どんどん燃やすよ
月曜日に祝日をもってきて土日月と三連休にしてしまおうという祝日法の改定が行われ、いくつかの祝日が本来の意味を失い忘れられてしまうようになったこのごろ。今年もまずは成人の日という移動祝祭日がやってくる。明日 11 日が今年の成人の日なのだけれど、本来は 15 日固定だった。恥ずかしながらその来歴由来については定かに記憶はしてないのだけれど、少なくとも長年そういうものと思っていたものが崩れるのはやはりどうにも調子が悪い感じを覚えてしまう。
子供のころであればこの日にお正月飾りなどを焼いて、その熾き火で餅などを焼いて食べるという行事があったのだけれど、いつしかそれも実行しやすい日曜日などに移り変わり、昨今でいえばこの移動する成人の日を含んだ休みの間に行うというようなことが増えてきた。
さらには自分が子供のころには夜になって赤々と燃える炎を見たものだったが、今では昼下がりに早々に終わってしまう。地域による違いは多少あるのだろうけれど、明るいうちに済ませてしまうところがほとんどなのではないかとニュース映像などを見ていても思う。
もちろんそれは安全上の配慮でもあるのだろうし、後片付けを思えば明るいうちにというのもあるのだろうと理解はできるのだ。ただ、それでも一抹の寂しさを禁じえないなという思いもまたあるのだった。
一方で最近ではあまりに有名になってしまいすぎて、本来のお祭りに影響を与えすぎているのではないかという野沢の火祭り。まあ、これもそもそもは盛大に大事になったそれらのお焚き上げ行事なのだろうと思うのだけれど、見物客が増えすぎてしまった。本来は村の行事であり、生まれた子供の成長を願うための行事であったりするのだけれど。
ただ、野沢のそれは頑なに 15 日開催を守っているようではある。だから、土日祝日ということは必ずしもなく平日の夜であったりする。そう、こちらは時間も必ず夜。なんとなれば火をつけようとする厄年連と、それを阻止しようとする若い同じく厄年連との攻防戦があるから。以前にも書いたように思うけれど、このスタイルは野沢や飯山などの地域に共通の特徴だ。
もちろん、野沢のそれ以外は規模はもっと小さくてよく目にする規模のものだけれど、やはり攻防戦の後に火がつけられる。最近がどうであるかはもう知らないけれど、そうしたものはやはり残しておいてほしいなという気持ちもある。
時代の移り変わりで変わらざるを得ないものはもちろんあるので仕方ない部分はあるのだけれど。どうもこの時期になると毎年そんなことを思ってしまう。年を取ったかな。
ところで名前はいろいろ。どんど焼きとか、どんどん焼きとか、さぎちょうとか三九郎とか。野沢のそれも古くはあるいは正しくは道祖神祭りあたりではなかったか。自分としては「どうろくじん」という呼び名も懐かしく記憶している。そういうのもまた残しておきたいかなとは。
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