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ザップニュース集計(2013/7 - 2015/8)

 韓国を突き放しにかかるフランス。そのフランスの猛追をも相手にしないアメリカの独走はさらに飛躍的に。

世界のニュースザッピング 2013/07-2015/8
国名など回数
アメリカ380
フランス225
韓国198
イギリス158
中国128
アルジャジーラ127
オーストラリア122
ドイツ22
スペイン20
ロシア18
フィリピン17
インド13
ベトナム12
タイ11
香港7
シンガポール7
ブラジル5
インドネシア3
トルコ3


ザップニュース上位グラフ


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年表ドラマでは面白くない

 NHK で「経世済民の男」のドラマシリーズ「高橋是清」を前後編で見る。前編はまあそれなりという感じで見て、なるほどなかなか不思議な人であるなあ、などと思いつつみていた。ところが後編になると少し印象が変わってきて、どうにもダイジェストの色が濃くなってしまった。おおざっぱにいってしまうとテロップで「○○に就任」とかだしておいて、それにまつわるエピソードをひとつあたり演じると次に移る。という具合。さながら年表をただ見せられているかのようだった。

 確かに個々のエピソードもなかなか興味深いものだったり、面白いものだったりはするのだけれど、本当に断片を小さな断片を入れ替え入れ替え見せられているだけという状況は、今ひとつドラマとしての面白みを失わせるに充分だったとしかいいようがない。

 あくまでも史実を元にしたフィクションとしてということでもあればなおのこと。もっと特定に時期に絞ってしまったほうがよかったのではないかとは。たかだか二時間弱という時間で 80 いくつまでの一生を描こうとするほうが無理すぎる。いっそ大河ドラマ枠できちんとやったほうがよいのではないかという意見は至極全うではないかと。

 こうなってしまうと続くふたり分のドラマに対する期待が、やや不安になってしまったりもする。これが放送 90 年記念ドラマというにはいささかお粗末と思えてしまう。残念。

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雨上がりの初秋

赤とんぼが群れ飛ぶ田園


 昨夜から午前までみっちりと降った雨。どんよりとした天気が続いてもう秋霖なのかと思うような天候で、どうなることかと思ったら、午後にはふっと晴れ間が広がったりして日差しがさしこむと時期はずれの蒸し暑さがムッとやってくるという。

 そんななかでも赤とんぼなどが群れて飛んでいたりするのを見かけて撮影したものの、どうにもとらえきれない。

 このまま秋になるわけではなさそうだ、との話もあるものの、はてさてどうなることやらというこのごろの陽気ではある。

 ホッと一息、初秋の夕暮れ。

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蚊のいない夏

 この梅雨から夏にかけての天候もいくらか珍しい感があったけれど、それとも連動するのか「蚊」もまたすくなかった。網戸の扱いや玄関の出入りなど気をつけているというのはもちろんあるのだけれど、それにしてもこの夏は蚊の羽音をまったくといっていいほど聞いていない。少なくとも室内においては。おかげで、刺されることもなかった。

 外の草取りのときなどには、たまにまとわりつく羽虫があったので、なかには蚊もいたかと思うのだけれど、気をつけているとはいえ例年一度や二度はどうしても被害にあってしまうものなのに、この夏はほんとうになかった。これもまた珍しい。

 考えてみると極端に暑い日が続いたということとか、雨もあったが、たまり水になるようなことがなくすぐに干上がってしまったというようなことも影響していたのだろうか。世間的にどうだったかはよくわからないが(ラジオなど聴いていると蚊に刺されたという話も出てはいたのでまったくということでもない)、少なくともこのあたりにおいては比較的発生が少なかったのではなかろうかとも。

 同様にコバエの発生もほとんどなかった。これまた今年は特に危険なゴミについては冷凍する措置をしていたのでそのあたりも影響したのかもしれないとは思う。昨年などはゴミ袋のなかなどにまとまって発生してしまい、急遽殺虫剤を用意したようなことも。今年は先日数匹をそれでも見かけたが、さほどのことにはならかなった。

 我が家で少ないだけならばたまたま対処がよかったからかと思ったりするのだが、例年大量に発生している実家においてそれがなかったというのがそもそもの発生が少なかったのであろうという理由でもある。そのあたりはやはり気候の影響なのだろうか。

 もっともここへきて涼しくなったので、むしろ今になってという傾向がないではない。また、こおろぎは相変わらず例年のごとく鳴いている。ほかの羽虫はやっぱり柱を作っていたりもする。

 なかなか生物のこうした状況を明確に説明できるモデルというのはないのだろうけれど、それだけに面白いともいえるのかもしれない。なんにせよ少ないと生活のうえでは快適でありがたい。

 いや、考えてみると先日数年ぶりに室内にゲジゲジが乱入してしまったことを思うと、別の意味で問題があるともいえそうではある。ということで、一時切らしていた虫コロリアースを補充したのだった。予防重要。

B000FQMM5Kアース製薬 虫コロリアース(粉剤) 550g
アース製薬 2004-06-29

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Android M エミュレータでなぜか四苦八苦(解決済み)

 Android M がいよいよ最終的になって SDK もでたので一応アプリの動作確認をしようかということでエミュレータを起動。以前からあった AVD ファイルのシステムイメージを 6 のそれに変更して起動させるのだけれど、どうもおかしな挙動をする。

 Android Studio にしたころに 5.x のイメージは確か自動的に設定されて使ったような覚えがある。それが Google APIs x86 のものだった。ということで 6 も同じようにしたのだけれどどうにも起動する気配がない。そこで別の x86 のイメージを設定してみると起動はするのだけれど、最後のところで com.android.phone に問題が発生したとかいって終了するのを繰り返すばかりでさっぱり使えない。

 それにしてもおかしいと思いつつ、それならばと新規に AVD を作り試すとなにごともなかったかのように起動する。アプリの実行にもなんら問題がない。あれはいったいなんだったのかと。

 ただ、やはり OpenGL ES 1.x を使っているアプリはエラーがでてしまって実行できない。どうも 5 以降のエミュレータ用システムイメージでは 2.0 以前のものがうまく対応できていないらしい。ただ、 GL 関連のとあるコードを追加しておくと動作するというのだったが、まだ成功できていない。

 もっとも、5.x に関していえば実機では問題なく動作はしているらしくエラー報告もない。エミュレータでは試すことができないのはちょっと困るけれど、まあ仕方ないかと。いや、本当ならば確認できるにこしたことはないのだけれど。今後実機でエラーが出るようであればなんとか考えなくてはならないであろうけれど。もう少し確認していずれは動作確認できるようにはしたい(する)ところか。

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[RA]:参天からあゆみへ

 [ ごあいさつ|会社案内|あゆみ製薬株式会社 ]

 少し前のことになるけれど遅ればせながらメモ。これまで参天製薬で販売していたリウマチ薬を引き継いで販売する専門会社としてあゆみ製薬というのが始動しているとか。

 おもには経口内服薬としてポピュラーなリマチルと MTX を引き継ぐということらしい。はたしてそれだけでやっていけるのか、という不安がないでもないけれどどちらもまずは効果を試す薬剤ではあるし、それらで状態が安定する人もあるのでそれなりにはということなのかもしれない。

 ということで年末の一覧更新を視野にメモということで。

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「MW (ムウ)」

 とある島の住民が全員殺される事件が起きたのだが、それはほとんど表沙汰にされることもなく疫病かなにかといった風にでも隠蔽されたらしかった。たまたま生き残りの少年ふたりがのちに事件を起こすという話。

 ひとりはエリート銀行員として名を上げる裏では詐欺など犯罪に手を染めており、もうひとりは神父として穏やかに暮らしていたはずなのだが、犯罪の片棒を担がされることを拒否できずにいると。やがて、島民が虐殺された事件の裏に「MW(ムウ)」と呼ばれるなにかがあることがわかり、それが実は新型の細菌兵器らしいのだったと。

 しかし、MW には欠点があって事件とともに隠蔽されたが、当時の残りがまだあるというのでそれを使って復讐を計画すると。たまたま事件を調べることになった女性新聞記者をまじえて物語が展開していくのだがというところ。

 前半東南アジアでおこる誘拐事件。実はそれは狂言で、裏にあるのは島民虐殺事件の首謀者への復讐の一環だったというところなのだが、そのあたりまでは展開としても描かれ方としてもなかなか面白いものがあった。ただ、後半日本での展開はどうもいまひとつな感じがしてしまう。前半のような面白さがなかなかないし、迫力にもかけるところが。必然性というか。

 部隊の描き方とかにしても今ひとつ不自然な感じが強くてはいりこめない。レビューなど見ると、そもそも原作とはだいぶ違うという話もあるようで(もっとも、この手の原作と違うはもはや考えてもはじまらない問題ではあるのだけれど)、まさに映画オリジナルの物語というところなのだけれど、脚本不足というような印象。前半のノリが後半にも欲しかった。特に結末は、それじゃダメだろうという。

 手塚治虫原作に期待しすぎるとちょっと残念な作品かもしれない。

B002LVRPX6MW-ムウ- [DVD]
手塚治虫
小学館 2009-11-06

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西ノ島調査ドキュメントを見る

 NHK スペシャルで噴火を続ける西ノ島の科学的調査のドキュメント。正直にいってしまうとあくまでも調査に同行して得られた直後のことなので、さほど「これは!」という内容があったということでもない。いや、もちろんはじめて映像としてとらえているとか、そもそも現場に近づけないのでようやくにして詳細が見え始めたという内容なので、それなりに驚きの連続という面もあるにはある。ただ、より詳細はこれからの分析を待ってというところが大きいので、ちょっと血気にはやったかという感じがしないでもない。

 とにかく噴火口はおろか島の間近に近寄ることができないので、ラジコンのヘリコプターであるとか、海中の調査にしてもロボットを使うというオンパレード。風が強く、離着陸時に船の構造体に接触せずにできるかどうかが非常に難しいというなかでなんなく成功させていたり。島の上空にきたらあまりの高熱のためにエンジンの冷却水温度が 90 度へと急上昇。なんとか風向きを利用して空冷。といったあたりの冷や冷や感は醍醐味ではあった。

 また、操縦されていた方だったかが「この絵は怖いな」といっていた噴火口間近での映像。噴煙はもちろん、噴石がボンボンと飛んでいる様が間近に見えている。確かにこれは怖いなあと。こうした映像はこれまで充分に撮影できなかったであろうから貴重ではあるのだけれど、正直「すごいなあ」という域をでないのは仕方がない。

 さらに海中の様子ともなると実に静かなものでさまざまなサンゴやら、なかには新種だろうかという魚もいるようだという話はあったけれど、詳細はやはり分析待ちでしかないのであっさりだ。

 以前にも話題になってそれもまた無線のヘリコプターで撮影したかなにかだったと思う、海鳥の生息状況については定点カメラを置くことにしたという内容。周囲ぐるりを撮影するようにした装置をヘリコプターで設置し、また回収してくる。この回収がいわば魚釣りゲームという感じでかなり訓練はされたようなのだけれど難儀していたようだった。

 ようやくフックをひっかけてなんとか船にやってきてそれを安全に落とすのがまた一苦労。なんとか成功して得られて映像には多数の海鳥(ウミネコ類だったか)。どうやらちゃんと繁殖もできているらしい様子があって、まずは一安心ということだった。

 周囲ぐるりならば Richo のシータでも使ったらよかったのではないか、などとも思ったけれど、HD 映像でとかいうと現状のシータではまだ無理なのかもしれないし、まあ、そのあたりは研究者さんたちの選択でもあって。

 噴石を採取するという段では、あるいは小惑星イトカワに向かったはやぶさよろしくという機構でも使うのかと思ったら、回転するブラシでというあたりはへんてこな掃除機といったところ。心配されたがこちらもなんとか採取に成功し、島を組成している溶岩の成分の分析に役立った。それによって(まだ簡易なのかもしれないが)安山岩ということで大陸を構成するような軽い岩石のため島として維持されるということ。さらには大陸の発生メカニズムにも迫れるかという意味においても貴重な例となりそうだとか。

 いくつかは「なるほど」「ほー」というところではあったけれど、総じていえばちょっと薄味だったかという印象は先にも書いたとおり。今後さらなる分析が進んだり、あるいはさらなる調査が行われたときにもっと多くのあらたな知見が得られるとしたら、そのときの感動はまた大きいのだろうなと、期待して今回は待つということかなと。

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きょうは処暑

白鷺


 残暑、残暑といいつつもそろそろその暑さもいくらかおさまってくるというものな処暑の今日。台風がじわじわと近づいていることもあってか気温はさほどではないものの、なんとなく蒸し暑さが増している。ほどほどな風があるので過ごしにくいということでもない。まずまずの天気というところ。とはいえ、見上げれば厚く垂れ込めた曇天なので、そうさわやかというわけでもない。

 すっかり花をつけおえて、その実も次第にたわわになりつつある稲田。水だけははってあるが草がまばらに伸びているところに白鷺。足元を見るとダイサギというところか。いや、その姿形の大きさからいってもまずそうなのかな。(ちなみにチュウサギは足が黄色い)

 台風の接近は被害さえなければ困ることはないが、なにかとまず接近をうける沖縄方面であったり九州であったり四国、近畿方面であったりは心穏やかならぬところはあるのだろうけれど、内陸のこのあたりではめったに大きな被害がでることはないので、多少涼しくなるということにおいてはありがたいところなのかも。まあ、それでも被害がないほうがよいのでできれば避けたいことではある。

 週間の予報など見ると最高気温もやや低めに変わってきており、残暑もいくらか落ち着こうかというところで、さてこのまま過ぎてくれるのであろうか。いくらか涼しくなってきたのであるから、積極的に活動しなくては。

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自転車前輪ハブのグリスアップ

 自転車前輪ハブのグリスアップをする。先日タイヤ交換をしたさいにすっかりグリスが乾いてなくなっており、スカスカ状態でベアリングがカラカラいっているのにようやく気づいたのだった。ぜんぜんダメ。

 考えてみるとこの自転車はおよそ 20 年あまりになるのだけれど、多分グリスアップはしてないのではなかろうか。クランク部分はそもそも専用工具がないのもあったりで無理なのだけれど、前輪ハブなら面倒はない。後輪はちょっと面倒なので我慢する(が、せめて潤滑スプレーくらいはしておきたい)。

 グリスそのものは以前のものがまだ使えるので問題ない。ということで前輪を外して分解する。汚れをふき取っていくと意外と使われているベアリングはなんというのかカバーみたいなものに組み込まれたものだった。つまり個々の玉をグリスに埋め込むという旧来の手間は不要だということ。リング状の保持金具に収まっているので扱いも簡単。

 ということでワンにグリスを塗ってベアリングのリングを埋め込みグリスを多少調えておいてシャフトをとめていく。きつくしすぎないように調整しつつとめてフォークに取り付ける。試し乗りをすると心なしか快適なような気がする。まあ、気がするくらいでしかないかもしれない。

 いずれにしてもこれでしばらくはよいのではないかなと。ぼちぼちとやって小一時間というところ。

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歩く、歩く、歩く

 NHK 「にっぽん紀行」で北海道は中標津にあるという一本道の話。どうやらここ 10 年あまりの間で作られたということらしいのだけれど、作ったのは農家(おもには畜産業か?)の方を中心として作られたというのだった。冒頭にざっとルートが示されたのだけれど、中標津から摩周を抜けて美留和までという長大なもので全長は 70km あまりとか。もっとも、すべてのルートを新規に開拓したというわけではないようで、既存の農道なども利用しているようではあった。

 実際あの砂利道あたりは広大な農耕地にめぐらされた格子様の直線道路によくあったものだ。それらをつなぎあわせ、歩くことのためという目的に接続する補完道路を整備したということなのだろうかと理解した。

 ざっと見たところで開陽台(かいようだい)も通りそうなと思っていたらやはりそうで、はじめに紹介されていた女性が歩いてまず向かった先が開陽台だった。が、映し出されたその風景に唖然としてしまった。いや、自分がそこに立ったのはまだ出来て間もないころだったのだから無理もないのだが、その整備のされ方のすさまじさに驚いてしまった。

 当時の展望台は本当に足場を組んでみました、というくらいに粗末なものだった。鉄骨を組んだだけのようなものだったように記憶している。30 年も前なので記憶違いのところはあるかもしれないが、どう見てもあそこまで立派なものではなかった。

 さらには当時は駐車場など整備されてもおらず、ましてアスファルト舗装なんてされていなかった。むきだしの地面しかなかった。さすがに浦島太郎状態は否めない。

 ひたすら歩くことで無心になれるというのはよくわかる。自分は歩いたわけではなく、自転車で走っていたわけではあるけれど、場所によってはよく歩いたところもあるし、ゆったりした時間を過ごしたという経験はやはり似たような効果をもたらしたことは今も記憶に新しい。

 そのころから言っていることなのだけれど、「人はその移動速度で思考する」というのがある。たとえば車でばかり移動する人は、ほんの50m と離れていないコンビニに行くにも車に乗ったり、時速 100km といえばとてつもない速度であるはずなのだが、ひとたびその速度を手にしてしまうとそれでも遅いと感じてしまうところはあって、さらに速くと思ってしまいがちであったり。

 一方で日々歩いている場合には、所詮急いだところで限界が見えている。むしろ急ぐことで疲労は増すのであるし、疲れない程度に進むことこそ最速であるというような考えを持つ。急ぐ人はどうぞお先にとも思えるようになる。

 といった風に、思考の仕方そのものが移動速度に応じて変化するというのはあるのではないかと。もちろん、そのどちらかが間違っているなどということではない。ただ、あえていえばどれかひとつにとらわれすぎてはいけないのではないかということはいえるかもしれないと。

 その意味で、ふとひたすら歩くだけという行為をしてみるとことでいろんな思考が払拭されて、シンプルな自分に出会うことができるというのはあるかもしれない。そして、それは無理にそこでなければなしえないということでもない。身近なところにもそうした道は、場所はきっとある。まあ、それでもあえてまったく別の場所、広大な場所ということにも意味がないとはいえない。北海道という大地は人間を解放してくれるような広さを持っているのも確かかもしれない。

 ちなみに当時の宿、地平線はいまだ営業されているらしく懐かしく思い出した。若い頃の旅は、するものだよなと。

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マイマイガ(成虫)被害はおおむね回避されたか

 昨年大発生を見て心配された今年のマイマイガ。初夏のころの毛虫では大量に発生しているのを見つけたりもして大変な思いをしたのだけれど、夏になって成虫段階においては少なくとも付近ではまず姿を見ることがなく、世間的にもあまり話を聞かない。どうやらある程度駆除の効果がでたらしい。

 昨年のあまりの発生に夏から秋にかけても駆除の報道などがあいついで、春先にも善光寺御開帳を控えていたのもあり、駆除にむけての活動が案外活発に行われていた。もちろんそれだけで充分に駆除が行われたのかどうかは定かではないものの、こうして秋を迎えようとする今も目立った発生の状況がないということからすれば、おそらくは一定程度の効果をみたと思ってもよいのだろうなと。

 とはいえ、この手のものはなかなか簡単に油断できないので、今後もそして来年も注意しなくてはいけないのだろうなとは思うけれど。

 しかし、増えすぎたマイマイガは駆除できて、増えすぎて実害も大きいムクドリなどの駆除ができないというのはなんという皮肉なのだろうなとは思う。追い払うだけでは数は減らない。法の運用を少し考えて事情によっての駆除(公的なもの)は行うべきではないのかなあとは思うのだが。なかなかそういう動きというのは聞かないのだなあ。

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秋風立つ

秋の気配のひこうき雲


 立秋を過ぎ、お盆も過ぎて、暑さがまだ残るとはいえ、確かに空気が秋へと変わりつつあるのを感じるこのごろ。たっぷりと降った雨のあと湿度はやや高いにもかかわらず、風にあまり湿り気を感じない。ジトッとすることもなく、べったりとすることもない。涼やかないかにも秋の風のにおい。

 ここへきて比較的気温がやや落ち着きつつある日本。残暑が残るとはいえ着実に季節は変わろうとしているらしい今年。まだまだ暑いのも確かだけれど、近年ほどの厳しさは少し落ち着くのかもしれないか、と少しだけ期待してもいいだろうか。

 気がつけば空もまた秋色だ。

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網戸の配置

 今となってはエアコンが全盛であって、当たり前であってという時代になったので、暑いからといって窓を開けてしのぐなどという風景はいくらか少なくなっているかもしれない。とはいえやはり空気を入れ替えたいとかいろいろで開けないわけでもない窓、サッシ。そして夏場のそこで重要なのは網戸の存在ではないかと。

 ところが近年網戸の使い方がどうもおかしなことになっているような気がする。網戸としての機能を生かしていない使いかたをしている家がどうにも多いような気がする。

 どういうことかというと、つまり網戸は二枚戸の場所であれば一枚、四枚戸の場所であれば二枚というように窓の枚数の半分というような配置になっているはずで、ではどこに網戸を設置するべきなのかという意味においてなのだった。

 直感的にわかりやすい四枚戸のほうで言うと、中央に二枚網戸を置くという設置がその意味的には正しいはずだ。窓、サッシの戸の配置を考えるとわかるのだけれど、両端の二枚は室外側のレールにはまっているはずだ。中央二枚は内側。内側に網戸を置くということは、いわば中央の戸を開けたときでも両端の戸と網戸によって連続した面を形成したままに風を通すことができるようになる。

 ところが両端に網戸を置く家というのが案外ある。この場合、両端のガラス戸を全開にしても網戸との接点にやや隙間ができるし、半分であるとか半端に開けたときにはまさに隙間ができてしまって虫にしても入り放題とでもいうようなことになる。

 虫がはいっても問題ないという人もあるかもしれないけれど、であればむしろ網戸など不要なのでそれこそ無意味というような状況だ。

 同様なことが二枚戸でもあって、あえて外側にあるガラス戸のところに網戸を置いている。よって少し開けているときにはガラス戸と網戸の間に隙間ができてしまう。なぜなのだろうか。

 ただ、二枚戸の場合には間取りの関係などでそちら側を開けるほうが使い勝手がよいのだ、ということはもちろんある。それは理解できる。ただ、それでも網戸本来の意味として使うのであれば、そのあたり考えて使えばよいのではと思うのだが、どうもそうでない家というのは案外多い。

 ことによるとエアコンの普及によって網戸の配置に気を配るようなことがなくなってしまったのか? そうした生活感覚というものが失われているのだろうか?

 それでも虫が入ってくることには敏感で嫌がる人はやはり多いので、虫が入ってくることになんの抵抗もないというのも考えにくいようには思うのだった。

 なぜ、網戸をその配置で使うのか。謎である。

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手紙の宿

 番組改変期であるとかお盆や正月のころなどにときどきはいる NHK の「にっぽん紀行」という地域製作(かと思う)番組。今回岩手だったかのある宿についてやっていたのを見た。手紙でしか予約を受けないという。おもにははがきであったりだが、とにかく郵便で「この日は泊まれますか?」とか、「空いている日はありますか?」などと問い合わせる。それにたいしてまた宿のほうから郵便で返事がくる。電話での予約は受けていないらしい。すなわち、当日になって「きょうは泊まれますか?」ということが一切ないわけで、それもまた珍しい。

 いや、事前に予約したお客だけとかならあるであろうけれど、電話ではなく郵便でというところがなかなか面白いと同時にちょっと辛いところもあるのだろうなと。なによりメールや SNS に依存して、たちどころに返信がないと落ち着かない世代が増えてきたこのごろ。郵便事情だって発達しているから、よほど離島ということでもないかぎりはほぼ翌日、遅くとも翌々日くらいには届く郵便。そうはいっても返事がくるまでを思えば一週間程度は時間を要するわけなのだから。

 その時間を今の時代の人が待てるのか? というのはある意味フィルターにもなっているのかもしれない。その時間をも楽しめる人がその宿に流れる時間を享受できるということなのか。

 ユースホステルやキャンプなどして旅していたころには、ゆったりした時間の流れをすごしたものだった。手紙もよく書いた。さながら呼吸するように生活するとでもいうか、そういう時間を得るというのはなかなか得がたい体験。子供のころの夏休みとはまた違う。

 せわしない現代人のなかの一部の人が、ようやくにしてその稀有な時間を手に入れたときに胸に去来するのは、失っていた自分であったり社会であったりするのだろうか。

 もちろん、宿への足は車であったり列車であったりいろいろで、その行程そのものは相変わらずのせわしなさなのかもしれない。せめてそこに泊まるということがなにかを変えるきっかけなのかもしれない。

 旅していたころを思い出す、そんな時間になった。あのころから思っていることだが、「人は、その移動速度で思考する」というのは、やはり事実だなあと。

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ニラの花咲く頃

ニラの花列


 ニラの花が満開状態だった。小さくて白い星型に開く花はニラのイメージとは少々違った美しさ。いや、イメージというかあの独特の匂いから連想するなにかとは、というべきなのか。

 ニラそのものは割りとなにもせず放置しておいても勝手に伸びてくれて、さらには根元数センチあたりで切り取っておけばどんどんまた伸びてくれるという生命力の強さ。何度でも収穫できるというありがたさ。

 スーパーで買うと小さな束でも 50 円 100 円とするかと思うので、自生しているならばこれほど重宝することもないのだけれど、好む人は少なくなってきているのだろうか。

 栄養価も高いので暑い夏にはうってつけの野菜のひとつではあるのだけれど。まあ、こんなふうに花が咲いてしまうようでは収穫にはちょっとというところはある。さくっと切り取って次を待つというのあり。

 田では稲の花も咲き始めている。いよいよ秋へと季節は動きはじめようとしているのか。

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「シャレード '79」

 「シャレード」という映画のリメイクといううたい文句らしいのだけれど、どうやらレビューなど見る分にはそれとはまったくといっていいほど関係ないものだとか。設定のごく微細な部分しか引き継がれておらず別物と。

 ま、それはともかく当時はちょっと話題だったようには思うのでいまさらながら見てみる。が、とにかく相手の男がうるさい。どうしてこうも外国映画の男というのはベラベラとしゃべりまくるやからが多いのか。それともそれはどちらかというと寡黙な日本人だからこそ感じるいらだちなのか。

 そうはいってもとにかくうるさいし、しつこい。デパートでおもちゃだかを売っている店員で、童話だか絵本だかを描いて一発あてたい男ジェリー。赤ん坊をつれてやってきたジェニーに一目ぼれして猛攻勢。いや、赤ん坊がいるのだし人妻だろうとわかるだろうというのに、なんのかんのと言葉をかけて口説こうとする。ああ、うるさい!

 それにしてもジェリーとジェニーとかどういう名前をつけているのか。もっと区別のつきやすい名前にしたらどうだ、などと余計なことまで気になってしまう。

 で、いつしかお互いひかれあって(どういう都合のよさなのか)彼女の家であいびき。そこに帰ってこないはずの夫がもどってきたと思ったら殺されていたと。このままではふたりとも疑われてしまうのでと冷蔵庫に遺体をいれて自分たちで犯人探しをしようということになる。

 この犯人探しの過程もなんだか中途半端で、なんのためにそれをというようなビラまきなどをしていたり。まあ、そのちぐはぐさが素人がやっているらしくてよいとはいえるものの、どうにもすっきりしない。

 ネタとしてはそこそこ面白いものかとは思うのだけれど、それをいかすための設定というか展開のベースに間違いがあるとしか思えない。ミステリーやサスペンスとしてみてもものたりない。かといってコメディとしてみるにも耐えない。うーん、こんな作品だったのか? とがっかりしてしまう。

 本家の「シャレード」のほうを見たほうがよいのかもしれない。いや、それも見ていないのでなんともいえないのだけれど、いずれ見てみたい。

 原題は「Sombody Killed Her Husband」。邦題も内容にそぐわないけれど、原題も直接すぎるなあ。

B00RYPO74Eシャレード'79 [DVD]
KADOKAWA / 角川書店 2015-03-27

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「パーカー」

 ハヤカワ文庫で「悪党パーカー」シリーズを目にしていたものの、結局読む機会のないままだった。評判はよさそうだったのだけれどなんとなく。シリーズは古くから映画にもなっていたようで、これは 2013 年のあたらしいもの。古いものも見ていないのでどのようなものかはわからないが、これはジェイソン・ステイサム主演ということで、それならば面白いかもしれないなと見始めた。うん、面白かった。

 要するに悪党が裏切りにあって悪党をこらしめるという内容なのだった。それだけといえばそれだけなのだけれど、よくあるあまりに完全無敵というランボーとかコマンドーみたいな映画とは違って、たしかにタフで強いし頭も切れるけれど、失敗もあるというやや人間的なところにふっと入り込まれてしまうような面白さ。

 まあ、そもそもランボーにしてもコマンドーにしても(それら類似のものにしても)主人公はいわば悪党ではないわけで、そこがはなから違うといえば違う。ただ、それでもパーカーは自分は悪事を働いているという意識がちゃんとあって(などと正当化するわけではないけれど)、その上で守るべきは守るという規律のなかで仕事をしている。だからこそ、それに対する裏切りには容赦ないと。

 勧善懲悪ものではないので、見た後すっきりというわけにはいかない人もあるだろうけれど、まあ日本的にいえばねずみ小僧みたいなものと思えばよいのか。いや、そんなくだらない細かいことは抜きにして展開をただ楽しめばよいというか。

 ちょっとハードなので血の気に弱いという人にはおすすめしにくいところはあるものの、なかなかいい感じに悪党パーカーの世界観が描かれているように感じられて満足感のある作品かなと。


B00F4MWHO6PARKER/パーカー [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2013-12-04

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4150713081悪党パーカー/地獄の分け前 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
リチャード スターク Richard Stark
早川書房 2002-01

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お盆にわたしも考えた(かなり余談)

 我が家ではなかったのだけれど一般的な(と思われる)風習としてきゅうりや茄子で馬や牛に見立てたものを作るというのがある、お盆。スーパーのチラシなどにもそんな写真がでてくるようになってきて、ふと思った。昨今では適したきゅうりや茄子を探すのが難しいのではないかと。

 たとえばきゅうり。最近はまっすぐなものが好まれるとされて出荷できるのはまっすぐなものばかり。曲がったり輪になったようなきゅうりは出荷できないのでスーパーなどに並ぶこともない。けれど、馬に見立てるならばまっすぐなきゅうりは不向きだ。少し曲がってくれていたほうがそれっぽい姿形になってくれる。

 茄子についても同様。こちらも少し曲がった腰をひねったかのような形がいかにもふさわしいのだけれど、最近はまっすぐなものばかりだ。まあ、こちらはそれでもさほど悪くはないという印象はあるのでまだなんとかなるかもしれない。もっとも、こちらあたりでは古くは茄子といえば丸茄子だったので、そもそもそういう発想がなかったといえるかもしれない。

 さながらかつての子供(今だってそうかもしれないが)が魚が切り身で海や川を泳いでいると思っているといった話のように、野菜も曲がったものなどなくて、そういうものは異質なものと認識されてしまうとしたらちょっと怖い世界ではある。

 それもこれも野菜を作る現場をしらない、そうした体験をしない子供が増えてしまっていることにも一因があるのかなと。野菜にしろ魚にしろ、はたまた牛や豚、鶏といったものにしろ。

 ある意味いわれのない潔癖症みたいなものはあまり有益ではないと思うのだが、この先どうなっていくのだろう。もちろん、消費者側の問題という考え方もあるが、逆に販売側がそうした不利なものを隠してしまっている現実というのもまた問題なのではないかとも思うし、そちらのほうが選択権を失っているということからすればよほど問題なのかもしれない。

 などとお盆とは無関係のことなど考えてしまったのだった。

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ザップニュース推移グラフ

ザップニュース推移グラフ


 世界のニュースザッピングの集計をずっと続けているのだけれど、数字が大きくなってきたのと期間が長くなったのもあってどのように変化してきたのかが見えたほうが面白かろうということで、少し集計を取り直してみた。

 プログラムの修正をしているところで、集計に間違いがあったかと思ったのだけれど、そういうことではなかったようで少し安心。できればそのままグラフイメージを出力したいとも思ったのだけれど、どうもすっきりというのに出会えなかったので結局今回はエクセルで。(RMagick を使ってという手法が見つかったけれど、Windows ではもう使う環境にない。Graphize はそういうグラフではないグラフらしくちょっと違う)

 フランスの急激な増加ぶりとか、韓国の停滞ぶりとか、相変わらず独走態勢のアメリカとか、いろいろ面白い。これ以外については数が少ないのもあってグラフから除外している。数が増えるとごちゃごちゃして判別が面倒にもなるので(もっとも線そのものは低い位置にあるので区別はつくが)。

 半年くらいでグラフにするとよいかな。

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「図書館革命」 図書館戦争シリーズ 4

 気がつけばシリーズも最終巻の 4 巻。じっくり読もうと思っても気づくとどんどんページが進んでしまって終わってしまう。困ったものだ。

 いよいよ良化委員会の圧力が高まってとある原発テロ事件のモデルになったのではといわれる小説をめぐり、作家に執筆活動を制限する措置をするという話になってきて表現の自由の危機がという話。

 状況を事前に察知してすばやく図書館に身を潜めることに成功したものの、当然内部にも敵はいるわけでそれらとの攻防が序盤。図書館にいるのは限界ということで稲峰元指令のところにかくまってもらうことにするのが中盤。ここにもやがて良化委員会の手がはいるようになる。

 柴崎の働きで未来企画と協同が実現することになるあたりの流れも面白い。柴崎のしたたかさと鈍感さと。

 そして終盤のメインは、いよいよそれら一連のことについて裁判にもちこみ時間をかせぐものの(間にテレビを通じた一種のプロパガンダ攻勢にでるというあたりも面白い)結果としては良化委員会よりの結果に終わることで最終兵器を投入。笠原がふとつぶやいた「亡命」が作戦として実行される。

 判決後にダミーもいれて逃走をはかるが、直前に内部から情報がもれてしまって良化委員会が最寄の大使館前にはりついてしまい、なかなか近づけない。都内での攻防戦で堂上が負傷。笠原と作家とで大阪へ向かう作戦が取られる。幸いというかあいにくの荒天のためもあり、まさか大阪に気づくのには時間がかかるであろうと夜通し大阪へむけて車を走らせ、明けての翌日ついに最後の突入決行。

 まあ、見事に東京と大阪をまたにかけた大逃走劇が繰り広げられて、とんでもない奇妙な作戦として最後を迎えるその面白さ。奇想天外さがなんとも痛快。堂上と笠原の結末は、まあおまけみたいなものなのか。

 とはいえ武雄市図書館の事例など見ると、近い将来に図書隊が必要な時代はきてしまうのではないか、という不安すら覚える昨今。いろいろな意味で怖い物語でもあるのだった。楽しんでいられるだけであることを切実に願うばかり。

 それにしてもついに終わってしまった。まあ、別冊のシリーズがもう少しあるので、なんとか楽しめるのかもしれないけれど。終わってしまったなあ。


 どうやらこのカバーはもう終わってしまったらしい。あたらしいデザインになってしまった。不ぞろいでよろしくない。

4043898088図書館革命 図書館戦争シリーズ (4) (角川文庫)
有川 浩 徒花 スクモ
KADOKAWA/角川書店 2011-06-23

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見ざる、聞かざる、だがとことん言う、で本当によいのだろうか

 [ NHKスペシャル | “あの子”を訪ねて~長崎・山里小 被爆児童の70年~ ]

 夏ということで先の大戦関連の番組が多くなる NHK スペシャル。そんなものばかり続いてしまうが、少しだけ記録しておきたのでやはり書いておく。

 長崎の日だったので長崎の原爆投下による被爆にまつわる番組だった。爆心地に近い山里小学校。1000 人以上の子供が犠牲になり、たまたま生きながらえた子供 37 人が、のちにその被爆体験を文章にし、それを本にまとめていたらしい。NHK では過去にもその 37 人のその後を取材して番組を作っていたようだけれど、今回も戦後 70 年を受けてのあらためての番組ということだった。

 亡くなったかたも数人はいるようで、語りたくないという人もあったようではある。それは本人の場合もあるようであるし、家族・親族がそれを望まないという例もあるようだ。

 ふと思ったのは広島でも活発にされているという語り部のこと。小学生とか園児とかに体験を語った場合、いまならきっとあまりにも凄惨な現場の話に PDSD のような状況を発する子供もあるのかもしれないなと。そうしたら本当に最近はそういう苦情を言ってくる例があるらしい。被爆体験など話すなとか、子供が精神的に病んでしまったから責任をとれとか。

 確かに子供にとってはあまりに凄惨すぎるできごとだろうとは思うし、その意味では内容を吟味する必要はあるのかもしれない。ただ、だからといってその事実に目を閉じ、耳をふさいでいてはいけないのではないかとも強く思う。

 とかく長い平和にすっかりつかりきってそんな過去のことはもう忘れてよいのだ、知る必要などない。今が楽しければよいではないかというような風潮の昨今。なにかといえばクレームをいれるのが正義だと思い込んでいる一部の人々。

 語り部というものの別の意味での困難さを感じる場面だった。

 ご本人もすでに 80 歳ほどになっていて体調もかならずしもよくなく、そこへそのような苦情がまいこめば精神的にすっかり元気や意欲をなくしてしまうかのようだった。

 人は忘れるものだし、忘れることで生きていけるという仕組みもまた存在する。けれど、過ちを繰り返さないためにも忘れないように心がけなくてはいけないことというのもまたあるはずで、学校教育で近現代史をおろそかにしてきた教育行政の不備というのもあるのかもしれない。いや、それはことによるとむしろ政府としてのそういう歴史は基本忘れてほしい、興味を失っていて欲しいという方針のあらわれだったりしたのかもしれない。

 語り部事業については必要性を理解はするし、それはそれであってよいとも思うけれど、それがすべてではないとずっと思っている。記録は必要だし、それを後年あらゆる人が知ることのできるものとしておくこともまた必要だ。少なくとも小さな子供への語りという行動派少し変革を求められるのは仕方ないのだろうなと。全体として伝えることというについて考え直す(後ろ向きでは決してなく)時期にきてしまった。それが、戦後 70 年ということなのかもしれない。

追記:
 そうそうちょうど落合先生がこんなことをつぶやかれていて、昔はこういう大人がたくさんいたものだなと思ったり。今でもいないとは思わないが、むしろそうでない者が幅を利かせているような印象ばかりだ。

落合洋司 Yoji OchiaiさんはTwitterを使っています: "子供の頃、夏に広島市内に行くと、路面電車の中などで、薄着で、ものすごいケロイドのおばあさんとかがいて、子供なので、びっくりするし怖がっていると、親が、原爆でああなった気の毒な人だからじろじろ見てはダメ、と厳しく言われたのを思い出す。"

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きょうは長崎の日

 長崎の日。

 あくまでも個人的な印象としてなのだけれど、広島よりもやや印象が薄いというかもろもろ日陰になってしまっているような気がする。広島、長崎両方がセットとして認識はもちろんされているのだけれど、たとえば広く知られている小説になっている舞台ということで思いつくのはどうしても広島のそれだ。

 もちろん、長崎のそれがないということではないのだろうとは思うけれど、恥ずかしながらこれといったものを知らずにいる。

 広島だと先にもだした原民喜のそれであったり、最近であればこうの史代の漫画であったり、はたまた個人的には古くから記憶に残っている「二年2組はヒヨコのクラス」であったり。まあ、いろいろあるなと連想されるのだけれど、長崎の場合には残念ながらこれというものを知らないのだった。

 唯一あるとすれば「長崎の金」の歌くらいならばと。

 長崎の場合、広島のそれとはまた違った悲劇が起きていたということは、過去の様々な報道などで見聞きしたところではあるし、間違いなくセットで記憶されていることでもあるし、そのどちらがどうという区別など持っているわけでもない。

 思うにそうした作品との出会いはないものの、同じように記憶されている一因にはさだまさしの存在があったかもしれない。折に触れて長崎のことについて語るさまに出会っていたということが影響しているかもしれないとは思うのだった。

 とはいえ、小説なりになった長崎については、やはりあまり知らずにいる。これを機会に少しそうしたものの存在を調べてみたうえで、触れて見たいと思う 70 年の日。

 あの日の熱さはこんなものではなかったのだという猛暑の日に。でも、これはこれでやはり堪える暑さではある。穏やかであらんことを。

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残暑お見舞いもうしあげます

立秋の空


 立秋とはいえ30 度、35 度を超えるような日々がまだまだ続く近年。炎暑のなかでの高校野球大会はたしかに開催時期を検討する時期にきているというべきなのかも。

 本来ならば朝晩はそれでも涼しくなるという感じの信州なれど、そこまで涼しくなっているという実感は今ひとつない。実際連日温められているので外気そのものがある程度さがってきても、室温がそれに充分追随しないという。

 それでも夜の風がなんとなく涼しく感じられるくらいには空気に含まれる湿り気が変わってきたような感じではある。いや、湿度そのものになにか変化がということではないのだけれど、なにがそう感じさせるのだろう。

 昨年も暑かったし、一昨年も暑かった。ことに一昨年は 9 月にはいっても暑さが続いて難儀したことを覚えている。この夏も長期予報では今月一杯暑い傾向が続きそうだとのこと。残暑というにはいささか辛すぎる季節がまだまだ続きそうだ。

 空は、なんとなく秋の気配を感じさせるのだけれどなあ。

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原爆の非道はただしく世界に知らしめられたい

 [ NHKスペシャル|きのこ雲の下で何が起きていたのか ]

 原爆投下直後に撮影された写真があったという話。終戦後 GHQ が写真を探し出しては次々と没収していたために、写真の存在に気づけずに長らくいたというのだった。撮影したのは地元新聞社のカメラマンらしく、敗色濃い写真は撮影することを許されていなかったという時代にそむき、これはどうしても撮影しなくてはということで赴いて撮影したものの、二枚を撮影したところで続けることができなかったという。それほど凄惨な光景であったと。

 表に出るきっかけになったのは雑誌 TIME に掲載されたことだとか。それすらもながらく実現できずに(つまりアメリカ政府がそうした報道に規制をかけていた。原爆は正当な兵器であり、それによってどのような被害をもたらしたのかという事実を公表することをさせなかったから。それをすると核兵器開発に支障をもたらすと)いて、ようやく世に出すことができたのが終戦から 7 年の後だったとか。

 モノクロのその写真でも人々の異様な姿が見て取れるわけで、そこに写っている生存者に話を聞くことや、写ってはいないものの現場にいたという人に話を聞いたりして、そこでなにが起きていたのかを読み解いていた。

 ちょうどその御幸橋のあたりが境界にあたる地点で、爆心地に近い場所からみな逃げてきたようだった。けれど誰も彼もが猛烈な熱でやけどを負い、爆風で体を傷つけられ、ようやくたどりついた。やけどに油をぬろうということで集まってもいたようだと分析。けれど、ちょっと触っただけで皮膚全体がズルッとむけてしまうほどの状態。もはや人のなす行為とは思えない。原爆のもたらす非道の現場。

 アメリカではいまだ原爆は正当な手段だったと譲らない。終戦後原爆がもたらした影響(効果)を調べていたが、それは秘密とされ、一般にはあまり知らされないまま。無辜の市民の頭上で爆発させあっというまに多くの市民を焼き尽くし、人の姿とは思えない姿にかえてしまいながら、なんの恥じもいだかないとしたら、まさに鬼畜米英という言葉にいつわりなしということになってしまいそうだ。少なくとも米に関しては。

 こうした番組はもっともっと広く世界に配信するべきではないのかと。オンデマンドで有料でなどといわず、広く世界の人に見てもらうべきではないのか。原爆というものがいかに非人道的なものであったのか、それをわかっていてアメリカはひた隠しにしてきたという歴史についても。

 勝ったものはどんな非道をしてもそれは正義であって、負けたものはそれがどのようなものでも甘んじて受け続けるべきだという論理は、やはり少しおかしい。たとえどのような立場にあっても非は非として認める勇気がなければ、人として失格なのではないかと。

 ただ、この番組。証言をもとに写真を CG 動画にしてみせているのが余計なこと。不自然な動きをさせて台詞までいわせていたりするのはせっかくの内容を貶めてしまっている。いったいそれが何の意味を持つのかと。あえて動画にまでするようなことではない。死者を冒涜するかのような行為に見えてしまって嫌だった。

 とはいえ、総じていえば貴重な証言であり、写真であり、きちんとその事実だけは世界にしらしめる意義があるとは思ったのだった。

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ようやくにして「廃墟から」を読む

 [ 図書カード:廃墟から ]

 結局未読のまま過ぎてしまったので本日読む。短いので通読するのにそう長くはかからない。ちょうど今朝方の NHK ニュースでドラマの宣伝をかねてやっていた広島の路面電車の話ではないが、電車が走っているということがこのなかにも描かれている。

 見るに耐えないような凄惨な光景を淡々と記述しているところがまた背筋の凍る思いを増しているようには。あの日起きたことを追体験することなどとうていできないことではあるけれど、せめていかに悲惨なものであったのかを想像することくらいは忘れたくない。

 原爆投下からわずか二週間あまりで路面電車の部分的とはいえ再開をはたした史実をドラマ化したという。あのような状況下において電車を走らせることに意味があるのか? と問われることは少なくなかったであろうなと想像する。それでも、現実的には無意味に思えるその姿が、懐かしい風景のひとつであるその姿が、人々にあたえた勇気や希望というものはやはりあったのではないかなと信じたい。

 10 日夜のドラマは忘れずに見ておきたいと思っている。

 [ ドラマ被爆70年 一番電車が走った|NHK広島放送局]

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Android Studio を 1.3 にアップデート(ちょっとハマる)

 Android Studio の 1.3 がでたというのでアップデート。今ではあらたなものは作っていないので、過去のものの万一のためのメンテナンス用といったところなのだけれど、一応追随してはおかないとと。

 ということでアップデートするようにクリック。ダウンロードされてインストールのはずがなにやらコンフリクトがどうのとメッセージ。gradle/lib/ 以下あたりのいくつものファイルでということらしくリストされている。

 これを押せという指示に従うとインストールせずに終了するしか方法がないらしい。

 二度ほど試してみたが同じで、以前はアップデートできていたので理由がよくわからない。さすがにそのあたりについてはファイルをどうこうもしていないし状況がよくわからない。

 まあ、頑張って調べてまでといことでもないので、1.3 のパッケージごと落としなおしてインストールしなおすことに。もちろん 1.2 はいったん削除してから。あらためてインストールすると問題なく 1.3 に。スタイルをバックが黒っぽいものにしてみたけれどどうもいまひとつよろしくないので元に戻した。過去のプロジェクト用に SDK が不足していたのも勝手にダウンロードしてくれるので助かる。

 ひとつだけなにやら gradle の手順でおかしかったらしくエラーになったが、ログをみるとキャッシュ部分らしいので思い切ってキャッシュを削除して(どうせキャッシュなのだしと)やりなおしたら、今度はうまくいった。

 ただ、いまだにエミュレータで Open GL ES 1.0 を使ったものが動作しないのはちょっとうれしくない。ADT のときには動作していたのだし、実機でも動作しているのでエミュレータが対応できていないのかなとは思うのだけれど、あまりそういう情報がないのだった。

 ということでひとまず環境を整えることは終わったと。しかし、ビルド方法についてしっかり理解していないのであったなあ。一応理解しておかなくては。

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「真田丸」を当て込むらしいのだが

 来年の NHK 大河ドラマは「真田丸」。長年上田市で陳情して実現したというところはよろこばしいのだろうけれど、どうもなんとなく目玉となるところがあいまいなものになりそうな気配もあったりして、今年の「花燃ゆ」ではないけれど、不安な要素もありそうとの伝聞。脚本があの人ってのも不安材料なのかもしれない(ダメというのではなく)。

 そんなおり新聞に載ったのが、松代にある真田宝物館などの入場料を来年に限っておおむね倍にするという案を市議会に出したとか。ドラマを見込んで特別展を行うので入場料を倍増するという。

 老朽化した設備の改修に 1400 万円、特別展関連に 8100 万円を計上するのだとか。今年善光寺御開帳によって相当な人出と経済効果を得たことに味をしめ、来年の特別展で費用回収をしてしまおうという腹積もりらしい。

 まあ、特別な展示にするのだからと入場料を設定するのはあることではあろうけれど、なんだかどうもセコい話に思えてしまうのは違うだろうか。

 倍増とはいえ 300 円が 600 円という程度のことなので、異様に高いといわれることはないかもしれないし、そもそも来年になってやってくる人にとってはそういう料金の違いはわからないかもしれないので、比較のしようもないかもしれない。ここぞとばかりに回収をもくろむかのようでなんとも嫌なものを感じてしまうのは地元民ばかりか。

 そもそも松代への客数はどれほどなのか。仮に増えても小さな町でもあり、上田からといっても少々移動が不便であるので、はたしてドラマつながりのツアーでもないことにはどれほど影響があるかもわからない。捕らぬ狸の皮算用にならなければよいのだけれど。

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硬直化した組織連携の悲劇(か?)

 土曜日のことだけれど NHK スペシャルで日航機墜落事故から 30 年をうけて、当時墜落現場特定までに 16 時間を要した詳細な状況の検証。あの当時はテレビや新聞その他に積極的に接することのできるような状況ではなかったので(まあ、旅人していたというだけなのだが)、実のところ事故発生にしてもあまりよく知らずにいたのだった。数日して坂本九が亡くなったというような話を漏れ聞いたくらいで。

 とはいえ聞こえてきていたのは長野県側に落ちたのではないかという話で、結局それは誤報だったわけだが、今回の番組でもそのあたりがいろいろわかってきた。

 墜落直後に長野側で通報があり、山の向こう(群馬側)に落ちたようだという通報が複数あり、信用にたるものだったにも関わらず放置された。

 一方で自衛隊機が墜落現場に到着していたものの、当時は GPS がなかったので今よりも簡易な方法で場所の特定を行っていて、非常に誤差を含みやすいものだったと。実際、自衛隊と米軍機による三つの情報があったらしいが、それらは微妙にずれがあったらしいが、それらの情報の交錯する地点がまさに墜落現場であったということもまた検証されていた。

 ところが、自衛隊から発せられた位置情報はなぜか北に離れた長野県の御座山という山になっていて、なぜそれがでてきたのかというあたりは結局よくわからない。

 さっそくに長野県警が現場に赴くが確認してもそういう気配がない。その旨を上に連絡しても「テレビでこれだけそこだと言っているじゃないか!よく確認しろ」みたいな話になっていたようで、テレビの報道は絶対とでもいうかのような思考停止に偉い人がなっていたのがわかる。

 さらには再度の確認で自衛隊機の位置を御座山から確認すると、それは当初目撃情報が寄せられた御巣鷹山の方向だったのにも関わらず、自衛隊機が逆に確認した位置がまったく違う方向になっていて、なぜそんなデータになったのかと当時の担当者が不思議がってもいたが、それによってやはり御座山に違いないと思い込む。

 普通こういう場合には両方の可能性をつぶすべきであるにもかかわらず、硬直化した組織にはそれができなかった。テレビ報道絶対主義とでも言う状況で、念のために情報のあるところは確認すればよいのに(10km と離れていない場所だったようでもあるし)それをしない。そうして見つかるはずもない場所を必死に探し回り見つからない。見つからないはずがないだろう。なにをやっているんだ。みたいな問答を繰り返して無為に時間を過ごしたというのがあったのではないかと想像されるのだった。

 公式な報告では特定には精一杯つとめたし、なんの落ち度もなかったようなことが書かれているにすぎないらしい。しかも、詳細な資料などは残っていないとされていたとか。それを丁寧にあつめ、証言をあらためて取り直して検証したというところで番組のもつ意味は非常に深かかった。

 報告のあった場所をきちんと調査していたら 16 時間もかからずに墜落現場を特定することは充分に可能だったはずだ。助けられた命がどれほどあったかは現場が現場だけになんともいえない(自衛隊機が救助を試みようとしたらしいが、現場の形状的に降下が難しいという判断で断念したらしい)。とはいえ、現場がわかることでできたことはきっとあったのではないか。遺族の無念さはただならぬものだろうなと。

 長野県警と群馬県警との連携の悪さ、そこに自衛隊や米軍もからんで結局きちんと統括的に指揮をとる部署がなかったこともまた悲劇を生んだのかもしれない。そう思うと 30 年を前にしてまた無念さがましてしまうのだろうな。

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まさかのマサカメ

 NHK の「マサカメ TV」で蚊をやすやすと見つけ、やすやすと捕まえ、やすやすと、という感じの蚊についての番組を放送するというので楽しみにしていた。幸いにして時間が間に合ったので(間に合わない可能性もあった)見ることができた。

 で、蚊はどのような場所に潜むのを好むのかについては、まあ比較的知られているところ。暗く、暖かいところ。汗や皮脂のむれたようなくさい匂いが案外好きとか。

 壁際とかにピトッととまっていることがよくあるのだけれど、そんなときならばという捕獲方法が透明のコップ(プラスチックとか)を使うというのだった。手でたたこうとかするとその風圧を感じて逃げてしまうのだが、コップの場合に直前までそれが感じられないらしくまずうまくいくと。できるだけ体の後ろ側から近づくほうがよいだろうともいっていたが。

 もっともこのままではどうにもならず、紙をコップのふちにそわせるように差し込んでふたとすることで捕獲完了という。で、それを外に放す。放す? 放す!

 捕殺という手段ではないのか。

 寝ている状態で効率的に捕殺したいということで、はき古したにおう靴下を枕元においてまつと蚊が近寄ってくるのでそれを手でうてばかなりの効率でというのだったが、ちょっと微妙感が。

 それよりもそもそも蚊の繁殖そのものを阻害しようという手段としてラの音を聞かせてオスを集めて捕まえてしまうというのがあった。メスの出す羽音がラの音に近いということで、実際に実験をしたところかなりの効果をあげたという。それによってオスがいなくなるのでメスは卵を産めなくなる。結果的に数を減らせる。さながらラセンウジバエ解決法の逆をいった手段だが、むしろこれこそ大々的にやるべきなのではなかろうかと。

 アフリカ方面ではマラリア対策としてにおいのする靴下を用意してそれを屋外において誘導するということをしているらしい。費用的には安いかもしれないが、ラの音による捕殺も有効になるのではなかろうかなあと。そういう装置を考案したら一発あてられないだろうか?

 などといっている時点でダメか。そもそもコップで捕獲しても放してあげるという動物愛護精神あふれる内容であったのだし。なんだかなあ。

 もっとも、この夏は屋外で蚊の存在におびやかされることはあったものの、屋内ではまったく被害がない。天候のせいで発生することがそもそも少なくなっているのかもしれないとも思うのだが、さて、夏の終わりまでそれが維持されるのかどうか。まだまだ暑さは続くのだった。

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タモリin松江 No Ruby

 NHK ブラタモリで松江。さすがに Ruby の話題はなし。松江ラーメンの話題もなし。

 とはいえ湿地帯だった松江になぜ城下町が形成されたのかという話はなかなかにおもしろかった。山を切り崩して堀を作ったり、縦横に堀をめぐらすことで盛り土としたり。さらにはその堀が排水のために有益であったり。

 けれど低い土地であったということからも水害が起きやすい土地であるということもあって、なかなかそれも悩ましいところであるとか。

 回線問屋さんだったところが今では和菓子屋さんになっているというのだけれど、詳細は不明なれど船がもどってこないので菓子屋になったという話はなんとも悲哀というかおもしろいというか。

 最近はあまりタモリを持ち上げようとしすぎない案内人がでてきていていくらか見ようかという気分にさせてくれる。桑子さんも相変わらずで、「わたしたちなんで船に乗っているんでしたっけ?」とかたずねていて、すっかり船旅を楽しまれていたようで、いやはやらしいです。

 治水のための結果が宍道湖にシジミをもたらしたという話も。松江、いいですね。

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