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網戸の配置

 今となってはエアコンが全盛であって、当たり前であってという時代になったので、暑いからといって窓を開けてしのぐなどという風景はいくらか少なくなっているかもしれない。とはいえやはり空気を入れ替えたいとかいろいろで開けないわけでもない窓、サッシ。そして夏場のそこで重要なのは網戸の存在ではないかと。

 ところが近年網戸の使い方がどうもおかしなことになっているような気がする。網戸としての機能を生かしていない使いかたをしている家がどうにも多いような気がする。

 どういうことかというと、つまり網戸は二枚戸の場所であれば一枚、四枚戸の場所であれば二枚というように窓の枚数の半分というような配置になっているはずで、ではどこに網戸を設置するべきなのかという意味においてなのだった。

 直感的にわかりやすい四枚戸のほうで言うと、中央に二枚網戸を置くという設置がその意味的には正しいはずだ。窓、サッシの戸の配置を考えるとわかるのだけれど、両端の二枚は室外側のレールにはまっているはずだ。中央二枚は内側。内側に網戸を置くということは、いわば中央の戸を開けたときでも両端の戸と網戸によって連続した面を形成したままに風を通すことができるようになる。

 ところが両端に網戸を置く家というのが案外ある。この場合、両端のガラス戸を全開にしても網戸との接点にやや隙間ができるし、半分であるとか半端に開けたときにはまさに隙間ができてしまって虫にしても入り放題とでもいうようなことになる。

 虫がはいっても問題ないという人もあるかもしれないけれど、であればむしろ網戸など不要なのでそれこそ無意味というような状況だ。

 同様なことが二枚戸でもあって、あえて外側にあるガラス戸のところに網戸を置いている。よって少し開けているときにはガラス戸と網戸の間に隙間ができてしまう。なぜなのだろうか。

 ただ、二枚戸の場合には間取りの関係などでそちら側を開けるほうが使い勝手がよいのだ、ということはもちろんある。それは理解できる。ただ、それでも網戸本来の意味として使うのであれば、そのあたり考えて使えばよいのではと思うのだが、どうもそうでない家というのは案外多い。

 ことによるとエアコンの普及によって網戸の配置に気を配るようなことがなくなってしまったのか? そうした生活感覚というものが失われているのだろうか?

 それでも虫が入ってくることには敏感で嫌がる人はやはり多いので、虫が入ってくることになんの抵抗もないというのも考えにくいようには思うのだった。

 なぜ、網戸をその配置で使うのか。謎である。

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