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月と土星

月(左、雲に隠れている)と土星(右)


 月と土星が近くにあるというので確認。というか、月が明るいので手元のカメラにおさめるにはやや無理があるだろうと思っていたのだが、おりしも雲がでている。流れていく雲は厚いところに切れているところにとゆるやかに流れていていけそうな気配。

 ということで撮影してみた。手持ちでややぶれてしまっているのだけれど、赤い矢印の先が土星。左側の雲に覆われて雲の端からまばゆく光を放っているあたりに月がある。

 まあ、それだけなのだけれど。掩蔽というわけでもなく、近くに見えるというだけでしかない。それでもきっかけになるというのはよいのかもしれないか。

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メモ:新訳「XP本」、青木「10年SQL本」

 なにやら話題の二冊。いずれ、いずれ、ということでメモ。青木さんの本は少なくとも 10 年は猶予があるであろう(そういう問題ではないし、そういうことでもない)。

4274217620エクストリームプログラミング
Kent Beck Cynthia Andres 角 征典
オーム社 2015-06-26

by G-Tools
479737627910年戦えるデータ分析入門 SQLを武器にデータ活用時代を生き抜く (Informatics &IDEA)
青木 峰郎
SBクリエイティブ 2015-06-30

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「ヤマレコ」で検索

 [ 御嶽山の山行記録の削除について | 株式会社ヤマレコ / Yamareco Inc. ]

 なにやら「ヤマレコ」とかでの検索アクセスが複数あって、なにがあったのかと思っていたらどうやらこのことらしい。詳細がわからないのでなんともいえないものの、仮に入山規制中の現在それを無視して登山していたのだとしたら、それはあまりよろしくない行為ということになるかもしれない。

 ただ、たとえば昨年の噴火前の記録を今になって記録したのだというのであれば、少し事情は異なるかもしれない。もっとも、それでもなぜ半年以上も(あるいは一年以上かもしれない)前の記録を今頃というのはあるかもしれない(最近になってヤマレコを利用しはじめたから、過去のデータを記録したというだけかもしれないが)。

 とはいえなにやら警察が調べているという事案ではあるようなので、今まさにということだったのかもしれないのか。そうであるなら、登山前に一筆書いてからにしていただきたいところだ。「遭難しても探さないでください」と。

 そのうちに新聞などにもでてくるかもしれないので、それを待つしかないかな。(というわけでここにきても求める情報はないので申し訳ないですよ)

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雨上がりの青空

雨上がりの青空


 やや遅れ気味の梅雨らしい天候もようやく本番になりつつあるようで、前線がうねうねと動きだした。雨がじっとり降ったと思えば翌朝はこんな青空。思ったよりも暑くなるのか(当初予報は 30 度だった)と思ったものの、案外あっさりと雲に覆われたのでどんよりじっとりという蒸し暑い日になってしまった。

 そんな天候不順の影響もあって、農家にとっては作物の出来に影響がでて困っているようであるし、消費する側としても価格の変動が激しくてそれもまた困ったものであるし。

 しかし、なんだかんだと言っても夏の暑さはやってくるし、秋の涼しさもまたやってきて(たぶん)、寒いとふるえる冬がもうすぐそこまで・・・。

 季節はめぐる。とりあえず、まだ梅雨。

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サイボーグの夜明け?

 [ 「近未来体内埋め込み型歩行アシストサイボーグプロジェクトキックオフシンポジウム」開催のお知らせ | Information | バイオメディカル研究所 ]


 先日もニュースになっていたのだけれど(長野ではかもしれない)、ソースとしては NHK のニュース記事しかなく、これがすぐに消えてしまうというたちの悪さなのでキャッシュにしかない。地元新聞にはあるかと思ったが、どうも見つからない(印刷された紙の新聞では見た記憶はあるのだが)。

 と思っていたら、このほどきちんと会見を開いたらしいというのだった。もっとも、その記事もまた見当たらないのだけれど、信州大学のほうにプロジェクトのシンポジウム開催のおしらせがあったので、そちらをリンクしておく。

 要するに重労働であったり過酷な労働環境にあるような人向けにおおく開発されてきている動作補助ロボット装置、おおくは体の外に取り付けるもので、いわば着るロボットみたいなものだけれど、これを人体に埋め込んでしまい、たとえば足の動きが不自由になってしまった人の活動を恒常的にサポートできないか、という研究らしい。

 部分サイボーグの極致みたいな本当に部分をマシンに置き換えるというサイボーグ化というところか。確かにいちいち装着するというのでは仕事として必要なだけならばまだしも、日常活動全般にということになるといろいろ不便がありそうだ。といって、やはり人体にこれだけのものを埋め込むとなるとやはり抵抗はありそうでもあり。ペースメイカーくらいならまだしも。いや、ペースメイカーだってそれなりの決断を要するものではありそうだ。

 充電は最近はやりの非接触の技術でということらしく、そういう進歩もあってようやくこの手の技術が実用化にむけて動き出そうとしているというところか。

 とはいえ一方では、そこまでしてどうするのだ、という思いもまた必然で、いずれ攻殻機動隊で描かれるような世界・社会の到来となるのかいなか。いざ到来となれば、そこにはきっとさまざまな新たな問題・課題が生まれてくるのではあろうなあとも。

 さて、どうすすんでいくのだろう。


 およそ四半世紀も前になってしまったのか・・・。

406313248X攻殻機動隊 (1) KCデラックス
士郎 正宗
講談社 1991-10-02

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「アンジェラ」

 マフィアのようなやからに借金を返さないと殺すぞと脅されて、自暴自棄になり橋から飛び降りて死のうと思う男。ふと見ると隣に背の高い美人が同じように欄干の外に立っている。なにをしている。そんなことはやめろ。と、なぜかとめようとするが女は飛び降りてしまい、男はそれを助けようと飛び込んでしまう。死のうと思ったはずなのに。

 そうしてなんとか岸に上がって女を捜す。助けて話をきくとどうも要領を得ない。お前のせいで死に損なった。どうしてくれる。どうしてここで、同じ場所で死のうとしやがったのだ。と怒りまくる男。が、気がつけば女と一緒に歩いていたりする。(細かいあたりを忘れてきてしまった)

 生きていればなんとかなるみたいな話だったのか、違ったのか、借金の相手のところにも一緒にいくと女・アンジェラが話をつけてしまう。ひょっとして女の武器を使ったのだろうかと思うが、はっきりと答えるわけもなく。そうこうしてあれこれしているうちに、男はアンジェラが次第に気になり始めていて彼女がいれば生きていけそうなそんな気持ちになるのだった。

 彼女は自分のことを天使なのだという。だが、それを明かしてはいけないのだともいう。もう一緒にいられないともいう。男にやさしいのかと思えば、時に乱暴に振舞う。不思議なでこぼこカップルが一進一退を繰り返して次第に気持ちを近づけていく過程がなんとも面白い。

 そうしてアンジェラは最後に本当に翼をはやして空へと飛び立とうとする。本当に天使だったのかと理解する男だが、もはやアンジェラなしには考えられない。行くなとしがみつく。そして、ふたりはふたたび川に落ちてしまう。アンジェラは帰ってしまうのか、男はアンジェラを忘れてしまうのか。どうなるの? というエンディングはまあ見てからということで。

 イケメンというほどでもない落ちぶれた男と、美人というのは多少好みがあるかもというモデル美人とのギャップがなかなか物語のアクセントになっていて、はじめの想像よりはずっと面白い映画だった。

B00PH1OX8Wアンジェラ [DVD]
KADOKAWA / 角川書店 2015-01-16

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梅仕事

 今年度の「グレーテルのかまど」はこれまでのアンコール放送だけでなりたっている。よく見るようになったのはおおむねこの一年くらいなので、見たことのない回はまだまだあるので、それなりに新鮮だ。このほどは「海街 dairy 」から梅酒、梅ジュースをとりあげていた。

 梅仕事と呼ぶそれら一連の作業。家族総出で梅の実をつみ、それを漬けこむ。そんな季節の歳時記が、昔はもっともっと家庭のなかにあったような気がする。ちかごろではそうした作業はやめにして、なんでも出来合いで済む時代になってしまった。

 それぞれの家庭にそれぞれの事情もあるし、時代の変遷というのもあるので一概にはいえないにしても、家庭の行事というものが少なくなり、そして今風なあたらしいそれが変わっていくのかもしれないけれど、少しさみしさはある。

 考えて見ると子供のころは確かに梅酒作りなどしていたのだった。まさか自分でそれを飲むことはなかったと思うのだが、作るところだけは手伝うのだったなと、おぼろげな記憶に残っている。梅ジュースのことを知っていたら、そんなものでも作っておけばよかったのだろうが、当時はそういうことを知る由もなかった。

 そうして家族で一緒に作業するなかで季節を感じたり、いろいろな話ができたり、交流であったり会話であったり。むかしはそれがひとつの娯楽でもあったのかもしれない。娯楽が増えた今では、それが絶えていくこともまた自然なことなのか。

 とはいえ、「海街 diary 」の姉妹の様子など見ていると、ふとたまには梅酒など作ってみたくなる。梅ジュースをつくるのも悪くないなと思ってしまう。なにか少しだけ殺伐とした感じの世の中になってしまった今こそ、またこうした作業の意味があるのかもしれない。

 なにより、梅仕事ということばのもつ響きがなんともステキだ。

 今年はもう無理だけれど、近い将来にはやってみようか。

4091670253海街diary 1 蝉時雨のやむ頃
吉田 秋生
小学館 2007-04-26

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4091670377海街diary(うみまちダイアリー)2 真昼の月(フラワーコミックス)
吉田 秋生
小学館 2008-10-10

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夏まっさかり(暦的には)

 きのうは夏至。昼間が一番長い日といっても、確かに梅雨時のこの時期ではあまり実感できない年というのも多いのだなとあらためて。

 あくまでも昼間の長さが長いということで、日の出が一番早いとか日の入りが一番遅いではかならずしもない。それぞれの時間を結んだグラフを見ると、微妙にそれぞれがずれていて、両方がともに一番ということはなく、そのあたりもまた面白い。

 とはいえ、これから夏にむけて日が短くなっていくということには変わりなく、早朝に作業できたりということも少しずつできなくなっていくわけかと。

 きっと気がつけばまた寒い冬がきて、などということになってしまうのだろうなと考えたりすると、あまりに早すぎて鬼が笑うどころの話ではないかもしれないけれど。

 そうはいっても暑さの夏はこれからが本番。体調管理に気をつけてしっかり乗り切らなくては。

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「空と無我」

 おそらくは昔購入したさいには最後まで読みきれていなかったと思われるのもあって再読してみた。途中赤線をひいたところもあっておよそ三分の二くらいは読んでいたかと思うものの、最後のあたりは未読だったかもしれないとあらためて思った。

 定方さんというと前著「須弥山と極楽」で仏教の世界観というか宇宙観というものをわかりやすく解説されていたのだけれど、今度は言語観についてだ。般若心経など知っていればなんどとなく登場する「空(くう)」あたりなら、多少はなんとなくわかりつつある気もするが、「無我」となるとさて? というところ。

 さらには「行くものは行かず」とかでてくると、禅問答かと思うような展開となる。それでも、さまざまな経典であったり、いろいろのエピソードなどをもってきてできるだけわかりやすくといてくれるので、何度か読み直せばあるいはもう少し理解は深まるかもしれない。ただ、おそらく一度読んだ程度では理解にいたるのはやや難しい。

 ごく簡単な論としては、「行くものは行く」とすると、「行くもの」ですでにして行くという行為が含まれるので、さらにそれが「行く」という行為をするのはおかしいというようなこと。わかるようなわからないような。「行くもの」という事象がさらに「行く」というようなことはないということか。

ナーガールジュナは「行くものは行かず」ということを主張しようとしたのではない。かれはひとがいう「行くものは行く」を否定しようとしただけである。(P.113)

 を見れば、少し理解は深まるか?

なるほど、「無我」という訳語も完全ではなく、しばしばひとを誤解にみちびく。「無我」は「自我がある」という考えを否定するものであるのに、「自我はない」を主張するものであるとひとに思わせてしまうからである。(P.27)

 無我ともかかわるかというところで最後のほうでは「我慢」の話がすこしでてきたりする。「我慢」はもともと仏教用語で「自慢する」ということをさしていて、そのようなことはよくないことだという悪い意味、いましめるような意味として使われていた。なるほど、「我、慢する」と読めばおごりたかぶった自分を見るようで恥ずかしいことばでありながら、いまではなにかをじっと耐えるといったよい行いであるという意味に使われるようになってしまった。

 ことばは変化していくものではあるけれど、それは仏教の言葉であってもまた同じということなのか。はたまた、それが一般的な日常的なところにおりてきたことばとなったから、そうして変化を生じたということなのかもしれない。

 まだまだ、理解したというにはおぼつかないので、また時期を見て再読しなくてはだめかなと思うけれど、なかなか思索的な読書にはなった。

 最後に少し長いけれど引用しておしまいに。

ある宗教団体の信者がわたしにいった。「丘の上に立派な家があるとします。あなたはこれをつくった人がどこかにいるにちがいないと思いませんか」。わたしは「思います」といった。かれはいった。「わたしたちが住むこの世界は実に巧妙にできています。あなたはこれをつくった方がどこかにいて、しかも非常に有能な方だと思いませんか」。かれはこの論法で神の存在を証明しようとしたのである。わたしはいった。「わたしは家をみたら家をつくったひとがいると判断します。それは、家はひとによってつくられるところを長年みてきた経験にもとづくのです。しかし、世界がつくられるところをみたことがありません。だから世界があっても、それがだれかによってつくられたのか、自然に存在するのか判断できません」。かれはいった。「こんな素晴らしい世界が自然に存在するはずがありません。これをつくった有能な造り手がいるにちがいないのです」。わたしはいった。「あなたの論理にしたがえば、その有能な造り手が自然に存在するはずがないということになります。この有能な造り手をつくったさらに有能な造り手がいるにちがいありませんね」。かれはいった。「いや、この有能な造り手はそれ自身で存在しうるのです」。わたしはいった。「それなら、なぜ同じことを世界についても考えてみないのですか」。(P.131-132)
4061489976空と無我 仏教の言語観 (講談社現代新書)
定方 晟
講談社 1990-05-15

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メモ:「粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う」

粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う (文春新書)
粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う (文春新書)中垣 俊之

文藝春秋 2014-10-20
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 新聞の書評ページにあったのでメモ。が、発売は半年あまり前らしい。こういうタイミングででてくるのもちょっと珍しいのではないか。

 南方熊楠をどうしても思い出してしまうけれど、実のところあちらも未読なのであったなあと。いずれ、あわせて読みたい。

 ちなみに、苔がちょっとしたブームと聞くけれど、さすがにゼニゴケは遠慮したいと思うものだろうなと思うけれど、さて、ファンな方にはそれすらもまたいとおしいのだろうか?

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終わったかに見えたニカドがなぜか復活している(みたい)

 シェーバーの Ni-Cd 電池が終わったかと思っていたのだけれど、二度目の充電が今度はもっている。どこまでもつかはまだなんともいえないものの、いずれにしてもあの一日ともたなかった現象はいったいなんだったのか? と。

 実際メモリー効果を考慮して中途で充電するようなことはよほど事情がないかぎりはしていなかったので、ここまできても同じ程度には使えていたので、きっとそのあたりはうまく使えたのではなかろうかなと思っていたりは。

 その意味では案外 300 回くらいなら十分まだまだいけるはずというような思い込みはあったのだった。まあ、500 回というのだって絶対的な数字ではなくて、まあ条件がよければこのくらいはいけますよくらいなもの。そう思えばそろそろ危ないのも確かなところでもあって。

 乾電池式というのも次のときには確かに検討してもよいか、と思うものの、ちょいとパワーも欲しいのでさてどうするか。エネループ単3の出番がなくなったので、十分使える状態でもあるので検討材料ではあるかなと。とはいえ地元メーカー泉精器あたりのちょっとお安いけれど性能は実は有名メーカーの中身というのも悪くはないかとも。ただ、泉さんはもう少しデザインをよくしてくれたら、とは(^^;

 さて、いずれにしても、理由は不明なれどもう少しいけそうなので、ぼちぼちと。

 がんばれ!

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ニカドが寿命をむかえたか

 6 年ほど前に買った電気シェーバー。おおむね週に一回の充電で使ってきたのだけれど、ここへきて 3 日ほどで使えなくなってしまい、急遽充電することに。翌日、さてさてと思ったら、うんともすんとも言わない。ということで、やむなくまたまた充電。二日連続というのはちょっとありえない。

 使われている充電池は Ni-Cd 電池なのでいわば枯れた技術の充電池というところではないかと思う。近年でめざましい進化をとげたとかはきかないので、おそらくは電池性能としたら旧来のものとそう差はないのではと思う。とすれば、Ni-Cd 電池は大体 500 回くらいが充電限界とされているので、実質的には 300 回くらいと思うほうが無難だろうとかねてから思っていた。6 年ということを思うと 300 回を超えたあたりだろうかと。とすればそろそろ仕方ないのかと。

 ところがその後はひとまず充電がいきていて使えているという状況で、よくわからなくなった。もちろん、もうそう長くはもたないのだろうとは思うので、そのつもりで使うしかないのだろうとは。AC コードタイプなので最悪充電できなくなっても(充電しても一日ともたないような状況でも) AC につないで使うことはできる。持ち歩くというようなわけにはいかないものの。

 昨年刃の交換をしたところなので、できればもう少しは現役としてがんばって欲しいところでもあり、様子を見つつということか。それにしても不思議な充電池。この手の製品にニッケル水素充電池とかを使うとはないのだろうか。充電回数が増えると買い換えてもらえないからダメなのだろうか。

 本体の価格に対して替え刃の価格が異様に高いというのも、さながらプリンターとインクの関係にも似た消費財で利益を出す構図なのかもしれないけれど、もったいない精神をもう一度思い出して変化を期待したいところ。

 なんにせよ毎日使うものなのだからありがたく大事に使わなくては。

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山行記録アプリはどうかしらと

 [ 事業化へ推進協発足 山岳遭難防止に情報通信技術活用|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 ヤマレコさんの出番なのではないだろうか、とも。山へ行くことの楽しみはもちろんそのものにもあるけれど、行程の記録があるとなにかと役立つしうれしい。多くの人は自分のスタイルで記録をとっているもの。山行記録として。

 ただ、いちいち手帳などを出して記録というのでは面倒でもあるし、そこは今の時代デジタルなツールの出番なのだろうなと。30 分おきくらいに GPS データを取得して記録するような山行アプリを用意して記録しおけば、ルートが自動的に記録される。あるいは、それはビッグデータとして活用することだってできるかもしれない。平均的な所要時間などをさぐるひとつの指標にはなるかもしれない。

 そうして記録するなかで、あらかじめ設定されている危険箇所データにさしかかるときにアラートを出せるようにしたらよいのではないか。次の 30 分までに到達するという予測がなりたつので、そこで注意を促しつつ、可能であれば、接近したところではこまめな測位をして情報を与えるというような。

 あるいは、登山者が途中見つけた危険地帯を報告できるような仕組みも便利かもしれない。もちろん、いたずら防止のためにも単純にそれを登録してしまうのではなく、たとえば山小屋とも提携して確認が取れたものとそうでないものとを明確にするといった工夫もあるべきかもしれない。

 バッテリーの問題もいわれているけれど、測位を 30 分おきくらいにであればさほど問題はないのではないかと想像。あくまでもイメージなので実際大丈夫かはわからないけれど。加えて、キャリア各社と共同で基地局整備を行うといったことも必要なのかもしれない。

 専用端末を持ってもらうよりはよほど手軽な時代になっているのは間違いないとは思うのだ。そして、それであればやはり山行記録をとるようなアプリこそ一番有効な手段ではないかなあと。ヤマレコさんで開発してみてもよいのではないか。いや、県との提携とか委託とかそういう形であるほうがより望ましいのかもしれないけれど。


#せっかく本社を松本に移されているのでもあるし。

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山は活きている

 [ 浅間山、22人無事下山 ごく小規模な噴火を確認|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 記録ということで。なにやらヘリコプターが騒がしいので、またぞろ高貴な方がお見えになったりしたのかという程度に思っていたら、なにやら浅間山で噴火があったみたいよという話がながれてきて。とはいえあまり信用に足る筋の情報がまだなく、どうなのかと思っていたところにようやく発表があったのだった。ごく小規模な噴火があったらしいと。

 ”あったらしい” と。

 直接の地元ではないとはいえ、なにかあればそうしたアンテナから情報があがってきてもよさそうなのにないので、つまりはその程度のものなのだなと判断していたら、確かに人レベルでは誰も気づかない間にそれは起きていたようで、観測データとしてはそれを思わせるような動きがじゃっかんあったようだけれど、むしろそれはあとからそうであったのだなと判断できるようなものだった。

 たまたま降灰を確認したので報告されたということで、その量としても極端なものではない。これまでもそれを繰り返していて、極端に大きな事象が起こるという様子でもない。たとえていえば、間欠泉のようなものではないのかと。それくらい静かにごく自然にある種のガス抜きが行われたという。

 もちろん、相手は活きた山。まだまだ内部は未解明な部分も多いのだから油断したり、予断をもって軽んじてはいけないのは当然ながら、これまで長きにわたって接してきた人々の感覚といったものも決して間違いとはいえない。記憶は確かに薄れるし、忘れられていく。津波の事例が如実に語るともいえる。ただ、あまりに長い期間をおいてのそれと違い、数年おきくらいに繰り返されているそれを冷静に受け止めるということもまた大切なことではないかと。

 それが「慣れ」というものでよくない、というかもしれない。もちろん慣れの悪弊もある。けれど、いたずらに恐怖したのでははじまらないというのもそこで暮らす以上大切なことでもあるのだ。

 おごらず恐れずという姿勢でいることが、そこに生きるということなのだろうなと。大事にはならずに落ち着いてくれることを祈るばかり。


 山ではないけれど、まあ、いいじゃないですか。

4001140721森は生きている (岩波少年文庫)
サムイル マルシャーク Samuil Marshak
岩波書店 2000-11-17

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イシクラゲ対策の現状(2015 年 6 月)

 なにやらこのところ「イシクラゲ」でのアクセスが異様に増えてきてしまった。某 Q&A サイトにリンクがおかれたことも影響しているようではある。「わたしはこうしています」というシンプルな文言とリンクなので、読みようによってはブログ主であるかのようにも読めてしまうのは、微妙に思わないでもないが(わたしではない)、まあそれはいいか。

 記録ということで現状について少し書いておく。

 増殖してきて扱いに困ったのはここ数年で、何度か手作業で集めては可燃ごみにもしたのだが、二年前に鹿沼土を大量に散布して土に混ぜ込んだ。当初、その効果が見えなかったのだが、ここへきて少し変化らしきものが確認できるようになってきた。

 鹿沼土を散布して混ぜたところにも多少でてはくるのだが、大量に増殖してということがあまりなくなってきた。ようやく一定の効果が出てきたのかもしれない。一方で鹿沼土を混ぜてないところは相変わらずだ。もっとも、お酢の散布を継続的にやっていることもあってか、それが極端に広がるということもまたないように見える。あくまでも印象でしかないものの。

 お酢にしても原液をそのまま噴霧しているのだけれど、実際一度の噴霧で死滅するというのはなかなかないような印象でもある。あるいは量が足りないということなのかもしれないし、また、噴霧のタイミングの問題などもあるのかもしれない。

 乾燥した状態では胞子を飛ばして増殖しようとするというので(正しい生命反応)、雨上がりなどを狙って水分を適当に含みぶよぶよしたときにお酢を噴霧するようにしている。ただ、水分をすでに吸っている状態なので、それ以上うまく取り込めるのかというのはなんともわからない。このあたりは難しいところかもしれない。効果的なタイミングとかはわからない。

 ということでとにかく継続するしかないというのが現状かもしれない。ひたすら売り出しの穀物酢を買っては使っている。

 困るのが芝生にはいりこんだやつらで、ここにもまあお酢をまくわけだが、スギナが生えてもいるのでこれが悩ましい。スギナは酸性が好きなので喜ぶ。スギナ対策として石灰を撒くのだが、すると今度はイシクラゲが喜ぶというような相反する状況になってしまう。

 結局は芝生にあるイシクラゲはできるだけ手で取り除き、他の場所でお酢をかけるというのが正解なのかもしれない。

 鹿沼土が一応の効果をみせそうとわかってきたので、土の場所であればそれを考えるのも手段なのだろうなと。コンクリートなどの場所ではそうもいかないので、継続的にお酢を使う、あるいはコンクリートなどならまずは取り除くということではないか。

 余談としていえば、アルカリ性にしてスギナが減ると、今度はツクシに姿を変えて繁殖しだすという困った奴らではあるのだった。可能であれば根こそぎ抜いて駆除していくしかないのかもしれない。やれやれ。

B004LWEC48タマノイ ヘルシー穀物酢 1.8L
タマノイ酢株式会社

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「私の中のあなた」

 難病(がん?)のため臓器移植するしか手段がないが両親は適合せず弟もダメ。ドナーをひたすら待つしかないが、現れるかどうかも定かとはいえないし、仮に現れたとしても、順番待ちの患者が多数いるなかでは、適合したとしても順番がどうなるかもわからない。ひとつの手段として医師から提示されたのは、適合するような遺伝情報を持つように子供を作ること。多数の組み合わせからということだったのか詳細はよくわからないものの、簡単に言えばまあそういうこと。つまり姉の移植用の子供を作るということ。生まれながらにして姉を救うためのある意味道具としての定めをおうことになった妹をめぐる物語。

 突如妹が著名な弁護士を訪ねる。両親が姉の移植のために自分を作った、自分はもうそれに協力したくない、自分の体は自分のものであり、自分の人生であると。姉のためのすべての医療行為を拒否したいというもの。

 もともと弁護士をしていた母親はそれを知って激しく怒る。仕事もやめてすべての長女のためにささげていたし、次女への愛情も嘘ではないのだと。

 けれども弁護士は妹の話をきちんと聞き、わずかばかりの依頼の資金だけで弁護を引き受ける。そうして親子の間で壮絶な法廷闘争がはじまることになってしまうと。

 治療を続ける姉に同じく治療をつづける男の子との恋が芽生えたり、親子の団欒があったり、一方でその裁判にいたった本当のことが次第にあかされていったり。つまりは、姉はもうこれ以上家族を犠牲にしてまで生きることに意味を見出せなくなっていて、残された時間をいかに充実して過ごすかということをこそ望んでいて、ありていにいえば自然に死を迎えたいと思っていた。けれども母親がそれを受け入れることができなかった。そうして妹を傷つけていることに対する罪悪感。

 家族なのだから当然だろうという母親と、けれどそれもなにか違うよという子供と、受け止めてやるしかできない父親と。みたいな。

 裁判の過程は多少どろどろしたものがでてきてしまうとはいえ、こういうことはもはや現実であったなあと思い返したり、なかなかにハードな物語なのであった。作品にたいして不平をいうレビューもあるようではあるけれど、素直に受け止めればよいだけではないかなと。現実の問題でもある。

 子役たちがステキで、ついついひきつけられてしまうのだった。

 この邦題は案外悪くない。原題は「MY SISTER'S KEEPER」

B002XHIZBO私の中のあなた [DVD]
Happinet(SB)(D) 2010-02-19

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猛き箱舟

 香坂は多少腕におぼえのあるチンピラ。なにか大きなことをしたいと灰色熊(グリズリー)と呼ばれる男への接近を試みる。海外で日本企業が遭遇するもめごと(多くはテロなどが絡む)を処理する仕事を非公式におこなっている。はじめは行きつけのバーで接触するが、手下にあっさりやられてしまい失敗。そこで、難病をかかえた一人息子を懐柔する作戦にでて成功する。

 仲間になって行った先はアフリカ。とある日本企業が現地政府との鉱山関係の契約を結ぼうとしているが、いろいろの理由でそれに反対しているのがポリサリオ解放戦線。その動きを阻止して契約締結を有効なものにするのが任務。現地で合流したメンバーはちょっと頭がイカれているのではないかというような者もいて、先行きは不透明。

 現地に赴く前のホテルで行きがかり上ポリサリオ解放戦線の若い女性メンバー、シャヒーナを助けてしまう。現地について最初の作戦はこちらの勝利。数百人規模のポリサリオ解放戦線の兵士を倒す。が、続く作戦では香坂らは完全に包囲されてしまい逃げ場を失う。援護があるはずだった灰色熊たちはそのまま逃げてしまう。はじめから香坂をはじめとした新規メンバーは万一のときの捨て駒として集められただけのメンバーだった。

 虜囚となってシャヒーナと再会する香坂。ポリサリオ解放戦線では一方的な軍事裁判を香坂にたいしてはじめる。さっさと殺したい派閥や、灰色熊に関する情報を聞き出してしまいたい派閥、この国の現状を変えるためにも彼を生かしたまま有利な広告塔として利用したいシャヒーナを代表とする若い派閥など、いくつもの思惑がからみあって一向に話は進まない。

 そうこうするうちに多数の見方を失った先の戦闘での責任を追及されて名のある指揮官が更迭されたりと、ポリサリオ解放戦線内での意思統一や協調関係にしても一枚岩ではない。そんな混乱のなか、同じく囚われの身となっている兵士とともに脱走を試みる香坂。当初の予定通りには事は運ばず、それでもなんとか命からがら脱走することには成功する。

 ともに脱走した男の手はずでカスバに身を寄せたものの、そこも安泰ではなく、ポリサリオ解放戦線からの追っ手がやってくる。さらにはシャヒーナたちもやってくる。かくまってくれていたはずの(武器)商人もことあるごとに不穏な動きがあったり、香坂が生きていると知って命を狙う灰色熊の部下がやってきたり、さらには多くの部下を失ったことで地位を失墜した指揮官もまた香坂らの命を狙いにカスバにやってくる。

 いくつもの思惑がぐるぐるとからまりあわさって、もうなにがなにやら、誰がだれやら、という混沌とした状態。ついには革新的な言動をしていることをうらみに思われていたシャヒーナまでが、ポリサリオ解放戦線から狙われる事態となって、香坂とのある種愛の逃避行になるのかという展開。

 けれども、ついにはシャヒーナもその命を落とし、香坂も左手を失いながらかろうじて生き延びることに成功する。そして半年の月日を経て、香坂が極秘に日本に入国。いよいよ灰色熊との直接対決という復讐の最終段階へと物語が進む。半年あまり前まではただのチンピラでしかなかった男が、いまや狡猾で冷酷・屈強な暗殺者として。

 灰色熊の周辺から真綿で首をしめるかのごとく、じわじわと包囲網をせばめていく香坂。自分の地位や経験にあぐらをかいて、権力者に協力を求めようとする灰色熊にたいして、ここは日本なのだと思い知らせる冷たい仕打ちがかえるなかで、ぬるま湯しか知らない日本の傭兵たちが香坂を迎え撃とうとするのだが。

 物語の終わりは直接本筋とは関係のない派生している物語の顛末となって、そこは少し余計なのか、はたまたそれはそれでありなのかと微妙なところもあるものの、圧倒的な迫力の前になすすべもなくドッと疲れて読み終える上下巻およそ 1200 ページ。この疲労感は正直このごろとんとご無沙汰となっている心地よさなのだった。

 油の乗っていたころの船戸与一は、やはり最高だった。

4087486362猛き箱舟〈上〉 (集英社文庫)
船戸 与一
集英社 1997-05

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4087486370猛き箱舟〈下〉 (集英社文庫)
船戸 与一
集英社 1997-05

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長野の有希ちゃんの喪失

 GYAO! とかを見ているだけでもものすごい数の新作アニメが放送されているというのに、地方の現実ときたらそのうちの一割はおろか数えるほどしか放送されていないわけである。昔であれば(地方によっては現在でも)放送局の数が少なくて東京キー局のすべてをカバーしきれないというような状況もあったけれど、こと長野に関してならばテレビ東京をのぞけばおおむね専門に対応できるような時代になっている。

 まあ、全部やっても困るというか不要という感じがなくはないのだけれど、いくつかについては普通に見られたらよいのになあと思わないでもないのだった。もっとも、大半が深夜なのでどのみち見られないということにはなりそうなのだけれど。(となれば現状でもよいのかとも)

 ところが、そんな中にあって「長門有希ちゃんの消失」が今回深夜に放送されていて、珍しいことだなあと思っていたのだけれど、ここへきて合宿編の舞台が長野ということできっと放送するように組み込んだのだろうなとようやく知った(遅い)。

 行き先を見ていたら善光寺という文字があって、本当にそうなのか? と思っていたら確かにそうらしく、ただ、新長野駅はなんとなく違和感があったのだけれど、それはあるいはまだ見慣れないせいもあるのかもしれない。善光寺界隈に関してはおおむねよくロケーションしているようで、比較的忠実に再現していたのではなかろうかと。その後温泉というのはどこなのかと思っていたら中尾山温泉ということで、なるほどと。送迎バスがくるにはやや遠いような気がしないでもなかったけれど、そもそも長野市でほかに観光するというところもないので、善光寺から宿へというサービスが現実にあっても不思議はないか、などとも。

 途中なぜか青木島のツタヤが登場するあたりはいささかびっくり。そうか、あの画像はこういうことであったのか、などと先日どこかで見かけたものの意味をようやく理解したのだった。

 それにしてもどういう経緯で長野くんだりまでという話になったのだろうと思わないでは。原作からしてそうなのか、はたまたアニメオリジナルなのか。ま、なんにせよ、もう少しで終了なので、楽しませてもらうということで。もちろん、深夜には見ていられないのでネット配信でなのだけれど。

 ありがたい時代です。

B00UV5Y5PA長門有希ちゃんの消失 第1巻 限定版 [Blu-ray]
KADOKAWA / 角川書店 2015-06-26

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 [ 浅間山 噴火警戒レベル2に 規制、おおむね2キロに拡大|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 tDiary をつけはじめたおよそ 10 年あまり前、まず書かれていたのは浅間山で活動がやや活発になっていて小規模な噴火がとかいうメモなのだった。夜に少し赤く輝く山の写真などがおぼろげに記憶にある。その後も数年くらいの間隔で多少の変動が起きていたようには記憶するのだけれど、おおごとにはならずにすめばよし。とはいえ、昨年の御嶽山の例にしろ噴火したところで不思議ではない山とともに暮らしているわけなのだから。

 御嶽山のほうはようやく捜索再開にむけた動きがはじまった。活動は落ち着きつつあって、なんとか捜索はできるかと思うものの、いずれにしてもその困難さが変わるわけでもなく、安全を確保しつつの捜索活動はあいかわらず大変なものであろうなと。

 [ 御嶽山頂 灰最大70センチ、雪少なく ガス濃度は支障なし |信濃毎日新聞[信毎web] ]

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高々と宵の明星

金星(東方最大離角をややすぎて)と木星


 6 月 7 日に東方最大離角を迎えた金星がきれいにみえているので撮影してみた。むかって右下にあるのが金星で -4.4 等級くらい。左上にあるのが木星で -1.9 等級くらい。

 太陽の東側にあるから見えるのは夕方で、見える方角としては西の空になるので混乱しないように、とは思う。宵の明星の面目躍如といった輝き。

 これだけ明るいとなにもせずに撮影してもそれなりに撮影できるみたいだ。

 最大離角とはいえこれだけ高い位置にいるのを見ると、はじめは別の星だろうかと不安になったくらいだけれど、まもなく夏至という夏の時期であることも影響していて観望・観測には便利なことではあるなと。

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100分で名著 「オイディプス王」

 [ 名著44 「オイディプス王」:100分 de 名著 ]

 「荘子」のあとは「オイディプス王」ということで、今回はよいかと思いつつも見ていたら、「(たとえていえば)2500 年前の刑事コロンボ」というので、それはちょっと面白そうだということで引き続き見てみようかと。

 斬新な手法といい、物語としてのあれもこれもがすべて詰まった珠玉の作品という前振り。

 この手のものは、いずれも興味はあったものの、結局未読なままなので、この際知ったかのためにも(よくはないけれど)今回も見てみることにしよう。

4142230514ソポクレス『オイディプス王』 2015年6月 (100分 de 名著)
島田 雅彦
NHK出版 2015-05-25

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4003210522オイディプス王 (岩波文庫)
ソポクレス 藤沢 令夫
岩波書店 1967-09-16

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雨の季節

 近年は現実に即してというか、あまりはっきりさせてしまうのもはばかられる(というか無用な誤解をまねきたくない)とか、いろいろな事情もあってなのか梅雨入り・梅雨明けの時期について明確に言うことがなくなった気象庁。昔ならば特定の日にちをして発表したものだけれど、今は「何日ごろ」というようになった。まあ、明確にこの日、この時間にといえるものではないのだから、むしろそれでよいのだと思うのが正しいようには思える。

 ということで、昨日ごろに東海、関東甲信地方で梅雨入りしたらしいとの発表。妙に暑い日が続いていたあとだけに曇りが続いたり、量はいろいろとはいえ雨が降れば降ったでさすがに梅雨らしい雰囲気というのは十分。しばらくはしっとりした季節となる。

 5 月のうちは雨も少なくて野菜の類も値段があがってしまったり、品質がいまひとつだったりしたのを思うと、やはり適切に雨が降ってくれることはありがたいことで、とはいえ梅雨ともなれば、その雨が適切なものであるかの保証がないわけで、なんとも微妙なところではあるのだけれど。

 田に水がはいり、苗が植えられ、蛙が鳴き、雨が降る。紫陽花が咲いて、カタツムリが足跡をつける。ジメッとした季節ではあるけれど、それを楽しむことだって十分できる。そう、楽しんでこそ。

# いやいや、楽しむ以前に身の振り方を。

412001083X雨が好き
高橋 洋子
中央公論新社 1981-01

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「ザ・ウォーカー」

 はっきりとはでてこないが核戦争でも起きたあとなのか、というような世界が舞台。いや、核戦争というわけではないのか。とにかく荒れ果てていて食料にしろ水にしろ、各種エネルギーにしろ、もはやどう手に入れるのかというような世界のようではある。

 イーライと名乗る男がひたすら西を目指して歩いている。道中にはもはや追いはぎと化した連中が旅人を狙っている。が、イーライは手にした刃物やらでみごとな立ち回りを演じてバッサバッサと倒してしまう。銃器も持ってはいるが弾が貴重なのもあってか、ここぞというときにしか使わない様子。

 とある町に立ち寄って iPod かなにかの充電を頼んだり買い物したり。その町を仕切るのは本に異様な執着を見せる男で、イーライも本を持っていると知ってそれを手に入れたくてたまらない。手厚くもてなしつつ手に入れようと画策するが、見事にすり抜けられてしまう。

 翌朝町を出ようとするイーライに、部下を使って力づくで本を手に入れようと戦闘になるが、イーライの腕のほうが上。やや神がかり的な強さで死ぬことなどないのではないかと思うくらい。そして、町をでる。

 色仕掛けで本を奪えと命じられた若い女も、その混乱に乗じて町をでてイーライと同行すると言い張り、結局同行するようになる。町を牛耳る男カーネギーは傷が癒えたところで後を追う。けれど、結局本を奪うことはかなわず、イーライは目的地と思われる場所にとうとう到着する。

 そこはたくさんの本があるところ。図書館のようでもあるがよくはわからない。警備も厳重だ。実のところ傷をうけてしまったイーライなのでなんとかたどり着いたというところ。そこで本のことを話すと歓迎される。この本、世界に一冊しかもうないという設定で、途中具体的にはでてこないものの、どう考えても聖書のことなのだろうというのはわかっている。で、彼の協力を得て聖書をあらたに印刷して残すことができるようになる。

 ここで、最後のネタが披露されて、そうかそういうことだったか、確かに今思い返せばそういうことだったかと納得する。まあ、ここは明かしてしまうと面白くないので見てのお楽しみがよいとは思うのだけれど。

 で、最終的には同行していた女が訓練をつんでそこを出て行くというところで物語りは終わる。イーライは本の作成に協力したところで命を終える。彼女があらたな伝道者になる、ということなのかもしれない。いかにもアメリカ的な映画ではあるなと。思ったよりは面白かった。

 原題は「THE BOOK of ELI」。

B003YAYBLMザ・ウォーカー [DVD]
角川映画 2010-11-02

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坊主というかいがぐりというか

葱坊主たち


 葱坊主たち。君たちには、君たちの使命がある。がんばってくれたまえ。

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ぼーしゅ

 穀物の種をまくころとのことで、あたりを見るとこのあたりでも田植えが進み始めていた。まだまだはじまったばかりという感じではあって、すでに田植えが終わったところもあれば、まだ水すら張っていないところもある。水路の上下とも特に関連はない。

 本格的な雨の季節や、蛙の季節を迎えるのだなということを、あらためて感じるのがこのころかもしれない。もちろん蛙などは先月あたりから姿をよく見るようにはなっていて、ともすればゲコゲコと鳴く声がどこからともなく聞こえてくるのだった。そうっと近づいて見てもすぐに静かになってしまう。よくよく見てもなかなかその姿を見つけることができない。声だけははっきりとしっかりと聞こえてくるのだけれど。

 西日本ではいっきに入梅が発表されて、昨年は一気に東日本にまで広がっていたけれど、今年はもう少し先になりそうだ。とはいえ、当初晴れ間が多く雨は少ないかと予想されていて 6 月も、最近の予想では梅雨らしい天候に変わりつつあるようで、案外普通に入梅となるのかもしれない。

 ついこのあいだまで寒かったという印象もあったのに、気づけば春を過ぎ、桜の季節をすぎ、夏を思わせるような暑さが続き、いつの間にやら季節は巡っていくという。自然の不思議とありがたさと。

 このあたりとしては、まさに芒種の季節となって、今年の実りはいかほどか、自然災害はどうであろうかと、楽しみでもあり、心配でもある日々のはじまりなのだなと。穏やかな秋を迎えたいもの。

448002008X宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュほか (ちくま文庫)
宮沢 賢治
筑摩書房 1985-12

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まずは啓蒙からはじめよ(と思う)

 自転車の罰則に関する制度の変更というか拡充というかにともなって、少しばかりあちこちで騒ぎが起きている様子。そもそも道交法的に(というか具体的にはその細則によって定義されている内容ではあるのだけれど)禁止とされていたのは今月からではなく、すでにそうであったことで、これまでも禁止されていたことではある。

 ただ、これまでは自動車などのような反則金であったりとかのいわば簡易な制度がなく、軽微な違反でも即裁判とするしかないような法整備だったために、自転車に対してはややゆるい運用がされていたというのが実情なのだということ。それを補完するような法整備をして、反則金であったり、違反者にたいする講習会の義務であったり(講習会費用という名の反則金であったり)を設けたので、軽微な違反でも以前よりも摘発しやすくなったということなのだと大意としては理解するべきものなのだ。

 とはいえ、自転車の無法が目立つ昨今とはいえ、すべてがそうであるということでもないし、また、そもそもきちんとした道交法関連の教育がなされているのかというと、それもまた疑問なのではある。自動車の免許を持っている人であれば、一応の教育は受けて試験に通って取得しているわけなのではあるが、そうでない人というのも一定数いる。また、子供の場合学校でそうした教育も今はあるはずなのではあるが、それでもどうも自由に走行しているという場面には時としてでくわす。

 免許を持っていても、なぜか自転車に乗ると勝手気ままに走り回るという人も少なくないように見える。

 そうしたことから思うには、きびしくすることももちろんだけれど、まずはきちんとした啓蒙活動をこそ充実すべきではないのかというのはあると思うのだけれど、どうもそういう気配はあまりない。それでいて警察は余計なところに予算を使ってティッシュくばりに使ったり、使いもしない名称募集をしたり、キャンペーンをしたりに使っているようにも見える。その予算の一部でもルールの啓蒙に使ったらどうなのかと思わないではない。

 一定程度の幅がある歩道だと、最近では中央あたりに白線を引いて自転車通行帯と区分する動きもあるのだけれど、なぜか双方向可能とする表示がほとんどだ。行政として逆走を認めてしまっている。子供や年寄りであれば、通行帯内においての逆送を許すとしても、基本としてはそうでないということも少し認知させるような活動は必要なのではないかなと。

 近年、自分ではわずかの距離でも可能な限り逆走せずにすむようなコース取りを心がけるようになった。車と違って同じ車両扱いとはいえ不便な制約がある自転車としては、少しは仕方ないかと思ったりもするのだけれど、いざというときに困らないように普段から心がけることは大事なのかなと。どうしてもとなれば自転車を降りておして歩けばよいのだ、という最終手段も残されてはいる。そのくらいの覚悟はそろそろ誰もが(自転車に乗る限りは)持つべきなのではないかなあとも。

 細則については地方自治体で内容が異なるので、あるところではダメでもあるところでは問題ないということもあって悩ましい。そのあたりも、やはり統一したものにするべきなのではないかなとは。

 とにかく、まずはきちんとルールを周知させることにこそ、行政は力を注ぐべきなのではないかなあ。その上で厳しく取り締まればよいと。

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窓予約がちょっと邪魔

 Windows10 の発売が決まったということで、7SP1 以降でも無料でアップグレードできるという話のとおりというのはよしとして、今から予約しましょうというアプリケーションが常駐するようになってしまった。Windows Update で入れられたらしい。

 見ていると宣伝するくらいしか機能はないのだけれど(そしてアップグレードの予約)、これを一時的に非表示にしたりといった機能はまったくなく、常にアイコンがでているのがちょっとうっとうしい。ボリュームアイコンやネットワークアイコンなどのならびにいつもある。間違ってクリックしてしまうといちいち起動してしまうことになる。

 ことによれば予約すればいったん消えるのかもしれないけれど、今から予約したいほどでもない。7 のサポートの関係からアップグレードが可能な一年以内にはおそらく 10 にするとは思うのだけれど、さりとてもう 5 年あまり前のマシンでもあるので、そうそう急いでという気持ちにもなれない。わざわざ強要されなくてもいずれはと思うので、あまり主張しないで欲しいというのが個人的な思い。

 それではと表示しないようにしてみたけれど、どうやら再起動するとやはりまたアイコンが表示されてしまう。それで消せるという話もあるようだけれど、環境によるのだろうか。プログラム(更新)そのものを削除してしまうという方法もあるけれど、そこまで邪険にするのもどうかとは思うし。しばらくはせめぎあいが続くのであろうかなあ。

 このごろは少しマシンもくたびれてきた感があるので、どこまで使えるかという不安もあったりで、なんとも難しい。

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「完全なる脱獄」

 どうやら現在進行形(作品発表時)の実話をもとにした映画ということらしい。重大な殺人の罪で投獄されているのだが、何度もなんども脱獄を繰り返すカイーネクという囚人。ただ、どうもその裁判は奇妙な感じがあって、あまりにもはじめから彼を犯人として終結させることに終始していた節があるらしい。

 若い女性弁護士がそれを調べて、いくつかの証言や証拠を得て、再審に持ちかけるのだけれど、かなり有効な証拠が提示されたかに見えたのに、裁判官はにべもなく再審を却下。その後も脱獄を続けるは、女弁護士も危険な目にあうわ、これ以上事件を探ると命はないぞといわんばかり。

 実は彼女は一連の事件で無残にも殺害された女性の妹だか娘だかで、当時も命の危険にさらされながらかろうじて生き延びた当人だったと最後のほうで明かされる。それがゆえに、カイーネクが犯人ではないという確信(少なくとも自分の姉なりが殺されたのは別のやつらにより仕業とわかっている)があると。それが事件を調べ続ける理由のひとつでもあるらしいと。

 ただ、物語は結局またつかまってしまうというあたりで終わり。実際現在も投獄されていて、再審へのさらなる運動が続けられているらしい旨が示されて終わるという内容。もちろん、それが実際のことなのかどうかを調べるすべは、海外の観客においてはそうはないので、そのままに受け止めてよいものかどうかは判断しかねるところも。

 とはいえ、邦題の「完全なる脱獄」というのはなんともいただけない。そういう映画ではないのだし。「大脱走」みたいなものでもない。確かにいろいろ計略によって脱走をはかることは事実だけれど、そういう映画ではないし、そこはむしろあっさりしているともいえるわけで。素直に原題通りに「カイーネク」としておいてよかったのではなかろうか、とは。

 まあ、ドキュメンタリーみたいなものだから、結論もないし、テーマがあるというわけでもない。それだけに終わってしまう作品でもあり、どう評価したらよいのだろうねというのが正直なところ。社会の腐敗はどんな国においても、いつの時代においても存在するのであろうなとは。

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ラインコミュニケーションズ 2013-04-19

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ザップニュース集計 5月まで

世界のニュースザッピング 2013/7-2015/05
国名など回数
アメリカ331
韓国191
フランス185
イギリス136
アルジャジーラ123
中国122
オーストラリア105
スペイン14
ロシア13
インド12
フィリピン11
ドイツ11
タイ10
ベトナム8
シンガポール6
香港5
ブラジル3
インドネシア2
トルコ2

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御開帳終わる

 善光寺の御開帳が終わった。700 万人ほどの参拝があったのではないか、という話であったり、いくらの経済効果がどうのこうのと新聞紙面上やテレビのニュースで数字が踊る。まあ、その付随的な数字というのも地域としては重要なところではあるけれど、本質的なところではそんな数字には意味はないのではないか、という思いもなくはない。

 回向柱はひと月ほどはそのままそこにあるらしい。善の綱が残されているのかどうかはわからないけれど。そうして、歴代回向柱の眠る場所に移設される。年月を経て短くなっていったそれらが建つ場所を見るのもまた、感慨深いものがあるのだけれど。

 いずれにしてもこれで平穏な日々が戻ってくる、というのも地元としての正直な気持ちであったりもする。多数の方が参拝にみえることはうれしいことでもあるが、あまりの混雑はそれはそれであまりうれしくないというのは、いずこも同じ苦しい悩みなのではないかなあ。

 逆に言えば、それほど時代は、人々は救済を求めているということなのかも知れず。庶民の苦しさを具現しているのかもしれない。真実のほどは知りようもないとはいえ。

 少し落ち着いたころの善光寺を、またゆっくりとした気持ちで訪ねてみたいなとも思うこのごろ。

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