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語りすぎないことの妙 「色づく世界の明日から」

おそらく昨年の 3 月ころ。たまたま Twitter で見かけた長崎を訪ねてきたというもの。アニメ「色づく世界の明日から」という作品の舞台が長崎だったらしい。いたく評価されていてそれを見ているうちに興味をいだいたものの、残念ながら配信はほぼ Amazon プライムだけだったらしくあきらめていたのだった。ハルカトミユキによるテーマ曲「17 歳」をバックに流す MV もなかなかよい感じではあったので気になってはいた。

実のところ有料配信であれば GYAO! などでも今となっては配信していたらしいとわかったのは今年のこと。たまたま無料配信のほうにやってきたので通して見た。うん、これはいい。

2078 年、17 歳の瞳美(ひとみ)は祖母琥珀の手によって 60 年前に送られてしまう。ひとみは色を失っている魔法使い。家系が魔法使いであり、祖母の琥珀もまた魔法使いであり、偉大な魔法使いと呼ばれているくらいに有能な使い手。魔法が社会に認知されており、日常で魔法が人々に施される。そういう世界。

物語の冒頭で唐突に過去に送られてしまうこともあって、物語の展開はいずれ未来に戻るのであろうとは思えてもまったく見通せない。やがて、色を失っていること、それが魔法を嫌う自らにかけた魔法によるものであるらしいことなどが、少しずつ分かってはいくものの、あくまでも多くは語られないし語らない。

当時の監督インタビューを読むことができてわかったのは、語りすぎないことに注意したということ。なにからなにまで「説明しよう」な作品は、結局面白みもなくしてしまう。いろいろ設定はあったらしいが、あえておさえて描き切ることに注力したという作品は、わかるようでわからないというもどかしさとともに、余計なことがないだけに物語の主軸にだけ集中できるという意味もある。

その世界でひとみにとってある男子生徒の描く絵の中にだけ色を見つける。それは、実は彼女が幼いころから親しんでいた絵本の作者でもあったのだとのちにわかることになるのだが、そうして仕掛けが実は随所に仕込まれている。ひとみが色を取り戻す物語。というのが表のテーマだが、どうもそれだけにとどまらないというのが、この作品の魅力なのだろうなと。

所属することになった写真美術部の仲間たち。さらに自分と同い年の時代の祖母琥珀とその家族。そうした人々との生活のなかで、ひとみが失った数々のものを取り戻していくが、そこに多くは語られない。

最終的には琥珀の力をもって、部の仲間の力もかりて未来へ帰ることになるのだが、当時の琥珀にはまだまだそれほどだいそれた力があるわけではない。結局、過去にいったのも、未来に戻ったのも実はひとみ自身が本来持っている大きな力によっていたのだろうと最終的には考えるのが筋なのだろうなと。

きっと時間を超えてという不安定な状況と、多感な時代の心理というものを重ね合わせているのだろうな。未来に戻ったひとみに祖母の琥珀は部の仲間からの贈り物を 60 年ぶりに手渡す。絵本もそこにあり、その後墓参のシーンもあるのだが、それが誰のものかは描かれない。けれど、きっとそれは彼女が好きになった色を取り戻すきっかけをくれた彼の墓だったのだろうなと。

タイムパラドックスのことをいうと問題ばかりの作品ではある。ただ、そこはもうあきらめて許容することで物語全体の意味をもたせようという割り切りがあえて心地よい。下手に小細工するほうが作品の価値を下げてしまう。

作画も、舞台の長崎の風景も、実によく、訪ねたいと思われる人気もうなずける。

それでもあえて続編を期待したい気持ちもある、そんな佳品。

追記:

タイトルを意識したオープニング映像が、特に秀逸。

「色づく世界の明日から」篠原俊哉監督の密かな試み「『時間』と『人』の関係性にも触れられるのでは」

「色づく世界の明日から」篠原俊哉監督が更に語る。結末は「最初から決まっていて、全く揺らいでない」

色づく世界の明日から Blu-ray BOX 1

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