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2013年現在の主な抗リウマチ薬

 2013 年現在において主要な抗リウマチ薬は、次のようなもの。(2012 年のものに ゼルヤンツを追加) 詳細については各サイトや医師によく確認すること。

ブシラミン(リマチル)
日本生まれであるのが特徴。効果はやや弱い感もあるが、最初に処方されることも多い様子。

メトトレキサート MTX(リウマトレックス)
最大 8mg/週 を最大 3 回に分けて集中して処方するパルス療法がとられる。 1 回ごとに 12 時間の間隔を空ける。たとえば、月曜の朝、夜、火曜の朝といった具合。欧米並みに 15mg/週くらいまで最大量を増やすべきではないかという意見もある。基本としていきなり処方できないのでリマチル処方後というパターンが多いかも。
葉酸の働きを抑えるので健康食品などの摂取には要注意。

生物学的製剤
エタネルセプト(エンブレル)
TNF-α 阻害薬。炎症のもとのひとつであるサイトカイン TNF-α を阻害して、炎症を抑える。週 2 回の皮下注射。訓練を受けた後に家庭において自己注射が可能。

インフリキシマブ(レミケード)
TNF-α 阻害薬。原則 8 週間に一度の点滴。はじめの 3 回のみ変則で、 2 週間後に 2 回目、その 4 週間後に 3 回目、その後は 8 週間ごとに。点滴時間はおおむね 2 時間。

トシリズマブ(アクテムラ)
2008 年から使用できるようになった IL-6 阻害薬。サイトカインをターゲットとしている点は前二者と同じだが、インターロイキン6( IL-6 )という異なるサイトカインをターゲットとしている。このため、あまり効果がみられなかった患者に対しての有効性が期待される。 4 週間に一度の点滴。時間はおおむね 1 時間程度。

アダリムマブ(ヒュミラ)
2008 年から使用できるようになった TNF-α阻害薬。皮下注射。

アバタセプト(オレンシア)
2010 年から使用できるようになった。これまでのサイトカインを阻害するものとは異なり、 T 細胞の働きを抑えるもの。点滴による投与で、3 回目までは 2 週間間隔。以降は 4 週間間隔。

ゴリムマブ(シンポニー)
2011 年から使用できるようになった。TNF-αモノクローム抗体。4 週間に 1 回の皮下注射。自己注射ではなく院内でということらしい。間隔は点滴薬なみでありながら短時間ですむので負担が少ないというメリットはありそう。

イグラチモド(ケアラム、コルベット)
2012 年 6 月 29 日ニュースリリースで製造販売承認取得を発表。経口投与。2013 年には使用がはじまるか? ワルファリン併用に注意喚起。
ケアラム (Careram) 抗リウマチ薬 | 製品情報 | エーザイの医療関係者向けサイト
大正富山医薬品株式会社 | 医療関係者向け情報 | コルベット|開発の経緯、特徴

セルトリズマブ ペゴル(シムジア
2012/11/29 薬事審議会で承認。「世界初のPEG化抗TNF-α(腫瘍壊死因子α)抗体医薬品」とのこと。 注射器による皮下注射。初回から4週目までは2週間に1回400mg(注射器2本)を投与。6週目以降は2週間に1回200mgを投与。

ゼルヤンツ
通常、1回1錠、1日2回で毎日服用。細胞の中にいくつかある伝達経路のうちのJAK[ジャック]経路を阻害することで、免疫細胞の遊走や炎症性サイトカインの産生を促すシグナルを抑える。グレープフルーツジュースと一緒に服用するとゼルヤンツの作用が強くなることがあるので、一緒に飲まないなど服用に際しての注意点を守ること。

 いずれにおいても炎症を抑え、異常に活発化した免疫を抑制する働きをするため、風邪をはじめとした感染症への罹患に通常以上に注意をする必要がある。少しでもそられの兆候があれば担当の医師に相談し適切な治療をすることが望ましい。

 また、治療にあたっては結核の罹患経験の有無など感染症への対策が十分になされるので、それらに注意すれば決して危険な薬ではない。どのような薬にも副作用はあるもので、それを十分に把握したうえで適切に使用されることがもっとも大切なこと。いたずらに風評に惑わされることはない。

 現在も治験が行われている薬も多数あり、新薬承認のプロセスも優先的に行われているゆえ、数年間隔程度に新薬が使用できる可能性も十分にある。現状の薬が十分な効果をあげなくても、さらなる希望があるということを忘れずに治療に取り組むことが肝要かと。

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凍てつく季節

霜柱1

 モリモリ。


霜柱2

 ニョロニョロ。

 この冬の霜柱はなんだか一味違う。

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4488106331樽【新訳版】 (創元推理文庫)
F・W・クロフツ 霜島 義明
東京創元社 2013-11-20

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 昔から創元推理文庫の棚をにぎわしてきた分厚い本の一冊「樽」。「月長石」であるとか、はたまた「賢者の石」であるとか、そうした分厚いなんとなく手に取るのが控えられるようなそんな威容を放つ一冊だったので、その名前だけはよく記憶している。ただ、それだけにというわけではないのだがこれまでずっと未読のままだった。それでいて一度読んではみたいと思ってもいたのだった。

 折りよく新訳の発刊。幸いにしてこうして読むことがかなった。恐らく以前の翻訳はさすがに古めかしいものであったろうから、現代においては格段に読みやすくなったのではないかと比較などできないままにもそう思える翻訳で、当初の予想よりもずっと早く一週間あまりで十分に読み終えることができたのだった。比較的のんびりと読んでいるわたしでも。

 解説によると展開が遅いという評判があるようだけれど、さほどそういう印象はなかった。実に丁寧に描写しているということが、あるいはそういう印象を生むのかもしれない。全体を通していえるのは、さながら二時間あまりの映画でも見ているかのような流れとでもいおうか。事件の発端となるロンドン。そこから捜査が進むパリ。そしてふたたび事件が展開するロンドン。そして、事件の真相があらわになってくるパリ。さながら物語のキーである「樽」の移動を思わせるようなその展開はなかなかに面白い。

 物語のキーとなるのは遺体がつめられて移動した「樽」の履歴であり、その樽に翻弄されていく幾人かの人々の物語であり、樽こそが物語を語っているという側面は否めない。もっとも、それだけに樽の動きそのものが重要な位置をしめるために、このあたりがトリックの主眼のひとつともなっていて、展開の分かりにくさを生んでいるともいえそうだ。

 ただ、面白く読んだものの、いまひとつしっくりとしない読後感を持ったのもまた事実。それが何なのかなかなかうまく説明できない。それは恐らくいくつかの断片的なイメージを伝えることであるいは理解してもらえるかもしれない。

 第一にクロフツデビュー作ということで、恐れずにいえばこれはミステリではない。確かに謎解きの物語ではあるのだが、慣れ親しんだ読者が状況を推理して謎を一緒に解明していくたぐいのそれではないという意味においてだ。言ってみれば突如事件解明に向けて事態が進展し、捜査が進み、証拠がでてきという具合に展開し、そうとなってしまえばこの人物が犯人でしかありえないではないかという展開になる。

 読者はまったくなにもわからないままに物語を見せられていく。とでも言うような感覚。

 第二に、巧みではあるのだがそれがゆえにやや暴走気味な文章。妙に読者を気にして「ではここからは誰々の行動を読者と一緒に追う事にしよう」などといった文言がでてきたり、捜査にあたり警官らが無用になれなれしい言動で聞き込みをしたり、誰かの振りをして聞きだそうとしてみたりといった芝居がかった場面があまりにも多いというところも、どうもしっくりしないのだった。

 それはつまり警察署内などでの言動とのギャップが大きすぎるということでもあり、しかもそういうキャラクター造詣はありうると理解はしても、あまりに皆が皆という展開で、さらにはそれが極端であったりすることからどうも違和感が拭えないのだった。

 第三に、この物語には主人公がいない。そういうといかにも奇異に聞こえるかもしれないが、そうとでも言わなくてはならないような書かれ方がされている。冒頭、埠頭で樽をめぐるあれこれでは海運会社の担当者であるとか、事件の当事者となるフェリクスであるとか、さっそくに捜査に登場する警部であるとかがいりみだれ、最終的には警部あたりだろうかという感じにはなる。が、はっきり主人公といえる人物はいない。

 捜査のためにパリを訪れる警部。パリの警視と同行する刑事との捜査が中盤の長くをしめる。ここではこのふたりあたりが主人公という感じで描かれる。というよりもこのふたりが捜査していくことがすべてだ。

 そして、戻ってロンドン。捜査は一通り終わってフェリクスの犯行に違いないという結論から逮捕され、今度はその弁護にあたるために友人が弁護士を雇う。その弁護士があれこれ調べを進めるのがここ。描かれるのはこの弁護士を主軸にしたものだ。

 さらに、なかなか弁護のための決め手に欠くため私立探偵に調査を依頼し、部隊はふたたびパリに。これが最後の部分だがこの探偵が主人公となって調査をすすめ真犯人へとたどりつくまでが描かれる。

 普通ならばたとえばロンドンの警部が最後まで事件にかかわるような形で描かれて、結末を迎えるといったことになるかと思うのだが、そうではない。最後は探偵によって事件は解決する。しかもパリ警察が探偵に謝罪するなどというおまけまでついていたりする(理由があるにはあるが)。

 これという明確な主人公、物語をひっぱる役目の人物というのが存在しないがゆえに、どうも物語全体が散漫とした印象になってしまうのだった。

 第四に、アリバイ工作に関しても、確かにそういうものとして描かれてはいるのだが、さすがにそこまで簡単にそれが行えるものだろうかと思ってしまう。出来すぎなのだ。文書の偽造はプロなみなのだが、犯人はべつに前科者というわけでもない普通の市民だ。偽装工作にしても一介の人間がそこまで都合よく、上手にことを運べるものなのか、そこまで考えられるだろうか(計画的な殺人ではないがゆえ)と、あまりの都合のよさにいくら小説とはいえいささか飲み込みにくいものを感じてしまうのだった。

 と、いくつかケチをつけるような形になったが、ではつまらなかったのかというとそうではない。十分に物語の展開を堪能したのもまた事実だ。そうした気になる部分があるのは事実だが、一編の映画を見ているかのような時間を過ごせる面白さを持っているのもまた事実だ。これでもかというくらいに畳み掛けてくる状況は一級のサスペンスとして十分。そう、ミステリではなくサスペンスなのだろう。

 言ってみれば謎解きは付けたしでしかなく、ハラハラどきどきする展開を楽しむ。それが「樽」の本質的な楽しみなのではないかと。

 解説になぞらえるわけではないが、冬の夜、樽(カスク)由来かどうかはともかくとして、体を温める飲み物(スピリッツ)など手直においてじっくりとその物語の世界を堪能する。案外、それがもっとも正しい「樽」の楽しみ方なのかもしれない。


樽【新訳版】

  • F・W・クロフツ
  • 東京創元社
  • 987円
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書評

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一人息子

 小津安二郎の生誕何年だったかの特集で毎日ひとつずつ配信されていた中で見たひとつ。トーキー第一作だったと黒豆さんにも教えてもらったのだった。

 で、見ているとところどころで映像のつながりがよくない部分があったりして、気になった。特に息子の家を訪ねていってそこにあがってというあたりで、繰り返しになってしまうような奇妙な映像のつながりがあったりして、いやそこはさっき終わった場面ではとか思ったり、逆に場面がつながらないのではというところもあったり。

 また、音声がなく静止画が 1 分くらい流れるようなところもあって、さすがにこれもちょっとなあと思ったのだった。

 と、まあいろいろ苦労されているらしい跡が見えるのもトーキー第一作というあたりで許せることであるし、内容そのものはなかなかによいので瑣末なことではあるのだった。

 上田の製糸工場で必死に働く母親が、息子の学校の先生にそそのかされて(あるいは息子の見得が元で)東京に息子を出すことになり、田畑を売ってみずからは工場に寝泊りするようなつましい生活をしながら息子が立派に育つのを期待していたと。

 ようやく息子を訪ねて東京に出てみれば、息子は結婚して赤ん坊まで生まれたところという。しかし、就職は思わしくなく夜塾の講師をして糊口をしのぐ程度の生活。妻の実家は料理屋らしく多少融通してもらっているらしいが、それもそうそうというわけにはいかず着物を質にいれて母親の状況の世話に当てる始末。

 件の息子を「これからは東京ですよ、おかあさん」とか言ってそそのかしていた先生は、うどん屋のおやじになっていたという現実。確かに息子は立派な会社に勤めるとかでもなく、日々の暮らしはまずしい。自分はこんなことのために苦労したのだろうかと自問したりもするが、息子の誠実な暮らしぶりを知るにつけ、それはそれでよかったのかもしれないと気づいて帰っていく。といった話。

 親子の情や、口にはなかなか言えない状況であったり、現代にあってもまったく変わらない様子が描かれていて、確かに映像や内容そのものは古めかしいけれど、その根底にあるものは時代を感じさせないなとちょっと感動した一作ではあったのだった。

 撮影に使われた製糸工場は今も上田駅近隣に保存されているとも教えてもらった。線路からも見えているようだけれど、一度しっかり見てこようかなとも。


B00C2DX7H6あの頃映画 松竹DVDコレクション 「一人息子」
松竹 2013-07-06

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 パーセントを調べて処理しようとしていたら、どうやってもおかしな具合になって、変だなあと思いつつ、ひょっとしてあれか? と思ってから調べてみてようやく事態を理解したというわたしです。

 int a = 1;
 int b = 2;
 float c = a / b;

 とかやっていたら c が 1 か 0 のどちらかにしかならないようで。つまりは、

 float c = (float)a / b;

 とすればよかったらしく、あーなるほどと。やっぱり一度は入門書をきちんと読まねばだめだなあ、と反省。後々の自分のためにもこうして恥を記録しておこう。

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2013-2014 冬の黒豆一号

2013-2014黒豆一号


 2013 年のから 2014 年にかけての冬、黒豆第1号。ストーブの上で延べ四日。やや砂糖を控えめにしてほどよい柔らかさに。これで正月も大丈夫。

 気を許して年内に食べつくしてしまったりしないようにだけ注意しなくては。もっとも、乾燥豆はまだまだ確保してあるので、どうしてもとなればまた煮るだけではあるのだが。日数は必要だからな。

 市販の黒豆はやや固めで蜜づけしたタイプが主流かと思うのだけれど、あれだとちょっとしつこいねっとりした甘さになっているので嫌う人が多いのではないか、などとも。こうして手作りするとさっぱりとした豆本来の味わいが楽しめるので、ご飯のときも、お茶請けにもついつい手が出てしまうということになるのだが。

 基本ストーブに載せておけば完成するという作り方なので、もっとみんな作ればいいのにねえ。

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ライトニング・ストライク

 強烈な雷が走行中の車を追いかけるように落雷。道路に穴が開いたり木が倒されたり。しまいには車が中央からまっぷたつにされてしまう。乗っていた母子がなんとか逃げ出して木立の中に入り込むものの、雷はさらに襲ってきてまるで思考しているかのよう。そして子供は黒コゲに、母親は意識を失う。

 保安官らによって母親は保護されるものの、不思議な事件とは思うものの、まさか雷がそんなことをしたとは誰も思わない。そうこうしているうちに小さな町に強大な雷がやってくるという研究者の車がやってくる。一方で、町では町長がこの田舎町をどうにか売り出そうとしていてかぼちゃ祭りの準備に忙しい。町のイメージを悪くするので、そういう輩は近づけるなと保安官に言明。

 そのうちに雷かどうかは不明なものの、丸コゲになって亡くなる人が増え始めたり、あちこちで落雷とおぼしき被害がでたりしはじめると保安官もさすがにこれはおかしいのではないかと思い始める。町の安全のためには祭りは中止してはどうかと町長に進言するが、もちろん聞き入れるはずもなく保安官解任を言い渡す始末。

 実はこの強大な雷というのは通常のそれと違って謎の生命体によるもので、意識を持っているという設定。なかなか面白いのだけれど、なぜ人を襲うのか、殺す人とそうでない人があるのはなぜかといったさまざまなことはまったく不明なまま物語は展開する。

 なぜかその存在を予見していて研究している頑固な研究者が現れたりするのだが、いまひとつしっくりしない。どこから持ってきたのかという巨大な施設をにわかに作り上げて、雷生命体のもとにもぐりこむのだと言っている段階では、ただの気の違った研究者くらいにしか見えない。

 最終的にはなんとか被害が大きくなることだけは裂けられるのだが、結局それはなんだったのかとかというあたりはいっさい謎なまま。設定そのものはいい感じなのだが、イメージだけで作られたという感じでどうにも物足りない。せめて「トレマーズ」くらいにシンプルにやってくれたら、わからないままにも楽しかったのだけれど。

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デビッド・プライアー
アルバトロス 2010-07-01

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失敗の本質

 arton さんお薦めだったのでといっても今頃なのだけれど(お盆からすでに四ヶ月以上経過。と思ったのだが、探しても見つからない!なぜ?)ようやくにして読んだ。購入したのもしばらく経ってからだったし、いつものことながら寝る前読書でちまちまと読んでいたのでなんとか年内に間に合ったというすべりこみ状態。

 細かいことは抜きにして、おおざっぱに非常におおざっぱに言えば、つまりお友達日本軍が失敗の大本であったのだというところか。

 まず大本営が大本営として機能していない。関東軍に気を使って遠まわしに物を言ったりし、それに気を良くした関東軍は行け行けドンドンでわが道を突き進む。大本営は「空気を読め!」というばかり。「わたしの顔色を見て察してもらいたかった」などということを言っていたりするにいたっては、こいつらは何をしているのだと。

 別の場面では戦局が思わしくないにも関わらず、「いや、ここは強行突破すればなんとかなります」みたいなことを言っている仕官がいて、もちろんその上にさらに偉い人もいるのだけれど、「こいつがここまで真剣にやっているのだし、まあやらせてあげようじゃないか」とかいっている。で、結局作戦は失敗し、部隊はほとんど壊滅状態。ところが、そんな失敗を犯した人間がむしろ賞賛され、異を唱えたものが「いくじがない」だのなんだのと言われて職位を追われていくという不思議な軍隊。

 情報をきちんと役立てるということをせずに、自らの思い込みばかりで作戦行動を続けるとか、正気の沙汰なのか? と疑うのは素人にもたやすいことのように思えるのだけれど、そういう中にあるとそれすらも判断がつかなかったり、意見がいえなかったりという状況になってしまうのかもしれない。

 まさに今の日本社会もそういうことなのだなと思うし、日本人的な資質というものがそうした情に訴える家族的なものに左右されていて、正しい判断を見失いがちであるということを物語ってもいるのか。

 先日の NHK スペシャルで昨年の民主党自滅物語の舞台裏といった感じのインタビューを特集していたのだけれど、小沢さんが野田さんに間接的にこういうことを言ったというのだが、当の野田さんはそんなことは聞いてないという。察してくれよではダメだが、それがまかりとおっている。いかにも日本的。

 さらには、誰かのことで「これほどの熱意で訴えるのだから、やらせてみるべきと思った」みたいな発言もあって、ああ、やはりその本質うんぬんではなく、情で政治を動かしているのだなあとあらためて実感した。お友達内閣しかり。そうしてさまざまな情報がありながらそれを生かすこともせず、自らが妄信する道だけをまっしぐらに突き進む。当時と今とまったく変わりなどないではないか、と空しく思うのだった。

 恐らく政治家がこの本を読んだところで、なんの益もないのだろうと思う。つまり彼らはそれはそれとして自らに都合の悪いことは捨て去る、忘れ去ることに長けているわけだから、そんなことに耳を傾けることなどあるはずもなく。結局日本の政治も社会もあの大戦から根本的なところではなにも学べずに今もあるのだということかと。

 いずれにしても、少なくとも我々はこうした本をきちんと読んで、きちんと理解しておくことがまず重要で、そこからよりより選挙へと持ち込むしか道はないのかもしれない。難しそうだけれど。

 ということで、 arton さん、ありがとうございました。(うーん、arton さんじゃなかったのかなあ(^^;)

日本軍が特定のパラダイムに固執し、環境変化への適応能力を失った点は、「革新的」といわれる一部政党や報道機関にそのまま継承されているようである。すべての事象を特定の信奉するパラダイムのみで一元的に解釈し、そのパラダイムで説明できない現象をすべて捨象する頑なさは、まさに適応しすぎて特殊化した日本軍を見ているようですらある。さらに行政官庁についていえば、タテ割りの独立した省庁が割拠し日本軍同様統合機能を欠いている。(P.396)
4122018331失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
戸部 良一 寺本 義也 鎌田 伸一 杉之尾 孝生 村井 友秀 野中 郁次郎
中央公論社 1991-08

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河野さん、ブログやめるってよ。

 河野さんがブログをやめられるという。確かに今年になって更新の頻度が極端に減っていて、いや減ってというか片手で数えられるくらいになっていて、意欲が減退しているのだろうなと。もちろん Twitter には流れているし、攻城団のサイトはなんとか仮オープンにまでこぎつけたし数年単位くらいで興味や立ち位置とでもいうものが変化していくようなので、そうしたもののひとつなのかなとも。

 ご本人いわく、10 年続けてきたのでこのあたりで一区切りかなと。河野さんのブログを知ったのは bk1 の偉い人のブログの頃で、いろいろな不具合とか問題対応をすばやくブログを通じて行っていたというのを知って、そのあたりからだったろうか。以来、場所や形が多少変化しつつという動きも含めてみさせてもらってきたのだったなあと、こちらも少し感慨深く思い出したり。

 とはいえ、Twitter にしても一時停滞されていた時期があって、もう Twitter はいいかなとか言われていたものの、ふたたび面白みを感じて今にいたるということもあるわけで、ことによればまたふいに再開されるなんてこともあるのかもしれない。

 もちろん、続けようがやめようが、はたまた再開しようが、それはその人の思うがままでよいのだし、誰に強制されるものでもない。今後はまた違った場所、違った形が見られる、それもまた楽しみということで。


 ついつい「立ち止まった素描画(デッサン)」を思い出してしまう。(ジャケット写真は LP のほうが好きだなあ)

B00024Z7XE夢供養 プライス・ダウン・リイシュー盤
さだまさし
フォア・レコード 2004-06-29

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冬至(でも、すでに冬)

冬至かぼちゃ


 冬至なのでかぼちゃ。といってもあまりの寒さもあっておとといあたりに煮てしまったのだけれど。ファンヒーターではなくストーブを使っているとこういう時にはとても重宝なのであった。なんとか食べ過ぎないようにと気をつけつつ今夜食べれば終わるかという分量。

 冷凍かぼちゃなのだけれど、いろいろな個体が混ざっているせいなのか、はたまた同じ個体であっても場所によるばらつきというのもあるものなのか、煮え方に多少のばらつきというか、ほっくりした感じのものと、やや固めのざらついた感じのものとが、どうしても共存してしまう。とはいえ、この手軽さには勝てない。

 昨夜はみぞれがいくらか降った程度で幸い雪かきが必要になるようなことはなかった。やや冷えたので(といっても 0 度をほんの少し下がっただけ)みぞれがバリバリに凍ってしまったので朝方は結構大変だったかもしれない。それでも時間がたてばすっかり融けてくれたので問題なし。

 ただ、晴れ間が出ていたと思ったら、午前中には一時あられが降ったりして。かと思えばその後またよく晴れて午後には雲がほとんどないような晴れになっている。猫の目のような忙しい天気の冬至。

 ゆず湯はないけれど、まあゆっくりする。

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この冬はじめての積雪

雪は積もる


 早朝にふと目が覚めたらなにやらいつもより静かな新聞配達の車の音。ハイブリッドとかそういう奴なのか、と思いつつトイレに起きるといやな予感。雪明かりがする。外を見ると積もっている。とはいえ、まだ5cm 程度でもあるし、土曜のことでもあるので、まあよいかと普段通りに。

 その後雪かきをして(結局気象台発表で 12-17cm くらいで、実感 10cm 弱くらいだった。湿っていて朝方のまだ夜も明けない時間帯はしきりに降っていた。

 そんな天気だったのに、雪かきをはじめたら晴れてきた。これはいけないと急遽洗濯もはじめる。よしよしと思っていたら午後になった途端に雲がでてきて雨になってしまった。やむなく洗濯物は取り込んで久々に除湿機の出番。

 うーむ、今朝の雪はなんだったのか。

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本堂前、敷石工事中

本堂前の敷石工事中

 先日善光寺をたずねたところ、本堂前の敷石を並べなおしているのに出くわした。おおみそかに間に合うのかしら? などといういらぬ心配もしたのだけれど、よくよく見ているとこれは大変な仕事だなあと感心したのだった。


本堂前の敷石工事中2

 歩く面はもちろん平らに削られているのだけれど、反対の下側はでこぼこなまま。これを表面が平らになるように並べていくのは大変な作業であるなあと。特に時間の変化で部分的なでこぼこが多数できてしまうだろうから、それをまた直さなくてはならず。まあ、だからこそ年末までにということで作業されているのだろうな。

 とすれば当然数年に一度といった頻度でやり直す必要があるわけで、参拝者も多い善光寺では結構な頻度になるのかもしれない。

 この全面を平らに整形しないというのはなにか理由があってのことなのだろうか。そのほうが強度が高いとかなにかあるのだろうか。それとも単に手間を減らしているだけ、とか?

 いずれにしても雪が積もってしまうようになる前に終わっていることを願うばかり。そろそろむしろを敷いたりとか本格的な冬支度になるはずでもあるし、なかなか余裕のない工期なのではなかろうか、などとまたいらぬ心配をしてしまうのだった。

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パニック・スカイ

 やんちゃしたい盛りの女の子が空軍だかのおえらいさんのパパに黙ってプライベートセスナをレンタルして友達を連れてフライト。男友達ふたりがバンドでもやっているらしく、その会場まで飛行機で送ってあげるわよ的なことらしい。ついでにということか女友達ひとりと、最近つきあっている彼もさそって乗り込む。ところがその彼はなんだか飛行機に乗ることに気が乗らない。

 それでもどうにか飛び立つがしだいに天候が悪化してきてさて困った。さらには操縦がきかなくなってどうにもならない。なにかがはさまってしまったのか操縦菅が下がらないために機は上昇を続ける。機内はどんどん寒くなっていく。短時間のフライトと思っていたのでなにも持っていないし、暖房の設備もないか、使えない。

 どうやら尾翼のほうでなにかひっかかっているらしいからと、岩登りが趣味のバンドのひとりがザイルで体をしばって見てくるという話になる。もうひとりがザイルを持って支えるのだが、乱気流がひどくてうまくいかない。どうにかはさまっていたものは取れたらしく、操縦ができるようにはなったが、男の子を機内に戻すことがうまくできない。このままでは自分まで死んでしまうと思ったもうひとりがザイルを切ってしまう。

 実のところそれ以前からなにやら奇妙な音がしているような気がしていたのだったが、それがどうやら謎の生き物らしいということに気づきだす。奇妙な巨大な化け物が空にいて、そいつが飛行の邪魔をしているのではないかと。やがてその姿があらわになって飛行機を遅いはじめる。

 ところがどうやらその化け物は最近付き合っている彼、飛行機になにか嫌な思い出があるらしい彼の想像から生まれて実体化している化け物ではないかということがわかってくる。彼は幼い頃に両親と飛行機に乗っていて事故にあった。その飛行機を操縦していたのが、実は彼女の亡くなった母親であったのだと。

 そういえばあの時も僕は怪物の本を見ていて、飛行機が襲われるような妄想をしていたと気づく。その話を彼女にしていて、じゃあれはあなたの妄想が産んだ現実だというの? といった話に。「空の中」かと思ったらとんでもない C 級的な展開になってくる。

 さあ、どうする。妄想をやめられれば化け物はいなくなるはずだ。みんなを助けるためになんとか考えないようにするのよ。しかし、すでに残っていた男友達もそして女友達も怪物の餌食になって命を落としてしまっている。どうするのだ。

 という物語。

 いっそ、もっと早くからその妄想の産物であるというところを生かして展開させていたらよかったのではと思うのだけれど、最後のほうになっていよいよという展開でわかる。そしてさらに最後の展開は SF 的なパラドックスにまで発展してしまい、一体どうしたいのかと。

 妄想が現実化していたという発想そのものは使い方によっては面白いと思うのに、うまく生かされていないのが難点。そこを我慢すればそこそこ楽しめる映画ではある。

#安易すぎる邦題はもちろんダメだ。原題は「ALTITUDE」。それもなんだかなあ。

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トイレの配管修理(パッキン交換)

 冬場になると寒さのためかトイレのタンクへとつながれたパイプの継ぎ手から水がもれるのだった。ぽたぽたという程度で困るということでもなく、といっていずれは直さなくてはなあと思っていたのだった。ただ、夏場になるとピタと止まってしまうのですっかり忘れてしまい、冬になって「あっ!」と思い出すのだった。

 さすがにいい加減やるべきだなとやや重い腰を上げることにした。見たところシールテープも使っていないのでそのあたりで大丈夫だろうと当たりをつけ、室内のバルブだけ閉めて配管を外してみる。パッキンがずいぶんヘタッているようにも見えるけれど、ひとまずはシールテープだということで手持ちをくるくると巻きつけてからナットをはめる。よし。

 そして水を流してみるのだが、やはりどうももれる。しかもよく見るとどうやらバルブのあたりからももれているようだ。これは明らかにここのパッキン交換も必要か、ということで、パッキン類を購入することにして仕切りなおし。

 ホームセンターで見ると、思いがけずトイレの給水管のパッキンセットなるものがあった。いや、よくよく見ると実にさまざまな箇所の必要部品をセットにした小物が多数置かれていたのだった。なるほどこれならわかりやすい。ということで、当初手に取った単品パーツを棚に戻す。

 給水管のセットとバルブのパッキンとを購入して交換。今度はバルブもあるので外の元栓も閉める。そうして各所のパッキンなど交換してしっかりと締めなおし、元栓を開けて開通の儀。さすがに今度はまったくもれる気配がない。よしよし。

 ということでようやく懸案がひとつ片付いたのだった。このくらいことはさほど面倒ではないし、料金としても数百円程度なのでいちいち業者さんに頼むまでもない。いや、頼んでもよいのだし、でないと業者さんも困るので苦手な人とかは頼むのが懸命。

 ふと、むかし昔のラジオ英会話のスキットで、家庭のあれこれを修理するマニュアル本を見ながらなにかしているという話があって、そこで「まだどこそこの部分までしか読んでないんだよ」とかいう台詞があったのを思い出してしまった。トイレとかの配管あたりの話だったはず。

 いや、それが何? といいうわけではなく、ただただ思い出してしまったということで。まあ、自分であれこれするのは楽しいですよと。それがなんであれ。

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アスペルギルス・オリゼ

 NHK スペシャルで「和食 千年の味のミステリー」。またぞろ無形文化遺産になったからというちょっとよいしょっとする番組なのかと思っていたら、まったく違ったのだった。和食の根幹をなす米こうじのお話だった。

 なんだ、米こうじか、といささかがっかりしながら見ているとなにやらただならぬ展開に。米こうじは日本にしか存在しないとか。さらには核が複数あるのが特徴で、なかには 10 個もあるものがあるとか。それでいいのか生物学! という素人考えでの驚き。

 いわく。核が複数あることによって強い生命力を持っているとか、似た種類のアスペルギルス属はあるのだが、それには毒があると。ところが米こうじにはその毒を作る部分の遺伝子がなくなっているのだとか。恐らくは古来から日本で選別されてきた過程のなかで、毒の遺伝子を持たないもの、そして突然変異的に現れた複数核を持つ優秀なものが残ってきて今日のような米こうじが残ってきたのではないかというのだった。

 種こうじもやしというのを扱う業者さんがあって、もはや数えるほどしか残っていないのだというけれど、一子相伝で受け継がれ、全国の醸造元などに卸しているのだとか。そこがなくなればもうダメというのは怖いような、すごいような。米こうじの種を種もやしというそうで、なにやらいろいろ不思議な世界がまだこの国には残っているのだなあと、ちょっとうれしくもなる。

 和食の出汁をどうこうなんて話は基本なくて、そのための材料や米こうじをめぐるあれやこれや万歳の時間で実に面白く見た。宣伝ででてきた松たか子はほとんどあてみたいなものだったが(ナレーション役ではあったのだけれど)。

 確かに「花咲かじいさん」というのは、こういう元々だったのかもしれないなあ。和食のような繊細な料理は世界のどこにもないと自負してよいのだろうなとあらためて思っていたり。


 オリザといったら、やっぱりこれよね。

B000J7VU62十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本 (1981年)
平田 オリザ
晩声社 1981-09

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木枯らしという蟲笛

山は雪


 風は北風。山は雪。

 王蟲、お家へお帰り。

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ボイスメール

 売れない脚本家。売れないので学校で脚本について教えている。いや、それはちょっと矛盾する。いや、売れないという理由がわかれば、それはそれで生徒たちには有益なので意味があるともいえる。

 ある日留守番電話に奇妙なメッセージが残されている。見知らぬ人間からですぐにここへ来てくれないと殺されてしまうというようなもの。いたずらかなにかと思って消してしまう。ところがなにやら事件が起きていて、さらには自分のすぐそばで転落死体がという事件にも遭遇。メッセージがあるはずだと刑事にいうのだが、帰宅してみるとメッセージは消えている。

 次第に警察はこの男こそ犯人なのではないかと疑いはじめる。さらに電話がやってきては事件にどっぷりとつかりこんでしまう男。犯人にいいようにあやつられてついには元恋人?を殺害しようとしているかのように演出されてしまう。

 友人の男性、好意的な女生徒などなど怪しいと思われる人物はいるものの、なかなか事件の背景も手口も見えてこない。ということで中盤までのドキドキ感は実によい感じにできている。

 が、最後に犯人だけははっきりするのだけれど、その手口や犯行動機についてはどうにも弱い。というか手口についてはまったく明らかにされないまま終わってしまうので消化不良感が非情に強く残ってしまう。サスペンス感は満点なのに。その狂気の部分がまったく闇の中ではどうにも面白みが半減してしまう。

 そもそもボイスメールという邦題ではあるものの、実際には留守電ばかりなのでメールという感じではないのでこの邦題もいささかとんちんかんなものになってしまっている。携帯電話だかを使ったサスペンスシリーズの三本の最後らしいのだけれど、詰めが甘いのが難点で、他を見ようかどうか悩むところ。

B007C91V64ボイスメール [DVD]
オデッサ・エンタテインメント 2012-05-02

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「安全性が確認できません」

 [ 【悲報】Firefoxでハロワにアクセスすると「接続の安全性が確認できない」と警告が表示される件 : ガジェット2ch -2ちゃんねるまとめ- ]

 また期限切れとかなのかなあと思っていたのだけれど、数日して閲覧できるようになったら案内があり、それによれば「 Firefox のバカが対応しないからあんたがこの証明書ダウンロードしてインストールしなさい。ただし、正しいものでない可能性もあるからフィンガープリントを確認しなさい。いいわね」みたいな話である。(語調は意訳です(^^;)

Hellowork1


 しかし、そういうのって個人がわざわざやらなきゃいけないのだろうか、などともよくわからないまま思っていたのだった。Firefox 側の対応が遅かったからという話もあるようだし、いやいや GPKI 側に問題がという話もあるようだし、実際のところどういうものなのだろう?

 いずれにしてもユーザー個人個人に対処しろというのは、当座の措置とはしてもなんだか違うような気がしないでも。

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バツテリー

 携帯電話のバッテリーがどうも怪しくなってきた。というか挙動不審になってき。というよりも理解不能になってきた。

 おおよそ三年くらいにはなるのだが、今回はまめに記録してみたので充電回数がわかる。およそ 200 回というところで異変が起きてきた。表示では 50% くらいはあるのだが、ふいに「バッテリーがもうない!」とアラートを出して電源を落としてしまう。それではと充電しはじめると 30 分もたたないうちに完了しているのだが、確認するとまだ 20% 程度でしかなかったりする。

 寒くなってきたのでそういう影響はあるのだろうとは思っていた。実際寝る前に 70% くらいあって問題ないと思っていたらよく朝アラームがならないので見ると電源が落ちている。まあ、室温が 10 度を切るのが常態である冬場では無理もないかと思っていたが、どうもそうとばかりはいえない様子も。

 夜になってメール送信するとバッテリーがないといってまた電源を落としてしまう。そのメールははたして無事に送信できたのだろうか? と不安に思いつつも充電を開始する。が、すでに寝ようかという時間になってしまうので、ほんの 30 分ほど充電しただけ。表示では 20% 程度になっている。これは翌朝にはすぐに充電しなくてはなるまいて。

 ところが朝になって充電を開始するとすぐに FULL だといって充電をやめてしまう。ケーブルを外すと 80% とか表示する。充電すると FULL とでる。おい!

 こうなってくるとはたして本当にどれほど充電池が使えるのかわからなくなってくる。そういえばジャンパーのポケットにいれて 30 分ほど買い物にでかけ、帰宅して取り出すと電源が落ちているということが何度もあった。寒さでというにはあまりに貧弱。

 といって説明書にあるような充電地の異常を知らせるサインは出ない。けれども明らかにこれはおかしい。少なくとも正しく充電容量を認識できなくなっているとか、そういうことはあるのだろうなと。ここひと月あまりで急速におかしくなってしまった。

 おおむね充電池は 300 から 500 回くらいは充電可能なはずなのだけれど、ちょっと無理なのか。いや、リチウムイオン充電池は常に充電しているくらいがちょうどよいのかもしれない。どちらかというとおおむね使い切ったら充電というサイクルでいたのだけれど、200 回くらいまではそれで問題なかった。しかし、ここへきての変調はやはりそのあたりにも原因があるのかもしれない。

 ニカド充電池であればメモリー効果があるので、おおむね使い切ってから充電が正しいはずなのだが、どうやらリチウムイオン充電池では半分くらいになったら充電するといった使い方でないと劣化が早いのかもしれない。いや、あくまでも想像でしかないのだけれど。

 もう少しなんとか使えたらと思っていたのだけれど、案外早々に充電池を購入して交換するよりなさそうな気配にもなってきた。普段はまったくといっていいほど必要がないのだが、本当に必要なときに使えるかどうか不安ではどうにもならないからなあと。

 まことに充電池というのは気難しいものである。夜鳴きマックの例といい。今現在 80% というが、おまえ本当はどれほど充電されているんだい?

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ダークサイド 悪魔の力を手に入れた男

 アメコミ好きで割りとおくてで冴えない感じの男性が、社内でふと目にしたある男性社員の行動。どうやら彼は念動力を持っているらしい。超能力大好きなのでその彼に接触を試みて、君のその力をもっと有効なことに役立てるべきだ、わたしの特訓を受ければね、みたいなことを言い出す。

 どう間違ったのか能力を持つ男がその話に乗ってしまい、ヒミツのトレーニング。やがて念動力を自在にあやつれるようになる。本来それは人助けに使うはずという予定であったのだが、やがてどこかで道が狂ってしまい、男はその力で殺人を犯してしまうまでに。警察に捕まってはしまうものの、男にはそこから出ることなど造作もないこと。

 というところで終わる映画(というかテレビ映画という感じの作り)。

 なによりも欧米でよくある、おせっかいが過ぎるキャラクターが非情に善良に描かれているあたりがどうも好きになれない。親切も度が過ぎれば迷惑でしかないし、さらにそれが過ぎれば犯罪的になってくる。(どうしてこんなにわたしがあなたのことを思っているのに、なぜ? なぜ! という展開)

 内容は特にこれというほどではなく、闇の力を手に入れたというほどでもなく(確かに常人にはない能力ではあるけれど)、たいていそうした物語では悪いことに手を染めてしまいがちというのも、まあ王道。まさにアメコミ的な展開で、しかも警察から抜け出ようかというところで物語りは終わる。続きがあるのだろうなと思うのだが、残りはどうぞテレビでやってくださいという感じでしかないのだった。

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トランスワールドアソシエイツ 2011-06-02

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ヒミツの恋愛トレーニング

 とある田舎町のホテルなのかで魅力アップの教室をはじめる女性。スーパーのレジ打ちのおばちゃんやお姉ちゃん、ウェイトレスさんなどなど、若いところからかなり年配ではというあたりまで数人が集まってくる。おかまバーでショーを見せている男性もひとり。そしてそのホテルだかの支配人とまではいかないのか、ちょっと役がついたという女性も参加。旦那がいる人はもっと旦那との生活にときめきたいという感じ。若い女性は相手がいないので、このさい学んだ技術で玉の輿狙い?

 はじめは特に奇妙にも見える教室の授業などがちょっと辛い感じがしてしまう。それでも、あいまあいまに見えてくるそれぞれの生活や事情がわかってくると、なんとなくどこか微笑ましいようにも思えるし、あくまでもそれはきっかけにすぎず、自分自身がなにか変わろうとしている理由付けでしかないのだなという感じに見えてくる。

 旦那のほうはというと、特にホテルの女性のところは車偏愛者で車には情熱を注ぐが、妻にはたいして目もくれない。それでいて自分が妻から見放されていると思っていたり、妻が自分をひけらかしているだけに見えていたりする。あー、自分の世界にこもっていて妻は家政婦さんかなにかのようにしか思っていない人というのはいるよなあなどと思いつつ。

 一方で、年配の夫婦。休みの日にゴルフに行くという夫。それを引きとめようとする妻。いろいろ文句を言うが、だったらといって部屋に戻って壁の写真を指して「これは誰だ?」と妻に尋ねる。自分だとか子供だとかあれこれ、そんなことわかっているでしょ? という返答をしていく妻。「で、俺はどこにいる?」と、夫。ここだよと開けたのは引き出し。その中に夫の写真だけがはいったまま。「俺の扱いなんて、こんなものさ」と日ごろの鬱憤をぶつける。「そんなことで怒っていたの?」とかいう妻なのだが、それはちょっとと。

 ま、そんなこんな。そうしているうちに実はその教室の教師をしていたのが、地元でうだつのあがらなかった女性だったことが判明し、都会でちょっとしゃれた感じに変身し、戻ってくる直前に受けた同じ講義をそのまま実践して稼いでいたとわかると、生徒ががっかりしてしまう。さらには置き去りにして逃げ出してきた夫がついに居場所をつかんで現れたところですべては終わり。

 いや、それで終わりにならないのがよいところで。教室の女性たちが集まって男たちへの報復作戦を展開するというあたりからが楽しい。前半のもやもや感が少し残念な感じがするものの、総じてはなかなか楽しい映画かなと。

 しかし、この邦題も直接すぎるわりに実際にはヒミツってわけでもないので、もう少しなんとかならないものかと。

B000VO0136ヒミツの恋愛トレーニング [DVD]
タキ・コーポレーション 2007-12-07

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情弱なるもの、ヒト

 NHK スペシャルで「真珠湾攻撃の謎」を見る。どんなに秘密でもきちんと後年公開される(墨塗りなどなく)というのが本来の成熟した国家というものの姿なのだろうけれど、はたして日本という国は例外規定ばかりつくりたがっていて、本質をいつも見失ってしまう。

 第二次大戦中に各国が熾烈な情報戦を行っていて、あちこちにスパイを潜入させていたなんてところは、まあそういうものだろうという認識だけれど、チャーチルの狡猾なメディア戦略であるとか(南部仏印進行計画を知ったものの、直接ではなくアメリカメディアにリークすることで、「メディアで知ったのだが」と在日大使に言わせるといったこととか)、まあなんとも日本のお粗末さと諸外国の巧みさの違いをこれでもかというくらいに思い知らされる。

 日米開戦に際してもアメリカ駐在の武官らからは、アメリカと戦争してはいけないといったメッセージが発せられていたにもかかわらず聞く耳を持たず、自分たちが決めた事をなにがなんでも進めるという意識しかない。変化する状況をつねに把握してそれに応じて対策を練るなどということが一切ない。

 一方でアメリカでも対日強硬派が実際には問題のないという報告を、自らの信念と猜疑心とで誇張し、あるいは妄想し? ルーズベルトに誇大な進言をして開戦へと導いたこととか、これもまた人の愚かさというか情報を情報として正しく扱えないというか。つまり、どんなに詳細な情報を手に入れたところで、それを実際に扱い処理する人間が公正でない限り、それはなんの意味も持たなかったりするということなのだなと。

 ちょうど「失敗の本質」をちまちまと読んでいるところで、日本軍の人情的な行動であるとか、情報をきちんと把握処理することができない体質であるとか、陸海軍がまったく連携などできずにそれぞれがそれぞれの勝手で行動しているところが大であったりとか。大本営がまったく主導権を持たずに、空気を察して欲しかったみたいなことを誰もが言うような中にあっては、なんと愚かな戦であったことかと。

 そうしてただただ猜疑心にとらわれていく一部の権力者によって、この国がどうなっていったのか。あの戦争になにも学んでいない現在の政治家たちを見るにつけ哀しさと怖さと。たまたま 12/8 だからという内容でしかなかったとは思うものの、なんというタイミングのよさ。戦後レジームからの脱却というのは、つまり戦争を禁じられてきた戦後をもう終わりにしたいという暴君の夢の実現ということなのだろうか、などとも思ったり。

 積極的平和主義というなにやらわけのわからない言葉は、つまり平和のためであれば既存の平和をぶち壊すこともいとわない。それがわたしの目指す平和の形でありさえすれば、ということなのだろうか。

 などとなんとも背筋の寒い思いをする番組であったなあと。

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ふくら雀

ふくら雀


 なにやらちらちらと見え隠れする姿があって、なにかと思って見るとまるまると太った雀が雨どいのあたりでかくれんぼしたりしている。で、自宅のあたりではちょっと考えられないのだけれど、人がいても一向気にする気配もなく、数羽でずっとそうして雨どいにもぐりこんだり、上に出てみたりを繰り返しているのだった。

 人里の野鳥とはよく言ったもので、それでも多くは人の気配には敏感でささっと逃げてしまうものなのに、さすがに徳のある人が集まる場所なためなのかどうかはわからないけれど、雀にしても鳩にしても人を怖がることもなく。それはそれで困ったことのようにも思わないではないのだけれど。

 平和である、とはいえるかもしれない。予報ほど気温があがらずに、やや強い風が冷たい初冬を感じさせる日和だったなあ。

「さぶい!」


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ぽわぽわ

冬芽の綿毛


 大雪を過ぎたものの、幸いにしてこのあたりにはまだ本格的な雪はなし。とはいえ、ここ数日ですっかり付近の山の頂付近が雪化粧。雪曇の日もにわかに増え始めているのは確かなところで、来週の寒気による寒さがちょっと気がかり。

 ということで、今年はちょっとうっかり気味に忘れていた水道管のヒーター設置を。通年差込放しという家庭も多いようだけれど、それでも通電されているという事実はあまりうれしくない(と思う)。特にこの時期は暖かい日もあったりするので、気温によって使ったり使わなかったりしていたりも。まあ、面倒なので、この先冬場はそのままでもよいのだけれど。いずれそうなる。

 木の芽はすっかり冬支度。ぽわぽわの冬毛にまとまれて、さながら筆先のよう。もうすっかり春を待つ準備は整っているのだなあ。

 さ、冬支度、冬支度。

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灯油価格が大台に乗った

 灯油価格がとうとう 1 リットルあたり 100 円になってしまった。この冬は下がりもせずあがりもしないのではという観測があったのでやや油断していたら、むしろあがってしまったか。以前からは 2 円の差でしかないとはいえ、それでもあまりうれしくはないなあ。

 ということで xlsgrep で昔の値段など検索してみると、2005 年くらいは 50 円ほどだった様子。その後徐々にあがっていってここまできてしまった。日本は特に諸外国よりも高い単価で買わされている原油なので、余計に理不尽な感じが残ってしまう。

 極力使わないようにしてはいても、死なないためにはある程度使わざるをえず、オフィスでの暖房温度とかテレビのスタジオ内の暖かさとか見ると、なんともやりきれない思いも。

 中東情勢も不穏なままであるし。電気代もますます高騰するのであろうなあ。複雑な意味で寒い冬になりそうな予感。

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「コトバのない冬」に言葉を失う冬

 「高岡早紀さん、好きです><」という映画。

 全体としてはイメージビデオというにふさわしいところで、映画としてはその脚本も演出もどうも中途半端にすぎる。物語としては父親から親戚なのだろうかまで届けるように頼まれた薬を届ける(父親は薬剤師をしているらしく、薬局を経営しているようだ)。普段彼女は牧場で働いていて車も運転するが、なぜかその日はバスで行ったらしい。しかし、天候が変わってしまってやや吹雪くような天気に。バスはなかなかこない。田舎では数時間に一本というのも当たり前。

 バスを待っているところに現れる男性に声をかけるが、要領を得ず、どうやら口がきけないらしいとわかる。なんとなく時間を待つあいだに彼がいる休園中遊園地らしきところに案内され、そこで時間を過ごす。しばらくしてバスで帰る。

 なんとなく気になったのかまたそちらに向かってみたり、文字で会話したりするようになる。

 場面が急に変わって気づいたら彼女は病院にいる。牧場にいてなにか事故があったらしいとはわかるが詳細は不明。最近の記憶を失っているらしいという話になる。彼のことも思い出さない。彼のほうは連絡してと渡された電話番号に電話しようとするが、言葉がでないのでは電話しても意味がないとやめてしまう。

 といった映画。うーん、渡部さんが監督をしているのだけれど、なにを描きたかったのか。ゆらゆらと極端にゆれ、さらにあちこち興味のままに向けられるカメラワークを素人仕事と評している向きもあるようだけれど、おそらくこれはそうではなくてドキュメンタリーっぽさを狙っているのだろうとは思う。

 そもそもの会話とかが脚本などはなくて、撮影ではない日常的な雰囲気を重視した雰囲気になっている。さながらホームビデオでも撮っているという雰囲気。ただ、では、それが意味をなしているのかというと、そうではない部分もあり、そのドキュメンタリーっぽいところが生かされるような状況もないし、なにより必然性がない。

 悪くいってしまえば素人監督がなんとなくこんな映像撮ってみたらスゴクない? というような感じで作ってみましたという同好会的な映像の羅列なのだ。ゆえに、イメージビデオとしてはそれなりによいかもしれないけれど(一切音声がなければ。実際無音の場面も冒頭には多く、テレビ放送ならば放送事故かと思うほど)、映画としてはお世辞にも褒められないしろものではないかと思う。

 それがなぜか世界では絶賛されたような話なのだが、それはもう映画そのものではなくプロデュースの力といったところなのではなかろうか。

 物語の展開にもなにかあるというわけでもなく、つながりすらあいまいとなってはもはや映画としての体をなしていないのではないかと。いっそ、高岡早紀のイメージビデオとして作り直したほうがよほどマニア受けするのではなかろうかと。いや、あるいはそれは監督である渡部さん自身がそうしたいのかもしれないし、個人的には例のホームビデオ的な映像だけを集めてコレクションされていたりするのかもしれない(失礼)。

 男が言葉を発せない事情などもわからないし、その必然性も物語からは見えてこない。

 触れ込みのわりにはあまり見る価値を見出せない映画ではないかというのが、残念ながら大勢をしめる映画ではなかろうかと。

 あ、音声レベルが低すぎるのも困ったもの。PC 側の音量をほぼ最大にしても小声の部分は聞き取りにくかったので。

 なるほど、見たものが言葉を失う映画であった。

B0041EPT8Yコトバのない冬 [DVD]
角川映画 2010-11-25

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シャッフルとカット

 冬とか正月とかこたつでトランプといったことも昔は多かった。日本だと「トランプを切る」という表現をして、まあはさみを持ち出してしまうような子供があるいは今ならいるかもしれない。英語だとシャッフルというところかと思うけれど、トランプ(カード)の世界で言えば、そこにカットが加わる。

 カットはごくごく簡単な混ぜ方で、たとえばトランプ1組を片手に持って、空いた手でその中ほどで分けて上側を取る。それを机の上に置いてから残ったカードをその上に載せる。これで二分割のカットができる。

 同様に三つにするともう少し細かく混ぜることができる。上から三分の一程度を取り除いて机に置く。残りの半分ほどを取って今の(上)部分とは別に横に置く。最後の下部分を(中)の上に置いてから、はじめの(上)をさらに載せる。中、下、上という順序でカットされる。

 もっとも、この場合は単純に上、中、下と積んでいってもそれなりには混ざる。

 考えてみると、トランプを切るという作業をするときの動作は基本的にカットを細かく行っているという感じかもしれない。片手にトランプ1組を持って全体を少し斜めにずらしておく。そうして上から少しずつ空いた手に移動させていく。数枚程度の小さな山にしてそれを積み重ねているというイメージ。

 一方でシャッフル。マジシャンとかがよく見せてくれるちょっとカッコいい感じも。基本的にはカードを半分に分けて、その両方を少しずつ交互に落とすようにしていって全体を混ぜ合わせる。より細かくという感じはあるけれど、カードゲームではカットとシャッフルを適度に組み合わせて切ることで、ほどよく混ざり合うとされているのだった。

 カードになれた人だと片手でシャッフルしたりもできるのだけれど、まあそれはある意味格好つけるためのものでしかないかもしれない。マジックとかでショートして見せる必要があれば、それはそれで絵になるのだけれど、普通はそんな無茶なことをすることまではない。いや、昔ずいぶん練習はしたのだけれど。

 と、今回カードゲームアプリを作るにあたって、シャッフルについてあれこれ考えたりしたので、ふと思い出したところを記録しておこうかと。

 まあ、リアルカードを手に持って時間をあまり気にせずにゆったりプレイするのもまた楽しい。移動中ならばスマートフォンアプリとかが便利だろうけどねと。

 [ K算しようぜ! - Google Play の Android アプリ ]


 絶版かと思っていたら、まだあるらしい。お薦め。

4022921374トランプ ひとり遊び88選
野崎昭弘
朝日新聞出版 1990-12-20

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アラビアン・ナイト

 E テレ「100 分で名著」でアラビアン・ナイトだった。終わってしまってからだけれど、ちょっと書いておく。一回目でとにかくびっくりさせられて、シェヘラザードもすごいがアラビアン・ナイトもすごいと感心。誰が書いたのかも分からないし、そもそもどれが本当にアラビアン・ナイトを構成する物語群なのかもさっぱりわからないという現実。いや、まさかそんなこととはつゆ知らず。そうだったのかあと。

 はじめに翻訳されたのは 200 あまりの物語だったそうで、どうもこの時点ですでに勘違いがはじまったらしく、原題が「千夜一夜物語」でもあり、王様に殺されてはたまらないとシェヘラザードがたくみに寝物語として語り続ける形態から、それなら当然 1001 夜分の話があるに違いない。ということで、探し探して適当にくみ上げてしまったとか。

 しかも、これがさらに後々の編纂者によって追加され、構成されて、なかば強引に 1001 の物語に作り上げられて(と考えるのが、まあ妥当なのだろうなと)しまい、さらには、そうしたものがいくつか存在するというのだから。

 そもそも一夜ごとに分割などされていなかった話を集めてきては、強引に適当なところに区切りをつけて編集してしまったりともう本末転倒な感じに作り上げられていたとは驚き。

 とすれば、一番はじめに翻訳されたものこそが、あるいは真実に近いアラビアン・ナイトなのではないのか? とも思うが、さて、どうなのか。

 などという思いも漂いながら、女たちのたくましさや賢さや、さまざまな物語が重層的に語られていくさまを堪能した番組なのだった。

 そうした歴史をもつからこそに、その物語の結末にしても自由奔放に作られているということで、1001 夜目にシェヘラザードが子供をつれてきて、王様の子供にございます、どうか御慈悲をといわんばかりの展開であったり、まあいろいろあるらしい(子供の人数も多種多彩だそうな)。そういえば著名なバートン版もあるのだったな。

 最後に王様への説教を延々とぶつというパターンもあるそうだけれど、解説された方の話でも、そういうのがあったのでは面白くないし、それはそれまでの物語から自然とくみとってくれる程度が程よいのではないかというのが印象的。

 そういえば昔文庫を買っていたはず、と思い出して発掘してきたらちくま文庫版の第1巻だった。しかも、刊行をはじめたばかりのころで全10巻中既刊は第1巻のみという表記。たぶん、ほとんど読んでいないはずなので、この機会に少し読んでみるかと手近に出したところ。さて、さて。


 持っているのはこれなのだけれど、既に絶版らしい。

B00EXCXE2M千一夜物語(1) (ちくま文庫)
佐藤正彰
筑摩書房 1988-03-29

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 そして現役はバートン版! ということは色気はないということか。

448003840X千夜一夜物語(全11巻セット)―バートン版 (ちくま文庫)
大場正史
筑摩書房 2005-11

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 まだ、ある。

4043064020バートン版 カーマ・スートラ (角川文庫―角川文庫ソフィア)
ヴァーツヤーヤナ 大場 正史
角川書店 1997-04

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ホワイトアウト フローズン・リベンジ

 ロシアのとある凍てつく気象観測所。所員はふたり。まかないの青年がひとり。ある朝誰もいなくなってしまって、警察が調べにやってくる。なにやら事件があったような痕跡もあるものの決め手に欠ける。付近ではある資産家夫婦も行方不明という情報があって、平行して捜査するもののなかなか分からない。

 警察が捜査に訪れる前の状況と、警察による捜査(といっても悪天候のために残った刑事ふたりが調べているだけ)とが交互に描かれていく。

 人里離れた凍てつく場所での仕事は孤独との闘いで、所長はマッチ棒細工に没頭し、もうひとりはイエティに熱中。まかないの青年はやってきてまだひと月たらずで虐げられている。そこに宿を求めて資産家夫婦がやってくる。何をしにきたのは明確ではなくて、一応なにかの記念旅行という触れ込み。

 翌日出発したものの、しばらくして婦人がひとりで歩いて戻ってくる。おびえた様子で。夫が何者かに穴の中に突き落とされたらしい。金の匂いをかぎつけて観測所ないがざわつく。そして所員がひとりまたひとりと殺されていく。イエティの仕業なのか、青年の仕業なのか。それとも未亡人となった女性の仕業なのか。

 死体を片付けるために資産家が落ちたという場所へ運んでいく青年と女性。そこで待ち受けていたのが、女性の仲間の男性だが、裏切りがあったと思い銃を向けると。そうこうしてその男も殺してしまって青年と女性が観測所に戻る。戻ったころには警察がすでにやってきているのだが。

 というあたりから物語の本質が見えてくる。

 交互に描かれる物語がはじめどうにも分かりにくく、ややイライラする感じなのが困りものなのだけれど、終盤のための仕込みという点ではなるほどとうならせてくれる面白さはある。ただ、では、犯人はいかにしてその場に行って次の行動を起こせたのかなど、場所的にも気候的にも無理だろうというところがあって、そのあたりが無茶苦茶すぎて最後はちょっと興醒めになってしまう。

 そういうネタだったのか、という面白さは十分なのだが、詰めが甘いという感じ。そのあたりをもう少しすっきりさせていたら、もう少しよい映画になったろうにと思うのだけれど。まあ、B 級を超えられない映画ではあった。

#サブタイトルがネタばらししているといえなくはない。

B00EN6ESYGホワイトアウト フローズン・リベンジ [DVD]
トランスワールドアソシエイツ 2013-12-04

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空にひと筆

夜明け前


 冬の空は冴え渡っていて、冷え冷えとして。

 けれど、その朱色はなんとも淡く、温かみを帯びている。

 まあ、風邪などひかないうちに、家にはいろう。

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霜の朝

霜の朝

 予報ではプラスの暖かさのはずだったのだけれど、ふたを開けてみるとよくよく晴れ渡ってしまって霜。その代わりに実に雲の朱色もあざやかな朝になった。

 長期予報としては比較的晴れの続く 12 月らしく、雪の少ないまま過ぎてくれるとありがたいのだけれど。寒いのもできればほどほどだと嬉しい。

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