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「京都の精神」


 ポイントが付与されてもったいないのでなにか買うかと見ていたらちょうど金額的にも間に合って、読んでみたいと思えるものがあったので買ったというのが「京都の精神」(梅棹忠夫)。京都案内のようなものもあったのだけれど、それよりはよいかとこちらを選んだ。

 発表されたのは 30 年あまり前のことなので、いまとなってはいささか古びているだろうか、という不安もあったけれど、意外と今も変わらないなあというところが多数指摘されていてなかなかに納得しながら読み進めた。

 はしばしから伝わってくる京都愛というものが強くて、ときにそれが鼻につくようなことも正直ある。京都だけが別格であり昨今よくいわれるような京都類似の範疇のようなものに地方の田舎などをいれてもらっては困るといった例示が非常に多いのだった。

 まあ、それはそれでわかる。京都は確かに一等上をいっているとは思うので同列に扱うのははばかられるかもしれない。ただ、めくじらをたてるほどでもない部分にまでいちいち京都をそこに含めるのはけしからん的な言説が多いのはちょっとやりすぎ感もしてしまう。そこまで特別視しなくてはいけないだろうかとは。

 そういう京都だけが一等特別で他に類を見ないのでよそとは一切一緒にして欲しくない。京都に準じよみたいな殿様っぷりが激しいことをのぞけば、一般的なところとしての論はなるほどと今に通ずるものがあって、耳が痛い人は少なくないのではないか、などと思ってしまう。(が、だいたいそういう人は聞く耳を本来持たないので、なんの影響もないのではあろうけれど)

 観光が産業ということをうたっているところにしろ、これから観光で設けようと思っているところとかは、あらためて考え直すところが多いのではないか、観光のために既存の資源を破壊しておとぎの国を作って「さあ、どうだ」というものばかり作ってみても、そこになんの意味があるのか。そんなことを当時から考えていたというのがさすがではあるなあと。

 電子書籍で読んだのでページ概念を適用しにくいので以下はすべて引用だけれど該当場所を適切に示せないのが辛い。電子書籍の欠点のひとつではあるなあ。

 京都などの観光産業のひとつの行きかたとしては、たとえばほかの観光地とはちがうかんがえで、とびきり高級品をみせるという方法もかんがえられるのです。そのかわり、みにきていただくお客さまにも、どうぞ上等のひとだけきてくださいということになる。一級品展示場だということです。
 ところが、観光というものがいまうごいている方向は、逆になっている。どんどんそれをぶちこわすことが観光開発だというかんがえかたになっている。じっさいおこっておりますことは、みなさんご承知のとおり、日本全国における景観の破壊、これはちょっとめざましいものです。うつくしい景色をどんどんぶちこわしてゆく。それを観光開発と称しているわけです。
 こういうことはかんがえようで、お客がそれを要求するからだという理屈もまたありえます。しかし、お客に要求があるから、いくらでも低俗化してよいかというと、わたしはそういうものではないと思うのです。
 京都なんかも、まさにそういう例になりうるかもしれない。観光客がなにをしに京都へくるかというと、プラスチックをみにきはしません。京都のお寺とか郊外へくるのは、やはり現代的な俗悪さがないところをもとめているのです。そこへいってみたら、でかでかとペンキの標柱や看板がたっているというのでは、まったくぶちこわしです。
 いまは、はじめからある資源のうえにあぐらをかいている。なんら演出というものがおこなわれていないのです。京都全体のイメージをどういうぐあいにつくりあげてゆくかというようなことを、かんがえる役わりをはたすひとはだれひとりいない。ばらばらに、かってなやりかたでおこなわれているわけです。

 演出の上手、下手によって、観光事業というようなものはおおきくかわります。演出家ないしは舞台装置家が必要だとおもうのです。京都全体をひとつのイメージでつくってゆく。(中略)そういう時代になってきている。すでに世界のどこでもやっていることなのです。

 東京に対してでも、まったくおなじような意識がございまして、逢坂山を東にこえたら鬼がでるというのが、京都市民のふつうの感覚だと思います。きょうのテーマは「京滋(けいじ)文化」で、滋賀県のみなさんにはちょっともうしわけないんですが、逢坂山からむこうは世界がちがうとおもっている。東京もこのごろだいぶましになってきたらしいというのが、ふつうの伝統的京都人の意識かとおもいます。
 京都は文化観光都市という看板をかかげてきたわけでございますが、わたしはまえから観光をはずしてください、文化都市ならけっこうですが、観光都市でたつということはたいへんこまる、といってきたわけです。観光では先がしれてしまいます。観光都市というのは、先祖からひきついだ文化遺産を種にして、売りぐいをやるということでございます。
B00EETORPM京都の精神 (角川ソフィア文庫)
梅棹 忠夫
KADOKAWA / 角川学芸出版 2013-08-15

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