地図をください?ならば、自分で作るがよい。
#いかん。異様に長くなってしまった。要約すると目的をしぼった地図つくりをしたほうが実利があるのではなかろうかということでした。
このところ不参加だった NSEG にでかけてみた。といってもハンズオンというのに PC も持たずに行くようなやからなので一体なにをしにいったのだ? と怪訝な思いで見られてしまったかもしれない。しかも、午前の部もあったのでおそらくは前日には締め切ったつもりだったかもしれず、当日直前に申し込むという暴挙(^^; 大変、失礼いたしました。
で、なにをしていたのかというとオープンストリートマップというプロジェクトのマッピングをやろうという集まりであったと。数年前だったかには小諸でやられていたはずで、今回は善光寺界隈といったあたりを午前からお昼くらいに回られたらしい。(一応午後のみ参加も可ではあった)
ということもあって午後はひたすらマッピングツールを使って各自ちまちまとマッピングするという手順の解説やら体験やらだったので、わたしはそれを見せてもらいつつ「ほうほう、そういうことなのね」と。
基本グーグルマップとかを個人として閲覧するだけならば特別なんの問題もないものの、アプリケーションであったりで使おうとするといろいろ制約があったりすると。そうした制約のない自由な地図をつくろうじゃないか、というような趣旨と理解したのだけれどだいたい合ってるだろうか。
とにかくそうした趣旨なのもあってそれらの規約的に問題が発生するような手段を極力(というか基本的に)排除して作成しなくてはならないというあらたな制約が作業の困難性をましているということかと。とはいえ、まるっきりなにもないところから伊能忠敬のように測量して行くなんてことはするはずも、できるはずもないということで、国土地理院由来とはいえやや回ったところで見るだけなら使っていいよというベースの地図を利用するということになるらしい。
それならそれを機械的に処理してしまえばとつい思ってしまう人々の集まりとはいえ、それはやっちゃ駄目という制約なので必死に手作業でトレースするという地道な作業なのだった。
そうしたなかで思ったのは、ひとつにはこれは途方もなく時間がかかる作業であって、地図として完成させようと思ったらはたしていつになるかわからないというようなものであるなということ。そしてなによりも千差万別種々雑多な人々による作業なので、その精度であったり個性であったりが反映されるため、統一性という意味においてはなかなか厳しいものがありそうだと。
建物であったり地勢のタグなどのリストなども一応あるにはあるが完全ではなく、さらにはそれらが割りと勝手に自由裁量で作られたりするという状況もあるようなので、さらに混迷が増すという状況もあるいはあるのかもしれない。
なにより完全な地図を目指すにはあまりにも人手が足りない。また、参考にする地図にしても確認はできなかったけれど地形図由来とすれば少なくとも数年は前のデータである可能性が高い。そうそう変化ばかりではないとはいえ、道路にしろ宅地などにしろ変化は時としてあるし、まして店舗の入れ替わりなどはその比ではない。そうしたことどもに対応した実用性のある地図にしようと思うと、これはなかなか困難なのではなかろうかと。
おそらく現実的な解としては、もっと目的を明確化した地域プロジェクトとして行うべきなのではないかと。つまり生活環境としての住宅地などは無視し、主だったところでいえば観光用という目的を主眼とする。長野市であれば駅前から全工事までの参道をまずはメインとしてその沿線の店などのマッピングを充実させる。多少はそこから少し離れたところでもおすすめがあれば入れてもよい。そうして少なくとも毎年それらの情報の確認と更新を行う。そうすることで、ある観光に特化した地図としては必要十分なレベルを短期間で確保でき、さらに長期的なメンテナンスという意味においても維持可能となるのではなかろうかと。
もちろん基本として道路は周辺まで網羅するというのはあろうかとは思う。少なくとも道路のつながりはこうなっているというのはある程度広範囲にあるほうが、ちょっと寄り道してみようというときの安心感につながるとは思う。ただ、そのすべてに店などをマッピングすることはある意味諦める。作る側、利用する側お互いに。
住宅街とかの店をというのならまた別だが、そうしたところが充実したところでおそらくは一般の利用にはあまり価値はないかもしれない。どうしてもというのならそういう用途こそ市販の地図を使うべき。
あまりに地道な作業がゆえに漫然と作業しても、はじめのうちは面白いと思うだろうけれど、さすがにそれが続くと苦痛でしかないのではなかろうと。だからこそ特定の目的に沿ったものを設定してそこだけを年次的に維持管理するというのが一番有効な手段なのではないかと。作成するという意味においても、利用するという意味においても。
まあ、作業などしてないやからが勝手に感じたことなのではあるけれど(^^;
また、そうしたいろんな人が関わることからも、やはり自由にあたらしいタグをつけられるような状況はあまり好ましくないであろうというのはあるし、そうしたところを管理するグループというのは必要なのだろうなと(あるいはすでにそうしたものはあるのかもしれないけれど)。そうして、タグなどは一覧から選択するだけというような仕様にすべてのツールが対応するのが統一性をもたせるという観点からも必要なのだろうなとは。
いろんな意味でまだまだ過渡期というプロジェクトなのかなという印象とともに、面白い取り組みではあるので、実用性も考えつつ継続できるような取り組みをしていけたらよいのかなと。
ただいただけの人があれこれ書いてしまってごめんなさい。でも、なかなか楽しくすごさせていただきました。ありがとうございます。
空耳の丘 遊佐未森 エピックレコードジャパン 1991-09-21 by G-Tools |
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