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翳深き谷 上・下


4488218180翳深き谷<上> (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江
東京創元社 2013-12-21

by G-Tools

 本が好き! 経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 今作はこれまでのシリーズよりも、ずっとハードなものを含んでいて、それは国家・政治の事件でもあり、多種の宗教に関わる事件でもある。宗教に関していえば同じキリスト教内であっても、それぞれの思惑が如実にあらわになって、いつにもました論争を巻き起こしているという点で、これまで以上にハードな内容といっていい。

 加えて完全無欠ともいえるフィデルマにとって今作ほど苦難の事態というものもなかったかもしれない。冒頭で残忍な惨殺事件が描かれ、三十三体もの”奇妙な”遺体と直面することになる。そこにはなんらかの宗教的な、儀式的な意味合いが見て取られ、あとから思えばそれが物語りのすべてを決定づけていたともいえる。

 今回、フィデルマは国王である兄の勅命を受けて、とある辺境の国へキリスト教の学校などをつくるための実務的な折衝に赴いたはずだった。しかるに、先の惨殺事件に遭遇しながらも、道を急がねばならないためもあって、十分な調べをできぬままかの地に到着。事情を話したものの、調べはこちらで行うので折衝のための会議に集中してもらいたいという意向を受け、さらなる調査に臨むこともできない。

 一方でその折衝の会議は無意味な宗教論争の場とされてしまい、話が違うと憤ってみせるフィデルマ。実務的な話をしにきたのにそれができない状況であるならば、このまま帰途につくといって出て行くフィデルマに困惑するエイダルフ。「外交術というゲームよ、エイダルフ」と、フィデルマは笑ってみせる。

 予期通りの謝罪を受けて引き返すフィデルマ。しかしながら今作最大の危機はその後に起きる。フィデルマが殺人の咎で牢に入れられてしまい、自らの弁護をするための調べすらできない状況に追い込まれてしまう。その窮地をなんとか救い出すエイダルフの勇猛さはシリーズでも見たことのないほどのすばらしさ。ある意味、今作、中盤一番の見せ場だ。

 その後立て続けに起こる殺人、フィデルマとエイダルフの危機。国王コルグーが出立前にフィデルマに贈った言葉は最後まで物語の肝となっていく。「気をつけよ、いつ、誰に語るかを」。フィデルマの言葉によって彼女は自らを窮地にもおとす。

 最終的にフィデルマによって明らかにされるすべての事件の真相は、壮大な陰謀を含むもので、時代のうねりを感じさせ、シリーズの今後への暗雲をも想起させる。およそ 100 ページにもなろうとする謎解きの件は圧巻ともいえる。

 ただ、謎解きについては犯人の自白を誘導するというところによっている部分が多く、実のところこれまでほど納得感があるとはいえないかもしれない。閉ざされたごく小さな地域を舞台としていることにもよるのだろうが、今作に関してはこれはこれで仕方ないところかもしれない。また、近代的な科学捜査、科学的な証拠など求めようもない時代であることを思えば、それもまた致し方ないというのは、このシリーズ全般のある意味約束事ともいえる。

 とはいえ、この壮大な陰謀が解きほぐされていく過程はなんとも見事で、壮観だ。朗々としたフィデルマの語りを存分に楽しめるのは、このシリーズの最大の楽しみでもある。そして、それはある意味難解でありながら、それでいてすっと理解を促しつつ、物語世界を見事に描きなおしてくださっている翻訳の妙であるということも、感謝したいところ。もはや、甲斐さんの翻訳なくして、フィデルマシリーズはありえない、と言ってもよいのでは。

 恐らくは一年後、次の作品に出会えるのが楽しみだ。

「確かに、真実はあらゆるものに打ち勝つであろうな。しかし、その真実を、いつ、誰に語るべきかを、心得ていることが肝要だ。お前はラテン語の格言が好きなようだから、私も一つ、ラテン語の格言で、忠告しようか。”カヴェ・クィッド・ディキス、クアンド・エト・クイ(気をつけよ、いつ、誰に語るかを)”」コルグーもまた、最後をラテン語の格言で結んだ。 (上p.51)


「・・・ もし、この光景が、我々に見せようがための設定であるとしたら、あからさますぎはしませんか? ”輝くランターンの光には、暗い影が伴っている” ということを、忘れてはなりますまい」
「どういう意味ですか?」
「私の恩師であるブレホンの、”タラのモラン”師がおっしゃった格言です。あまりにもはっきりしている事態は、時には幻影であって、真実はその背後に隠れているのかもしれませんよ」
(上p.74-75)


「そうではあっても、論理は、しばしば真実を変容させて、私どもを誤らせますよ。論理によって、心の創造性に溢れる一面が、つまり我々の思考力が、ひどく損なわれてしまうことも、よくあります。そうなると、私どもは、真っ直ぐな一本道を走りだしてしまいます。そして、傍らの森の空き地の木陰にひっそりと佇む真実を、見逃してしまうことになりかねませんわ。論理のみですと、私どもの心の視野は、狭まってしまいますよ」
(下p.32)


「私たちは、信仰こそ異にしておりますが、道徳は、しばしば宗教的な相違を超越します
 このことは、古代の法律を学ぶ者に、是非教えねばならない大事です。宗教的な不寛容は、擬物(まがいもの)の外見によって作り上げられてしまいます。自然のいかなる大災害も、異なる信仰、信条を持つ同胞に対する不寛容ほど、人間の命を犠牲にはしません」
(下p.328-329)


 以下は校正もれと思われる箇所。

「”デウス・ミゼラートゥール・・・(神、われらをあはれみ・・・)”と彼は、
(上p.61)
s/”と彼は、/”と彼は、/


彼があまりに情けなさそうな顔をしているもので、フィデルマの頬に、思わす微笑が浮かびそうになった。(下p.76)
s/思わす/思わ/


「そして、それに乗って、もう一頭の馬も引いて、出てちゃったわ。まるで ”フォーモーリ族のゴル” の猟犬たちに追っかけられてるみたいに。
(下p.162)
s/出てちゃったわ/出てちゃったわ/
s/出てちゃったわ/出ていっちゃったわ/


「遺体は、アートガルの農場です。アートガルは、姿を消しています。でも、アートガルに賄賂として乳牛を贈ったのは、”ムィルヘヴネのイボール” はなく、ディアナッハ修道士でしたわ。
(下p.164)
s/イボール” はなく、/イボール” はなく、/


翳深き谷<上>

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