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噴火とは溶接である(かなり意訳)

 再開された NHK の「ブラタモリ」。首都圏近郊限定という呪縛がとけたことを受けて、全国あちこちへとでかけているシリーズでよいのだけれど、タモリをよいしょする案内人が多くてしだいに嫌になってきたりもしていたのだった。ここへきて次第にそうした雰囲気が少なくなりつつあって(人によるので時として差はあるものの)ようやく落ち着いて見られるような番組になってきたかという印象なのだった。

 それはともかく。

 今回は富士山という。珍しく三回にわけてというのも長い。軽井沢は一回だけだった(^^; まあ、それは仕方ないか。

 ともかく。

 で、富士山の成り立ちを探るといった体で番組は進んでいく。五合目から登山をはじめることになり、あれこれ見ているなかで示されたのが噴火のときのしぶき状のあと。ざらざらとした言ってみればまさに軽石かというような雰囲気の溶岩面なのかと思うのだけれど、それとツルツルとしたなめらかな溶岩あととがあるという話がでてきた。

 しぶき状のそれはまさに噴火口の際あたりでしぶきのようにぶぉっと噴出したものなので小さなつぶの集まりみたいな状況。そんな寄せ集めなのでざらざらした特徴も持っていると。で、これを「スパター」というのだと火山の専門家の方が話していて「なるほど、そういうことだったか」と昔のことなど思い出したのだった。

 それはかつての仕事だった溶接のことで、溶接でもこのスパター(当時はスパッタと教わった)がつきもので、溶接している品物にも多数くっつくし、作業している床面にも多数のスパターが散らばるのだった。これはちいさな粒になっていてころころとしている。工事現場などに小さな砂のようなものがざらざらと落ちているのを見たことがあるという人もなかにはあるかもしれないが、あれだ。

 溶接のあとではどうしてもこのスパターがくっついてしまうので最後にそれをきれいにする作業も必要になる。半自動溶接であれば溶接の器具(銃みたいなやつの筒)内部などにもつまるので、ときどきこれを掃除しつつ作業しないときれいに溶接できなかったりもする。

 なるほど、あれもスパター(spatter)、しぶき、飛び散ったもの、だったのだなと遠い昔とようやくリンクしたという体験だったのだった。よもや火山の話と溶接の話がつながろうとは。

 もっとも考えてみると溶接にしても高温で金属を溶かしてしまうわけで、溶岩のそれと同じようなものであるのだなと。ガス溶接にしてもドロドロに融けて固まりのようになって飛び散るさまを思い出すとなるほどあれはスパターなのだなと理解できる。

 で、あのスパターで作業服に穴は開くし、耳にはいってやけどはするし、とまあいろいろ大変だったなといろいろ思い出したりも。

 そうか、火山というのは、噴火というのは、溶接だったのだなと。さて、次回以降はどんな展開になるのだろう。

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