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「緑衣の女」

「湿地」を読んで、その独特の世界観(とはいっても、それは実際のアイルランドの姿ではあるのだが)の中で、アイルランドであるがゆえになりたつというミステリに背筋を凍らされた記憶もいくぶんさめてきたところで、ようやくにして読んだ「緑衣の女」。購入だけはしてあったのだけれど、あれこれまとめて買いすぎていたのでなかなか追いつかない。いや、そもそも読むのが格段に遅くなっているのが一番の理由。

さて、「緑衣の女」。子供の誕生日パーティーを開いていたら赤ん坊が奇妙なものをしゃぶっているのを弟を迎えにきた大学生によって発見されることから物語がはじまる。それは「人骨」だった。

新しいものではなく相当昔のものと思われ、ひとまずは発掘して調べをすすめることにはなるのだが、考古学の専門家に依頼したところ丁寧な仕事により遅々として発掘はすすまない。やむなく現地の状況や歴史から調べをすすめていくのだが、昔の話でなかなかこれという事実があがってこない。

時を同じくして発生するエーレンデュルのもはや別居している娘からの「助けて」の電話。妻とはとうに別れ、成人している子供とも基本没交渉。妊娠しながらもドラッグにおぼれ、流産の危機に母ではなく父に助けを求めた。

そして、第三の展開。妻を人とも思わず暴力をふるう男。幼い子供を連れてなんとか逃げおおせたと思えば、行き先を探し出して連れ帰る。従わなければ子供を殺すぞと脅して。繰り返されるあまりにも凄惨な暴行描写。訳者は「これを翻訳出版してもよいのだろうか」と戸惑ったという。

読者としては、当然これら三つが織りなしていくであろう結末へと想像をめぐらしつつ読み進めることになるのだが、そこから想像される事件はなかなか簡単には終わらせてくれない。埋まっていた骨はいったい誰のものか。二転三転していく情報に読者もまた翻弄される。

私は暴力を憎む。()中でもドメスティック・バイオレンスは卑劣で、絶対にあってはならない重い犯罪です。()犯罪を告発するためとはいえ、警察や弁護士がその詳細を話させようとするのは残酷なことです。忌まわしい暴力を受けた女性に追い討ちをかけることになってしまうから。作家は犠牲者の女性たちに代わって、知り得た真実を書き切らなければならない。妥協せず、言葉を濁したり置き換えたりせず、書き切るのです。どれほど残酷なことかを描いて、けっしてしてはならないと訴えるのです。

(訳者あとがき から)

タイトルの意味するところであるとか、様々なことがしっくりと収まるには、なかなかじれったくも最後まで持ち切られるわけだが、ただただ引き延ばしたというわけではない隠し玉も重い。

もちろん、ではあれはどうなったのか、という点がないではないし、終わりが妙に唐突で、それでいて続く「声」の冒頭に続くということでもない。けれど、この独特のアイスランドという土地を舞台にした物語の異様な雰囲気には実によく似合う。読み終えたあと、しばらく放心する感覚をえる作品というのは、そう多くはないはずだ。

余談ながら不安に思うのは、訳者の柳沢由美子さんが 1943 年のお生まれということ。「フィデルマシリーズ」の翻訳をしていた甲斐萬里江さんはご高齢のためか、今般出版されたものからほかの方に交代されたようだ。このシリーズもいずれほかのかたに交代される可能性が高いのではと思うと、やや特殊な作品・土地ということを思うとよい方が現れてくれることを願うばかりなのだった。

緑衣の女

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