「恋は雨上がりのように」原作読んだの2
先のがあとから見たらずいぶんと長くて、それでも実はまだ書きたいことが残っていたりするので別にしてもう少し書く。
ひとつは、アニメでは出てこなかったエピソードについて。
アニメでは原作 7 巻ころまでが採用されていて、実際的にはほぼ 6 巻までの内容が 12 話にまとめられている。一部、さらにあとの話数から持ってきていることもあるにはあるし、少し変更して採用されていたりというのはあるが、基本原作に沿った展開。
ただ、ないことでちょっとわかりにくくなっている設定もある。夏休み、お盆。あきらが祖母の家を訪ねる話数(28 話)はそっくりないのだが、ここであきらの父親が登場して家族状況の現在を補完してくれる。
訪ねるのはあきら一人で母親は同行していない。父親は存命であきらを送る前に食事をしにでかける。苗字が橘ではない。どうやら離婚して母方の姓になっているのだろうとわかる。といって、疎遠というほどではなく、仲たがいしているということでもない。祖母や叔母が母親を悪く言うようなこともない。
また、50 話では母親の妹が突然やってきて母娘を強引に温泉旅行に連れ出す。青年誌連載という意味では、ある意味サービス回という側面もあったのかもしれないけれど、母娘の関係を補完するという意味ではなかなか重要な話数だったりはする。
学校の文化祭であったり、アニメでは直前くらいだったハロウィンであったり、また、店長の息子の誕生日をアパートで祝ったり、ユイと一緒にマフラーを手編みしたり。そうしたもろもろを経ての年末、正月、そして結末。
あきらが見ていた店長は、ひとつには男性としてのそれもそうだし、父親としてのそれもあったのだろうなと。
アニメだと 11 月のシフト希望を出したところで終わるので 10 月の中旬くらい。なんとなくバイトは少し減らしつつも続けたままに部活に復活するべくリハビリをはじめるような展開になりそうな終わり方。
原作はもう少しきっぱりと決別を言い渡したという感じ。
ゆえに、アニメの続きを作ろうとすれば、原作から離れた方面にいかざるをえないかもしれない。アニメのようなさわやかな別れも悪くはないが、原作の持つよりテーマを掘り下げた終わり方のほうがお互いの青春の苦さが感じられて深みはある。
苦味というと、店長とのデートの帰り際、店長の心の声があるのだが、これが原作と少し違っていて、アニメでは解釈を変えたのか、はたまた台本のセリフを声優さんもスタッフも勘違いしたままになったのか。
甘くて苦い青春は終わって、苦みだけが残ったのだ・・・ (原作 2 巻、14 話)
アニメでは、
甘くて苦い青春は終わって、苦(くるし)みだけが残ったのだ・・・
と、読まれた。
けれど、これは「甘くて苦い」青春が終わって、残ったのは「苦(にが)み」だけだったという対比なのだから、本来は「にがみ」と読むべきだったのではなかろうかと。「くるしみ」と読んでしまっては、少し意味合いが異なってしまう。
が、今となってはわからない。原作が「苦味」とひらがなの「み」ではなく、漢字の「味」と書かれていたらそういう間違いも(間違いだとしたら)なかったろうか、とは。
しかし、原作を読むと、この通りの結末をアニメでも見て見たかったなと思わずにはいられない。大雪の正月に店長の家を訪ね、はしゃいで「帰りたくない」と駄々をこね、けれど自分の本心をそっと後押ししてくれる店長の暖かさをかみしめるように巣立とうとするあきらの姿が、どう描かれるのか、見てみたい。
あるいは、リメイクという手もあろうけれど、12 話に収めるには少々長いし、24 話にするには短い。といって後日談を含めたり、多少オリジナルをいれたりというのも、あのラストが生きてこないなあ、などとも。
悩ましい。
まあ、あれですよ。あきらのちょっと釣り目だけどまっすぐな目で見つめられて、渡部紗弓さんの声で言われたら、もうオドオドするしかないよね、と。いいなあ、青春。
「恋は雨上がりのように 眉月じゅんイラスト集&アニメメイキングブック」
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