「消えた修道士」

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 ミステリーの魅力といえばなんといってもそこで語られた事件・事象の謎が最終的に、時に見事に、解決される、その過程の面白さ。現代のそれであれば科学的な捜査といったものもあって、ある意味犯人にとって反論の余地のない結末となることも少なくない。科学の限界というのはあるにせよ、ホームズのころから、より科学的に、より論理的に推理していくという過程はひとつの醍醐味のようなものといえるかもしれない。

 そうした近現代を舞台としたミステリにたいしてフィデルマシリーズで描かれる世界はあまりにも非科学の世界。7 世紀中盤というキリスト教がようやくにして新約正典を確立したかというころを舞台としているだけに、まだまだ宗教的にも世情は流動的なところを持っていて、なにやらきな臭い匂いまでただよってきそうな、そんな世界。なにより、科学的な捜査などというものは基本ないのであるから、そこをどう捜査し、推理していくのか。そして、どう事件を解明していくかといえば、地道に事実を積み重ね、小さな齟齬や論理的な不整合を丁寧に分析していく、そんな作業。

 ある意味、それはより読者のところにおりてきて事件を見せてくれるともいえるのかもしれない。主人公フィデルマは時に謎に悩まされ、迷わされ、あるいは命の危機にもみまわれながらひとつひとつ事件を構成する欠片を拾い集めていく。読者もその作業を疑似体験しつつ、同じ条件で謎解きに挑むことも可能なのだ。

 今作ではフィデルマは久々に故国キャシェルで事件解決に奔走する。兄である国王コルグーにかけられた敵対する族長暗殺の疑惑をとかねばならない。ところが、当初でてくる事実は不利なものばかり。一方でそんなことがありえるはずがないということもまたよくよくわかっているだけに、その葛藤もまたしのばれるのだった。

 これまでの作品にないほどの危難にも出会う。狼の群れに襲われたり、村が襲撃されるのを目撃し人々が焼き討ちにあうのをただただ見ているしかないもどかしさ。ついには滞在中の修道院にまでその魔の手が及ぶのではないかという不安に襲われ、事実その危機にも直面することになる。村は破壊され、修道士にも死傷者が出てしまう。そんな中にあっても彼女の捜査に少しの揺らぎも生じない。

 そして、少しずつ明らかになっていく小さな事実と、複数の身内ともいえる人々の不可解な行動などもあって、はたして誰が信用に足り、誰があるいは裏切り者なのかと疑心暗鬼に満ちたなかでの捜査を強いられる。シリーズすべてを読んではいないものの、既読作品でもこれほどまで厳しい状況はなかったのではないか。

 およそ 700 ページに及ぼうかという作品の本当に最後の法廷にたどりつくまで、その真相はなかなか見えてこない。けれど、ある意味想像できた予定調和へと落ち着いていくともいえる。それはつまらないというのではなく、まさしくフィデルマシリーズらしい見事な結末へと導いてくれるのだ。ただ、やや最後が力尽きたように思えなくもないが、それでこの作品の評価が下げられるということではもちろんない。十二分にフィデルマの推理を堪能させてくれる。

 今作ではもうひとつ小さなテーマがときおり顔をのぞかせる。エピローグでそれは明らかに展開されるのだが、これまでの物語を思うと少し寂しさがあったりもする。いや、今後の展開でそれすらもまだ流動的なのかもしれないが、なかなか作者は簡単には物語をすすめてくれないらしい。いや、作者がではない。物語が語らせてくれないのだなとも。

 フィデルマシリーズファンであれば、今作はある意味シリーズのキーポイントとなる作品でもあるので、間違いなく読んでおくべき作品。訳者の甲斐さんの翻訳は本当にいつも素敵で、とくに「後じさり」と書いてくださるあたりに信頼がおけて実にうれしい。今後のフィデルマの活躍がますます気になってしまうので、早くも続編が待ち遠しい。

 最後にひとこと。エイダルフの莫迦!

でも、これらは、皆、事実です。となると、私たちが絶対に確かだと言い切れるのは、”我々は、何もわかっていない”ということだけですわ(上:P.206)
「いくつか、解釈はありますわ。でも、徒に推測してみても、何にもなりません。全ての事実を十分に把握する前に、あれこれ想像するのは、最悪のやり方です。私は、これまでずっと、そう言い続けていましたでしょ? そういうやり方は、自分の考えに都合よく事実を歪曲してしまう、ということですよ」(下:P.179)
ヘラクレイトスは、言っていますわ。”同じ川を、二度渡ることはできない。水は絶えることなく流れているのだから”と。”永遠”にあるのは、ただ”変化”だけなのですわ (下:P.337)


終盤の法廷ではブレホンのラモンと、フィデルマの師匠であるモラン師の名前がでてきて両者がごっちゃになりそうになる。一箇所だけ間違いがあったので、ご報告。

しかし、主席ブレホンのモランは、「笑いごとではありませんぞ」と、苛立たしげに、口をはさんだ。(下:P.314)

s/モラン/ラモン/

4488218202消えた修道士〈上〉 (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江
東京創元社 2015-11-21

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4488218210消えた修道士〈下〉 (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江
東京創元社 2015-11-21

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山猫の夏

 船戸与一再読の二冊目(といっても多分手持ちはこれで終わりかもしれない)。文庫で 710 ページあまりという大部。すっかり内容など忘れているのでその分厚さに正直ひるみながらも手にしたら、あれよあれよと読んでしまった。面白い。

 ブラジルの架空の町エクルウを舞台にして山猫と呼ばれる日本人が、町を戦乱に巻き込み、長年続いていた歪んだ町の実相を根底から変えてしまおうとするかのような活躍が描かれる。ふたつの荘園家が支配するエクルウ。いがみ合う両家は度々死者を出す抗争を繰り返している。小さな山間の町ということもあり町の住民もいつしかそれぞれにつくような形にならざるを得ず、それぞれの家に出入りする商売がそれぞれに存在する(それぞれだけに商売する肉屋がひとつずつあるなど)というような特殊な様相を呈している。

 警察はそうした抗争を見逃すことの見返りに両家から賄賂を手にし、駐屯する軍隊(といってもごくごく小規模なもの)は両家に武器を横流しすることで私腹を肥やしている。とはいえ事が大きくなりすぎればさすがに警察にしても無視もできないため、両家はある程度のところで矛を収めることで、町の支配権を維持しているのだった。

 そこへ現れたのが山猫と名乗る日本人。胡散臭い感じなのだが、両家のひとつビーステルフェルト家に依頼されてやってきたのだった。とある男と駆け落ちした娘カロリーナの行方を捜索するために。実は駆け落ちの相手は敵対するアンドラーデ家の息子フェルナン。こともあろうに禁断の恋に落ちたふたりが両家を敵に回して逃げ出してしまい、両家は当然それを許せるはずもなくそれぞれに捜索隊を派遣するのだった。

 とはいえそれによってそれぞれの家の兵隊を減らしてしまい抗争的バランスを崩すことをよしとしないので、すべてあらたに雇った人間ばかりで構成された捜索隊を両家は派遣。当然寄せ集めともなれば、統率などなかなか望めるはずもなく、山猫を快く思わない輩がチャンスをうかがうのだった。

 前半はその追走劇。抜群の推理で駆け落ちしたふたりの行き先を判断し、近道して追いつこうとする山猫の一行。見事にそれはあたったが、予期せぬ事態は起こるものでアンドラーデ家のフェルナンは途中であった盗賊によって殺害されていた。カロリーナは盗賊らによって陵辱されすっかり正気を失ってしまっている。

 山猫は盗賊一味を倒してカロリーナを救出し、彼らが鉱山町から奪った鉱石なども返してやる。そうして帰途につくのだが、ここで登場するのがアンドラーデ家の捜索隊。そのリーダーがかねて山猫を追っていたいわくつきの男で今は用心棒に身をやつしたとはいえ凄腕のサーハン・バブーフ。双方の知力を駆使した総力戦が繰り広げられてどちらも大半の仲間を失うなか、舞台はエクルウに戻る。

 山猫が狙うは両家の財産の半分ずつを分捕ること。実質両家はもはや弱体化しつつあることを思えばそれによってエクルウの町の勢力分布はまったく崩れるような状況になる。同時に、警察や軍隊にも手を向け賄賂におぼれる指揮者の排除も目指す。山猫がなぜそこまでするのかはわからない。

 警察と軍は共謀して両家に攻撃を開始。とうとう非常事態がはじまる。両家のいがみ合いは最高潮に達し、今となっては住民同士ですら殺し合いが起きてしまう状況。この事態を収めるために山猫は両家に連絡してついに財産の半分を譲渡するという正式な文書の調印にこぎつけようとする。

 エクルウの町で繰り広げられる終盤の 200 ページあまりの展開はめまぐるしいものもあって手に汗握る暇もないくらい。はたして山猫のの野望は実現するのか、そしてなぜここまでしたのかといったあたりが最後には明かされるわけだが、それはまあ読んでのお楽しみにするほうがいい。

 物語の語り部でもあり、山猫によって事件の一部始終に巻き込まれることになる”おれ”がいかにして変貌していくのかといったあたりも実に面白い。まさに船戸与一絶頂期のはじまりという頃の作品で、一気読み必死。

4094060707山猫の夏 (小学館文庫)
船戸 与一
小学館 2014-08-05

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 持っているのはこっちなのだが、今は小学館になってしまっているらしい。

B00F2H353U山猫の夏 【新装版】 南米3部 (講談社文庫)
船戸与一
講談社 1995-11-15

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湿地

 本が好き!で献本していただきました。ありがとうございます。

 訳者あとがきで作者へのインタビューの一部が紹介されている。なぜミステリ小説なのかという問いに次のように答えている。

これまでミステリはアイスランドでは軽んじられてきました。(中略)また、他の国のミステリで題材となる大量殺人や派手なカーチェイスなどは人口三十万人の小国ではあり得ないからミステリはアイスランドでは非現実的と、書き手が敬遠していたことなど、理由はいろいろあると思います。私は普通の人の暮らし、その中での犯罪を書きます。人の暮らし、平和な日常、家族がいちばん大切だと思っています。その大切なものが脅かされ、壊されるのはなぜなのか、社会全体を書きたいのです。それにはミステリが適切な手段であると思います。(P.373)

 近年コージーミステリなどでは、小さな町(登場する人物すべてが知り合い)を舞台にしたようなものもあるにはあるが、確かに派手なミステリ向きではないかもしれない。犯人の過去として登場するくらいなら別として。

 しかるに「湿地」ではこのアイスランドという土地特有の事情をむしろ有利として物語を展開させている。アイスランドという国なくして、このような物語は恐らく成立し得なかったのではないか。あとがきや解説を読んでアイスランドへの理解をますと、余計にその思いを強くする。

 物語はひとりの男(老人)の死(おそらくは殺人)を発端とする。明らかに殺意を持って殺害されたのではないかと目されるメモが遺体のそばに落ちている。ノートの切れ端に書かれたそのメモが、冒頭クローズアップされる。

 しかし、その内容は中盤まで明かされることがない。

 読者はまずそれに驚く。いや、普通それは明かされるべき事実ではないのか? と。冒頭明かされるのはそのメッセージが三つの単語からなるということと、最後の単語は太字で書かれており、それは「あいつ」という文字であったということだけ。もちろん、中盤でそのメッセージがすべて明かされても読者にはやはりまだ意味不明だ。しかし、よくあるダイイングメッセージのようなものとも違う。簡潔な文章でしかない。それだけに、その真意を汲み取るには情報がまだ足りない。

 被害者であるその男の身辺・過去を調査するうちに次々とうかぶ疑問や疑惑によってますます混沌としていき、漠とした空気に満たされていく。男はかつてレイプの容疑をかけられていた。被害女性の訴えを警察がほとんど拒絶するかのような処理により、男が起訴されることはなかった。

 その後、訴えでた女性は女の子を出産するが、その子は悪性の脳腫瘍で 4 年の命を閉じる。数年後には女性もみずから命を絶つ。女性の姉は警察に対して激しい嫌悪を今も隠さない。女の子の父親はその男であった可能性が高い。さらには、ほかにもレイプ被害にあったと思われる女性がいたらしいことがわかってくるが、捜査は困難をきわめ、無意味な時間を浪費しているのではないかとすら思えてくる。

 捜査をすすめるうちに女の子の死因である脳腫瘍は遺伝性のものであった可能性もでてくるあたりから、なぜ物語がアイスランドでなくてはならないのかがより現実味を帯びてくる。アイスランドはいわば閉じた世界であり、教会などの出生死亡記録などから家系を遡ることができる。多くのアイスランド人はかつてきょうだいであり親戚であったのだ。ゆえに遺伝的な病気は、特徴的に発現する。

 そうして気がつけば読者はすっかり物語に没入している。ページを繰る手が止まらないという読書は久しぶりだ。うっかりすれば徹夜で読み終えてしまうほどに。簡潔な文章で過不足なく語られており、それでいて情景はしっかりと目の前にうかぶ。降りしきる雨の音さえ、その冷たささえ感じ取れるくらいに。

 被害者の男の過去になにがあるのか。それが事件と本当に関係するのか。次第に明らかになっていく事実の前に、中盤あたりともなれば読者にはある程度そこから類推される物語が見えてもくる。ある意味作者は期待を裏切ることなく、その事実を丁寧にていねいに描き出す。

 当然ながら主軸の事件一本やりでは、物語は単調となって面白みにかけてしまう。本作におけるサイドストーリーは主人公エーレンデュルと今では微妙な関係としてしかつながりのない娘、エヴァ=リンドとの関係を描く部分。薬中で金がなくなると父親に無心にくるだけの関係となっていたのだが、妊娠を機にかすかな変化を感じているのはエーレンデュルだけではないはずだ。

 さらには事件の背景にせまる材料として、警察内部の体質や医療界をめぐる事柄、ノルデュルミリと呼ばれるかつての湿地地帯の歴史そのものも登場し、それらが渾然一体となってタイトルである「湿地(ミリン)」の意味が深くふかく読者にのしかかってくる。じっとりとした、腐敗したにおいの充満するような安アパート。それらアイスランドの歴史そのものが物語の底辺にどっしりとかまえている。

 期せずして梅雨時に読むこととなったわけだが、日本で「湿地」を読むにはまさに梅雨をおいてない。連日降り続く雨。傘はささない。心のそこまでふさぎこんでしまいそうな曇天。それこそ、「湿地」の世界を疑似体験するにふさわしい。

 日常ほど謎に満ちたものはない。普通の人は、思うほど普通ではないかもしれない。ミステリファンでなくとも、あらたなミステリとの出会いを、ぜひとも堪能するべきだ。


余談

 ミステリの主人公というのはとかく雨に濡れているような印象があるが、エーレンデュルはいつも濡れている。なぜ傘をささないのだろう? そう思っていたのだが、訳者あとがきによれば、どうやらアイスランド人は傘をささないらしい。

朝に晴れていても傘とレインコートは手放せないのだが、この国の人はだれも傘をささない。傘をさす習慣がないのか、しょっちゅう変わる天気に備えるのが面倒なのか。(P.371)

 そんなところもまたアイスランドの実際に即した物語であったのだなと。

4488266037湿地 (創元推理文庫)
アーナルデュル・インドリダソン 柳沢 由実子
東京創元社 2015-05-29

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猛き箱舟

 香坂は多少腕におぼえのあるチンピラ。なにか大きなことをしたいと灰色熊(グリズリー)と呼ばれる男への接近を試みる。海外で日本企業が遭遇するもめごと(多くはテロなどが絡む)を処理する仕事を非公式におこなっている。はじめは行きつけのバーで接触するが、手下にあっさりやられてしまい失敗。そこで、難病をかかえた一人息子を懐柔する作戦にでて成功する。

 仲間になって行った先はアフリカ。とある日本企業が現地政府との鉱山関係の契約を結ぼうとしているが、いろいろの理由でそれに反対しているのがポリサリオ解放戦線。その動きを阻止して契約締結を有効なものにするのが任務。現地で合流したメンバーはちょっと頭がイカれているのではないかというような者もいて、先行きは不透明。

 現地に赴く前のホテルで行きがかり上ポリサリオ解放戦線の若い女性メンバー、シャヒーナを助けてしまう。現地について最初の作戦はこちらの勝利。数百人規模のポリサリオ解放戦線の兵士を倒す。が、続く作戦では香坂らは完全に包囲されてしまい逃げ場を失う。援護があるはずだった灰色熊たちはそのまま逃げてしまう。はじめから香坂をはじめとした新規メンバーは万一のときの捨て駒として集められただけのメンバーだった。

 虜囚となってシャヒーナと再会する香坂。ポリサリオ解放戦線では一方的な軍事裁判を香坂にたいしてはじめる。さっさと殺したい派閥や、灰色熊に関する情報を聞き出してしまいたい派閥、この国の現状を変えるためにも彼を生かしたまま有利な広告塔として利用したいシャヒーナを代表とする若い派閥など、いくつもの思惑がからみあって一向に話は進まない。

 そうこうするうちに多数の見方を失った先の戦闘での責任を追及されて名のある指揮官が更迭されたりと、ポリサリオ解放戦線内での意思統一や協調関係にしても一枚岩ではない。そんな混乱のなか、同じく囚われの身となっている兵士とともに脱走を試みる香坂。当初の予定通りには事は運ばず、それでもなんとか命からがら脱走することには成功する。

 ともに脱走した男の手はずでカスバに身を寄せたものの、そこも安泰ではなく、ポリサリオ解放戦線からの追っ手がやってくる。さらにはシャヒーナたちもやってくる。かくまってくれていたはずの(武器)商人もことあるごとに不穏な動きがあったり、香坂が生きていると知って命を狙う灰色熊の部下がやってきたり、さらには多くの部下を失ったことで地位を失墜した指揮官もまた香坂らの命を狙いにカスバにやってくる。

 いくつもの思惑がぐるぐるとからまりあわさって、もうなにがなにやら、誰がだれやら、という混沌とした状態。ついには革新的な言動をしていることをうらみに思われていたシャヒーナまでが、ポリサリオ解放戦線から狙われる事態となって、香坂とのある種愛の逃避行になるのかという展開。

 けれども、ついにはシャヒーナもその命を落とし、香坂も左手を失いながらかろうじて生き延びることに成功する。そして半年の月日を経て、香坂が極秘に日本に入国。いよいよ灰色熊との直接対決という復讐の最終段階へと物語が進む。半年あまり前まではただのチンピラでしかなかった男が、いまや狡猾で冷酷・屈強な暗殺者として。

 灰色熊の周辺から真綿で首をしめるかのごとく、じわじわと包囲網をせばめていく香坂。自分の地位や経験にあぐらをかいて、権力者に協力を求めようとする灰色熊にたいして、ここは日本なのだと思い知らせる冷たい仕打ちがかえるなかで、ぬるま湯しか知らない日本の傭兵たちが香坂を迎え撃とうとするのだが。

 物語の終わりは直接本筋とは関係のない派生している物語の顛末となって、そこは少し余計なのか、はたまたそれはそれでありなのかと微妙なところもあるものの、圧倒的な迫力の前になすすべもなくドッと疲れて読み終える上下巻およそ 1200 ページ。この疲労感は正直このごろとんとご無沙汰となっている心地よさなのだった。

 油の乗っていたころの船戸与一は、やはり最高だった。

4087486362猛き箱舟〈上〉 (集英社文庫)
船戸 与一
集英社 1997-05

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4087486370猛き箱舟〈下〉 (集英社文庫)
船戸 与一
集英社 1997-05

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修道女フィデルマの探求

 この短編集、本来は二分冊で出版された全 15 編を日本独自に(許可を得て)5 編ずつの三分冊にしたものだとようやく知った。で、その最後がこの探求。正直なところやや物足りない感じがした作品もあったのだけれど(短すぎてという感じ)、総じては面白く読んだ。

 なかでも「不吉なる僧院」「ウルフスタンへの頌歌」あたりがよかった。

 「不吉なる僧院」はとある島の修道院へ手紙を届けるという役目を負って向かったさきで出会った事件。孤島にある小さな僧院で人がいなくなり、いくつかのむごたらしい死体が見つかる。犯人は海賊ではないかという船頭らの話にしては、物取りとも思えない様子に調査をはじめるフィデルマ。嵐が近づくなかで気が気でない船頭たち。そうしてたどりついた真相はなかなか見事なものだった。

 「ウルフスタンへの頌歌」は時代背景を色濃く反映した物語で、諸国の対立や文化などが存分に発揮された内容で、これまた面白いというか興味深い。どちらかというと犯人像に関しては予想通りというところはあるものの、やはりそこにたどりつくための背景がわかってくると、「あー、なるほど」と思わせてくれる手腕が心地よい。

 前の短編「洞察」でも感じた、中短編のもつ面白みというのが存分に発揮されている感じ。世間的には長編こそが面白いし、本領発揮だといわれているようだけれど、このくらいの長さがむしろちょうどよいのではないかと思うところもある。

 次なる短編集の予定もあるらしいのだが、実のところまだこの短編集のはじめ「叡智」を読んでいないのだった。次が出る前には読んでしまいたいものだなと。いや、長編にしても味読はまだまだ残っているので楽しみは続くのだった。

4488218172修道女フィデルマの探求 (修道女フィデルマ短編集) (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江
東京創元社 2012-12-11

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逃げる幻

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 実に 8 ヶ月ぶりくらいでようやく当選できたのでじっくりと読みたいところだったけれど、不思議な世界の魅力か案外早めに読み終えてしまった。

 作家・赤川次郎がこのごろこんなことを言われたようで、それは、若いころには編集者の意向などもあって次々と殺人が起きるような物語を書いたものだったけれども、最近はどうもそういう物語を書けなくなった、あるいは書きたくなくなった、といった類のことだった。仮に意識不明の重体というような被害者がでても、かろうじて一命をとりとめたというような展開にするようになったと。

 小説だからといってむやみに人を殺していいはずがないというような意識に変わってきたというようなことだったろうか。確かにミステリといえばなにかと殺人事件がおきるのが常ともいえるわけで、いかな小説とはいえ書いているほうも読んでいるほうも、それが常態化するのはあまり好ましくないと思うのは自然なことかもしれない。

 あるいはマクロイのこの作品はそうした主義のもとにでも書かれたのだろうか、と思うほど事件らしい事件がおきないのだった。

 冒頭、スコットランドで休暇を過ごすためにやってくるダンバーが、その飛行機のなかで当地の所有者でもあるネス卿と一緒になり、ひと月の間に三回も家出を繰り返す不思議な少年の話を耳にする。特別家庭内に問題があるとも思えないものの、他人にその家庭の内実が正確にわかるはずもなく、きっとなにか事情があるのだろうくらいに思うダンバーは精神科医でもあり、本国アメリカでは少年に関わるそうした事例にもおおく触れていた。

 そして滞在先でまさしく家出をしてそこにひそんでいた少年ジョニーと鉢合わせすることとなり、本作唯一といっていい立ち回りを演じる。結局のところ落ち着かせたジョニーを家に連れて行き、母親への覚めたそしてやや悪意を感じるような目つきに疑念をいだき、そこに暮らす人々に少なからぬ妙な気配を感じるわけだ。

 そうこうしてわかっていくのはジョニーは実の息子ではなく、孤児となってしまった甥を養子に迎えたのだということや、実は作家である父親ストックトンは評判こそよいものの売れない作家であること。妻がペンネームで書いた小説は、逆に評判はよくないが読者には受けてよく売れている。ジョニーのためにとやってきているフランス人の家庭教師もひとくせありそうな気配がある。

 物語の大半はそうした様子が少しずつあきらかになってきたり、広がるムアと呼ばれる草原なのだろうか、霧のたちこめる幻想的なそして少しオカルトじみたケルト世界の雰囲気が包むばかりで、正直物語らしい物語は展開しない。少なくとも事件性を帯びたものは。

 いよいよ殺人がおきるのは物語が三分の二 もすぎたところ。ついであきらかになるもうひとつの殺人は密室ではあるものの(厳密にいえば密室ではないけれど)、それは結果的に密室ならざるを得なかっただけであまり意味はないとあとからわかる。

 そもそも謎解きの中心人物であるベイジル・ウィリングはさらに後にならなければ登場しない。そうしてダンバーが実はウィリングによる密命を帯びてやってきたことや、事件の背景にある第二次大戦収束後まもない時代特有の状況が登場してくるにいたって物語りは急加速。あれよあれよと結末になだれこんでしまって残すは 20 ページあまりという終盤。この時点ではまだ謎はまるっきりあきらかにされていない。

 もちろん最後の 20 ページあまりのウィリングの謎解きを見ていると、確かにと思う伏線がいたるところに張り巡らされていたことに気づくわけだ。終戦から長い年月を経てしまった今となっては、ややその時代の空気を感じることは難しいものがあるものの、なかなか見事なつくりだったのだなと思う。事実面白かったし、やられた感もある。

 ただ、やはり最後の謎解き部分があまりに簡単すぎて、すべてはお見通しだったのだよ的なものになってしまったのは、そこまでの言ってみればのらりくらりが長すぎたからともいえるかもしれない。もう少し早い時点でそうした展開がはいってくれば読者も事情がわかって読めるわけで、いっそうやきもきする展開となったかもしれない。そのくらい、最後があっけない。

 けれどもマクロイお得意の幻想的な雰囲気を漂わせた舞台設定は十分に機能しているので、いつしか物語にのめりこんでしまうのも事実。その意味では十分に面白いし、堪能できる。ことによれば殺人事件などはないままに終わるのかもしれないという淡い期待のようなものは、残念ながら果たせなかったけれど。

 血なまぐさいミステリはちょっと遠慮したいけれど、ミステリアスな方面であればという読者向きにはまずまずおすすめではないかと。

#個人的にはダンバーのその後がむしろ気になるのだった。

4488168094逃げる幻 (創元推理文庫)
ヘレン・マクロイ 駒月 雅子
東京創元社 2014-08-21

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浜村渚の計算ノート 4さつめ 方程式は歌声に乗って

 じっくりと読もうと思いつつ、気がつけば読み終えてしまっていた。面白かったということでもあり、するする読める本ということでもあり。

 今回の数学的ネタは割りとやさしい感じのものだったような印象が。はじめの確立の話などは知っている人は知っているという感じのものなので、そうなのかと思った(理解ではないかもしれない)人は多いのかも。いや、そもそもこのシリーズを読むのは数学好きな人のほうがやはり多いような気がするので、案外「当然」と思って読み進めている人のほうが多いのかもしれないけれど。

 折り紙の話はやや無茶苦茶な感じがしてしまうけれど、キューティーオイラーがでてくるので許します。病院の話は最後の四つ目の話に続く布石といったところなのでやや安易な感じも。

 最後のミュージカルってどうするのかと思ったら、いわば笑い茸的なもので歌いだすという。まあ、それは理由付けとしては面白いです。で、最後の展開からするとなんだかろくに見せ場もないままにかの人が死んでしまって世代交代するとか。うーむ、その通りであるならばちょっと安易な感じが。

 余談としては、この手の物語の場合、季節を進めすぎると先々つらくなることもあるのでいったいどうなるのだろうと不安やら楽しみやらだったりします。つまり大人は状況変化はないのだけれど、中学二年生である渚は三年生になり、そして高校生になりということになってしまって、だんだんと話の展開そのものを修正しなくてはならないようなことにもなりかねないので(サザエさんやちびまるこちゃんが永遠に歳をとらない理論が使えないので)。

 すでに秋に突入しての続く 5 巻。さてどうなるのかが楽しみ。

 あー、「数学パズル」とかまた読みたい。

4062774917浜村渚の計算ノート 4さつめ 方程式は歌声に乗って (講談社文庫)
青柳 碧人
講談社 2013-04-12

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浜村渚の計算ノート 3 と 1/2 さつめ ふえるま島の最終定理

 5 冊目がでた、というところでようやくにして 3 と 1/2 さつめを読む。きむらさんが 1/2 さつめにというのには理由があるといったことを書かれていたのはもういつのことやら。とにもかくにもこれまでの短編集から変わっての長編。一冊まるまるふえるま島のおはなし。

 なにやら瀬戸内の小島で黒い三角定規がやろうとしているとかの情報を受けて出向くという趣旨で、ところがどうやら別の島に変な刑事に連れて行かれてしまって、その変なホテルでおきた奇妙な事件に関わることになるということで。

 フェルマーというかフランスの数学者そろいぶみという感じで展開する物語は閉鎖空間でのある種の密室事件。まあなかなかおもしろい具合にまとめてくれてます。ヒントは確かにあるし。ただなんとなくイメージが十分わかずに読んでしまったので、あまり格別の思いもなく「そうなんだ」というくらいで読んでしまったのですが。

 フェルマーだからといって最終定理(大定理)が直接絡んでくるといったとんでもない展開はさすがにないわけで、事件そのものの解決はやや数学とは無縁といってもよいのでは。島の謎という意味においては数学的なところが使われているのだけれど、まあそういわれればそう判断できなくはないけれど、そういう謎解きをしろといわれてもなかなか容易ではないのではないか、などとも思ってしまったり。

 なぜそれが使われるのかという必然性があまり実感できないと、とってつけた感がしてしまうのはあって。いや、ぼんやり読んでいたのもあるので、あまりどうこうは言えないのもある。

 いずれにしても、まあ長く楽しめたのは確かで、渚の子供からちょっとだけ少女になりかかった感じとかも面白かったけれど、どちらかというとオイラーさんのほうにひかれるものがあったりとも。ぜひとも今後も活躍させていただきたく。

4062773015浜村渚の計算ノート 3と1/2さつめ ふえるま島の最終定理 (講談社文庫)
青柳 碧人
講談社 2012-07-13

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 作者がすすめているのがこれ。証明そのものよりもドキュメンタリーらしい。

4102159711フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
サイモン シン 青木 薫
新潮社 2006-05-30

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 当時買ったのはこれ。でも、ちんぷんかんぷん。(再読に挑戦してみるか!)

4062570742フェルマーの大定理が解けた!―オイラーからワイルズの証明まで (ブルーバックス)
足立 恒雄
講談社 1995-06-15

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翳深き谷 上・下


4488218180翳深き谷<上> (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江
東京創元社 2013-12-21

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 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 今作はこれまでのシリーズよりも、ずっとハードなものを含んでいて、それは国家・政治の事件でもあり、多種の宗教に関わる事件でもある。宗教に関していえば同じキリスト教内であっても、それぞれの思惑が如実にあらわになって、いつにもました論争を巻き起こしているという点で、これまで以上にハードな内容といっていい。

 加えて完全無欠ともいえるフィデルマにとって今作ほど苦難の事態というものもなかったかもしれない。冒頭で残忍な惨殺事件が描かれ、三十三体もの”奇妙な”遺体と直面することになる。そこにはなんらかの宗教的な、儀式的な意味合いが見て取られ、あとから思えばそれが物語りのすべてを決定づけていたともいえる。

 今回、フィデルマは国王である兄の勅命を受けて、とある辺境の国へキリスト教の学校などをつくるための実務的な折衝に赴いたはずだった。しかるに、先の惨殺事件に遭遇しながらも、道を急がねばならないためもあって、十分な調べをできぬままかの地に到着。事情を話したものの、調べはこちらで行うので折衝のための会議に集中してもらいたいという意向を受け、さらなる調査に臨むこともできない。

 一方でその折衝の会議は無意味な宗教論争の場とされてしまい、話が違うと憤ってみせるフィデルマ。実務的な話をしにきたのにそれができない状況であるならば、このまま帰途につくといって出て行くフィデルマに困惑するエイダルフ。「外交術というゲームよ、エイダルフ」と、フィデルマは笑ってみせる。

 予期通りの謝罪を受けて引き返すフィデルマ。しかしながら今作最大の危機はその後に起きる。フィデルマが殺人の咎で牢に入れられてしまい、自らの弁護をするための調べすらできない状況に追い込まれてしまう。その窮地をなんとか救い出すエイダルフの勇猛さはシリーズでも見たことのないほどのすばらしさ。ある意味、今作、中盤一番の見せ場だ。

 その後立て続けに起こる殺人、フィデルマとエイダルフの危機。国王コルグーが出立前にフィデルマに贈った言葉は最後まで物語の肝となっていく。「気をつけよ、いつ、誰に語るかを」。フィデルマの言葉によって彼女は自らを窮地にもおとす。

 最終的にフィデルマによって明らかにされるすべての事件の真相は、壮大な陰謀を含むもので、時代のうねりを感じさせ、シリーズの今後への暗雲をも想起させる。およそ 100 ページにもなろうとする謎解きの件は圧巻ともいえる。

 ただ、謎解きについては犯人の自白を誘導するというところによっている部分が多く、実のところこれまでほど納得感があるとはいえないかもしれない。閉ざされたごく小さな地域を舞台としていることにもよるのだろうが、今作に関してはこれはこれで仕方ないところかもしれない。また、近代的な科学捜査、科学的な証拠など求めようもない時代であることを思えば、それもまた致し方ないというのは、このシリーズ全般のある意味約束事ともいえる。

 とはいえ、この壮大な陰謀が解きほぐされていく過程はなんとも見事で、壮観だ。朗々としたフィデルマの語りを存分に楽しめるのは、このシリーズの最大の楽しみでもある。そして、それはある意味難解でありながら、それでいてすっと理解を促しつつ、物語世界を見事に描きなおしてくださっている翻訳の妙であるということも、感謝したいところ。もはや、甲斐さんの翻訳なくして、フィデルマシリーズはありえない、と言ってもよいのでは。

 恐らくは一年後、次の作品に出会えるのが楽しみだ。

「確かに、真実はあらゆるものに打ち勝つであろうな。しかし、その真実を、いつ、誰に語るべきかを、心得ていることが肝要だ。お前はラテン語の格言が好きなようだから、私も一つ、ラテン語の格言で、忠告しようか。”カヴェ・クィッド・ディキス、クアンド・エト・クイ(気をつけよ、いつ、誰に語るかを)”」コルグーもまた、最後をラテン語の格言で結んだ。 (上p.51)


「・・・ もし、この光景が、我々に見せようがための設定であるとしたら、あからさますぎはしませんか? ”輝くランターンの光には、暗い影が伴っている” ということを、忘れてはなりますまい」
「どういう意味ですか?」
「私の恩師であるブレホンの、”タラのモラン”師がおっしゃった格言です。あまりにもはっきりしている事態は、時には幻影であって、真実はその背後に隠れているのかもしれませんよ」
(上p.74-75)


「そうではあっても、論理は、しばしば真実を変容させて、私どもを誤らせますよ。論理によって、心の創造性に溢れる一面が、つまり我々の思考力が、ひどく損なわれてしまうことも、よくあります。そうなると、私どもは、真っ直ぐな一本道を走りだしてしまいます。そして、傍らの森の空き地の木陰にひっそりと佇む真実を、見逃してしまうことになりかねませんわ。論理のみですと、私どもの心の視野は、狭まってしまいますよ」
(下p.32)


「私たちは、信仰こそ異にしておりますが、道徳は、しばしば宗教的な相違を超越します
 このことは、古代の法律を学ぶ者に、是非教えねばならない大事です。宗教的な不寛容は、擬物(まがいもの)の外見によって作り上げられてしまいます。自然のいかなる大災害も、異なる信仰、信条を持つ同胞に対する不寛容ほど、人間の命を犠牲にはしません」
(下p.328-329)


 以下は校正もれと思われる箇所。

「”デウス・ミゼラートゥール・・・(神、われらをあはれみ・・・)”と彼は、
(上p.61)
s/”と彼は、/”と彼は、/


彼があまりに情けなさそうな顔をしているもので、フィデルマの頬に、思わす微笑が浮かびそうになった。(下p.76)
s/思わす/思わ/


「そして、それに乗って、もう一頭の馬も引いて、出てちゃったわ。まるで ”フォーモーリ族のゴル” の猟犬たちに追っかけられてるみたいに。
(下p.162)
s/出てちゃったわ/出てちゃったわ/
s/出てちゃったわ/出ていっちゃったわ/


「遺体は、アートガルの農場です。アートガルは、姿を消しています。でも、アートガルに賄賂として乳牛を贈ったのは、”ムィルヘヴネのイボール” はなく、ディアナッハ修道士でしたわ。
(下p.164)
s/イボール” はなく、/イボール” はなく、/


翳深き谷<上>

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4488106331樽【新訳版】 (創元推理文庫)
F・W・クロフツ 霜島 義明
東京創元社 2013-11-20

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 昔から創元推理文庫の棚をにぎわしてきた分厚い本の一冊「樽」。「月長石」であるとか、はたまた「賢者の石」であるとか、そうした分厚いなんとなく手に取るのが控えられるようなそんな威容を放つ一冊だったので、その名前だけはよく記憶している。ただ、それだけにというわけではないのだがこれまでずっと未読のままだった。それでいて一度読んではみたいと思ってもいたのだった。

 折りよく新訳の発刊。幸いにしてこうして読むことがかなった。恐らく以前の翻訳はさすがに古めかしいものであったろうから、現代においては格段に読みやすくなったのではないかと比較などできないままにもそう思える翻訳で、当初の予想よりもずっと早く一週間あまりで十分に読み終えることができたのだった。比較的のんびりと読んでいるわたしでも。

 解説によると展開が遅いという評判があるようだけれど、さほどそういう印象はなかった。実に丁寧に描写しているということが、あるいはそういう印象を生むのかもしれない。全体を通していえるのは、さながら二時間あまりの映画でも見ているかのような流れとでもいおうか。事件の発端となるロンドン。そこから捜査が進むパリ。そしてふたたび事件が展開するロンドン。そして、事件の真相があらわになってくるパリ。さながら物語のキーである「樽」の移動を思わせるようなその展開はなかなかに面白い。

 物語のキーとなるのは遺体がつめられて移動した「樽」の履歴であり、その樽に翻弄されていく幾人かの人々の物語であり、樽こそが物語を語っているという側面は否めない。もっとも、それだけに樽の動きそのものが重要な位置をしめるために、このあたりがトリックの主眼のひとつともなっていて、展開の分かりにくさを生んでいるともいえそうだ。

 ただ、面白く読んだものの、いまひとつしっくりとしない読後感を持ったのもまた事実。それが何なのかなかなかうまく説明できない。それは恐らくいくつかの断片的なイメージを伝えることであるいは理解してもらえるかもしれない。

 第一にクロフツデビュー作ということで、恐れずにいえばこれはミステリではない。確かに謎解きの物語ではあるのだが、慣れ親しんだ読者が状況を推理して謎を一緒に解明していくたぐいのそれではないという意味においてだ。言ってみれば突如事件解明に向けて事態が進展し、捜査が進み、証拠がでてきという具合に展開し、そうとなってしまえばこの人物が犯人でしかありえないではないかという展開になる。

 読者はまったくなにもわからないままに物語を見せられていく。とでも言うような感覚。

 第二に、巧みではあるのだがそれがゆえにやや暴走気味な文章。妙に読者を気にして「ではここからは誰々の行動を読者と一緒に追う事にしよう」などといった文言がでてきたり、捜査にあたり警官らが無用になれなれしい言動で聞き込みをしたり、誰かの振りをして聞きだそうとしてみたりといった芝居がかった場面があまりにも多いというところも、どうもしっくりしないのだった。

 それはつまり警察署内などでの言動とのギャップが大きすぎるということでもあり、しかもそういうキャラクター造詣はありうると理解はしても、あまりに皆が皆という展開で、さらにはそれが極端であったりすることからどうも違和感が拭えないのだった。

 第三に、この物語には主人公がいない。そういうといかにも奇異に聞こえるかもしれないが、そうとでも言わなくてはならないような書かれ方がされている。冒頭、埠頭で樽をめぐるあれこれでは海運会社の担当者であるとか、事件の当事者となるフェリクスであるとか、さっそくに捜査に登場する警部であるとかがいりみだれ、最終的には警部あたりだろうかという感じにはなる。が、はっきり主人公といえる人物はいない。

 捜査のためにパリを訪れる警部。パリの警視と同行する刑事との捜査が中盤の長くをしめる。ここではこのふたりあたりが主人公という感じで描かれる。というよりもこのふたりが捜査していくことがすべてだ。

 そして、戻ってロンドン。捜査は一通り終わってフェリクスの犯行に違いないという結論から逮捕され、今度はその弁護にあたるために友人が弁護士を雇う。その弁護士があれこれ調べを進めるのがここ。描かれるのはこの弁護士を主軸にしたものだ。

 さらに、なかなか弁護のための決め手に欠くため私立探偵に調査を依頼し、部隊はふたたびパリに。これが最後の部分だがこの探偵が主人公となって調査をすすめ真犯人へとたどりつくまでが描かれる。

 普通ならばたとえばロンドンの警部が最後まで事件にかかわるような形で描かれて、結末を迎えるといったことになるかと思うのだが、そうではない。最後は探偵によって事件は解決する。しかもパリ警察が探偵に謝罪するなどというおまけまでついていたりする(理由があるにはあるが)。

 これという明確な主人公、物語をひっぱる役目の人物というのが存在しないがゆえに、どうも物語全体が散漫とした印象になってしまうのだった。

 第四に、アリバイ工作に関しても、確かにそういうものとして描かれてはいるのだが、さすがにそこまで簡単にそれが行えるものだろうかと思ってしまう。出来すぎなのだ。文書の偽造はプロなみなのだが、犯人はべつに前科者というわけでもない普通の市民だ。偽装工作にしても一介の人間がそこまで都合よく、上手にことを運べるものなのか、そこまで考えられるだろうか(計画的な殺人ではないがゆえ)と、あまりの都合のよさにいくら小説とはいえいささか飲み込みにくいものを感じてしまうのだった。

 と、いくつかケチをつけるような形になったが、ではつまらなかったのかというとそうではない。十分に物語の展開を堪能したのもまた事実だ。そうした気になる部分があるのは事実だが、一編の映画を見ているかのような時間を過ごせる面白さを持っているのもまた事実だ。これでもかというくらいに畳み掛けてくる状況は一級のサスペンスとして十分。そう、ミステリではなくサスペンスなのだろう。

 言ってみれば謎解きは付けたしでしかなく、ハラハラどきどきする展開を楽しむ。それが「樽」の本質的な楽しみなのではないかと。

 解説になぞらえるわけではないが、冬の夜、樽(カスク)由来かどうかはともかくとして、体を温める飲み物(スピリッツ)など手直においてじっくりとその物語の世界を堪能する。案外、それがもっとも正しい「樽」の楽しみ方なのかもしれない。


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