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情弱なるもの、ヒト

 NHK スペシャルで「真珠湾攻撃の謎」を見る。どんなに秘密でもきちんと後年公開される(墨塗りなどなく)というのが本来の成熟した国家というものの姿なのだろうけれど、はたして日本という国は例外規定ばかりつくりたがっていて、本質をいつも見失ってしまう。

 第二次大戦中に各国が熾烈な情報戦を行っていて、あちこちにスパイを潜入させていたなんてところは、まあそういうものだろうという認識だけれど、チャーチルの狡猾なメディア戦略であるとか(南部仏印進行計画を知ったものの、直接ではなくアメリカメディアにリークすることで、「メディアで知ったのだが」と在日大使に言わせるといったこととか)、まあなんとも日本のお粗末さと諸外国の巧みさの違いをこれでもかというくらいに思い知らされる。

 日米開戦に際してもアメリカ駐在の武官らからは、アメリカと戦争してはいけないといったメッセージが発せられていたにもかかわらず聞く耳を持たず、自分たちが決めた事をなにがなんでも進めるという意識しかない。変化する状況をつねに把握してそれに応じて対策を練るなどということが一切ない。

 一方でアメリカでも対日強硬派が実際には問題のないという報告を、自らの信念と猜疑心とで誇張し、あるいは妄想し? ルーズベルトに誇大な進言をして開戦へと導いたこととか、これもまた人の愚かさというか情報を情報として正しく扱えないというか。つまり、どんなに詳細な情報を手に入れたところで、それを実際に扱い処理する人間が公正でない限り、それはなんの意味も持たなかったりするということなのだなと。

 ちょうど「失敗の本質」をちまちまと読んでいるところで、日本軍の人情的な行動であるとか、情報をきちんと把握処理することができない体質であるとか、陸海軍がまったく連携などできずにそれぞれがそれぞれの勝手で行動しているところが大であったりとか。大本営がまったく主導権を持たずに、空気を察して欲しかったみたいなことを誰もが言うような中にあっては、なんと愚かな戦であったことかと。

 そうしてただただ猜疑心にとらわれていく一部の権力者によって、この国がどうなっていったのか。あの戦争になにも学んでいない現在の政治家たちを見るにつけ哀しさと怖さと。たまたま 12/8 だからという内容でしかなかったとは思うものの、なんというタイミングのよさ。戦後レジームからの脱却というのは、つまり戦争を禁じられてきた戦後をもう終わりにしたいという暴君の夢の実現ということなのだろうか、などとも思ったり。

 積極的平和主義というなにやらわけのわからない言葉は、つまり平和のためであれば既存の平和をぶち壊すこともいとわない。それがわたしの目指す平和の形でありさえすれば、ということなのだろうか。

 などとなんとも背筋の寒い思いをする番組であったなあと。

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