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ランク付けされる社会(それは今にはじまったわけでもない)

 ふと「コミュニケーション不全症候群」を再読していたりするのだけれど、20 年あまり前の本にも関わらず、今を映している部分が散見されて時代が変化していないとみるか、それとも時代の先を見通していたとみるか。いや、正確には見通していたわけではないのだけれど。

 ちょうど一年ほど前にウェブ限定ということで公開されていてさっぱり話題にもならずにいたとある CM が、今年になってなにかの賞でもとったのか英語字幕がついたことで海外で話題になり、いわば逆輸入的に問題視されたという話題があがっていて、そんなこととも多少リンクするような内容がでてきたりして、さらに時代に基本的な変化がないことを思ったりも。

 ちょっと長いけれど引用。

 少女たちはたぶんおタクの少年たちよりももっとせっぱつまった状況に置かれている。少年たちはおタクになることで、自分を自分の受入れられない基準によって切り、拒否し、あるいは落ちこぼれにしてしまう現実の規範に背を向けた。男の子には一見そんなものは、つまり「選ばれる側」としての基準などは女の子ほどに厳しいものではないかのように見えるが、ほんとうはそんなことはない。むしろ男の子にはどこにも逃げ場がない。学校、成績、人望、外見、背の高さ、性格の明るさ、ナウさ、なにか特技があるかどうか--なにもかもが少年を厳しく判定し、選別し、「お前はAランク」「お前はBランク」「C」「Cの下」などと選り分けて行く。社会がそうするだけではない。学校もそうする。家庭もそうする。そして女の子たちもまた情容赦なくそうする。現代社会はそういう選別とランク付けで構成されている。民主主義、平等、などということばは理念として掲げられ、そんなものはないではないかと抗議することも許されないままで、実際の無情な選別にさらされたまま、少年たちはその選別を受入れるか、それとも選別される対象であることそのものを拒否するかの瀬戸際にたたされる。

 おタク少年たちは、もうおわかりのように、この選別社会のシステムを拒否し、自分の内宇宙にたてこもったゲリラたちである。(P.114-115)

 前段となる「おタクについて」では、おタクという言葉の生まれてきた経緯であったり、歴史からもそれらを分析していたりしていてなかなかに興味深いというか、その奥深さに驚いたりする。さて、残りも楽しみに。


 絶版か。

4480031340コミュニケーション不全症候群 (ちくま文庫)
中島 梓
筑摩書房 1995-12

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