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おこげの季節到来

 いよいよ梅雨らしい天候にもなってきたものの、雨のあとの反動のような暑さが妙にこたえる今年。長期予報では夏は暑くなりそうだとのことで、またも熱中症が増えるのだろうなと。

 そんな夏の飲み物といえばやはり麦茶で、ミネラルもあるし、水分補給にはほどよいのだけれど、まあこれはコゲを飲んでいるということでもあり、その香ばしさがまたよさのひとつ。

 以前にも書いたような記憶があるものの、あらためて書くと、本当ならば煮出せばよいのだけれど、もはや簡便にパックの麦茶を水だしするというのが日常。麦茶を作るさいには冷蔵庫において作るのだけれど、そのまま冷たいのを飲むということは近年あまりしなくなった。沸かしておいたお湯でうすめて温かいのを飲むようにしている。

 暑いときこそ、熱いお茶がうまい、などともいうのだけれど、暑いからと冷たいものばかり飲食していると胃腸がすっかり疲れてしまう。暑さでやられ冷たさでやられ、それでは夏バテもしようというもの。ごく稀に暑いなかから戻ったときの一口を冷たいままに飲むようなことはあっても、基本は必ず温めて飲む。そのほうが体にはよいような実感はある。(まあ、だからといってビールを温めて飲むというわけでもないけれど、そもそもさほど飲まなくなったので。とはいえ常温で飲むビールのうまさというのもあるけれど)

 合間に珈琲など飲んでいると、これはもうコゲばかり飲んでいるというような様相になってくる。ご飯もおこげの部分のうまさは格別であるし、やはりコゲというのはうまさの一要因なのだなと再認識。まあ、ガンの原因物質がなどとも言うのであまり過ぎないほうがよいのだろうけれど。

 おこげの季節がいよいよはじまった。

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歩いても歩いても

 家族というのはもっとも身近な他人のはじまり、といったことはよく言われるわけで、実際親子兄弟であっても自分ではないのだから考え方も違うし、一緒に暮らしているからといって同じように物事を感じ、考えるというわけでもない。逆にまったくの他人であれば許容してしまえることでも、家族であるがゆえに許容できないということだってあるわけだ。

 ましてそれが結婚その他によっていわば契約上の書類上の家族となってくれば、もともとまったく異なる生活をしていた者が一緒に生活したり、ひとつところで過ごすことが発生するわけで、それもまたまったくの他人というのとは違った感情を生みやすいのだろうなと。

 決してそれが相手を嫌うというつもりではなかったとしても、異なるということがささいなトゲのようなものになってやがてそれがチクチクとうごめくようになっていくとでもいおうか。

 はたからはとても穏やかで和やかな家庭に見えても、その実がどうであるのかなどは周りからは決してわからない。時には中にいてすらわからない。まったくの他人であれば、ふと出会うそのときだけを取り繕えばよいのだろうが、家族ではそうもいかない。

 そんな思いは大なり小なり誰もが抱えているはずで、そんなところをごくごく淡々と描いているというあたりに素直に恐怖を感じてしまったりする。

 けれど、だからといって家族というものがもはや成り立ち得ないほど駄目な険悪なものかといえば、それでもやはり家族なのだなというものはあって、それがこの映画の結末の風景でもあるのかもしれないと。過ぎてみればそれすらも思い出に変わるのかもしれないけれど、なかなかその当時としてはそうも思いきれない。それもまた現実で。

 あくまでも淡々とある日のできごとを描いていながら、ついついあれこれ考えさせられてしまう。まあ、つまりはうまく乗せられてしまったということなのだろうな。

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イシクラゲその後

 イシクラゲという名前を知ってメモしてからずいぶんと検索があるのだなということからも、なんとかならないかと思っている人は相当数いるのだなと想像できる。ということで、途中経過というメモを残しておく。

 スプレイ容器にお酢を 4 ~ 5 倍くらいに水で薄めたものを何度か散布しておいたのだけれど、存在がなくなるということにはいたっていない。まあ、お酢が分解するとかいうわけではないのだから、それは無理かもしれない。

 ただ、以前であれば雨のあとにはぶよぶよになったイシクラゲがあたり一面にびろーんと広がっているといった様相だったのに比べ、ぶよぶよ感はあまり感じないようになった。水の吸収がさほどないように見える。

 残念ながらまったくぶよぶよにならないというのではないけれど、以前の比率からいったら二割から三割程度に軽減されているのでは、といったところ。一定の効果はあるのではなかろうかと思っているのが今。

 ただ、このままではやはり目に付くので、梅雨の時期が過ぎて十分に乾燥したところを掃き集め、酢を十分にかけた上で土に埋めてしまおうかとも思う。そうしておけばまたぞろ増えてくるのかどうかといったあたりも確認できるのではなかろうかと。

 もっとも、きゃつらがどう繁殖しているのかはわからないので(以前もだいぶ埋めたが、残っていたものから発生したのかもしれない)しばらくは様子を見ながらあれこれ試すというところ。

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「地図をください」が実は動かなかった

 日本近辺の地図が必要になったので、さてどうしようかと考えた。そういえば PC-9801 シリーズの「地図をください」があったではないかということで、しばらくぶりに 98 エミュレータを起動。あまりに久々なのでエミュレータそのものの扱いにややとまどいつつもなんとか起動。メニュー画面がでたのでまずは表示するようにしてみると、エラー。

 「ファイルが開けません」とか言う。いや、確か使えていた環境を HDD イメージにしたので使えないはずはないのだがとなんどか試すも駄目。それではとコマンドラインから実行してみても結果は同じ。

 怪しいところを探してみると、環境ファイルでいろいろパス設定などをしている。そのうちで ROM フォントの指定部分あたりがあるいはとも思うのだが、よく分からない。ほかのフォントは正しくパス指定されているし、各種プログラム類のパスも問題はないようだし。

 エミュレータであるがゆえに ROM はファイルで提供しているし(もちろん、正規の所有品から吸い出したファイル)、エミュレータの実行そのものでは問題がないのだが、「地図をください」ではなにかの問題が生じているのかもしれない。という想像くらいしかできない。

 別のプログラムについてはだいたい使えているわけなので、怪しいのはやはりそのあたりなのかと。どうしてもとなれば実機を箱から出して接続すれば使えないことはない(はず)。といってそれもなかなか面倒だ。

 さらに解説本を見ていると出力できる画像ファイル形式がどれもこれも古く、しかも PC-9801 シリーズ専用ともいえるようなフォーマットばかり。なにしろ昔の DOS 時代のプログラムなのだからそれも仕方ないのかと。となると仮に出力できたとしてそれを加工するにも手間がかかりそうだということで、断念。別の手段をとることに。

 結果として GIMP の扱いにいくらか慣れることができた。それはそれでよしということに。

 とはいえ動かないままでは残念なので、いずれもう少し調べてなんとかしたいものだなあとは。いまさら DOS のソフトでもあるまいとはいえ。

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遊佐未森
エピックレコードジャパン 1992-11-01

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夏は夜よね。

 とあるクイズ番組にて枕草子が取り上げられており、「春はあけぼのですが、では夏は?」みたいな問題だった。そりゃ「夜」だよ。「月のころは更なり」と続いたはず。で、まあ答えはその通りなのだけれど、秋は夕暮れで冬はなんだったかなあ、と忘れてしまったので、久々に本を出してきたのだった。「桃尻語訳 枕草子」を。

 が、これでは今回の役にはあまりたたない。桃尻語訳だから。ということに、開いてみてから気がついた。いや、役に立たないこともないけれど、元々の文章は載っていないので、そちらについて調べようがない。そういえばもはやこれ以外には手元にないのかもしれない。それはそれでよろしくないなあ、などとも。

 ただ、あらためて前書きなどを読んでいると、実のところこの訳こそがもっとも忠実な直訳なのだと橋本治。まずは句読点などない文章なのだから、その雰囲気を一番的確にあらわすのは話し言葉であると。で、次から次へと言葉が口をついてはでてくるようなとどまるところ知らないようなところは、まさに若い女の子のそれ以外のなにものでもないではないかと。

 文章に余計な説明がないので、たいていの現代語訳は言葉を補ってしまっているが、それだとこの雰囲気が出ないとも。

 まあ、確かにそういわれるとそういう気にもなってくる。

 しかし、最後にこんなことを言うことも忘れない。テストの答えにこの訳を参考にしても丸がもらえるかどうかはわからないよと。それはそうだ。

 やはり、「春って曙よ!」というのがふさわしい。そう思いつつしばらく読みふけってしまったのだった。

4309405312桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)
橋本 治
河出書房新社 1998-04

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4309405320桃尻語訳 枕草子〈中〉 (河出文庫)
橋本 治
河出書房新社 1998-04

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4309405339桃尻語訳 枕草子〈下〉 (河出文庫)
橋本 治
河出書房新社 1998-04

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 下巻がさながら「深夜特急」みたいになかなか刊行されなくて、ずいぶんと待ったのも遠い思い出。

#ちなみに、
 「夏は夜よね。月の頃はモチロン! 闇夜もねェ・・・。」とつづく。

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RMagick への遠い道のり

 かつて携帯電話の待ちうけ画像としてカレンダー壁紙を作ったときに使用した RMagick。その後必要がなくなったのもあって使うこともなく、ImageMagick だけはこの頃も使ったりしていたのだけれど RMagick を使うということはなくなっていたのだった。

 というのも Windows 用のバイナリは Ruby 1.8.6 用のものだけで、一応 1.8.7 もインストールしてあるので使えるだろうとは思うものの、もはやそのまま使い続けるということでもないよねと。

 久々に検索していたら RMagick が Github を使うようになっているとか。gem install rmagick でいいよ、みたいなことがあるので、どれどれと試してみたら・・・

This rmagick gem is for use only on Linux, BSD, OS X, and similar systems that have a gnu or similar toolchain installed. The rmagick-win32 gem is a pre-compiled version of RMagick bundled with ImageMagick for use on Microsoft Windows systems. The rmagick-win32 gem is available on RubyForge. See http://rmagick.rubyforge.org/install-faq.html for more information.

 と言われてしまった。バイナリはいまだ 1.8.6 用しかないので、自分で make せよということなのかあ。

 [ RMagick を Windows 7 にインストールする方法 - 君の瞳はまるでルビー - Ruby 関連まとめサイト ]

 必要にせまられていないだけに腰が重い。

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赤と白

 6 月はじめのこと。こんな形のものをたくさんつけている。

ある花のつぼみ集団


 なにやら傘のようでもあり、アポロチョコのようでもあり。ふしぎな形をしているなあと思っていたら、パカッと開くと中は白い、そして大きな花になった。

開くと内側の白い大きな花

 名前はまだ知らない。

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建築の友 エポキシパテ金属用

 随分と前に木部用のパテは使ったことがあったのだけれど、金属用というのもあるのだと今回知った。あるのだなあ。エポキシパテは穴埋めに便利ではあるのだけれど、まごまごしていると硬化してしまうので、事前の準備が肝心。

 今回はやや大きな穴になってしまっているので正直不安はあったのだけれど、グラスファイバーネットが付属しているタイプがあって、これだと形状を保持しやすいのではと思ったので使ってみた。実際いい感じに角をつけた形に成形できたのでそこそこの仕上がりになった。

 [ 簡単パテ補修|ケントモ・ネットショップ ]


 悩ましいのはこの大きさに対してどのくらいを使用すればよいのかという判断がなかなか難しい。足りるのかどうかと思いつつ伸ばしていったらなんとか足りた。この製品は剥離用の透明シートもついていて、そこで広げておいて接着にも利用できる。パテが硬化したらシートを外せばよいというなかなかのすぐれもの。確かに建築の友という職人的な配慮がなされているという雰囲気があって使いやすかった。

 もっとも、ほかにも小さな穴が見つかったので急遽追加で購入したのは、セメダインの製品。製品としては特に遜色はないのだけれど、やはりネットやシートの存在は便利だったなと少し反省。

 本当ならばやすりがけなどして段差をなくして滑らかにすれば見栄えもよいのだけれど、まあ普段目に付く場所ではないので、そのまま塗装してしまうからよしということに。

 まあ、本当は穴が開くほど放置せずに、こまめにペンキの塗りなおしをするべきだったのではあるけれど。次回は 5 年くらいできちんとやることにしたいなと。

B00A6LRQW8セメダイン エポキシパテ金属用 P60g [HC-116]
セメダイン

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自虐の詩

 伝説の卓袱台返しばかりが想像されて、いったいどういう映画になったのやらと思いつつも、テレビ放映されることもなかったので(少なくともこちらでは)もはや忘れ去っていたところ GyaO! にて配信があったので見たのだった。いやあ、この手のコマ漫画がなんという感動の大作になってしまうものかと驚くやら、感動するやら。

 もちろん、卓袱台返しも卓袱台返し返しも楽しめるわけではあるけれど、全体を通してはそれはごくごく瑣末な部分に抑えられていて、しっかりとしたある意味見ごたえのある作品に仕上がっているあたりがなかなかすばらしい。

 不幸な生い立ち、現在がある由縁。過去と現在をうまくつなげながら描かれる作り方もなかなか。なによりもキャストの持つ力の強さが圧倒的なのかもしれない。単なるギャグ漫画の映画化と思って見始めると勢い足元をすくわれてしまう。そんな感じ。

 テレビの映画枠がどんどんと縮小している現状は、本当に面白いものを流していないってことにもあるんじゃないかとか。大人の事情ってのもあるのかもしれないけれど、そんなの子供には関係ないですよ。こういう面白くて、しかもぐっと捕まえられてしまうような作品をもっと放送すればよいものを。内輪のパーティを延々と見せられるようなバラエティばかりにするよりよほどよいと思うのだけれどねえ。

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ジェネオン エンタテインメント 2008-03-14

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貧困

 ちまちまとした寝る前読書で、たまたまであった。以前読んだときにはとくになにもしてない(赤線がない)けれど、今読むとちょっと「ほほー」と思ったのでメモ。

近代的な貧困について最も確実にいえることは、それが所得の全般的な増加によっては除去できないということである。個人的貧困はそれによって救われない。なぜならば、個人の特殊な欠陥のために、職をみつけることはむずかしく、一般的な進歩にあずかれないからである。島の貧困はそれによって直接に緩和されたりはしない。なぜならば、島の人びとが置かれている特別に不利な環境は、所得の全般的な増加によって除去されるとはかぎらないからである。それがなんらの効果もないというわけではない。都市のゲットーの外や田舎の貧民窟の外に職があれば、抑制を受けない有資格者はその職につき、貧民窟から脱出することができる。そのような職がなければ、誰も脱出できない。しかしそれでも、自己または環境のせいで一般の進歩にあずかれない人びとの立場は、その進歩によってよくなるわけではない。

(「ゆたかな社会」ガルブレイス、第 22 章 貧困の地位、P.384(ただし同時代ライブラリー版))

 20 章「生産と保障との分離」もなかなか興味深い。

4006031378ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)
J.K. ガルブレイス John Kenneth Galbraith
岩波書店 2006-10-17

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あみだにフランス語を追加したのだった

 Developer console で度々「翻訳についてお困りですか?」みたいなメッセージがでていて、いや別に困っているということでもなく、その気がないだけで、などとやり過ごしていたのだけれど、今回はどうせならということでフランス語も追加してみたのだった。もちろん、グーグル翻訳のお世話になりっぱなしで。(件のメッセージの真意は、有料で多言語化のお手伝いをしますよ、というものらしいのだけれど)

 点とび虫でもそうではあったのだけれど、基本的に英語は用意していたので実のところ点とび虫のインストール数の三分の一くらいは英語圏らしいのだった。数としては片手でも十分足りるくらいなのではあるけれど、英語対応はしておいてよかったなあと少しばかり思ったりする。

 で、今回はもうひとつ増やしてみるかということでフランス語を選んでみたのだけれど、世界でどれほどの割合で話されているのかはわからないけれど、アフリカとか旧フランス領だったところも世界には多いのだから、それなりではなかろうかというくらいで。

 もっとも、一番重要なところは、英語にしろフランス語にしろ、海外の人にとってあみだくじなんてなじみがないわけで、そこにリーチするというのはそうそうないだろうなというところで。ま、仮にうっかり見つけてしまったという時にはあるいは役に立つかもしれないという。

 本当ならばリソースフォルダの xml ファイルにテキストで持っていればすむだけなのだろうけれど、画像でデータを持たせているために少しだけ面倒な作業が。手持ちのフォトショップエレメンツはバージョンがとても古いので(スキャナを購入したときのバンドル品)UTF-8 のテキスト処理に対応していないようだった。で、アクサン記号付の文字が表示できないという状況に。

 やむなく GIMP をインストールしてそのあたりだけ代替作業。

 ゲーム関係だとどうしても見た目で画像にしたい面もあるけれど、多言語化を考えるとやはりリソースファイルのテキストで持つようにしたほうが楽ではあるなと実感。

#予断としては A200 ではフランス語ロケールを設定することができず、エミュレータで確認する必要ができてしばらくぶりに実行したのだった。やはりエミュレータ重い。

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虫との棲み分け

 先日の朝、台所の流しのところに小さな蟻が多数いるのを発見。以前もよく入り込んでいた小さな黒い蟻ではなく、やや赤みをおびた蟻だった。シンクの影になったあたりに固まっていたり、壁の部分などを這っているものやら十数匹。

 ひとまずは退場してもらい、あとから外を確認すると進入路はよくわからなかった。後日あらためて見ると、どうも水道管の周囲に奇妙な黒っぽい塊があり、その付近に例の赤みを帯びた小さな蟻がうろうろしている。どうやら固まりになっていたのはその蟻の死骸の山だったようにも思えた。

 原因はわからないものの、進入路はどうもこの水道管のあたりをつたってきたのではないかということで、壁のとりつけの隙間はひとまず埋めたのだけれど、いよいよシロアリなども移動する時期なので防虫のための粉剤を購入。以前、しばらく使ったときには割りと効果があったようでもあるので。

 家の中にはいってきてしまうというのは、多くの場合間違ってはいってしまうだけなのだという話も聞いたことはある。実際そう多くはないので(地を這う虫の場合。蚊とかハエとか飛ぶ虫の類はまた別?)たまたまを予防するという意味でも効果はあるかと。

 もっとも、まるっきり虫を退治してしまうのは懸命ではないので、あまり神経質になりすぎてもいけない。黒い蟻はシロアリにとっては敵でもあるので、シロアリがいるよりは黒蟻がいるほうがよほど家にとってはよい。あまりに増えすぎてしまうと困ったこともあるにはあるだろうけれど、そのあたりはまあ上手に付き合うということではないかと。

 長期間有効なので、できれば春先くらいにバフバフしておくとひと夏快適かもしれない。

 姫君のようにすべての虫をこよなく愛せたらよいのだろうけれど、さすがにそこまでにはなれそうにないのでごめんなさいなのであった。しかし、今年は蜘蛛防衛隊の数がやや少なく感じるのであった。邪魔にならない場所での巣作りは許可しているのだがなあ。


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アース製薬 2005-05-11

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国栄えて住民なし

 NHK スペシャルで中国の地方政府と虐げられる住民の問題を追った番組を見る。民間組織として仲裁を請け負う業者というのが出てきたそうで、それが今政府関係からも依頼が増えているのだとか。いわく、どう住民対応してよいかわからない。

 そこだけ聞くとよい話のようにも思えるけれどその実はとんでもなく全時代的なもので、いささか驚いた。

 とある地方政府からの依頼でやってきた仲裁業者の代表者。そこで会った担当役人の言うには、「殴っても脅しても住民が言うことをきかない。どうしたらいいのか」。「そんなことをしても何の解決にもなりませんよ」と業者は答える。「住民の言うことを聞いていたら利益をあげることができないんだ」と役人。

 開いた口をどう閉じたものか一瞬考えてしまうような時間。

 住民の代表と役人を会わせたときだったかには、「町が発展するというのだから、お前たちは少し我慢しろ」みたいなことを言う。補償金はすでに払ったのに、いくらでもむしりとろうという魂胆だろうといったことまで言う。

 住民は土地の権利を持っておらず、地方政府としては中央の命や成果をあげていることをアピールしたいがため、土地の権利を開発業者に売ってその金で利益をあげていると。そのため、住民は強制的に立ち退かされ、補償金はわずかにもらえるが、その後暮らす場所もなく、代替に作られた住居は高額でとても住むことなどできない。開発業者は住民を雇用するという考えはないので仕事もない。そもそも、農地だった場所なので、農民にとっては農作業を継続することもできない。

 このままではただ死ぬだけ。どうせ死ぬなら命と引き換えに中央政府に直訴するといったところにまで進んでいると。ところがこの中央政府への陳情を地方政府は恐れていて、そんな事態が起きていると中央に知られるとまずいとは思っている。

 そこで何をするかといえば陳情にやってきた住民の長い長い行列から住民を連れ戻し、あろうことか拘留してしまったりする。実際取材案件でもひとりの女性が陳情に行くといって以来連絡が取れないと仲裁業者に連絡がはいり、地方政府に連絡をとるが知らないと言い張る。が、ほどなく電話があり、確かに拘留していたのだが、逃げられた。行方を知らないかというのだった。臆面もなく。

 ようやく行方を探りあてた仲裁業者。隙をついて逃げ出したという女性。業者はこれを利用して地方政府と交渉。中央に知られたくないのだったらきちんとこちらと交渉しないかと。そうすれば女性にも中央への陳情はしないと約束させると。

 結局中央に知られたくない地方としては、条件をのむことに。そのさなかにも中断していた開発工事が了解なく再開されてしまって住民が怒りをあらわにして工事を中断させたり。中央政府方面からも住民をどう処理したらよいのか教えて欲しいと仲裁業者に依頼があったり。

 なんとも中国という国は政府さえ潤えば住民などいらないという発展をとげてきたのだなとあらためて感じたり。それならば住民などいらないのだといってどうにかしてしまえばよいのにというくらい。あるいはそうしてどこぞの国のように大量虐殺されて闇に葬られてしまったりする可能性もあるのかもしれないと思うと、背筋の寒い思いもしたり。


追記:
 仲裁業者代表の方が、今の中国を例えて「血塗られた GDP」といっていたのが印象深かったのだった。もちろん、日本だって高度経済成長期において血塗られた歴史がなかったかといえば、きっとそういうわけでもないのだろうけれど。

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象山地下壕

 [ 象山(ぞうざん)地下壕 ]

地下壕入り口

 別にしようと後回しにしていたらこんな時期。もはや初夏というか気分は盛夏という気候。

 松代城址の桜を見てきた際に、ずいぶんと久しぶりに象山地下壕を見学したのだった。他県の人にとっては、いや長野県内であっても中南信ともなれば今ではあまり知られない存在かもしれない。大本営地下壕の跡。なぜ、わざわざ長野県のここであったのかなどいろいろ不思議はあるけれど、いろいろの意味で歴史遺構としての意義は大きいはず。

 作業にあたってのいろいろはここでは置くとして、内部にはいってみると思うのは、よくもここまで掘ったものだなあという素直な感想。そのあまりにもの広大さは、やはり実際歩いてみるのが一番。安全を考慮していろいろの補強工事もされ、意外と言ってもいいけれど無料で見学することができる。見学に際して必要なのは、どこの都道府県から来たのかといったことだけ。ヘルメットが用意されているので、必ず着用の上で自由にはいることができる。要望があれば案内もしてくれるようでもある(未確認)。

 以前はいったのは 10 年以上は前で、あるいは 20 年近く前だったかもしれない。無料だったのかどうかとか、入り口はこんな感じだったろうか? とかほとんど記憶にない。

 なかにはコウモリが生息しているようで、何度か見かけた。実際、入り口はほかにもあって(見学はこの入り口からのみ)、その意味ではまぎれこんでしまったわけではなく、あちこちから入ってくることが可能なわけだ。撮影したかったけれど、見つけたときには間に合わなかったし、その後は残念ながら見かけなかった。

 「エヴァ」でも松代が登場したけれど、こういう場所であると知っている人はどれほどだろう。まして実際に訪れたという人は。

 訪ねたときには、比較的年配の観光客らしき人々が数人見学されていた。大河ドラマ「八重の桜」に登場した縁で、佐久間象山関連の見学は多いようだったが、ここは少し離れているので、どれほど見学の人がくるのだろう。

 ちなみに、毎月第三火曜日だけは休止らしいのでご注意を。冬季も閉めているのではなかろうか?(未確認)

 なお、内部は非常に寒いので、羽織るものなど持って入るのがおすすめです。

地下壕内部

#実のところ動画を撮っていたのだけれど、電池が切れそうになり冒頭部分だけになってしまったのだった。全工程を撮影しなおそうと思っていたのだけれど、編集がされているとはいえいくつか Youtube にもあがっているようなので、やめてしまった。ということで、写真のみで。

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「雲のむこう、約束の場所」

 北海道と本州とに南北分断された日本という「もしも」の世界を舞台にした作品。ほほー、と興味を持ったものの南北分断がさほど色濃く作品に影響しているとも思えず、謎の塔の神秘性を増すための設定にとどまってしまっているのはやや残念。

 平行世界と夢とをつなぎ合わせて、他の世界のそれと置換されようとするというアイデアはちょっと面白い。少女が夢を見ている間だけは現実世界における置換が保留されていると。

 夢と現実と平行世界と。ただ、平行世界に置換されると暗黒になってしまうというのはやや安易か。では、その平行世界にはなにもないということなのかと。たまたまそこはブラックホール的な世界であったとか?

 活動家の存在意義についてもやや不鮮明な感じがしていて、物語の根幹をなす部分については面白い設定なのだけれど、やや説得力に乏しいようにも感じた。

 反して、少年ふたりと少女との約束部分に関しては単純でもあり、わかりやすく、妙な矛盾もさしてない。長期にわたって中断していたにもかかわらず、あっという間に完成してしまって飛び立つというのはややご都合主義ではあるものの、まあ許せる範囲かとも。

 最終的には少女は夢から覚めて、覚えておかなくてはと思っていたことはやはり忘れてしまったようだけれど、結末として明るさの残るのはよかったのではないかと。まあ、全般にやや抽象的にすぎるというところは残念なところではあるのだけれど。

 むしろ、もっとシンプルにしてしまったらよかったのかもと。平行宇宙云々などというのはもう少し軽いところにとどめておいて、純粋に約束の場所を目指すということだけを主題にしたら、普通に青春物語という感じで収まったのかもしれない。

B0025PMHI6「雲のむこう、約束の場所」DVD サービスプライス版
新海誠
コミックス・ウェーブ 2009-06-18

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プログラムは楽しい

 [ diary (Japanese) : nbtty ]


 Rubykaigi 2013 がよい刺激になって、以降プログラムをちょこちょこ書かれていて、とてもうれしいです。

 で、Linux 系のコマンドを Ruby で書かれたりして使われていたのだと知って、なるほどと。こんなことができるとよいのにとか、この機能はいらないけれどとか、そうした自分の要望にうまく応えられるのが自分でプログラムする楽しみだったりするわけで。しかも、こんなにたくさん。すごいなあ。

 自分で考えるとあまりその手はなくて(Windows のせいかもしれない)、エクセルファイルを grep するものくらいかも。もっともこれはこれで便利で、エクセルでつけている家計簿ファイルを検索できるので時々重宝する。かつては時間がかかって困ったけれど、さすがに今の PC では気になるほどの遅さは感じないし。

 時折検索ワードにもあるので、「あー、grep したい!」という需要というのはあるのだろうなと。Ruby 使っているなら、あるいは使えるなら自分で書けばいいと思うよ。用途にもよるだろうけれど、十分実用になるものだって多いはずだから。

 このところ Java で Android アプリを書いていたけれど、そろそろ Ruby でもなにか書きたいなあと。何がいいかなあと。

 塩尻市で OOS の支援に乗り出すということで、 Ruby の講座を開いたりも予定しているとか。着実に Ruby は広がりを安定化させているなあと。でも、塩尻ではちょっと遠い。

4797372273たのしいRuby 第4版
高橋 征義 後藤 裕蔵 まつもと ゆきひろ
ソフトバンククリエイティブ 2013-06-04

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「過半数を超える」

 どんな状況でだったのか忘れてしまったのだけれど、先日ニュースで「過半数を超える」といった表現を聞いて、なんとなく背中がうずうずしてしまったのだった。

かはんすう【過半数】

半分より多い数。「--を占める(制する・割る):--に達する」
新明解国語辞典第四版

 100 が最大であれば、半数は 50 だろうから、過半数というのは 51 から 100 までの任意の数、ということになるのではなかろうかと。55 とか 72 とかいう特定に数字を指すのではなくて、状態というか範囲を示しているのでそれを超えるというと、ややおかしな印象になってしまう。

 あるいは、120% といった表現もあるように、これもまた100 を超えた数字なのだといいたいのだと思えば納得はできるかもしれないけれど。つまり 102 とか 120 とか。

 ただ、たとえば選挙の得票数とかで言う例が多いと思うのだけれど、とすると投票数を上回るということになってしまうので、これもまたおかしな話。それはひょっとして捏造された票なのではないか、などという憶測まで呼んでしまいそうな。

 と、そんなことを気にするのは、気にしすぎでしょうか?

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遠慮したいカプセル化(ただし菌に限る)

 いつものように、そしていつも以上に何気なく見始めていた「ためしてガッテン」。ある意味当たり前だったのかもしれないけれど、きっと多くの人にとって目から鱗が落ちまくりの回だったのでは。

 テーマは食中毒。食中毒と腐敗は別物であるということから、食中毒菌の存在は匂いや見た目では判別できないのだとあらためて解説。必ずしもそれを勧めるわけではないものの、仮に腐敗した食品を食べてしまったからといって多くの場合に病気になったりするというわけではないという事実。

 考えてみれば、発酵食品というのは広義では腐敗させているわけで、それがよい匂い、おいしいと感じるのであれば「発酵」と呼び、嫌悪するものであれば「腐敗」と呼ぶというのは、至極納得のいくところでもあって。納豆の糸がひいているのは別になんとも思わないけれど、ご飯が糸をひいていたらちょっと遠慮したいと思うもの。もちろん、納豆にしろ、くさやにしろ、発酵食品とはいっても好みがあるのが現実。

 つまり、匂いや見た目を気にしていたところで、食中毒は防げないのだという当たり前のような事実が提示されたわけで、これはある意味衝撃。いや、冷静に考えたら当然なのかもしれないけれど。

 では、実際どのような経過を経て食中毒菌の繁殖がおきるのだろうかというあたりも、多くの人にとっては衝撃だったかも。カレーなどでの食中毒というのは結構あるようで、加熱しているのになぜ? という疑問が解説されたのだった。

 いわく、加熱によって大抵の菌は死滅するのだが、ウェルシュ菌はカプセル化してしまうと。そもそもは繁殖力が強くはないということで、他の菌が混在する環境ではあまり活発に活動できないのだが、過熱によって他の菌が死滅した鍋などの環境があるとき。その鍋をずっと放置しておいたときに、温度が下がってくるとカプセルから解き放たれ、しかも競合する他の菌がいないので安心して増殖できると。

 そして、仮にふたたび加熱して飲食したとしても、死んでいるわけではないので、つまり体内でほどよい温度になったところで活動を再開すると。カレーなどでの食中毒の多くはこうした事情によるらしい。

 対策として紹介していたのは、荒熱が取れたら小分けにして冷蔵庫に保存というのだった。そのまま外に一晩放置などしようものなら膨大な数に増殖されてしまうと。

 まあ、夏場とか高温多湿の時期には、カレーなどは作らないのが一番かなあとは思うのだけれど。実際怖くて最近は作らないようにしている。どうしてもという時にはレトルトカレーが安心。

 手洗いの件は洗い方がよくないというだけなのだが、まだまだ分かっていない人も多いのかもしれない。マスクのつけ方ひとつを見ても(医師ですら)駄目だったりするからなあ。

 食中毒には気をつけませう。

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二匹目の電気羊、あるいは山羊

 Google Play にあみだくじアプリを公開しました。名前はゲームっぽい感じになってはいますが、基本的には普通にあみだくじです。

 ただ、ダウンロード数の多いものをいくつか試してみたところ、どれもランダムに生成されたあみだくじで結果を出すという点では同じで、名前が入力できるとか、アイコンがかわいいキャラクターであるとか、ごく普通であるとか、特色はあるとはいえ、総じて乱数結果のあみだくじです。

 どうせなら参加者が線を足したりできたほうが、結果の予測がつかなくておもしろいだろうにと思っていたので、そんなあみだくじにしてみました。それ以外は、まあ普通にあみだくじでしかありません。

 それにしてもカテゴリの設定が悩ましい。すでにあるあみだくじを見ても、エンタテインメントだったり、ツールだったり、ライフスタイルだったり、種々雑多。まあ、確かにどこにおいたらよいか悩ましいタイプではあるのですが。

 一度お試しいただけるとうれしいです。

 [ あみだWARS - Google Play の Android アプリ

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古代エジプト戦車をつくる

 忘れないうちに、といっても二週間以上経っているように思うので、だいぶ忘れてしまったけれど。E テレ「地球ドラマチック」で古代エジプトの戦車を再現しようという試みが面白かった。いくつかの遺跡の壁画に詳細な製造過程が残っていたりということに、まず驚くのもあるのだけれど、その進化の過程も楽しい。

 現在も残っているという木材加工の技術を使って再現を試みるのだけれど、車輪にしろ、本体から馬への接続のための棒にしろ、現在であってもかなりの困難を経てようやく出来上がったというのに、2000 年あまりも前の時代にこれを量産(どのくらいの数かは定かではないにしろ)していたのかと思うと恐るべき加工能力。

 木材を蒸してから型にあてて強引に曲げていくのだけれど、つまりは型となる部分もなんらかのもので作る必要はあるし、それをしばらくの間どうやって固定するのかとか、そもそも精度をどう確保するのかといったあたりも現代とは違って困難ではなかったのかと。

 車輪のスポークも今では棒でと考えるところ、なぜか板状の木材を V 字にまげてそれを張り合わせるという離れ技。どれかひとつでも角度が異なればきちんと収まらない。それを接着して加工。スポークの数も当初は 4 本だったのだが、それでは変形が起きてしまうために 6 本へと変更されていく。曲げる角度はますます鋭角化し、より困難であったろうに。

 さらには馬への接続をになう棒は本体との接合部も兼ねており、震動によるゆれを吸収するためにあえて本体とはゆるい接合をしていると。つまりやや余裕のある穴に差し込んであるだけで、前後に動くためにゆれ吸収をするとか。

 ほかにも、その形状が微妙な曲線を描いていて、現代の職工たちにとっても困難な加工で、何度か木材が割れてしまったりと失敗。ようやくにしてなんとか形になったものの、またしてもこれを量産するなど、どれほどの労力なのかと。

 最終的に馬も当時にあわせて小型のものを準備して実際に乗ってみると、はじめは失敗もあったものの、問題点を解消してなかなか快適な乗り心地になったらしい。急旋回もできるようでかなりの機動力があったこともうかがわせた。

 これによって戦の姿がまったく変わってしまっただろうことは、想像に難くなく。古代の人のすごさをあらためて思い知る番組だった。

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すぐ隣にあるかもしれない狂気

 NHK スペシャル「未解決事件 file.03」を見る。なんとも嫌な気持ちになってしまう。番組が悪いのではなく、これは人間の所業なのかという点で。もちろん、人間だから、こんな極悪非道なことができるのだろうとも思う。地球環境を貶めているのも、放射線の脅威にさらしているのも、戦争の脅威にさらしているのもまた、ヒト。

 なかでも興味をひいたのは警察もまだつかんでいないとされていた(実際どうなのかは知るよしをもたない) 15 年前にあったという実際に親族関係にあったふたつの家系との事件。葬儀のさいに難癖をつけて自分の支配下におき、一家もろとも食いつくし、やがては自滅へと誘導していく様。

 もちろんそれは取材で得た証言から再現してみたものであって、必ずしも実際のそれと同じであるかは今となっては確かめようがないかもしれない。とはいえ、少なくとも明るみになっている事案の原型となったと思われるその事件の卑劣さには辟易する。

 金メダルを取ると親戚が増える、という言葉があるけれど、それにも似た様相でほとんど関係もなかった相手にいきなり付け込みはじめ、ささいなネタをみつけては脅しすかし、自分の掌中にひきこむ。その手腕のうまさにみなはめられていったのだろうけれど、本当になぜそうもたやすく操られてしまったのかと思うと同時に、誰しもそういうことは起こりうるのかもしれない、という恐ろしさで、思わず後ろを振り返ってしまったくらいに。

 実の姉を死に至らしめた妹が逮捕時に薄笑いを浮かべていたのが実に恐ろしくもあり、哀しくもあり。さっさと自分は自殺してしまった女の罪深さをあらためて思う。妹は姉の死に対してなんの罪の意識もないのだろうなと。そのようにされてしまった悲しみと、そうでもしなくては生きられなかったのかという悲しみと。

 もはや、恐らくは実体など解明できずに終わるのではないかと思う、この事件。36 回もの訴えを足蹴にしてしまった警察の失態と、せっかく逮捕したのにみすみす自殺させてしまった警察の失態と。これほど情けなく悔しい思いをする事件というのもそう多くはないのでは。

 すぐ隣の家でさえ、実際その家庭内がどのようなものであるのか、他人から見れば仲睦まじいと思っていて内実は違うのかもしれず、それは誰にもわからない。仲はよくても他人にいえない問題を抱えているのかもしれない。どんなに近所つきあいがよくても、そうしたことは必ずあるのではないか。

 友人を目の前にしながら、みすみす拉致されるのをどうしようもなかったその心情を思うと、残された者もまた気の毒でならない。

 そう思うと、今この瞬間も類似の事件が日本のどこかで継続している可能性を思うと、つくづく怖い社会に生きているのだなと思わざるを得ない。

 司法の場に庶民の感覚をというお題目ではじまった裁判員制度。ことによると今必要なのは庶民の感覚を警察や行政すべてにということなのかもしれないなあ。寒い時代。

#烏丸せつ子はまさに怪演、熱演という感じだったけれど、悪いイメージがついてしまわないかと心配でもある。

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カッコウ

 このところたまに早朝のカッコウの鳴き声で目が覚めるといったことがあって、正確にはそれで目が覚めるというわけではなくて、たまたまそんなタイミングで耳にするというところではあるのだけれど、しばらく前から。

 さて、カッコウの初鳴きはいつ頃だったのだろうと思って調べていたら、長野県のページのなかで夏鳥の初鳴きを調べているページがあった。単純に Google Map にプロットしているだけだし、それが市民からの連絡によるのかどういったものなのかよくは分からないのだけれど、こんな調査をしていたのかと少し驚いたのだった。

 夏鳥の初認・初鳴き調査(2011年)

 #ページタイトルは 2011 年となっているけれどデータは 2013 年になっている。

 それによれば今年(2013年)は 5 月のはじめから半ばくらいにかけてが近辺の数字か。では、気象庁の生物季節観測の平年値はどうなのかと調べてみたものの、どうも気象庁ではかつては大量にあったと思ったデータがなくなってごくわずかしかない様子。次のサイトででていたものを参考にすると、どうやら 5 月 19 日が平年値らしい。

 気象庁カッコウ初鳴 of Hira...'s Birding Page(野鳥一般:季節の便り)

 具体的にいつ頃から聞こえていたかは覚えがないのだけれど 5 月のうちにはあったようにも。モンシロチョウとツバメの初見日は随分と記録していたので、今でも春先に気にはするのだけれど、カッコウは気にしていなかったもので。

 ウェザーニュースが全国にいる登録会員からの情報を元により狭い範囲での詳細な予報に役立てていたりするように、生物季節の記録を集約できるウェブサービスがあったら面白いだろうになと思っている。さながら桜前線が移っていく様を見ることができるような。

 年数が増えていけばそれは統計的な意味でもいろいろ意味をもってくるだろうし、経年変化を知るという点でも興味深いのではないかなあと思うのだけれど。誰か作らないかなあ。

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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 概ね寝る前読書だったわりには順調に進んでいて、むしろ途中しばらく中断したので時間がかかったという感じで読み終えた。確かに映画のそれとは内容はまったく異なるのだなあと。いや、一度は読んでいるはずなのだがなあ。

 原作ではデッカードは結婚していて電気羊を買っている。けれど、世間体から電気ものだとは公言しない。とはいえ恐らく周りではそれとなく気づいているのかもしれない。

 この時代、人々は人工的な気分調整用の機械に頼っていて、すっきりしたいとかうつうつとしたいとか「今のあなたにおすすめの気分はこれ」的なサービスだとか、自分の意思というよりは機械的な気分に左右されているような時代。そこに宗教まがいのマーサー教が随所で顔を出す。

 デッカードは火星から逃げてきたアンドロイドを始末するために動くというのは同じだけれど、前任者が失敗して重体となって病院にはいってしまったための代役。上司(正確にはバウンティ・ハンターである彼は警察官ではないようでもある)はあまり彼を買っていないのか、まずは製造元の会社にいってテストの有効性を確かめるという。

 でむいた会社は映画と違ってネクサス社ではなくローゼン協会というところ。最新型はネクサス6型という点は同じ。そして、まずはじめにテストしたのが会長の姪であるというレイチェル。テストの結果、彼女はアンドロイドだというデッカードに、会長もレイチェルも人間だと答え、テスト方法は信頼性がないという。ところが後になって実はやはり彼女はネクサス6型のアンドロイドだったとわかる。

 捜査に乗り出すとロシア警察から派遣されたという男が協力するために合流するが、実はそれもまた火星からやってきたアンドロイドで、前任者が瀕死の重傷を負わされたのもその男? の仕業。危うく難を逃れて男を始末したデッカードが、さらにダンスだかしている疑わしい女をたずねるが、逆に警察に通報されて逮捕されてしまう。

 連れてこられたのは見たこともない警察の建物。存在を知らないはずがないが、署員も見たことがない。さらには、デッカードの上司についても彼らは知らない。やがて、実はここはアンドロイドが作っているところで、問題があったときのために警察署を偽装していたのだとわかり、アンドロイドを何対か始末して脱出。ここで同じバウンティ・ハンターとして働いているという男と逃げ出すのだが、結局その男もまた人間と思い込んでいるアンドロイドらしい。その後については触れられずに終わったようだったけれど。

 その後手配リストに載ったアンドロイドをいくつか始末していくが、三体の行方はわからない。身の危険を感じて逃げたらしかった。たった一日で数体ものアンドロイドを始末したデッカードの疲労感はひどく、手にした賞金を元手に衝動的に生きた山羊を買ってしまう。この時代人間以外の生きた生物、本物の生物はもはや希少品だった。

 残るアンドロイドを始末しようかという矢先に、デッカードはレイチェルと連絡をとり、アンドロイドとの逢瀬という禁じられた世界へ。

 残った三体の居場所が判明し、憔悴しきったまま赴くデッカード。一体はレイチェルとよく似た作りのネクサス6型。さながらレイチェルを殺すかのような複雑な気持ちを抱えて始末。そしてようやくにしてすべてのアンドロイドを始末して自宅に戻ると、山羊が死んでいた。

 アンドロイドを始末していくうちに、自分も本当は人間ではない可能性はあるんだろうか、とか。アンドロイドにも感情や夢や希望をいだくということがあるいはあるのだろうか、といった気持ちがめばえていくデッカードの心の動きが映画よりもずっと強いという印象。

 まあ、ディックらしく、うやむやなままに終わってしまう部分は多いものの、荒廃した未来の人々の心のすさみかたというひとつのビジョンを見せられて、ぞっとするようでもあり、ある種の諦観を覚えるようでもあり。

 映像的にはきっと映画の展開のほうが、見栄えはするとは思ったけれど、原作のよさも捨てがたいなと。

4150102295アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
フィリップ・K・ディック カバーデザイン:土井宏明(ポジトロン)
早川書房 1977-03-01

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 カバーとしてはこちらのほうが好き。

B000J8U4EAアンドロイドは電気羊の夢を見るか? (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)
フィリップ・K.ディック 浅倉 久志
早川書房 1977-03

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B00006AFZ6ブレードランナー 最終版 [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2002-07-05

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捨てる人々

 スーパーには謎が満ちていて、たとえばそれは整然と並べられた商品を次々と移動させ、奥の奥にある消費・賞味期限がより先付けであろう商品を探す人々であったり。去ったあとには乱雑に散らされた商品の無残な山が残るのみ。せめて元に戻すくらいの心はないものか。

 きっとそういう人の冷蔵庫にも食品をおいた棚の類にも、すでに消費・賞味期限が切れて一年とか二年とかたっている食品類が山と眠っているに違いない。買うことに満足する人というのは案外多いようで、ある意味こんなによいお客は販売側としてはいないのではないかと。無駄に購入してくれるという意味においては。乱雑にすることの罪は別として。

 野菜売り場にも謎がある。きゃべつの売り場にはたいていダンボール箱とかが置いてあって、無残に捨てられた緑の濃いキャベツの外葉が捨てられている。みなこぞって外側の一、二枚をはいでは捨てていく。スーパーとしたらみなさん高く買ってくださるのだから喜ぶべきなのか。

 なぜ、捨てるのか。その青くてやや固い葉っぱは食べられない部分という認識だからか。けれど、むしろ栄養価も高くて、もちろん食べられるのになぜ捨ててしまうのか。それでいて買ってきたキャベツを一週間も二週間もそのまま冷蔵庫や室内に放置しておいて、いざ食べようと思ったら駄目になっていてそっくり捨てるなんてことをしていないのだろうか、とか。

 誰がはじめたのかはわからないけれど、結局は習慣として考えることもなく行っていることなのだろうけれど、本来行う必要もないことなのに、なかなかやめられない。食べられる部分をあえて捨ててわずかとはいえ高く買ってくれるよいお客さん、なのかもしれない。

 エコな時代なので、きっとスーパーではそれらを飼料にまわしたりということも考えるかもしれない。もちろん、そんなこともなくそのまま廃棄されることも多いかもしれない。飽食の時代は、なかなか終わりそうにない。

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メモ:バカボンのパパと読む「老子」

 「100 分で名著 老子」第四回でドリアン助川さんが登場したのだけれど、意外にも(といっては失礼かもしれないけれど)老子の講義をするほどの方であるとか。

 で、紹介されていた近著がなんとも素敵だったのでメモ。多分、下手な翻訳、解説書よりもしみこむのではないかと。

4047315648バカボンのパパと読む「老子」 角川SSC新書 (角川SSC新書)
ドリアン助川
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング) 2011-11-10

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秒速5センチメートル

 一応地元(大きなくくりとして)関連の人ということでもあるし、作品の評判も知ってはいるし、地元企業の CM に映像が使われたりといったこともあって、存在としては知っていたものの、実のところ作品そのものを見たことがないのだった。新海誠。

 再登場とあるので以前にも配信されたことがあるらしいのだけれど、うっかりしていたのかなんだったのかまだ見たことがなかった。今回また無料で配信というので見ることに。

 ということで手始めに「秒速 5 センチメートル」。桜の花びらの落ちる速度が秒速 5 センチメートルなのよ、と少女が語るところからはじまる物語。互いに転校生だったらしく、クラスから少し阻害された感じのふたりが仲良くなるというのはありがちでもあり、なさそうでもあり。けれど、そんな閉じた世界でお互いを支えあうことで、次第により強く結びついていくというのはありそうでもあり、ある意味理想的な恋愛物語の典型かもしれない。

 けれど、子供であるから親の都合によってふたたび離れ離れになって、なかなか思うように会うこともできず、手紙のやりとりだけが唯一のつながり。携帯電話などまだない(仮にあっても小学生や中学生にはまだ持たされない時代、土地)なかで、公衆電話であったり、郵便であったりという手段が妙に懐かしく。

 ようやく会うことにしたものの、よりによって大雪。鉄道はことごとく遅延し、女の子の待つ駅に到着したのは予定よりも数時間も遅れた 22:00 近く。それでも待合所にひとり居るところなど見てしまったら。

 ここで終われば遠距離恋愛の心あたたまるお話で終わりなのだが、続く第二話では男の子が鹿児島は種子島に転校しての話。すでに高校生になっていて携帯電話も持っているが、どうやら女の子との連絡は疎遠になっている様子。なんども何度もだせないメールを打っては消す。

 そんな男の子に恋心をいだく同級生の女の子。けれどもそれをなかなか言い出せない。やさしさが却って胸に痛む。といったあたりが第二話。

 そして、終局の第三話はすでに社会人となったふたり。けれどもすれ違いというか、もはや連絡すらとっていないのではないかという。少なくとも男の子からは連絡を避けているようにも。そして、ふたりはそのまま離れ離れなままということで終わるのだ。

 映像もよいし、物語としても決して悪いわけじゃない。哀しいけれどよい話だと思う。けれど、現実を見るようでやはりあまりに切ない。虚構の世界くらいは、もっと幸せな物語の結末でよいのではないか。虚構の世界くらい、幸せな結末にしようよ。と、思わなくもない。

 ままならないのが、人生とはいえ。

B000QXD9S6秒速5センチメートル 通常版 [DVD]
新海誠
コミックス・ウェーブ・フィルム 2007-07-19

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【Private edition】RubyKaigi 2013; Lists of presentation slide links.

 RubyKaigi 2013 での発表スライドのリンク集を作成しました。

 [ RubyKaigi 2013 May 30 ]

 [ RubyKaigi 2013 May 31 ]

 [ RubyKaigi 2013 June 1 ]

 一日目を中心に未確認のものが多いですが、今週一杯くらいは確認を続けたいと思っています。

 Ustream での録画もあるようですし、今回もいずれは Vimeo などに整理されるのではと思いますが、ビデオを通してみる時間がなかなか取れないという場合に、せめてスライドだけでもという需要があればということで、今回も作成してみました。


#追記(6/10)
 今回は公式サイトに動画(Vimeo)とスライドのリンクも順次置いているようで、となるとこちらは近いうちに削除したほうがよいのかもと思っています。

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王蟲の子

 [ 虫を愛ずる-L'eclat des jours(2013-05-18) ]


絹の味


 ちょっとネタを仕入れるのに時間がかかったため(スーパーに行った時に単純に忘れていた)やや時間がたってしまったけれど。中国料理店とか宮廷料理とかとまったく無関係に、長野のスーパーでは割と標準で売られていたりします。

 多分、長野あたりの中華料理店では虫料理を出すようなところはないかと思われ。長野駅前のとある居酒屋さんだったかでその手の料理を出してくれるところがあったようにも記憶するものの、近年行かないので詳細不明。

 ほかにイナゴの佃煮などもデフォルト。恐らくは伊那方面にいけばザザムシや蜂の子といったあたりがデフォルトで売られているはず。

 ややグロに感じる向きもあるかもと小さめの写真にはしてみたものの、この姿形で拒否する人もあるやに。まあ、食べてみれば(久々に食べた) arton さん言うようになかなかおいしいし、まったく虫という感覚もないのではある。

 とはいえ、やはり見た目重要というのはあるので、習慣的に食べたことがないものについては難しい面もあるのだろうなと。

 さらに、今回のは 140g ほどはいっていたのだけれど、どうもそうたくさんは食べられないなあという印象。本当に箸休め程度食べると、もういいかなと感じてしまうので、半分くらいの分量で販売したらよいのにと思ったり。いなごはこの半分くらいのもので売られていた(メーカーは違う)。

 さらにさらに。かつてはこのあたりでも養蚕が盛んで、市内の古い家にも養蚕の名残を見られるところがあったりするし、桑の木が残っている地域も少なくないものの、実際養蚕をしている家はまずないこともあってか、原料となる蚕のさなぎは中国産だった。うーむ。ま、しかたないのでこれは食べる。

 ということで虫を食べてみたいという方は、ぜひ長野へおこしくださいませ。

#虫愛ずる姫君は食べてしまうわけではなかったわけではありますが。そして、ナウシカもまたしかり(^^;

 arton さんが正統派を紹介されていたので、わたしは漫画方面など。坂田靖子さんにうってつけなのでした。

4122035279堤中納言物語―マンガ日本の古典 (7) 中公文庫
坂田 靖子
中央公論新社 1999-10

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 もちろんの虫愛ずる姫君。

419210010Xワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)
宮崎 駿
徳間書店 2003-10-31

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Ruby会議 2013 三日目

 三日目はもろもろで午後から。日曜日に「八重の桜」を見損ねたので再放送を見るというのもあったりで、ずるずると遅れていく。

 というわけで、TRICK と shyouhei さんの 1.8.7 の話くらいになってしまった。

 TRICK 企画のほうは審査員がそうそうたるメンバーなので、なんだかメンバーだけ見ていればどちらが A ホールなのだという雰囲気も。そして、変態ぶりを発揮する数々のプログラムを見せられて、やはりこれは凡人の手を出す領域ではないのではなかろうか、とも思い、莫迦なことを考えたりしなかったことに静かに嘆息するのだった。

 どれを見ていてもこれはやはり Ruby の裏(必ずしもそうではないとはいえ)の部分を知っているからこそ作れる部分というのも大きいのではないかなあとか。Ruby 便利といってちょこっと使っている程度では、その意味を理解することも、そんなことを発想することも無理なのではないかと思うくらいの感覚。

 日ごろゴルフに親しんでいるような Rubyist であればまだしも、そんなこともないような者にはいささかハードルが高いような感じ。

 そして 1.8.7 。使いはじめたころはどうだったろう。少なくとも 1.6.x を使った記憶はあるのだけれど、年代的には 2004 年くらいだから 1.8.x はでていたのかもしれない。としてもまだ 1.6.x のほうをメインに使っているという時代だったのかな?

 最近では 1.9.3 と 2.0.0 と両方はいってはいるけれど、実質的には 2.0 のほうを使っている印象。RMagick はもう駄目なのかと思っていたら、どうやら最近は gem になっているらしい。ということは、2.0 でも gem から使えるってことだろうか? そうするとかつてのプログラムも使えるわけなのだけれど、そのうち試してみよう。(もっとも最近では Image Magick 単体で使うことのほうが多くなってしまった)

 akr さんのは申し訳ないけれど半分ほどまで。今回も中継をしていただいたおかげで視聴することができました。りがとうございます。

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Ruby 会議 2013 二日目

 昨日にもまして BGM 的にしていたので、なんとなく右から左に吹き抜けていってしまった感。クックパッドさんの Rails 高速化の話は比較的まともに聞いていたのだけれど、質問形式でやっていたりして、その回答が演者の思うつぼだったらしくもあって、なかなか有意義っぽかったのは覚えている。(100 倍遅いです、とか)

 usa さんの先日の不定期連載をも連想させる 「Windows で Ruby でしょ?」な話はわりとしっかりと聞いていたのだった。そんな皆様方のおかげできょうも Windows で Ruby が使えるしあわせ。歴史的な部分もいろいろ聞けてよかった。

 NougakuDo の話では、なぜ arton さんではないの? とか思ったら、まあそういうことだった。Windows Azure ってアズールとかアジュールとか読むのか、とようやくわかった。時折目にするけれど、あれはいったい何者なのだろうと思うばかりで調べようともしなかったので。

 で、nari さんの GC の話を聞いて、でも半分以上は自分にはちんぷんかんぷんだったのだけれど、なんとなく雰囲気だけ味わって満足した。サブリミナル効果が強かったので現場にいたらきっとジュンク堂の販売所でとある本を手にしていたに違いないと思う。

 というあたりまで。プログラムしながら聞いているという感じだったので、やっぱり薄いなあ。まあ、英語関係のは本当に BGM だったわけでもあり。るびまであらためてテキスト化するってのはよいアイデアだと思うよ。(そうしたらもうスライドリンク集なんて無用の長物になるだろうし)

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