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回向柱の世界観

 [ 春宵、回向柱を照らす光 前立本尊きょう開扉|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 一昨日、回向柱に古式ゆかしく建立され、昨日には無事に前立本尊(まえだちほんぞん)の遷座もすみ、雨や曇りのやや不穏な天気の中ではあるものの、御開帳がはじまった。

 しかし、回向柱建立にあたって古式というのだが、2本の柱で支えてというのは実に不安定で、よく毎回事故もなく済んでいるものだなとやや感心してしまう。昔、仕事で支柱 3 本で吊り上げ作業をしていたときに、バランスを崩して倒れてしまったことがあった。その支柱が頭にあたって大変だったりしたのだが、まあ、それはバランスを崩すような配置に移動してしまったのがすべての原因なのだが。

 で、回向柱である。建立を前に墨で各面に文字が書かれたのだが、これは角塔婆の種子(しゅじ)と、奉納のための文字などが書かれている。

 ときどきに新聞記事やニュース原稿にもでてきたが、「空」「風」「火」「水」「地」の五つを表す梵字が書かれている。四角柱である角塔婆や、よく墓地で見かける卒塔婆もそうで、ここに書かれる種子は決められているわけで、角塔婆の場合には 4 面あるだけにそれぞれ変化があってなかなか不思議な眺めになる。

 上から「空、風、火、水、地」であるのは同じなのだけれど、正面と裏側、左右それぞれでは言ってみればフォントが異なるというような状態であると。

 さらにその下にある三文字が三尊をあらわしている。今回の回向柱について言えば、一光三尊阿弥陀仏ということで書かれているわけで、上に大きく書かれた一文字が阿弥陀如来、その下にふたつ並んでいるのが勢至菩薩と聖観音。回向柱のそれでは左が勢至菩薩で右が聖観音になっているが、この左右には両説あるとのことで、どちらになることもあるようだ。

 ただ、その他の三尊の組み合わせの場合には左右は厳密に定義されているようで、なぜ阿弥陀三尊だけそうしたことなのかは不思議でもある。

 で、昔むかし、この手の梵字がなにを意味しているのか興味を持ったことがあり、ちょうど折りよく出版されたとある本を買ったのでいろいろわかって重宝したのだった。

4886021395梵字必携―書写と解読
児玉 義隆
朱鷺書房 1991-09

by G-Tools

 幸いまだ手にはいるらしい。書き方の手順とかも丁寧に解説されているのでなかなか便利な一冊。いや、まあ、なにに使うのだといえばいえるのだけれど。

 ちなみにあみだくじアプリ「あみだ WARS」のアイコンは、もちろんこれをヒントに阿弥陀如来を表す梵字をデザインしたのだった。

 今回は夜間の参拝客増加を見込みたいということで、回向柱に照明を当てるという。個人的にはこういうのはあまり好きではない。灯明祭りで五色に照らしたのも気持ち悪くて嫌いなのだ。夜は夜で暗さがあってよいと思っていたりはする。仲見世の店舗がどこまで営業を延長するつもりなのかというのも不安なところだったりする。普段は 16:00 ころともなると店じまいしてしまうところが多いやに聞くからだ。

 大本願の鷹司上人さんもいわれていた。観光として訪れる方が増えるだけではいけないと思うと。やはり祈りの場であることがなにより大切なので、ぜひ祈りをささげる場面も忘れずに参拝して欲しいと。ただただ観光客が増えればよいという感じの長野市や関係団体の思惑は正直うそ寒いものを感じてしまう。

 もちろん副次的に観光面でもよい効果が生まれることを否定はしないものの、まず参拝する、お参りする、お祈りするという気持ちをもってもろもろがなされていくことを願いたいなと回向柱の意味を考えつつあらためて。

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