尾瀬・ホタルイカ・東海道
![]() | 尾瀬・ホタルイカ・東海道 (幻冬舎文庫) 銀色 夏生 幻冬舎 2013-08-01 by G-Tools |
本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。
旅行記とか紀行文ということにはなるのだけれど、いささかよくあるそれとは趣が違う。いや、何月何日何時何分、どこそこからどこそこへ行った。なにを見た。なにを食べた。と、まあ普通に旅行の記録といえばいえる。それでも気がつくと読み終えているといったするするとした雰囲気が全体に漂う。これはなんだろう。
実のところ銀色夏生さんというとデビューになった「これもすべて同じ一日」や、それに続く作品群ばかりを連想していて、正直イメージの違いにややとまどいつつも、微笑ましい旅を想像しながら楽しんだ。
これまでにもこうした紀行文という類は読んできたけれど、この違いはなんだろうかと思ったが、つまりそれははじめの旅である尾瀬の最後に書かれていることに気づくとなるほどと合点する。
そう・・・会話で印象に残ってるのは、数千分の一というのは、実際に話したことはもっともっとあって、その中で私が印象に残ったものをある見方でとらえたものだけが原稿になるのだから、実はどんなふうにも書けるというか、意図的にたとえば静かにとか、寂しくとか、楽しくとか、強くとか書こうと思えば書ける。虫くんのことだって違うふうにも書ける。そういうことをわかってくれる人でないと、困るので、だから、よかったです。(P.78)
当たり前のことではあるけれど、同じものを銀色さんが異なるタッチで書くこともできるし、たまたま数あるフィルターのなかのひとつを通して書かれたものがこれであったということなのだ。そして、そのフィルターがいかにも銀色さんらしい雰囲気につつまれているがゆえに、こうしたとても素直で柔らかくてほんわかした感じの文章になっているのだろうなと。
自分から尾瀬に行きたいと言っておきながら、いざ打ち合わせがはじまるとなんだか行きたくなくなってくる。どうにかして行かなくてもよいように話を持っていこうとするところなど、なんとなく「うん、わかるわかる」とか思いつつ読んでしまう。
勝手に「虫くん」とあだなをつけて呼んでいたりするけれど、その虫くんとの会話(もちろん、銀色フィルターが通された結果ではあろうけれど)もなんとも楽しい。妙に紀行文然とした気負いがないというのも一因かもしれない。
後半の東海道を歩く企画に何度か参加するところでは、歩きながらの会話のなかで「わたしって天然ですか?」「天然です」と即答されたという一文がでてくる。確かに天然さんというのもあたっているし、不思議ちゃんというのも当たっているように思う。残念なことがあって見るからにションボリしてみたり、かと思えば子供のように無邪気に喜んだり楽しんだりしてみたり。うん、こういう人いるなあと思いあたる。
正直に言えば、機嫌を損ねてしまったときのこういう人は扱い難いともいえるのだけれど、全力で楽しんで全力で悲しむのでなんともかわいらしいとも言える。合間合間に数多くの写真が収められているのだけれど、どの銀色さんを見ても同じように笑顔。失礼ながら子供のような無邪気さが感じられて微笑ましい。
牛肉弁当はおいしくなかった・・・。ちょっと残す。(P.218)
といったところも随所にあって、文末に「しょんぼり・・・」といった言葉が隠されているような気がしてしまい、「残念だったねえ、よしよし」とか、ついなぐさめつつ読んでいたりする。
そんなさながら小学生の絵日記的な短い文章が並ぶかと思えば、なんとも哲学的な一文が散発的にあらわれたりするから、また面白い。この人のフィルターはなかなか人をひきつける。
銀色さんが楽しいというのだからと、歩き旅をはじめようと思う人がかならずや現れるだろうなと。
それにしても銀色さんに子供さんがいたなんて! 母親である姿をまったく想像できなかったので驚きだった。写真に写るときに右手を挨拶するように手のひらを見せているのがなんともよかった。
#しかし、半年ぶりの献本当選だった。年々数が減っていくなあ。
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