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すぐ隣にあるかもしれない狂気

 NHK スペシャル「未解決事件 file.03」を見る。なんとも嫌な気持ちになってしまう。番組が悪いのではなく、これは人間の所業なのかという点で。もちろん、人間だから、こんな極悪非道なことができるのだろうとも思う。地球環境を貶めているのも、放射線の脅威にさらしているのも、戦争の脅威にさらしているのもまた、ヒト。

 なかでも興味をひいたのは警察もまだつかんでいないとされていた(実際どうなのかは知るよしをもたない) 15 年前にあったという実際に親族関係にあったふたつの家系との事件。葬儀のさいに難癖をつけて自分の支配下におき、一家もろとも食いつくし、やがては自滅へと誘導していく様。

 もちろんそれは取材で得た証言から再現してみたものであって、必ずしも実際のそれと同じであるかは今となっては確かめようがないかもしれない。とはいえ、少なくとも明るみになっている事案の原型となったと思われるその事件の卑劣さには辟易する。

 金メダルを取ると親戚が増える、という言葉があるけれど、それにも似た様相でほとんど関係もなかった相手にいきなり付け込みはじめ、ささいなネタをみつけては脅しすかし、自分の掌中にひきこむ。その手腕のうまさにみなはめられていったのだろうけれど、本当になぜそうもたやすく操られてしまったのかと思うと同時に、誰しもそういうことは起こりうるのかもしれない、という恐ろしさで、思わず後ろを振り返ってしまったくらいに。

 実の姉を死に至らしめた妹が逮捕時に薄笑いを浮かべていたのが実に恐ろしくもあり、哀しくもあり。さっさと自分は自殺してしまった女の罪深さをあらためて思う。妹は姉の死に対してなんの罪の意識もないのだろうなと。そのようにされてしまった悲しみと、そうでもしなくては生きられなかったのかという悲しみと。

 もはや、恐らくは実体など解明できずに終わるのではないかと思う、この事件。36 回もの訴えを足蹴にしてしまった警察の失態と、せっかく逮捕したのにみすみす自殺させてしまった警察の失態と。これほど情けなく悔しい思いをする事件というのもそう多くはないのでは。

 すぐ隣の家でさえ、実際その家庭内がどのようなものであるのか、他人から見れば仲睦まじいと思っていて内実は違うのかもしれず、それは誰にもわからない。仲はよくても他人にいえない問題を抱えているのかもしれない。どんなに近所つきあいがよくても、そうしたことは必ずあるのではないか。

 友人を目の前にしながら、みすみす拉致されるのをどうしようもなかったその心情を思うと、残された者もまた気の毒でならない。

 そう思うと、今この瞬間も類似の事件が日本のどこかで継続している可能性を思うと、つくづく怖い社会に生きているのだなと思わざるを得ない。

 司法の場に庶民の感覚をというお題目ではじまった裁判員制度。ことによると今必要なのは庶民の感覚を警察や行政すべてにということなのかもしれないなあ。寒い時代。

#烏丸せつ子はまさに怪演、熱演という感じだったけれど、悪いイメージがついてしまわないかと心配でもある。

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