「劇場版 SHIROBAKO」を見た
AbemaTV にきていたので見た。ついつい繰り返してしまって都合三回は見た。
冒頭の武蔵野アニメーションのさびれっぷりがあまりにすごくてちょっと驚いてしまうくらい。どういう展開なのだと。建物にはつる性の植物らしきが下から上間でおおいつくしてしまうほどに伸びているし、スタッフも激減しているし、そもそも社長がいない。
という事情については 30 分くらいまではほぼ語られない。そして、妙に説明調にではなくうまいぐあいに物語の展開に落とし込んでいるのはさすがの脚本だなと。
ようは順調に制作していた作品が、もろもろの事情で頓挫してしまい、金も時間もかけたものの放送することもできずに中断ということになったという背景。会社をなんとか残すために社長が責任をとって勇退するということで、スタッフもあちこちに移動したりでかつての 1/6 くらいの人数になっているし、どうやらもはやおかかえの作画スタッフもほぼいないという感じ。
そこへ上映期限を告知していたとある劇場作品がじつはまったく進行していなかったので喧嘩して全部なしにしたと企画のプロデューサー。受けるのかどうするのかということで、結局元請けとしての制作でもあるし、万難を排してやろうということになると。かつてのメンバーにも声をかけるも完全に復帰ということは難しく、一部の参加といったメンバーも多くて、それでも宮森たちの全員が結果的に同作に関わるようになって、一年もないという制作期間をなんとかこなしていたところ、それを聞きつけたぽしゃった当の会社が「うちにもかませろ」といちゃもんをつけてきて、すわ公開不可かという危機に直面すると。
最終的に作品は完成し、無事に公開される。二期は変な作品になって下請けで話数をうけるくらいだった「第三少女飛行隊」のまっとうな新作品がはじまるか、と予感させるところで物語は終わり。
全体としては面白く見たし、よい作品だったなと思うものの、あまりにも波乱が多すぎて(空白の四年の経緯も含め)時間が足りない、物足りないという感は否めず。まさに、最後で「出来上がりはしたが、この最後で本当によかったのだろうか」と自問自答する場面がそのままという感。
できればテレビアニメサイズでリメイクしてくれてもというくらいの内容の濃さではあったかなとは。
もちろん、このままでもとは思う。随所に SHIROBAKO らしいよさがあふれてもいたので。
序盤、引退した丸川社長の店をたずねた帰りの宮森。この月の欠け方は本来正しくないのだが、実はこのあと宮森の妄想がしばらく描かれる。ロロやミムジーはもちろん制作した作品のキャラクターたちも登場してやはりアニメーションをとにかく作ろうという決意を固める場面。
そう思えば、ここから妄想の世界なのだという区切りとしてのこの月なのではないか。
実際、物語の終わりではこの月。ここにもロロ、ミムジーは登場するものの、これは通常よくある演出の範疇なので(物語の進行を兼ねている)宮森の妄想はない場面。
そしてラストの朝礼でホワイトボードに書かれているのは「真・第三少女飛行隊」の文字。作中ときどき原作者が出てくるのだけれど、劇場版の制作には関係ないのでなぜ出てくるのかと思った。二期の作品がひどいものになったので、武蔵野アニメーション同様、この原作者も起死回生をはかるという位置づけだったのかもしれない。
であれば、できれば次はそんな制作現場をやってくれないものかなあとも。
余談として、劇場版制作でスタッフ依頼に奔走する宮森が、小笠原さんをたずねたときに、おそらくは日課にしているジョギングかなにかから戻ったところに鉢合わせしてしまい、いつものゴスロリファッションとのギャップを見られて恥ずかしがる場面は、好き。
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