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いずれも国の鎮めなり

 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 御岳山噴火 7人意識不明か 登山者ら けが人多数 ]


 一応記録なのでと。

 昨日に関しては西よりの風がやや強く吹いていて、「サイエンス・ゼロ」の再放送など見ていたところでのテロップに驚きつつも、さてこのあたりまで風に乗って降灰するようなことはあるだろうか? と上空高くあがる噴煙映像など見つつ思ったりはしたのだった。

 折悪しくとでもいうべきなのか、紅葉シーズンの盛りになんなんという時期で、いつになく登山客も多かったようでもあり、ふいにやってきた噴火・降灰に行く手をはばまれてという人もあったようで、そうした人たちの安否は心配なところ。

 確かに今月にはいってからやや火山性の微動が増えているのでという注意情報は県内でも流れてきていて、それを目にしたことはあったとは思うものの、たしかにここまでの危機感というのはもてなかった。

 記憶のなかでは 30 年あまりまえに大きな噴火があったときにはこのあたりまでずいぶんと降灰があったらしいのだが、どうやらそれは 1979 年のことらしい。記憶が少し混乱している。30 年あまり前というのは大滝村付近で起きた地震のときだったようだ。このときも、噴火のときもたまたま地元にはいなくてという記憶だけが残っていてどうやらみな一緒くたになってしまったらしい。

 それを思えば今回は風向きという面ももちろんあるけれど、比較的規模としては小さかったといえるのかもしれない(あくまでも 1979 年比として)。そして、1979 年のときにはどれほどの人的被害があったのだろうかと。まったく記憶にないのだけれど、あるいは今のような登山ブームでない時期だったとすれば、案外少なかったのか。はたまた今回よりは危険性が検知できて入山帰省などがされていたときだったのか。さすがに記憶がない。

 日本列島はどこでも火山と地震はつきもので、これはもうここで生きていく以上はつきあうしかないわけで、よくもまあこの狭い列島にこれほどまでも火山や地震の巣がひしめきあっているものだと思う。浅間山などもときおり危険な兆候を見せて赤々とした姿を見せるし、白根山あたりも最近はちょっと危険度が増してきた。

 といってそれを気にしてばかりでは生きていけないし、それは震災が忘れられているということと同様のことではないかとは思う。完全になかったこととしているわけではなく、存在そのものはちゃんと覚えているしわかってもいるが、それを気に病んでばかりではなにもできないという意味において、忘れるということもまた必要なことではあるのだし。

 覚悟と準備をしたうえで極度に意識することは忘れて生活する、というのが現状であるのかなと。

 詳細はこれからの調査に関わってくるとはいえ、状況からは水蒸気爆発と思われるので長期にわたるとは考えにくいのだろうなと。ひとりでも多くの人の安否が確保されますように。


四方に聳ゆる山々は
御岳乗鞍駒ケ岳
浅間は殊に活火山
いずれも国の鎮めなり
信濃の国 二番冒頭


 しかし PDF 号外に「詳細は本紙で」とあるのが、なんとも時代が逆行している感があって面白い。

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コメント

地震多発が10分前では避難も間に合いませんね。

マイミクさんが見つけたツイート、タイムスタンプに注目。生死不明…
https://twitter.com/setori_/status/515695458128101376/photo/1

投稿: のら猫 | 2014.09.28 14:13

こればかりは諦める(覚悟する)しかないのでしょうね。

投稿: ムムリク | 2014.09.28 15:09

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