「電脳コイル」をあらためて見る
2007 年 NHK 放送のオリジナルアニメーション「電脳コイル」。当時もかなり話題ではあったものの、今ひとつ話が複雑になりすぎてしまい、なんだかよくわからないままに終わってしまった、というのが当時の印象だった。
ところが今回通して見てみたら、確かに終盤の怒涛の解説はたしかに分かりにくいところが多いものの、結構しっかり設定を作ってあるとわかった。当時としてはまだそういう電脳世界というものになじみがなさすぎて、また用語がやや不十分だったというのもあってかしっくりこなかったといのがわかりにくさの一因だったのかもしれない。
今になってみると少し用語や設定の解釈を今風に変換してとらえるともう少し理解がしやすい。
早すぎたアニメーションといわれる所以かもしれない。
26 話というくくりの呪縛のせいか、途中夏休みのインターミッションが 4 話くらいはいってしまうのが、ある意味無駄と言えば無駄なのだけれど、そこもそこそこ取り込んで材料のひとつにしているあたりはうまいのかもしれない。
終盤、ぎゅうぎゅうに詰め込みすぎている嫌いはあるので、もう少しそのあたりを前にもっていっていればというところは正直ある。電脳メガネは、その後スマートフォンと形を変え、今ではヘッドマウントディスプレイとして少しずつ現実になろうとしつつある。もちろん、作品のような状況になるのは、まだまだ未来の話ではありそうだ。
子供がということにとどまらず、現実と非現実とのもつ意味であるとか、ヒトとのかかわりであるとか、いろいろ考えさせるものがあって終盤の重さは前半の比ではない。けれど、きちんとそれらが回収されて解決されていく様はなかなかに見事だ。当時そこまで受け止められなかったのは、こちらの責任でもあるのだろうな。
作画のこだわりようも当時は話題になったけれど確かに異様にしなやかにゆれるスカート描写がもう変態的。作画全般はシンプルで懐かしい感じのそれになっているけれど、決して手を抜いてとかではなく安定した統一された作画で最後まで見せてくれる。
来年あたりだったかに公開予定という磯監督新作を前に、もう一度放送とか配信とかで盛り上げてくれないものか。時代性の上からも必要性を強く感じるのだけれど。
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