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かしましい

アポロチョコの花


 今年もアポロチョコの花の季節。それにしてもこの密集の仕方といい、つぼみの見事な形といい、開いたその大きさと独特の形の妙といい、すごい花だなあと。一気ににぎわう。

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「ねらわれた学園」

 昔むかしの薬師丸ひろ子のやつ。当時の文庫カバーが彼女の顔アップ写真になったときのを持っていたような記憶がある(時をかける少女が同様に原田知世の写真になったのも、あるいは。いや、別にファンとかミーハーとかではないのだけれど、ちょうどよいかという程度に)。さすがに時代を感じさせる映像ではあって、当時はこのくらいが精一杯だったのかもしれないなと思うと、それはそれで懐かしさというものがこみ上げてきたりはする。

 とはいえ、内容はあまり面白みがないというか。そもそもそういう話だったのだろうというくらいの記憶しかもはやない。かつての「少年ドラマシリーズ」でドラマになったときのことだっておぼろなのだし。たしかもうひとつ別の同じような作品を一緒にして脚本が書かれていたような記憶はあるのだけれど。

 物語としては単純なので、難しいことはないのだけれど、なぜそこまでしなくてはならなかったのだろうというのはやはり残り続けてしまう。

 どちらかというと当時の薬師丸ひろ子は本当かわいかったねという映画だったのかなあと。ややぷくぷくしているのとかはあるのだけれど、それはそれで当時としても健康的でよかったのではないかなどと。

 まあ、内容うんぬんよりもそういう記念碑的な映画だったのかな、などと。

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角川書店 2012-09-28

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眉村 卓
角川書店 1998-06

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「カラスの親指」

 正直あまり期待はなく見始めた。冒頭の展開にやや出来すぎかと思いつつも、なかなか面白く見た。

 かつて止む無く悪の手先とならざるを得ずに間接的とはいえある女性を死なせてしまったことを後悔しつつ、その組織の裏帳簿を警察に渡すことで一応は引導を渡したはずだったのだけれど、さすがにその復讐の陰におびえつつ住居を転々としながら詐欺師として暮らしていると。

 相棒とともに仕事をしている今、ふとしたことで若い女のスリを助けることになり、どうしたことかアパートを追い出されるというその女の子が気がつけば彼らの住居に上がりこんでしまう。遊び人という体の姉とその彼氏を伴って。その不思議さがそもそも変ではある。

 そうこうしているうちにかつて警察に逮捕されたやつらの執拗な嫌がらせがエスカレートをはじめたようで、いよいよ対決するしかないということになる。そこで大芝居を打ってやつらの金をせしめようとするのだけれど、結局予定が少し変わってしまい、妙な具合ながらとりあえずうまくはいくらしい。

 が、その金は奪ってどうするのだというか、それだけではなんの解決にもなっていないはずなのだ。とか、実はそもそも居候としてやってきてしまった若い姉妹こそ、彼がかつて死にいたらしめてしまった女性の子供であったのだと途中わかるのだが、さらには彼がずっと彼女たちに匿名で仕送りをしていたこともわかったりする。どうやってその住所を知ったのだ? とか、いや、そもそもそれがわかっていたならば彼女たちの現在についてわかっていてもよかったのではないか? とか、細かなところが目に付いてきてしまう。

 金を山分けしてそれぞれに分かれてしまうわけなのだが、そんなある日に彼のところに姉妹から手紙が届くと。どうやって今の住所がわかったのだ、お互いに? とか。そうして、そのあたりからどうも妙な具合になってくる。実はそこからがこの物語の種明かしであって本領になるわけだ。

 なるほどそういう裏で物語が展開されていたのかと思うと、いくつかの不思議や都合のよさは解消される。そのあたりの伏線の生かし方はなかなかうまいし、面白い。もっとも、その他のいくつかについてはそれでもどうなのだ? と都合よすぎるだろうと思えなくもないのだけれど。

 とはいえ、まあそのあたりの細かいことは置いておけば十分やられた感も味わえるし、楽しい映画ではあるのだった。種明かし部分のためもあって時間が長いのがちょっと大変だけれど、見終わったあとの爽快感や満足感は悪くない。

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キングレコード 2013-05-29

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マツシロ計画発動(らしい)

 [ 松代エヴァの町化計画 地元の若者ら、作品展に合わせ催し起動|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 作品展の話はしばらく前から新聞などにも広告がでていたので、なるほどそうなのかと思ってはいた。さすがに見に行くというほどの興味もわかないので(別に嫌いなわけではないけれど)さてどうかなくらいに思っていた。で、それにあやかってということで松代町で動きだしたらしい。

 ただ、この手のやつはどこまでそれが持続できかというと微妙なところもあるので、なんとも悩ましいところでもあるのではないかと。まあ、作品そのものはずいぶん長いことファンをつかんでいるものではあるのだけれど、それとイベントが(しかも作中に出てきたとはいえ地方のイベントが)栄えるということはなかなか期待できるともいえない。

 水野美術館へも車ででもないと行きづらいというのはあって(かつての長野五輪の際のメディアセンターになった場所だったか、旧カネボウ工場跡地だ)、長野駅からも日赤方面のバスで行けるにはいけるが、少々離れていることもあって不便ではある。

 さらに松代となるとそこから直接には行きようがないので駅まで戻ってまた本数の少ないバスに乗るというようなことになるので、やはり車でないと不便か。

 いざ松代につくとこれまた道の狭さと駐車場所の確保で悩むかもしれない。多くが若い元気な世代とすれば、松代城跡あたりに止めておいてあとはひたすら歩くというのならよいが、いずれにしても交通事情の不便さはなかなかに難しい。

 いっそ長野電鉄の河東線が残っている時代であれば、その利用をすすめるという方法もまだあったのだけれど、今は代替バスが残るだけなので結局バスしか残っていないということに変わりはない。

 とまあケチをつけているわけではなくて、松代はエコールドまつしろという運動でいろいろやっているくらいだから、ほかにも活気付いたらよいなとは思うのだけれど、こういうアニメ頼りというのは継続してということには難しい面もあるし、いろいろ課題も多いよなあと思ったりするのだった。

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ストレンジャー

 さびれた田舎町。年老いて少し元気をなくした老女性が管理するいまは使われていない倉庫。かつて夫が事業をしていたなごりらしいのだが、もう使われることもなくそのままになっている。家屋敷はひとりで暮らすにはやや大きすぎるが、思い出のつまったところでもあり、容易に手放すという決断もつけられずにいる。それでも、不動産屋にそんな話をもちかけてみたりはしている。

 そんな倉庫を使いたいととある男がやってくる。ある物を保管するのに使いたいとひとまずひと月の契約を結ぶ。実は老女性はもうお金の工面が難しく、このままでは生活できなくなるというので渡りに船と契約を結んだのだった。ゆえにどんなものを保管するのかなど詳しいことには興味がなく、聞かないままに契約したのだった。

 そんな老婦人がなにかと頼りにしているのが、姪だかになる女性。話しているうちにその契約に不審を覚えるようにもなり、一緒に確認にいくが、見張りに立っている男たちが入れてくれない。言葉もわからない振りをしている。契約した男がやってきてようやく中を確認したりいろいろ話をしてわかってきたのは、実は持ち込んでいるのは処分に困っている放射性廃棄物だった。

 ドラム缶に入れられ特長的なマークがつけられたそれらの数々が並ぶ様は、整然としつつもやや異様な空気を放っている。とはいえ契約は契約であるし、そもそも物についての説明を拒んだのは老女性のほうなのだった。現状では正当な解約理由が見つからない。

 一方で男は経済的に苦しむ町にたいして話をもちかける。廃棄物を保管する事業を大々的に行いたい。まだ最終的な処分場のあてはないが、一時的なものだからと。金は十分に出すし、雇用も生まれる。町の財政はうるおうはずだと、町長や議員らを招いて演説する。厳しい財政事情の関係者は、この話に大いに色めき立つ。

 ところがそんな矢先に運搬していたトラックが横転事故を起こしてしまう。幸いにして廃棄物の漏洩はなかったものの、それによって不安感は増していく。ついには、計画は頓挫する。

 とまあ、それだけといえばそれだけの映画。放射性廃棄物の処分問題を提議しているのかというわけでもなく、それで? と思ってしまうようなところはあって、ちょっと肩透かしな感じではあるのだった。うーむ。

 原題は「MAIN STREET」。

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ダグラス・セーラ・Jr.
アルバトロス 2013-04-02

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ラットランナーズ

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 超監視社会となった未来のイギリス。なにか不穏なことがあると判断されると行動を逐一監視する者たちがやってきて、すべての行動をつぶさに監視されるようにもなってしまう。危険な物(刃物や銃器など)を隠し持っていてもそれを検知することができるということで、表立った犯罪は少ないのかもしれない。が、個人の生活は後ろ暗いことさえなければ別だが、やや緊張を強いられたはりつめた空気の漂う社会になっている。ただ、子供はその監視からは一部除外されるような法律となっているらしい。

 そこで子供ギャングとでもいうラットランナーズというものが登場するようになったらしい。地下組織の仕事を請け負うのは子供。そんなひとりのニモに舞い込んだ仕事が、実は自身にかかわるようなものであったと。ただ、そのあたりの関係を依頼主はまだ知らない。が、ゆえにニモはその依頼を利用して事件の真相にせまろうと動くことにすると。

 まあ、そういう物語。結末はあまりにも突拍子もないところに行ってしまうので、ちょっとやりすぎという全能感を覚えてもしまうので、評価はわかれるかもしれない。わたしとしては少々都合よくやりすぎたのではないかという印象が残ってしまった。ただ、物語の展開そのものは面白く読んだのは事実だ。

 なぜ、どうもいまひとつに感じてしまうのかといえば、これがいわばイギリス版のライトノベルのようなものだからかもしれない。

 作者はもともとイラストを描くことからはじめていた。絵本などを描き、そこから児童小説などにも進んだらしい。そして、おそらくは一応一般向けということでだされた SF 小説が本作という位置づけかと思われる。

 ただ、どうもいまひとつ洗練された感じに弱く、児童小説の延長にとどまっているような印象がしてしまう。いや、そこにも収まらないというか。子供向けとしたらややグダグダしすぎているかもしれない。それでいて文章が細切れで短いセンテンスが大半であるとか、情景描写がやや弱く、単純な単語の羅列的な文章になってしまっているあたりにライトノベルというかケータイ小説というか、なんとなく今風の素人が軽く書いてみましたといった雰囲気のようなものを感じてもしまうのだった。

 日本のライトノベルがそうだというのではなく、それはもっと読むに耐えるものだと思うのだけれど、これを普通に一般に読まれることを目的とした SF 小説というのであれば、少し違うところにあると思ったほうがよくはないか、ということからあえてイギリス版ライトノベルと表現してみた次第。

 そして結末の全能的な展開はあまりにも激しすぎてちょっとやりすぎではないのかと思ってしまう。とある技術を人体に埋め込むだけで、人体内のあらゆるところ(希望するところ)に、あらゆる機械装置や機能が実現してしまい(カメラであったり分析装置であったり、レーダー的な装置であったり)、しかもそれらをまた分解して監視から逃れることまでできてしまうといったことをやられてしまった日には、もうなんでもできてしまうだろうと。まあ、それがこの作品の世界なのだといえばそれまでではあるのだけれど、それを許容できるような作品にまでは仕上がっていないのではないかと思ってしまうからなのだった。

 いっそディック的な世界にまでいってしまえばよかったのではないかと思うのだが、そこまでブッ飛んだ世界を描くには力不足は否めない。あくまでも児童小説レベルではないかという感じなのだ。(児童小説をおとしめる意図はないです)

 それは章立てが非常に多いことからも言えるかもしれない。細かく場面が変わるのだ。設定は面白いし、展開もそれなりではある。ただ、児童小説にも一般小説にもなりきれないままの作品に終わってしまったというのが、個人的な感想なのだった。

 ひところ時代を牽引したサイバーパンク的な SF を期待して読むと、正直がっかりするかもしれない。あるいは「長文を読むのはどうも苦手だ」という現代のニュータイプ向けとするならば、それはそれでありなのかも。

正誤情報:

「肌の色は白でしたでしたか、黒でしたか?」(P.111)

4488754015ラットランナーズ (創元SF文庫)
オシーン・マッギャン
東京創元社 2015-04-20

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舞台「プルートゥ」を E テレで見る

 たまたま E テレで舞台「プルートゥ」を放送するというので見てみた。冒頭少しだけ見逃してしまったのだけれど、その後は最後まで見た。 2 時間半というのはやはり長い。まあ、舞台というものを見ないので、一般的な長さなのかどうかもわからないのだけれど。

 漫画のほうも存在は知っていたし、はじめのころにパラパラと見てみたこともある。ただ、通して読むということもないままに過ぎていたし、よって結末がどうなのかもまったく知らないままに見ているという、ある意味しあわせな状況ではあったかもしれない。

 ごくごくギュギュッとまとめた内容なのであろうから、物語としたらもっといろいろ細々とあったのではあろうけれど、なるほどそういう話なのかと思うくらいにはよくまとまっていたのではないかと思う。もちろん、原作漫画を読んでいないので、それが必要にして十分だったのかを判断する術はないのだけれど。

 また、舞台ということでその演出方法が面白かった。プロジェクターなのだろうか、原作の絵を投影することや、さまざまな状況を映像にして流したりしてそれを役者の動きと合成したりというのも面白かった。なんとなく漫画のコマ割を意識した演出をしていたのだろうかという感じではあった。

 舞台というダイジェストであるからなんともいえないけれど、それだけを見ての感想は「なんだかモンスターの焼き直しみたいだな」というものだった。なんとなく直感的になのだけれど。

 いずれは原作漫画も読んでみたいところかな。

4091874312PLUTO (1) (ビッグコミックス)
浦沢 直樹 手塚 治虫
小学館 2004-09-30

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山は緑

緑に染まるエムウェーブ


 山並みに緑映える。来年の全国植樹祭はここで行われる予定。

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ねこあつめが停滞中

ねこあつめの2


 ねこあつめ。そこそこやってきて残り 9 種くらいにはなったのだけれど、なかなか新しい猫がこない。まろさんみたいな猫はきっと蹴鞠とかだろうからと鞠を置いておいたら確かにやってきた。鍋のやつは当然鍋をおけばと。

 が、あとはどんなのがいるのか知らないので、いろいろ置いてはみているけれど、このところさっぱり。基本、餌の補充をするくらい(餌の種類をたまに変えるとか、おもちゃグッズを入れ替えるとかはあるが)なので、そろそろ飽きがきたかなあとも。

 この手のアプリは瞬間湯沸かし器的に、いかに瞬間的に爆発的なヒットを起こして、いかにさっと手を引くかというところか。

 そもそもゲーム性としては高くないわけで、面白いというよりはかわいいというのが一番であろうから。まあ、熱帯魚を飼うだけというゲームもかつてはあったわけであるし。

 全部そろわないうちに、そろそろ止めるかということになるかもしれないかな。いくら放置とはいえ。

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メモ:「失敗から学ぶユーザインタフェース」

 プログラマ方面の人ならば一家言ありそうな本であるなと。パラパラ眺めると楽しそうな一冊。

477417064X失敗から学ぶユーザインタフェース 世界はBADUI(バッド・ユーアイ)であふれている
中村 聡史
技術評論社 2015-01-21

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#タイトルにいろいろ罠があったので修正。

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「拳銃(コルト)は俺のパスポート」

 このくらいの映画というのは案外見たことのないものも多いので、ある意味新鮮ではあるのだった。宍戸錠にしろジェリー藤尾にしろ、その他出演のみなさんがとにかく若い。いや、それはもちろん当たり前なのだけれど、今となってしまうとそれがむしろ新鮮だったりするのだった。邦画にしろ洋画にしろ、ある程度昔のものを見ることの楽しさのひとつというのは、そういう古いがゆえに新しいというインパクトなのかもしれない。(内容が新しいかどうかとかはまた別)

 殺し屋がとある仕事をしたものの、相手から追われるようになり、依頼してきた組織がきちんとかくまって逃がしてやるという話だったのに、結局それも分が悪いという展開となって、面倒だから始末してしまうか、みたいな話になっていく。物語そのものはとても単純で、あまり複雑なところはない。舞台にしてもあちこちということもなく、ごくごく限られた場所でしか展開されない。

 はっきり言ってしまえばこれというほどの物語はなく、なるほどというほどの結末があるでもない。タイトルにある拳銃がなにか重要な意味を持つということでもない。言って見ればちょっとカッコいい響きのタイトルにしてみただけとでも言うような。

 時代が古いので現代の感覚で見ると、どうにも物足りないと思う結末の展開にはなるのだけれど(結末そのものではなくそのシーンの演出というのが正しいか)、それはそれでと古きよき時代を楽しむのが吉か。現代は少し刺激にあふれすぎているのかもしれない。このくらいのゆるさがむしろ懐かしく思えたりもするのだった。

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Happinet(SB)(D) 2012-09-04

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土牛記念美術館は25周年らしい

 [ 奥村土牛記念美術館 開館25周年記念特別展示を実施中です ]

 新聞にあって知ったのだけれど 25 年になるという。とすると、比較的できてすぐに訪れていたのだなと思い返す。多分二度ほど行っていると思うのだけれど、気軽に行けるというほど近いわけでもなく、といって東京などに出るほどでもなく、なかなかに微妙な位置にある。車で行けばそうでもないのだけれど。

 以前にも書いていると思うのだけれど、作品そのものはもちろん、その建物のよさ、隣接する庭園のよさがまたよい。喫茶でもあったら、小一時間はゆっくりとしてしまいそうな、そんな空間なのだった。

 記念のブックレットを作ったということなので、この機会にまた訪れてみたいなあ。

#念のために書いておくと、「土牛」は「とぎゅう」と読むのです。

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ハエトリグモ1号

ハエトリグモ1号


 今年になってまじまじと見たハエトリグモ。よって1号と命名。とはいえ、次に見たとしても見分けがつくわけではない。

 比較的大きな個体だった。それにしても動きが早いのでうまいところで撮影するのが、なかなか難しい。

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「新納」は「ニイロ」と読むそうな

 [ 仏像をよみがえらせた男 新納忠之介|NHK 日曜美術館 ]

 冒頭をちょっと見逃してしまった。仏像の修復に際して詳細な図面などを残して、後世にまた修復が必要になったときにきちんとそれらがわかるように、参考になるように、かつてどこが修正されたのかがわかるように、ということも含めてすばらしい業績を残された方らしい。

 で、「にいろ」と聞こえてしまって変だなあと思っていた。「にいの」じゃないのかなあと。ところが、「新納」で「にいろ」と読むらしい。これは読めない。

 欠損してしまった部分をあらたに作るといったときには、図面はもとより違和感のない程度であるものの見た目にもそこが新しく作られた部分なのだとわかるようにあえて作ったというのだった。見分けがつかないように作ることもあるいは可能であったのだろうけれど、それをしてしまうと後に修復を行うときに正しく情報を伝えることができないということから。そういう気遣いがなんとも素敵だった。

 唐招提寺にある千手観音は真数千手といわれるそうで、まさしく千本の手があるのだという。一般には 42 本あまりだったり、たくさんあるように作られるだけで実際に千本というのはないのだそうで。これの修復が大変。どの手がどこにどうあるというのを逐一記録して補修し、その通りに復元していかなくてはならない。

 2000 年代になってあらたな修復がされたそうで、そこでもやはり詳細な写真などを残しつつ作業がされたそうなのだが、時間はかかるし、気力も使うであろうし、もう想像するだけでぐったりしそうな作業だったのだろうなと。

 などなどなかなか偉大な方がいらしたのだなということとともに、現在においてもそうして修復作業に従事される方々がおられるからこそ、かつての姿(あるいはそれに近い姿)を現代においても拝見することができるのだなあと。

 それにしてもニイロと読むとはなあ。

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水中生活の未来はくるのだろうか

 久しぶりに E テレ「地球ドラマチック」を見る。水中社会の実現に関する考察あれこれ。「宇宙兄弟」でも登場したけれど、アメリカが水中訓練基地を用意して、宇宙飛行士もそこで訓練をということをしていたり。また、個人で水中生活を実験する人がいたり。そうした事例を紹介しつつ、「水中社会」という本を書いた人の意見などをまじえてその実現に向けたステップを検証していくといった内容だった。

 宇宙空間同様、水中生活というものが人体にあたえる影響というものが、定かには計りきれないというところが一番難しいところなのかもしれない。水中生活においては、その深度によって気圧変化をどうするかという問題も発生する。無難にしようと思うと地上と同じ一気圧にするほうがよいだろうという考えではあるらしいが、減圧症のことを思うとそればかりでよいともいえないと。

 また、一気圧にするならば生活空間と外との気圧さが生じることになるので、その気圧さに耐えることができるような強度が必要になってくる。そして、それをどう作るのかという問題も。水中ということを考えれば地上でユニットを作っておいたうえで組み立てるという方法になるのではないかとも言っていて、それはまあその通りかと。

 これが宇宙であれば空間に内部が露出していたとしても、組み立てたあとで気密をして生活空気を送り込んでやればさほど問題はないのではないかと想像する。しかし、水中においてはそれはちょっとできないだろうと。気密を保った状態で沈めて接合するような方法を取らないと、いろいろ面倒なのではなかろうかと。

 また、二酸化炭素の処理の問題であるとか、食料や電気など各種エネルギーの問題であるとか。潜水艦のそれが参考になるといえばなるものの、規模や役割の点で必ずしも参考にはなりえないとも。

 そもそもと考えると宇宙空間、あるいは地球以外の天体に居住施設を作るということと比べて、水中にそれを作るということのハードルは格段に高いようにも思うし、人体に与える影響の大きさを想像するに、水中に進出する必要性を疑いたくはなる。番組では、水中に進出するべきだし、将来はそうなるといったスタンスではあるのだけれど。

 かつて「樹魔・伝説」だったかで、人類は宇宙に進出することができない、あるいはするべきではないのだという論がでてきたりしていて、あるいはそれは真実であるかもしれないと思わされたりもするのだけれど、少なくとも水中という意味においてヒトが進出することは諦めるべきではないのか、などとも思ってしまったのだった。

 とはいえ、田中光二の「我が赴くは蒼き大地」で描かれた世界のような、ヒトそのものに水棲生物に順応した改造を施して生きていくという手法であれば、あるいは可能なのかもしれないと思わないではないのだけれど。ただ、それは決して地上生活のそれのような生活を実現するものではなく、水中での行動・生活をヒトに与えるための手段でしかないかもしれない。

 番組の趣旨的には反対の感想を持ってしまう結果になってしまったなあ。

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「80デイズ」

 なにやら覚えのあるタイトルのようなと思っていたら、やはり「80 日間世界一周」のディズニー的なリメイクらしいとわかった。ジャッキーチェン主演? ということでの。

 ということで、世界一周の珍道中というか、それを阻止したいともくろむアカデミーの偉い人による追っ手とのドタバタが繰り広げられるわけで、いやそもそもそういう話ではなかったのではなかろうか? などとも。とはいえ、実のところ原作も未読なので実際のところはわからない。そのうちに読んでおくべきだな。

 終盤にジャッキーチェン扮する男(村の宝のようなものを盗まれて、それを取り返すためにイギリスに行っていて、それを取り返して急ぎ戻るという目的もあって世界一周に同行する)の村に立ち寄るというのは、もはやジャッキー出演だからという演出なのだろうなという感じ。これは必要だったのかなあという件が続くのはちょっと面白みが半減してしまう。

 総じていえば、気楽に見られる娯楽作品とすればそれなりといえなくもないのだけれど、満足度ということを思えば物足りない感じもあって、割り切って見たほうがよいかもしれない。最後のオチはなるほどねと(そもそもの原案からかもしれないけれど)思いはした。

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日本ヘラルド映画(PCH) 2005-03-16

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立つほどではなく

シャクヤク三輪


 座って撮影するのにちょうどよいくらいの位置ではあったのだけれど、木そのものはそこそこ大きく育ってはいた。なにより花が大降りなので見栄えがするというのはある。さながら昔よく作った造花のそれにも似て。

 いささか乾燥気味のこのごろなので、花もちという点ではかわいそうな感のある大輪の花。それでも、春から初夏のころにさまざまな花が咲き継ぐのは、なんとも目にうれしい季節ではあるなと。

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懐かしき「本の雑誌」の時代

 [ 『本の雑誌』、創刊40周年記念で創刊号~10号の完全復刻版セット発売 - ITmedia eBook USER ]

 本の雑誌を自分で買うようになったのは実のところずいぶんとあとになってからで、80 とか 90 とかの号数あたりだったかもしれない。その後手放してしまって残しているのは 100 号だけなので詳しいことはもう覚えていない。

 もっとも、存在についてはもう少し前から知ってはいて(まあ、客注で扱っていたからというあたりなのだが)目にすることはあったけれど、中までよく見るということはあまりなかったかもしれない。そのころとて部数はさほど多くはなかったと思うので、店売りまではないことが普通だったように思う。まれに余分にあったり、キャンセルになったりとかでというのはあったかもしれない。

 最近はまったく見ることがなくなってしまったので様子は知らないのだけれど、100 号のころはまだまだ電算化(!)は進んでおらず、それが課題として話題にされたりもしていたのだった。今ではウェブにも進出しているやに聞く。時代は変わった。

 目黒さん(北上さん)といい群よう子さんといい、なんともいえない文章の人びととの出会いというのが、なにより記憶に残っていて、読書の楽しみが増えたともいえるのだった。下手な書評欄とかよりも突拍子もないような掘り出し物があったりして、それがなにより楽しい。そんな本があったのか、という発見はなにより本好きにはたまらないことではあったかと。

 最近ではゆっくりと本屋を眺めて回る、というようなことがなくなってしまったのもあって、すっかりご無沙汰な世界になってしまった。便利な世の中にはなったけれど、このくらいの時代が一番しあわせだったかもしれないなあ。

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”あるがまま”でなく、”ないがまま”

 E テレ「100 分で名著」で 5 月は荘子。伊集院さんと同じで、てっきり老子とかと同じ類のものとばかり思っていたら、どうやら少し違うらしい。もっと個人よりな身近な、そして妙に説教くさくないとでもいうか。いや、ずしっとくる教訓めいたものがないわけではないものの、そこで語られることが物語りとしてもっと身近で普通のこととでもいうのか。

 それでいてそこから導かれることが結構重いことであったり、わかるけれどなかなかに小難しいところであったり。「ないがまま」などというのも、なるほどそうかと思いつつも、あるがままに慣れてしまった身にはなかなかつらい感じもする。

 便利な機械があるのだから、それを使ってもっと楽をすればよいのに、という提案には、そういうものがあるのは知っているが、そうした便利な機械を使うとやがてもっと楽をしたいという思いにかられたり、あるいは楽をして儲けたいなどと思ったり、つまり卑しい心持とでもいうのかが生まれてしまう。そういうことにはなりたくないからあえて手間がかかろうとも使わない手段を使い続けているのだと。

 車ができて、列車ができて、飛行機ができて。遠いところにより早くいけるようになった。もう十分便利なはずなのにまださらに早くを目指していたりする。その早さでなにを得るのか? できた時間でなにをするのか? 結局とくにどうということをするでもなかったりする。

 講師役玄侑宗久さんは、「手紙なら 10 日くらいは返信を待てた」「電話でも何日かは待てた(日数は忘れてしまった)」、けれど電子メールとかだと 2 時間くらいしか待てない」みたいなことをいわれていて、いや、電子メールとか LINE とかだったら秒も待てないのが今かもしれないなあ、などとも思っていた。

 共依存ということも含まれてくるとはいえ、このせわしなさはなんなのだろうと。NHK のはに丸復活でグーグルに取材にいったときにも、「今だってこんなに便利なのに、なぜまだこれ以上に便利にしなくてはいけないの?」と尋ねられてグーグルの担当者がなにも答えられなかったことを思い出す。

 つまり必要があってもっと便利にとか、もっと早くというのではなく、いわば技術者の性とでもいうのか、とどまることを知らずに開発し続けたいという欲求でしかないのではないかと。つまり、そこにあまり意味はなくて必要性もとくにはなくて、とにかくさらに作り続けたいからということでしか、あるいはないのではないかといったような。

 なにやら非常に楽しみな四回になりそうだ。

4142230506『荘子』 2015年5月 (100分 de 名著)
玄侑 宗久
NHK出版 2015-04-25

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「スピード・レーサー」

 往年のアニメ「マッハ Go Go Go」のハリウッド実写版ということらしく。そういえばそんな話があったなと思い出したので見てみた。キャラクターとしてはおおむね忠実な感じで、とはいえそれらすべてがもはや日本人ではなくあちらの人としての設定に切り替わってしまっているのは仕方ない。物語の基本的なところというのも(実のところはじめのほうの話はあまり覚えていないのだけれど)おおむね原作にそった設定ではあるらしい。

 ただ、映画としての展開に関してはオリジナルなのだろうなとは思うのは、巨大メーカーがスカウトしてそれがまあ裏で悪さをしてというようなところか。あるいは原作のほうでもそうだったのかもしれないが、非常にわかりやすい構図を作って映画化に臨んだという感じ。

 レースシーンなどは CG バリバリなのではあるけれど、それらがうまく溶け込んでいる感じはあるので、見ていて楽しいというのはある。考えてみると原作の絵柄というのが、そもそも外国人的な造形だったりはしたので、このほうがむしろ日本人で映画化するよりも自然なのかもしれない。

 レースシーンの映像は目がチカチカするようなもので、チョロQのゲームを思い出す。 PS2 用の HG4 だったかでのレースにまさしくこういう感じのギラギラしたコースがあって、どこがコースなのかわからなくなるようなものがあったのを思い出す。で、気づくとゲームをやっていたりするわけで。

 車の動きやレースの展開にしてもまさにチョロQゲームを映像化したとでもいう感じなので、それはそれで楽しい体験ではあるのだった。

 話そのものはごくごく分かりやすくシンプルで、楽しませる映像という点では申し分はないのかもしれない。アニメシリーズほどの突拍子のなさといったものはさすがに感じなかったけれど。頑張った実写化だったのかもとは。

 昔のアニメをもう一度見直してみたいとか、チョロQゲームをまたやり直してみるというのもいいかなあと。もっとも、PS2 はもはや過去の遺物になってしまったし、新しいゲームもでていない。PS4 で PS2 ゲームは動作しない(だったはず?)なので、いつまでプレイできるかどうかという寂しさも。

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ワーナー・ホーム・ビデオ 2010-04-21

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ヒトは光合成を獲得するのか

 もう何度となく類似の番組をやっていたりするので、あまり目新しさはないのではと思いつつも、ひとまず見始めてみた NHK スペシャルの「生命大躍進」というシリーズ。初回は「目」がどのように生まれてきたのかという新しい視点を中心に。

 で、どうやら植物が長年発達させてきた光の強弱を感知する器官の遺伝子が、動物の遺伝子に取り込まれてあるときに急に目が誕生したのではなかろうか、という説であり、それを思わせるいくつかの事実が紹介されたのだった。

 原始的な脊椎動物にあったという光を見極める器官の細胞が、植物の持っているそれと類似していることからそうしたことがおきたのではないかと推測しているらしい。また、ウミウシのなかには光合成をするものがあるとのことも。

 これは、まさに「シドニア」の世界ではないかと。いずれ人間も光合成ができるように遺伝子変化を起こすのではないか。人為的か否かはわからないけれど。

 現在世界の大問題のひとつとなっているのが食料。莫大な人口をかかえる中国はその食料を確保するためにアフリカをはじめ南米や欧州など世界中に手を回している。食料生産のための土地を確保するのはよいが、それに派生していろいろの問題が発生してきてもいるやに聞く。

 付随して発生するのは水の問題でもあろうし、飲用を中心に水を巡る争いが世界で起きるのもまた時間の問題なのかもしれない。もちろんエネルギー確保の問題というのも存在するわけではある。

 そうした中での解決策としてヒトの光合成対応というのは、あるいは現実的な試みとなるのかもしれない。シドニアの世界では基本食事は光合成でまかなって、補助的に咀嚼による食事が(ある意味楽しみとして?)あるというような位置づけかと思う。

 もしも、そんな未来がくるとしたら、目を獲得したのとは逆に植物とのあたらしい同化といったものがおきてくると思うと不思議な感覚にもなる。

 将来の食料問題などを解決するという意味において、どこぞの学者が(時としてマッドな?)すでに研究しているのかもしれない。などと想像しつつ見ているとなかなか面白かったりしたのだった。

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みみずも蛙も

蛙もでてくるころ


 七十二候ではみみずがでてくるころという今日らしい。というわけではないけれど、掃除などしていると大きなみみずがでてきたりする。体長は 20cm は超えるというようなみみずが。まあ、みみずがいるような土地というのはよいことなので、あまり邪険にはせずにちょっとだけ移動してもらうということで。

 みみずというわけではないけれど、先日はヒキガエルなど目にした。体長が 4cm くらいはあろうかというやや大きな個体だった。石の間にじっとしていてさながら擬態しているかのよう。

 日中の気温が異様なくらいに高くなっているこのごろにあって、いよいよ生き物たちの活動が活発になってきた。まだ水のはいらない田をよそに、あちこちから聞こえてくる蛙の声。まもなく水田の季節となれば、今以上ににぎやかになる。

 まあ、マイマイガにはあまり活発になってほしくないのだけれど。見つけ次第今年も駆除にいそしむしかなさそうだ。

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牛を引きずって、善光寺参り?

 善光寺の御開帳も半分を過ぎて、残り 20 日あまり。NHK-BS での新日本風土記でも番組が作られたらしく放送になった。

 で、番組宣伝が何度となく流れていて見る機会があったのだけれど、どうも気になってしかたないのだった。いわく、

牛を引きずってでも、詣でたい

 それはいったいどこの善光寺の話なのだろうか? と。どうして長野局の関係者はこれに意見を言わないのだろう? それともそういう意識のほうが間違いなのだろうか。

 善光寺の故事としては、不信心なおばあさんがいて、ある日着物だかなんだかを干していたら風に乗ってだか飛んでしまったのだったか、はたまた直接だったのか、結局牛の角に引っかかってしまい、これは大変取り返さなくてはということで牛を追いかける。

 牛はおばあさんが疲れて立ち止まったりすると、それを見てしばらく休んだりしつつ結局善光寺までたどりつく。で、おばあさんは自分の不信心を感じて、といったような話。

 「牛に引かれて善光寺参り」という言葉はあるが、牛を引きずって善光寺参りなどという言葉はないし、そんな故事もない。

 回向柱の奉納の際の行列では牛が先導することが習いになっているし、先の故事にならって歩いて善光寺まで行くという行事もあるけれど、だからといって牛を引きずってというわけでもない。いや、回向柱奉納の際は、牛がまさしく牛歩だからとときおり引いてやることはあるかもしれないが、現実的に言えば牛は引いても言うことを聞かないものだ。むしろ嫌がって進もうとしない。

 いずれにしても奇妙な文言なのに、なぜそのまま全国に流されてしまうのか。NHK はどうしてしまったのか。

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クマがやってきた

藤花にクマバチ


 マイマイガの幼虫駆除がすすんだおかげもあってなのかどうかは不明なれど、蜜を求めてやってくる蜂たちの姿がにわかに増えたように思える昼日向。もっとも、初夏のような陽気のよさにさそわれてという側面も否定はできず。

 はじめは小さな蜂が多かったものの、ふと気づけば熊蜂などがブンブンと轟音をさせてやってくるようにもなった。少々こわごわと近づくと、なぜかすっと逃げてしまう。怖いのはどちらも同じということなのか。カメラを向けるとふいと移動してしまうことの繰り返し。ようやく何枚かのまともな写真が残った程度。

 こうして蜜を集めにくるくらいならばまだよいのだけれど、家々のあちこちに巣をかけようとやってくるアシナガバチの類にはいささか迷惑。しばらくは目を光らせる日々となりそう。

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昨年、大量発生した奴らがかえってきた

 藤の花が見ごろを迎えようとしているところ、ふと見るとなぜかまだ咲き始めというのに花が多数地面に落ちている。さらに見ていると毛虫が多数見つかる。これは!

 この毛虫が藤の花の芯のあたりを食べては花を落としてしまっているらしいと判明。見れば、房によっては軒並み花芽が落とされてしまい、まだ咲かないつぼみがわずかに残るだけというものもある始末。

 さらには、よくよく見ていると毛虫はあちらにもこちらにもと多数見つかり、つまりこれは。昨年大発生したマイマイガの幼虫に違いないと。あとで確認すると確かにそうだった。こいつらは糸をひき風に乗って移動する。蜘蛛の仲間でそういうのがいるのは知っていたけれど、こいつもそうだったのかと。

 ということでピンセットではさんでは取り除き、殺虫剤も使ってはみたが、手っ取り早くということで地面に埋め込んでしまうことにした。さすがにそこからでてくることはできまいと。生き埋めというと残酷ではあるけれど、殺虫剤を使おうと殺すことには違いない。藤の花が全滅させられるのではかなわない。

 根気よく続けたところ 50-60 匹はいたかと。その後も確認するとたまに見つかることはあったので、つど処理。りんごの木には花が咲かず、恐らくはこれもおなじやつらの仕業だったに違いないと踏んでいるのだが。

 その後別の機にも多数いるのを見つけ、こちらも処理。なにもしない家では大量に存在しつづけているのであろうなあ。

 まったくもってやっかいな奴である。

地面に落ちるたくさんの藤の花


花を食べ落とされた藤の房


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「レッド・ライト」

 超常現象を研究している女性学者。助手をつれて各地を回り相談を受けては、怪しいインチキについては解決をはかる。あらゆるものがインチキだというのではなく、多くのものがインチキであると。それを解明するためにも調査をし、インチキはインチキと明らかにするのだと。

 かつて苦い思いをさせられた大物が長い沈黙を破って活動を再開したとのニュース。助手が彼の調査をするべきだというのだ、やめたほうがよいというだけ。助手はその進言を無視してひとりで彼サイモン・シルバーの調査に行ってしまう。

 シルバーのショーが行われている会場には、学者の研究のための一室が設けられていて(一応秘密だ)そこに各種機材などが用意されている。そこで不審な電波などを探知したりして、つまり超常現象を起こすといって演じている彼らが仲間と通信していたりする様子を暴いていたりする。

 ところが、助手がそこにいることをシルバーが知っているかのように振る舞いはじめ、機材は破壊されていく。会場もあちこちで崩れたりと被害がでてパニックにおちいる。そうこうして助手が学者のもとにやってくると果たして彼女は死んでいた。シルバーに殺されたのか? それほどシルバーは危険な相手なのか?

 シルバーは学者の在籍していた大学の別の研究室(超常現象の存在をどちらかというと信じるところ)での実験に協力することになる。ビデオカメラを多数設置し、トリックなど使えないであろうという設定のもとで実験は行われ、それなりの成果をあげる。彼の能力は確からしいという印象も強まる。

 しかし、そこにはなにかがあるはずだと助手はひとりで調べていく。ようやくそのトリックは見えて、シルバーの最後のショーに戦いを挑むかのように助手が乗り込むのだが、シルバーは本当に超能力を持っているのか。といったあたりが明かされるというかなんというか。

 実のところちょっとわかりにくい結末。単純に見ているだけだともやもやしたまま終わりになるかもしれない。実は超能力を持っていたのは助手の彼のほうであり、シルバーとの最初の出会いで事件が起きたのも彼の能力が発動されてしまったからにほかならない。彼自身は自分にそんな能力があることなど知らないし、ふとした瞬間にそれが発動されてしまうのだった。

 女性学者が死んだのも、つまりは助手のシルバーとの事件の際の余波のようなものが、彼女にまで及んでしまった結果らしい。そうして、学者とあちこち回って現象の解明をしていたときにも、恐らくは彼自身の秘めたる能力が発動されたりしていたことはあるのかもしれないのだろうと想像されるのだった。

 ありがちといえばありがちなオチではあるのだけれど、それでもなかなかうまい具合の物語になっているともいえる。それでもちょっと最後が分かりにくいというのはあって、観客の半分くらいはもやもやしたまま帰るのではないかという感じも。

 テレビシリーズにでもなったら、案外よいのかもしれないかな。

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季節を味わう

 節句というものを実感するものとしてあるのは、たとえば飾り付けるもの(雛人形やこいのぼりなど)であったり、時々の和菓子であったり。季節らしい風景であったり色であったり、あるいは風のにおいであったり温かさ、冷たさであったり。

 料理でというのもあるけれど、今ではお節料理を除くとなかなかむずかしいかもしれない。土地に特有の料理があれば別だけれど、たいてい似通ったものであったり、普段から食べるようなものでしかなかったりする。

 もちろん、季節のお菓子にしても年中食べられることもあるのだけれど、それでも比較的その季節に限定してというものもまだまだ多く、料理よりはお菓子(特に和菓子)のほうがそうした季節を感じることはできそうだ。

 この季節となればやはり柏餅。もっともこのては中身そのものはそうそう変化はなくて(などというと御幣があるかもしれないけれど)、柏の葉っぱをまいているから柏餅みたいなイメージもなくはない。餡を包んだ餅という意味においては。

 それでも、それを目にし、口にすることで、季節を感じるのも事実で、できることならば、そうした時間は大切にしたい。けれど、次第にそういうこともなくなっていくのかもしれない。時代ということも含めて。

 現実てきなところでは、年齢とともに餡子を食べると少し胃がもたれるような感じがするという理由で嫌うこともあるようで、そうなるとあえて季節のものとして手土産にしたりということもできなくなる。少し残念な感じはあるものの、それもまたいたし方ない。自分が食べるときにと思うことにして、別のなにかでその代わりをとは思いたい。

 季節が巡る喜びと、季節が巡る悲しみと。

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「エンド・オブ・ザ・ワールド」

 設定としてはよくある地球破滅もの。小惑星の衝突が回避できない事態となって、人々は次第に無気力になっていく。遣り残したことをしようとか、離婚したり、結婚したり。保険セールスマンの主人公の妻はなにもいわずに彼の元を去ってしまった。会社では社員が減り、会社はいまなら誰でも管理職にしてやるとかいいだすが、もはや仕事をすることになんの意味もない。

 町には暴徒と化す人々も現れだし、命の危険も近づく。同じアパートの隣人女性をたまたま助けることになり、彼と彼女は車で逃げ出すのだが、ガソリンがすぐに終わって動けなくなる。やむなくヒッチハイクをすると一台の車が止まったのだが、この車の運転手はどうやら彼らを殺し屋と思ったらしく、妙なことを言い始めるのだった。

 実際、このまま生きていてもということで、殺してもらうことを依頼してもいたらしく、男は撃ち殺されてしまう。ふたりはその車を拝借してまた走り続ける。向かう先は、彼女の故郷イギリス。親と離れて暮らしていたが最後くらいは親元に帰ってあげればよかったという後悔の念。一方で彼のほうは昔結婚したいと思いつつ果たせなかった初恋の女性の存在。

 実はしばらく前に手紙がきていたのだが、間違って同じアパートの彼女のところに届けられていたらしい。彼女はその手紙を残してはいたものの、渡すことはすっかり忘れていた。読んでみるとどうも会いたいふうが見える。会いに行くべきなのか。もう別の人と結婚して子供もいてというはずの昔の話。けれど、この事態にあってふと懐かしさや当時を悔やむ気持ちが芽生えてきたといえなくもなかった。彼もまた同じ。さて、どうしようかと。

 そうして車を走らせ、様々な思い出の人々に出会い、不思議な出会いをもしつつ、この地球最後の日々を誰とどう過ごすべきを探す旅が続く。ふたりが選んだ結末はどこへ落ち着くのか。

 序盤や途中、いまひとつか思ったりもするのだけれど、次第にこの最後の旅のもつ意味がとても重くのしかかってくる。もしも、こうして最後のときを迎えることになったなら、自分は誰とどうしていたいと思うのだろうかと。

 なんとも切なく、けれど温かみのあるよい作品だった。邦題はやや物足りないし、別の SF エンターテインメント映画と混同されかねない。原題の持つ意味をもう少し汲み取った邦題のほうが、本当はよいのだがなあとは思うのだけれど。(原題は「SEEKING A FRIEND FOR THE END OF THE WORLD」)


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「ミニミニ大作戦」

 稀代の金庫強盗団。イタリアで大仕事を働くのが冒頭。水路が縦横無尽にはしる地の利を生かし、奇妙な作戦を取る。建物の床に爆薬をしかけ、金庫の大きさだけ床を破壊していって水面まで落下させてしまう。船を待機させておいて、船の上に落としてそのまま退却。

 というのは見せ掛けで、実際重たい金庫が船の上に落ちてきたら船が壊れるか沈んでしまうか。いずれにしてもただではおかないはずで、颯爽と逃げられるはずもない。実は逃げているのはおとりでしかなく、水中に落ちた金庫を水中で開けるという仕事をその間にやっているのだった。警察がやってきてもそれに気づかずまんまとお宝をいただいて逃げる。中身は大量の金の延べ板。

 ところが逃走してさあ、山分けして分かれるというころになって不穏な車にはさみうち。実は仲間に裏切り者がいて首謀者を殺害して他のメンバーも水中におちて命からがら。

 そうして数年後。その復讐に仲間が集まる。そこででてきたのが、なぜか車体の小さなミニを使って屋敷の中まで走り回ってしまおうという計画、だったらしい。このあたりはっきり描かれないのだが、どうもそうらしい。ところが、実際には狙われていることを気づかれてしまうので、裏切り者は金塊を持って移動してしまう。

 ということでミニによる作戦というのは実際はほとんどなくなってしまった。いやその後出てくるといえばあるのだけれど。

 で、金塊を積んだ車はダミーも含めて三台。ということで車体の沈み具合を調べたりして追跡したり、トリック的な手法を使って奪回をもくろむあたりの終盤の展開はなかなか面白くて息をもつかせないという感じ。

 最終的に金塊を三大のミニに積み込み、列車の貨物に載せてしまうという大胆なエンディング。しかし、そこに裏切り者も追いついて、さあというあたりからの逆転劇がまた面白い。複数の思惑が絡み合って追いつ追われつ、狙い狙われというグルグルした展開がなんとも面白い。

 難をいえば、この邦題のなんという酷さかというあたりで、相当の損をしているなと。そこを我慢して見ていればなんとも楽しめる娯楽作品。

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 こちらがオリジナルらしい。

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ねこを集めてみる

タブレットでねこあつめ


 うわさの「ねこあつめ」。気にはなっていたのだけれど、タブレットに対応していないというアプリも多いので(あるいはスマートフォン以外は駄目とか)放置していたのだけれど、確認してみたらそうでもなさそうということで入れてみた。

 基本放置するしかないというものなので、まあ時間が経過すればそれなりにはなる。餌の補充であるとか、遊び道具を購入したり設置したりといった世話はあるものの、大変というほどでもない。

 無料の餌をおいておくだけよりも猫缶あたりをせめて置くほうが効率はよいように見える。一部の猫がお礼のにぼしとして金のにぼしを置いていってくれるので、だいたい元以上になるようでもある。

 そうこうしているといつしかにぼしが貯まるのでにわさきを拡張することができるようになるみたいだ。

 ただ、この手のコレクションものは一通り集めてしまうととたんに魅力に乏しくなってしまったりするので、それまでというところか。もう少し猫と遊べると楽しいのかもしれないけれど。

 ということで、しばらくは猫を集めてみる。

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メイデイ

眠い猫


 ひだまりは、最高です。

 アスファルトは、温かいです。

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