住所録
群ようこさんの手帳にまつわる話を読んでいて、ふと自分のことを考えた。そもそも手帳は昔からほとんど縁がない。仕事にしろ私生活にしろ。まあ、つまりはそういう生活だったのだ。ゆいいつあったといえば仕事の作業記録をメモするのに手帳というか、その類を使ったということはあるくらい。また、むかしもらいものの手帳に年度とか関係なく、いろいろ気になったことなどをメモしておいたというようなことはあった。ゆえに何年も同じ手帳がカバンの中に入っているといった状況だったりした。(実際、現状では使っているわけではないけれど数十年前の手帳がそのまま残されていたりする)
で、住所録のことだ。今では手帳の住所録がおまけていどになおざりなものになってきているという話なのだった。確かにペラペラのものしかついていないというのは見かけたことがある。で、人数が多いとそれではとても足りないと。
友人に話すと今では携帯電話なりにいれているから必要ないのじゃないかと。群さん自身は携帯はどうも苦手なので所持していないということだった。自分でも確かにそちらにはいってはいるが、紙に書かれたものもあるにはある。が、よく考えてみるとずいぶん古いものしかなかったかもしれない。
むしろ、最新という意味においては PC のはがき印刷ソフトの住所録にはいっているものが一番新しいのかもしれない。そうして考えると形の違いこそあれ、確かに携帯電話なり PC なりが駄目になったらわからなくなってしまうのだなと。
いや、群さんのほうの話では、万一紛失した場合に、携帯電話のほうが紙の住所録よりも安全ではないのかという声だったらしい。ロックされれば簡単には閲覧されないが、紙では誰でも見られるからと。そこからその住所氏名がなにかに使われたらどうするの? みたいな話だったらしい。
確かにそうかもしれない。けれど、携帯電話のロックくらいなら、そのつもりの人にとってはさほど面倒なことでもないのではないかという思いもある。むしろ紙の住所録など今時見向きもしないのではないか、などとも思ってしまう。
どちらにしても紛失してしまったときに代替がきかないというのはバックアップを取ってなければ同じことではあるし、現状の PC 内の住所録だけというのはよろしくないなとあらてめて思ったり。バックアップそのものはあるので代替手段があるとはいえ、やはりもう少し考えておくかというところも。
結局紙の手帳であろうと携帯電話であろうと、紛失したら同様に不便をこうむるであろうし、仮にそれがなんらかの不本意な使われ方をしてしまう可能性も同様に確からしいということではあるのではなかろうかと。どちらがよりよいということでもなく。
逆に携帯電話でかけている相手の電話番号はすっかり記憶から抜け落ちてしまっているが、手帳を見ながらかけているような番号は、いつしか記憶に焼きついて手が覚えているというものになっていたりする。かつてはだいたいそうだったのだ。そう思うとはたしてあながちデジタル全盛の時代ばかりがよいともいえないのかもしれないなあと思ったりもする。
まあ、いずれにしても紙の住所録を一度更新しておくべきだなと、あらためて思うのだった。
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