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お出汁の国の人なのに

 クローズアップ現代でやっていたのだけれど、減塩が難しい時代になってきたとか。いや、それは今にはじまったことではないのだけれど。かつては食事といえば家庭で作るほうが多かったし、漬物にしろおやつにしろ、今ではほとんど買ってきてすませてしまうようなものでも家庭で手作りしていた時代というのもあった。それなりに手間もかかっていたし大変であったのも事実ではあるものの、味であるとかカロリーであるとか、そうしたコントロールが家庭で担える時代でもあったと。

 大半のものを買ってきてすませてしまう今となっては、すでに食品に塩は含まれており、それを摂取しないということは無理なはなしで、加工食品に含まれている塩分の把握と、そこへの意識は重要になるのではないか、といったような話。

 当然それは今にはじまった話ではなく、過去から続いていることではあろうけれど、昨今の忙しい時代にあってそれが急加速したというところなのかもしれない。

 イギリスでは国をあげて食品メーカーに対して目標値を提示し、数年がかりで徐々に減らしていくという方法が成功しているらしい。ほんのわずかずつ減っていけば消費者は味の違いには気づきにくい。そうして次第にならされていって目標の塩分量まで減らすことができているとか。結果としてさまざまな病気にかかるリスクも減って医療費の削減に寄与しているとも。

 かつて佐久の若月先生が長野県でとりくんだ減塩の運動。その甲斐あって、山国信州での減塩はかなり進んだかに見えたのだけれど、最近はどうもそれもかげってしまっているような気がする。しょうゆを大量につかって刺身やおすしを食べる姿を身近でもよく目にする。

 数年前にめずらしくもらった塩鮭の切り身を焼いたときに、塩の結晶がうきでるようなものだった。食べるととてつもなく塩辛い。これは駄目だと味噌汁を飲むとまるで水のよう。いつもと同じのつくりなのに。つまり強い塩分を感じてしまうと薄い味はわからなくなってしまう。結果より濃い味を求めるようになってしまう。薄味に少しずつなれていくことの難しさ。

 「和食」が世界遺産となった。決め手のひとつはなんといってもダシなのだろうけれど、本来出しのうまみを活用して薄い味付けでもおいしく食べてきた(あるいは塩などはそうそう使えなかったのかもしれないけれど)。それがひとたび濃い味付けに出会ってしまったがために今のような時代を迎えてしまったのかもしれない。

 「和食」が世界遺産となってしまったのに。

 いったん濃い味付け(塩分)になれてしまった舌は急には改善できない。少しずつ減塩していくしかない。そのためにも出しのうまみをいかしていかなくてはいけないのだろうなと。

 医療費のこととか考えれば、そして国民のことを本当に思うのならば、国家レベルで対策すべきことなのではあろうなと。

 もらいもののしょうゆがなかなか減らない(どころか封さえなかなか切らなかった)けれど、この先も本当の意味での薄味を維持しなくてはなあと。

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