者のところにおりてきて事件を見せてくれるともいえるのかもしれない。主人公フィデルマは時に謎に悩まされ、迷わされ、あるいは命の危機にもみまわれながらひとつひとつ事件を構成する欠片を拾い集めていく。読者もその作業を疑似体験しつつ、同じ条件で謎解きに挑むことも可能なのだ。
今作ではフィデルマは久々に故国キャシェルで事件解決に奔走する。兄である国王コルグーにかけられた敵対する族長暗殺の疑惑をとかねばならない。ところが、当初でてくる事実は不利なものばかり。一方でそんなことがありえるはずがないということもまたよくよくわかっているだけに、その葛藤もまたしのばれるのだった。
これまでの作品にないほどの危難にも出会う。狼の群れに襲われたり、村が襲撃されるのを目撃し人々が焼き討ちにあうのをただただ見ているしかないもどかしさ。ついには滞在中の修道院にまでその魔の手が及ぶのではないかという不安に襲われ、事実その危機にも直面することになる。村は破壊され、修道士にも死傷者が出てしまう。そんな中にあっても彼女の捜査に少しの揺らぎも生じない。
そして、少しずつ明らかになっていく小さな事実と、複数の身内ともいえる人々の不可解な行動などもあって、はたして誰が信用に足り、誰があるいは裏切り者なのかと疑心暗鬼に満ちたなかでの捜査を強いられる。シリーズすべてを読んではいないものの、既読作品でもこれほどまで厳しい状況はなかったのではないか。
およそ 700 ページに及ぼうかという作品の本当に最後の法廷にたどりつくまで、その真相はなかなか見えてこない。けれど、ある意味想像できた予定調和へと落ち着いていくともいえる。それはつまらないというのではなく、まさしくフィデルマシリーズらしい見事な結末へと導いてくれるのだ。ただ、やや最後が力尽きたように思えなくもないが、それでこの作品の評価が下げられるということではもちろんない。十二分にフィデルマの推理を堪能させてくれる。
今作ではもうひとつ小さなテーマがときおり顔をのぞかせる。エピローグでそれは明らかに展開されるのだが、これまでの物語を思うと少し寂しさがあったりもする。いや、今後の展開でそれすらもまだ流動的なのかもしれないが、なかなか作者は簡単には物語をすすめてくれないらしい。いや、作者がではない。物語が語らせてくれないのだなとも。
フィデルマシリーズファンであれば、今作はある意味シリーズのキーポイントとなる作品でもあるので、間違いなく読んでおくべき作品。訳者の甲斐さんの翻訳は本当にいつも素敵で、とくに「後じさり」と書いてくださるあたりに信頼がおけて実にうれしい。今後のフィデルマの活躍がますます気になってしまうので、早くも続編が待ち遠しい。
最後にひとこと。エイダルフの莫迦!
でも、これらは、皆、事実です。となると、私たちが絶対に確かだと言い切れるのは、”我々は、何もわかっていない”ということだけですわ(上:P.206)
「いくつか、解釈はありますわ。でも、徒に推測してみても、何にもなりません。全ての事実を十分に把握する前に、あれこれ想像するのは、最悪のやり方です。私は、これまでずっと、そう言い続けていましたでしょ? そういうやり方は、自分の考えに都合よく事実を歪曲してしまう、ということですよ」(下:P.179)
ヘラクレイトスは、言っていますわ。”同じ川を、二度渡ることはできない。水は絶えることなく流れているのだから”と。”永遠”にあるのは、ただ”変化”だけなのですわ (下:P.337)
終盤の法廷ではブレホンのラモンと、フィデルマの師匠であるモラン師の名前がでてきて両者がごっちゃになりそうになる。一箇所だけ間違いがあったので、ご報告。
しかし、主席ブレホンのモランは、「笑いごとではありませんぞ」と、苛立たしげに、口をはさんだ。(下:P.314)
s/モラン/ラモン/
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