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民族を越えて

 見ずに本でも読もうかと思いつつ、ニュースの流れをそのままにしていて見始めてしまったら、結局最後まで見てしまった。NHK スペシャル「オシムの国のワールドカップ」。ボスニアの内戦といっても、はるか彼方の国の昔の(というほど昔ではもちろんないのだが)話という印象を持ってしまうのはよろしくないなと。

 オシムさんが監督をつとめていた当時、ワールドカップで PK 戦になった。それまでの流れを見ていると「それはまずいだろう」とわかる。三つの民族からなるチーム。そもそも民族と宗教との対立が激しいなか、仮に失敗すればそれがあらたな争いの火種になるのは必定。

 「PK で蹴りたい者はいるか?」とたずねたら手を上げたのは二人だけだったとか。そのひとりがストイコビッチで緊張のゆえか失敗してしまう。最終的にどのような結果だったのかはわからないけれど負けたということがさらに民族対立を悪くしたことだけは事実のようで、その後泥沼の内戦にはいってしまったようで。

 責任を取るというか、むしろ民族対立や内戦に抗議する形で監督を辞任するオシム。けれど、それで内戦がどうなるというわけではもちろんなく。

 そうこうして内戦は一応収束して、あらたなワールドカップへの道を閉ざそうとしたのがまた民族問題。サッカー協会の代表が三つの民族それぞれに存在している。そんな状況では参加は認められないと FIFA が言ってきたのだとか。

 実のところサッカーのみならずあらゆる事で民族ごとに分離されており、内戦が収まったとはいっても内情は決してよくない。若い世代や一部のひとにはわだかまりのない人もいるものの、多くの人・民族にはまだまだ根深く遺恨や疑心暗鬼が残っている。

 そんな中で望みを託されたのがオシムさんだったとか。脳梗塞を患ったあとで十分に活動できないにもかかわらず、あらゆる関係者に会い説得をして、なんとかひとつにまとめることが果たせた。そしてブラジルでの大会に臨んだと。

 初戦をスポーツバーでファンと一緒に観戦するオシム。勝利はならなかったけれど、ボスニアでは民族が対立するような場面はなく、選手をたたえていた。それでも、まだまだ根強い反発はあるのだと番組は伝える。

 「これでお国はひとつにまとまったのではないですか?」といった質問に、「まだまだだよ」と答える。民族問題の根深さはいまも中東や欧州で絶えることがない。そんな中でようやくなにかが変わろうとしはじめたボスニアのサッカーがこの大会にはあるのだなと知ると、少し今回のワールドカップに対する見方が変わってくるような、そんな気がした。

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