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ザップニュース集計 2015 年 3 月まで

世界のニュースザッピング 2013/7-2015/03
国名など回数
アメリカ294
韓国183
フランス159
イギリス124
アルジャジーラ123
中国120
オーストラリア99
ロシア11
ドイツ10
スペイン9
インド8
フィリピン8
ベトナム7
シンガポール6
タイ6
香港4
ブラジル3
インドネシア2
トルコ1

 アメリカの独走はあいも変わらず。韓国の追走も同様にて。イギリスをあっさりとかわしてのフランスの追い上げのすさまじさも。下位層はあいも変わらずどんぐりの背比べ状態。

 新年度で終わるかと思いきや、デザイン一新で継続中。集計そのものはいつまで続くか不明。

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冬をしまう

 気温の上がり下がりが激しいジェットコースター的なこの春。ということでここへきて春を通り越して初夏くらいか? というような暖かさになってしまうところもある始末。一週間予報など見ていてもそうそう冷え込むことはなさそうなので、それではということで冬仕舞いを少しずつ。

 まずは灯油ストーブを掃除してしまう。といってもおおむね三月は使っていないというような状況だった。灯油タンクに残っている分を寒くなったときに少しずつ使ってしまうといった使い方で、最後のほうは多少のことならば炬燵でしのぐというありさま。いよいよ使うこともあるまいということできれいに掃除して箱にしまう。

 最低気温が氷点下になるようなこともそうそうないので、水道の凍結防止ヒーターも始末をつける。とはいえこちらも実のところ二月下旬くらいからほぼはずしたままだった。ヒーターと保温材によって経験上では -3 度までならばなんとかヒーターなしでも凍結しないでいけると分かっているので、そのころから気温の様子をみながら運用していた。

 ちょっと怪しいかという夜だけいれておいて、朝になったらまたはずしてしまうということで。なかには一年中つけたままという人もあるようだけれど、確かにサーモスタットでヒーターそのものは制御されているものの、通電はされているのでヒーターそのものが使われていなくても電力は消費されている(はず)。使わない電源ははずしておくに限るわけで。

 ということではずしているととたんに電力消費量が激減するのでよくわかる。

 そんなふうにして少しずつ冬を始末して春へと準備をすすめる。そんな季節。まだ、もう少し冬の名残があるものの(炬燵とか。これはもう少しかかる)、世間はすっかり春の装いにかわりつつあるようだ。わが世の春は、まだまだ。

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梅よ桜よ、ポレポレで

梅のつぼみ


桜のつぼみ


 桜の開花予想がどんどん早い時期に変わってきていて、なんだか今年は落ち着いて花見ができないような予感までしてくる。あまり急激に咲き出して、ささっと満開! とか言われるともう好機を逸してしまいそう。

 そうはいってもふと見ると梅の花ですらそろそろ咲きますという感じの枝が多い樹もあって、暖かいというのはどこのことだ? と不思議に思ってしまったりも。もちろん、すでに満開というような咲きっぷりの梅の樹も場所によってはあるのだけれど。遅めのやつはちょうどちらほらと咲き始めたというところ。もっとも、この先の暖かさが予想されているので数日のうちには見事な咲きっぷりに変わってしまうのだろうな。

 一方で桜。こちらも確かに急激にふくらみを増しているようで、確かにもう一週間もすれば開花してしまいそうな勢いだ。例年であれば長野マラソンの時期(第三日曜日)に満開というようなところなのだけれど、今年はすっかり葉桜になってしまいそうだ。

 いや、それどころか気がついたら終わっていたなんてことにもなりかねない。4月末くらいに見ごろとなるはずの飯山方面ですら中旬くらいに開花予想となっていて下旬を待たずに終わってしまうかもしれない。

 となれば、菜の花公園で菜の花との競演などというのも難しいかもしれず。いや、そもそも菜の花のほうですら連休前に、などという怖いことまで想像されてしまったり。

 春は待ち遠しくもあるけれど、あまりに性急に進みすぎるのもなんともやるせない。春はゆっくりでいい。

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ミニ回向柱

 [ 回向柱 大都会の善男善女に 本物と同じ杉材 銀座NAGANOに|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 御開帳を目前としてミニ回向柱が建てられるらしい。東京は銀座に長野県の情報発信などを目的に開いた銀座 NAGANO に。 2.5 メートルというのでちょっと小さすぎて貧相にも思えるので、ぜひ本物に触れるためにご参詣いただくとよいのではないかと。で、お土産に小さな机上サイズの回向柱でもお買い求めいただくということで(もっとも、今年もあるかどうかは定かではない)。

 しかし、「筆文字を印字」ということは、つまりプリンターでということなのか。それはいささか風情にかけるというか、つまらないというか。善光寺さんにお願いして揮毫していただくことがかなわないとしても、誰かのお手になるものにするべきではなかったのか、などとも。とはいえ卒塔婆ですら専用プリンターがある時代であるのだから、やむを得ないのか。

 なお、昨年大発生したマイマイガの孵化がはじまる恐れも同時期にあるため、市としても駆除を呼びかけてはいるものの、相当数が発生する可能性も否定できず、一応用心しておいでいただければと思う次第。

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「僕の彼女はサイボーグ」

 数ヶ月経ってしまったと思うので細かいことを忘れてしまった。話としてはタイムトラベルものということだ。

 さみしくひとりで誕生日を祝おうとしている主人公の前にきれいな女の子が現れて、なんだか祝ってくれているのか、ぞんざいに扱われているのかわからないような扱いを受けてしまう。それでも、なんだか気持ちはうれしいので一緒に過ごすのだが、やがて分かれる段になってちょっと言い合いになってしまい、以来会うこともない。

 それでも誕生日ならばひょっとするとまた会えるのではとか思っているようなのだが、(そろそろ記憶があいまいだ)サイボーグとなった彼女がやってきて彼の身におこる危険な因子を排除するべく活動するのだったか。

 最終的には巨大な地震が起きてということだったか。で、サイボーグの彼女は壊れてしまう。それを直して復活させるべく研究をすすめて権威みたいになるのだったか。

 そしてずっとずっと時代が経って、オークションにそのサイボーグ(今は動かない)が出品され、それを落札したのが、サイボーグのモデルとなった彼女。つまり、はじめに会った彼女というのは未来からやってきた生身の彼女であり、それをもとに彼が将来作ったサイボーグが彼を助けにやってきて、そのサイボーグを落札した彼女がそれを作った彼に一目会いたいということでタイムとラベルして出会ったのが冒頭であると。

 まあ、パラドックス的なところを言うといろいろだろうし、サイボーグの彼女があれこれと人助けをしたり彼を助けたりというのがあるのだけれど、このあたりは少々やりすぎだったり意味不明にも思えたりというのがあり、ちょっと微妙なところもあるのだった。

 また、彼の幼いころの思い出の場所に行くのだが、そこにはおばあちゃんの記憶が残っている。が、そこで描かれる風景があまりにも古すぎて、彼の年代に合わない。昭和 30 年代くらいの風景なのだが、彼は 2010 年くらいにようやく大学生という年齢。子供時代はせいぜい 1990 年のころだ。 30 年以上も開きがあっていくら地方だとしても無理がある。

 このあたりはどうやら韓国人監督ということによる失敗なのかもしれない。演出とかでもちょっとと思うところもなくはない。ただ、パラドックスうんぬんは抜きにして、この輪廻の発想は面白いと思ったし、現実としたら無理があるわけではあるけれど、物語の背景としてはなかなか面白い味付けではあり、無理があるなかでもそれなりに面白い論理付けにはなっていると思った。物語世界としては許容してもよいくらいには面白いと。

 まあ、なんといってもまだまだ若い綾瀬はるかがとってもかわいく描かれているのが一番なのかもしれない。

B001D7RMQE僕の彼女はサイボーグ [DVD]
ギャガ 2008-10-17

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おじいさん

オキナグサ


 おきな草が今年も花をつけはじめた。というか土の中からむっくりを姿を現したというほうがふさわしい印象ではある。

 ほわほわの長い綿毛に覆われて、あちこちに土などつけて。

 彼岸も過ぎて、春は着々と。

 しかし、おきなというには派手な色使いではある。いや、歳をとったら明るい色をまとうべきとはいうので、これはこれで正しいのかもしれず。

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レンズでみつける風景

 冬の間の E テレでカメラ女子向けの趣味講座があったので途中から見ていた。北川弘美が出身の京都で撮影のいろいろを学ぶという趣向。京都の風情を楽しみつつ絵になる構図のポイントであったり、撮影のポイントなどを教える番組。なにより女性向けという視点であることもあって、小難しいことはないわけではないけれど、あまりそれを全面にだすことはやめようというところがよかった。

 講師もすべて女性のカメラマンばかり(カメラ”マン”などというと、めくじらたてられそうではあるけれど)で、機能方面については最低限というところにとどめ、基本的な設定でどう撮るとよりよくなるのか、より楽しくなるのかといったあたりを重点的に体験させていて参考になるところも多かった。

 カメラ側の設定をあれこれいじるというよりは、こんな撮影の方法もあるといったことも新鮮。もちろん、そこに基本的な設定の仕方ははいる。夜景であれば絞りや露出などについて基本このくらいの設定にしておけばだいたい大丈夫というところを抑えておいて、あとは場合によっては多少変更したり、あるいは撮影の仕方を工夫することで対処したり。

 最終的に手芸的な世界になって終わるというのは、あるいは女性向けの特徴なのかもしれないけれど、最後は撮影した写真でアルバムなどを作ってみたりする。アルバムといっても手のひらにのるような小さなサイズの本をつくるといったところだったりする。装飾をほどこしたりして工作するのはまさに手芸方面の発想か。

 いや、それが悪いとかではなくて、それはそれでよいと思うし、女性向けとしてない過去のカメラ番組でも、たいてい最後は作品作りなどしたものだからそれはそれ。ただ、どうしても女性向けというとそういう方向に流れてしまうのは、やはりそういう意識や趣向というものがあると認識されているからなのだろうかと。

 否定するわけではないのだけれど、こうした小物というのは当時はよいとして、やがて必ず邪魔になってそのまま放置されるときがくるものなので(概してという意味で)そのとき今度は処分をどうするということにはなる。だからといって作るなというでもないのだが、なんとも悩ましいところかなあと思ってしまうのだった。

 そうした思い出の品ばかりが家の中にあふれている家庭というのは、正直あまり居心地がよろしくないと個人的には感じてしまうので。(指輪型アルバムなどというのはその極致だろうなと)

 撮影したデータを HDD に記録したままというのも確かにつまらない話ではあるので、普通に鑑賞できる環境というのはあるとよいなとは思うのだけれど。

 いずれにしてもちょっとした構図のヒントであるとか参考になる部分も多かった番組ではあったのだった。次は仏像の講座らしく、これもちょっと楽しみか。

B00SMILKY2NHK 趣味Do楽(火) レンズで見つける! わたしの京都~女子のカメラ&ライフ・レッスン~ 2015年 2月~3月 [雑誌] NHKテキスト
NHK出版 日本放送協会
NHK出版 2015-01-26

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伏したる獅子

タンポポ


 気の早いタンポポが咲いているかと思えば、氷が張るかと思うような冬の寒さが戻ってきたり。早春というのは本にめまぐるしい。

 しかし、見かけるものはどれもみな地面から直に咲いているかのようなものばかり。茎を伸ばして咲いているものはまず見かけない。

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思わざる

 [ 青蓮院門跡:古都浪漫こころ寺巡り - BSフジ ]

 たまたま BS を見られる環境にあって、ふと番組表を見ていたらちょっとよさそうな番組だったので見てみることに。昨今地上波ではひどい言われようのフジテレビではあるものの、この BS の番組はなかなかよく作られていて CM さえなければ NHK スペシャルもかくやと思えるくらいではある。

 とにもかくにも京都の寺社の風景というのは絵になるのだからということもできるけれど、やはりこれまで知らずにいた知見を得られるということもまた楽しい。今回でいえば、そもそも「門跡寺院」という名前や存在についてはじめて知ったことがまず大きい。

 恥ずかしながら詳細についてはやや記憶のかなたになりつつあるのだけれど、ざっと言えば皇室との関係が深い寺院であるということ。かつてであれば一般の参拝客・参詣客などはいることはできなかったらしい(多少違うかもしれない)。内部には宸殿があり、本堂などはそれに比してややシンプルなものだったりもするらしい。

 また、今回やっていた青蓮院門跡では本尊は仏像ではなく、曼荼羅であるという違いもあるとか。仏教界でもっとも位が高いとされる青を基調とした青不動は、すでに色もあせてきてしまったり、線もやや判然としない部分もでてきているものの、火炎を背負ったその姿はなかなかに迫力もあった。

 さらには、関連の別の寺院とかだったのか(このあたり忘れてしまった)には四猿(しえん)があって、それはつまりよくいう三猿の仲間とでもいうもの。見ざる、聞かざる、言わざるの三つは有名だし、それまでと思っていたけれど、ここにはさらに四つ目が存在し、それが「思わざる」とか。すなわち、あまりあれこれと思い悩みすぎないのがよいということではないか、と説明されていた。

 しかもこの猿たちは雌雄で作られており、それぞれ四体ずつある。そして、その雌雄の違いがなんとも面白いというのだった。オスの猿たちは、見ざるは両手で両の目をしっかと覆いなにも見えないようにしているが、メスのそれは左目だけを覆っており、そもそも右目はしっかり見開かれている。その上で左手も目から少し浮かしていておぼろげに付近を見ているかのような様子。

 聞かざるでも同様で両耳に手を当ててはいるものの、わずかに耳から手を離していてまったく聞こえないようではない。言わざるについても同様。手を口の前にやってはいるものの、オスのようにしっかと口を押さえて息ももらさないというようなことはなく、さながら咳やくしゃみを隠してみたというだけのように口が横から見えるような手のやりかただ。

 男女の違いというものにも思いをいたらせるような意味があったのではないかと説明されていて、なかなか興味深く見たのだった。

 また、天台宗であるのに親鸞との関係も深く(というか親鸞出家の寺であったという)出家したころの若い親鸞像がまつられていいたりするともいうことで、その佇まいにだけにとどまらず歴史的な意味においてもなかなか面白い寺院なのであるなあと。

 まあ、BS なので次に見られることは基本もうないのだけれど、こういう番組は民放であれきちんと作って残しておいて欲しいなあとあらためて思ったり。

 京都の寺社めぐり、ゆっくりとしてみたいものだけれどなあ。

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春おはぎの手作りはおあずけ

 ここ二年あまりは春分の日あたりにつぶあんを煮ておはぎを(春だからぼたもちだ、という意見もあるだろうけれど、土地的にはそういう区別はしていなかったように思うのであくまでもおはぎということで)作っていたのだけれど、今年はちょっと諸般の事情もあって手作りしている時間的余裕もない。ということで、出来合いをひとまず食べたりしたのだった。

 季節のものはその季節に一度食べればよいじゃないの。何度も食べることはないよというような話を先日ラジオで聞いたりもした。もちろん、おいしいものは何度となく食べてもよいのだし、それは好き好き。とはいえ、確かに季節を感じるものを一度口にするというのは、むしろ印象を強くしてよいのかもしれない。

 まあ、時期を見て今年も手作りしてもよいのだし、先のことはわからないが、ひとまずこの春においては出来合いで終わりだ。ちょっとさみしくはあるが、それでも季節のものをいただいたなという思いだけはせめて享受できるのだからよしということで。

 思えば二年前の三月はじめに、ほぼ日であんこを煮る中継をするというのが発端だ。仙台あたりだったかからワークショップ的にやっていて、虎屋さんとの綿密な打ち合わせと、家庭でも作りやすい作り方を考えていただいての当日だった。

 かねてより煮豆はよくやっていたし、小豆餡も作ったことはあったのだけれど、せっかくの機会ということで見ていたらなかなか参考になったのだった。そうして春分の日にさっそく試してみた。確かにおいしい。

 ただ、餡子というのは案外買ったほうが安かったりはする。微妙なところではあるのだった。それでも手作りのうまさはまた違うし、なにより甘さの具合であったり、餡の練り具合であったりも調整できるというのは魅力でもあり、さらにはできたての美味しさはまた格別だったりする。

 最近では手作りする家庭も少ないのであろうし(洋菓子方面を手作りというのは盛んだろうけれど)、それはそれでもったいないとも思う。今年も折をみてまた作ろうかとは思うのだけれど。

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ラジオは 90 年らしい

 日本での放送がはじまって 90 年、すなわちラジオ放送が 90 年ということらしく、NHK が 90 時間ラジオと銘打って連続企画の番組を放送している。テレビ全盛時代を経て、いつしかそれがネットに代わり、テレビなど見ないし持ってもいないという世代が増えてきた昨今。ラジオへの回帰はあるのだろうか。

 2011 年 3 月 11 日の震災直後。電力事情などもありラジオで情報を得ようとする動きは少し活気づいたように見えた。その後インターネットを介してラジオ放送を配信する動きが加速して、NHK でもらじる☆らじるとして正式に配信するようになった。90 年を受けてアプリケーションのアップデートもされたようだ。

 スマートフォンが普及している今となっては、それによってより手軽にラジオを聞ける環境がそろってきたともいえるのだけれど、さて、実際のところはどうなのだろう。

 一定程度のラジオファンがいるのは間違いのないところではあるし、なにか作業をしつつというときにラジオを流しているということは今もあるはず(かつての職場では邪魔にならないか? といわれたことがあるが、仕事に集中すると音はあまり聞こえていないという感じにはなる。といって時報とかニュースとか聞こえてはいる)。ただ、ラジオ機器単体としてはもはやあまり見かけなくなってきたところはあり、全般的な需要としては少し不安な気もする。

 インターネットを介してというのはネット環境がなければ聞けないわけであるし、よりシンプルな形のほうが恐らくは最後まで残りそうな感じでもある。ネット配信にシフトしていくとちょっと不安な感じを覚えたりはするのだが、さてこの先どうなるのだろう。

 テレビと違ってながらでも聞けるのに、なぜか集中して聞くということもあるのがラジオ。テレビではどこまでいってもなんとなく流してしまうという見方のほうが多いのではないか。

 近頃ではテレビの代わりにラジオをつけることも多い。なんなのだろう。ラジオのほうがなにやら落ち着くような感じがあるのは。

 松本にあるラジオの博物館もいつか訪ねてみたいものだなと。
 

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米朝さん逝く

 新聞に米朝さんが亡くなられたとの報。実のところ落語を聞いたことはそうそうなかったよなと思い返す。生でなどもちろんだし、あるいはテレビやラジオで聞いたことはあるかもしれないけれど、という程度だ。落語以外で出演されたようなところですらあまりないかもしれない。接点といえるのは「米朝ばなし」くらいなのかもしれない。惜しい。

 ただ、わずかな接点のなかでも「やはり、うまいなあ」と感じるくらいには知ってはいるわけで、いまさらながらとはいえ、少しずつでも聞いていきたいかなと思わずにはいられない。

 89 歳で死に際もじつに穏やかだったらしく、大往生ということなのだろうなと。偉大な人は常に存在し、そして常に亡くなっていく。それが自然の摂理。人の常。そうはいっても、という人は、確かに存在する、と何度となく思わせられる時代。

 いまはせめて「米朝ばなし」でも久々に紐解こうか。

4061833650米朝ばなし (講談社文庫)
桂 米朝
講談社 1984-11-12

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米朝ばなし 上方落語地図: つらつらぐさ

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アニメ「MONSTER」

 先日アニメ「MONSTER」の一挙配信があったのでがんばって通して見た。全 74 話だったかを半分にしてそれぞれ一週間ずつくらいで配信していたのだった。さすがに長かった。

 で、前半の部分くらいまではヨハンの怖さがじわじわとやってきてなんともいえない怖さに震えたのだけれど、正直あまりに長くなりすぎて中だるみしてしまったようにも感じた後半。過去の秘密にせまっていくのはよいのだけれど、ヨハンがあまりにもなんでも知りすぎているし、すべてをコントロールしてしまう技がすごすぎて、ちょっとできすぎと思ってしまうところも。

 それでも前半くらいならまだそれでよかったのだけれど、いつまでもそれが続くとなんだか全能すぎないか? という思いが強くなってしまった。それがサイコパスというものなのかもしれないけれど、最終的にはどうも「実は」という展開もあったりでよくわからない。

 双子の誕生の秘密については、いったんおおむね明らかになったあともまだなにかあるのだという風に展開させるのだけれど、それほど特にということでもなく、最後の件も完全な自殺という演出としては面白い試みではあるものの、だからといってちょっと引っ張りすぎたという印象も強く、やりすぎたかと思ってしまった。

 よくできていたし、実際面白かったのだけれど、やはり無理やり長くしすぎてしまった感がどうしてもしてしまう。半分ですっぱりと終えていたらもっとよかったろうにと。

B006GA7FFGモンスター / MONSTER コンプリート DVD-BOX (全74話, 1776分) 浦沢直樹 アニメ [DVD] [Import]


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メモ:「トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン」

 メモといっても結局忘れてしまうのだろうから、Amazon のウィッシュリストとか、あとで買うリストみたいなところにいれておくほうが無難なのだろうけれど(実際あとでいれておこう)、ここにも一応メモを残すとしよう。

 一応ヤンソンのこうした本はチェックだけはしておかなくてはなあと。とはいえ、ムーミンでさえすべてを読んだわけではないし、むしろ周辺の評論や小説を読んでいるほうが多いのかもしれない。いずれはきちんと読みたいと思うのだけれど。

 この本にしてもちょっと高めであるし、すぐには無理だなあということで。

4062192586トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン
ボエル・ウェスティン 畑中 麻紀
講談社 2014-11-27

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「小さいおうち」

 先日、テレビで映画「小さいおうち」を見ていたのだった。ということでちょっと記録。(と書いたものを例によってブラウザの挙動で雲散霧消してしまったので、しかたなく元気を振り絞って書き直している)

 てっきり奥様と女中とのドロドロの愛憎劇とばかり思っていたら、ふたりはすこぶる仲がよかった。いや、最後はちょっと嫉妬心を出してしまったのかもしれないけれど、基本的には良好な仲だった。映画の宣伝ではなにやらとてつもない秘密がこの幸せそうな小さな家にはあるのだ、みたいな書かれ方だったのだけれど。

 ということで、そういう意味ではさほどどうということもなく、もちろん奥様が旦那以外の男性と最終的に色仲になってしまってというところはあるのだが、あまり大っぴらにはしないままに終わるわけだ。

 物語としてもその当時の(戦前・戦中の)小さいおうちでの物語りだけなのかと思っていたら、はじめにおばあちゃんになった女中さんが亡くなって葬儀を行うという場面から。さらには回想録をたくされてそれを読み直すといった趣向で展開するため、過去と現在が時折入り混じりながら描かれるという。

 最後にようやく奥さんの子供の消息がわかって訪ねるくだりは、やや不満な感じがないでもなかったけれど、まあそれはそれ。淡々と時代を生きてきたひとつのちいさな家族をとりまく物語。そんな物語もあの時代のどこかにあったのだと思わせるというだけで価値はあったのかも。

 回想録を書いている途中で、「おばあちゃん、嘘書いちゃだめだよ」という場面があって、なるほど自分が知っている歴史がすべてと思うとそういう反応になるのだなとなかなかに面白く思った。たとえ戦争中であっても、世の中はいろいろだったのかもしれない。けれど、こういうものなのだと思い込んでしまうと、それ以外を許容できなくなるものかと。

 なかなかに楽しませてもらった。

B00JUHVXO6小さいおうち [DVD]
松竹 2014-08-08

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御開帳

 [ 善光寺御開帳 ]

 北陸新幹線も金沢まで伸びましたが、この春は善光寺の御開帳。まさか、専用サイトまで作られていようとは。

 回向柱があるとかいろいろ普段の善光寺参りとは違った趣でご利益ありそうな期間ですが、それだけに参拝客の数も普段の比ではなくなるという面も。

 主だった行事日にあたると、その様子を見られるといううれしい反面、参拝にはやや不向きだったりもするので、行事日程などよく確認しておでかけのほどを。

 また、善光寺周辺まで車でというのは無謀なので、郊外各地からのシャトルバスを運行するのでそちらを利用するよう計画されるのがよろしいかと。

 昨年 11 月に地震の被害がでた鐘楼も修復が完了して、元の位置に戻ったとの話。ずれたりした灯篭のたぐいはどうなったのかは不明なので、あるいはそのままだったりするかもしれないので、一応注意してということで。

 信濃毎日新聞社でだしているガイドブックがなかなか充実しているので、参考にするもよいかと。地元民でも知らないことは多いのだよなあと。

4784072462善光寺御開帳公式ガイドブック
善光寺事務局
信濃毎日新聞社 2014-12-09

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きいろいのは はる

黄色いクロッカス


福寿草


 朝晩の寒さはあれど、日中の日差しの暖かさ。黄色の花は、春の兆し。


4033380108きいろいのは ちょうちょ (五味太郎・しかけ絵本 (1))
五味 太郎
偕成社 1983-03

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つながる。はなれる。

 あくまでも記録ということで。北陸新幹線が金沢まで伸びたと。長野行き新幹線は終わりましたと。これまで長野新幹線と略称されていたものの、正確には北陸新幹線の長野行きといったことだったわけで、名実ともに「長野行き」は終わったわけで。とはいえ、実は東京・長野間のあさまは残るので、長野行きも残るとはいえる。ただ、金沢発長野行きというのは現状ないのだった。同様に長野発金沢行きというのも基本ないと。早朝の一本を除いて。

 ヘリコプターの音で目を覚ますといった風の朝。始発列車の取材のために飛んでいたらしく 07:00 くらいまではときおりバリバリと音をたてていた。富山や金沢にとっては本当にようやくやってきたという意味でお祭り騒ぎなのだろうなと。長野に関してはむしろ経過駅になってしまうという不安からくる焦燥感による狂騒のはじまり、とでもいうのかもしれない。

 それによって信越線はほぼ解体されてしまったといってよい状況になり、分割分割され、さていつまで存続できるのかと。新幹線さえあればもうなにもいらない、みたいな趨勢のご時勢には抗いようもないのかしら。

 奇しくもアニメ「かぐや姫の物語」で描かれたそれは、なにかアンチテーゼともいえる世情への声ではなかったかとか。

 速度優先のなかで捨てられていくなにかをすくいあげることはできるのかしらと。

 めでたい日である。

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風の色、空の色

 先日書いたものの、うっかりブラウザの戻るボタンにでも触ってしまったのか、保存前だったテキストがすべて消えてしまい、そのままにしていたのだけれど、時間がたって落ち着いたのもあるし、簡単にもう一度記録しておこうかと思う。

 アニメ「風立ちぬ」のことだ。総じていえばよい作品だったのではないかと。ただ、子供向けではまったくないので、そういうことを期待して映画館に足を運んだ子供連れの観客にとってはあてがはずれたというか、がっかりというかだったかもしれない。ジブリとしてはここまで子供を無視した作品は、本当は作りたくなかったのではないかとも思える。年齢的にもだんだん辛くなってきた宮崎駿が、子供向けということを一切無視して今の自分が(企画時点ということではあるけれど)作りたいと思うものを作りたいように作らせてもらった、という作品だったかと。

 そこで描いたのはひとつの極端な社会であり、人物であり、恋愛であり、世界だった。だからこそ主人公の声には庵野さんを起用したことにも映像となってみると頷けるのだった。あの素人まるだしの感情のかけらも感じないような台詞はプロの声優がやったのではかえっておかしなものになる。わざとらしさが残る。

 主人公のただひたすらに美しい飛行機を設計したいという願望だけで、それが戦争に使われようとそうでなかろうと、そのことにはあまり関心がなく、ある意味人としての感情が少し欠落したような性格を表現するには、やはり庵野さんでなければならなかった。

 それは彼女となり、妻となった菜穂子に対してもそうであり、家族に対してもそうだった。妹が訪ねてくることをいつも忘れていて待ちぼうけさせるが、それを妹になじられても特に気にするそぶりもない。菜穂子に対しても常人が思うような恋愛感情はおそらくないのだと想像させるに難くない。

 ある意味、とても冷たいが、それがゆえにとても美しい物語を作り出したというところ。実際の堀越二郎がそうであったかは知らないし、それは無関係のこと。堀辰雄の「風立ちぬ」などに登場する菜穂子についても、この作品とは無関係だ。あくまでもこのフィクションを作るにあたってイメージを借りたにすぎない。美しい物語のためのパーツとして。

 ゆえにここに軍国主義のようなものはそもそも存在していないし、戦争を賛美するような意識が宮崎さんにあるわけでもない。彼自身が純粋に飛行機やそうした乗り物(場合によっては戦争道具であるそれら)に興味関心が強いというだけのことだ。それは過去のそうした仕事にも十分に現れている。

 だから、この作品は悲しくも美しい作品としては、みごとに出来上がったといえるだろうと思う。菜穂子を演じた瀧本美織もなかなかにすばらしい仕事をしたと思うし。

 おしむらくはそのあまりのボリュームがゆえに時間がどんどん足りなくなってしまったことだ。中盤、飛行機開発に苦労するあたりであったりとか各所で演出が極端に少なくなった。なにが起きているのかすらよくわからないようなカットも増えた。あちらもこちらも十分に時間を使いたいという欲望が、どんどん作品を長くしていってしまい、結果どうしてもという部分以外を削らざるをえなくなったのではないか。

 正直ドイツ視察あたりはなくてもよかったのかもしれない。あるいは端折るならあのあたりかもしれない。などと勝手に思ったりもするけれど。どうせならば、とことんやってしまえばよかったのだろうにと思うと、少し残念にも思う。

 間違いなくアニメーション作品としては傑作の部類に残るとは思うのだけれど、これまでの路線などから思えばきっと評価はわかれるのかもしれないし、やや中途半端になってしまった感もどうしても残ってしまうかもしれないなあと。そこまでは割り切りきれなかったということなのか。

 ということで、堀辰雄の「菜穂子」など再読したりしているのだった。

4101004056菜穂子・楡の家 (新潮文庫)
堀 辰雄
新潮社 1948-12-17

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B00J2NUMVS風立ちぬ [DVD]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 2014-06-18

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きょうも、どこかで、なにかが

 [ 県北部地震から4年 栄村「復旧」から「復興」へ|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 あの津波による広範囲の甚大な被害を目の前にすると、ほとんどの災害など小さなものに思えてしまうけれど、記憶の記録ということでやはり地元としてはここに残しておくことに。

 3 月 12 日の未明の地震。山間部であるからもちろん津波はない。地震の揺れそのものでの被害。幸いにして今は一定の復旧がすんでいるという状況で、公営住宅もできてそちらに移り住んでいる人もある。

 一方で住宅の再建を東北と同じようにあきらめ村を出て行ったという人も少なくはなく、人口はおよそ一割ほど減ったとか。年寄り世帯であるとか、山間の地方であるとか、いろいろ厳しい条件・環境という意味においては東北とさほど大きな違いがあるわけでもないので、同様に問題をかかえているわけではある。

 一年か二年前に東京の大学の先生が主導して、東京に居酒屋を開いたというのだが、あれはその後どうなっただろう。栄村の特産品などを出す店ということで関心を持ち続けてもらうということで提案して、地元の女性がやっていたと思うのだが、その後についてはニュースにも流れてこない。あるいはもう営業していないのかもしれない。

 まあ、自分でもなにかできているかというとなにもないわけではある。

 そして昨年 11 月には小谷・白馬方面でも大きな被害をもたらす地震はあったし(このときは、こちらでもかなり激しく揺れた)、御嶽山は噴火した。いついかなるときに災害が発生するかなどわからないし、いつも、どこかで、誰かのもとでなにか悲しいことや苦しいことや、はたまた楽しいことがおきている。みんな、自分のことで精一杯ということはまああるわけなのだ。

 だから、なにかを気にするのはそれぞれの形であってよいのだし、それをせめても仕方がない。お互い様なのだから。

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雪の朝

 昔からこのくらい時期にはかならずといってよいほど春の雪になることが多い。長野県では高校入試がこのくらいの時期に行われ、今年もちょうど今日(と場所によっては明日も)おこなわれている。自分のときも結構な湿った雪が降っていて道路は雪におおわれていた。

 ちょうど寒気が久々にはいってきて昨夜から今朝にかけて雪となり、このところ雪のない風景が続いていたのだけれど屋根の上は真っ白になった。道路はさほどではなかったので交通に障害がでるほどではない。長年日記を見ると四年前のきょうもやはり雪はあったようでもある。そして寒かったと。

 あまりにも大きな災害が起きるとしばらくはそれが尾を引いて、あるいはあえて尾を引かせて報道がなされ、あれこれと考えをめぐらせる。折にふれて思いをよせるということは必要なことであろうし、大切なことでもあり、きっとそれをきっかけにしてこの先にあるであろう次なる災害にさまざまな面で考えをめぐらせ対策するということ。

 まだ四年でもなく、もう四年でもなく、今四年と思うことが素直によいのではないかとは思う。まず現実として受け止めるということ。いろいろな思いは抜きにして淡々とまずはそれを受け止める。個々の事象については、まだであったり、もうであったり、さまざまであるはずで、それらはそれら個々として判断するべきことがらであって、あれもこれも一緒にして判断することではないはずだ。

 どうように人は忘れることで生きていけるものであるのも間違いのない事実であって、正しく忘れるということを否定するのはよくない。当事者であれ、傍観者であれ。その事実を記憶のなかから忘れてしまうということはあるべきではないものの、日々の生活のいついかなる時にも忘れるべきではないというのであれば、それは誤った認識なのではないかと。

 むしろ忘れてならないのは、そうしたときにだけは防災意識を高めるものの、なにもしないまま過ごしていないかということではないのかと。家具の固定をしなくてはとなんど思いつつそのままにしているだろうか? 非常食などを用意しなくてはと思いつつはたしてなにか用意しているだろうか? 一度用意しただけでそのままにし、結局食べることもなく使うこともなく処分しているなどということはないだろうか?

 などといろいろ考えるきっかけの一日とするなら、それはそれで有効に記憶されていると思ってよいのではないかなとは思うのだった。

 災害は大小を問わずその後も起きている。御幣を恐れずにいえば、すべての人がひとつの災害にだけ心をよせているというのは実際難しい。だからといってその人はなにも考えていないわけでもないであろうし、誰しもがなんらかの悩みや苦しみを持っているはずでもあるのだ。公にはしないまでも。風化という言葉は軽軽に語ってはいけないのではないか、などとも思うのだった。きっとそれはわけて考えなくてはいけない。

 とまあ、なんだかいろいろ考えてしまう日なのだな。とくになにもしていないわたしは、大きなことは言えないけれど。

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ニョゼ帰る

 北陸新幹線の金沢延伸が話題となり、あちこちの新駅などが開業するなか、長野駅の駅舎も全面的な改築工事がようやく終わったというところ。三年あまりのあいだなにやらわけのわからない状態が続き、延伸直前にはきっちり間に合ったというところ。とはいえ、正直昨今の新幹線駅というのは基本的にみな似たような箱になってしまい、つまらない感じは否めない。金沢駅の威容はそれとしても、駅そのものではないので。

 長年つながることのなかった駅と向かいのビルとの直通通路もようやく整備されたとはいえ、いまさら感は強かったりもする。

 工事にともないしばらく駅前を離れていた如是姫像も帰ってきたという。なにそれという人も多いかもしれないけれど。地元にとってはなじみの銅像ではあったなと。せめてもの長野らしさを残したというところ。

 インドの金持ちに女の子が生まれて如是と名づけたと。王子様から妃にといわれるほどの美人になったけれど、父親はすっかり天狗になってケチで強欲になってしまった。お釈迦さまの言葉にも耳を貸さない。

 それではと疫病神たちが如是に五種類もの熱病をあたえて苦しませたと。

 ようやくお釈迦さまにすがって助けを求め、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩におまいりすれば助けられるといわれてお参りすると如是は元気になった。という話とか。

 そんなことから女人救済の話というのがはじまったらしい。善光寺というのは女人はおろか、宗派すらこえてすべての人に開かれているというあたりが特徴。

 本当は昔のような仏閣型の駅舎を再現するべきだったと思うのだけれど、はなからそういう話はなかった。確かに設計は面倒かもしれないし、費用もかかったかもしれない。ただ、それでも見ただけでそれとわかる駅舎のもたらす効果というのは絶大なものがあったはずで、それが画一的な直方体になってしまったのは、やはり残念だ。

 如是姫はそんな風景をどう感じているだろう。

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「ドリームハウス」

 退職して念願のマイホームに引越し。なにやらいわくつきの物件らしいがなんとかやっていける。そんなふうに思うのだが、どうも隣人の態度も町で出会う人々の反応も不思議なものばかり。それもそのはずで、かつてそこでは家族惨殺事件がおきていて、その犯人として逮捕され、刑務所にはいっていたはずの男。それが彼。死んだのは彼の妻とふたりの幼い娘。

 そんなはずはない。確かに誰かに自分は狙われている。おかしな出来事がおきているのだとあちこち調べたり訴えたりするのだが、どうもは様子がよくない。結局、確かに自分は医療刑務所的なところにいたらしく、そこから出所したところだったらしいということがわかってくるだけ。

 では、自分は本当に妻と娘を殺してしまったのか。そんなはずはない。けれど、さまざまな事象がそうだといっている。家族の夢のつまった家であったはずの場所が、気がつけばもはや荒れ果てた悪夢の場所に変化している。自分は本当に殺人犯なのか。

 という、まあなかなかに面白いミステリーになっていて楽しめる。映像は幻と現実とがごっちゃになった感じなので、そのあたりが中盤くらいまではちょっとわかりにくいところはある。実際はどうなのかというのがまぜこぜになってしまうので、判断が難しくなってしまう。

 そうして繰り返し繰り返し描かれているうちに、なるほど彼が犯した罪であったかと信じるに足るようになっていくと。まあ、想像がつく人にはつくのだろうし、それはそれだけれど、純粋に展開を楽しむのがやはりよいなと。見終えてからもう一度見るときっとあらたな発見があるであろうという作品ではないかな。

 静かな恐怖がなかなか見せてくれる。

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スプリング ハズ カム

なぞのバネ

 掃除をしようかと炬燵布団をめくったときだった。バネがひとつコロンと転がり出てきた。はて、どこのバネだろう。

 さほど多くのものを使っているわけでもないので、あれだろうかこれだろうかと考えをめぐらしてみる。PC ということはない。AC 電源周りということもない。携帯電話などの充電器というわけでもない。先ごろバリカンを使ったのでと思ってみたが、いや、そういうものが転がりでるような場所もないし、そうした部品もない。

 マグライトの中にバネがある。電池を抑える部分だ。そこだろうかと開いてみるがついている。しかも、こちらは円錐状の形をそもそもしている。

 置時計か。いや、違う。グリップハンガーか。いや、バネの形状がそもそも違う。

 と、あちこち探すがどうもそれらしいものがない。この手の形のものがあるとすれば、と考えて、そういえば紐の長さを調節してとめておくドローコードのストッパーなら使っているかもと思いいたる。

 ジャンパーのそれを確認するが、丸ではなく平べったい形をしているのでバネの大きさはもっと小さいはずだ。

 そうこうしてハタと気がついた。怪しいものがある。そして、確認すると果たしてやはりそれだった。

フリース室内靴のドローコードのものだった


 フリースの室内靴のゴムひもについているドローコード。壊れていた。中のバネが落ちていたらしい。ようやく所在が判明した。いやはや。

 春、だなあ。

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揺れる

 [ 県内停電、着雪と風が原因 接触や接近でショート|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 先日の停電。ショートしたとおぼしき付近の住民の方が撮影したという映像がニュースで流れていたのだけれど、これがなかなかに見事だった。送電線がこれでもかとばかりに揺れている。ちょうどオシロスコープで波形を見ているかのように上下に激しく揺れていて、このタイミングで接触しても不思議はないなと思うくらい。

 新聞紙面からは AR を使った動画サービスを利用できるというのだけれど、ネットでその動画にはリンクされていないらしい。あるいは、撮影されたからがどこぞかにアップでもされていればだけれど、メディアとの契約とかで出せないというようなこともあるかもしれないので、実際にどうかはわからない。

 いずれにしてもあの極端な揺れの映像を見ると中部電力としてもほかに原因は考えられないというところになったようでもある。

 もっとも雪が付着しているようなものではなかったし、あの日の強風が影響したということなのかもしれないけれど、最終的な原因の確定というのは難しいかもしれない。

 まあ、あの映像を見てしまったら揺れ防止の措置をせざるをえないのだろうなと。

 よい意味で考えると北陸新幹線開業という華やかなできごとの後でなかったことが、せめてもの幸いなのかもしれない。前だったからよいというわけではもちろんないけれど。

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虫うごめく春

てんとう虫


 啓蟄をさかのぼること二週間あまり。すでにしててんとう虫など見かけていたのだった。春先によくみかける大量の羽虫はもっと前から発生している。というかその羽虫(体調 4mm くらい)に関しては一月くらいからすでにいて、網戸などにしっかりとしがみついて寒さをやりすごしている、といった様子だった。あるいは一冬越しているのかもしれない。

 冬を越すといえばてんとう虫もで、北海道にいたころにも家の中の隙間という隙間にてんとう虫がうずくまっていたり、室内の暖房が半端ではなく暖かい北海道のこと、てんとう虫も元気に動いていたりしたものだった。

 写真のてんとう虫がどうであったのかはわからないけれど、今年の寒暖の差の激しさが、少し春を間違えさせているのかもしれない。ここへきてやや暖かくなっているので、啓蟄を待たずにということもあるのか。とはいえ、もう少し寒さは戻ってきそうでもあるので、どうなるのことか。

 ふと見ればオオイヌノフグリとかも場所によっては咲き出していたりするところもあって、なかなか自然というのは力強い。人間のほうが情けないということかもしれない。

 きちんと春にしないといけないな。

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図書館危機 (図書館戦争シリーズ 3)

 購入したあとになんやかやとしていてずいぶんと後回しにしてしまっていたのだけれど、ようやく読んだ。読み始めたら早く読んでしまったというところはあって、残りページ数を思いつつ「あー、終わるなあ」と思いつつ読んだのだった。

 あとがきなどでも書かれているように、確かに今作では言葉狩りの話と、最後の茨城図書館の攻防の話がやはり印象深い。こうして読んでいるというだけでは気づかずにいたであろう出版方面における言葉の自粛というのは、どうやらなかなかに根深いところがあるようで、テレビ方面の放送禁止用語であれば比較的巷間知るところではあるけれど、真実メディア良化委員会的な動きというのは思ったよりも進行していると思うべきなのかもしれない。そう思うと少し背筋が寒くなる。

 昨今でいえば、インターネットの一般化の激しさがそうした言葉狩りに拍車をかけているようなところもあるような。瑣末な言葉尻をとらえて攻撃してみたり、それを避けるために言葉をより慎重にえらび、当たり障りのないように表現する動きというのは確かにある。

 茨城図書館での攻防と、図書館内でのヒエラルキー問題も現存する貴賎意識のあらわれでもあって、これまた興味深い物語。より現実的な例示とすればいまもブルーカラーとホワイトカラーとの差別的な意識というのは存在するわけで、こうしたものはなかなか変わらないのだろうなと。

 それにしてもこうしてうまい作家さんの作品を読んでいると、どうしても自分の文章力のなさをあらためて突きつけられるようで恥ずかしくもなる。やはり読まれる作家さんの文章はうまいし、面白い。それをまざまざと見せ付けられてしまう。

 本編としてはもう一冊残っているので、それはまたいずれ読むことに。

404389807X図書館危機 図書館戦争シリーズ3 (角川文庫)
有川 浩 徒花 スクモ
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-05-25

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「Dr.パルナサスの鏡」

 馬車の荷台が舞台となる旅一座。パルナサス博士の不思議な鏡の向こうには、その人の夢の世界が広がっている。憧れであったり希望であったり、はたまたこうなって欲しくないことであったり。そうして客が愉悦を味わって帰る。そんな不思議な鏡だが、博士の力を使わないときにはただの銀色の幕でしかない。

 そんな博士の前に現れる不思議な男。いわくありげでもうすぐ期限がやってくるという様子。実は博士は永遠の命と引き換えに娘が 16 歳になったら娘を手放す約束をしていたのだった。手放すというかつまりは命をやると。相手は悪魔。悪魔と取引してしまっていたのだと。

 そんなことは知らない娘。座員。けれど悪魔はもう一度条件を出してきて、客寄せに勝ったら約束は反故にしてもいいというのだった。たまたま命をたすけることとなった男も手伝って舞台をすることになるのだが、その男の素性もなぞであり、それでいていわくありげなのだった。

 娘の命はどうなるのか? といったあたりなのだけれど、実のところ見ているだけではまったくそうした事情がよく飲み込めない。梗概を読んでようやくそれとわかる。そのあたりの作りがやや物足りない感じはある。それさえわかればもう少し楽しめる。

 事情がわからないまでも、不思議な物語の面白さはもちろんある。博士の力による鏡のなかで広がる夢の世界では、その姿形も変わってしまう。憧れの容姿であったりする。それがゆえにキャストがだぶっている。

 ネタだけいえばよく悪魔との取引なのでさながらショートショートにでもなりそうなネタでしかないのだが、それを広げて展開している不思議な世界はアリスの世界のようでもあってなかなかに楽しい。やはりそのあたりの設定、いきさつがもう少し分かりやすく描かれていたらもっとよかったのだろうなと。

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大停電の朝に

 [ 県内過去最大38万戸停電 新幹線運休、道路も混乱|信濃毎日新聞[信毎web] ]

 [ 県内大規模停電 高圧送電線ショート 黒ずんだ跡複数確認|信濃毎日新聞[信毎web] ]


 朝、地元のニュースになったところ冒頭で停電のニュース。06:55 のこと。06:00 すぎに起きてコタツをいれたりしたときにはなにも問題はなかったし、あとから思うと電話機の時計もリセットされているということもなかったので、あるいは住んでいるあたりは問題なかったのかもしれないか、ごくわずかの時間だったのか。いずれにしても長野市、上田市、安曇野市など広範囲にわたって停電しているという話で少々驚いた。長野市といってもどのあたりなのかと。

 とはいえ長野新幹線(北陸新幹線長野経由)も長野・軽井沢間で運休していて(JR 的な表現では運転見合わせというらしい)、さらには信号機も消えてしまい警察官による交通整理が行われているとの情報もでてくるにいたって、これはどうも尋常ではないなと思うくらいにはなったのだった。

 「停電している」と連絡をもらったものの、ブレーカーが落ちたとか、昔ならヒューズが切れたとかなら個人で対処も可能だが、こればかりがどうこうできる話ではないので「復旧するのを待つしかないでしょう」と返すのがせいぜい。

 結局上田あたりは 09:00 ころに復旧し、新幹線が 09:40 ころに運転再開をし、全体としての復旧完了が 10:00 過ぎくらいだったという。

 ちょうど県の中央部あたりの主幹となる電線で障害が発生したらしく、それで沿線の地域でまず停電し、さらにはそこにつながっている新潟の火力発電の送電が過剰になってはいけないというシステム設定によってそちらはシステム的に切断されてしまったらしく、停電範囲が広範囲におよぶ大停電にいたってしまったらしい。

 調査はしているらしいがいまのところ具体的には不明らしく、実際時間がかかるのではなかろうかとも思われる。電機に強く依存した生活の脆弱さをあらためて思わせる事態。震災でそういうことは体感していたはずなのに、やはりのど元すぎればなんとやら。

 PC あたりが使えないというのは仕方ないにしても、電話くらいはなんとかしないと大変だ。携帯電話にしても充電がおわれば使えない。最近の固定電話機は電源を取らないと使えないタイプも多いので余計に面倒だ。旧来の電話機にはない機能もあるし便利ではあるけれど。仮に停電でも使える電話機としても IP 電話(光電話はとくに)では使えない。メタル回線はやはり維持するべきではないのかと思ってしまう。(NTT 的にはモバイルバッテリーを用意すれば大丈夫といって斡旋しているらしいが、それは本末転倒の対処療法でしかないような気がする)

 暖房にしてもそうで、コタツを豆炭なりにというのはなかなか厳しいが、ファンヒーターだけに依存すると燃料そのものは灯油でなんとかなっても、やはり電源がないと使えない。シンプルなストーブの確保はやはり必要なのではなかろうかと。

 幸いまだ寒い時期でもあったし、時間が朝というのもあり、冷蔵庫での不便というのは免れた面はあるものの、電子レンジで温めたりというのはできなかったわけで、そういうところのある種サバイバル技術のようなものも試されるところだったかもしれない。炊飯器もとまるわけで。とみたさんの奥さんは中途半端だった炊飯をガスで仕上げるという技を発揮されたとか。なかなか見事。

 東日本の震災があって、いろいろなことを実感し、対応・対策しなくてはと多くの人が思ったはずなのだが、はたしてどれほどそれが実現できているのだろうかと。ことがおきたときにすぐに対応しておかないと、またすぐ忘れてしまい、いざというときに不便を強いられることとなる。

 家具の固定とか済んでますか? 情報入手手段を確保してますか? しまったままで場所がわからなくなっていませんか?

 せっかくの機会にいろいろ再確認するべきだなと。

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昔、ここに小学校が

後町小学校跡の 1


後町小学校跡の 2


 Pepper 君の帰りにふと回ってみたらすっかり跡形もなくなっていた。閉校になって取り壊すという話は覚えていたのだけれど、すっかりなくなってしまった。植え込みの樹木を保存するという動きはあったので、残されているものはそういうものなのかと。

 さらには D51 の機関車も残されていて、はたしてこれはどうなるのだろうかと。というかあったのだなあと思ったりもする。

 むかし昔には、ここで視聴覚授業のためにわざわざ学校で訪ねたような記憶もあったりはするのだけれど、詳しいことはもはや覚えておらず、あるいは違うことだったのかもしれない。

 昨年あたりに新聞記事になっていた模型の東京堂の姿を瞬間認めながら帰途についたのだった。

#県立の大学だかのための用地にするのだったろうか。

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「ソルジャーズ・アイランド」

 資産が一定の閾値を越えると、もはやなにもしなくても金が金を産むというようなことになるらしく、金持ちはもはやいかにその金を使ったものかわからないのであまり消費しなくなる、ということが実際かどうかはわからないけれど、まあ麻痺してしまう感覚という意味ではそういうこともあるのかもしれない。

 ということでか金持ちが究極の娯楽として戦地体験をしてみたい、言ってみれば合法的に(?)人を殺してみたいと思うということらしく、そんなビジネスをもちかける。といって金はあるが実践経験などない者たちばかり、そこで一線を退いたとはいえまだまだ若く有能な元軍人を雇って指導にあたらせる。任務は彼らを殺さないように守ること。

 ところがそれはあくまでも表向きのことでしかなく、実際にはとある場所のレジスタンス行動を助けるためのグループが支援を行うためのある意味隠れ蓑。目的地は島ということもあって物見遊山のよな気分でいる金持ちでは守ろうにも守りきるのが大変すぎると思い知らせ、一週間あまりの厳しい訓練を受けさせて多少はましにさせてからいざ乗り込む。

 が、安全に上陸できるという話だったはずの行動はすべて相手に読まれていて(知られていて?)ミサイル攻撃を受けて移動してきた船が大破。武器などもなくしてしまう。残っているのは上陸用に乗り込んでいる小型のボートとそこに残っている武器だけ。

 なんとか上陸をはたすものの、すぐに仲間が捕まったり。変な義憤にかられて自分たちの技量を忘れて攻撃をはじめてしまったり。「待てといっただろう!」といわれても、もう遅い。

 そんな金だけはあるが戦闘技量などないはずの彼らがどうどう渡り合って命からがら逃げ延びるか、といった映画。情報を流しているのは誰なのかとか、本当の目的はなんなのかとか、まあいろいろ明らかになってくる事情とかはそこそこ面白い。

 ただ、それでもやっぱり素人集団でそこまでできちゃおかしいだろうといったところは否めないわけでもある。コメディってほどでもないので。まあ、そのあたりを我慢して許してしまえばそこそこ楽しめる映画。

 SF 映画として金持ちが防護服を身に着けて、粗末な武器しか持っていない人々を狩るゲームに興じるという映画もあったけれど、それとは違ってまるっきり生身で戦闘地域に突入するというのがある意味不可思議だったりもするのだけれど、それだけに切迫した雰囲気は強かったりする。退屈しのぎにはほどほどかも。

 原題は「SOLDIERS OF FORTUNE」。

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