ビジネスEFTテクニック


たった1分で夢と成功を引き寄せるビジネスEFTテクニック (DO BOOKS)
たった1分で夢と成功を引き寄せるビジネスEFTテクニック (DO BOOKS)武田和久

同文館出版 2009-07-07
売り上げランキング : 658

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starもう少し・・
star関係者のレビューばかり。
star使える確実な方法

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 駄目な自分、弱い自分といったものを変えたい。そのための確実で簡単な方法を書いたという、つまりは自己啓発本。実際、全 192 ページのなかで方法についての基本的な解説は 14 ページ。ポイントとなる実際の方法の手順だけに関していえば 2 ページしかない。あとは、そこへいたるまでの、あるいはそこから派生する説明と、いかにこの方法がすばらしいのかという講釈だ。

 その方法の有効性、信憑性はともかくとして、前段階の手順は一般的な方法としても決して無益ではないので、そこはまずまず評価に値するのではないかと思う。それは、自分が否定的に、あるいは悲観的に感じてしまっている事柄について具体的に書き出して分析してみるという過程。

 それこそ本来の意味での「食わず嫌い」のように、食べたことはないのだが、見た目や匂いなどでなんとなく食べたいと思えない食品や料理があるとするとき、よくよく考えると実際の味は知らないけれどなんとなく嫌と思っているのか、あるいは本当に過去にいやな思いをしていたのかといったことをきちんと分けて考えることになるはず。まあ、人間の味覚というのは元来体に害を及ぼすものを嫌うという特性をもっているのだから、とりあえず嫌だと思ったらやめておくというのも一理あるわけではあるが。

 あるいは、なにかに怒っているときに、ただただ怒りをぶちまけていたのでは自分自身も疲れてしまうし、よい結果を生まないことも多い。自分が何にたいして怒っているのか、なぜ怒っているのかといったことを書き出してみる(書くということが大事だったりする)と、次第に冷静に事態を分析できることはよくあること。結果、ではどうしたいのか、あるいはどうするほうが自分にとってもよいかという考えに至ることもできる。

 そうしたことと同様に、なぜ自分はうまくいかないのかといったこともまた、とにかくいろいろ書き出してみることで、気づかなかったことを見つけることもあるだろうから、その作業そのものは参考にしてもよいのではないかと思う。

 で、件の EFT テクニックという方法についてだ。簡単に言うと「自分は○○だが、しだいにうまくできるようになる」というように自分が実現したいことを声にだしながら上半身(主として頭)の特定の場所 8 箇所を叩いていく、というもの。そして、驚くなかれ、そのことによって脳内の否定的な記憶や思考パターンを一瞬にして消去したり、書き換えたりできるというのだ!


この「ネガティブな感情を持った記憶」に対して、EFTテクニックを用いると「ネガティブな感情を持った記憶」があなたの潜在パワーによって「ネガティブな感情を一切持たない記憶」に生まれ変わります。(P.83)


 ひとの脳はいつからパーソナルコンピュータになったのだろう。

 RAM ならいざしらず、脳内の記憶野に形成されたニューロンの回路を一瞬にして消去できたり回路を変えたりなどは、脳科学的にはまず不可能だろうと考える。

 そもそも記憶というのは繰り返しによって特定のニューロン回路が形成されることによっておきているのだと理解している。もちろん強烈な記憶が入ってきたときには、たった一回だけのことで形成されるということもあるはずだし、典型的なものがトラウマであったり大災害の後の PTSD などかと思う。

 子供の頃に何度もなんども繰り返し読んだりして暗誦させられたことは、おとなになってもふと思い出して口をついてでたりする。なんの意味があるのだと思うようなことでもそうした繰り返しによって回路が形成された結果、強固な記憶(シナプスの結合)として残っているからだ。日本人でいえば算数の九九はその代表的なものだろう。

 別の例でいえば、病気や事故で脳の特定部位を損傷してしまったときでも、訓練によって本来その機能を果たす場所でない部位が補完する形で発達するということもある。それもまた繰り返しによってそうした機能を果たすべく回路が形成されることによる。

 そうしてできあがる記憶野を特定の言葉を発しながら頭を叩くことで、さながらコンピュータの RAM のように初期化してしまう、などということは到底できることであるとは思えない。また、少なくとも科学的な検証がそこに行われたという記載は一切ない。参考文献として提示されているものは、ほとんどが EFT 関連の異なる出版物が大半で、科学的に信頼がおけるようなものは残念ながら見受けられない。

 ましてトラウマになるような記憶というのは非常に強烈なものであったわけで、その回路は非常に強固なものであることが予想される。それを一瞬で書き換えたりなどできるわけもない。少なくとも消去したり書き換えたりしている、と思っていることじたいは間違ったイメージ(EFT にとっては都合のよいイメージ)を植え付けているにすぎないのではなかろうか。

 実際この手の本というのは、みずからの主張に都合のよいことしか展開されない。いかにこれが素晴らしいのかということしかないが、読者にすれば自分にはわからない世界のこと(たとえば脳の記憶)については鵜呑みにするよりない。そもそも、とにかく何かにすがりたいという思いでこうした自己啓発本を手にする人が多いわけだから、あっさりと信じ込んでしまうということになるのでは。

 無論、この方法がうまくいったという人もなかにはいるのかもしれない。ただ、この方法、冷静にみればつまりは「自己催眠による暗示」でしかない。自己催眠のきっかけはいろいろだが、ここでは頭などを叩くという行為がそれにあたる。

 これまでに試したがだめだった例として、ひたすら声にだしてポジティブな自分をイメージするといったものをあげているが、行っているのは似たようなことだ。

 繰り返しになるけれど、この方法が駄目だというつもりなのではない。どんな方法でもうまくいく人もあるだろうし、うまくいかない人もあると思うので、これこそが絶対的にすばらしい方法なので、みんながこれを実践するべきだ、といった似非宗教的な観念にだけはとらわれないで欲しいということ。それを踏まえた上で試したい人は試してみればよい。

 余談としていえば、本書のタイトルにもそして本文中にも何度となく「EFT テクニック」という言葉がでてくる。EFT とは Emotional Freedom Techniques のことだと書かれている。なので、それでは「カオス理論理論」みたいになってしまうし、メイドにめろんめろんになるのとはちょっと違う。「EFT 法」くらいにしておいたらよかったのでは。


脳は普段私たちが使っているパソコンよりもはるかに速いスピードで、あなたが意識する、しないに関係なく、常に検索し続けているのです。(P.48)

コーエンがまず最初に論じているのは、人間の脳はそもそも生物学的な事情から、情報の並行処理を余儀なくされているということです。そしてそれは何よりも人間の脳の情報処理のスピードが遅いということに起因していると言います。(中略)また大脳において情報処理をつかさどる有髄繊維でも、そこを伝わる情報の速さは 1 秒間に 100 メートル程度だとされます。(中略)これは非常に速いように聞こえますが、実は現在のコンピュータの情報処理速度に比べたら 10 の 6 乗ほどスピードが遅いといわれます。

「心のマルチ・ネットワーク」初版:2000 年、(P.102-103)


 先日将棋の羽生さんの脳の様子を調べる番組がありましたが、あの高速な読みは長年の訓練によって脳の働きが強化されたらしいといったことがいわれていました。誰しも訓練によってそうなる可能性はあるにせよ、誰もがそうなれるとはいえないのは将棋界だけをみても明らかでしょう。

 また脳の検索方法についてはコンピュータのような検索方法ではないという考え方がされています。でなければ処理速度の遅さを補完できないということは想像がつきます。常に検索し続けているのではなく、遅いからこその検索手法をもっているということです。


「人が心から望むことは、必ず達成可能」ということは多くの心理学者や科学者が言っているように周知の事実となっていますし、あなたも聞いたことがあるのではないでしょうか?(P.62)

 残念ながらわたしは聞いたことがありません。


 個人的にはむしろ自律訓練法をおすすめしておくということで。


追記:余談
 当初「1 分」という言葉から、1 分で読むってのは無理だけれど、と思っていたのだが、正味でいったら 1 時間くらいで十分読めるので、ま、そういうものでしょうということも。悪しからず。


参考文献:

4061495194心のマルチ・ネットワーク―脳と心の多重理論 (講談社現代新書)
岡野 憲一郎
講談社 2000-09

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#旧本が好き!サイトのドメイン処理の不備により、意図しないリンク先となってしまうということで旧アドレスへのリンクを消去しています。(2012/02/12)

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女性が部下をもったら読む本


4495581910女性が部下をもったら読む本 (DO BOOKS)
蓮尾 登美子
同文館出版 2008-11-26

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 女性に限らず、これまでどのような形であれ人を使って仕事をしたことがないという人には入門として役立つ(かもしれない)本。反意としては、特筆するようなこともなくごくごくあたりまえのことが大半をしめていて、この程度の入門が必要ということは、それすらもわからない教えて君、マニュアルがないとなにもできない人々が多いということなのか? というところ。

 本当にごくごく初歩的な、正直普通に知っていたり体得できていて然るべきことがらがほとんどなので、入門の入門という印象がどうしても強い。もしも先にも書いたように、ここまでしないとならないほどの状況に昨今の人間形成(ことに若者?)が陥っているとしたら、ちょっと危機的なものを感じざるを得ないともいえるか。

 本としては悪くない。できるだけ分かりやすい例題をあげて理解を助けようとしている。堅苦しい物言いでもない。入門の入門だけにそこまでという印象もあるわけだけれど、そういう目標であればそれは正しいというところ。

 一方で女性のほうがこういう点でよいということをわざと挙げていたりするのだが、あまり女性に特徴的な印象をもてなかった。いや、結婚や妊娠、出産という事柄との関連はもちろん女性にこそ特有であるが、そうでない部分のこだわりはちょっと的外れというか無理強いというところも多いのでは。

 だからこそ冒頭に書いたように、女性に限らずまったくもって初めて人を使うことになった人への入門の入門という位置付けこそが正しいのではないかなと。

 「デキの悪い部下とのかかわり方」の章では、

まず本人に、(中略)自己改革したいかどうかの意思確認をしてください。本人にその気があり、あなたもサポートをする覚悟があれば、愛情をもってその改革に取り組んでいきましょう。

 と書かれており、以降具体策を示しているのだが、本人にその気がない場合については言及されていない。それはもう決まっているだろう、ということかもしれないが、本書を読もうと思う人は一から十まで教えてもらわないとならないマニュアル人間なので、たった一言であっても言及しておくべきだったかとは思う。

 終わりのほうででてくる「経験の棚卸」というのは河野さんの書いているディケードみたいなもので、書き方はどうあれ、己を知るという意味においては有効なことだろうなと。もちろんそこまで細かく考える必要は必ずしもなく、自分がなにをしてきてなにが出来るといったことを確認しておくということは、人生の節目には重要かもしれない。

 ちなみに P.109 に「今までの経験測をもとに」と書かれているのは、当然ながら「経験則」の誤りだ。

 時々はいる図版がいまひとつ微妙な出来なのが残念ではあるが、本当に右も左もわからない人が手に取る最初の一冊という位置付けであるなら、悪くはないかもしれない。



 この手のバイブルといえばやはりカーネギーってものでしょう。
4422100513人を動かす 新装版
デール カーネギー
創元社 1999-10

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4422100521道は開ける 新装版
デール カーネギー
創元社 1999-10

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読書は1冊のノートにまとめなさい


4901491849読書は1冊のノートにまとめなさい 100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング
奥野宣之
ナナ・コーポレート・コミュニケーション 2008-12-05

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 多くの本好きな人にとっては読む必要なしというのが率直な感想。著者は読んでも内容を覚えていないのが普通と思っていたり、ただただ読み流しているだけと断定しているが自分にとってはそうでもないし、不特定多数の本好きの友人知人はみなそれなりに覚えてもいるし、いろいろ感想をきちんともっているものだ。ノートに書いたほうがより深まるとか、書かないからどうも覚えていられないという人はいない。

 だから、

読書ノートをつけると、より理解が進む。記憶にも残るし、もっと身につく。そんなことは誰でも知っています。(あとがき)

 誰でも知っているというのも妙だし、それによってよりよいと断定してしまうのも妙だ。

 たとえば「窓際のトットちゃん」を書いた黒柳徹子さんは子どものころのことを一切なにかに書き留めるということはしなかったと書いていて、もしも書いていたらそれに安心してここまで詳しく記憶していて書くことはできなかったと思うと書いている。書くことは、忘れてもそれを見れば思い出せるという安心を生み、その時点で忘れることを前提にする。そして後になって見たときに思い出すのは結局そこに記された断片でしかないということになる。

 もちろん、本であればふたたびその本を読むこと(あるいは見ること)で補足することも可能ではあるからそれでもよいということはいえるかもしれないが、それこそがよりよいのだというこの手の本の手法に乗せられすぎないことが肝要だ。

本は読んだほうがいいと思っているのだが、なかなか読む本を見つけられなくてベストセラーばかりだったり、なかなか続かないという、本が苦手な人になら、ある程度薦められる内容かもしれない。

 というのが正直なところ。

 もちろん、細かいことは抜きにしてもしも知らずにいたのなら本探しに役立つという話もわずかにはある。末尾にある役立つかもしれない文房具などの紹介も面白いかもしれない。ただ、買ってまで読む本ではなかろう。前著の「情報は・・・」の内容も推して知るべしというところ。


 以下は気になってしまったところを列挙。(ノートを作ろうとして読んだのでもなければ、ぐっとくるところを探そうと思って読んだのでもなく、流せばよいと思いつつもどうにも見過ごせないところ満載なので、かえって疲れる読書だった) アマゾンでも珍しく低い評価が前面にでているところを見るとあながちこの感想が間違っているわけでもなさそうだ。

#かなり長文ですのでご注意ください。

財布を三つも四つも使っていれば、いくら几帳面に整理していても、どこに歯医者の診察券が入っているか、わからなくなります。

では反対に、まったく整理をしなくても、レシートや会員カードの類などを何でも突っ込んである財布ならばどうでしょう。机の上でひっくり返してひとつずつ見ていくことで、必ず診察券は見つかりますよね。
・・・
つまり、
「この中に必ずある」
「この中にないなら、もうない」
というわけです。
要は、いっぱいになり次第、次々に代替わりしていくことで、ノートをこのダンボール箱のような「何でも突っ込んでおける入れ物」として使っていくのです。(P.37)

 仮に複数の財布を使い分けているとしましょう。几帳面に整理しているのだから通院はこの財布というように使い分けができているはずです。月々の医療費としてその財布を使っているという使い方もできる。診察券がわからなくなるということはない。

 ひとつの財布でも結局全部をぶちまけてよりわけなくてはわからないわけで、4つの財布を順に調べていくことと違いはない。むしろ期待値としては複数のほうが高いのではないか。もちろん 100 個もあれば別かもしれないが、仮に同等の量がひとつに入っているのであれば同じことだ。

 さらに(これはあとでパソコンに頼ることになるのでそれはそれとしてなのだが)次々と代替わりするノートが存在するのだから、結局複数の財布を調べることと変わりはない。


僕は、これをA4用紙にプリントした上で四つ折にしてノートに挟んでいます。(P.54)

 わざわざパソコンに打ち込みなおして印刷するよりノートを使うのであるし手書きにすればよいのでは。これは検索のためにノートに書き散らした内容を、あとからパソコンに入力しなおして検索機能を使うということにも通じる。理解はできるが、そのための労力は万人に薦められるものでもなかろう。しかもエクセルデータにして携帯電話で閲覧するのが IT だみたいに書かれているのだが、それはどうだろう。いっそ携帯でメモしてメールで送って登録しておく、みたいなサービスのほうがよくはないかなどとも。あればの話だけれど。

大きい書店では買い物かごがあるので、それを借りて、次から次へと品定めしていきます。まるで書店員の人のようです。(P.59)

 書店員の人、って・・・。

英語学習法の本など、正攻法からトンデモ本まで、掃いて捨てるほどあるわけで、下調べもせずへたに棚の前に立ってしまうと迷うだけです。(P.60)

 と言ったかと思うと、

北朝鮮の体制に興味を持ったら、本屋で「国際政治」の棚を見てみる。(P.76)

 と言ってみたり。

家で冷蔵庫の中を見て、買い物メモを作ってから行けば、スーパーで買い物の時間を短くできる。これと同じ理屈なのに、書店に「探書リスト」を持っていく人はあまりいません。(P.61)

 スーパーの場合、時間短縮のためにメモを持ってというわけではむしろなく、余分な食材を買ってしまわないようにということであったり、必要なものを買い忘れないためであって、結果的に短時間かもしれないが、それが主目的ではない。仮に買い忘れた本(チェックし忘れた本)があったからといって、メニューの変更を余儀なくされたりすることでもないし、やむなくそれだけ買いにもう一度行くということもない。同列に扱うには無理がある。

 略記というのは自分にだけわかるルールでやると必ずいつか破綻するのであまりやらないほうがいい。世間一般的に言われている表記ならまだしも、いずれ重複するものが出てきたりして迷ったり分からなくなったりする。行うにしても最小限にとどめるほうが無難だ。

それに、購入前に読んだ書評をもう一度読むことで、「この人のすすめる本はこれからもチェックしておこう」と決めたり、「この書評家はぜんぜん自分と合わない」とわかったりする。(P.69)

 その本を読もうと思ったのはその書評を読んだからだったのではないのか? 漠然と面白そうだと思ったという記憶しか残っていないとしたら、よほど記憶力に障害がある人なのだろうか。むしろ読んでいる間にそうした評者との意見の違いや、同意といったものを感じつつ読んでいるというのが普通ではないのか。

仮に買いまくって「探書リスト」が空になったとしても、すぐに補充できるのです。(P.70)
このようにすると、読みたい本がなくなるということがありません。(P.159)
それに百科事典の入った電子辞書を持っているので、よほどのことがないと「読むものがない!」ということにはなりません。(P.170)

 どうもこうした「読む本がなくなったらどうしよう」という中毒的な強迫観念を感じさせる記述が著者には多いようです。そんなに困ることなのだろうか。読みたいと思えば読むものなどはいくらでもあるではないですか。さらにいえば読書だけが楽しみでもないし、時間つぶしでもない。テレビでも映画でも観劇でもゲームでもスポーツでも楽しいことはいくらでもあり、それによって得られることも実にさまざま。もちろん読書に関する本なのでということはわかりますが、ちょっと異常な感じすら覚えます。

書店に行く前にネットで検索することもあります。

こうしておくと、書店に置いてあるかそうでないか、だいたいわかるので、無駄に探しまわることを避けられます。
・・・
逆に、書店に行く前にアマゾンに在庫があるか確認しておけば、もし書店になくても安心です。すぐアマゾンで注文すればいいので、「せっかく探し回ったのになかった」と不機嫌になることもありません。(P.71-P.72)

 書店の在庫というのは言ってみれば相対的なものと絶対的なものとがあります。絶対的なものとはつまりどこの書店においてもほぼ同じような状況にあるもので、流通や版元在庫などとも関係しています。これにたいして他には置いていないが、ここならあるという特定のものも書店によってはあります。

 そうした特長がわからずにいたずらに書店めぐりをするだけならば、無駄足を踏むということも多いでしょう。書店で見つからなければアマゾンで注文すればいいのだからというのは、つまりもはや買うという行為は決まっているのですから、それならば端からアマゾンで買えばよろしい。それこそ無駄を省くことにつながるのでは。

 探書リストをつくるというところでも盛んにかかれていますが、リストの本だけを探して品定めするので早い。余計な本に目が行かないといったことを書いているのだが、多くの人は漫然と書店にいくばかりではない。紙のリストなどなくともそれを探している。当然リストがあろうとなかろうと探す過程で他の本に目が行く。気になる本が見つかるということは往々にしてあることで、リストだけを重視するのであれば書店員にこの本を見せてくださいとでもいうほうがまだましではなかろうか。いい迷惑ではあるが。

大学生が日経新聞の書評欄を読んでも、あまり感じ入るところはないでしょう。(P.77)

 いくらなんでも大学生に失礼では。そういう大学生もいるだろうが、それがすべてではあるまい。たぶんに予断を含んでいてよろしくない。

しかも意味のわからないことはさすがに書き写せないので、理解できるまで読み込む。知らないうちに、三回くらいは読んでいることになります。(P.85)

 理解したからこそ、そこが重要だと思ったのでは? 意味もわからず雰囲気で「なんかイイ感じ」と思ったということなのでしょうか。仮に意味がわからなくても、言葉の響きが気に入ったというのでも悪くはないでしょうし、「書き写せない」という理由がよく理解できません。三回読めばわかるでしょうか。

つまり、目的を「読了する」から「読書ノートを作る」に変えることで、自然と読書のアプローチが変化してくる。「読んだから読書ノートを作る」のではなく、「読書ノートを作るから読む」のです。(P.87)
このように読書を流れ作業化してしまうと、通勤電車の読書はかなり忙しい。(P.172)

 本書を読む限りにおいては、これはむしろ反対だと思う。読書ノートを作るために必死に読んでいるという作業に成り下がってしまっているような印象が強い。だからこそ「読む本がないと困る」という脅迫観念に囚われるようになる。あくまでも主体は読書であってノートを作ることではない。本末転倒というべきでは。

まず、読むときに読書ノートに引用することを前提としておくことで、読み方が「ぐっとくる箇所」を探す作業になってくるからです。(P.91)

 一つ前でいったように「作業」になってしまっている。たとえばビジネスのための読書であるとか、アイデアをなんとかひねりだすための読書というのであればそれは作業そのものなのでよいとして、通常の読書にそれを求めたのではそれはもはや読書といえない「さもしい読書」でしかない。

多くは、本棚の前に立ち尽くすうちに、読みたいと思ったこと自体を忘れてしまうでしょう。これでは再読につながりません。(P.139)

 本当に著者は記憶力が乏しいというか、「博士が愛した数式」の博士のように記憶が 80 分、いや 5 分ともたないのではなかろうか。仮に探している過程で他の本に目が止まり、懐かしさから再読したとしてそれが無意味なことだと誰が断定できるのでしょう。まして読みたいと思ったことを忘れるなんて失礼なものいいはどうかと思うのだが。

堅い木を削るとき、いきなり削りたい箇所に刃が入らなければ削れるところから削ります。すると、その断面や発生した角に刃が食い込むようになる。(P.165)

 堅い部分はどうあっても固いのです。やったことがありますか?

一括で入金しているわけですが、それを忘れたころにポストに雑誌が投げ込まれているのは、タダでもらったようでなかなか幸せな気分になります。(P.165)

 そんなおめでたい人がいるとは。

そうなると、考えが凝り固まることを未然に防ぐための本や雑誌は、投入を自動化しておくのがいい。歩けなくなってから、歩いてすぐの病院に行こうとしても遅いのです。(P.167)

 仮に歩けなくなったのなら、歩いていけない遠くの病院であっても歩いていくのは当然無理であるし、タクシーなどでどのみち行くでしょうから歩いていけないから病院にも行けないといった比喩は成り立たないでしょう。

 さらには、

僕はグラビアや広告のページ、読まない連載小説などはこの要領ですぐ取ってしまいます。(P.182)

 と、一つ前に意外な発見を与えてくれる出会いを期待して読んでいるはずの雑誌から不要と判断している部分を取り除いてしまうと書いている。グラビアだって話題のアイドルを知るきっかけであるかもしれないし、広告に意外な逸品を見つけることもあるかもしれない。なんとも一貫性がないのだ。

鹿児島空港の売店には、案の定、西郷隆盛や桐野利秋など、薩摩藩士の評伝や歴史小説が一ヵ所に揃っていました。こういうのをいちいち普通の書店で探して、全部立ち読みしてチェックするのはなかなか大変です。(P.169)

 本当に地方の書店に入ってみたことがあるのだろうか。郷土に関係する本はたいていの書店が入り口近くなどにコーナーを設けているものだ。これはとりもなおさず観光客などに向けたアピールでもある。それとも普通の書店とは東京の書店と同義なのだろうか。

健康やダイエットの本がよくヒットするのも、体を持っていない人はいないからだと思います。(P.169)

 そんな無茶な。

僕の場合は、カバーをまとめて、クリアファイルや大き目の箱に保管しておくことにしました。

・・・
これを繰っていけば、「こんな本を持っていたのか」と驚くことすらあるからです。(P.181)

 忘れるほど長い間膨大な数の本を併行して読んでいるというのだろうか。ちょっと信じがたい。いや、やはり著者は記憶力が・・・


#旧本が好き!サイトのドメイン処理の不備により、意図しないリンク先となってしまうということで旧アドレスへのリンクを消去しています。(2012/02/12)

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