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崩れる

 広島で起きている土石流災害・土砂災害が思った以上に深刻な事態になっていてなんともつらい。先ごろの南木曽町でのそれがある種かすんでしまうかのような被害の大きさ。もちろんそんな大小を比べることに意味などないし、どの災害も等しく苦しいものであるということもまた事実で。それでも亡くなられた方の数であったり、住宅の破壊のされようを見ていると、南木曽のそれもすさまじいものであったけれど、それが広範囲にわたって複数起きていたという事実の重さみたいなものを感じてしまう。

 そもそも日本では住宅に適した平地がほとんどないのだといってしまえばそれまでなのだろうけれど、少子化うんぬんで人口減少を憂うのであれば、国民が安心して生活できる場の確保・維持といったことにもよりいっそう力をいれなくてはいけないのだろうなと。

 いや、少なくとももはや危険な場所にすら住宅を作らなくては間に合わないような人口であるならば、いっそ少し減った適正なところをさぐるというのもありなのではないかとか思ったりはする。そうでなくても田畑をつぶしては宅地にする一方で、多くの空き家が放置されていて崩落するなどの危険にさらされているわけでもあり、なにかおかしなものを感じるのは自然なことなのではないかなとも。

 危険な地域の指定に関わる手続きがなかなか進まないということが報道もされているけれど、住民の同意が必要とかで宅地の価値が下がるのではないかという声などもあってなかなか進まないとか。命よりも大事なものがあるということなのだろうか。

 もちろんそうした気持ちがわからないではないのだけれど、そろそろ危険箇所に住宅を作ることなどを国としても行政としてもより強く禁じていかない限り、何度でも何度でもこうした悲惨な災害が繰り返されることは目に見えているわけで。その上でせき止めるための防護策であるとかも行う必要があるのだろうなと。

 より高い場所(建物の二階以上)への緊急避難で助かったという例を盛んに報道していたりもするのだけれど、それは建物そのものが無事だったからいえることであって、山際で建物の姿そのものがわからなくなるような破壊を受けたらどうにもならない。

 だからこそ、まずは危険地域には住まないような施策こそ望まれるのではないかなと。土地がない土地がないといいながらもますます人口を増やしたり、海外からの移住を促すとすれば、ますます危険な地域を宅地に造成することが増えていき、命を危険にさらすという矛盾した行動になりはしないのか、などとも思ってしまうのだけれど。

 根本的に災害対策について見直す時期というものなのではないかなあ、と素人としては思ってしまうのだった。さらなる被害がでないことを願うばかり。

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コメント

報道を見て地附山地滑りを思い出しました。
生家の一軒裏から湯谷団地だったのですが、団地ではない地区の住宅には避難命令も情報も何も無くて、日が暮れてから警察が「なんでここに人が居るんだ!」とぶっ魂消ているのも何だか理解できなくて。

それはさておき、無理な造成をした場所と言うのはそれなりに何かあるんだなぁ…と思いました。
バードラインも相当無理な通し方をしたようですが、湯谷団地も造成で地下水の流れが全然変わってしまったので、まずいんでないの?と噂したものです。
今回の被災地もGoogleMapで見ると「何でこんな所に」と言う場所に家が並んでいますけど…

さて、ここは大丈夫かしらん?
災害時はここから見て東にある公園に集合してから、西にある小学校へ行けと言う指示ですが…
平時でもそんな(無駄な)行動が困難な身障者を抱えて、有事にそれはないだろ?って思うのですけど、そうしないと水・食料など一切の援助はしないと市役所は断言しています。
下手に避難しないで籠城した方がいいのかな。

投稿: のら猫 | 2014.08.23 08:23

地附山も遠目にもはっきりとわかるほど、山肌がごっそりと崩落していましたね。老人ホームはなくなったままのような気がしますが、ほかはそのまま宅地なのでしょうかね?
確かに 25 年あまり前となっては記憶もあやふや。そうして悪徳業者さんの手によって「ここは大丈夫ですよ」とかいわれて住宅が。なんてことが起きているかもしれませんね。
危険とつきあわざるを得ないという面も否めないものの、少しでも心配のない暮らしができるとよいのですけれど。

投稿: ムムリク | 2014.08.23 12:57

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