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ザップニュース集計 9 月まで

ザップニュース集計グラフ 2015 年 9 月まで


 世界のニュースザッピング 2013 年 7 月から 2015 年 9 月までの集計。フランスが韓国を突き放しにはいっている。

 ここにある以外はまあどんぐりの背比べ。アメリカの独走はもう誰にも止められない。

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浮世さんに海月さんを見た

 とみたさん(@tmtms)が RT されていて知った。とみたさんも好きでもちるさんの漫画は出ると買っていたということだけれど、これは 1 巻だけですぐには読んでいなかったようなことを言われていた。それで残りも読んだらなかなかよかったと。

 で、星里さん本人が期間限定で無料ダウンロードになっているということを言われていたそうで、それならばと読んでみたのだった。

 うん、これはなかなか面白い。というか、気になる。気になって仕方ない、浮世さん。

 さながら「海月と私」の海月さんみたいに、もっとふわふわしていて、その場限りで嘘八百で、それでいてなんだかあぶなっかしいので放っておけないような魅力(たぶんに女の魅力ってことなのだろうけれど)にあふれていて、つまりは主人公は海月さんにコロコロされた旦那さんである”私”同様、コロコロされてしまうという。

 一方で、そこそこ色男でやさしくて、社内でも女性にうけがよくて、実は内緒でふたまたかけていてという様が描かれていたりで、どうするのよという面白さもある。

 踏み切りでエンストして死にそうになったのを助け、借金取りに金を払ってやり、あげくやくざな人たちにだまされた浮世さんのために定期を解約して。そうかと思ったらやっぱり風俗だか水商売だかわからないけれど働いているようでというあたりで終わる 1 巻。

 気になる、気になる。浮世ばなれした浮世さんの顛末が。コロコロされる主人公が。いずれ、残りを読んでしまいそうだ。

B009JZHV90本気のしるし(1) (ビッグコミックス)
星里もちる
小学館 2000-09-30

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この月の月

中秋の名月 2015


 運よく、よく晴れていて月の出からずっと明るくあたりが照らされていた。せっかくなので撮影してみる。 IXY30S だけだとシャッター速度を最短にしたりしてみてもあまりパッとしないのもあり、ふと思いついて望遠鏡のムーングラスを使ってみることにした。

 難点は取り付けができるわけではないので、カメラレンズに手で押さえていなければならないというあたり。手振れが困るので支柱にカメラを当てるようにして固定。どうやらオートモードであまりズームにしないで撮影したのがいちばん写りがよかったようだ。

 それでもまだまだぼんやりしたものでしかないけれど、コンパクトデジタルカメラでここまで写るならよしということで。

 逆に考えるとコンパクトだからこそムーングラスの大きさでもカバーできたともいえるが、そもそも一眼タイプならそんなことしなくてもきちんと写せるわけではあるな、とも。

 お団子はなかったので薄皮つぶあんぱんで代用したということで。月に願いを。(お仕事見つかりますように)


 たまたま持っているからというだけなので、減光できるものならば代用はいろいろきくかもしれないので、試してみるのもまた面白いかもしれない。サングラス(眼鏡としてのそれではなく天体望遠鏡用としてのそれ)では減光されすぎてしまうと思うので月には向かないかもしれない。(持っていないので確認できないけれど)

B0018HILMIVixen 天体望遠鏡アクセサリ 望遠鏡用フィルター ムーングラスND 37222-5
ビクセン 2011-11-08

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「京都の精神」


 ポイントが付与されてもったいないのでなにか買うかと見ていたらちょうど金額的にも間に合って、読んでみたいと思えるものがあったので買ったというのが「京都の精神」(梅棹忠夫)。京都案内のようなものもあったのだけれど、それよりはよいかとこちらを選んだ。

 発表されたのは 30 年あまり前のことなので、いまとなってはいささか古びているだろうか、という不安もあったけれど、意外と今も変わらないなあというところが多数指摘されていてなかなかに納得しながら読み進めた。

 はしばしから伝わってくる京都愛というものが強くて、ときにそれが鼻につくようなことも正直ある。京都だけが別格であり昨今よくいわれるような京都類似の範疇のようなものに地方の田舎などをいれてもらっては困るといった例示が非常に多いのだった。

 まあ、それはそれでわかる。京都は確かに一等上をいっているとは思うので同列に扱うのははばかられるかもしれない。ただ、めくじらをたてるほどでもない部分にまでいちいち京都をそこに含めるのはけしからん的な言説が多いのはちょっとやりすぎ感もしてしまう。そこまで特別視しなくてはいけないだろうかとは。

 そういう京都だけが一等特別で他に類を見ないのでよそとは一切一緒にして欲しくない。京都に準じよみたいな殿様っぷりが激しいことをのぞけば、一般的なところとしての論はなるほどと今に通ずるものがあって、耳が痛い人は少なくないのではないか、などと思ってしまう。(が、だいたいそういう人は聞く耳を本来持たないので、なんの影響もないのではあろうけれど)

 観光が産業ということをうたっているところにしろ、これから観光で設けようと思っているところとかは、あらためて考え直すところが多いのではないか、観光のために既存の資源を破壊しておとぎの国を作って「さあ、どうだ」というものばかり作ってみても、そこになんの意味があるのか。そんなことを当時から考えていたというのがさすがではあるなあと。

 電子書籍で読んだのでページ概念を適用しにくいので以下はすべて引用だけれど該当場所を適切に示せないのが辛い。電子書籍の欠点のひとつではあるなあ。

 京都などの観光産業のひとつの行きかたとしては、たとえばほかの観光地とはちがうかんがえで、とびきり高級品をみせるという方法もかんがえられるのです。そのかわり、みにきていただくお客さまにも、どうぞ上等のひとだけきてくださいということになる。一級品展示場だということです。
 ところが、観光というものがいまうごいている方向は、逆になっている。どんどんそれをぶちこわすことが観光開発だというかんがえかたになっている。じっさいおこっておりますことは、みなさんご承知のとおり、日本全国における景観の破壊、これはちょっとめざましいものです。うつくしい景色をどんどんぶちこわしてゆく。それを観光開発と称しているわけです。
 こういうことはかんがえようで、お客がそれを要求するからだという理屈もまたありえます。しかし、お客に要求があるから、いくらでも低俗化してよいかというと、わたしはそういうものではないと思うのです。
 京都なんかも、まさにそういう例になりうるかもしれない。観光客がなにをしに京都へくるかというと、プラスチックをみにきはしません。京都のお寺とか郊外へくるのは、やはり現代的な俗悪さがないところをもとめているのです。そこへいってみたら、でかでかとペンキの標柱や看板がたっているというのでは、まったくぶちこわしです。
 いまは、はじめからある資源のうえにあぐらをかいている。なんら演出というものがおこなわれていないのです。京都全体のイメージをどういうぐあいにつくりあげてゆくかというようなことを、かんがえる役わりをはたすひとはだれひとりいない。ばらばらに、かってなやりかたでおこなわれているわけです。

 演出の上手、下手によって、観光事業というようなものはおおきくかわります。演出家ないしは舞台装置家が必要だとおもうのです。京都全体をひとつのイメージでつくってゆく。(中略)そういう時代になってきている。すでに世界のどこでもやっていることなのです。

 東京に対してでも、まったくおなじような意識がございまして、逢坂山を東にこえたら鬼がでるというのが、京都市民のふつうの感覚だと思います。きょうのテーマは「京滋(けいじ)文化」で、滋賀県のみなさんにはちょっともうしわけないんですが、逢坂山からむこうは世界がちがうとおもっている。東京もこのごろだいぶましになってきたらしいというのが、ふつうの伝統的京都人の意識かとおもいます。
 京都は文化観光都市という看板をかかげてきたわけでございますが、わたしはまえから観光をはずしてください、文化都市ならけっこうですが、観光都市でたつということはたいへんこまる、といってきたわけです。観光では先がしれてしまいます。観光都市というのは、先祖からひきついだ文化遺産を種にして、売りぐいをやるということでございます。
B00EETORPM京都の精神 (角川ソフィア文庫)
梅棹 忠夫
KADOKAWA / 角川学芸出版 2013-08-15

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物思う秋か?エル

青い蛙


 物思いにふける蛙、というわけではなく、早朝でいくらかひんやりしているのもあって日光浴したい、ということだったのかもしれない。かどうかはよくわからないが。やたらとあちらにもこちらにもといてちょっとした銀座状態ではあったのだった。

 はたしてこれはアマガエルなのか、シュレーゲルアオガエルなのか。どちらなのか。区別の仕方を知らないのでどちらかはわからない。だいたいその二種類のどちらかだということだけは近年知ったわけであるけれど。さて、さて。

 夏の虫から秋の虫へと変わりつつあるこのごろ。蛙の出番ももう少しというところだろうか。そのうちには冬越しのために地下にもぐるようになるわけだなと。

 この冬は暖かいのではないか、という予報がいまのところでているらしい。そうであればありがたいようにも思うし、その反動で局地的な大雪があったりしそうで、それはそれでまた弱ったものだなとも思ったり。

 とはいえ、まずはこの秋を堪能するってものではあるなと。

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映画「SPEC 結」をテレビ放送で見たけれど

 テレビドラマで放送された「SPEC」は好きだったので、その後つくられた映画もそれなりには期待と不安とで見ていた。もっとも映画館に足を運ぶということはなかったのでいつものごとくテレビ放送時に見るにとどまるのではある。今回 GYAO! でドラマ版の一挙無料配信などがやってきたので、なにかと思ったら映画「SPEC 結」二部編成を一挙放送するにさきがけてということだったらしい。

 ついついドラマの後半などを懐かしく見ていたのもあって、それならば見てみようかと長丁場ではあってけれど久々に見ていた。最近は 22:00 過ぎのテレビはほぼ見ないので。

 で、結論。映画なんてやらなきゃよかったよね、と。

 ドラマの最後で「ぜってー、映画化なんてしねーからな!」とか当麻に言わせているのは無論反語なのだろうと思ってはいたので、映画化されたことについてはそういうものなのだろうと思ってもいたけれど、今回の「結」を見て思うのは、どうにも話を広げすぎたということ。随所にドラマでもいいアクセントになっていたギャグなどいれこんで柔らかさも出していたものの、それすらが不似合いなくらいに風呂敷が大きすぎた。

 ガイアだの、生命が誕生したときからすでに特殊能力があったのにそれを捨てただの、遺伝子に組み込まれただの、あれやこれやと伝説系のネタを持ち出したものの、どれも言葉の羅列にすぎずに舞台設定をもりあげる役に立たないレベル。

 当初のドラマであれば、あるいは「TRICK」のような面白さの別な展開として楽しめていたというのに、それをあっさり捨て去ってしまったのはマジック(トリック)というものと超能力というものとの違いによるのかもしれない。マジックはどこまでいってもマジックであり、タネがある。一方で超能力を持ち出してしまうと行き着く先はなんでもありな世界だ。

 ちょっとばかりやりすぎてしまった感。ドラマの線を維持したままの映画であったら、もっともっと面白いものに仕上がったであろうに。残念なことをしたものだな、というのはまあ、ある視聴者の意見でしかないけれど。

#前後編 4 時間というのは無駄に長すぎたといわざるをえないか。

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秋深まる(気分的に)

この花なんの花


 立秋からいえばすでにひと月半ほど経過しているわけで、秋も深まってという季節。秋分の日もやってきてというところでまさに秋本番というところなのかもしれない。

 とはいえ、なんとなく 9 月から 11 月くらいのほうが秋という雰囲気があって(恐らくは西日本などでの紅葉であったりを思うとそのくらいまでが秋というイメージがどうしてもついて回るのか)その意味では 10 月くらいが秋もなかばという感じがしてしまう。

 そうい思うとまだまだ秋ははじまったばかりという感じでもあるが。

 春は春で、夏は夏で、そして秋は秋で、さまざまな花が咲いていてなかなか不思議でもあり楽しくもあり。小さな花で茎の感じはコスモスのそれを連想させるのだけれど、はるかに小さな(10 mm から 15mm 程度)の花が密集して咲いていた。コスモスの仲間なのか、そうでもないのか。

 日々二ヶ月くらいの気温差をいったりきたりしているようで、なんとも体調の維持が苦しい秋になりそうな。紅葉はどんなだろうか。

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「ブロークン・シティ」

 7 年前のある事件の裁判結果を受けて警官を辞職して探偵になっているビリー。スラム街のようなところで女性を働かせて金をまきあげているような男を射殺した事件で、正当防衛が問題となったというような事件。彼の正当防衛が認められ無罪判決は受けたものの、市民の反感も強く(殺害されたのは黒人だったというためか)市長からことを穏便にすませるためにも辞職してくれといわれたのだった。

 市長選まであと一週間ほどというときになって市長がビリーを呼び出した。妻が浮気をしているようなので不利な材料にしないためにも調査をして欲しいと依頼する。かつての事件絡みのことがあるので断ることもできず引き受けると、相手陣営のブレーンをつとめる男性とたびたび会っている事実がわかる。

 詳しく調査をと思うのだが、市長はその事実だけで充分だといって調査は終了。そして、ブレーンの男の遺体が発見される。市長が情勢不利を打開しようと相手のブレーンを亡き者にしたと思われた。しかし、証拠はない。自分自身も利用されたので知って調査を進めるうちに市長の隠された計画を知ることになる。貧しいもののために再開発をしてあらたなアパートをつくるといっている話は、実はまったく異なるもので、しかもそのビルの所有の半分は市長自らのものとされており莫大な利益を得る計画。

 市長にたいして不利な証拠を集めてなんとか反撃しようとするビリーなのだが、市長は最後にとっておきの切り札をビリーに見せ付ける。この壊れた街に正義はおとずれるのか。といったような物語。

 ネタはだいたい想像がつくし、これといったどんでん返しということでもなく、そこそこスリルもあるにはあるが、いまひとつしっくりしないというところもある。つまらないというほどではないのだけれど物足りないというか。というところでタイトル負けしているという印象はぬぐえないか。可も不可もなくというところかも。


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Happinet(SB)(D) 2015-06-02

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「パンズ・ラビリンス」

 父が死に独裁者のような大尉と再婚しその子を身ごもった母とともに山奥の軍隊本部? のようなところにやってきた少女オフェリア。村人からなるゲリラ部隊? と戦闘を繰り広げている最前線。大尉にとって妻は必ずしも必要でなく、たんに生まれてくるであろう男子だけが必要なだけだった。捕虜にはこれでもかという残虐な拷問を行い、部下の兵士であっても自身に反抗的なそぶりをみせれば容赦なく撃ち殺してしまうような男。

 オフェリアはそんな大尉も好きではないし、こんな場所にもいたくはない。ところがそこで見つけた不思議な虫が妖精に見えた。その虫にひかれるようにはいりこんだ迷宮。そこには牧羊神パンがいて、「あなたはかつての王女の生まれ変わりだ」という話をはじめる。そして三つの試練を乗り越えなくてはならないと。

 大きな古い木のうろから入り込み、その木の命をおびやかしている巨大な蛙を退治したり、地下にある不思議な晩餐会から重要なものを取って来たりと、危険や間違いをおかしつつなんとか生き延びてくる。

 一方で戦況はますます混迷し、ゲリラ部隊に通じていた女性が危機に瀕したり、強力もしていた村の医師が殺害されたり。オフェリアの母親は出産時に死んでしまい男の赤ん坊だけが残されたり。最終的にオフェリアは弟を抱いて逃げようとするが大尉に追いつかれてしまい射殺されてしまう。映像的にはそれによって王女としての試練が完遂し、よみがえることができるかのような場面はでるのだが、結局それらは現実逃避していたオフェリアの幻想でしかなかったのだろうと。

 最終的には大尉も殺されて赤ん坊はゲリラを支援していた女性に抱かれて終わるというなんとも切ない物語。

B00BHULSVCパンズ・ラビリンス [Blu-ray]
アミューズソフトエンタテインメント 2013-05-22

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「まなざしの長さをはかって」

 イタリアの小さな村にマーラが教師としてやってくる。若く美しいその姿と奔放な振る舞いに村人はやや翻弄されつつも、男たちはその魅力にひかれていく。自動車を買いにきたことを契機にして自動車工のハッサンは彼女にすっかりほれてしまい、よなよな彼女の家をのぞき見るようになる(どうして彼女はカーテンもひかずに夜を過ごしていたりするので、ときになまめかしい姿態をみせつける)。

 バス運転手はマーラの車が故障して路肩に止まっているところに遭遇し、乗客を待たせて修理してやりまんざらでもない様子。PC をインターネットにつなぎたいがよくわからないというので紹介されたジャーナリストを志すジョバンニはこっそりと SNS のパスワードを入手して彼女の生活をのぞき見る。

 ハッサンとマーラはやがて親密につきあいだすが、彼女にとってはそれは遊びというかでしかなく、結婚を申し出るハッサンに煮え切らない態度。そうこうして、彼女の遺体が発見されてハッサンは容疑者として逮捕されてしまう。

 裁判を通じて彼には不利な証拠ばかりで(といって決定的なものではないのだが)、結果有罪とされてしまう。ハッサンはその後悲嘆にくれて自殺してしまうのだったか? それらを通じて著名になっていたジョバンニに事件を調べなおせと求める親族。で、なぜか通話記録とかあれやこれやとあっさり調べがついてたどりついた真犯人。

 というだけの映画なので、これをどう評価するべきなのか。レビューは高評価が多いのだけれど、物語としてみたらさほど面白いということでもないし、感動的というほどでもない。ああ、ありがちだよねと思うとところはあるものの。確かに風景の美しさとか、マーラの美しさや奔放さはなんだかステキな映像ではあるのだけれど。最終的なところの展開はあまりに安易なところもあるしと。

 サスペンスというでもなくミステリーというでもなく、さりとて単なるドラマというでもなく。うーむという。

B001OAAK1Eまなざしの長さをはかって [DVD]
カルロ・マッツァクラーティ
オンリー・ハーツ 2009-02-27

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「ギルバート・グレイプ」

 生まれてからこのかた 24 年、この退屈な町からでたことのないギルバート。町の小さな雑貨屋で働いているものの、近くに大手のスーパーができてしまい売り上げはかんばしくない。過食症の母、知的障害の弟、姉と妹を養うために必死に働くが暮らしは楽にはならない。弟の奇抜な行動になんどとなく困らせられ、町にいてもやや肩身が狭い。

 保険屋の夫をもつ婦人とは不倫関係。配達の名目でよっては情事を重ねるが、夫に知られているのではと不安でしかたない。分かれようとしたところ婦人が事件を起こしてしまい、大騒動にもなるが幸いふたりの関係は公にならずにすんだ様子。

 トレーラーハウスで移動していて車の調子が悪く町にい続けている若い女性と仲良くなり、次第に心を通わせるようになるにつれ弟のちょっとした行動が癇に障るようになる。とうとう家をでてしまうが、結局戻ってくる。その日は弟の誕生日パーティー。母も兄弟も友人もみな楽しみにしていた。

 食べることだけで外にでることも動くこともしない母親は自分では身動きできないくらいに太ってしまい、もう何もする気力もない。しかし、ようやくこのままではいけないと思い立ちやせる努力をしようかと思ったところでそのまま亡くなってしまう。二階のベッドに何年ぶりかであがったあとのことだった。

 遺体をどうするのだ? と悩むギルバートたち。思い出深いこの家。けれどそれこそが呪縛であると気づいて、家とも町とも決別をする意思をかためる。

 とにかく障害を持った弟を演じたディカプリオがすごすぎて、まだ 10 台そこそこのはずなのにと恐ろしくなるくらい。ジョニー・デップにしてもまだ若く、後にスパロー船長のような役やらややジャンキーな役が板につくようにはまったく見えない。

 障害を持つ家族を持つということを切実に見せつけて深く考えさせられるものの、温かいものが底辺に流れているなと実感する作品だった。

 原題は「What's Eating GILBERT GRAPE」らしい。


B008CB8WL8ギルバート・グレイプ [DVD]
角川書店 2012-07-19

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「SAFE (セイフ)」

 ある種地下の格闘技とでもいうのかで稼いでいる主人公のルーク。本来は八百長で負けるはずだったのだが、相手が弱すぎて(ルーク談)つい勝ってしまい、しかも病院送りにしてしまうほど。そのために大損したロシアマフィアに妻を殺害されてしまい、ルークには常に監視がついていつまでも苦しませてやるというのだった。結局ホームレスに身をやつすのだが、それでもなおマフィアの執拗ないやがらせは続く。彼と話をしただけの相手も殺してしまう。

 もう死ぬしかないと地下鉄に飛び込もうとしたときに、ロシアマフィアに追われている中国系かと思われる少女と目が合う。ふらふらと彼女の後を追ううちに助けてしまうことになる。実は少女は数学の天才で、その才能を見込まれて中国マフィアのボスにつれてこられていた。コンピュータで売り上げなどのデータを管理すると、いざというときにデータがもれてしまうが、頭のなかにいれておけば問題ない。ということで少女はあらゆるデータを記憶させられていた。

 ところが、とある重要な暗号を記憶したがためにロシアマフィアなどから命を狙われることに。さらにそこにニューヨーク市警からも狙われることになって、誰が味方で誰が敵なのかわからない状況に。そこでルークとなぜか手を組んでしまうことに。

 実はこのあたりまでルークの過去についてでてくるがよくわからない。元警察官だったらしいというのはわかるのだが、なぜか現役でかつての同僚にこれでもかと痛めつけられてしまったりもする。あるいは彼らはかつて不正を働いていたのか? という節もあるのだがよくわからない。とにかく彼らニューヨーク市警の警官らとルークの関係は最後になるまでよくわからないままというのがもどかしい。

 三つ巴の逃走劇は迫力があってジェイソン・ステイサムの魅力満載。最終的に少女を守りつつある種復讐を果たそうとする過程もなかなかに面白い。それだけにルークの過去がどう今につながっているのかというあたりの不明瞭さ(それが市警との関係につながるにもかかわらず)がモヤモヤしてしまうのがちょっと残念。そのあたりがすっきりと描かれるともっとよかったかなとは。

 とはいえ、なかなか面白い作品だった。

B00ANH0OISSAFE / セイフ [DVD]
ポニーキャニオン 2013-03-20

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irb のバックスペースがちょっと変

 久しぶりに irb を使ったら、コンソールの挙動がちょっとおかしかった。バックスペース。

irb> abcd

 と言う感じに入力してバックスペースを打つと、

irb> ab_d

 みたいになる。カーソル位置はアンダーバーのところ。残像みたいに残るのもあってどこまで訂正されているのか心配になりよろしくない。

 で、昔 2009 年の 1.9.x のころにもなにかおかしな挙動があってパッチを作ってもらったようだったのは思い出せた。久々なのでいつからこうなのかはわからないけれど、やはりバックスペースがうまく追随していないと使いにくい。

 以前は readline がどうのこうのという話もあったような、なかったような。さて。

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秋。一気に深まりすぎ

 つい先週くらいまでは夜ともなれば虫の鳴き声がかしましいくらいだったのに、どうも今週あたりからはすっかりそれがなくなってきてしまった。少しばかり季節が先走りすぎて寒くなりすぎたのもあるのかもしれない。

 9 月にはいってからはそれまでのコオロギの声に加えて耳をすませて聞き分けてみると、どうもクツワムシなのかというような声が聞こえるようにもなっていた。カチャカチャというかカタカタというか。唱歌「虫のこえ」が正しければおそらくという程度の判断でしかないのだけれど。

 実のところこれまでクツワムシらしき鳴き声にはあまり覚えがない。いや、注意して聞いていたわけではないので断定はできないのだけれど、それでも微妙な違いくらいは気づいてもよいはずなので、やはり少し生息する虫の種類に変化が生じてきているのかもしれない。

 そもそもがあたりには草地というか、隣家が草とりをされないので草原状態になっている場所があるというに過ぎないのだけれど、そこを含めてこちらの芝生の中などからもコオロギなどが鳴いている。先日は体長が 3cm くらいはという大きなコオロギ数匹がその後ろ足をもぎとられるようにして息絶えているのを見つけたりもしたのだが、そんな大きな個体がいたとはちょっと驚き。例年小さなものしか目にしていなかったので。

 しかし、特になにがというわけでもない土地にほんのわずかに茂っている草地であっても、こうしてたくさんの虫が集まってくるのだなと思うと不思議でもあり、自然というのはよくできたものだなと感心でもあり。

 が、はじめのようにこのところの寒さもあってかまったくその気配がなくなってしまった。なんだか秋が駆け足で過ぎていきそうなこの秋であるなあ。寒い冬がやってくるのだろうか。まずは懐をあたためる努力をしなくては。

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貝桶、いぢめる? いぢめないよう

 [ 漆芸の極みをもとめて ~輪島塗超絶技巧への旅~|NHK 日曜美術館 ]

 職人技という工芸品などでもすべて自分でつくるというものであったり、工房になっていてまとまっているものもあるけれど、分業がしっかりなされていてそれぞれの専門に分かれていて作業している。それぞれの工程だけを処理したら次の人のところに渡すという手法も案外多い。

 たとえば木版画とかでも彫師と刷師は別で場所そのものが違うので届けにいったりとか。扇子の作業工程なども分業が進んでいたかと記憶する。輪島塗についても同様だそうで、塗りやその後の絵付け? など分業がされていてお互いに他の工程の仕事ぶりなど見る機会もない。

 そこへ江戸時代に作られたという貝あわせの貝をしまっておいたという貝桶というものの技巧を現代に再現しようというプロジェクトではじめてとられた工房システム。すべての職人が同じ場所で一緒に作業する。もちろん同時進行というわけではないので、とにかく一緒にいてお互いに意見をきいたりしながら進めていこうというもの。

 江戸時代の作品を見ると一見なんでもないように見えて実はいろいろととんでもないような技巧がこらされていることに気づくといい、それを現代に再現することの困難さと、まったく新しい試みによる職人相互の変化や成長といったものが伝わってきてなかなか素晴らしかった。

 塗りと沈金の複合技のところでは塗師と沈金師が一緒に相談している場面があり、塗師が「傷をつけて」などと発言したら「そんなふうに言われるとちょっと傷つく」といったようなことを言われて、あわてて訂正して言い直していたり。つまり自分以外の工程についてはあまり意識しないというか、こんなものだろうみたいな思い込みのようなものがあって、ある意味他の工程を低く見るようなところがあったのかもしれない。

 ところが作業をすすめるうちに、お互いに新しい試みではいろいろ試行錯誤があり、うまくいかないところもでてくる。そんなときにひとりで悩まずにみんなに相談してやっていこうよと。ひとりで悩んでいるっだけでは時間がもったいないよと。そうして次第にプロジェクトが動きだしていく過程がなかなかステキでもあった。

 できあがったものの素晴らしさはもとより、職人たちの交流によるあらたな発見もまたすばらしかった。職人というものには、あこがれていたなあ。もう到底無理ではあるけれど。

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夏の小窓

高い空


 過ぎ去ったかに思えた夏が、ときおり忘れ物をとりに帰ってくるらしい。

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小林一三のほうは面白く見た

 NHK の 90 年記念ドラマの「経世済民の男」ふたりめの小林一三を前後編で見る。これは面白かった。高橋是清のときのような年表スライドという感じがあまりなく(もちろん、二時間弱の時間に生涯をおさめるのだから多少なりともそういう側面はあるのだけれど)うまい具合にまとめられていたようには。

 恐らくは大阪が主なる舞台ということなどもあってコメディ的な要素も随所にはいっていたことも好印象の一因なのかもしれない。あるいは阿部サダヲの魅力というか。さらには、上司として登場し牽引役となった岩下の存在の面白さみたいなものとか。

 まあ、それでもいろいろ批判というかはあるようだけれど、あくまでもドラマとして作られたものなのであまりあれこれ言ってもはじまらない。

 シリーズとしてのプロデューサーの意向みたいなものが反映されてしまうのは止むを得ないところで、それでも違いがでてきたのは人物の違いかもしれないし、脚本家の違いなのかもしれない。

 いずれにしても高橋是清の特に後編のようなつまらなさは感じることもなく、存分に最後まで楽しめたというだけで満足。大変な時代ではあったけれど、逆に多くのチャンスに気づけばいろいろできた時代でもあったなあとは。今だってできるという人はもちろんあるだろうけれど、そうはいってもこのご時勢はなかなか厳しいといわざるをえないのではないかとも。まあ、それでもやる人はやっているわけではあるが。

 なんにせよ面白かったし、よかった。最後のドラマは見られるかどうかわからないのでなんともいえない。可能なら見たいとは思うのだがなあ。

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ホテル・ルワンダ

 どうやらそもそもはツチ族とフツ族に一方的に分類されてしまったがゆえにはじまった両部族間の対立だったようで、それが大統領暗殺を契機に暴発をはじめフツ族民兵によるツチ族抹殺がはじまってしまうと。国連軍が平和維持にあたってもいるものの手出しや手助けは大っぴらにはできず、なんとか海外資本の高級ホテル(外国人が多数滞在している)には直接的な手出しをしないことから、フツ族である支配人家族を頼ってきた近隣のツチ族の人々とともにホテルになんとか身を寄せる。

 ところが次第にフツ族民兵の行動やルワンダ国軍の動きにしてもエスカレートしていき、しだいにホテルですら安全でなくなっていく。支配人はホテルの本部に連絡をとるなどしてなんとか事態の打開と救援を模索するがなかなかうまくいかない。一度は脱出を試みたトラックは民兵に見つかり、命からがらホテルに舞い戻ってくるはめになる。

 家族だけはなんとか守りたい。けれども世界はルワンダをほぼ見放している。自分にどれほどの力があるというのか悩む支配人。民兵や国軍、国連軍などと交渉していく緊迫した展開にいちいちハラハラしてしまうくらいに物語が現実味を帯びている(いや、確か実話に基づいているはずではある)。

 最終的になんとか脱出に成功し、ホッと息をつくものの、助けられなかった命との出会いもあって手放しで喜べない。まだまだ世界にはこうした不幸な事実がたくさんあるのだと、人の愚かさをあらためて実感させられる映画なのだった。

B000FOTK6Qホテル・ルワンダ プレミアム・エディション [DVD]
ジェネオン エンタテインメント 2006-08-25

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とんぼ

とんぼ


 秋であるなあ。

 それにしてもとんぼというのはなぜこうした棒などの先に止まりたがるのだろう。

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水害やまず

 台風 18 号の本州横断に続き、それに誘われて入り込みつづける湿った空気による雨雲で局地的な豪雨が続き、栃木県や茨城県、宮城県では大きな被害がでてしまい、報道こそ少ないとはいえ周辺各県でも数々の被害が発生している様子。巨大な河川の堤防決壊による悲しい映像を見るとなんともやるせない思いがつのる。

 そういうこともあって連日 NHK では特別報道体制となりラジオの番組も変更になって災害関連情報を伝えたり、ときにはテレビ音声を流したり。まだどうするか決めかねていたらしい朝のうちであるとかは通常番組をなんとか構成しようとしていたようではあったけれど(番組表てきにもあくまでも通常番組だった)、いよいよ覚悟を決めたのかというのがこの三日間の様子。さすがに国会中継は中止というわけにもいかず FM での放送に切り替えたようだ。テレビはどうなのだろうか。教育へ持っていったか、はたまたサブチャンネルを使ったか。

 幸いにして長野県というのはこういうときに比較的被害が少ない。それもこれもアルプスを代表とする高山帯に周囲グルリを囲まれているがゆえ。もちろん今回にしても被害がなかったわけではなく、雨もそれなりに多く降った地域があるのでそれらでは土砂崩れであったりという被害も発生してはいる。ただ、総じていえば被害は少なめだった(まだ、過去形にするには早いけれど)。

 とはいえ、それがゆえに雷雲が急激に発達してしまうようなこともあったりして昨夜あたりの雷雨は急速に発達してあっというまに土砂降りとなり去っていったという趣。関東から東北南部で発生していた豪雨の余波のようなものがポツリと飛び地的に発生していたという様相。

 テレビにしろラジオにしろ悲惨な状況が報道されるを見ていても、特になにをできるということでもなく、ただただお気の毒と思うしかなく、少しでも無事であればよいがと願うばかり。

 毎年まいとし災害のない年はなく、なかなか心おだやかに過ごせる時期など少ないのかもしれない。せめて心持くらいはおだやかでありたい。災害被害の少しでも軽減されますことを祈って。

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オープンパスワード

 今年は国勢調査の年で、今回からはインターネットでの回答ができるようになったといってさかんに宣伝している。PC やスマートフォンからちょちょっと答えるだけですぐすむから簡単便利、みたいなうたい文句。回収率をあげたいということらしいのだけれど、さてどうなのだろうと思ったりはする。

 先日(実際的には 10 日 11 日あたりでという計画らしいが)調査員の方から案内の封筒をいただいた。インターネット回答のための固有 ID とパスワードが記された用紙と案内が一緒にはいっている。ということで家庭を間違えないように慎重に確認して封筒を手渡された。

 が、しかし。

 その封筒に封はされていなかった。調査員の方がなどというつもりはなく、むしろそこにいたるまでのどこであってもそれら ID とパスワードのリスト収集が可能であったということになる。こういう意識でよいのだろうか。ことによるとすでに第三者によってアクセスされている可能性だってあるかもしれないし、データの書き換えだって可能になるわけだ。まあ、それをやって何の得になるのか、という疑問がないではないが、仮にすでに入力されていた場合には、収入であったりもろもろの情報をすべて閲覧することが可能になるわけではある。

 あるいはそれはこの地域だけのことなのかもしれないけれど、とすればなんという意識の低さなのだろうと嘆かわしくなる。

 しかも専用サイトのポータルは HTTP のようで、なぜ HTTPS ではないのだろう? あるいはログインした先の回答ページは HTTPS なのかもしれないが、それはログインしないことには確認のしようもない。そのためだけにやってみるつもりもあまりない。

 なんとなくそれだけでもネットで回答というのを使う気持ちがなくなってしまう。そうでなくても、どうもこの国の行うネット利用はセキュリティへの注意が不足してはいないのか、という疑いを捨てきれないので。マイナンバー制度などそのきわみというのに、あまりしっかりとそのあたり議論したり対策しているかのようには見えない様子がこの時点になって顕在化してきている。

 ということで今回も以降もネットで回答はしないだろうなと。

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今回の「100 分で名著」は一味違う

 「100 分で名著」で太宰治の「斜陽」がはじまった。テキストの原稿をまるまる書いているところという話を春先だったかに源一郎さんがしていて、ほうと思ってはいたのだった。8 月くらいという話ではあったが実際には 9 月になった。で、見たらなんとも面白いできになっていてワクワクする。

 実のところ「斜陽」は読んだことがないし、考えてみると太宰治の作品のほとんどを未読だった。で、いきなり実はこれには原作というかオリジナルがあるという話がでてきて、ファンならばよく知られていることなのだろうけれど、いや、そういうのはありなのか、と素直に思ってしまう。それがゆえのあまりにもリアルな母娘の日常(それも高貴な家の)が描かれるということだったかと。

 とはいえ、確かに母と娘というのは、多くの場合に依存し依存されという関係が強くて、一方があまりに強いとそれが重荷になっていろいろの問題を引き起こしたりという事例もあるやに聞く。事件というかドラマ的というか。そこへもってきて周囲の男がいずれもだらしがないというあたりもなんとも興味をひくところで、これはよろしくない。全 4 回を見終わったら確実に読み始めてしまいそうだ。

 高橋源一郎さんというのもあって、いかにも学者然という人ではないし、おちゃらけだけの人でもないので、実にこれまでにない「100 分で名著」の雰囲気になっていて、そこままた面白い。今回はおすすめだな。

4142230549太宰治『斜陽』 2015年9月 (100分 de 名著)
高橋 源一郎
NHK出版 2015-08-22

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4003109031斜陽 他1篇 (岩波文庫)
太宰 治
岩波書店 1988-05-16

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白露

 「秋が気配が強くなって白く露が結ぶころ」とかいう白露。なのだけれど、この秋はお盆をすぎたら急激に気候が変わってしまい、初秋を通り過ぎて秋本番か? というような気候に変移してしまったかというような様相。

 前線が早々にい続けて、さらには台風も頻繁にやってくるということもあって雨が続く。気温も低くてすでにして 9 月下旬から 10 月くらいの陽気だったりもして、そうそうにかけ布団を出してきたり。

 白露、などとうに過ぎてしまったのではないか、と思ってしまうくらいの陽気が続いている今年。夏は夏で厳しい暑さだったのに、もうその暑さを忘れて「夏が短かった」などという声まで聞こえてきたりする。

 NHK スペシャルの「巨大災害」の今年のシリーズでは、極端化する気象などというテーマをやっていたりもしたけれど、本当に近年はそういう傾向は強くなっていて寒暖の差がはげしい気候が続く。よくいえばメリハリがあるといえるのかもしれないけれど、正直日本という国土にはかつてなかったし不似合いな気候ではあるようには。

 さて、こうなるとこの秋の紅葉の様子というのも気になるし、さらに鬼が笑うのを承知でいえば冬の気候がどうなるのだろうかと不安に思ってみたりもするのだった。

 とはいえ、いまこの季節をひとまずは楽しむ気持ちももちたいところではあるなと。

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「はじまりのみち」

 木下恵介といえば作品は見たことがなくても名前くらいは知っている、というのはやや年齢が上の世代のことだろうか。高齢であれば懐かしく思い出す人も多いかもしれない。実際あまり知っているといえる作品はないのだけれど、そういえばテレビドラマでも特別の時間があったようにはと思いだすのがよいところかもしれない。

 そんなわけで戦中・戦後をふくめどのような経緯を持っているのかなど知りもしなかったが、戦況の変化によってこれまでのような映画づくりができなくなって国策映画など作っていられないとばかりに監督業をやめて実家に戻っていたなどということも、もちろん知らなかった。

 で、この映画はそこで起きた少しのできごとを描いていると。空襲が激しくなり、床に伏している母親を含めて山奥の知人? だかのところに疎開するということになるのだが、寝たきりの母親をどうするのか。リヤカーで運ぶと言い張る恵介。結局折れる形で兄と恵介、そして何でも屋ひとりを頼んで(当初はふたりだったが)歩いて疎開先に向かう。山道を越えて。

 その道中の出会いや苦難。そこで聞いた自分の監督映画が人々にどのように受け止められているのかという生の声を聞いて、ふたたび映画づくりをしたいという意思を固めていく。ということではないかという映画。

 実にその行程だけが描かれているといえる作品ではあるけれど、確かにそこに木下恵介という人の原点(あらたな原点というべきなのか)があったのだなと思わせる過不足ない映画に仕上がっている感じ。見た後になんとなく温かいものを感じられる。御幣はあるかもしれないが、日本映画にもよいものはあるよなと感じさせてくれるという意味でも稀有かもしれない。

B00EUAXOE0はじまりのみち [DVD]
松竹 2013-12-05

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はじける新たな泡の時代

 [ No.515日本発 驚異の泡! ウルトラファインバブル 2015年8月30日の放送|NHK「サイエンスZERO」 ]


 ナノサイズの泡によって広がる様々な世界。ウルトラファインバブルとしてそれぞれ細かい規格を作って広めようとしているらしい。大きさによってさまざまな働きが期待できるとか。

 サバの鮮度を維持するために窒素のウルトラファインバブルのはいった水に 10 分つけるだけで鮮度が 5 日間維持できるのだとか。

 また、細菌に特定の大きさにしたオゾンのウルトラファインバブルのはいった水によって細菌を破壊することができるとか。

 さまざまな洗浄にも応用が期待されているとかで、バブルがはじけたけれどあらたなバブルの時代が到来しようとしているらしい。なにしろ基本泡にしているだけということと、それが含まれた水でよいということで安全性の高さがなによりも評価されているようで。

 なかなかに面白い世界だった。

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夏(から)の花

2015081612


 7 月くらいに植えられたのだったかと思うのだけれど、まだまだ咲き続けている。

 君はいったいいつまで咲きつづけるのだろう。

#名前を忘れてしまった・・・

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「海月と私 4」

 8 月のはじめくらいだったろうか arton さんが予約できるようになっていると言われていて「早いなあ」と思ったのだけれど、たまたま早々に購入することになった。で、読み始めたら最終巻だった。 4 巻であっという間の終わりとは。

 冒頭いきなり海月さんがいなくなったという話で、すっかり 3 巻の最後など忘れていて確認したら確かにそれから行方不明にという話だった。DNA 検査の結果が送られてきてからという展開で。そうだった、そうだった。

 で、なんだかハードなようなソフトなような展開で旦那さんが八面六臂な活躍をして、いろいろわかってきて、なるほどなるほどと思っている間に終わってしまった。

 海月さんの素性についてはすっかり明かされてしまってすっきりしてしまったが、正直この先のもうそんなことはどうでもよいという状況での物語りというのもまた読んでみたいなあと思わせる不思議なゆるさのある空間だった。旦那さんは最後まで海月さんにコロコロされていたのだけれど、本当そういうコロコロならされてみたいとまじめに思ってしまいそうなのだった。

 楽しんだ。でも、やっぱり、もう終わりなのかという気分も強いので、番外編でもいいからやらないかなあ。

4063880737海月と私(4)<完> (アフタヌーンKC)
麻生 みこと
講談社 2015-08-07

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「探偵ジャクソン・ブロディ」というテレビ映画? を見る

 GYAO! で「探偵ジャクソン・ブロディ」とかいうのを見てみる。どうやら全 6 話のようで毎回 90 分あまり。初回はおよそ二時間という長さ。元警察官で事情があってやめてから私立探偵をしていると。妻とは離婚(もしくは離婚調停中?)したらしく、週に一度くらい 10 歳前後の娘と会うことだけが楽しみといった男。

 とはいえ元同僚である女性警官にいろいろの調査を依頼したり、なんとなく気のある様子があったり、そうかと思えば行きずりの女性とも割りと関係を持ったり。まあ、タフではあるし、勘も鋭いのだが、私生活に関してはどうなのだという男ではある。

 まあ、そんなところも作品の面白さなのだろうけれど、ドラマとしては(どうやらイギリス製作のテレビ映画シリーズというところか)悪くはないが、どうにも作りが悪いという脚本。特に初回などは三つの依頼が舞い込むのだが、そのどれもがみな関係していて、調査をするうちにそれら関係者に偶然出会ってそれがそれぞれの解決につながっていったりというあまりにもご都合主義がすぎる。

 まるっきり関係のない複数の人間からの依頼であるにもかかわらず、そうそうみな近所でたまたまであって解決などするはずもなく。

 それでもそうした展開が三話くらいまで続く。そこから少し変化して、ブロディが犯罪に関わっているかのように思われ満身創痍で活躍したり、あげくは元妻が娘をつれてニュージーランドだったかに引越してしまい、娘とはたまに Skype で会話するが、娘の気分次第で終わってしまったりと寂しい生活。

 ことに少年時台に姉を失った記憶の映像が何度となく繰り返し挿入されていて、当初はそれが非常にしつこくてうんざりするのだった。それでいてその後の物語になにか影響をもつのかというと何もない。ということで後半ではそうした映像の挿入はなくなった。

 そして最終らしい 6 話。事件が充分に解決しないままに物語りは終わってしまう。元妻が失業してしまい結局イギリスに戻るということで、一足先に戻って一緒に暮らしていたはずの娘も出てこない。どうしてしまったのか? 元同僚の女警官も医師との結婚をやめてしまい、フリーになったからとふたりのよりが戻るのかと思いきや、そうでもない。

 あれもこれも宙ぶらりんのまま終わってしまった。なんだったのだろう。設定といい、キャラクターといい、なかなかに面白い作品ではあったのに、どうもいまひとつ作品としては今ひとつ。脚本というか演出というか。原作小説は評判らしいのだが。

 というかどうやら DVD などにはなっていないようで。先日の「Jo」にしてもそうだったけれど、これもまた打ち切りの類なのかもしれない。もう少しなんとかならんものか。

 原題は「Case Histries」だったか。事件簿とでもいうところなのかと思っていたら、原作のタイトルからしてそれであっているといえそうだ。

4488010377探偵ブロディの事件ファイル
ケイト・アトキンソン 青木 純子
東京創元社 2014-10-22

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自分の防災準備について再確認

 防災の日を過ぎたのを受けて、自分自身の現状を少し振り返り課題を確認してみる。

 大型家具(ことに書棚)についてはすでに固定済みで、これが万一夜間に倒れてきた場合には確実に死ねるということもあってここはまずは安心材料かなと。ほかについてはできているところ、無視しているところなどさまざま。仮に倒れても実害がないところはむしろそのままにしていたりする。テレビは台となっている今は使っていない VTR に縛り付けている。

 電子レンジまわりは不安定なこともあって一定程度の固定をしている。問題は冷蔵庫で、この大きさと重さをどう処理するのかが難しい。借家ゆえというのもある。

 水に関しては 1.8 L のペットボトルが現在 9 本あって、まもなく 10 本になるだろう。おおむね 5 日程度ならというところか。問題は食品のほうか。これはなかなかちょっと難しい。順次食べつつ更新していくべきだが、正直まだきちんとはしていない。

 また、燃料系も問題だ。プロパンガスなので、復旧そのものは早いはずなので、機材に問題がなければ早期にそのまま使えるという環境ではあるかもしれない。一応かつてキャンプに使っていた EPI ガスストーブがあるにはあるが、ガスカートリッジが古いものなので(問題はまだないし、残量もわずかなので早々に使い切って更新しておきたいところではある)、これはなんとか更新したい。

 まあ、それらがあると米と水があれば炊飯する用具一式はあるのだが。食材全般としては少し考えないとダメなのは現状だ。

 あわせて暖房とかだとさてどうするか。冬の防寒着であったり、布団や毛布の類はあるし、就寝時もアルミの保温シートを使うくらいにしているので、ある程度はいけるか。夏場はそもそも冷房にかかわる器具は団扇以外には存在していないので問題はない。

 あ、携帯電話であるとかラジオのための電池の充電環境というのはまだなままだ。手回し充電ラジオの類をと思いつつそのままになっている。これもいい加減用意するべきか。

 気がついたときにやらないとまた忘れてしまって「まあ、いいか」になるので、この機会にある程度準備しなくてはいけないな。とはいえ、まずは。

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山猫の夏

 船戸与一再読の二冊目(といっても多分手持ちはこれで終わりかもしれない)。文庫で 710 ページあまりという大部。すっかり内容など忘れているのでその分厚さに正直ひるみながらも手にしたら、あれよあれよと読んでしまった。面白い。

 ブラジルの架空の町エクルウを舞台にして山猫と呼ばれる日本人が、町を戦乱に巻き込み、長年続いていた歪んだ町の実相を根底から変えてしまおうとするかのような活躍が描かれる。ふたつの荘園家が支配するエクルウ。いがみ合う両家は度々死者を出す抗争を繰り返している。小さな山間の町ということもあり町の住民もいつしかそれぞれにつくような形にならざるを得ず、それぞれの家に出入りする商売がそれぞれに存在する(それぞれだけに商売する肉屋がひとつずつあるなど)というような特殊な様相を呈している。

 警察はそうした抗争を見逃すことの見返りに両家から賄賂を手にし、駐屯する軍隊(といってもごくごく小規模なもの)は両家に武器を横流しすることで私腹を肥やしている。とはいえ事が大きくなりすぎればさすがに警察にしても無視もできないため、両家はある程度のところで矛を収めることで、町の支配権を維持しているのだった。

 そこへ現れたのが山猫と名乗る日本人。胡散臭い感じなのだが、両家のひとつビーステルフェルト家に依頼されてやってきたのだった。とある男と駆け落ちした娘カロリーナの行方を捜索するために。実は駆け落ちの相手は敵対するアンドラーデ家の息子フェルナン。こともあろうに禁断の恋に落ちたふたりが両家を敵に回して逃げ出してしまい、両家は当然それを許せるはずもなくそれぞれに捜索隊を派遣するのだった。

 とはいえそれによってそれぞれの家の兵隊を減らしてしまい抗争的バランスを崩すことをよしとしないので、すべてあらたに雇った人間ばかりで構成された捜索隊を両家は派遣。当然寄せ集めともなれば、統率などなかなか望めるはずもなく、山猫を快く思わない輩がチャンスをうかがうのだった。

 前半はその追走劇。抜群の推理で駆け落ちしたふたりの行き先を判断し、近道して追いつこうとする山猫の一行。見事にそれはあたったが、予期せぬ事態は起こるものでアンドラーデ家のフェルナンは途中であった盗賊によって殺害されていた。カロリーナは盗賊らによって陵辱されすっかり正気を失ってしまっている。

 山猫は盗賊一味を倒してカロリーナを救出し、彼らが鉱山町から奪った鉱石なども返してやる。そうして帰途につくのだが、ここで登場するのがアンドラーデ家の捜索隊。そのリーダーがかねて山猫を追っていたいわくつきの男で今は用心棒に身をやつしたとはいえ凄腕のサーハン・バブーフ。双方の知力を駆使した総力戦が繰り広げられてどちらも大半の仲間を失うなか、舞台はエクルウに戻る。

 山猫が狙うは両家の財産の半分ずつを分捕ること。実質両家はもはや弱体化しつつあることを思えばそれによってエクルウの町の勢力分布はまったく崩れるような状況になる。同時に、警察や軍隊にも手を向け賄賂におぼれる指揮者の排除も目指す。山猫がなぜそこまでするのかはわからない。

 警察と軍は共謀して両家に攻撃を開始。とうとう非常事態がはじまる。両家のいがみ合いは最高潮に達し、今となっては住民同士ですら殺し合いが起きてしまう状況。この事態を収めるために山猫は両家に連絡してついに財産の半分を譲渡するという正式な文書の調印にこぎつけようとする。

 エクルウの町で繰り広げられる終盤の 200 ページあまりの展開はめまぐるしいものもあって手に汗握る暇もないくらい。はたして山猫のの野望は実現するのか、そしてなぜここまでしたのかといったあたりが最後には明かされるわけだが、それはまあ読んでのお楽しみにするほうがいい。

 物語の語り部でもあり、山猫によって事件の一部始終に巻き込まれることになる”おれ”がいかにして変貌していくのかといったあたりも実に面白い。まさに船戸与一絶頂期のはじまりという頃の作品で、一気読み必死。

4094060707山猫の夏 (小学館文庫)
船戸 与一
小学館 2014-08-05

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 持っているのはこっちなのだが、今は小学館になってしまっているらしい。

B00F2H353U山猫の夏 【新装版】 南米3部 (講談社文庫)
船戸与一
講談社 1995-11-15

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