アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
概ね寝る前読書だったわりには順調に進んでいて、むしろ途中しばらく中断したので時間がかかったという感じで読み終えた。確かに映画のそれとは内容はまったく異なるのだなあと。いや、一度は読んでいるはずなのだがなあ。
原作ではデッカードは結婚していて電気羊を買っている。けれど、世間体から電気ものだとは公言しない。とはいえ恐らく周りではそれとなく気づいているのかもしれない。
この時代、人々は人工的な気分調整用の機械に頼っていて、すっきりしたいとかうつうつとしたいとか「今のあなたにおすすめの気分はこれ」的なサービスだとか、自分の意思というよりは機械的な気分に左右されているような時代。そこに宗教まがいのマーサー教が随所で顔を出す。
デッカードは火星から逃げてきたアンドロイドを始末するために動くというのは同じだけれど、前任者が失敗して重体となって病院にはいってしまったための代役。上司(正確にはバウンティ・ハンターである彼は警察官ではないようでもある)はあまり彼を買っていないのか、まずは製造元の会社にいってテストの有効性を確かめるという。
でむいた会社は映画と違ってネクサス社ではなくローゼン協会というところ。最新型はネクサス6型という点は同じ。そして、まずはじめにテストしたのが会長の姪であるというレイチェル。テストの結果、彼女はアンドロイドだというデッカードに、会長もレイチェルも人間だと答え、テスト方法は信頼性がないという。ところが後になって実はやはり彼女はネクサス6型のアンドロイドだったとわかる。
捜査に乗り出すとロシア警察から派遣されたという男が協力するために合流するが、実はそれもまた火星からやってきたアンドロイドで、前任者が瀕死の重傷を負わされたのもその男? の仕業。危うく難を逃れて男を始末したデッカードが、さらにダンスだかしている疑わしい女をたずねるが、逆に警察に通報されて逮捕されてしまう。
連れてこられたのは見たこともない警察の建物。存在を知らないはずがないが、署員も見たことがない。さらには、デッカードの上司についても彼らは知らない。やがて、実はここはアンドロイドが作っているところで、問題があったときのために警察署を偽装していたのだとわかり、アンドロイドを何対か始末して脱出。ここで同じバウンティ・ハンターとして働いているという男と逃げ出すのだが、結局その男もまた人間と思い込んでいるアンドロイドらしい。その後については触れられずに終わったようだったけれど。
その後手配リストに載ったアンドロイドをいくつか始末していくが、三体の行方はわからない。身の危険を感じて逃げたらしかった。たった一日で数体ものアンドロイドを始末したデッカードの疲労感はひどく、手にした賞金を元手に衝動的に生きた山羊を買ってしまう。この時代人間以外の生きた生物、本物の生物はもはや希少品だった。
残るアンドロイドを始末しようかという矢先に、デッカードはレイチェルと連絡をとり、アンドロイドとの逢瀬という禁じられた世界へ。
残った三体の居場所が判明し、憔悴しきったまま赴くデッカード。一体はレイチェルとよく似た作りのネクサス6型。さながらレイチェルを殺すかのような複雑な気持ちを抱えて始末。そしてようやくにしてすべてのアンドロイドを始末して自宅に戻ると、山羊が死んでいた。
アンドロイドを始末していくうちに、自分も本当は人間ではない可能性はあるんだろうか、とか。アンドロイドにも感情や夢や希望をいだくということがあるいはあるのだろうか、といった気持ちがめばえていくデッカードの心の動きが映画よりもずっと強いという印象。
まあ、ディックらしく、うやむやなままに終わってしまう部分は多いものの、荒廃した未来の人々の心のすさみかたというひとつのビジョンを見せられて、ぞっとするようでもあり、ある種の諦観を覚えるようでもあり。
映像的にはきっと映画の展開のほうが、見栄えはするとは思ったけれど、原作のよさも捨てがたいなと。
![]() | アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229)) フィリップ・K・ディック カバーデザイン:土井宏明(ポジトロン) 早川書房 1977-03-01 by G-Tools |
カバーとしてはこちらのほうが好き。
![]() | アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (1977年) (ハヤカワ文庫―SF) フィリップ・K.ディック 浅倉 久志 早川書房 1977-03 by G-Tools |
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