芸術とゲージツ
テレビ局だって年末年始休みをとるからといってしまえばそれまでなのだろうけれど、それにしても年末年始やお盆の特別編成というのはどうにも残念なものになってしまう。朝のニュースの時間がそれまでは数時間にも及んでいたのに急にニュースがなくなるらしく15 分とか 10 分とかになってしまう。あるいはそれは、普段もニュースは実質そのくらいで、それ以外のワイドショー的な内容がその他を占めている、ということなのかしら。まあ、実際ザップニュースとかだってそんな手合いではある。
とまあ愚痴を言っても番組がかわるわけではないのでそれとして、なかには当然これはと興味をそそる番組というのもあるわけだ。大河ドラマも終わった日曜日。E テレでの日曜美術館で特別編が放送になったので見た。司会をつとめている井浦新さん(過去には ARATA 名で役者をしていたりしたが、最近は普通の名前にされたらしい)があちこちをめぐる様子をまとめたもの。
はじめは太古からということで尖石考古館など訪ねる。黒曜石がちらばる山も訪ねる。国宝指定を受けた縄文のビーナス像、仮面の女神像と対面していたく感動している。幼いころ父親と一緒にあちこちの遺跡めぐりをすることが楽しみだったとか。特別に収蔵庫にもはいらせてもらってその様子を見るのだが、広大な場所に修復されたものやらが置かれている。もっとも、割と普通に置かれているので、ここの耐震設計とかはどうなっているのだろうか? と少し不安には思った。地震にあえばこれらはまた塵芥に帰してしまう。もちろんそれは展示されている数々の出土品にしても同様ではあるのだけれど。
最後にはレプリカをお土産に買って満足そうにかえって行くのが印象的。その土地の食べ物を食べるように、その場所でしか出会えない記念品を買うことも大事なのだと思う、と。
和歌山では長沢芦雪という画家の襖絵だった。竜と寅なのだが、正直寅のほうは大きな猫にしか見えなかった。もちろん猫科なのだしそれはそれで間違ってはいないのだけれど、寅特有の風貌というのはまったくなく、本当に猫を大きく描いてみました、というものだった。まあ、本物の寅など見ることができない時代であろうから無理もないのだけれど、あまりにかわいい猫でそこまで感動してしまうのかなあという印象も。いや、立派な作品であるのは確かなのだけれど。
小鹿田の陶芸がでてきたときには「あー、リーチ先生だ」と思わず思ってしまう。新聞連載中の小説「リーチ先生」(原田マハ)の冒頭でたしか登場しあのだった。土作りからして非常に手間隙かかっていて、それは女性の仕事なのだと。形を作って焼成するのは男の仕事らしい。で、独特の味わいを出す飛びカンナの手法を実演してくれていて、なるほどそういう方法だったのかとちょっと感動した。こういうことには感動するらしい。素朴なものは素朴なままを残すこともまた大切なことなのだと。変わることも必要ではあるが、変わらないこともまた大切なこと。それがここの陶芸には残されているみたいだ。
西宮の五百羅漢。どれひとつとして同じ顔・姿がなく、どれを見てもなにかしら語りかけてくるような生き生きしたものが感じられる。それを地域の人が大切に守り続けている姿もまた素敵だ。
火祭りのようなものもあったし、いろいろだったが、最後の現代芸術の人は正直なところ個人的にはあまり感動がない。というか、こういう芸術といわれるものはどこがいいのか自分としては理解の範疇外だ。だからといってそれを否定することはしないものの、周りが言うから、えらい人が言うからということで迎合して「すばらしい」ということまではしたくない。自分の好みではない、そのどこが芸術なのか? ということは言いたい。
ということで、最後はちょっと見なければよかったかなあ、などとも思ったが、それも含めて出会いというやつなのだろうから、それもまたよしと。
たまに「日曜美術館」を見ると、発見があってなかなか楽しい。
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