「セーラー服の誕生」

新聞の書評欄で見てメモしておいた本。日本にセーラー服がはいってきたのは、いつ、どのような経緯で、そしてそれはどのようにして広がったのかを調べた本。

著者冒頭のことばによれば、これまで類似の本では十分な調査が行われないままに特定の学校が発祥であると記載されていて、それはまことにけしからんと。まあ、このあたりの件は、それら著者を名指しして結構けんか腰で文句を言っているので、さすがにそれはどうなのかと思ったりはする。

著者は全国にあった大正から昭和初期の女子学校 900 あまりを調査したうえで、結論をだしている。その姿勢には頭が下がるし、なかなかできることではない。

さて、結論的には、大正初期ころまではいまだ着物に袴というスタイルが高女の服装として一般的だったらしい。「赤毛のアン」翻訳で著名な村岡花子を題材とした NHK の朝ドラ「花子とアン」でも学校へ通うはなたちの姿は着物に袴だった。

大正の時代ころから服装改善運動というものが起こり、女子生徒の制服というか学校での服装として着物が本当によいのか、洋服を採用すべきではないのか、といった議論が起きたらしい。

日本全体でどこがはじめというのは決めかねるところはあるようで、全国的活動の早かったところ、あるいは、外国人校長を擁するところなど海外での制服事情に通じたところがまずは導入し、それが広まったというところのようだ。

とはいえ、一気にということではなく、それぞれの地域特性もあってその伝播の仕方はそれぞれに趣きがあるようだ。

ただ、セーラー服になった理由としては、

  • 洋服へのあこがれのようなもの
  • 着物や制服を指定しない場合、家計の裕福な者が次第に華美になっていくことを避けたいこと
  • 安あがりであること
  • 生徒自身の手によって(比較的)縫製がたやすいこと
  • (追記):運動時に着物では不便。

などがあったらしい。

当初セーラー服の導入に否定的であったりしても、実際に着ている姿を目にするとなんとも華やかであこがれる気持ちは強かったようだ。

また、ほかの制服が指定されたところでは、さながらそれがバスガイドの制服のようで、修学旅行先で間違われたり、揶揄されたりしてとても悲しい思いをしたといった証言も多数あったようだ。

セーラー服であれば、そういうこともなく、清楚、簡素でありながら華やかな印象もあったようだ。

また、当初は全生徒が学校備え付けのミシンを共用して手作りしていたが、これは洋裁の勉強にもなり、やがては最上級生が新入生のセーラー服を縫製し、それを入学時に手渡す儀式もあったとか。百合物語にありがちなお姉さまと妹といった関係のはじまりのようなものが、ここにあった。

費用としては、ブレザータイプでは高すぎるし、素人が縫製することはほぼ不可能。セーラー服であれば冬服は別として夏服はシンプルな一枚布なので縫製も簡単。購入する費用の半額以下で手作りできたという。

今もセーラー服のプリーツスカートは悩みの種らしく、アイロンがけが大変らしいが、当時も敷布団の下に広げて寝押ししては学校へ行ったという思い出がいくつもでてくる。襞の数も今に通じるものがすでに決まっていたようだ。

スカートの長さについてはひざ丈くらいに規定されていたが、当時の流行はより長くすることだったという。今はより短くすることが流行というか好まれるようで、その違いも面白い。

そして、そのころから服装規定による服装検査が行われるようになっている。ふいうちで検査して長さを計る、着こなしを確認するといったこと。校則のはじまりといってもよいのかもしれない。

セーラー服の型については、なかなか定まらない。現在も地域による特色が残っているが、当時からということでは必ずしもないようだ。このあたりの系統だった分析はあまりなされていない。

さて、本書全般について。

著者はやや攻撃的な書き方があってそこはあまりよろしくない。冒頭の同業他社への悪口雑言はいささか短慮にすぎる。たしかに著者は膨大な数の資料にあたっているが、個々について考察を述べる段で、はっきりしないことを断定てきに書いている場面も多々ある。少々思い込みがすぎるのではないかという印象はぬぐえない。

また、文章で解説されるだけの各校のセーラー服。ときおり写真がはいるのだが、いつのころのどこのものなのか判然としないものも多く、写真については場合によって掲載の許可を得られないということはあろうが、であればカバーにイラストを用いたようにイラストで比較できるようになっていたら、なるほどそれぞれの学校のもののここが違うのかと一目でわかりよりよかったのだが、とは思う。

著者が所持しているという多くのセーラー服の実物写真が口絵にあるのだが、これもおそらくは著者自身の撮影なのか詳細が判然としない撮影なのでいまひとつわかりにくい。こういうものはやはりプロに頼むべきだったのでは。あるいは、これがプロの手によるものだったのなら、なおのこともう少しなんとかするべきだったのではとは。

都道府県ごとの解説は、実のところ大筋ではどこも同じようなことしか書かれておらず、あまりに退屈してしまったので半分ほどとばしてしまった。どこを開いてもほぼおなじエピソードの羅列なのだ。広がっていく過程や、それぞれの地域による事情そのものはなかなか興味深くはあるのだけれど。そのあたりもう少し編集が欲しかったようにも思う。

とはいえ、これだけ膨大な学校にあたって訝しく思われながらも地道に調査を行った実績はみごとなもので、ひとつの歴史的資料としては十分価値があるとはいえる。ただ、その考察にはさらに多くの人の手や目がはいるほうがよりよいものになるかもしれない、とも思う。

 

 

セーラー服の誕生: 女子校制服の近代史

 

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「アニメと声優のメディア史」

新聞の書評で見たのはおそらく一月のこと。気になったのでリストに追加しておいたものをようやく購入して読んだ。

が、正直なところ期待したほどのものではなかった。青弓社ということもあってカバーそのものが帯の役割もなしているのだが、惹句にいわく「なぜ女性が少年を演じるのか」と。

もちろん、言われなくても成人男性の一般的な低い声であったり声質であったりでは、変声期前の男子の声をあてるにはやや不向きだということは誰にでもわかる。その程度ではないなにかを調べたり考察しているのであれば、それはそれで面白そうだと。

結論からいえば、おおむねそういう理由でしかない。いや、加えて言うならば、これもまた当たり前の理由ではあるのだが、いろいろの法令による制約。つまり、子どもを遅い時間帯に働かせることができなくなったという GHQ 以降の日本の法的な事情。

子供を採用した場合、特に年齢的に変声期にかかるようであると、作品の途中で声が変わってしまって都合が悪いであるとかもあった。また、演技という点においても大人顔負けの子役というのももちろんあるけれど、すべての子役がそうであるとはなかなかいえない。

そこで若い女性が少年を演じれば、声の質もさほど抵抗がなく、声変わりする心配もなく、法的にも問題ない(というと深夜だろうが、過重労働だろうが関係ないと考えてしまいそうではある)。

結論としては、そうういことでしかなかった。

その後は、以降のアニメ作品における女性声優の役割などについて考察しているのだが、どうにもしっくりこない。さらに、ダメなのは各種資料にあたっているのだが、なぜか当事者・関係者に直接あたることはあまりない。近年の女性声優に直接話を聞いたものは少しあるが、ほかはほぼない。本、もしくは実際の作品を自分が見て”感じた”ことを証拠にしているだけだ。

以降、政岡憲三が演出した『くもとちゅうりっぷ』(一九四三年)、海軍プロパガンダ作品で瀬尾光世が演出した『桃太郎 海の神兵』(一九四五年)でセルを用いたフル・アニメーションを実践し、日本でのアニメーション映画制作を牽引した。興味深いことに、声優の配役もディズニーの長篇劇映画と同じく、キャラクターと声優との年齢と性別を一致させたものだった。『くもとちゅうりっぷ』では、幼い少女の姿をしたてんとう虫を少女童謡歌手の杉山美子が演じ、『桃太郎 海の神兵』の桃太郎役は、クレジットに記載はないものの、声の調子から少年子役が演じたと推測できる。(p.92)

 

一方、東映動画では、すでに述べたとおり連続テレビシリーズであっても子役が少年主人公を演じた。したがって、収録スタジオを備えていたことが、午後八時以降の就労が不可能になり、また学業との兼ね合いをも考慮すべき子役のマネジメントを円滑におこなうには有利だったと推測できる。(p.102)

 

なぜ直接取材しなかったのだろう? 前者であれば自分で DVD なりを見てその声の感じからこうだと決めている。後者もあくまでも推論だ。なぜ、きちんと裏をとろうとしないのだろう。こうしたことが積み重なって、以降の論に共感できなくなっていく。

直接関係者がすでに亡くなっていることがあったとしても、東映動画なりであれば、会社に取材することはいくらでもできるはずではないのか。関係資料がきちんと残っていれば、それこそきちんとした裏がとれるわけで、考察にもより意味が増す。

なにより、こうした論考をする者にとって、それこそが基本的な仕事ではないのかと。そこをないがしろにして論を進められたところで、ネットでわが物顔で自説を声高に叫んでいる残念な輩と大差なくなってしまうのではなかろうか。

その後、無理矢理に女性声優が演じるということでジェンダーやら、百合やら BL やらへと話を進めているのだけれど、結局なんだか空疎なものにしか感じられなかった。参考文献の異様なくらいの多さだけが目に付くばかりで。

そもそも論として GHQ の時代にさかのぼって証拠固めをしたことはよかったけれど、そこまでなのでブログ記事でもよかったのではないかとは。

アニメと声優のメディア史

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「これからのヴァギナの話をしよう」

たしか年末年始頃の新聞、読書欄でおすすめみたいなのを載せていた中にあった。いささか直接的なタイトルなのでそれだけでなんとなく敬遠してしまいそうなところはある。

たぶんそれは性別や年齢に関係なく「性」に関することというのはなんとなくそういう気分になってしまう。が、それこそが問題の本質を隠しているのだというのが本書といってもいい。

著者は身体上の性別として女性であり、精神的なそれもまた女性であり、自身子供のころから特段の性教育というものを受けていなかったなと記している。初潮を迎えたころからの経験などをまじえつつ、女性というものがおかれてきた立場であったり位置であったり、それをとりまく社会であったりを一方的な視点だけで語るのではなく、多角的にとらえるように常に配慮して書かれている。

男であろうと女であろうときちんと「性」について学んだり、考えたり、それを誰かと話したりということは、考えてみると実に少ない。というかほぼない。誰にでも基本的にかかわることであるにもかかわらず、実はよく知らないしなんとなくですませている。なんとなく話すこと、知ることがいけないことのような意識が誰の根底にもある。

けれど、それでは社会にはびこる多くの問題はいつまでも解決されないままだと。ヴァギナを持つ女性は一生の間の多大な時間を生理とともにすごさなくてはならない。その状況は人によってもさまざまであるし、時によってもさまざまで本当に一様でないことをいろいろな資料をもとにまずは描き出す。

それは、男にとってはじめて知ることだけではなく、女にとっても同じことなのだと。誰かとそれについて話すこと、比べることなどまずないので知りようもない。今のようにインターネットが広く普及したからといってそこから得られる情報が、本当の意味で正しいとは言えないし、それはごく一部の偏った情報でしかないかもしれない。けれど、なんとなくそうした情報でわかったようなつもりになってしまい、そうでない自分を恥ずかしく思ってしまったりする。

それは間違いだと。まずはきちんと知らなくてはいけない。それは、性別やヴァギナの有無とは無関係にすべての人において大切なことなのだと。

もちろん、そんなことを知らなくても、話などしなくてもヒトは、何千年という年月を引き継いできたのだから、問題ないのだという考え方もあるかもしれない。けれど、その陰でつらい思いをしなくてはならない人が多数いる、負わなくてもいい念におしつぶされる人がいる。あきらめて我慢している人がいる。けれど、本当にそれでよいのだろうかと。

繁殖は必要なこと。だからセックスは我慢することでよい、というのは違う。それこそ、どこぞの議員が言った「女は産む機械」という間違った優劣思想だ。

いまだまっとうな性教育が実現できない社会にあって、ともかくもこの書くらいはすべての人が読んでかみ砕きわが物とする必要があるのではないか。子供も大人も老人も若者も、もちろん性差も関係なく。

さすがに小学生にはもう少し違ったテキストが必要かもしれないが、高校生くらいであれば文句なく本書を必修テキストとして授業してよいのではないかと思う。男も女も。

著者のよいところは、自身の体験も赤裸々に語っているところ。そして、一方的な思い込みによる誘導ではなく、どちらがよりよいだろうかとたえず考え続けている視点。

なにより、遅れていると思っていた日本と世界のレベルが、そう違わないという認識を得るのは、大いに驚きだ。

まずは、ここからはじめたい。

これからのヴァギナの話をしよう

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メモ:「小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃」

4622079453小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃
宮田 昇
みすず書房 2016-04-26

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 みすず書房創業者の評伝。

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「饗宴」

 せっかく付与されたポイントを使えるところがあるだろうかと見ていたら目に止まったので。少し前に「100 分で名著」でも取り上げていたというのも記憶にあったのはある。

 が、読んでいるとひたすらにエロスの神を賛美する演説を繰り広げるだけという内容ではあるのだった。それぞれに異なった視点で朗々と語るあたりはなかなか面白いし、そのかけあいの感じも楽しいのだけれど、なんとなくこれだけだったっけか? と思ってしまうのは「100 分で名著」のある意味悪い影響なのかもしれない。

 とはいえではではとソクラテスが満を持して登場してそれまでのすべてを飲み込みつつ語り始める段はなかなかに見事ではあって、そのあたりへとなだれこむ展開がその昔に書かれたのかと思うと、それはそれでちょっとした感慨ではある。

 さらには番組では触れていたかどうか定かではないのだけれど、最後の段になるととうとうそれはソクラテスに対する同性愛の告白のような様相になってきて、これはこれはどうなのだ、昨今の BL の走りなのか、などと思ってしまうくらい。

 などと思っていると唐突に物語りは終わってしまう。そのくらい後半の勢いというか迫力というかはちょっとすごいものがある。

 ただ、本書に関していえば、この本文が全体の 3 分の 2 くらいで、まだまだページは残っている。そこに解説があるのだが、時代の解説であったり、作品の解説であったりが丁寧に書かれていて、実のところこの解説のほうが本文よりもよほど面白かったというのはある。それだけでも十分に価値があるなあと。

 本文を読み終えたときにはさほど感慨は強くなかったのだけれど、解説を読み始めてにわかにその思いを強くしたというのはまごうことなき事実ではあるのだった。そういう意味ではおすすめ。

B00AQRYP58饗宴
プラトン 戸塚七郎
グーテンベルク21 2012-12-19

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「デンマルク国の話」

  [ 図書カード:デンマルク国の話 ]


 「後世への最大遺物」に続いて「デンマルク国の話」も読んでみた。こちらも短め。内容といえばつまり、小国で人口も少ないというデンマークなのに世界に名だたるくらいのレベルで非常に稼いでいる国であると。それはなぜか? なにが特徴なのか。といったあたりを得々と説いている。というもの。

 ゆえに、日本だってもっとできることがあるだろうとか、そういうことこそ目指すべきなのではないか、みたいな話。だったと思う。

 なぜ、思うなのかというと、古い文章なのでなんとなく残りにくくて読んだのに残るものが案外少なかったので。うーむ。

 まあ、国の特徴を生かしたことをしなければ意味がないよ、というのは時代を問わないのだろうなとは思う。それはきっと国家だけでなく、人個人ということでもそうなのかもしれない。

 千葉敦子は言った。人生においてなにかをなしえなかったからといって嘆くことはない。そもそもほとんどの人はこれというほどのことはなしえないものなのだ。自分ができることをするくらいしかないのだと。だから、あまりそのことを悲嘆することはないのだと。

 そして、それを言い訳にしてなにもしようとしないことこそ嘆くべきなのであるといったようなことをどこかに書いていたなと思い出す。「デンマルク国の話」とはあまり関係ないことだったな。次はちゃんと「代表的日本人」を読みたいけれど、これは買ってくるしかなさそうだな。

4003311949後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)
内村 鑑三
岩波書店 2011-09-17

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「後世への最大遺物」

 先月の「100 分で名著」でだったかの内村鑑三に触発されて青空文庫で読んでみた。もっとも、番組で直接にとりあげた「代表的日本人」は作業中とのことなので部分的にでてきた「後世への最大遺物」で。

 で、どうやら二回にわたって行われた講演録ということらしく案外短いものだった。ポイントはそう多くなく、すべての人がなにかを残せるが、だからといってなにか大きなことを成し遂げられるわけではないのも確かであると。

 では、そうした人々、最終的には本当に普通の市井の人々が残せるものというのはなんだろうか? というあたりに話は行き着く。まあ、それは確かにそうかもしれないが、そこまで自信をもてる人というのも、やはりまた少ないのかもしれないなと、自分のこととして考えてもそう思う。

 ということで引用メモで記録しておく。

それでわれわれの今日の実際問題は社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうとも、それを煎じつめてみれば、やはり金銭問題です。ここにいたって誰が金が不要だなぞというものがありますか。
後世への最大遺物のなかで、まず第一に大切のものは何であるかというに、私は金だというて、その金の必要を述べた。しかしながら何人も金を溜める力を持っておらない。私はこれはやはり一つの Genius(天才)ではないかと思います。
金を遺物としようと思う人には、金を溜める力とまたその金を使う力とがなくてはならぬ。この二つの考えのない人、この二つの考えについて十分に決心しない人が、金を溜めるということは、はなはだ危険のことだと思います。
なるほど『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ。しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女らしき意気地なしになした。あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい。
私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。
彼女は何というたかというに、彼女の女生徒にこういうた。

 「他の人の行くことを嫌うところへ行け。他の人の嫌がることをなせ」
 これがマウント・ホリヨーク・セミナリーの立った土台石であります。

4003311949後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)
内村 鑑三
岩波書店 2011-09-17

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4003311930代表的日本人 (岩波文庫)
内村 鑑三 鈴木 範久
岩波書店 1995-07-17

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「空と無我」

 おそらくは昔購入したさいには最後まで読みきれていなかったと思われるのもあって再読してみた。途中赤線をひいたところもあっておよそ三分の二くらいは読んでいたかと思うものの、最後のあたりは未読だったかもしれないとあらためて思った。

 定方さんというと前著「須弥山と極楽」で仏教の世界観というか宇宙観というものをわかりやすく解説されていたのだけれど、今度は言語観についてだ。般若心経など知っていればなんどとなく登場する「空(くう)」あたりなら、多少はなんとなくわかりつつある気もするが、「無我」となるとさて? というところ。

 さらには「行くものは行かず」とかでてくると、禅問答かと思うような展開となる。それでも、さまざまな経典であったり、いろいろのエピソードなどをもってきてできるだけわかりやすくといてくれるので、何度か読み直せばあるいはもう少し理解は深まるかもしれない。ただ、おそらく一度読んだ程度では理解にいたるのはやや難しい。

 ごく簡単な論としては、「行くものは行く」とすると、「行くもの」ですでにして行くという行為が含まれるので、さらにそれが「行く」という行為をするのはおかしいというようなこと。わかるようなわからないような。「行くもの」という事象がさらに「行く」というようなことはないということか。

ナーガールジュナは「行くものは行かず」ということを主張しようとしたのではない。かれはひとがいう「行くものは行く」を否定しようとしただけである。(P.113)

 を見れば、少し理解は深まるか?

なるほど、「無我」という訳語も完全ではなく、しばしばひとを誤解にみちびく。「無我」は「自我がある」という考えを否定するものであるのに、「自我はない」を主張するものであるとひとに思わせてしまうからである。(P.27)

 無我ともかかわるかというところで最後のほうでは「我慢」の話がすこしでてきたりする。「我慢」はもともと仏教用語で「自慢する」ということをさしていて、そのようなことはよくないことだという悪い意味、いましめるような意味として使われていた。なるほど、「我、慢する」と読めばおごりたかぶった自分を見るようで恥ずかしいことばでありながら、いまではなにかをじっと耐えるといったよい行いであるという意味に使われるようになってしまった。

 ことばは変化していくものではあるけれど、それは仏教の言葉であってもまた同じということなのか。はたまた、それが一般的な日常的なところにおりてきたことばとなったから、そうして変化を生じたということなのかもしれない。

 まだまだ、理解したというにはおぼつかないので、また時期を見て再読しなくてはだめかなと思うけれど、なかなか思索的な読書にはなった。

 最後に少し長いけれど引用しておしまいに。

ある宗教団体の信者がわたしにいった。「丘の上に立派な家があるとします。あなたはこれをつくった人がどこかにいるにちがいないと思いませんか」。わたしは「思います」といった。かれはいった。「わたしたちが住むこの世界は実に巧妙にできています。あなたはこれをつくった方がどこかにいて、しかも非常に有能な方だと思いませんか」。かれはこの論法で神の存在を証明しようとしたのである。わたしはいった。「わたしは家をみたら家をつくったひとがいると判断します。それは、家はひとによってつくられるところを長年みてきた経験にもとづくのです。しかし、世界がつくられるところをみたことがありません。だから世界があっても、それがだれかによってつくられたのか、自然に存在するのか判断できません」。かれはいった。「こんな素晴らしい世界が自然に存在するはずがありません。これをつくった有能な造り手がいるにちがいないのです」。わたしはいった。「あなたの論理にしたがえば、その有能な造り手が自然に存在するはずがないということになります。この有能な造り手をつくったさらに有能な造り手がいるにちがいありませんね」。かれはいった。「いや、この有能な造り手はそれ自身で存在しうるのです」。わたしはいった。「それなら、なぜ同じことを世界についても考えてみないのですか」。(P.131-132)
4061489976空と無我 仏教の言語観 (講談社現代新書)
定方 晟
講談社 1990-05-15

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メモ:「失敗から学ぶユーザインタフェース」

 プログラマ方面の人ならば一家言ありそうな本であるなと。パラパラ眺めると楽しそうな一冊。

477417064X失敗から学ぶユーザインタフェース 世界はBADUI(バッド・ユーアイ)であふれている
中村 聡史
技術評論社 2015-01-21

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#タイトルにいろいろ罠があったので修正。

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ブッダさんのことば

100分で名著 ブッダ 第3回 在家信者と出家修行者との関係の図


 E テレ「100 分で名著 ブッダ」第3回。ブッダはとあるところでもらった食事で食中毒になってその後死んでしまう。が、死ぬ前にその食事を提供してくれた者のことを案じて話したという。

 その者が出した食事で死んだのだから罰があたると責めるかもしれないが、それは違うと。最後の食事を与えてくれたものにはきっとよいことがある。それによって涅槃にはいることができるわけで、あらゆる苦しみから解放されるのだから。そのきっかけとなった食事に罪があろうかといったようなことを。

 そんなこんなにあわせて上のような図を示して解説。一般の人は功徳にあずかろうと修行している人にお布施をする。修行者は自らを高めようと修行を重ねている。そうした人にお布施をして得たいと思う一般の人の求めるものとは、つまりはお金が儲かることであったりとか、健康であったりとか、そうしたある意味ごく普通の幸せであると。

 一方で修行する人はお布施をもらうことを目的としているわけではなく、自らの求める理想へと近づくためにひたすらに修行を続けている。そうした姿にたいして一般の人がお布施をしたいと思うわけであって、それらが逆転してはいけないのだと。

 修行のための援助としてお布施をするというのも違うし、お布施を得るために修行をするというのでもない。ところが今はたとえば大学などでも設けることが優先してしまって、研究がその後になってしまっている例もあるやに聞く。昨今世間を騒がせている問題もそのあたりがおかしくなっていると。

 お布施する側もそれがどのように使われようとそれ自体は構わないと考えるべきであり、研究者もお布施の有無などに関係なく、自らの目指すところをひたすらに目指すだけでなくてはならない。

 このお布施でこちらに都合のよいようにやってもらえないか? とかいうのも間違いであるし、わたしはこれだけの研究をしているのでお布施をくださいというのも間違いであると。

 昨今の事情から思えば、それも辛いと思わないではないけれど、本来的にはそうあるべきというのは理解できる。なかなか難しい。

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