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「これからのヴァギナの話をしよう」

たしか年末年始頃の新聞、読書欄でおすすめみたいなのを載せていた中にあった。いささか直接的なタイトルなのでそれだけでなんとなく敬遠してしまいそうなところはある。

たぶんそれは性別や年齢に関係なく「性」に関することというのはなんとなくそういう気分になってしまう。が、それこそが問題の本質を隠しているのだというのが本書といってもいい。

著者は身体上の性別として女性であり、精神的なそれもまた女性であり、自身子供のころから特段の性教育というものを受けていなかったなと記している。初潮を迎えたころからの経験などをまじえつつ、女性というものがおかれてきた立場であったり位置であったり、それをとりまく社会であったりを一方的な視点だけで語るのではなく、多角的にとらえるように常に配慮して書かれている。

男であろうと女であろうときちんと「性」について学んだり、考えたり、それを誰かと話したりということは、考えてみると実に少ない。というかほぼない。誰にでも基本的にかかわることであるにもかかわらず、実はよく知らないしなんとなくですませている。なんとなく話すこと、知ることがいけないことのような意識が誰の根底にもある。

けれど、それでは社会にはびこる多くの問題はいつまでも解決されないままだと。ヴァギナを持つ女性は一生の間の多大な時間を生理とともにすごさなくてはならない。その状況は人によってもさまざまであるし、時によってもさまざまで本当に一様でないことをいろいろな資料をもとにまずは描き出す。

それは、男にとってはじめて知ることだけではなく、女にとっても同じことなのだと。誰かとそれについて話すこと、比べることなどまずないので知りようもない。今のようにインターネットが広く普及したからといってそこから得られる情報が、本当の意味で正しいとは言えないし、それはごく一部の偏った情報でしかないかもしれない。けれど、なんとなくそうした情報でわかったようなつもりになってしまい、そうでない自分を恥ずかしく思ってしまったりする。

それは間違いだと。まずはきちんと知らなくてはいけない。それは、性別やヴァギナの有無とは無関係にすべての人において大切なことなのだと。

もちろん、そんなことを知らなくても、話などしなくてもヒトは、何千年という年月を引き継いできたのだから、問題ないのだという考え方もあるかもしれない。けれど、その陰でつらい思いをしなくてはならない人が多数いる、負わなくてもいい念におしつぶされる人がいる。あきらめて我慢している人がいる。けれど、本当にそれでよいのだろうかと。

繁殖は必要なこと。だからセックスは我慢することでよい、というのは違う。それこそ、どこぞの議員が言った「女は産む機械」という間違った優劣思想だ。

いまだまっとうな性教育が実現できない社会にあって、ともかくもこの書くらいはすべての人が読んでかみ砕きわが物とする必要があるのではないか。子供も大人も老人も若者も、もちろん性差も関係なく。

さすがに小学生にはもう少し違ったテキストが必要かもしれないが、高校生くらいであれば文句なく本書を必修テキストとして授業してよいのではないかと思う。男も女も。

著者のよいところは、自身の体験も赤裸々に語っているところ。そして、一方的な思い込みによる誘導ではなく、どちらがよりよいだろうかとたえず考え続けている視点。

なにより、遅れていると思っていた日本と世界のレベルが、そう違わないという認識を得るのは、大いに驚きだ。

まずは、ここからはじめたい。

これからのヴァギナの話をしよう

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