貝桶、いぢめる? いぢめないよう
[ 漆芸の極みをもとめて ~輪島塗超絶技巧への旅~|NHK 日曜美術館 ]
職人技という工芸品などでもすべて自分でつくるというものであったり、工房になっていてまとまっているものもあるけれど、分業がしっかりなされていてそれぞれの専門に分かれていて作業している。それぞれの工程だけを処理したら次の人のところに渡すという手法も案外多い。
たとえば木版画とかでも彫師と刷師は別で場所そのものが違うので届けにいったりとか。扇子の作業工程なども分業が進んでいたかと記憶する。輪島塗についても同様だそうで、塗りやその後の絵付け? など分業がされていてお互いに他の工程の仕事ぶりなど見る機会もない。
そこへ江戸時代に作られたという貝あわせの貝をしまっておいたという貝桶というものの技巧を現代に再現しようというプロジェクトではじめてとられた工房システム。すべての職人が同じ場所で一緒に作業する。もちろん同時進行というわけではないので、とにかく一緒にいてお互いに意見をきいたりしながら進めていこうというもの。
江戸時代の作品を見ると一見なんでもないように見えて実はいろいろととんでもないような技巧がこらされていることに気づくといい、それを現代に再現することの困難さと、まったく新しい試みによる職人相互の変化や成長といったものが伝わってきてなかなか素晴らしかった。
塗りと沈金の複合技のところでは塗師と沈金師が一緒に相談している場面があり、塗師が「傷をつけて」などと発言したら「そんなふうに言われるとちょっと傷つく」といったようなことを言われて、あわてて訂正して言い直していたり。つまり自分以外の工程についてはあまり意識しないというか、こんなものだろうみたいな思い込みのようなものがあって、ある意味他の工程を低く見るようなところがあったのかもしれない。
ところが作業をすすめるうちに、お互いに新しい試みではいろいろ試行錯誤があり、うまくいかないところもでてくる。そんなときにひとりで悩まずにみんなに相談してやっていこうよと。ひとりで悩んでいるっだけでは時間がもったいないよと。そうして次第にプロジェクトが動きだしていく過程がなかなかステキでもあった。
できあがったものの素晴らしさはもとより、職人たちの交流によるあらたな発見もまたすばらしかった。職人というものには、あこがれていたなあ。もう到底無理ではあるけれど。
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