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「どうしてものが見えるのか」(村上元彦著、岩波新書新赤版)

ところで、個人的なことだが私には色覚異常があり、子供のころはときとして劣等感に落ちこんだり、また当時の入学試験では差別されて、色覚検査表を暗記してすりぬけるなど、いろいろと苦労した。これが私が視覚や色覚の研究をこころざした動機でもある。色覚異常者にたいする無知と独断にもとづく差別は、人権意識が高まるとともに徐々に減ってきてはいるものの、社会の一部には依然として頑迷に残っている。そこで、本書の終わりの章で色覚異常に関する正しい知識を紹介し、早急に解決を要する社会問題などについて意見を述べておいた。色覚異常者とその家族の参考になればと念願している。また諸学校の教員(とくに養護教員)や入学試験の関係者、色覚を問題にしている免許の立法と行政、あるいは企業にたずさわる人びとが、色覚異常について科学的に正しく理解してくれて、基本的人権を侵害している不条理な色覚差別が早急に撤廃されることをねがっている。(まえがき、より)

1995 年に出版された本書も、残念ながら 2021 年現在においては絶版らしい。

ときおり色覚眼鏡といったものがすばらしいと賞賛するような言説がネットに散見されるが、どうもそういうのはおかしいと思うという話を見て、確かにそうであるなと。

その器具そのものには、それなりの意義や効果はあるだろうが、それは画期的なものなどではなく、ごく当然のことでしかないと。それもまた先にあげた「まえがき」にあるような間違った認識によって呼び起こされる似非感動にしかすぎないのではないかと。

本書では眼とはどういうものであるのかを科学的に、生物学的に解き明かし、物が見えるという仕組みについて詳説している。その最後に「まえがき」にもあったように色覚異常について一章を割いている。色弱とはどういうものなのか、その原理とこれまでの社会がおかしてきた罪と。

電子書籍すらなく絶版なのは、岩波書店として実に残念なことだ。

色覚異常をどうよぶか

私個人としては一気に「ドルトニズム」に変えてしまって、まちがった既成概念を払拭したい気がする。ドルトンは自分の色覚異常を詳細に報告したくらいだから、この命名を名誉にこそ思え、不愉快ではないだろうと推察するし、かつては「ドルトニズム」とよばれた歴史もあった。しかしこの用語は一般社会にはなじみがなく、普及させるのは時間がかかるかもしれない。日本眼科学会、その他色覚・色彩研究者の諸学会で議論していただければありがたい。

どうしてものが見えるのか (岩波新書)

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