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逃げる幻

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 実に 8 ヶ月ぶりくらいでようやく当選できたのでじっくりと読みたいところだったけれど、不思議な世界の魅力か案外早めに読み終えてしまった。

 作家・赤川次郎がこのごろこんなことを言われたようで、それは、若いころには編集者の意向などもあって次々と殺人が起きるような物語を書いたものだったけれども、最近はどうもそういう物語を書けなくなった、あるいは書きたくなくなった、といった類のことだった。仮に意識不明の重体というような被害者がでても、かろうじて一命をとりとめたというような展開にするようになったと。

 小説だからといってむやみに人を殺していいはずがないというような意識に変わってきたというようなことだったろうか。確かにミステリといえばなにかと殺人事件がおきるのが常ともいえるわけで、いかな小説とはいえ書いているほうも読んでいるほうも、それが常態化するのはあまり好ましくないと思うのは自然なことかもしれない。

 あるいはマクロイのこの作品はそうした主義のもとにでも書かれたのだろうか、と思うほど事件らしい事件がおきないのだった。

 冒頭、スコットランドで休暇を過ごすためにやってくるダンバーが、その飛行機のなかで当地の所有者でもあるネス卿と一緒になり、ひと月の間に三回も家出を繰り返す不思議な少年の話を耳にする。特別家庭内に問題があるとも思えないものの、他人にその家庭の内実が正確にわかるはずもなく、きっとなにか事情があるのだろうくらいに思うダンバーは精神科医でもあり、本国アメリカでは少年に関わるそうした事例にもおおく触れていた。

 そして滞在先でまさしく家出をしてそこにひそんでいた少年ジョニーと鉢合わせすることとなり、本作唯一といっていい立ち回りを演じる。結局のところ落ち着かせたジョニーを家に連れて行き、母親への覚めたそしてやや悪意を感じるような目つきに疑念をいだき、そこに暮らす人々に少なからぬ妙な気配を感じるわけだ。

 そうこうしてわかっていくのはジョニーは実の息子ではなく、孤児となってしまった甥を養子に迎えたのだということや、実は作家である父親ストックトンは評判こそよいものの売れない作家であること。妻がペンネームで書いた小説は、逆に評判はよくないが読者には受けてよく売れている。ジョニーのためにとやってきているフランス人の家庭教師もひとくせありそうな気配がある。

 物語の大半はそうした様子が少しずつあきらかになってきたり、広がるムアと呼ばれる草原なのだろうか、霧のたちこめる幻想的なそして少しオカルトじみたケルト世界の雰囲気が包むばかりで、正直物語らしい物語は展開しない。少なくとも事件性を帯びたものは。

 いよいよ殺人がおきるのは物語が三分の二 もすぎたところ。ついであきらかになるもうひとつの殺人は密室ではあるものの(厳密にいえば密室ではないけれど)、それは結果的に密室ならざるを得なかっただけであまり意味はないとあとからわかる。

 そもそも謎解きの中心人物であるベイジル・ウィリングはさらに後にならなければ登場しない。そうしてダンバーが実はウィリングによる密命を帯びてやってきたことや、事件の背景にある第二次大戦収束後まもない時代特有の状況が登場してくるにいたって物語りは急加速。あれよあれよと結末になだれこんでしまって残すは 20 ページあまりという終盤。この時点ではまだ謎はまるっきりあきらかにされていない。

 もちろん最後の 20 ページあまりのウィリングの謎解きを見ていると、確かにと思う伏線がいたるところに張り巡らされていたことに気づくわけだ。終戦から長い年月を経てしまった今となっては、ややその時代の空気を感じることは難しいものがあるものの、なかなか見事なつくりだったのだなと思う。事実面白かったし、やられた感もある。

 ただ、やはり最後の謎解き部分があまりに簡単すぎて、すべてはお見通しだったのだよ的なものになってしまったのは、そこまでの言ってみればのらりくらりが長すぎたからともいえるかもしれない。もう少し早い時点でそうした展開がはいってくれば読者も事情がわかって読めるわけで、いっそうやきもきする展開となったかもしれない。そのくらい、最後があっけない。

 けれどもマクロイお得意の幻想的な雰囲気を漂わせた舞台設定は十分に機能しているので、いつしか物語にのめりこんでしまうのも事実。その意味では十分に面白いし、堪能できる。ことによれば殺人事件などはないままに終わるのかもしれないという淡い期待のようなものは、残念ながら果たせなかったけれど。

 血なまぐさいミステリはちょっと遠慮したいけれど、ミステリアスな方面であればという読者向きにはまずまずおすすめではないかと。

#個人的にはダンバーのその後がむしろ気になるのだった。

4488168094逃げる幻 (創元推理文庫)
ヘレン・マクロイ 駒月 雅子
東京創元社 2014-08-21

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社会復帰の難しさ

 NHK スペシャルで「老後破産」を見る。お定まりのように言ってしまえば、本当に今にはじまったことではないし、老後だけではなく若い世代をはじめとしてすべての世代において類似のことはあるのだよなあとも。もちろん、年金頼みというところの破綻というところは老後特有ともいえるのだけれど。(前段階の制度として破綻してしまっている年金制度ということではすべての人に通ずるけれど)

 今もおそらくは多くの旅人がいるのだろうと思うけれど、オートバイや自転車、あるいは徒歩でと日本を旅して回っている人というのがいる。かつては自分もそんなひとりだったわけだけれど、そうした仲間が話すとかならずといっていいほどでる話題は「社会復帰」への不安だった。

 もちろんみずから選んだことではあるので、誰を恨むでもなくというのは当然であるが、ひとたび社会の枠から外れてしまうとなかなかそこに戻ることが難しくなる。離れている時間が長くなればなるほど、社会が見る目も厳しくなる。そうした現実も理解できるからアプローチする側もどうしても腰が引けてしまう。そしてどんどんマイナスのループにはまってしまう。

 少ない年金で暮らす高齢のかたが言われていたが、金がなくなると友達も訪ねてこないし、こちらとしてもなんだか呼びにくいようにもなる。結果友人とでさえ疎遠になっていく。ましてその他大勢の社会全般。そうしてどんどんひとりになっていく。まさしく同じ構図。

 繰り返すけれど別に誰が悪いというわけではなくて、望むと望まないとを問わず自分が選んだ道であったり、選んだわけでなくてもなるべくしてなってしまった道なのかもしれない。

 かつての社会(ことに終戦後まもないころとか、さらに昔など)は、比較的全般に貧しかったりしたので、社会全体が人々に寛容だったというか、支えるという心が自然とあったようには思う。今はそうしたものが希薄になってきているのはあらがえない事実なのではないかとも。

 みずからの未来を見るようでもあるし、まさしく今現在だって似たような状況ともいえる。ブランクが長くなってしまうとなかなかそこから抜け出る一歩を見つけることは自分にとっても難しい面があるし、周りが見る目というのもますます冷めてくる。人づきあいも疎遠になって頼れる人もいなくなってくると、本当にどうしようもなくなってきてしまう。

 もちろん、自分がどうにかするよりないのは事実なのだ。それでもやっぱりひとりは頼りないし、さびしいものでもあるのだ。時には支えて欲しいと思うことだって。

 なんとかしなくてはいけないのだけれど、なかなか道が見えないのだ。曲がり角の先はまた曲がり角なのだ。その先にあるものが一番よいものだと信じつづけることは、なかなか容易ではないのだよなあ。

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いずれも国の鎮めなり

 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 御岳山噴火 7人意識不明か 登山者ら けが人多数 ]


 一応記録なのでと。

 昨日に関しては西よりの風がやや強く吹いていて、「サイエンス・ゼロ」の再放送など見ていたところでのテロップに驚きつつも、さてこのあたりまで風に乗って降灰するようなことはあるだろうか? と上空高くあがる噴煙映像など見つつ思ったりはしたのだった。

 折悪しくとでもいうべきなのか、紅葉シーズンの盛りになんなんという時期で、いつになく登山客も多かったようでもあり、ふいにやってきた噴火・降灰に行く手をはばまれてという人もあったようで、そうした人たちの安否は心配なところ。

 確かに今月にはいってからやや火山性の微動が増えているのでという注意情報は県内でも流れてきていて、それを目にしたことはあったとは思うものの、たしかにここまでの危機感というのはもてなかった。

 記憶のなかでは 30 年あまりまえに大きな噴火があったときにはこのあたりまでずいぶんと降灰があったらしいのだが、どうやらそれは 1979 年のことらしい。記憶が少し混乱している。30 年あまり前というのは大滝村付近で起きた地震のときだったようだ。このときも、噴火のときもたまたま地元にはいなくてという記憶だけが残っていてどうやらみな一緒くたになってしまったらしい。

 それを思えば今回は風向きという面ももちろんあるけれど、比較的規模としては小さかったといえるのかもしれない(あくまでも 1979 年比として)。そして、1979 年のときにはどれほどの人的被害があったのだろうかと。まったく記憶にないのだけれど、あるいは今のような登山ブームでない時期だったとすれば、案外少なかったのか。はたまた今回よりは危険性が検知できて入山帰省などがされていたときだったのか。さすがに記憶がない。

 日本列島はどこでも火山と地震はつきもので、これはもうここで生きていく以上はつきあうしかないわけで、よくもまあこの狭い列島にこれほどまでも火山や地震の巣がひしめきあっているものだと思う。浅間山などもときおり危険な兆候を見せて赤々とした姿を見せるし、白根山あたりも最近はちょっと危険度が増してきた。

 といってそれを気にしてばかりでは生きていけないし、それは震災が忘れられているということと同様のことではないかとは思う。完全になかったこととしているわけではなく、存在そのものはちゃんと覚えているしわかってもいるが、それを気に病んでばかりではなにもできないという意味において、忘れるということもまた必要なことではあるのだし。

 覚悟と準備をしたうえで極度に意識することは忘れて生活する、というのが現状であるのかなと。

 詳細はこれからの調査に関わってくるとはいえ、状況からは水蒸気爆発と思われるので長期にわたるとは考えにくいのだろうなと。ひとりでも多くの人の安否が確保されますように。


四方に聳ゆる山々は
御岳乗鞍駒ケ岳
浅間は殊に活火山
いずれも国の鎮めなり
信濃の国 二番冒頭


 しかし PDF 号外に「詳細は本紙で」とあるのが、なんとも時代が逆行している感があって面白い。

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ちょっとだけ水戻しコーヒー

 先日の NHK 「ためしてガッテン」でインスタントコーヒーとかインスタントラーメンとか、乾燥された食品方面の知恵が紹介されたときのこと。フリーズドライのインスタントコーヒーをそのままお湯に溶かすとどうしても酸味とかが強かったりということで、はじめに少量の水で溶かしてからお湯を注ぐと酸味が抑えられてまろやかな味わいになるのだという話だった。

 ということでさっそく試してみたらなるほどたしかにそういうところはある。ということでこのところやってみている。ちょっと手間ではあるけれど、たまにいきなりお湯を注いでみると確かにちょっと違うなあということで、また戻るというような。まあ、ささいなところなので、気にしなければそれでも困らないということではあるかも。

 インスタントラーメンを生麺のようにというのは茹でるときに重曹を少しいれるというのだった。それによってもちもちにはなるけれど茹で汁は重曹によってエグミがでてしまうので、そのまま汁として使うのはさけたほうがよいだろうと。まあ、お手軽に作るときには通常はその茹で汁をそのまま使ってしまうということはあるのだけれど、よりおいしくと思えば通常でも別のあたらしいお湯を使うというのはあるので、そういうものだと思えば面倒ということでもないのだろうと。

 類似のことでスルメイカであるとか乾物を戻すというときにも使えるというのだけれど、干ししいたけなど戻し汁をダシに使うという目的があるときには向かないのでという注意も。こちらはまだ試していないけれど、いずれ少し試してみたいなと。

 重曹について注意するとしたら料理用と料理には使えないものとがあるので、安いからと間違って掃除用を調理に使わないようにというのはある。番組では特に触れられていなかったけれど。お掃除用は純粋に掃除やにおい消しに使うのがよろしいかと。まあ、値段の差が 10 倍近くあるので、ついふらふらしたくなるかもしれないけれど。

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変更した設定をすぐにビューに反映することにようやく成功した

 PreferenceActivity を使うとたしかに簡単便利に設定画面を作ることができて、さらにその値を勝手に保持しておいてくれるので、保存先とかファイルとか考えなくてよいという点ではとても便利。と思ったのだけれど、どうやら SharedPreference のほうで保存してくれるのは Activity (プログラム?)が終了したときらしく、変更したところで即画面に反映してほしいということが、うまくいかない。

 変更を検知するよ、という onSharedPreferenceChangedListener というのを使う方法が、本家のガイドやウェブのあちこちにも類似のコードがあって、それを参考にしてみるのだけれど、どうやらそこにたどりつかない。

 さらには保存の処理をどうこうするらしき regist なんちゃらとか unregist なんちゃらという長いコードを、onResume とかに書いておくようにとかあるのだが、すでにそのメソッドが depricated になっていて、まあそれを一応許せと追加してから実行すると、その部分で null pointer exception が発生したりする。

 そんなこんなでさんざん悩み、もはや普通に自前で作ったほうがよいのではないか、と思いつつももう一度あがいてみたらなんとかなった。

 つまり、PreferenceActivity から呼び出し元の Activity に戻るのは通常戻るボタン(←)なので、呼び出し元の Activity の onResume() メソッドに今メモリ上にある SharedPreference の値を読み込んできて、それを反映させえたそこでの View を更新するようにしたのだった。

 とりあえずそれでリアルに反映されて View が変更できている。(実際のところとしては GridView の列数などの情報を変更している)

 これでよいのかどうか、というのはまだわかりかねるところなのだけれど、いけそうな予感はしているのだけれど。なにか問題があったりしないかどうかは確認しておくべきかもしれない。

 ということで結局やっぱりそのまま PreferenceActivity を利用する方向で。

#その先のページビューのところでちょっと問題が発生していたりするので、そこをなんとかしなくては。

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Preference.xml は res/layout/ フォルダではなく、res/xml/ フォルダに

 わずかではあるものの設定項目を用意する必要があって、いろいろ調べていたら(当然といえば当然なのだろうけれど)標準の設定項目のアクティビティがあるとかで、しかもそれは項目を記録しておいてくれるというので手間要らず。

 ではではということで某サイトの連載記事を参考にしつつはじめたのだけれど、なんだかうまくいかない。xml ファイルを作ってみたけれど width やら height やらがないので付け加えろみたいなことを言われる。変だなあとか思っていたら、本家のリファレンスサイトで res/xml/ フォルダ(標準では作成されていない)に置くようにとあるのを見つけた。

 先に言って欲しい。というかなぜ先のサイト記事にはそれが明記されていなかったのか。ということで、フォルダを作成したらちゃんといろいろ機能するようになった。

 Preference 用のアクティビティとしては、PreferenceActivity ではなくて、PreferenceFragment を使えというように読めるのだけれど、どこも基本は PrefActivity で内部クラスとしてフラグメントを用意するといったつくりが見つかる。まあ、アクティビティなしってわけにもいかないかと思えばそれもそうかと思いつつ、いろいろやっていくと今度は本家のリファレンスの解説コードが declaration とか言われてしまう。どうすればいいのと思っているとフラグメントを使えみたいな。うーむ。(英文なので雰囲気だけ読み取っています。ゆえに間違っている可能性大)

 ひとまずは SharedPreferences に保存されてというのは確認できたし、そこから実行時に読み取ったもので設定すればそれに従うところまでは確認できた。ただ、設定を変更した時点で適用したいと思うのだけれど、まだそこにたどりつけない。それっぽいところは追加したはずだったのだけれど。

 ということでもう少し設定画面は続くのであった。

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受け継ぐ木々

 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 回向柱「樹齢220年」の風格 長野・松代で用材切り出し ]


 毎回この神社から切り出しているらしく(ということもあまり知らなかった。いや、松代からというのは聞き覚えがあるものの、いつも同じところなのだとは思わなかった)、少し前に来年の木を選んだといった記事があったのだった。

 で、なんとなく見覚えがある風景と思っていたら、昨年精密地震観測所への道すがら見かけた神社がそうらしい。

たしか、中村神社


 小学校近くにある古い神社でたくさんの大きな杉の木が生えていてちょっと圧倒されたのだった。毎回回向柱として供出するために長らく育てているのだなと。

 推定樹齢で 220 年ほどというのだけれど、となればこうして切るそばから(いや、それ以前にでないと間に合わないのか)新しい杉を育てていかなくては、今後も切り出すことができなくなるのだなと思うと、なかなか大変。

 来年は北陸新幹線の延伸もあってと、なにやら躍起になっている節があるけれど、謙虚に謙虚にご開帳が行われますようにと。

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お彼岸なので、おはぎをつくる

秋彼岸でつぶあんおはぎ


 お彼岸なのでおはぎを作った。といっても餡子を作るほどの気持ちになれなかったので(あずきもないし、グラニュー糖もないし、ずくもないし)、出来合いのつぶあんを買っておいたのだった。というよりも春に買ったもち米を冷蔵庫に保管したままだったのでいい加減に食べてしまわなくては、というところが一番だったりする。

 ここのところ普段のときに少しまぜて炊くようにもしているのだけれど、せっかくなのでとおはぎように炊いてみたのだった。以前とらやさんのイベントのときにはもち米とうるち米を 9:1 くらいで炊いたように思ったのだけれど、それも面倒なので 2:1 ということで。

 また、春のときにはすっかり忘れていて餡子をくるむのに手でじかにやっていて大変だったのを思い出し、ラップを使って十分に広げてから包むようにしたら、あら簡単。ということで十分な量を作ったので残った分のご飯は普通にいただくことにする。まあ、餡子でくるむのも慣れた職人さんならば問題ないのだろうけれど、ごくごくたまにしか作らない素人にはちょっと厳しい。まあ、お手軽だってよいじゃない。

 そういえば和菓子の餡子炊き職人さんというのは短命である、などという話を思い出す。毎日毎日暑さのなか餡子の面倒を見なくてはならず、火のそばを離れることもできない。よってその高温の環境が長く続くことで寿命を縮めるのだ、などと。真偽のほどはいざ知らず、それでも確かに大変な労働ではあるよなと思うのも、今回作らなかった理由でもあるかな。

 台風(温帯低気圧に変わりつつあるけれど)が接近するとはいえ、穏やかな秋晴れの晴天。よいお彼岸でありますこと。此岸もまた平穏でありますように。

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この木(草)なんの木(草)

ほうきぐさ


 撮影したのは先月の話であるのでまだまだ緑あざやかなころ。すくすくと育って丸々と大きく。この巨大さのまま箒にしたらどうなるのだろうと心配になるほど。乾燥の時点である程度は小さくなるのだろうけれど。どことなくトトロもかくやというほどの丸々とした大きさ。

 そろそろ新調したいところなので、種なりわけてもらうというところか。昔は自生していたのだけれど、いつの時点でなくしてしまったのだろう(あるいは、なくなってしまったのだろう)。

 いまではこうした箒のことを知らない人も世代も増えているので、失くしたくないものだなあとも。

 なんともいえないやわらかさとしなやかさと、そしてにもかかわらずの固さというか丈夫さというか。来年あたりはわけていただこうかなあ。

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RubyKaigi 2014 三日目(深呼吸するといいよ)

 RubyKaigi 2014 三日目。朝のうちはなにやらパネルディスカッションというのか、なにやらそんなことをやっていたということで、用事を済ませてからでもアーロンさんの時間に間に合ったのでよかった。本当日本語お上手です。英語勉強しなくちゃとか思います。フランス語なんてもってのほか。

 午後は石塚さんとか 8bit ゲームのとかをそこそこ見て、なんといっても期待していてのはとりいさん。「ヤマノススメ」ならぬ「ルビイノススメ」だそうで、ビギナーというにはややハードだったのではと思いつつ、いや一番ハードだったのはとりいさん最後までもちますか? 大丈夫ですか? 救急隊の出動はまだですか? というあたりだったりする。

 最前列にコミッターのお歴々が鎮座ましましていたらしい(という噂)を目にしつつ、はたしてそこにささださんのお姿もあったのだろうか? であるならば声にならない声援で後押しされていたのだろうか、などとそっちのほうが気になってしまってあまり話が耳に残らないという本末転倒な事態になってしまったのだった。よろしくない。

 とはいえ、まあ「ソース読め」ということらしいのはわかった。いや、RHG がウェブで読めるようになっているということを知らなかったので、それは一度くらいは見に行くべきかとも思ったり。

 最後は咳さんと思ったのだけれど、なぜかピンマイクにも関わらず音声が弱くて最後までいまひとつよくわからないままになってしまった。PC 本体側のボリュームを一杯まであげればなんとかだったかもしれないけれど、それだとほかの音が困るし、うっかり忘れていていると次回にまたびっくりするという。

 とはいえ、中継してくださるおかげで今年も(あまり意識してなかったわりには)堪能させていただくことができたわけで、関係の方々に深く感謝する次第です。二日目以降はピンマイクの使用などもあって基本的には音声状態もよかったですし。ありがとうございました。

 なお、例年スライドリンク集を作っていたのだけれど、昨年からは公式サイトでリンクを張るようになったのもあって今年はもう考えていないのだった。


 ええ、ええ、買ってしまいましたよ。アニメに影響されて。

B00CJ7FC9Gヤマノススメ 1 (アース・スターコミックス)
しろ
アース・スター エンターテイメント 2013-04-26

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RubyKaigi 2014 の二日目「Go Go Girls」

 RubyKaigi 2014 二日目。初日と比べると比較的きちんと見ているものが多かった。とはいえ特に印象に残っているというとどうしても「Rails Girls」の話になってしまうのだった。冒頭、こうしたカンファレンスでの女性発表者の数はいかほどだろうかという話があって(だと思う)、RubyKaigi に限らず世界各地の Ruby カンファレンスについてみても女性の割合は少ないようだということだったと思う。

 そんなところからイメージ検索してみた結果の話に及び、科学者といって得られる画像は男性のものが多いと。一方で花屋で調べると女性がでてくる割合が多いと。ことほどさようになにか性別による固定観念のようなものがさまざまなところにいまだ根ざしているのではないか、というようなことだったのかと思う。

 思う、思うといっているのは、ひとえに発表が英語だったからということによるわけで(話者は日本人女性だったのだけれど)、たぶん内容の半分も理解してないかもしれないし、まるっきり勘違いしているかもしれないとも思う。

 とはいえ、プログラマとか IT 方面のエンジニアでも女性の絶対数は少ないとはいわないまでも、活躍しているような人は確かに少ないのかもしれないし、あるいはそれは目に付きにくいだけなのかもしれない。さらには、実際たとえば Ruby のコミッタになるほどの女性技術者というのは、どうしても限られてしまう現状というようなものがあるのかもしれない。

 履歴書の話にも及んだ。性別を記載するのが通例になっているけれど、採用にあたって性別を重視したり、それによって当落を決めたりといったようなことがあるだろうか。あるいは、なにげなくそうしていないだろうかといったような話も。

 ま、そういう事情からなのかはよくわからなかったけれど、もっと女性もというようなことで始まったのかな、というのが Rails Girls の取り組みらしい。繰り返すようだけれど、あくまでもそういうことなのかなと受け取っただけで、間違っているかもしれない。

 話題を目にしたときにはあまり感慨のようなものはなかったのだけれど、なにやら活発に活動されているなあという思いだけはあった。そして、それが実は世界からはじまって広まっている活動だったのだと今回の発表で知ったのだった。日本だけのことかと思っていたので。

 いずれにしてもなんともインパクトが残っていてほかがかすんでしまうというか、忘れてしまうようなものだった。個人的に。

 余談としては終わったときに話者の岩田さんだったかからピンマイクをはずしているのを目にして、なるほど音がよく拾えていたわけだと納得した。その日のホール A では使っていなかったような気がする。おそらくはより大きいのであろうホール A でこそ使えばよかったのではないか、などとは思った。

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RubyKaigi2014 がはじまっ(てい)た

 気がついたら RubyKaigi 2014 がはじまっていた。というくらいに今年はあまり気にしていなかった。興味がなくなったとかではないのだけれど。ということであわててという感じで中継を見ることに。なのでスケジュールを確認するなどということもなかったので、とりあえず見ているという感じ。

 音声がやや小さめでということもあったりで、一日目はなにか話しているなというのを聞きつつおもに Android のプログラムをしていたので、内容はあまり記憶にないのだった。ごめんなさい。

 ただ、午前のささださんのキーノートについては途中で中継が切れてしまったようで、それもあって午前はさくっとあきらめてしまった。午後については復活はしたのだけれど、やはり音声はやや小さくて、ボリュームを目一杯あげないとという状況。マイク位置を話者の左手から右手に変更してもらったことで、スクリーンを見ながら話してしまう人にとってはかなり聞き取りやすくなった。

 もっとも海外の人を中心に観客席に向かって話すことに慣れている(と思われる)人々にとっては、かえってマイクから離れてしまったかもしれない。総じて日本人は恥ずかしがりやなこともあるのか、マイクの扱いも苦手な感じで、さらに小声の早口だったりするために余計に聞き取りにくいということになってしまうのかもしれない。

 まあ、自分ではとてもそんなことできないし、仮に話せといわれても同じように「聞こえません」とかいわれそうな自信があるので、日本人の多くがそのあたりなんとか乗り越えたいところかも。特に発表しようという人は。

 というわけで内容はあまり覚えていなかったり。唯一「Ruby Motion」のやつは途中から気づいてしっかり見たのだけれど。

 準備不足のまま一日目が終わっていったのだった。

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ドロイド君だって日本語でしゃべりたいよね?

 Android で TTS(Text To Speech)を試そうと思ったところ、標準でテキスト読み上げ機能はあるものの日本語に対応していないということで探していたら、KDDI が無料で出されているという N2 TTS というのがよいよという話をみつけたのだった。

 ではではと思っていたら、さらに標準のほうもこの頃(9 月 11 日付けアップデートで)日本語に対応したのだということを知った。なんというタイミング。

 とはいえ標準の Google さんのほうは Android 4.0.3 以降でないと使えないそうで、少し古いもので使いたいと思うと駄目だ。一方 N2 TTS のほうは 1.6 から使えるようになっている。ということで一応 N2 をインストールしてみることに。

 コードそのものはごくシンプルでよいみたいで(より丁寧にはなにかあるのかもしれないので、もう少し確認はするけれど)あっさり合成音声をだしてくれる。単語レベルであればさほど問題は感じないが、「す」の音がやや弱い感じではあった。あるいは音声データなど変えるとまた違うかもしれない。

 うっかりと Google のほうを試そうとしたら言語データはまだだったようで、ダウンロードしようとするのだが、すでに WiFi 接続も切ってしまったし、このダウンロード状態を中断したいのだけれど、どうあっても中断できない。こういうあたりが Android のよくわからないというか困ったところなのかもしれない。もうダウンロードしなくていいんだけれどなあ。仕方ないので次回にネット接続したときにということになろうかと思うけれど。

 さて、肝の部分が確認できたので、もう少し全体のフローやらレイアウト方面やらを調整していこう。

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新・暗くなるまで待って

 惹句としては「あの名作のリメイク!」みたいな文字が躍っていたのだけれど、かの名作をひきあいにだそうだなんて 100 年早いわ! という感じの作品。いや、そこまで言うことはないけれど、まあ過度に期待するとがっかりする。

 ヘップバーンの作品は目が見えないのだということが分かってからの描き方がなかなか見事で、相手は見えていないはずだを利用しようとし、ヘップバーンのほうも相手は自分に気づかれていないと思っているということを十分に利用している脚本になっていて、しかもほとんど同じ室内だけの物語展開なだけに逃げようのないドキドキ感といったものまで伝わってくる。

 一方で、こちらはおばあちゃんの家にひとり残ってしまった女の子。まだ目が見えなくなってそう日はたっていない。それでも日常生活はさほど不便のない程度にはなっているらしいが、さすがに数ヶ月しかたっていなくて脱走犯とのこの攻防はすばらしすぎる。見えていてもここまでできるのかというくらいの動きのよさと運のよさ。あまりに都合がよすぎてしまうというあたりで少しずつ期待が下がっていく。

 ちいさな田舎町全体にからむような描き方であるというところもどうも散漫としてしまうところ。実はおばあちゃんは帰宅していて、そうそうに脱走犯に殺害されていましたという展開もちょっと無理やりすぎる。

 それでも脱走犯のひとりを地下室に閉じ込めてしまったあと(それすらどうやっても見えているとしか思えない展開なのだけれど)、仲間が保安官を装ってやってくるという件はそれなりによい演出だった。ただ、あまりにも疑念を持ちすぎていて少々脚本に弱さが見える。はなから盲目の女性を疑っているあたりができすぎなのだ。それ以前から一緒にいたわけではないのだから、もう少し信用するような接し方のほうが自然なのではないかとも。

 結末についてもあっさりで、しかももう盲目の彼女がスーパーウーマンとしか描かれないあたりがなんともはや。

 お世辞にも「新」などと名乗ってはいけない作品だろうと思うのだった。まあ、邦題がというだけなのだけれど。あ、なによりも暗くなるとかほとんど関係ないというあたりも、こういう邦題つけては駄目だと思うのだった。

 原題は「ENEMY WITHIN」。

B001EPK1WC新・暗くなるまで待って [DVD]
デボン・ラー
アルバトロス 2008-11-12

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結局画像を小さくしたのだった(ほんの少し)

 GridView で ViewPager にしていたもの。Out of Memory で 2 ページ目で終了してしまうので困っていた。で、本家サイトとかの情報とかもろもろみたりして、なんとかキャッシュとかいろいろ試してみたのだけれど、結局それらはなんだか膨大だったりいろいろで、これは大変だなあと。

 ふと、仕方ないから画像をもう少し小さくするかと試したのだった。元画像は 512x512 ピクセルだった。ひとつだけをバンと表示する可能性もあるので、できれば半分の 256x256 くらいはあったほうがよくはないかと思い、それでやっていたのだけれど Out of Memory の嵐と。

 ということで、ではと 128x128 にしてみたら問題なくページ送りができるようになった。

 となればもう少し大きくして限界あたりを探ってみたい。限界ぎりぎりなどということは言わないものの、もう少し余裕をみた大きさを確保したいと。結果 192x192 でも問題なかった。ログ情報を見ているとそろそろ危険かという感じもあるので、まあこのくらいならと譲歩。単独表示では 512x512 でも問題ないこともあらためて確認(まあ、このくらいは駄目だとかえって困るし、そんな莫迦なことはないはず)。

 こんなことならもっと早くに試してみるべきだったと反省。だいぶ時間を無駄にしてしまった。いやまあ、それも含めて学んだと思うことにしよう。

 ということで周辺のもろもろも少し修正や整理をしてページングをだいたいの形にしよう。レイアウト方面の調整もまだこれから。

 android:largeheap="true" などというのもあるらしいけれど、結局さほど変化はなかったし、現状では使わなくても問題ないのでよしということで。うまくいけば Android 2.2 以降で使えるものとして継続できるかも。

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宗教観の記憶

 NHK スペシャルで立花隆の臨死体験リポート。心停止したあとにもわずかの時間、弱いながらも脳の活動があることが確認された。利根川進博士の研究で偽の記憶を植えつけることができることを確認した(ちょうど新聞の科学面にもネイチャーだかに論文を発表したというものがでていた)。嘘の記憶でも繰り返すことで、あたかも実際にあったことのように認識することが実験で確認された。死の間際には脳が活動を弱めるとともに活動を強めようとする動きもあって、その中心が古い脳の部分であり、幸せを感じさせる脳内物質(エンドルフィンとは言わなかったけれど、ほかにもあるのでなければそれか)を大量に分泌しているという事実。

 などなど科学的に見えてきた脳と死との関係。心や意識といったものはどこにあるのか、それはなんなのかといったこと。

 で、ずっとこうした事例を見てきて思っていることは、臨死体験とは宗教観の記憶を夢としてみているものであるということ。理由としては海外でのキリスト教が多く信仰されている地域においての臨死体験は総じて光のトンネルを抜けると花畑などきれいな場所にでて、うんぬんというパターンに集約されるが、仏教的な世界(たとえば日本)ではそうしたものはなく三途の川や賽の河原といったものが登場する。

 すなわち多くの場合は信仰によって強い記憶となったあの世観といったものを、死の間際に脳が見せている夢であると。日本人の場合はさほど信仰心が強くないが、信仰の強さとは関係なく葬儀といったものとは無縁ではなく、当然ながら知識としての仏教観といったものは子供でもわりと持っている。しかもそうしたものはたびたび繰り返されることによって思いのほか強く記憶されている。

 たとえばアメリカ人で敬虔なクリスチャンであったとして三途の川や賽の河原を見たということはまず聞かない。誰もが光のトンネルを見る。これはもう宗教観でしかないのではないかと。

 そしてそうした偽の記憶的なもの、はたまた古い昔から延々と作り上げられてきた宗教のような感覚というものはとくに古い脳に影響しやすいとすれば(これはそうとわかってはおらず、仮にそうであるならばということだけれど)、さらに古い脳にはいわば太古の人類の記憶のようなものが断片的に残っていると考えると、そうしたものから生まれる偽の記憶というものとあいまって夢となるということはありうるのではないかなと。

 生まれたばかりの赤ん坊のときに体験したという 4 歳の男の子の例がでてきたが、少なくとも彼がいうそのときの記憶というのが本当にそのときに記憶されたものかどうかは疑問といわざるを得ない。そうとしか思えない内容だからとはいうけれど、さて本当にそれは鵜呑みにしてよいものかどうかと。少なくとも乳幼児の時期なのでその間に両親や教会で教えられたことといろいろなことが混同されて、あらたな記憶として定着してしまいやすいことは大人よりもあるのではないかと。

 いずれにしても臨死体験という体験の中身が極度にその人の宗教観に左右されているという事実はあると思うのだけれど、立花さんにしてそれにはまったく言及されていなかったのが、ある意味不思議だった。

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FragmentPagerAdapter にしたら 1 ページ目から表示するようにはなった

 ViewPager でなぜか 1 ページ目が表示されずに(読み込んではいるのだけれど) 2 ページ目からになるとか、2 ページ目の次も 2 ページ目になるとかおかしな挙動だったのだけれど、FragmentPagerAdapter で実装しなおしたらうまくいった。あるいはと思っていたらうまくいった。よかった。

 とはいえ 2 ページ目まで表示するとヒープメモリが一杯でもう駄目とかいう感じで終了してしまう。確かに GC が頻繁に起こっているみたい。読み込むサイズを小さめにしてみてもあまり効果がないようで、もう少し根本的に見直しが必要なのか。

 Fragment を使わないほうでもきちんと動作すればよいのだけれど、あちらも結局のところ 3 ページ目にいくと落ちていたので画像によるメモリ不足の影響というのは大差ないということかもしれない。

 ちょっとだけは進展したので、もう少しがんばってみよう。それにしてもアプリの一覧ページではずらっと並んだアイコンをページビューしているのだから、どうしてこういう機能が標準でサポートされないのだろう。というか面倒だからあったらよかったのにという。

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星星の揺籃

9 月の雲


 たくましく わき。

 ゆるやかに うねり。

 かろやかに たなびく。

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乱丁・落丁ブラックホール

 昨日のビューが表示されない問題は見落としていたところを見つけたので案外あっさりと修正できた。無事にページ分が表示されたのでよしよしと思っていたのだけれど、なにかがおかしい。よくよく見ると本来 2 ページ目であるはずのデータが表示されている。

 スワイプして戻ってみようとしても、これよりも前にはページはないとイヤイヤをする。それではと次のページへと送ってみると、あらわれたのは同じ 2 ページ目。そうか、1 ページ目とどこかでおかしくなっているのかなあ、などと思いつつさらに次のページへと送ってみると、またまた 2 ページ目の内容が。

 そんな莫迦な。ということで前に戻ってみようとすると、あろうことか前のページはないとばかりにイヤイヤをする。いや、今きたばかりではないか。どうなっているのだ。しかも、先ほどはひとつ前にも戻ることができるのを確認してから次にきたのに。

 ひとまず次のページへ行ってみようと送ると今度は 3 ページ目に該当するページ。そしてアウトオブメモリーしたらしくアクティビティは終了して移動する前の最初のアクティビティに戻ったのだった。

 アウトオブメモリー自体は画像の数が多くなるのでこのままでは駄目なのだというのは分かっているのだけれど、このページ情報はなにがなにやら。

 デバッグで様子を見ていると PagerAdapter でページにあったデータを GridView で作ってから ViewPager に渡しているはずなのだが、はじめに Adapter の処理にはいかずに ViewPager.setAdapter(adapter) に行ってしまう。その後もう一度やってきて今度はようやく Adapter での処理にはいるというなんだか奇妙な動きをしているように見えるのだった。

 もっとも奇妙とはいってもこちらが勝手にそう思うだけで、プログラムとしたらそれが当然と思って動いているわけであろうから、なぜそうなるのかを解明しないとどうにもまともに動作しないということになってしまった。

 調べているとふたつの変数だかにアサインしなおされていてはじめのページが失われているのではないか、などというのは見つかったのだけれど、いまひとつよくわからない。困った。

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ビュー、ビューと秋風の吹く吾がPC

 半年あまりのブランクののちに Android のプログラムをしているのだけれど、いかに基礎的なところをすっとばしていたのか、理解してないのか、というあたりを思い知っているのだった。えっとアクティビティ? インテント? ビュー? フラグメント? コンテキスト? ??? という感じ。まったくもって情けない。

 これまでは簡易なものとはいえ(ゲーム A to Z 本)フレームワークを使っていたので、その上でだけ踊っていればよかったのであまり細かいこと、床の下のことなど考えなくてよかったのだけれど、今度はちょっと別に作っているのでいちいちわからない。

 それでもどうにかこうにかさまになりつつあるものの、ViewPager を使うにあたって View の入れ子にしているあたりがどうもうまくいかない。とはいえこれまでは Null Pointer Exception がでたりしていたところが、ようやくそうしたエラーはないので一応画面は出るのだが、中身がないという状況で、さて? というところ。

 中身のコレクションができていないからなのか、はたまたそれらを配置したビューの配置? というのかアダプタの扱いのどこかが間違っているのか。

 なんどかあれこれした中ではシンプルにまとまってきたので、このあたりで原因を特定してちゃんとさせたいところなのだけれど。なかなか道は険しい。

 アプリそのものとしてはシンプルなものなのだけれど、この UI 部分がきちんとしないと不便であるというところ。もう少しジタバタしてみる。

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廃止スパイラル

 「ガイアの夜明け」でローカル路線バス。採算がとれなくて廃止になったり、その危険にさらされていたり。値上げはするわ、本数は減るわ。そうなったら使い勝手は悪いわ、高いわ。と、結局消えていくスパイラル。というのが大半の事情で、今年になってこちらの路線バスもなにやらそんな動きが多数の路線で噂されるようになってきた。

 仮にそれらがなくなると本当に市街地中心部以外にはバスがないということになりそうで、つまりそれは自分で移動できなければどこにもいけないという地方の事情になるわけで。

 番組では埼玉だったかのバス会社が大手が手放した路線を引き継いだという事例から紹介していた。地域の足なので空白地帯をつくるわけにはいかないのでと、社長さんが引き継いだ理由を話す。で、まずは実際に路線に乗ってみる。お客さんはどのくらい乗っているのか、周辺はどんな様子なのか。

 結局のところ採算がとれないので値段を上げて本数を減らしてということで、利用する側に不便になるばかりなので使わなくなる。便数やダイヤにしても使いやすいものに変えるべきであるなと。ということでダイヤを変えたりする。駅での乗り換えに十分な時間がとれるようにダイヤを調整してみたり、遅れが生じる路線の部分に原因をさぐってそのあたりを調整するなどする。

 さらには丘の上にある団地のバス停はその入り口であるふもとの一箇所のみだった。しかし、今ではお年寄り世代が多く住むこともあって、バス停までの上り下りはかなりの負担。それだけでも外出を控えようと思ってしまうというので、団地の人がいる場合には言ってくれれば上まであがって最寄の棟までいくようにした。料金は同じ。それならバスで出かけようかという人が増えてきたらしい。

 いぜん富山だかの例を読んだ記憶があって、路面電車とバスとのことだったかと思うけれど、やはりダイヤを見直して料金も思い切って下げた。もっと利用しようと思える対策をこうじていたら利用客がぐんと増えたと。

 どうしてもマイナスにばかり進んでしまってあとは廃止するだけというのが公共交通の常識みたいになっているけれど、みずから首をしめているという側面も見直さなくてはいけないのではないだろうか、とは思う。見直せるところは案外たくさんあるのではないか。けれど、そういうところを見ようとしない、あるいはもはや見ようとしても見えない人々ばかりになっているのではないか。外の人を迎えられるならまだよいほうで、そういうことすら排除するような空気があるとしたら、本当にすたれていくばかりなのかもしれない。

 もうひとつはバス運転手の不足問題。こちらはまあ即戦力でなくても高校生をいわば予約みたいに雇っておいて、免許が取得できるまではほかの仕事を経験してもらおうという話など。これもまたごくごく当然のような話で、高校生では大型二種をすぐにはとれないのだから雇っても意味がないという短絡的な発想が、人材確保の機会を失ってきたともいえるのかも。

 まあ、それだけで解決できるほど人材不足は甘くないようなので、さらなる工夫は必要なのだろうけれど。ちなみにこのニュースは NHIK あたりでも同じソース映像を見たような気がするのだが? 気のせいかしら。

 そうはいっても地方であればあるほどに、自家用車で移動でもしないとなにもできないような事情があるのもまた事実ではあって、そのあたりとどう折り合いをつけるかが一番問題なのだろうな。難しい問題ではある。それでも年をとれば自前での移動はなかなか難しくなるわけであるし、そうした弱者のためにも公共交通というものを考え直さなくてはいけない時期なのかも。

 やっぱり難しいのか。

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ハゼ釣りは、秋

 NHK 「おはよう日本」で秋の風物詩みたいなものを歴史的にという感じで紹介していた。歴史的にといってもそう古くまでさかのぼるというわけではなかったように思うけれど、昭和の初期とか中期とかそんなころの映像などもでてきたのだった。

 その中で子供たちがハゼ釣りに興じている映像があって、秋というのはハゼ釣りによい時期らしい。というようなことをやっていて、ああ、それでかと思い出したのだった。題名そのものは忘れていたけれど「秋の子」という唱歌の歌詞を思い出していたのだった。

すすきの中の子 一、二、の三人

はぜつりしてる子 三、四、の五人

 正直、なぜハゼ釣りなのだろう? と思ったものだった。と思う。いや、正直に言うとそこまで思ったかどうかはもう定かではない。でも、なんだか不思議だなと思ったような気はする。ということ。

 で、それがなるほどと思ったのだった。それでハゼ釣りする子供が秋らしい風情ということになるのかと。

 ちなみに作詞はサトウ・ハチローさんだそうな。

 あいにくと番組ではこの歌が取り上げられることはなかったかと思うのだけれど、あるいは知らない世代になってきてしまっている、のかもしれない。今の小学生では本当に知らないかもしれない。

 秋風がちょっと冷たく感じられるのだった。

[ 秋の子 ]

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フレフレ少女

 なんとなく見たことがあるような気がしつつ見始めると、いまひとつ記憶にない。ところが時間がたつとところどころで見たような気がしている。どうやらテレビで放映したときに途中から見たらしい。ということで前半はとくに見覚えが薄く、なるほどそういう話だったのかと新鮮だった。

 男子にも部活にもとくに関心はなくて、恋愛小説ばかり(?)読んでいるような女の子が、人並みに野球部の一年生エースに恋してしまい、野球部やらチアリーダーやらはいろうとうするけれどうまくいかず。そもそも野球部には同じ目的の女子マネージャーが山のようにすでにいる。

 そんな中で団長ひとりしか残っていないという応援団の窮状を耳にして、入団するのだがそもそもほかに団員がいないのでまともに活動もできない。野球部の彼のためにも応援しなくてはならないという強い信念で団員の募集に奔走すると、あちこちから落ちこぼれたような団員三人がようやくはいってきて、人数的にはなんとか格好がつくようにはなった。

 とはいえ急遽集められた団員ばかり、応援なんて知らないし、余計なことはせずに居場所が欲しいといった感じのメンバーだったり。そんな急造の応援団がまともに応援をできるはずもなく、野球部の試合にいったものの惨憺たるものでそれもあってかどうか試合は負ける。おまけに相手の応援団には、こんなひどい応援団とはエール交換したくないといわれてしまう始末。

 それを見かねたふるーい OB 団員が集まって団員全員を合宿に連れ出すと。どこぞのお寺のようなところ。女子一名も例外なし。厳しいしごきに逃走をはかったりしつつも、しだいに応援することの意味とか感じるようになって最後は立派な応援団員にと。

 そうしてむかえた野球部の地区大会。いやな思い出ばかりあるので応援を拒否され、さまざまな別の大会で実績をつくり、とうとう野球部の応援。応援の甲斐もあってかどうか、どんどんと勝ち進み、ついには決勝戦。相手はエール交換は拒否のいわくつきのチーム。

 そもそも負けたことをきっかけに期待のエースがその学校に転校してしまっているので、もはや応援団にいる意味はないという状況。しかもメンバー集めに力を発揮した立役者なのだからと団長にまでされてしまうとか。女の子なのに。そして卒業までは団服(つまりはつめ襟。女の子なのに)を着ることになったり。

 で、勝利もここまでかという最後の最後にねばって応援して、優勝してしまうという。いわくつきの高校にエールを送ったらちゃんとエールを返してくれるとか。まあ、感動的なお話なのでありました。

 というかそんじょそこらの女の子がつめ襟で応援団長やってもちょっとと思ってしまうけれど、そこは新垣結衣がやるともうなんでも許せてしまうというような。かわいいは得。いや、でも本当にさまになっているから見ていてすがすがしい。ちゃんと卒業式をすませたら「もう女の子に戻ってもいいでしょ」みたいに言ってセーラー服だかに着替えているあたりの演出も、想定通りとはいえ、ベタとはいえ、なんでも許せてしまう。かわいいは強い。

 そういう映画。

B001TJWSD8フレフレ少女 [DVD]
VAP,INC(VAP)(D) 2009-04-22

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お出汁の国の人なのに

 クローズアップ現代でやっていたのだけれど、減塩が難しい時代になってきたとか。いや、それは今にはじまったことではないのだけれど。かつては食事といえば家庭で作るほうが多かったし、漬物にしろおやつにしろ、今ではほとんど買ってきてすませてしまうようなものでも家庭で手作りしていた時代というのもあった。それなりに手間もかかっていたし大変であったのも事実ではあるものの、味であるとかカロリーであるとか、そうしたコントロールが家庭で担える時代でもあったと。

 大半のものを買ってきてすませてしまう今となっては、すでに食品に塩は含まれており、それを摂取しないということは無理なはなしで、加工食品に含まれている塩分の把握と、そこへの意識は重要になるのではないか、といったような話。

 当然それは今にはじまった話ではなく、過去から続いていることではあろうけれど、昨今の忙しい時代にあってそれが急加速したというところなのかもしれない。

 イギリスでは国をあげて食品メーカーに対して目標値を提示し、数年がかりで徐々に減らしていくという方法が成功しているらしい。ほんのわずかずつ減っていけば消費者は味の違いには気づきにくい。そうして次第にならされていって目標の塩分量まで減らすことができているとか。結果としてさまざまな病気にかかるリスクも減って医療費の削減に寄与しているとも。

 かつて佐久の若月先生が長野県でとりくんだ減塩の運動。その甲斐あって、山国信州での減塩はかなり進んだかに見えたのだけれど、最近はどうもそれもかげってしまっているような気がする。しょうゆを大量につかって刺身やおすしを食べる姿を身近でもよく目にする。

 数年前にめずらしくもらった塩鮭の切り身を焼いたときに、塩の結晶がうきでるようなものだった。食べるととてつもなく塩辛い。これは駄目だと味噌汁を飲むとまるで水のよう。いつもと同じのつくりなのに。つまり強い塩分を感じてしまうと薄い味はわからなくなってしまう。結果より濃い味を求めるようになってしまう。薄味に少しずつなれていくことの難しさ。

 「和食」が世界遺産となった。決め手のひとつはなんといってもダシなのだろうけれど、本来出しのうまみを活用して薄い味付けでもおいしく食べてきた(あるいは塩などはそうそう使えなかったのかもしれないけれど)。それがひとたび濃い味付けに出会ってしまったがために今のような時代を迎えてしまったのかもしれない。

 「和食」が世界遺産となってしまったのに。

 いったん濃い味付け(塩分)になれてしまった舌は急には改善できない。少しずつ減塩していくしかない。そのためにも出しのうまみをいかしていかなくてはいけないのだろうなと。

 医療費のこととか考えれば、そして国民のことを本当に思うのならば、国家レベルで対策すべきことなのではあろうなと。

 もらいもののしょうゆがなかなか減らない(どころか封さえなかなか切らなかった)けれど、この先も本当の意味での薄味を維持しなくてはなあと。

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集会中

屋根の上の雀たち

 ちゅんちゅんと なにを話して いるのやら

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蚊が話題ですが

 映画「アウトブレイク」でたちまち知られるようになった(と個人的には思っている)エボラ出血熱とか、なぜか東京でというデング熱とか、なにやら珍しい病気が話題にのぼることがふえているこのごろ。天然痘テロとかは本気で心配されるものの、まさかデング熱テロということはないのだろうし、とはいえ西アフリカの人々におけるエボラのように、今の日本におけるデング熱も認識としたら似たようなものなのかもしれない。

 ということで蚊が話題になっているわけで、虫除けとか殺虫剤が売れてホクホクしているところもあるとかないとか。

 蚊というと思い出してしまうのが、「蚊」(東京大学出版会)だったりする。ずっと生物の棚にあって気になっていたのについぞ買うことなく終わってしまったのが、いまとなってはちょっと悔やまれる。

 多分当時のはこれだと思う。絶版でもあるし。

4130601547
池庄司 敏明
東京大学出版会 1993-02

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 タイトルや著者は違うけれど、デザインの雰囲気とかは同じようなものがその後出ていたらしい。まるごと一冊蚊の本というのもなかなかすばらしい。

4486015789蚊の不思議―多様性生物学
宮城 一郎
東海大学出版会 2002-02

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 同時に思い出されるのが「鼻行類」。これほど詳細なハナアルキ属の文献は貴重だ。いや、いろんな意味で。

4582762891鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活 (平凡社ライブラリー)
ハラルト シュテュンプケ Harard Stumpke
平凡社 1999-05

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 本当は思索社のこちらのデザインを踏襲したもののほうが趣があってよいのだけれど、絶版なので致し方ない。

478350167Xシュテュンプケ氏の鼻行類―分析と試論
今泉 みね子 カール・D.S.ゲーステ Karl D. S. Geeste
思索社 1989-10

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 ちなみに「鼻行類」は生物の棚にないこともあるけれど、むしろそれが正しいので間違いなきよう。

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tDiary を使い始めてちょうど 10 年が経過したのだった

 tDiary の長年日記を見ているとどうやら 10 年前の 9 月からはじめているらしい。2004 年 9 月のリンクがまっさきなのでそれはわかっていたけれど、本当に 9 月になって早々にやっていたのだなと。

 なんどか書いているけれど PC の Cygwin 上で使っているので完全にローカル。ディスクが逝ってしまったら終わりなのでバックアップはきちんととる。というか、実のところ普段は appache も起動してないので日記をつけるときだけ起動していたりするという面倒な運用。

 とはいえ本当に私的な記録としての日記なのでよそに置くまでもないし、サーバーを借りたりというほどなにかをするでもなし。となればローカルでもよいかなと。

 モデムにしても使うときにしか電源をいれないという、いったいどこが常時接続サービスなのかという使い方をしているのもあって、特に不便を感じないというのは 10 年もそんな運用を続けていられるということからも確かなのだろうなと。

 途中から(というか今のノート PC にしたあたりなので、まだ 4 年ほど)NAMAZU も導入して検索できるようにもしたのだけれど、インデックス作成にかかる時間の長さに困ったのも今ではよい思い出(いや良くはないか)。

 もっとも、先ごろ Cygwin の Ruby や tDiary のバージョンをあげようとしたのだけれど、どうも組み合わせがうまくいかず、結局いまだ古いバージョンになってしまっている。完全ローカルだから特別問題はないものの(と思う)、できればなんとかしたいと思いつつ、後回しになっている。

 とりあえず動いているものには手を出さないのが吉、ということもまた真であったりするので。

 とはいえ、そろそろなんとかしたいなあ。

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我妻さんは俺のヨメ

 例によって 1 巻無料にはまってしまい、2・3 巻まではひとまず読んだ。なかなか面白い。ようはタイムスリップコメディなわけなのでネタがつきたらおしまいといった感じではあるのだけれど、とりあえず今のところよい具合に進んでいる。

 主人公は高校二年生の男子。勉強もスポーツもさえない。ということでもちろん彼女がいるでもなく、おちこぼれた男子生徒仲間と日陰の青春を謳歌している。そんなクラスにとびっきりの美少女がいて、勉強もできるわ、スポーツも優秀だわ、おまけに性格もよいときて、そんな子がいるのか? というくらいの少女が我妻さん。あくまでもそこは我妻という苗字。

 で、主人公がうとうとしたりしたときにふいに目の前にあらわれたパジャマ姿の我妻さんにびっくりしたら、そこでは結婚しているらしい。いや、まさか。夢だったのだろうと思いつつも、なんどもそれが繰り返されて、しかも現在の自分は知らないけれど実際に彼女に起こったこととか起こることを知ってしまったことやら、カレンダーが 10 年後であったこととか、どうやらこれは本当にタイムスリップしているらしい、と感じるわけだ。

 今はまるっきり親しくもないし、話だってほとんどしないクラスメートの我妻さんが、なぜか 10 年後には自分と結婚しているということに、ニンマリするやら不思議に思うやら。そんなこんなで未来と今を行き来しながら、これから起こる出来事を再確認するという。

 我妻さんのことだけでは展開がシンプルなので、そこにいろいろ人を織り交ぜて、未来に起こる困った事態を解決するべく今を変えようと奮闘してみたり。けれども当然タイムパラドックスのわなにはまって我妻さんと結婚していない未来になってしまってあせったり、となかなかうまい具合に展開してくれるので楽しい。

 なによりも、当たり前だけれど我妻さんがかわいい。エッチな方面にははしっていないので(ネタとしてはあるけれど)実に安心して読めるというあたりもよいのかもしれない。結構続いているようなのでそのあたりは少し心配もあるけれど、どんな結末に落ち着けるのだろうかとか楽しみでもある。

 我妻さんと実際結婚すると、我が妻ではあるけれど「我妻さん」ではなくなってしまうというあたりも、なんとも面白い。


 ひとまず 3 まで読んだ。

4063846385我妻さんは俺のヨメ(1) (講談社コミックス)
西木田 景志 蔵石 ユウ
講談社 2012-02-17

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4063847268我妻さんは俺のヨメ(2) (講談社コミックス)
西木田 景志 蔵石 ユウ
講談社 2012-09-14

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4063847748我妻さんは俺のヨメ(3) (講談社コミックス)
西木田 景志 蔵石 ユウ
講談社 2012-11-16

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さよならクロスレビュー

 [ crossreview.jp » サービス終了のお知らせ ]

2008年7月のオープン以来、6年以上にわたって運営してきたcrossreviewですが、このたびサービスを終了することにしました。

 ああ、とうとうこの日が。近年はサービスのメンテナンスとかもされてなくて、Twitter API の変更にももちろん対応してないので投稿はされないのだけれど「Twitter に投稿しました」というメッセージだけはでてしまうとか、まあいろいろあったわけですが。

 開始当初はユーザー数の伸びとか投稿数の伸びとかからアクティブなユーザーを招いてパーティ開いたり、プレゼントしたりとかあったと記憶するのだけれど、そんなあの人もこの人も(といって知っているわけでもないけれど)すでに去ってしまい、アクティブだったのはごく少数でしかなかった。

 それでも記録を簡単につけておくという意味では便利だったのでよかったのだけれど、残念。どこかで引き取ってくれませんか? というアナウンスもあったけれど駄目だったらしい。

 しかたないですね。主には GyaO! とかで見た映画の記録に使っていたのだけれど、300 を超える投稿が記録されていたのだった。なんとかデータだけ残せるかなあ。どうかなあ。

追記:
 メールをチェックしてなかったのだけれど、お知らせの前に先月のリアルな利用者などには直接メールをくださっていた。データのアーカイブもここにありますよとリンクつきで。河野さん、ありがとうございます。

 でも、残念だわ。

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ランダムな抽選です

 本が好き! というところの献本サービスを利用している。はじまりは poppen さんのところで知ったことだった。当時はサイトも違ったし、アクティブなユーザーもぐっと少なかったりだった。今のサイトになってという過渡期にはベータサービスのときにも少し使わせてもらった。運営者も何度か移り変わり、中の人も入れ替わり、当初からの人というのはもうすわずかかもしれない。

 それはともかく。今年は残念ながら 1 月に当選していらいまったく当選がない。限度一杯とにかくなんでも応募するなんてことはするつもりもないので(実際規約上で禁じられてもいる)、これは夜みたいなあというものに応募しているのだけれどかれこれ 7 連敗中。たださんが 4 回に 1 回は当選するような、と言われていたものだけれど、最近はもう当たる気がしなくなってきた。

 かつては当選した人の名前(もちろんユーザー名)がメールで通知されたので、この人ならば自分は落選したけれど楽しみだなとか思うこともできたが、個人情報関連のゆえなのかは知らないが、近年はその通知もなくなった。ゆえに誰が当選したのかまったくわからないまますぎてしまうことのほうが多い。

 さすがにまた落選とはいったい誰が当選だったのだろうということで確認してみると、8 月下旬に抽選されたものが早々にでているものがあって、ふと見ていたら同じ日に抽選された別の本も同じ人が(しかもふたり)当選していたのだった。なるほど。

 ということで今年 1 月から 8 月まで(8 月下旬の分は抽選直後なので書評をあげているのは速読のごく一部の方のみ)の当選者を調べてみた。

献本種類:185
のべ人数:202
52冊 => 1人
49冊 => 2人
33冊 => 1人
27冊 => 1人
24冊 => 1人
23冊 => 1人
22冊 => 1人
17冊 => 1人
15冊 => 3人
14冊 => 1人
13冊 => 1人
12冊 => 2人
11冊 => 2人
10冊 => 3人
9冊 => 1人
8冊 => 4人
7冊 => 6人
6冊 => 5人
5冊 => 7人
4冊 => 19人
3冊 => 22人
2冊 => 42人
1冊 => 75人

 一種類あたりの献本冊数は平均的にみて 5 冊。一回の応募者数はあくまでも記憶ではあるが、多くの場合に 2 倍から 3 倍程度。多ければ 5 倍といったようなこともあるが、それ以上極端に多いということはまず記憶にない。また、電子書籍の一部などを除いて定数割れしていたということも基本的にはなかった。

 ということでちょっと偏っていませんか? と運営さんに問い合わせたところ、「まったくランダムな抽選なので」とのお答えだった。「回数の多い人はほとんどすべてというくらいに応募されているのではないでしょうか」とも。らんだむでこうへいなちゅうせんならばしかたないですよね。


 また、調べていて気になったのは献本数と献本書評数があわないものがいくつかあったこと。いかに示すものはいずれも 1 冊ずつ不足している。献本が減らされたといった案内は少なくともわたしは知らない(少なくともそれぞれのページにある当該献本書評の数は不足している)。()内の日にちは調査時点での当選からのおよその日数。受け取り日からは多少誤差はでるはずなので、あくまでも目安としての日数。

なんで!? 納得できない・・・ 14歳のきみたちへ (35 日)

アーデン城の宝物 (36 日)
悪の出世学 (101 日)
時が新しかったころ (136 日)
知らないこと、できないことに価値がある (140 日)
詩集 牢屋の鼠 (158 日)
今、あなたが内定をもらったら (177 日)
偽りの森 (189 日)
銀の画鋲~この世の果ての本屋と黒猫リュシアン~ (220 日)

 基本的には 28 日以内には書評を書いてください、というのが決まりで、事情とかが考慮されれば多少の延長はあるのではないかと思われる(自分では経験がないので不明)。とはいえ、すでに半年あまりという作品もあるらしきはどうしてしまったのだろう? 「時が新しかったころ」などは落選しているだけに、とても残念に感じる。

 まあ、あまりあれこれ言うのは止めておくべきと思うので、調査結果のみ記録しておく。

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